はてなキーワード: 師弟とは
昨日某所に投稿した物の再掲
作画は良いとは言えないが万人に薦められる名作
万人向けとは言い難く人を選ぶが名作
ガンダム最高傑作と言っても過言ではない宇宙戦闘が描かれる名作
とりあえずガンダムを見た事無い人にはこれか初代を薦めれば無難な不朽の名作
二時間足らずの尺に時代を一新した新たなガンダム世界と二人の主人公の対になる家族像の映像を詰め込んだ意欲作
初代からZへの空白期間の戦いが超クオリティの作画で描かれる良作
宇宙世紀の大トリを飾る最終回を見た後爽やかな気持ちになれる名作
少年漫画のような熱い戦いに友情・師弟愛・家族愛・恋愛など心を震わせる人間ドラマが描かれる名作
濃いキャラクターが繰り広げる強烈な人間劇が見ていてまず飽きないだろう名作
華々しい戦果を挙げるヒーローでは無い歩兵としてのガンダムと敵味方の恋愛が描かれるミリタリー色濃い名作
戦後の時代を舞台にした新世代の少年が世界を見て回る隠れた名作
前作で描き切れなかった後片付けの戦いが超クオリティの作画で描かれる傑作
ガンダムらしからぬ牧歌的な雰囲気の全てのガンダムを過去にした名作
少年・おじさん・女性層とありとあらゆる層を引き付けた屈指の話題作
全編CG作画で描かれる戦場で消えていった兵器とそれに乗る男達が主役の良作
TV版よりは万人向けになった良作
デジタル制作によるTVアニメとは思えないハイクオリティな戦闘描写が素晴らしい名作
とりあえずガンダムを見た事無いけど興味ある人にはこれを薦めておくと無難な良作
今見ても異常な超高速戦闘が繰り広げられる作画クオリティは恐らくシリーズ一の名作
あらゆるガンダムファンへのサービスとホビー漫画のお約束を踏まえた熱い展開が魅力の名作
金属が擦れ合い火花散る戦闘とアウトロー達が主役の作風が人を選ぶ異色作
初代とは僅かに異なる世界異なる戦域ではぐれ者達の死闘が描かれる良作
舞台を一新し新たなガンプラバトルとボーイミーツガールが描かれる良作
UCの続編でありCG作品を除き初めてインコムを映像化した記念すべき良作
一度挫折を経験した者達が寄り添いもう一度立ち上がるまでの戦いを描いた名作
CGには拙い部分があるが各ガンダムの後日談・前日譚・IF・幕間の戦いが描かれる楽しい名作
尺の短さ故駆け足ではあるが主役側のキャラはよく立っている良作
以上
SEED DESTINY、AGE、ビルドファイターズトライ、閃光のハサウェイ、Gのレコンギスタ、その他SDガンダムはまだ観てないor全話見てないので作品評を書けない
sangping 本当にSEED DESTINYは見ていないから書けないのか? 本当にSEED DESTINYは見ていないから書けないのか?
まだ見てない。長いから。出来ればリマスター前のバージョンをDVDで見たいと思っている。
SEEDを話題作・鉄血を異色作に分類したけど、客観的に見て名作や良作と書くと角が立つからこう書いただけで個人的にはかなり好きな部類のガンダムに入ってる
sangping 本当にSEED DESTINYは見ていないから書けないのか? 本当にSEED DESTINYは見ていないから書けないのか?/追記:これだけ見ていて「長いから」は笑った。本当に長いからなのか? 本当に長いからなのか?
長いからだよ。それと近くのレンタルビデオショップが閉店したから視聴する手段がない。お金も時間も無い。
hdkINO33 “長いからだよ。それと近くのレンタルビデオショップが閉店したから視聴する手段がない。お金も時間も無い。” バンダイチャンネルでHDリマスターが見放題(月課金)ですよ。(時間はどうにもならん)
俺はリマスター前バージョンを見たいのですな。動画配信サイトだと大体リマスター版しか見れないらしいから、DVDを借りるか中古で買わないと見れない訳だけど…
【追記】
機動戦士ガンダムNTを″UCの続編でありCG作品を除き初めてインコムを映像化した記念すべき良作"と評したけど
1位 ディケイド
2位 アマゾンズ
1シーズンの短さもあり早回しなので完全新規ではついていけない。
3位 ジオウ
ディケイドよりはマシだが知ってる前提。
4位 電王
加速するまでが長く途中でダレやすい。
仮面ライダーであるということ自体を理由に見続けられるぐらいの浸かり具合になったら見せる。
6位 鎧武
狙いすました衝撃展開が多くて話が掴みにくい。
7位 ウィザード
子供向けっぽさが強い。
メイン、各怪人ともに展開がスローで退屈になりがち。
8位 響鬼
お仕事モノ・師弟モノとしてのカラーが強く仮面ライダー感が薄い。
ライダーとして勧められてこれだと戸惑うかも。
9位 カブト
かなり個性的で人を選ぶ。
中盤以降の展開がグダグダすぎる。
展開の散らかりが激しい。
加速と失速のムラがあるため失速のタイミングで離脱されかねない。
コンセプトの迷走がある。
13位 剣
味のあるグダりが魅力ながらも流石に1クール目が酷い。
半分まで見せれればその後は安心だが大体のシリーズがそうなので優位性は薄い。
14位 W
こっから先は同率15位が沢山並びそうなのでこの辺で打ち止め。
人間が銃で殺されて治安面で不安、ショックを感じるというのはまぁわかる
小学生が通り魔に殺されたとかなら、かわいそうに…という気持ちは湧く
でも政治家が殺されて悲しい!という気持ちがわかなくて、ヤクザの組長とかが抗争で死ぬのとあんまり変わらないイメージ
政治家しかりヤクザの組長しかり、その人が死んだことでこの先どんな影響が出るのかな、というのは気になるけど…
どこまでの関係なら悲しくなるかと考えてみて、自分が平社員で働いてる会社の社長が殺されても全然悲しくないしむしろ葬儀手配とかで面倒が増えて嫌だなとしか思わないし、自分の通う学校の校長が殺されてもへ〜物騒だね〜としか思えない
直属の上司なら?クラスの担任なら?と考えていって、結論、自分で選んだ上下関係(師弟関係とか)にある相手じゃなかったらなんとも思わないな〜というところに落ち着いたわ
京都大学医学部を卒業後、36歳という若さで同大学の教授に抜擢された笹井氏。日本の科学界を牽引してきた天才研究者の、あまりにも唐突な最期だった。
一体、なぜこのような悲劇が起きたのか。その最大の原因は、笹井氏が小保方さんという未熟な研究者と出会い、彼女とSTAP細胞にのめり込んでしまったことにあるのは否定できない事実だろう。
笹井氏と小保方さんとの間には、師弟という言葉では説明できない、親密な関係があったとされる。
「上司部下でありながら、2人が特別に親しい間柄に見えていたのは確かです。
ヴィウジランテ開始当初はオールマイトの「私が来た!」に対しての雑なパロディだと侮っていました。
ナックルダスターの「俺がいる」は作中で何度か印象の変化を遂げて最後には最高の台詞になったわけですが、作者は多分最初からこの構想があったんだろうなとも思います。
なんでそう思うのかというと、師弟コンビの個性がそれぞれ「滑走」と「超加速」だからです。
読者からみればまさかまかさのコーイチの大出世なのですが、作者は最初からこのオチまで決めてあったのかなと。
最後に飛行機を止めるシーンで滑走を使いましたが、まさに飛行機が飛び立つ瞬間にすることが「滑走」からの「超加速」なわけで、いつか飛び立つことを決めていたからこその「滑走」だったのかと最後の最後にようやく気付かされました。
活躍を続けるうちにコーイチはいつからかヴィジランテとしてあの街でヒーローになっていきますが、そんな彼も遂には飛び立ちその跡の街に残されるのがナックルダスターな訳です。
バットマンでたまにやってくる「バットマンの消えた街。誰が守るのか」問題に対しての答えとして彼はヴィラン未満のチンピラ、ヒーローが相手するまでもない者たちをヴィジランテとして倒す役目を続けていくのです。
ここでの決め台詞が「俺がいる」。
これが「私が来た」だと成立しないのです。
何故なら、「来る」というのは移動を意味する言葉であり、それは同時に他の場所にヴィランがいればそっちに「行く」ことを意味するからです。
コーイチがいなくなったあとの街、そこにはまだナックルダスターが「いる」のです。
作中において「俺がいる」を「俺がついている大丈夫だ」という意味でナックルダスターが使ったことがありましたが、彼はもしかしたらずっとこの意味で使っていたのかも知れません。
彼の凶暴なイメージから読者は「悪党ども。俺がいるぞ」という意味で使ってきたように感じてきました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1194673826
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000147004
「人間性を単なる手段としてではなく、つねに目的として扱うように行為せよ。」
その生徒さんにはそこら辺の意識が欠けている。
モノ(=物件)は単なる手段である。私たちはわざわざ自動販売機にお礼を言ったりはしない。
しかし、人間は手段であると同時に目的でもある。私たちがコンビニでお茶を買ったあと店員に礼を言うのはそのためである。
同じように、あなた(先生)と生徒との関係は、ビジネス(=手段)であると同時に一人の尊重すべき人間同士(=目的)である。
かといって生活のためにはお金をもらわない訳にはいかない。これがレッスンにおける師弟関係である。
その意味で、レッスンは単なるお金だけで結ばれた関係であると主張するその生徒さんは道徳的でない。
「謝礼」という言葉には、サービスの対価や報酬以上の意味を持つ、という含意がある。
レッスン代を封筒に入れるという問題は、まさにこのことに関連した美意識であると思う。
先述の通り、レッスンはビジネスであると同時に、いち人間同士の関係性でもある。
生徒は思う。尊敬する先生にお金を直接渡すことは、お金で結ばれた関係を強調するという感じがして憚られる。
したがって生徒は、そのあからさまな感じを避けるためにお金を封筒に隠して渡す。
音楽業界にはそういう道徳的な決まりが暗黙の内にあるという、ただそれだけのことである。
本来ならば生徒自らが身に着けるのがよろしい。
レッスンが音楽家同士でされている内はそれで良かった。
ホモソーシャル (英: homosocial) とは、恋愛または性的な意味を持たない、同性間の結びつきや関係性を意味する社会学の用語。友情や師弟関係、メンターシップ、その他がこれに該当する。対義語であるヘテロソーシャルは異性との同様な関係を指す。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB#:~:text=%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%20(%E8%8B%B1%3A%20homosocial),%E5%90%8C%E6%A7%98%E3%81%AA%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%82%92%E6%8C%87%E3%81%99%E3%80%82
はい。
「ホモソーシャル (英: homosocial) とは、恋愛または性的な意味を持たない、同性間の結びつきや関係性を意味する社会学の用語。友情や師弟関係、メンターシップ、その他がこれに該当する。対義語であるヘテロソーシャルは異性との同様な関係を指す。2人以上の人間が結ぶ関係は、ホモソーシャル(同性と)、ヘテロソーシャル(異性と)、バイソーシャル(両性と)のいずれかでありうる。
ホモソーシャルという言葉は、イヴ・セジウィックによる「男性のホモソーシャル(同性間の結びつき)への欲望」という議論によって普及した[1]。それよりも早い1976年に、ジーン・リップマン=ブルーメンが性的な意味ではなく、社会的な意味での、同性の仲間への選好をホモソーシャリティ(homosociality)と定義している[2]。」
「近年、ホモソーシャルは男性と男性の繋がりだと誤認されがちだが、女性と女性の繋がりもホモソーシャルとなる。(そもそも、「ホモ」は「同性」という意味である。)」
「は?ホモセックス抜きにBL語れるわけないやろ」と叩き潰される。
〇〇と××のライバル関係いいよねとか、師弟関係いいよねとか。
その一歩先の、じゃあそのカップリングでちゅーしてるのを想像できるのかとか、セックルするときにどっちが攻めでどっちが受けなのかとか。そのラインになると男が参入するのは急にハードルが上がる。
理由はよくわからんけど、やっぱりホモセックスには嫌悪感があるのかな。
もちろんすべての腐女子が性的な関係をカップリングに求めているわけではないが、そのラインに踏み込む覚悟もないくせに「俺、BLに理解があるんだよね」みたいな顔をするのは怪我をするだけなので辞めておいた方がいい。
ボーイズがラブするんだぞ。ラブってなんだよ、セックスでしょ。ワンナイトラブは一夜限りのセックスでしょ。ラブドールはセックス人形でしょ。
もちろん「俺、ホモセックスに理解があるんだよね」というアピールをする必要はないし、自身がゲイである必要もない。そこまでは求めていない。ただ、ホモセックスの話が出たとたんに、文字通りお話にならないような状況になるようでは、腐女子と仲良くなることは難しい。
少なくない腐女子にとってBLはコミュニケーションツールではない。
あまり舐めない方がいい。
例のジャンプラ漫画で凄い笑ったのだけど、また「腐女子は使うべきでないことが広まってない」とか「アップデートされてない人たち」みたいなクソ鬱陶しい押しつけツイートが出てきてげんなりしている。
前に増田に書いて消した自分の考えを再掲しておくけど、あの人らの絶対に自分が正しいと思い込める姿勢って凄いなって思う。
クィアリーディングとかおためごかしで自分の性搾取を正当化したくない人間なので、これからも腐女子を名乗っていくよ。
自分は腐女子ではないと宣言するならわかるが、腐女子と名乗るなってのは他者の自由の侵害なんだよ。
つうか、攻め受け思考してないなら腐女子じゃないかもしれないが、腐の概念と共に定着していった攻め受けの掛け算表記使いながら非腐女子ってアホらしく見える。
いや、別に自分が名乗りたくないなら名乗る必要はないんだけど、腐女子と名乗らないことを人権意識をアップデートしてるとか思ってる人らが嫌い。
男同士の、友愛と描かれている関係、ライバルとして描かれている関係、仲悪いと描かれている関係、師弟として描かれている関係、などなどをセックスを含めた恋愛関係と見做して楽しんでしまう自分を腐ってると自称してるんだよ。
明らかに異性愛者としての発言をしていたり、ヒロインがいたりするのにそこを無視して上記の関係を娯楽のために性愛に変換して楽しんでいる。
しかも、腐女子に愛されやすい少年漫画は主人公も仲間も少年が多いし、10代のキャラクターを性的消費して娯楽にしてるケースも多い。
そんなの腐ってるだろよ。
誤解されやすいが、商業BL愛好者は腐女子とは違う。単にBL漫画が好きな人ってだけだ。
男女カプにして楽しんでる人は腐ってるって言われないからゲイ差別みたいな論を出してくる人もいるが、圧倒的にヘテロが多い世界で、性的マイノリティーへの差別は依然としてある世界で、キャラを性的マイノリティーにして性的に搾取して楽しんでる悪趣味さは腐ってるくらい自称しないと罪悪感半端ないって話だよ。
あとABだのBAだのABAのリバなどと攻め受けの話題ってほんとライトに言葉にしてしまうけど、要は男性器を肛門に入れるキャラはどっちか、肛門に男性器を入れられるキャラはどっちかというための表記とそれについての会話になるので、二次創作者がセックスさせてようがさせてなかろうが掛け算表記な時点でそこにはエロが含まれてるんだよ。ゲイ向けではなく圧倒的にファンタジーなエロ要素なんだよ。だから腐向けなんだよ。
ブロマンス好きならそれは腐女子じゃないので名乗る必要ないですよってなるから、ブロマンス愛好者が「腐女子じゃなくて関係性を愛しています。腐女子って名乗るのはゲイ差別」とか言い出すと??????ってなる。勝手にこっちの領域に入ってこないで名乗らなきゃいいだけだろと。
それに乗っかって掛け算表記してる人が腐女子って名乗らないでとか言ってると更に????????ってなる。
掛け算ファンタジーでキャラ消費してる自分をよくそんな正当化できるなと。
日本ってこれだけ腐女子が多いのに同性婚運動に積極的に参加する人は少ないし、タイのBLドラマに出てる俳優は同性婚法前にも同性婚支持をちゃんと表明してたりしたけど、日本ではOL俳優もチェリマホ俳優もそのような言及はしない。消費だけし続けてる現状は問題だと思ってる。
だから、腐女子である一人としては腐ってると自称することで搾取・消費してることに自覚的でありつつ、実際のゲイとファンタジーとしてのBLは別物であるという客観性も持ちつつ、搾取・消費してる限りはせめて性的マイノリティーへの支援になる運動を今後も積極的にしていきたいと思ってる。
ロバート・アンソン・ハインラインの作品で『夏への扉』以外を薦めるならばどの作品か?と問われたとしたら、私ならば『宇宙の孤児』を薦めたい。
この物語は「Good Eating!(良いお食事を!)」という挨拶と共に、中世ヨーロッパのような社会の生活を描写する場面から幕を開ける。そして、読み進めるうちに、主人公たちが暮らし、物語が展開される舞台がどのようなものなのかが次第に明らかになっていく。
その世界には空が無い。主人公たちが暮らす街の地面の下へ降りると、別の街が有る空間に出る。その街の地面の下に降りると、また別の街が有る。そうやって、下へ下へと降りて行くと、それ以上の先(下)には降りられない最下層に行き着く。
逆に、街の天井の上に昇ると、別の街が有る空間に出る。そうやって昇って行くと、徐々に重力が弱くなる。しかし、或る階層から先(上)は、それ以上昇ってはならない立入禁止の場所とされている。そこには、恐ろしい「ミュータント」という怪物たちが住んでいて、迷い込んだ人間を食べてしまうと伝えられているからである。
主人公は、ひょんなことから立入禁止の場所に入り込んで「ミュータント」たちに一時捕らわれの身となり、それを切っ掛けに、他の人間には秘密にしたまま、普通の人間と姿や能力が異なるミュータントたちと交流するようになる。中でも「ミュータント」たちのリーダーであるジョウ=ジムと主人公は、親友あるいは師弟のように仲良くなる。師がジョウ=ジムである。一つの身体に二つの頭部を持つ双生児の男性ジョウ=ジムは、ミュータントではあるが怪物などではなく、ユーモアと優しさと、何よりも知性に満ち溢れた人物である。このジョウ=ジムから教育を受けたことによって、主人公は、自分たちが暮らす世界の真の姿を理解するに至る。
主人公たちが暮らすのは、車輪のように回転する巨大な宇宙船の内部であった。故郷である地球から遥か遠く離れた他の恒星系に存在する、人類の居住可能な惑星に移住するためには、何光年もの距離を渡らねばならない。しかし、光速の壁を破ることができないので、広大な宇宙を渡るには長い年月を要する。そのために宇宙船は、多数の人間が居住することが可能な、巨大な閉鎖環境都市として設計された。車輪のように回転することで、遠心力を重力の代用としている。移住者の祖となるべく宇宙船に乗り込んだ人々は、宇宙船の中で子を生み育て、やがて彼らが死ぬと、その子たちが新たに彼らの子を生み育て、そうして子へ孫へと何世代も何世代も長い年月を重ねながら、彼ら星々の移住者たちは宇宙船の中で暮らしながら遥かな旅を続けた。
しかし或る時、宇宙船の動力源である原子力機関から放射性物質が漏れるという、大きな災厄が発生した。放射能による内部環境汚染は、食糧生産を担う農業区画にまで及んだ。ミュータントたちの誕生。食糧不足。人々の絆は引き裂かれ、内乱が発生し、宇宙船内部の文明は崩壊した。その結果、都市の内部で暮らす人々は、知識や科学技術を伝承できなくなった。こうして彼らは、地球という故郷の存在も、自分たちが宇宙船に乗っているという事実も、宇宙船の外部に広がる世界のことも忘れ、科学の代わりに教会が説く迷信を拠り所として、広大な宇宙を彷徨い続ける「孤児」と成り果てたのである。物語の冒頭に出てくる「Good Eating」という挨拶は、災厄によって起きた食糧不足時代の名残りである。
ジョウ=ジムによって啓蒙された主人公は、宇宙船の乗組員として、自分たち本来の使命を果たそうと提案する。すなわち、地球のように人類居住可能な惑星を見つけてその星に降り立ち、狭い宇宙船を離れて、新たな世界を切り拓こうと言うのである。それは、自分たちが巨大な宇宙船の内部で暮らしているという事実を理解しているジョウ=ジムですら、出来っこ無いと諦めていたことであった。しかし、その使命を果たす為には、何も知らない人々に、この世界の真実を理解させる必要が有った。
主人公は、自分が知った事実を人々に知らせようと試みるが……。
ちなみに本作品を私が初めて読んだのは、あかね書房から出版され、多くの小学校の図書室などに置かれていた少年少女世界SF文学全集の一冊として収録されていた『さまよう都市宇宙船』のバージョンであった。タイトルのネタバレがヒドイが気にしない、気にしない。
ハインライン作品を離れ、他に古典SF作品を初心者に薦めるならば、私としては
(1)アイザック・アシモフ『鋼鉄都市』
辺りを薦めたいのだが、如何だろうか?