2022-05-28

ヴィジランテの「俺がいる」はやはり天才

ヴィウジランテ開始当初はオールマイトの「私が来た!」に対しての雑なパロディだと侮っていました。

ナックルダスターの「俺がいる」は作中で何度か印象の変化を遂げて最後には最高の台詞になったわけですが、作者は多分最初からこの構想があったんだろうなとも思います

なんでそう思うのかというと、師弟コンビ個性がそれぞれ「滑走」と「超加速」だからです。

読者からみればまさかまかさのコーイチの大出世なのですが、作者は最初からこのオチまで決めてあったのかなと。

最後飛行機を止めるシーンで滑走を使いましたが、まさに飛行機が飛び立つ瞬間にすることが「滑走」からの「超加速」なわけで、いつか飛び立つことを決めていたからこその「滑走」だったのかと最後最後にようやく気付かされました。

活躍を続けるうちにコーイチはいからかヴィジランテとしてあの街でヒーローになっていきますが、そんな彼も遂には飛び立ちその跡の街に残されるのがナックルダスターな訳です。

バットマンでたまにやってくる「バットマンの消えた街。誰が守るのか」問題に対しての答えとして彼はヴィラン未満のチンピラヒーロー相手するまでもない者たちをヴィジランテとして倒す役目を続けていくのです。

ここでの決め台詞が「俺がいる」。

これが「私が来た」だと成立しないのです。

何故なら、「来る」というのは移動を意味する言葉であり、それは同時に他の場所ヴィランがいればそっちに「行く」ことを意味するからです。

でも「いる」はずっとその場所に留まることを意味します。

コーイチがいなくなったあとの街、そこにはまだナックルダスターが「いる」のです。

作中において「俺がいる」を「俺がついている大丈夫だ」という意味ナックルダスターが使ったことがありましたが、彼はもしかしたらずっとこの意味で使っていたのかも知れません。

彼の凶暴なイメージから読者は「悪党ども。俺がいるぞ」という意味で使ってきたように感じてきました。

ですがそこに込められた本当の意味は「街よ。俺はいだってここにいる」だったんじゃないでしょうか。

そんなことに今更気付かされてしまうような読者でも楽しめる最高のラストでした。

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