(異性愛)女性の性欲・ポルノは一般に「コミュニケーション欲求」だから良く、(異性愛)男性の性欲・ポルノは一般に「コミュニケーションがなく支配的欲求」だから悪い。という単純な異性愛規範の教育書を読んでいるのだけど、そもそも「コミュニケーション」が良いことである前提なのはなぜなんだ?コミュニケーション is 良いことみたいな前提、意味がわからんですよ。だいたい、何が「コミュニケーション」で何が「コミュニケーションではない」のかの定義もわからん。戦争や紛争だって一種のコミュニケーションと言えるしな。
コミュニケーション至上主義みたいな価値観を見ると、ローゼン・メイデンで引きこもりだったジュン君がクラスのみんなからの「頑張って」な寄せ書きを家に届けられて吐くシーンを思いだす。あれ、「過干渉と他者を肯定し受け入れることは違う」ということがよくわかる良いシーンですよね。
不幸な(異性愛)男女を再生産しないためのパターナリズムは当然に善でしょ!みたいな価値観が怖い。「育児書」なんて再生産権力の最前線ですよね。
SDGsの基本的な考え方や構造は上段からビジネス→生活者→環境というウエディングケーキ・モデルであり、上段を維持するための安定した土台としての下段(生活者・自然)という認識なんですよね。勝手に下段にすんな、人間や環境を勝手に資本が生き延びるための資源にすんな、とは思います。
ジェンダーもフェミニズムも、人を貶めるための武器のひとつになりましたね。おめでとう!立派な権力の仲間入りです。あなたたちが批判してきた権力の、立派な一員です。それを隠蔽するために、今日も被害者ぶっているのかな?