はてなキーワード: 子供の人権とは
俺はずっと女になりたかった。
女性ホルモンによるすべすべの肌に、あるいは万人受けする愛嬌や顔になりたかった。
俺には妹が何人かいたが、
母親は俺だけ殴ったり蹴ったり、あるいは寒い部屋に監禁したことだってあった。
例えばAVやグラビア見て抜いてる時でさえ、性欲と同等に憧れや嫉妬していた
中学で言えば
例えばテストで98点とっても評定は3で、隣の席の頭の悪いぶりっ子女が5の時は不条理を感じたし、
その教諭は女と喋るたびにニヤニヤしていてムカついた。そしてそんなクソ教諭は1人ではなかった
金持ってれば誰でも良かっただの、
おそらく結婚したら金使い放題みたいな打算をしたんだろうけど父が家計の財布を握ったので
自分が財布を握れないことを経済DVだ。と騒いでみれば自身はたんまりとへそくりを貯めていた
流石におかしいと思っていた。この人はキチガイなんじゃないかと
が高校生になってTwitterなり、掲示板なりを覗きにいくとどうやらこれが世の中の女の平均値らしく絶望した。
父を見て、男の俺は将来こんなひどい扱いをされ、母親を見て女はデフォルトで全てが許される。そう確信した
よく考えれば実際に社会だってそうだ。例えば子供の人権なんてほぼ母親が勝ち取る。
結婚すれば家事をしろだの配慮しろだの相手からも世間からも言われ
その前に付き合うとかセックスするとかの時に猛烈な選別がある。
女が上位10%の男に向ける媚びた目線ではなく、残りの90%に向けるあの侮蔑的な目線が大嫌いだった。
溜まるものが溜まればちんこは残念にも女の体に正常に反応してしまう
そんな自分が本当に嫌いだった
女と会話するときだって話は長いし面白くないしオチもないし、ただ苦痛だったけどむしろ風俗行った時の方が女と会話するのが楽だった。
女の方が利が膨大にあったとしても、男として生まれたならば100%男をまっとうすべきなんだと、
多くの男はもう小さい時から(無意識に)決心、覚悟ついてるものを
俺は関東地方に生まれたからまだ良かったものの、もし田舎の僻地に生まれていれば間違いなく
閉鎖的な環境で人格が歪まされた秋葉原の加藤のように道を外れていたと思う。
そこだけは運が味方した
ツイッターのトレンドに小児性愛とか物騒なワードが出ていてなんだと思ったら、前にもあったラブドール云々の話ね。
正直ロリコンは人権侵害であるっていう発想自体がそもそもなんだかなあって思う。前提にあるのが子供への性愛は一方的な加害であり、イコール子供には主体性的な判断能力が無いって事なんだけど、詰まる所子供の人権って主体性を剥奪する事ありきなんだよね、結局。保護すべき代わりに主体性を制限する事自体は選択としてわからなくないけど、じゃあ例えば成人していても判断能力が著しく欠けている人達を保護する代わりに人権を制限しますってなったら大騒ぎでしょ。肉体的に未発達云々だってじゃあ低身長症の人はどうするんだって話で。一方的な加害としての小児性愛は否定されるべきだけど、それは成人に対しても当然の話で。子供ってワードだけで思考停止している気がするんだよね、この手の話って。子供の主体的な行動は全てまやかしで嘘で気の迷いであるって…そんなん大人だってそうじゃん。子供の主体性を否定する事が小児性愛否定の根底であるならば、子供が主体性を獲得出来る世界であれば小児性愛は最早疾患ではなくLGBTの一種でしかなくなる。そうなる為には子供が子供のままで肉体的精神的経済的に自立する世の中に…ってそりゃもうSFだけど。小児性愛における被害者の主体性(の制限)と加害者の加害性についてはもう少し切り分けて考えた方が良いんじゃないかなと思った次第。
わたしは嫌ですよ
下着で隠れるところはプライベートゾーンと呼ばれ、他人に見せることを強制されてはいけないところだと思います
わたしは学校のプールで水着になることさえ苦痛な人間でしたから、婦人科検診を強制すべきという主張には著しい嫌悪感を覚えます。
わたしが何を苦痛に思うかは自由であるはずです。そして、わたしは何人からも精神的・肉体的に奴隷的拘束を受けない権利を有しています。
たとえわたしが給食の箸のように他人が舐めたものを口に入れるのが耐え難いと感じるというような、一般的でない感じ方、集団生活の和を乱す感じ方をする人間であったとしても、わたしが苦痛を感じることは事実ですから尊重されるべきでしょう。その尊重が、同じように感じる人の多寡に左右されるべきだとする理由はありません。また、苦痛の理由によって区別する理由もありません。イスラム教を信仰する女子生徒が水着で授業を受けることを拒否しても、単に苦痛に思うというだけのわたしが拒否しても、平等に扱われるべきでしょう。水着によって肌を晒したくない理由が、宗教だろうと信条だろうと、平等に扱われるべきです。
性同一性障害の方のスカートを履きたくないという主張が尊重されるべきであるのと同様に、理由がなんであれ(個人的な理由であれ宗教的な理由であれ病気が理由であれ)わたしが何かを苦痛に思い、それを拒絶する権利は、何人にも侵害されてはならないものでしょう。
その上でもう一度述べさせていただきますと
学校という環境は特殊です。社会人であれば、会社で何か嫌なことをされれば、会社を辞めたり、窓口に相談したり、訴えたりすることができます。しかし、学校では生徒の権利は十分に認められておりません。学校を辞めることは子供にとって大変困難ですし、訴えることもできません。学校で何かを決められる時、子供にはそれについて議論する場も、拒否する選択肢も設けられていないことが殆どです。
子供の幸福追求は、しばしば「わがまま」と表現され、制限を受けます。無論、その方が子供にとっても良い場合もあるでしょう。しかし、だからといって子供の人権を一部制限しているという事実から目を背けてはならぬはずです。
子供が何かを苦痛に思うとき、それを拒否する権利は認められるべきです。また、事前に拒否するという選択肢は提示されるべきです。自分の身体のあり方を選択できるのだということを、子供も知るべきです。それがどんなに面倒であるかということは、この理念とは切り分けて考えていただきたいです。
クラスメイトの前で水着になることと、医師に肌を晒すことは異なるとお思いでしょうか?
そうですね。あなたはそう思うのでしょう。
しかし、わたしにとってはどちらも同様に苦痛です。そして、多くの人にとってそうでしょう。個人的な経験談ではありますが、わたしの周りの多くの女性が、はじめて産婦人科にかかるときに抵抗を感じたと述べていました。身体を見せるのが医師であろうとかなろうと、羞恥心を覚えることに違いはないでしょう。
しかし、身体を見せるのが医師かどうかはやはり大きな意味を持ちます。私たちは、ある程度の年齢になれば、自分にとって苦痛に感じることでも、必要性を認識し、自らを納得させ、耐えることができます。医療行為としての必要性を認めることで、赤の他人である医師相手に、赤の他人がすればレイプであるような行為をされることを受容することができるのです。
ですから、わたしは健康診断に婦人科検診を組み込むことに反対です。身体を見せる行為触られる行為には苦痛が伴いますし、そこには自分自身の納得があった方が良いと思うからです。わたしが初めて婦人科にかかったのは14歳の頃です。重い生理痛に悩み、自ら女医が見てくれるという病院を探し、診察を受けました。もちろん、医師が女性だからといってわたしにとって嫌なことに変わりはありませんでしたが、自分の身体に必要なことだと認識して受けることができました。産婦人科医の不足する現在では、学校に医師を呼んで検診を実施するとなれば(現実的には有り得ないでしょつ)男性医師が対応することになるでしょうし、年頃の女の子にそれが受け入れられるとは思えません。
義務教育の年齢は、身体の発育もばらつきが大きいですし、婦人科検診(特に子宮頸がんなどの検診)の必要性は甚だ疑問ですし、現実的に考えてかの増田さんの案が採用されることはないでしょう。
が、声を大にして言いたいのは
そして、学校という特殊な場において何かを実施するということが、どれほど子供の拒否権を蔑ろにしがちなことか認識すべきだと言うことです。
https://www.asahi.com/articles/ASN79778JN79UTFK02W.html
今やコロナの一件で世間も大変かつ感染者数も大方の予測通り再び増大して、緊急事態の時よりも事態が深刻化しているにも関わらず、この人達は5月当時感染者数が減りだした途端、今回見送られた検察法や種子法、そして火事場泥棒的に成立させた著作権法とかのコロナ対策に関係ない法案を優先してやりだした上に少年法とか言う本来ならば、落ち着いた平時の時にやる様な法案であり、今はコロナと言う他に優先すべきこそが山積しているような時にやるようなものではない代物を率先してやるのだから、以下に危機感がなく、ある種の平和ボケをしているかが良く判るよね。
コロナ対策においては与党も野党も半端な対応ばかりしているのは事実。
そりゃこれを見ても以下に口先だけで危機感を持っていないかがわかるし、経済面も深刻な事態になっているにも関わらず、予定で決まった事と言い、レジ袋有料化なんて言う、より景気を後退させる策をしでかしたり、感染者が増大してきたにも関わらず、gotoキャンペーンとか平気でしだすのだからね。
しかし普段は子供の人権とか言っておきながらこんな事を言い出すのだから、以下にこの人達は口先ばかり綺麗事を言っているだけなんだと言う事も良く判るし、何にしても普段から安易に厳罰化やら規制やら言っている人達は空気をまるで読めない人達ばかりなんだなと言う事が良く判るね。
そりゃこう言う事の繰り返しばかりしているのだから政治自体に失望して、投票率そのものも落ちていくのだろうね。
国自体が信用を無くし続ければいずれどうなるかという話なんだけど。
表題は少し極端にしないと埋もれるからきつめにしたが、筋は間違ってないと思う。ブコメに 「法的な内心の自由を根拠にした社会における言動の自由」とか言わないと話は錯綜するばかりだと思う」というのがあって完全に同意だが、それをタイトルにしたら届けたい人にはこの記事は届かなかっただろう。
「人権意識」の発達によって、肉体的、精神的、あるいは性的に搾取される社会構造に対する批判が高まった結果、特に犠牲になりやすい立場の人間が立ち現れてきた、ということに過ぎない
これは微妙に違うと思う。人権を定義し運用する際には、どのような対象にどのような人権が認められるかの考慮が不可欠で、その検討の結果、判断能力が欠如した状態にある人たちには完全な自由、権利、責任を付与するのは不適切だ、という考えが生まれたのだと思う。歴史はよく知らんから間違っているかもだけど、人権てフランス革命の参政権からでしょう?参政権は子供にはない。
(前者・誤)「児童が劣っているから、保護し管理してあげることにした(ゆえに)児童の活動等の権利は制限されるのが当然だ」
(後者・正)「児童が犠牲になっているから、様々な活動に制限をかけることにした(ゆえに)大人とされる人の一部の行動には規制がかかって当然」
ちょっと私とは視点が違うな。「犠牲になっているから」っていうのは大人側の理屈であっても、子供どうしで結婚したりすることを制限する理由にはならない。愚行権は人権の本質に関わるし、子供の人権の制限には他の理屈が必要だ。それは、判断能力の欠如にならざるをえないと思う。
フィンランドといえば小国であることを活かした高福祉で有名で、なんでも幸福度が世界一だって話もあるらしい
男女平等が凄い!って話もよく聞く(北欧全体がそうらしいが) こんな記事も出てくる
https://www.google.es/amp/s/www.huffingtonpost.jp/amp/entry/gender-equality_n_17698812/
いまの日本で少子化が進んでるのは男女平等じゃないからだ、社会が不幸せだからだ、閉塞感があるからだ…みたいな主張はわりとよく見かけるし、そう聞くとたしかにそうなのかもなあと思わせられる
ってことは、男女平等先進国で社会の幸福度が高いフィンランドは当然合計特殊出生率2〜3くらいはあるはずだ!
https://data.worldbank.org/indicator/SP.DYN.TFRT.IN?locations=FI
しかしこのへんを見るとここ数年で出生率がガクッと下がってるのがわかるし、実際いまは1.5前後で日本と大して変わらんらしい
正直笑ってしまう
「良い」社会では少子化なんて起こらない、子供が減るのは社会が「悪い」からだ!って主張は結局のところまるっきり嘘なのだ
まあそりゃそうだ 子育てと自由はあきらかに相反するもんだし、妊娠出産して母乳を出せるのが女性だけなところを見ても人間の身体は子育てに関して全然男女平等じゃない
いまの人道主義・自由主義みたいなのと生殖のシステムは食い合わせが悪い だからむしろ今「良い」とされる社会を実現すればするほど少子化は進むって可能性まである
ポリコレに恨みはないが、世間を常に味方につけて常勝してきた側がどうしようもない現実に負けるのを見るのは正直言って痛快だ
どうしても人権侵害が嫌だっていうなら子宮じゃなくて培養槽で人間を育てる!みたいな舵取りしか残ってない気がするが、それはそれでコストはかかるし今度は子供の人権はどうなんだって話になるしで、やっぱどう転んでも詰んでる気がする
人間(というか欧米中心の「先進的」社会)は信条をとって滅びるのか、それともどっかで諦めて先祖返りするのか かなり興味深いけどおれはそこを見届ける前に死ぬだろうな
悲しいぜ
レスポンダーがオーストラリアの大規模森林火災への支援を目的としたチャリティーグッズを販売
http://vault76.info/archives/23307069.html
24時間限定、Bethesda.netでオーストラリアの大規模森林火災被害への支援を目的としたチャリティーセールを開催
http://vault76.info/archives/23324804.html
【衝撃】山火事で子牛20頭が大ヤケド、苦痛を止めるため牧場主が取った行動がつらすぎる
http://yurukuyaru.com/archives/81885471.html
オーストラリアで山火事が起こる原因は?ユーカリの自然発火がユーカリの自然発火が理由?
https://ozvilogger-takako.com/australia-bushfire-1522
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AA
本当かどうか話半分でしかないけど、これ今までは大火事を防ぐためにわざと野焼きをする様な計画火災をしていたのに環境保護団体がロビーをかけて禁止してしまった為にここまで余計に被害がデカくなった的なコメをアフィで見かけたのだけど、だとしたら救いようがないねぇ。
オーストラリア自体、あの手の政治的環境活動家が活発だし、ユーカリ自体自然発火もする。
そして何より日本でも環境保護を名目にした結果、里山に手が入らなくなり逆に荒廃した例も普通にあるからあり得ない話ではなさそうなんだよね。
何にせよ今の環境保護運動自体左翼の方々やカルトに乗っ取られて、生態学や地球科学等の科学的アプローチが一切無視されているのは問題だよね。
ただ一部の団体が温暖化が温暖化がとヒートアイランドの区別すらついてなくて喚き叫んでいるのが現状。
どんなに耳に心地よくても、ニセ科学や詭弁は結局、国益を損なうよ。遅かれ、早かれ。— Keiichiro SAKURAI (@kei_sakurai) 2020年1月28日
これは何も環境問題だけではなく、俗に言う女性の人権や子供の人権や男女平参画等の規制問題や著作権の規制問題、動物愛護または外来種動物の規制問題、交通関係の規制問題全ての事で言える。
どの様に対処をすれば、良くなるのではなく、一部の人の都合ばかり押し付けられて、結果意味がなかったり、逆に事態の悪化すら招く法律ばかり出来るのだよね。
特に環境問題なんて、企業の経費削減の理由にエコとか言ってレジ袋有料化の言い訳等に普通に使われる始末で嘘がまかり通っているからね。
法律なんて一番論理的なアプローチが必要な分野なのに今や扇動等ですぐに安易な規制の方向にばかり走ってしまう。
ここ数日、「育児衝撃画像」というタグがツイッターで盛り上がってる。
最初にこのタグがついたツイートを見たときウッとなったのに、見るのをやめられない。
私の親は自分の子供の写真を平気で他人に渡してしまう人間だった。
近所の人や知り合い程度の人でも、「子供さんかわいいねえ」なんて言われたら喜んで写真をあげてしまう。悪気無く。
だから全然知らない人が私の写真を持っていることがたまにあった。話したこともないような人から、大きくなったね、なんて突然声を掛けられ写真を見せられる。正月にしか会わない親戚のおじさんの財布から私の写真が出てきたりする。
地元の飲食店のコルクボードに張ってある写真が、全裸で水遊びをしている私と弟だと気づいたときは血の気が引いた。
両親がよく飲みに行く店で、店主のおじさんとおばさんとも話したことがあったが、その日から嫌いになった。
中学生の時にこっそりその写真を外して持ち帰ったが何も言われなかった。コルクボードには他にもたくさん知らない人間の写真があったから気づかなかったのかもしれない。
でも私と弟の裸が今まで他の客に晒されていたのかと思うと吐き気がする。
その写真は燃やしたけど、他にも私が気づかないところで私の写真が知らない誰かの視線に晒されてなんやかんや言われているんだろうか、とずっと考えていた。
写真をあげるのやめてほしい、と親に言い続け、カメラにも徹底的に視線を背けるようにして、ようやくやめてくれるようになった。
「写真が恥ずかしい年頃になったんだね」なんて脳天気なことを言われて、この人たちは本当に分からないんだ、とびっくりした。親は私を愛しているかもしれないけど理解することはできないんだと知った。
親元を離れた今でも、この写真は他の人間に見せられても大丈夫だ、と思う写真しか親に送れない。
ツイッターに流れている写真の子供たちが大きくなって、自我もなく防ぎようがない写真をインターネットなんて開かれた場所に晒されていたことを知ったらどうなってしまうんだろう。
特に子供の裸の写真を公開垢で修正もなく堂々と載せている親なんか、衝動的にリプしそうになる。削除してくれ、と勝手にその子の未来を騙ってしまいたくなる。
子供の人権が全て親に握られていることがわかってしまって辛い。
このタグがついた一連のツイートを見ながら、あの頃カメラに無防備な笑顔を向けていた幼い自分を哀れに思った。
大人になってよかったなあ。
この話題はすぐに荒れる。
いつもネット上でバトルが行われているが、
ただ、自分の感覚では、これらの議論は片手落ちになってると感じる。
いつも痴漢にあってて、女性専用車両が必要なのは、これらのネットバトルに参加するのにはまだ幼すぎる、未成年の子供たちだ。
まだ社会のことがわからず、意志もはっきりとしていない、声を上げることができない、
第二次性徴が終わって体だけ大人に近づいた子供を、痴漢は狙う。
痴漢の問題は、女性差別の問題だけではなく、子供の人権の問題とも深く関わってると思う。
被害者の子供たちを無視して、女性差別だの男性差別だの言うのは、あまりにも無意味な気がする。