はてなキーワード: 憂鬱とは
https://srdk.rakuten.jp/entry/2018/05/16/110000
に触発されて。
幼少期の読書体験って、まあまあその後の人生に影響与えると思うんですよ。おかげさまでまあまあ本も読むし、公式な趣味は読書、と言っていい感じ(増田やら提督業やらとはいいにくいからね)です。SFもつまみ食い程度には読みます。
あとはファミコン&マンガ禁止ってのはでかかったと思うが、後者はなし崩しになりました。ジャンプ黄金期に追走できなかった嫌いはありますが。しかし、いまだにこの方針をぶち上げた我が母が、何だってこんなもん買い与えた謎な本がある。たぶんこれ以外もあるだろうけど、まあパッと思いつける範囲で3冊。
これで人生が変わったような、変わらなかったような。
初っ端からこれだよ。このタイトルで絵本というのが意味が解らない。読み聞かせなんてぇ物があったかは覚えていないが、これはそういう絵本じゃないだろう。買ってもらった記憶は当然ないが、いつの間にかあった。ミイラの呪いか。
更に言えば、内容はリアルガチだ。古代エジプト人の死生観・宗教観に始まって、話はミイラづくりに至る。死んだファラオの鼻の穴にカギを突っ込んで脳みそを引きずり出す、なんてぇ描写もちゃんとある。絵のおかげでそうグロくはない。むしろ「墓をちょっと良くしたら死体が腐って困るようになった」という逸話のダメになった白骨さんが怖かった。あと脳みそ引きずり出し職人も怖いっちゃ怖い。もっとも、こいつらのせいで、長らく脳みそはしわのところからほどけてうどん的なヒモ状になると信じていたのであるが、それはまた別の話だ。
エジプト旅行に行く時の入門書にぴったり。後年、本当にわが母とエジプト旅行(父は流石に第三世界に女一人で出すのは気が引けたらしく荷物持ち)に行くことになるのだが、それは10年近く後の話なのである。当時から行きたかったのかな・・・??
正確には「与え給いし」ではなく、その辺に置いてあっただけなのだが・・・。家にあった子供読み物が終わった後に、その辺に転がってるからと言って読みだしたのがこれ。高学年とはいえ消防にゃ早すぎるんではあるが、止めもしなかった。いいエッセイですよええ。このほかにもシリーズが何冊かあって、いずれも好きだったけど、なぜか巻が飛び飛びにしかなかった。これとこれもなぜか転がっていた「のらくろ少尉」「のらくろ決死隊長」のおかげで旧字体アレルギーが付かなかったのは幸運か。しかし、我が母、なぜ全巻頭から揃えようとしないのか謎。のらくろは何であったのかも謎で、カバーもないのでページをめくらない限り何の本かわからないという代物だった。どの版だったかも判然としない。今調べりゃいいんだけど。
まあとにかく、こっちの方から昭和戦後エッセイ方面(マンボウ・狐狸庵等あだ名つけるシリーズ。村上朝日堂あたりまでがその範疇とにらんでいる)の攻略に乗り出すのである。ただしこれは血のなせる業か、マンボウ読んでも狐狸庵未読、みたいなずさんな揃え方をするのである。
ある年の誕生日プレゼントの一冊。中学生入ったかも。ちょっと記憶があいまいで、「わしらは怪しい探検隊」(外で焚火をするのも好きなんです、今もって)を読んでいたので、それで適当に作者買いしたのかもしれないが、こっちが先だったのかもしれない。後者ならなんでこんなもんを、との思いが強くなるし、前者だとしてもあんまりだ。内容はというと、やや病的(当時椎名は鬱病だったはずである)な男が新宿から帰宅する間に抱える妄想を含めてダダ流ししてある、という代物である。文体は後の椎名SFを読むときの抵抗を減らしたような気もする。これとお約束の星新一、さらに小学校にあった謎の子供用SFシリーズ(零戦の亡霊が復活して子供の教育を始めたり、ソ連!の科学者一家が火星に移住する話を憶えている)によって、SFつまみ食い癖が付いたようだ。
私は何故か出勤直前に猛烈な便意が来る。
電車で通勤してるけど、大抵職場の最寄り駅につく少し手前か最寄り駅に着いた途端起こる。
下痢ではない(たまに下す事もあるけど)ただすごい便意。
それが週3くらいで起きる。
電車に乗ってる間や駅に居る時だったらトイレに駆け込む事もできるけど、駅から出て会社に向かう時はほぼ無理。
なので速足で出社しタイムカードを切り、荷物をデスクに置いてトイレに駆け込むしかない。
日によるけど、その時間抑えるのは本当にキツくてトイレに着くまでの時間が永遠にも感じる。
何で出勤直前なんだろう。
家を出る前に起こってくれとは言わないけどせめて駅に居る時に起こって欲しい。
私のサイクルがその時間なのかとも思ったけど、休みは起こらない。
そもそも私はフレックスで働いてて、出社が12時の時もあれば6時の時もある。
でもどんな時間帯でも「出勤直前」に便意が起きる。
なので出勤直前に体が反応してるっぽい。
何故なんだ私の腸。
何故そのタイミングなんだ。
フレックスなので定時はなく、多少遅れても問題はない。なのでトイレに駆け込むのも実は問題ない。
仕事に対して不満はない。
連休中ずっと部屋にいたとしても、その間「仕事は嫌だ」「仕事行きたくない」「仕事が…」って感じで、仕事に関することで頭がいっぱいだったら全然休養になってないと思うよ。
身も心も仕事から離れられて初めて休養したと言えるんじゃないの?
って、仕事のせいで寝れなくなってるのと同じじゃん。
○調子
○グラブル
サイドストーリーってのをこなすと、仲間が増えたり、武器が手にいれれたりするみたいなので、それをちまちま進めてた。
(なにやら、そのサイドストーリーをたくさんクリアするとプレイできるサイドストーリーで手に入る武器が強いらしい)
それで思ったのだけど、こうやってそれなりの長さの後に仲間になるキャラは、思い入れがつきますね。
どうも、メインストーリーはだいぶ先までいかないと仲間が増えないみたいなので、まずはこのサイドストーリーをどんどんやって仲間を増やそうと思います。
昨日、目標をどうするか悩んでいると書いたけど、このサイドストーリーが楽しいので、
サイドストーリーの全部クリアと、そこで仲間に入るキャラクタを上限解放してレベルを最大まで上げるってのを、目先の目標にしようと思う。
メインストーリーをクリアするってのもやりたいのだけど、メインストーリーで仲間に入る人たちだけでメインストーリーを攻略できないのが、どこかがもどかしいんだよね。
誰もが憂鬱な気持ちで会社に向かう月曜日の朝、私も出勤すべく路面電車に乗り込んだ。幸いなことにいつもより空いており、窓際の横並びの座席にはポツポツと空きがあった。
私はその空いていた席に座り、朝から座れてラッキー!と内心ほくそ笑んだ。二駅乗ったところで、私の左側と右側に座っていたJKが席を立ち、私の隣は誰も居なくなった。ラッキー!と思いきや束の間、JKと入れ替わりでと乗ってきた女性客から「席詰めてもらえる?」と声を掛けられた。
これには驚いた。
今まで電車に乗っていて、席を詰めてもらえますかなんて声を掛けられたことが無かったし、私の左右の座席は空いているのだからそこの席に座ればいいのに、わざわざ声を掛けて席を詰める必要性が感じられなかった。(ちなみにその女性はふくよかなわけではなく、私の左右の空いた席に座るには問題のない体型であった。)(他の席も空いていた)
それに、人に頼み事をする時にクッション言葉や前置きも何もなくいきなり「席詰めてもらえる?」は少々つっけんどんではなかろうか。
モヤモヤ。
電車で空いた席は詰めるべきか詰める必要がないのか自問自答したけど答えが出ないので、初めてはてな匿名ダイアリーを活用してみた次第であります。
私は席を詰める必要が無いという考えの元て生きていて、今朝声を掛けた女性は席を詰める必要があるという考えの元で生きているんだから、こんな事でモヤモヤしても仕方がないなぁ、と思うことでみんな違ってみんないいなんていう詩を思い出したりした通勤路だったのでした。
昔から身体が弱くてそのことを呪うことはあったものの人を不快にするほどのことはなかったのに、最近になって口を開けば女がどうだとかしか言わなくなったしツイッターでもつぶやくことは口汚い言葉ばかりになった知り合いがいる。
あまりにもひどいのでツイッターはミュートにしてLINEも無視するようにした。もはや縁を切るべきだろうと思っているものの共通の友人がいる都合でどうすればいいか考えている。いや、考えてはいないか。保留にしてる。
本当に変わってしまった。本当は立ち直ってもらいたいのだが、自分にそれができる気がしなくて引きずられるように憂鬱な気持ちにさせられている。
何が言いたいのかわからないがなんとなくここに書いておきたい気分になったので書いてみた。
本当はもっといろいろ書こうとしたが文章の体をなさないのでやめた。タイトルもよくわからない。
面倒だなと思ってても本当は昔のように元気になってもらいたい。どうすればいいんだろうな。
さっさと生理なんか上がれば良いのにまだ上がりそうにない。
先月は痛みのあまり、冷や汗がどっと出て数分間意識をなくしてたみたいで、凄く焦った。
たまたま自宅だったから良かったけれど、もしパート先であの痛みが来たらどうしようと考えるとパート辞めたくなる。
けれど週3のパートで生理休暇くださいとは言えないし、仮に私が生理の軽いタイプの同僚だったならそんなパートは困ると思うだろう。
だから言い出せない。
辞めるか。
天井の梁に打ち込んだ金具に通したロープが輪を作ってる。踏み台に登った人物が輪に首を通している。首からぶら下がろうとするが踏み台を蹴る最後の勇気が出ない。
何か辛いことがあったわけではない。ただただ憂鬱で何もかもから逃避したくて死ぬことにしたが、それだけでは死ぬ理由として弱いのか踏み台を蹴るところまで踏ん切りがつかない。
かと言って生き続けるにはいろいろ細かいことだが辛いと思う気持ちは変わらない。どうしたらこの辛さと付き合っていけるのか、できることなら誰か今すぐ殺してくれとも思う。
何が辛いのかと聞かれて思うところを吐露しても他の人からすれば「そんなことでいちいち悩むなよ」と言われそうなことばかり。でもひとつひとつのことに対する感じ方は人それぞれでわたしの場合小さなことでも気にして、解決策を大げさに考えて色々思い悩みどんどんドツボにはまっていく。
小さなことにこだわるのは自分が状況に絡んでいると思い、自分の行動に影響が出るからという意識のしかたで、これはかなり肥大した自慰意識の産物として自分が物事の中心にいるという思い上がりから来ているのだと思う。
こうした自分を中心に考える肥大した自意識は根拠もないのに無駄に高いプライドのせいでもある。
子供の頃は比較的知識量が多く「ものしり博士」との異名があったし、経済的にそれなりに豊かな家庭で大事に育てられた結果としての自意識が肥大化したのだろう。
つまり肥大化した自意識が自らを軽んじられることに強い否定的感情を持ち、そうした扱いを受けることにショックを受けているのだろう。それが憂鬱を招き自殺念慮を誘発する。
健康な心の動き方ではない。傷を受けた心に脳のセロトニンシステムの不具合が影響してか堂々巡りの考えは気づかないうちに心の傷を広げてしまっているのだろう。
今までも辛いことがあれば逃避のための自殺を何度も考えてきた。何度も死ぬことを考えては「いや、この用件だけは済ませてからにしたいから」とその用件がある日までは生きようとしてなんとか切り抜けてきた。
だけど今年に入ってから寒い時期に調子が落ちていたせいもあるにせよ、死ぬことを思う頻度がかなり上がっている。仕事が悪影響を与えているのは明白なんだが、いろいろあってようやくありついた転職なのでなんとかしがみつきたいとも思う。
10代の中頃から20代終わり頃までミスチルをよく聴いていた40のおっさんです。アルバムを欠かさず買ってました。今は押入れの肥やしになってます。
昔聴いていた曲が流れて来ると、セットで甘いくて苦い記憶が蘇ってきた。
simpleで、面倒な友達関係から逃れて、平穏な生活を夢見みたり、
Heavenly kissで、キスで全て解決できるのか、ヘブンに行けるのか考えたり、
などなど。
あの頃は色々あったんだなと思い出す。毎日がドラマチック。今は会社と家を往復する毎日で、ある意味平穏で平和な生活。ちょっと孤独ではあるが。
今の自分の考え方は、アルバムでいうと「Atomic Heart」から「Q」までのちょっと根暗な、憂鬱な世界観を持って生きてると思う。
人生はいつもQ&Aだなと思い、会社にマシンガンをぶっ放したいと思いながら、終わらない旅き飽きて来ている今日この頃です。
ミスチルの曲は、夢見がちな10代、都会の孤独な若者から郊外の家庭を持ったお父さん的な変化を感じる。まぁ、ファン層が年取って変化してるからそれに合わせてるのかな。
病んで出勤拒否状態になったかと思われて心配された。同室で一緒に仕事している非常勤さんには「一日長く休みますから」と伝えておいたし、システムでも休暇申請出してあったんだけど、上司が忙しくてシステムなんか見なかったらしい。
確かに今の職場に異動してから予想外以上にドタバタし、他の職種の連中が中心の世界に上手くなじめていなかったから、心配される要素はあったと思うけどそんなに騒ぎになるとは…。病気で休んでもしばらくは8割ぐらい給料がもらえるらしいので、「自律神経失調症」とか適当な病名もらって休んでみたいけど、そうすると自由に遊び歩いて証拠写真をSNSにアップしたりするわけにもいかないな。
朝出勤するのがだるいのは今に始まったことじゃないし、仕事が好きになれないのもずっと前からのことだ。でも医者に行って「仕事に行くのが憂鬱なんです」と訴えても、「単なる睡眠不足です」「単なる面倒くさがりです」と言われそうだ。あ~、明日も出勤しなくちゃいけない(ToT)
休日最後の夜にゆっくりしたいと思ってベッドで好きな本をゆっくり読んでたらシーツが赤い
なんでこんな夜中に手でシーツとパンツ洗わなきゃいけないんだよ死ね
なんで女だけ毎月こんな現象があるんだよもうやだマジで惨め死にたい寝たい
なんで女ばっかり
そしたらまた何千円も払って買い換えるしかなくなる
女同士ですら、どんなに仕方ない生理現象とわかってても
血のついたままのシーツ使うなんてありえないからちゃんとしないと人も呼べない
なんだろうこの「よくあること」で「身体的事由」で「自分で開始時間を決められない」のに失敗は回収しないと神経疑われるって現象は
もうまじでクソ
一回これやるともう二度といやだと思って
過剰防衛じゃないけどいつきてもいいように月の半分ナプキンつけっぱになるじゃん
するんだよ
呼ばれる方でなくやる方の立場。
親族だけで挙式し後日に友人を呼んだパーティーをするつもりだったんだけど、友人の反応があまり良くない。
初っ端に断られるならまだ誠意を感じる方で、検討すると言ったっきりの放置、果ては既読スルーが続いている。
個々の事情は理解しつつも、ダメージが重なって2ヶ月後に予定の二次会が憂鬱になっている。
恐らく友達は多い方で、小学校〜大学まで一つの部活を続けていたこともあり、青春を共にしたと言える仲間もそれなりにいた。
20代の間は1年に1〜2回はそれぞれの年代の友人と遊ぶ機会があったし、それぞれの結婚式にも多分、人一倍は参列した。
それぞれを大切な友人と感じていたし、自分の祝いの場にも当然、顔を出してくれるものだろうと思っていた。
けれど今回、そういった昔からの友人からのレスポンスがハッキリ言って良くない。
むしろ、30代を過ぎてから始めた趣味の緩い繋がりの仲間や、近隣の飲み屋の常連仲間の方が参列を即答してくれている。
確かに自分は周囲より結婚が遅れたし、30代も半ばに差し掛かった旧友達がそれぞれ事情を抱えているのもわかる。
ここ数年はそれぞれと飲み遊ぶ機会も減っていたし、家族や仕事の優先度が上がっていることもあるんだろう。
ただ、そうは言っても、祝いの言葉すらないのは、返信すらないのはやっぱり心情的に納得できない。
そこは嘘でも行きたい気持ちを伝えたうえで断るのが所作だと思うし、それすらしないことが信じられない。
父親がTwitterしていてそのアカウントを見つけてしまった。
パソコン系の仕事しているから、よくプログラムの話をしている。
でもたまに家族のこととかもツイートしていた。下ネタみたいなことも言っているときもあった。
家族の悪口とか書いている訳ではない(見つけられないだけかもしれない)んだけど、それでも自分としては嫌だった。
一緒にご飯食べているときとかテレビ見ているときに、このこともツイートするのかなとか思ってしまって憂鬱になってしまっている。
親としては好きだし尊敬もしている。
長文です。
人の幸せを喜べない自分が嫌だ。僻みっぽくて、常に他人と自分を比べて凄く嫌な女だ。
結婚4年め。子なし。旦那の転勤で海外在住。会社の規定で働けない為、専業主婦。
昨年妊娠した。子供が嫌いなのでピルを服用していたんだけど、丁度飲み忘れたタイミングだった。逆算してみて、多分一発で命中したんだと思う。
「生理が重いから(事実)」という理由でピルを飲んでいた。これは夫も知っていた。
検査薬を見てゾッとした。大好きなお酒が飲めない・子連れになったらお洒落なレストランにも行けない・海外旅行も暫く行けない。
子育て=自分の自由を制限するもの としか思えず、産婦人科受診まで憂鬱な日が続いた。
でも心のどこかで、ちょっと喜んでいる自分が居ることに気づく。意気揚々と日本への里帰り出産の計画を立てていた。
しかし、後になって気付いたけどそれは旦那と子供と過ごす未来へのワクワクとかでは全くなく、他者から見た順風満帆な自分の人生への優越感だった。
友人のなかでトップ集団で結婚し、旦那の稼ぎもかなり良い。私立の女子大を卒業した後は大手企業に就職、早々に寿退社。当時は皆に人生(恋愛)相談をされていた。今思えば自分はかなり負けず嫌いで、勉強も学年で1番、受験も就職も所謂勝ち組だったと思う。しかしそこには自分が何をしたいとかは一切無く、ただ周りから羨まれる対象になりたかった。
受験→就職→結婚まで全て自分の思い通りになった。もちろん地頭が良い訳ではないし、容姿が特段美しいわけでもない。普通だと思う。だから努力だけは惜しまなかった。
私は、自分の事が嫌いだ。要領も悪く、身も心も美しくない自分が心底嫌だ。常に打算的で、周りの目ばかりを気にして、自分の意思なんて物は何もない。そんな自分の分身なんて怖過ぎる。加えて旦那の事は嫌いじゃないけど、正直愛してはいないと思う。一応恋愛結婚だけど、高収入・介護無しの条件で選んだからだ。
日頃神様の存在なんて信じないけれど、この時だけは神様は居ると思った。こんな私のところに、偉大なる神様が何かを授ける訳がないよね。
子宮外妊娠をしていた。しかもかなり危険な状態で、すぐに手術が必要なレベルだった。片方の卵管を切除。それしか道はない。「(私の)命が危険です」と言われた。今後妊娠出来ないわけではないけど、確率は30%程下がると医者から説明を受けた。
診察室でボロボロ泣いた。しかし、何故自分が泣いているのか分からなかった。
公共の場で騒いでいる子供が嫌で、野放しにしている親が嫌で、妊婦の膨れたお腹を気持ち悪いと思っていたし、電車に妊婦が乗ってきたら譲らなきゃいけないみたいな風潮も意味がわからないと思っていた。なんで好きでセックスして妊娠した女に優しくしなきゃいけないの?サラリーマンの方が疲れてるよね?妊娠は自己責任だよね?何弱者ぶってるの?と思っていたし、正直この考えは今でも変わらない。そんな子供・妊婦嫌いの自分が、何が悲しくてこうして泣いているのか?駐在生活も辛いよね?社会の何の役にも立っていない自分に後ろめたさ感じていたよね?働いていない事を理由に、旦那にヘコヘコするの嫌だったよね?生きてる意味がわからず、なんならもう◯んじゃいたいくらいに思ってたよね?むしろ願ったり叶ったりじゃないか。子供は無かった事になる。内臓破裂させて◯ぬ事も出来る。それなのに、何故私は泣いている?
術後、落ち着いた時に考えた。そして分かった事が2つ。まず、私は死ぬのが怖い。なんだかんだ怖い。2つめ、「子供を産めない自分が許せなかった」。大多数の女性が、皆がごく当たり前に出来る事が、自分に出来ないという事実を、受け入れられなかったのだ。
手術をして、退院した。街中で子連れ親子を見ると、羨ましくて涙が滲む。SNSの妊娠報告・成長記録あいつらまじで◯ね。羨ま◯ね。子供が欲しいんじゃない。「子どもを産む能力を持っている事」が羨ましい。世の中の「子供が欲しい」と言ってる女性達の中にも、私と同じような考えの人が一定数は居るんじゃないかな?友人が皆子育てしているのに自分だけ居ないなんて、みたいな。働く女性が増えたとはいえ、27.8歳くらいまでに結婚しないとヤバイ・30前に子供産まないとヤバイ等、女は今でもそういう社会の目と、時間と戦っている。
今日、友人の妊娠・出産報告を喜べない自分が居る。結婚する子にですら「どうせ私より先に簡単に妊娠するんだろうなー」と思って、冷めた目で見てしまう。そんな自分が凄く嫌だ。
このまま妊娠出来なかったらどうしよう。旦那は「私ちゃんと2人で良いよ」と言ってくれているけど、信じられない。いつ離婚を言い渡されるか怯えている。とにかく自分が欠陥品だという事実を認めたくない。その為に子供が欲しい…でもそれは間違ってると気付いているので大丈夫。私みたいな人間は、子供を持っちゃいけないんだ。子供は自己実現の道具ではない。本当は子供なんて欲しくない。私が欲しいのは、自分がポンコツじゃないという自信。それが何なのか、まだ私には分からない。
数年前に開発会社から全く別業界のシステム部門に入り、受注者から発注者に立場が変わったので良い発注者になろうと頑張ってきたつもりなんだけど
先日中途で入ってきた同僚が、長く付き合いのある開発会社に「改修案件の見積もりの根拠が分からないので改修対象のステップ数とソース数を出せ」とか言い出して、それを止めようとした自分と喧嘩になった、しかも「改修見積もりをしたのならステップ数は当然すぐに出せるはずだ」と言いながら
そいつは以前にも「単体テストの結果も全て説明付きの画面キャプチャをエビデンスとしてつけろ。これは当然の事で、テストをしたのなら作っているはず。だから追加工数も払わない」と言い出してこれも喧嘩になった
残念ながらうちのシステム部門は専門の人材がいない為、こいつの言うことのおかしさを理解してもらえない
「規模を知るためにソース数を貰うのは当然の事です」とか言い出して、それをまわりが真に受けてしまう
いくら自分が反論しても1対1の話なので「やり方は色々あるからね」と窘められてしまう
ドラえもんがいないのび太くんは、一体どんな人生を送ったのだろう?
ADHDと診断されて半年が経ちまして、今社会人2年目を迎えたばかりなのですが最近限界を感じ始めている
メモをしたから平気と思っていても、どこに書いたのか分からなくなってしまったり
口頭で説明されると、つい上の空になってしまって気付けばはなしについていけなくなってしまったり
机の上や引き出しが汚くて業務に必要な書類がすぐに見つけられなかったり
会議に毎回ギリギリに行ってしまい5分前に来なさいと怒られたり
自分が今何をしたらいいかわからなくて、仕事が溜まって他の方に迷惑をかけたり
身だしなみもいつもストッキングが伝線していたり、服が逆だったりどこか抜けてしまう事が多い
1年目の頃は研修が主だったのでミスはするものの、そもそも業務量が少なかった
2年目になって、色んな方と連携して仕事しなきゃいけない機会も増えた。
でも雰囲気や周囲を見るのも少し苦手で、目の前の仕事につい夢中になってしまう。
ストラテラという薬を飲んでしばらく経つ。私はこういうものは薬を飲めばまともになれると思っていた。
だから自分がADHDであると言われた時は正直ほっとした。ずっと自分が人とどこか違うと思っていたから、その原因がやっと分かった気がして。
だが、薬は元々ー5だった所がー2になった程度で、どうしても普通の人と後少し差が埋まらない。私は長年の夢だった、普通の人間になりたいというものが未来永劫叶わないことをここで初めて思い知った。
優しい先輩は「最初は誰でもミスをする」と言ってくださるのだが、先輩と私にはADHDという違いがあり、それを思い知る度に酷く憂鬱になる。
仕事を辞めたい、最近ずっとそう思っている、けれど、辞めて違うところへ行ってもまた同じ事が起きる気がしてならない。
私のADHDの型は、ネットで見かけたのび太くん型というものに酷く似ている。
注意散漫で細かいミスが多く、片付けられなくて興味のないことや長い話には上の空になってしまう。そしていつも眠そうにしている。思いつきで行動するもすぐに飽きてしまう。そしてミスが多発して慌ててしまう……
ドラえもんのいないのび太くんは、大学受験など人生において多くの失敗をして、挙げ句の果てに自分で立ち上げた会社を火事で無くしてしまう。うろ覚えだけど、確かそうだったはずだ。
そんな悲惨な未来は、ドラえもんが来ることで改変される。ドラえもんが彼のミスをカバーすることで、のび太の未来は最終的にしずかちゃんと結婚し平穏なものへと変わる。閑話休題だがのび太の結婚前夜って優しい映画が私はとても好きだ。
だが、現実にドラえもんはいない。大学までは、特に支障無くぼんやりと曖昧な楽しみを享受して生きて来た。
けれど、社会人になってから余りにも辛い事が多く、家に帰っては眠るばかりの生活をしていると、いよいよ最近自分が生きてる意味もよく分からなくなってきた。
ADHDの特性の中には疲れ易いというものもあるみたいで、仕事の後や休日に疲れて何も出来なかったりすると、いつも自分の体質が憎くなる。
もう随分と長く生き、体も不自由になった祖母が、前に「早く死にたい」と呟いたのを聞いて以来、私は未来にも希望が持てなくなった。長く生きても幸せになれないのなら、今こんな辛いまま生きて何の意味があるのだろうかと。
ADHDであることを今まで関わった方全員に暴露したい気持ちにもなるけれど、きっと理解してもらえない、気のせいだ、誰にでもよくある事だ、そんな言葉に甘えるな……そんな風に言われそうで、私は誰にも言うことができない。そもそも仕事先に言うべきことでもない気もする。
それに、耳が聞こえないことと違って紙に言葉を書くなどの明確な対処法だってないのだから、解決法のない悩みを言ったって困るだけなのだ。
人に迷惑をかける人間なんて生きてる意味がないと自殺を考えたこともあるが、やっぱり自分だと怖くて首に縄を通せないのだ。
私は心が弱いので、いつか安楽死の制度とかが整うことを夢想するばかりだ。そしたら、長く生きなくたって済む。
1人で部屋にこもって好きな音楽を聴いたらゲームをしたり、ぼーっとするのが1番落ち着く。人と会話するといつも途中で集中が切れて、疲れて、早く帰りたくなる。
でも、そんな1人で生きる方法なんてありはしないのだ。
一体いつまで、ADHDを抱えて私は生きればいいんだろう。
ドラえもんがいてくれたらなあ。