はてなキーワード: 左派とは
「逆張り」が話題だけど、田野さんがネット民に批判されているのも当然。逆張りというのは、この社会で生きづらさを感じている人の心の叫びであったりする。そうした要素を全て削ぎ落として、ナチス研究の文脈だけで、「逆張りは自己顕示欲の塊の厨二病患者」みたいに切り捨てれば、当然感情的に反発する人は出てくる。
逆張りは、文脈によっては左派・リベラルが権力に抵抗・批判する際に用いる方法だったりする。すくなくともかつてはそうだったし、安倍政権期の改善(自殺者の減少など)を一つも認めようとしない左派もそうだ。「逆張り」の全否定は、「みんなが正しいということに黙って従おう」という、政治的無関心をもたらしかねない。
https://mainichi.jp/articles/20220524/k00/00m/030/041000c
右派は「ウイグルガー」と喧しかったが、今は閑散。結局チベットと同じで利用するだけだったな。それどころか笑い話にするクズが出る始末。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20220524/k00/00m/030/041000c
同日のウイグル記事に580、1350のブクマが付いてホッテントリに上がってるのに、どこが閑散としてのるのか聞いてみたい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/xinjiangpolicefiles/special/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20220524/k00/00m/030/019000c
ここでいう進歩的左派とは、現状と理想の差を進歩によって埋めようという人々だ。これは保守的右派と対になる。そしてある一面で、進歩派は保守派よりも言行の不一致が起きやすいといえる。なぜなら進歩派は、現状、つまり今行っていることを、理想、つまり思い描いた善い状態に変更しようと試みるのに対し、保守派は今行っていることをこれからも続けようとするからだ。現状維持のほうが言行一致しやすいのは当然と言える。さらに進歩派はしばしば「情動」に逆らう。病によってただれた肌は見る人にしばしば嫌悪を催させるし、見慣れない肌の色はある種の警戒心を刺激するが、進歩派はその類の「情動」に逆らって行動を律することを欲する。基本的に言行一致のための難易度が保守派よりも高い。もちろん実際には保守派も復古と称してまったく歴史に裏付けのないことを始めたりするのだが。
では理想論とはなにか。例えばA地点からB地点まで移動する状況を想定してみよう。二点を直線で結ぶ道を選ぶのが理想だ。でも実際には途中に山や谷があり、あるいは賊が出るとか、体力の問題で途中の街によって休まなければいけないとか、様々な実践上の妥協として遠回りが必要になる。にもかかわらずそれらを無視して直線ルートを強硬に主張するのが、「嫌われる理想論」だろう。
そして進歩派と理想論は隣接していると思う。しばしば併発するといっていいかもしれない。進歩のためとうそぶいて理想論を振りかざす。さらに選民思想(これは保守派にもしばしばみられるが)が加わる。嫌われて当然だと思う。クソ野郎である。でも私は幼き日の私のただれた肌を看護師が慈しんでくれたように、この醜い進歩派を赦そうと思う。
相対的に強者である分野で右派の弱者切り捨てムーブに親和すると、正直楽しいんだよ〜これが。たとえばどんな弱者の日本人でも生まれる国ガチャでいえばシリア、アフガニスタンよりは勝ってるわけで、右の人たちに混じって難民排斥して入管を応援して強者ゴッコするのは、まあ手頃な娯楽なわけ。
左はさ、修行僧みたいなことしなきゃいけないじゃん。自分だって苦しいのにアフガン難民を受け入れて税金でまるっと養ってあげようとか、もう善人修行じゃん。ムリムリ。
だから肉屋を支持する豚であっても、まだ右のほうがマシだなって思うわけ。左派はもっと助ける範囲絞ったほうが選挙で勝てると思う。それこそ、難民とか助けたって何もならないんだから無視して、国内のホームレスとか氷河期支援だけやっときゃいいのにって思うのよね
この増田も「表現行為が『規制』を全く受けないという事態は有り得ない」という大前提を理解していない。「どの段階で、どんな基準の規制を設定すべきか」まで切り分けないと、有益な議論にはならないだろう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4719099447837273154/comment/Arturo_Ui
その切り分けた「どの段階で、どんな基準の規制を、どのような根拠に基づいて」を具体的に示す責任は表現規制したがっている方々にある(そしてそれを怠り続けている)んですよ。立証責任の転嫁はやめてくださいよ
PTA=左派と思い込んでいるらしい人がよくいますけど、実際には保守派政党から自治体の選挙に出るための足がかりとして活動している人が多いわけで、端的に言って事実誤認でしょうね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4719093340927039266/comment/Arturo_Ui
増田のどこにもPTA=左派と読み取れる文章はありませんが日本語読めてますか?
現在のフェミニストが保守的なPTAと同じことをやっているという論旨ですよ?
最初の5行で「こういうことかな」「気がする」「だいたい…だろう」「らしい」を連発している文章が、他人に真面目に読んでもらえるとか本気で思ってます?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4719116835485479330/comment/Arturo_Ui
要約:最後まで読んで具体的な反論は全く思い浮かばなかったけど何か言い返さないと気が済みませんでした
Arturo_Ui 正面から議論を挑む度胸も知力も無いのに、「女性の行うことは劣っている」という無前提な思い込みがあるから、とりあえず腐そうとしているわけだ。「変わってない」のは世間ではなく増田だろう。 お前に届け新型コロナ
2020/05/25
この人ってなんかid覚えてるんだけど、
威勢がいいわりに頭悪くて増田の追記でよくけちょんけちょんに反論されてペッタンコになってるひとだよね。
確かこの人はブコメでもよく喧嘩してて、気に入らない・反論できないidは「ブロックした」と宣言して勝ち誇る癖があったはず。
id:Arturo_Uiさんへの公開質問※追記あり
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220118212510
https://b.hatena.ne.jp/entry/4719070370891581506/comment/ruin20
white_roseちゃんははてな左派の中でも特に党派性が強く、
反対派からは「本人から党派性をのぞいたら何も残らなさそう」だとか
扱われ方をしている気がするが、それってアンチはてな左翼側も一緒じゃね?
fishmaさん がスターを付けました。
kaionjiさん がスターを付けました。
h1rotoさん がスターを付けました。
toratsugumiさん が id:white_rose が決死擁護してて草。を引用してスターを付けました。
colonoeさん がスターを付けました。
kotobuki_84さん がスターを付けました。
アンチ左翼も全く同じことしてるような気がするぞ。人のことを党派性で批判できるのか?
white_rose 2022/05/04
この人普段の発言からほとばしる知性の低さから見るに明らかに学歴低そうだから、さすがに今回の発言には怒るかと思ったけど怒らないのか。
学校のランクは関係ないと断りを入れてるあたり微妙に気にはしてそうだが、自分に関係ないところは問題ないって言えるんだな。そこまで党派性のほうが大事なのか。
筒井康隆の短編集「くたばれPTA」には表題作「くたばれPTA(昭和41年)」と「女権国家の繫栄と崩壊(昭和45年)」がある。
女権国家の方はミサンドリーを拗らせた女性が革命を起こし、女性中心の社会を作る話だ。
一方くたばれPTAの方はSF作家が教育上不健全な漫画ということで出版を規制される話である。
どちらもフェミニストやPTAに否定的かつ攻撃的で、インターネットが当時あったら叩かれるだろうなぁといった内容だ。(当時もバッシング受けたのかな?)
さてさて、私が気になったのは現在のフェミニストの主戦場「不健全な表現を控えるべき」というのはPTAの役目じゃなかったっけ?ということ。
昔のフェミニストは女性の地位向上、社会進出あたりのことを主戦場にして戦っていたようである。
女権国家においても権力に見栄と権力に執着する女性という書き方でフェミニストを表現していた。
(筒井氏はフェミニストの当事者ではないため、認識が不適切という批判は受け付ける。ただ小説としてデフォルメした際に強調した点が権力の話だったというのは一考に値する)
対して今のフェミニストは表現規制が主な活動のように見受けられる。
最近の活動でも目立っているのは新聞広告に関する表現への批判や献血でのキャラクター利用などだ。
現フェミニストは昭和のフェミニストより、昭和のPTAの方が近いのではないか。
ここで「PTAは漫画やゲームといったものを全般に不健全としたが、フェミニストは女性を性的搾取した媒体のみを不健全と定義しているため異なる」といわれるかもしれない。
明治自体においては小説は不健全なコンテンツであったが、昭和、平成では高尚な芸術だ。
漫画やゲームの昭和には不健全だったが、受け入れられた令和では日本を代表するカルチャーになっている。
そして未だに不健全の枠にとどまっているコンテンツが「エロ」または拡大解釈によってエロと解釈された「萌え」ということになる。
フェミニストもPTAも両方女性だし、思想が似ていても当然じゃないかと言われると思うが、建前上はそうではない。
PTAは家族(主に子供)の健全な営みを行うための主張として表現規制を訴えている。
近い思想は青少年健全育成条例などで、こちらを支持している石原元都知事は右派の人間だ。
つまり、国家社会のために不適切なコンテンツを抑制するというのがPTA的な表現規制の建前である。
一方フェミニズムは女性を社会的な抑圧から解放するための左派的な側面が強い思想だ。
どちらかというと真逆であるという思想が、いつも間にかすり替わっている。
ややこしいので、以下では昔PTAで表現規制をしていた人と現在フェミニストとして表現規制をしている人を「表現規制派」と呼ぶことにする。
つまり何が言いたいのかというと、表現規制派の人たちは「健全育成」や「フェミニズム」という思想に基づいて表現規制をしているのではなく、
「表現規制」という思想を社会に実現するために「PTA」や「フェミニズム」といった建前を利用しているのではないだろうか。
こうすると現在の表現規制派の人たちが全くフェミニストらしい活動をしていないのに説明がつく。
ウクライナでの強姦を取り上げず温泉娘に憤り、映画監督の性的搾取に目を反らしつつ新聞広告を敵とする。
表現規制派にとっては表現規制が最も大切な主義であり、フェミニズムは建前を尤もらしくするための道具なのだ。
というわけでフェミニズムを叩いても、論理的矛盾をついても、ゴールポストは動かされる。
表現規制派は女性のためでも社会のためでもなく、表現規制のために表現規制を行っている。
なぜ表現規制をしているのかというところまでは個人の問題なので分からないが、
自分が好ましくないと思う表現があったときに、多かれ少なかれ人は不愉快になる。
その不愉快に社会的正義を見出してバッシングするかしないかの違いである。
ではなぜ表現規制派がPTAからフェミニストにかわっていったのだろうか。
これに関しては全く不明だが、おそらく「PTAになれなかった層を取り込むため」ではないだろうか。
未婚率が上昇している。昔は誰でも結婚出来た時代だが、今はそうではなくなった。
このハードルを越えられなかった表現規制派の女性に親和性が高かったのがフェミニズムだ。
フェミニズムはもとより結婚をしない女性を救うような思想だった。
地位向上で女性が一人でも生きていければ、結婚も出産もしなくても幸福になれると考えられるからだ。
そこでPTAになれなかった女性たちが表現規制を行うためにフェミニズムと結び付けた。
フェミニズムは誰でも参加可能なのでPTAよりも参加しやすい。
よって現在の思想がちぐはぐのフェミニズムが生まれてしまったと考えられる。
こうして表現規制派が無理筋な批判をした際、フェミニズムが叩かれるようになった。
昔は悪の権化だったPTAは、今では面倒な無賃労働としてママさんからしか文句を言われていない。
このままフェミニズムの印象が悪くなって社会的な発言力を失った場合、
表現規制派がフェミニズムから出ていって、また新たな宿主を乗っ取って批判を繰り返すようになる。
「憲法改正」というと、日本の左派系の方々は条件反射的に強い拒否反応を示すことが多い。もちろん、自民党の憲法改正草案はとんでもないクソであって、ああいう極右的改憲は俺も断固反対だ。
でもさ、9条はやっぱりおかしいだろ。第1項の「戦争放棄」はまあ良い。しかし第2項「戦力不保持」「国の交戦権の否定」はさすがにあり得んわ。自衛隊はどう見ても「戦力」だし、他国からは普通に「軍隊」だとみなされている。じゃあ自衛隊は違憲だからと廃止するのか?それも無謀で危険だろう。
9条の第1項の「戦争放棄」は残し、第2項「戦力不保持」「国の交戦権の否定」は削除し、自衛権と自衛隊を明記する。これは必要だと思う。
前々から言われてたけど、今のアラサーは民主党不況の影響を直に受け就職難に陥った世代で、この世代の旧民主党系嫌いは40代就職氷河期の竹中平蔵や自民党嫌いと同レベルだと言われている
これは40代就職氷河期の生活支援がなされず無視されてきたという事実を参照すると、今のアラサーは生活支援がなされず無視されている状況で恨みつらみが相当溜まっている
40代就職氷河期は経験済みなので知っているだろうけど就職できる先は接客業の中でも低賃金労働が多く、それがコロナ禍のいま民主党不況で泣く泣く接客業へ就いた層が解雇されてしまったという不運さがキツイ
左派の言うネトウヨの一部はこの民主党不況のアラサーで、旧民主党の失策をあげつらい笑って猛烈に叩いてる
左派が多いと言われるはてなーの中にSEALDsを敵視し続けている主体もおそらくアラサーの世代だと思われる
ネット上で40代就職氷河期世代の野党支持者と明確に敵対して積極的に論戦しているのは同じよう政治によって冷遇されてしまったアラサー民主党不況世代の与党支持者なんだ
40代就職氷河期世代はそれを悲しく思うのであればアラサーへ社会支援を叫んであげて欲しい
2009年〜2012年の民主党不況の新卒年齢は現在28歳〜34歳
このエントリで言うアラサーは自民党復政であっても民主党不況の影響が残っていた層、第二新卒層や転職層を含めるとおおよそ20代半ば〜30代半ば世代へ該当するという計算
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASQ4Z546WQ4VUTFK016.html
党派なんてどうでもいいじゃん
自民は右によりすぎてきたけど岸田政権なら左派的な政策もできるし、立憲・共産については左派はいいけど極端に走りすぎなのと野党の立場からだと政策の実現性が低い
立憲・共産みたいに自民と反発してばかりで、政権取ることが目的になりすぎてるのは終わってる
国民民主のように自民と交渉して左派的な政策を飲ませつつ、それを成果に国民の信頼を勝ち取って、最終的にそれで政権取ることだってできるわけじゃん
むしろ、政権取るまでは全部反対、政権取らなきゃ意味がない!! みたいなことを言ってる政党っていったん政権取ったら独裁的になりそうで怖いわ
言論や表現の自由も「右派のもの」になってしまった。30年前には左派が標榜していたようなものがどんどん右派のものになっていく。
渡邊先生も時々ダメなことを言う。左派は現在でも表現の自由の断固たる味方で全く変わりはない。
性的表現が表現の自由を意味していた(正確にはそのように錯覚させていた)のは、「貞節」の規範がそれなりに強く、そうした表現が露出する場所がごく限られていた30年前までの話。男性側も、そうした性的表現を素直に喜ぶより「けしからん」と言っていた人間が多かった時代。「島耕作」「ゴルゴ」などのマッチョな漫画ですら、セックスについては女性から積極的・主体的にアプローチするという描写になっていた。
現在は「貞節」規範は消滅し、ネット上で性的なコンテンツは膨大に溢れており、性的表現が自由を意味する時代はすでに終わっている。逆に、男性の女性に対する性的な視線が、女性の主体的な発言を表現を抑制するような時代になっている。「たわわ」は男性の性的欲望そのものの漫画で、女性の主体性は表現されていない。表現の自由がこれまで通りだったら、男性マジョリティの表現の自由でしかない。だから、真の表現の自由を実現しようとすれば、公共的な場面における性的な表現には一定の規制が必要になる。これが現在の左派の立場だ。
憲法に拠って「たわわ」を擁護する学者や弁護士も、形式的な表現の自由に居直るばかりで、その限りでは正論も含まれているが、実質的な表現の自由についてはほとんど無関心である。たとえば男性が多数の会議で、その中心にいる男性が下ネタ混じりで爆笑を誘いながら持論を展開している時に、そこに女性が割って入って主張することは事実上困難であり、言論の自由は奪われている。表現の自由戦士たちは、下ネタ混じりの発言も「言論の自由」であり、女性も発言の機会は十分に与えられている、と開き直るのだろうが。
男性の生きづらさをジェンダー問題として扱うべきなのかは正直ピンと来てない
弱者男性論はフェミへのカウンターだと思ってるし実際弱者の定義もいまいち定まってない
ただ実際に生きづらさは感じていて、65くらいで死ぬんだろうなって気はしてる。そう考えるのが狂ってるってのが元元増田の意見なんだろうがanond:20220425090853
職場いじめが、俺が女だったらいじめられてなかったとして、それはフェミニズムが目指すところなんだろうか。俺ができない奴だったとして、性別関係なくできる奴は褒められてできない奴は蹴落とされるというのが「普通」の資本主義社会ってもんだろう
俺が感じてるのは資本主義競争社会としての生きづらさでしかないわけだ。別に早く死ぬんならそれでいいしね
女子供だからミスしてもよしよしされてたとして、それはそれで女性差別なんだよな。でも女たちからすればできなかったら蹴落とされる社会にコミットはしたくないわけだ。だからミスしてもよしよしされるのがノーマルで、差別されてるのが職場でいじめられてる男ということにしないといけないわけでしょ。
でも男たちは動かない。動く気配もない。自分たちが弱者だとも差別されてるとも思ってない。困ったときに他人を頼れる人の割合が男女でどのくらい差が出るのかは気になるところではある。
その目を開かせるのは残念ながらフェミニスト側の仕事になる。男たちは「別にこのままで構わないんだが?」としか思ってない。男たちがそのままでいたらいつまでたっても差別とやらがなくならないからフェミニストも困るだろう。困らない?じゃあこのままでいいね。
やっとそのことに気付く人たちが出てきたか。フェミニストはだんまりと当てこすられていたのも意味はあったかもね
まずフェミニストは男性の信頼を得るところから始めたらどうだい?とりあえず単なる漫画の広告にヒステリー起こすのはやめときなよしわわさんたち
丸山真男『日本の思想』を読んでいるのだが、海外比較としての日本人の思考様式や精神性の解釈が非常にしっくりと腑に落ちる。
この本の書かれた年代は古いが、現在のSNS政治トピックスにおける論戦の様相などにも適用できる程度には、日本人というものの精神性の核をとらえているように思える。
例えばこれ
(2)推論的解釈を拒否して「直接」対象に参入する態度(解釈の多義性に我慢ならず自己の直観的解釈を絶対化する結果となる)、
(3)手応えの確な感覚的日常経験にだけ明晰な世界をみとめる考え方、
(4)論敵のポーズあるいは言行不一致の摘発によって相手の理論の信憑性を引下げる批判様式、
(5)歴史における理性(規範あるいは法則)的なものを一括して「公式」゠牽強付会として反撥する思考、
1-5まで、スタンスの左右を問わず現代のtwitterやはてなブックマークでもよくみるような批判様式だと思いません?
これらの思考様式の背景にある要因もいくつか挙げられているが、私が面白いと思ったのはキリスト教圏との対比。
キリスト教圏では唯神論に対する反発(対立軸)として市民社会や思想が発展した背景から、思想それ自体を神格化して同じ轍を踏まないために、思想の形式的不備を市民が監視する構造が浸透している。
一方で日本においてはそういった背景がないため、「思想」それ自体を道具の一つのようにプラグマティックに取り扱う傾向がある。矛盾する思想でも状況に応じて使い分ければよい。思想の中身はさておき、その思想を適用すると何が便利なの?という発想である。思想それ自体の形式(建前の正当性)を重視するキリスト教圏との大きな違いがここにある。
なお中国は儒教の影響が支配的なのでまた別ということになっている。日本のこの柔軟性は神道がそういった特性であったことも背景として挙げられている。
日本人は「物分かりがよい」という表現もなかなか味わい深いと思った。
引用にあるような「感覚的な便益を重視し、抽象化・体系化や論理的整合性に価値を見ない」という評価と、「物分かりが良い」という評価は一見矛盾するようで、そうでもない。
道具として使える程度に理解することにおいては日本人は早い。なぜなら既存の価値観との整合性を気にしないから、(便利である限りにおいては)新しい考え方に対しても衝突したり反発したりせず、すぐにとり入れることができる。その際には、既存の価値観を拡大解釈する(へえ、外国人はこういう考え方をするのか、でも日本のこの考え方と一緒のものと解釈できるな)という様式が使われやすい。既存価値観と同一視するという輸入様式はまさに抽象化だと思うのだが、抽象化を自然に行うため逆説的にそれに価値を置かないという精神性が成立しているということだろうか。
一方で抽象化・一般化された思想体系を戴くことを嫌う。それは思想体系を一度決めてしまうと前述の拡大解釈による柔軟性が損なわれるからだろう。
日本人の精神性は「そういう考え方もあるよね〜」を地で行っており、その意味で非常に包摂力が高い。包摂力の高さを維持するために、統一基準を作ることを嫌う。イデオロギー嫌いがイデオロギーである、とも言えるか。とはいえ新たなイデオロギーから影響を受けないわけではなく、拡大解釈や意図的な誤訳によって、既存の価値観と同居させる形でイデオロギーを解体して取り込むのである。
個人主義やリベラリズムやフェミニズムなどが、日本になじまなさそうで、でもやっぱりなじみそうな(それらにまつわる論戦において、各論ごとに各人のスタンスが右派なのか左派なのかも判然としない)のは、それらの思想の各論での実利については認めており、慣習としては取り込んでよいと思いながらも、原理原則として戴くつもりはない、というイデオロギーが影響しているようにも思える。