はてなキーワード: 震災とは
ネットの友達を作る手段として、Twitter以上に優れたツールはなかった
これら要素により、個の強さが目立ち過ぎず、クラスタごとの断絶も無い、緩やかなムラのような集団形成が可能となっていた。その結果、近い嗜好、思考様式の人間がなんとなーく緩やかに結びついたストレスレスな関係性がいろんな分野で生まれていた
イーロンに買収される前まではずっと良いツールであり続けていたと思うが、個人的には2011年くらいまでが特に素晴らしかったと思う。比較的テキストベースのコミュニケーションが得意なユーザーたちと、巨大な一つのムラの中でわちゃわちゃやったり、それを眺めたりする楽しさはそれまでのどのネットコミュニティにも存在しなかった
画像や動画ツイートが可能になったり、震災をきっかけに少しユーザーの質が変化してきたのが2010年代前半だったが、それでもまだ自衛すれば全然よかった。2010年代後半からはだんだんつらくなっていった。スマホの普及が本格化した結果、Twitterも一般化、大衆化し、現実社会と同じ面倒臭さを持った人間(異論を認めないマウント大好き界隈)がジャンルを問わず跋扈するようになった。イーロンマスクがとどめを刺した後の現状は語るまでもない。
今はDiscordに引きこもって身内とまあまあ楽しく過ごしているけど、その身内ってほとんどTwitterで出会った人たちなんだよな。今何もない状況から彼らと知り合って友達になる方法は思いつかない。はっきり言って今のTwitterで出会った人とオフ会とかしたいと思えない
Colaboでは2月から奥能登の少女や女性たちに衣類や生活用品を届けたり、お茶会などで時間を一緒に過ごしたりしてきました。
明日は珠洲、明後日は輪島で少女や女性たちとのお茶会をし、その後も穴水町や能登町などの学校をまわる予定でいました。
今、私たちは安全な地域にいますが、奥能登では、地盤沈下による冠水、家屋への浸水や土砂崩れ等の被害が広がっているとのこと。亡くなった方もおり、胸が痛みます。
食べ物や衣類をたくさん持ってきているので、現地の方に状況をお聞きして、できることをしようと検討しています。泥かきに必要な物品も揃えました。
報告動画 https://youtu.be/jaMi08iEgus
動画では、珠洲市議の浦さんから、現地の状況をお話しいただきました。珠洲では断水が始まっています。
今日は、女性のお茶会をやる予定でしたが、大雨による被害の影響で中止としました。午前中に雨が止んだため、午後、珠洲市の道の駅や仮設住宅等で食事の提供と中高生向けの衣類の提供を行いました。
珠洲では、これまでに繋がっていた女性たちや中高生、そのお母さんたちが、私たちがバスを停めた場所に大変な中で来てくれて、顔を合わせてお話することができました。
https://archive.md/GiZi7/cd449be2c07a2df3fd5ba366a921777f14634a31.png
死者も出た災害が暇空界隈では嫌いな相手を貶めるためにオモシロ画像作ってキャッキャする楽しいネタらしい
neko800の画像を暇空は頻繁にRTして30万フォロワーたちに拡散しているので暇空も賛同しているのだろう
neko800と岩下の新生姜社長は相互フォローでよく互いにリプつけ合ってイチャイチャしているので岩下の新生姜社長も賛同しているのだろう
「鮮人いたる所めつたぎりを働く」「日本人男女十数名をころす」「横浜を荒し 本社を襲ふ 鮮人のために東京はのろひの世界」…
震災被害で紙面は1枚、裏表の2頁だけだが、1面のおよそ3分の1を「不逞鮮人」の記事が占めていた。
誰もが情報に飢えていたときだ。こうした報道により、流言は事実と化したといえよう(※1)。
3日以降、関東一帯で朝鮮出身者らへの迫害が頻発する。神経過敏となった各地の自警団は、朝鮮出身者とみるや集団で取り囲み、殴打し、殺害した。
この事態に、治安維持にあたっていた警察と軍隊は驚愕(きょうがく)した。それまでの捜査や情報分析で、流言の多くが事実無根と分かっていたからだ。
警察と軍隊は朝鮮出身者の保護に乗り出し、千葉県習志野の陸軍廠舎(しょうしゃ)や各地の警察署などに計約7千人を収容、流言を戒めるビラを散布するなどして沈静化に努めた。
〜中略〜
3日に「不逞鮮人の暴動」で紙面を埋めた東京日日新聞は、翌日以降は一転して自制を求める報道に努めたが、地方紙では流言を無検証に載せるケースが目立った。例えば栃木の下野新聞は4日以降も「不逞鮮人各所に潜入」「水道に毒薬を投入」「鮮人と主義者が掠奪強姦」と書き続けている(※4)。
先の大戦後、朝鮮出身者らへの迫害事件を振り返るとき、政府や警察を非難するマスコミ報道が少なくない。だが、マスコミ自身にこそ大きな責任があったことを、深く自省しなければならないだろう--。
https://www.sankei.com/article/20181118-Y4LPERXWOJMZBOR2AKGDCEZQ3A/
私は別に自己責任論者ではないので、当然困ったときは政府に頼る権利を最大限に行使するつもりなのですが。
兵庫県にも言えることですが、石川県の馳浩知事をリコールせずに続投させるという「選択をした」「権利を行使しなかった」ということは、やはり石川の方々は馳氏を信任しているのだということですね。その中で、1月1日に起こった震災の瓦礫すら完全に除去できていない状況で起こった今回の水害、自己責任論を取らない方々に対しては同情を禁じえませんが、はたして自民王国石川県にお住いの自己責任論者に対しても同様に同情をするべきなのでしょうか。馳氏を選び続けているのは石川の方々ですので、これからの馳氏の活躍に期待しましょう。
私が以前投稿したポストhttps://anond.hatelabo.jp/20240112200526に対して色々なブコメが付きましたが、「反日韓国カルトの統一教会とずぶずぶの自民党を選び続けてるんなら日本人は棄民されても当然でしょう」という部分に関しては全く触れられてないのは草を禁じえませんでした。大体が、右派のなりすましだとか不謹慎だとか、通報してBANさせろとか。不謹慎と言われても、追記でも述べましたが具体的な文言はどれですか、という話です。逆にそれがないからこそ、きっと多く通報が寄せられたにもかかわらず私は今もぴんぴんしてるわけですが…。そもそも「不謹慎」とか「侮蔑」とか、感情論ですよね?「それってあなたの感想ですよね?」。イラつきに任せて多くの人が何も問題ない私の通報に走ったらしいことからも、政策とか統一教会うんぬんとか、理じゃなくてみんな結局感情で動いてるんだろうなあってことがうかがえます。「だから支持されないんだよ」。でしょうね。
自民党が標榜する自己責任論を当てはめるなら、支援物資もろくに届かないような場所に住んでいるのは自己責任だということになります。イラクに行くのも自己責任なら、能登に居続けるのも自己責任ではないでしょうか。私はそんな世界観しんどいので嫌だと思っていたし匿名顕名問わずそう発信してはいたのですが、そうは思わない人がどうやら多数のようですね。私のような「劣等民」を処分するための思想のような気がして、うすら寒い気持ちをずっと覚えていたのですが、自民王国石川県のみなさんは本当にたくましいなと思っております。
ところで、自民党を支持してらっしゃる方は国防に熱心であるという印象を勝手に抱いているのですが、能登には人は住むべきではないのでしょうか?一部、そんな僻地は捨てろと言う意見もありましたが(これは立憲の米山議員が言ってましたが)、どうお考えですか?政府のリソースを割くだけの地域だと認識してらっしゃるのでしょうか。国防とか全く興味がないのでズレたことを言うかもしれませんが、あそこは比較的、皆さんの大好きな北朝鮮と近いような気がするのですが…。無人の方がよろしいですかね?まあ、自己責任論の帰結として能登が捨てられるということはありえるかもしれません。
みなさん、自分が安全圏にいるときは自己責任論を振りかざすことに疑問を持たないとは思いますが、明日被災するかもしれませんからね。その結果障碍者になったり、生活保護を受けることになったり。私は謙虚でありたいし、いつ自分がそうなるかわからないと思っているのでそういった人たちを叩いたりしたことはありませんでしたが、自己責任論者の方々は実際に自分がそういう立場になったらどうするのかは常々疑問に思っております。小泉氏が首相になったら、解雇され無職になる自己責任論者の方々も増えるかもしれませんが。とはいえそういう人たちはもともと自己責任論者なので、例えば営業職が45歳からリスキリングして人手不足のプログラマとかになるんでしょうね。仮に両腕がもげたとしても。私はそもそも小泉氏のような人を首相候補に挙げないためにも自民党以外に投票をしていたのですが、みんな「反日パヨクは許せない」という感情で動いた結果、今回小泉氏が首相になりそうですね。石川県でも日本全国でも、自分たちの投票行動の結末を受け入れることになりそうです。
そうか私が働いてるのか
教訓 頭は毎日洗ったほうがいい
働いたら負けかなって思っている
次は文章を書き続けて
とざまの考え方
ヘテロ劣勢でない
そんなにかんしょうするな
期待の裏返しだったらいいけど
なんのためにここにいるのっていうのじゃなかったらいいけど
給与発生してるなら楽やなってなるけど
エッジによっちゃってる
目をつけてる人はいる セトルしてるけど ここでたあとは
ぼくを外側からみようとする せんえつでナンセンス 実態にたどり着くことはできない
虚心坦懐に封印する すいませんっていって戻る
見えるときは府交感神経優位なのか
ホームレス 現状に満足 困ってない
300円 落とす振りした 卑しい人間だ
大学 流されて決めた
プライド高い
人生のモヤがとれない
おれがもらえてない ニン
流されて生きてきた
ダラダラしたいのかな
起きたら学生になってたらいく
ってことはダラダラしたいわけじゃない
選択を迫られるのが苦手
自ら環境を変えに行く人はなぜ
人間はなれる生き物
パワハラはあったんだろうと思う。
おそらく全国の報道のほうが盛り上がっているだろう。
臭いものに蓋をしたいのかという話ではなく、論点は前知事に遡る。
世間的に話題になったのは大河ドラマ「平清盛」で汚いだのなんだのボロクソに言ったことだろうか。
記憶では定期的に失言しており、コロナ禍では介護職に補助金を出す必要なんかない的な話をして炎上したのが最後くらいだったか。センチュリー?
大阪との間に壁を作るとか東京に地震が来たときがチャンスとか、震災後の知事とは思えなかったが、震災復興(経済は落ち込んだが)に尽力した(と言うしかないだろう。実際は県民の後悔と防災意識が高まったせいではないか)という評価で長期政権を築いた。なお更にその前の知事が震災でやらかしているし権力で地震の可能性への指摘をスルーしたり色々あったので、前知事の初選挙は盛り上がったのだろう。
なぜ長期政権が続いたのか理由は色々あるのだろうが、これを実力とは言いたくない。
兵庫県知事選挙は昔から立候補者が少なく、出てくるのは芸能人とか変な人。自民党と公明党がしっかり手を組んで、前知事を祀り上げて長期政権をさせるように導いていた。そもそも公明党が強い占拠区であったはず。
前知事が失言を繰り返す中で出てきた若い人、それが現知事である。実績なんか誰も知らない。そもそもなかったのかもしれない。
前知事と全く違う人を県民は望んでいただろう。とくに現知事が選挙戦で派手だった記憶もない。でも他の候補者も酷いもんだったので、結果的にそこに投票するしかなかった状態ではあった。
さて結果的に告発をされ知事のパワハラが問題視され死者までだしてしまった県政なのだが、月日を考えてもおそらく県職員たちは前知事から大きく変わっていないだろうと思う。
県民的に疑問は大きく3つ。
「前知事はパワハラ気質ではなかったのか?誰から見てもそうだったが」
「物品をねだったり知事の権力をふるっていたのは前知事からの慣習という話」
「パワハラで堕ちた明石市前市長がいまだにメディアで活躍している状況」
誰と話しても現知事をかばう気は一切ない。ただよく知らない人で、全然よくわからない人だ。
まぁ年寄りにパワハラ振るわれるより歳下にパワハラされたらプライドが傷つくのもよくわかるのだが…。
ただ、兵庫県政は少なくとも1980年代に腐っており、自民公明と前知事が蜜を吸わせた職員が今幹部に居て現知事を批判したということ。そしてその腐敗は現知事が辞めても続くということだ。(辞めなくていいという話ではないさっさと辞めろ)
震災間もない頃、福祉の大学に通う被災者女子学生が避難所運営に携わりつつ災害状況を積極的にSNSに発信していた
やすこの「ボランティアは迷惑」発言がありネット上でボランティア叩きが盛り上がる中で、
「何十人もいるのに水がもう2リットルペットボトルだけ、ボランティアの人来て」と助けを求め、多くのボランティアが彼女のもとへ訪れた
ボランティアは他の避難所にも行っていたが、「ボランティアを受け入れたら世間に叩かれる」と断られて、
他へ回す予定だった物資を彼女のいる小学校に持ってくるケースもあった
小学校にばかりボランティアのキッチンカーや物資支援が集まった結果、「あの避難所だけずるい」という他の被災者による叩きが発生した
元々は顔出しで友人たちとやりとりするためのアカウントだったので彼女は身バレしている状態で、
名指しで「体売って食べ物をもらってるんだろ」という中傷もされ、被災者や部外者にバッシングされるようになり、発信をやめるようになった
その子が消えた後でも、「県の外の人助けて!見捨てないで!」と「耐え忍ぶべき!騒ぐな!」という考えが対立し能登県民たちは争っている
@notosuzudesu
そろそろ精神的にきついです
このアカウントは会社や商売でやってるわけでもなく私は公務員でもないただの一般人、一個人です
名前を出しては勿論、暗に批判する行為、反論意見、中傷はお止めください
私がブロックしているアカウント、又はその者のサブアカウント、新アカウントからの引用やスクショを用いての批判、中傷行為、意見される事も精神的苦痛ですのでお止めください
前の炊き出しでも精神的に苦痛で眠れず、熱中症になり倒れたりの実害が出たり
こちらは精神的苦痛により「ブロック機能」という防御策を取リますので、絶対に、暗にも話題にされないよう、宜しくお願い致します
このようなポストは本来好きではありませんが、本当に辛くて…すみません
https://x.com/notosuzudesu/status/1826197849140596847
@oic_kanazawa
そりゃ事ある度に訴訟をチラつかせていたら普通の人は怖くて表立って批判はできなくなりますよ。
私は中立な目線で見ていますが、全てがおいこらさんへの中傷行為とは私は見ていません。むしろまっとうな批判である意見が多いです。貴方が訴訟を匂わせるようになってからは。
私も以前おいこらさんを応援している投稿をして、ずいぶん能登の方々を怒らせてしまいましたが私はそれで一向に構いません。
私は今でも、おいこらさんを志は違えど能登の方々のために動く同志として見ています。たとえそれが呉越同舟であったとしても。
ですが、何度も言いますが一度考え直して欲しいです。ことX上の石川県民に限って言いますが、貴方に賛同している人は数人しか存じ上げません。一方で、貴方に反発し、忌み嫌い、拒絶する人が石川の支援者だけでなく能登の被災者にもこれほど多い理由を考えたことがありますか。
そういう人たちは決まって「支援そのものは否定していない」と言います。私もそうです。すべてはおいこらさんの発信スタイルに非難が集まっています。今のその投稿方法で理解と賛同を得られるのは、発災後の能登に足を運んだことがない、県外に住む人だけです。
能登に住む人。若しくは能登へ足を運び、支援を続けている人たちから多く反発されており、賛同されていない。その事実と向き合い、冷静に自分を見つめ直していただけることを切に望んでいます。
https://x.com/oic_kanazawa/status/1826582505786638794
@notosuzudesu
昨日から一睡もできませんでした…
『貴方に反発し、忌み嫌い、拒絶する人が石川の支援者だけでなく能登の被災者にもこれほど多い理由を考えたことがありますか』
この言葉が胸に刺さり悲しくてずっと泣いてました
しかし、行かないと私が食事を用意する予定で動いてた避難所のお昼ご飯は無くなる事になります
キャンセルにより車ではなくバスで手持ちで行く事になり本来予定していた数は持って行けませんが最低数だけは持って行きます
元気を与える側が目を腫らしたままの顔で行く事になりごめんなさい
持っていけないお寿司を無駄にして捨てる分は会社様にも食べ物にも申し訳ないです
全て私の責任です
https://x.com/notosuzudesu/status/1826748412961980756
おいこらは能登県と国を批判してもっと支援してくれとよく発信しており
国に訴えかけないと見捨てられるVS国の機嫌を損ねると見捨てられる、根源的な見捨てられる恐怖感は同じだ
一.
ワイフもらって 嬉しかったが
何時も出てくる 副食物(おかず)はコロッケ
これじゃ年がら年中コロッケ
こりゃ可笑し(おかし)
二.
開けて見たらば金貨が
株を買おうか 地所を買おうか
思案最中に 眼が覚めた
こりゃ可笑し
三.
芸者が嫌なら 身受けしてやろ
帶も買ってやろ
ダイヤもやろう やろう
いふて呉れるやうな客がない
こりゃ可笑し
四.
亭主もらって 嬉れしかったが
何時も出て行っちや滅多に
帰らない 帰らない
これじゃ年がら年中 留守居番
こりゃ可笑し
NHKドラマ「おしん」のなかで、大正12年9月1日、田倉商会の新しい工場の開業祝いの準備中に子守を任された源じいが歌っていたのが、このコロッケの唄(大正6年版)。wikipediaによるとコロッケの唄は、その後、昭和37年に浜口庫之助(五月みどり)版、平成版、令和へとなんどかリメイクされて歌い継がれてきたようだ。
大正時代のコロッケは、現代と違って、手ごろなお惣菜ではなく、東京などの洋食店でしか食べられない高級食品。この夫婦が富裕層であることがわかる。二番以降もあわせてみると、大戦後の好景気を反映し、一般投資家が増大した世相を色濃く映した、興味深い唄だ。
それはおしんの番外編。1983年放送当時の8月、おしんを演じていた田中裕子が過労静養のため撮影を中断せざるを得なくなった事態になって、急遽制作され、放送時間帯に15分ずつ6日にわたって放送された番外編「もうひとりのおしん」だ。これは、おしんと同時代を生きた山形や東京の女性に当時の話を聞くという番組。関東大震災前、おしんはラシャ問屋がつぶれたあと、子供服の店を田倉と始める。同番組では当時、日本橋横山町で子供服を始めたというおばあちゃん(放送当時90歳)の話を聞く場面がある。まさにこういう話を聞きたくて、わざわざDVDまで購入したのだが、見てよかった。
それまで和服に日本髪というのが当たり前だった日本人の服装が、洋服に変わっていったのは、関東大震災の後だといわれる。
このおばあちゃんはインタビューで「大震災があったでしょ、それからみんな裸になっちゃいましたから。それからだいぶん、服が変わっちゃいました」と答えている。この簡潔な一言に歴史のダイナミズムが凝縮されている。
おしんの物語では、田倉商会が時代を先取りする形で安価な既製服商品としての子供服のポテンシャルを見抜き、田倉の再起を賭けた。そのドラマの展開にリアリティを与えるインタビューだった。
もっとも、おしんは当初、夫である田倉竜三の羅紗問屋の事業失敗に懲りていて、大して商才もないのに夢ばかり大きい夫の行動が不安で仕方がなく、本当は手堅く地固めをしたい。子供服作業場の拡張には反対していた。だがやがて夫を信じようと思いなおし、夫の夢に賭けるようになる。
おしんのドラマは、10年に一度くらい再放送で目に留まって数話くらいずつ散発的にみていたのだが、今回、腰を据えて全297話をみていると、ドラマの演出がなかなか面白いことにも気が付いた。例えば、夫に商売の才能がない部分を自分の働きで夫婦の稼ぎをカバーしようと自分なりの仕事を始めて成功してしまう場面。プライドを傷つけられた旦那は「髪結いの亭主」さながら飲み歩くだけの怠け者になってしまう。夫を堕落させたのは自分だと気が付いたおしんは、あえて自ら稼ぐことをやめ、夫を立て夫がいつかまじめに稼いでくれるのを信じることにした。その結果、やがて今日明日の米に困るほど夫婦は追い詰められてしまう。田倉はようやく目が覚めて商人の道を諦め、勤め人として働きだすようになった。その様子をみて安心したおしんは、田倉商会の将来的な再興を目指して、子供服の商売のための子供服のデザインなどこつこつと準備を始める。おしんのデザインをみた田倉はおしんの才能を知り、いったんは勤め人として手堅く暮らそうとしていたのに、勤め人をやめて子供服の商売にまた再起を賭けようと夢を語り始めた。おしんに相談もせず勝手にミシンを購入したり、ひとを雇ったりとおしんを戸惑わせた。あげくは事業拡大のために借金をして工場建設をすると鼻息荒くしていう。
そんななか、ドラマの背景で、東京の街中で流れてくるのは「船頭小唄」。おしんの不安を象徴させる、にくい演出だと思った。
そして、大震災当日の朝、順風満帆で工場開業の祝賀を催す準備のさなか、田倉竜三の子供のころからのお目付け役である源じいが歌っていたのが冒頭の「コロッケの唄」だ。源じいは昼に発生した地震で亡くなってしまうので、源じいが幸せだった最後の瞬間だったといえる。その浮かれた雰囲気を、その時代の空気とともに、この歌はとてもよく演出している。
その後のドラマの展開は、田倉の本家である佐賀へ舞台をうつし、橋田壽賀子お得意の嫁姑地獄が待っている。