はてなキーワード: 公立校とは
ちょいずれるがアメリカはホームスクーリングが合法だから、学校行かずにオンラインで授業受けてる子は多数存在する。
けど、小学生で子供だけでそれでちゃんと勉強出来る子なんかそうそういないので(そもそもアメリカじゃ小学生を一人で家に放置したら違法だし)
親ががっつり面倒みられる家庭でないと無理だよ。
アメリカは小学生だろうと一定の成績取れなければ落第もあるから、ホームスクーリングという事にして全く勉強させないで放置は許されないし。
なので教養があり教育熱心な母親(たまに父親)が子供につきっきりで勉強教えられる(それが出来るだけの経済的余裕もある)家庭が多い。
中流層で高額な私立に通わせるほどの余裕はないor田舎在住でそういう私立が近くにないが
そのせいでホームスクーリングの子の方が通学してる子より学力平均が高かったりする。
若い独身者はともかく、子供産むと夜勤出来ないからと辞めていく(個人クリニックとかの平日日中だけで済む職場に移る)看護師は山ほどいる。
それでも何とか保ってるのは、言っちゃ悪いが看護師が医師ほどの長いキャリアを必要としない
(6年教育の医学部と違って3~4年の教育で養成でき、新卒数年くらいで一人前扱いになれる)仕事である事や、
最初から女性の仕事として、一定数子供産んで辞める事を見越した人数が育成されている事(だから潜在看護師が山ほどいて復職促してるけどな)
があるからだよ。
男医なら僻地勤務強要されても医局に逆らうと出世出来なくなるからと渋々引き受けて、子供を妻に丸投げして単身赴任する人が一定数いるけど
(医局の力が弱まった今ではそういうのは減りつつあるけど、いない事はない)
子持ちの女医でそれはほぼいない。
女医だと子供を夫に丸投げ単身赴任という訳にいかなくて、自分が子連れ転勤するしかないし
医師になるくらいだから皆教育熱心なのに、子供に僻地の遅れた教育なんか受けさせたがらないからね。
子供が受験して私立に入ってたりするのに、それ辞めさせて田舎の公立校なんか行かせられないでしょ。
知り合いにいたら聞いてみ。
小中と公立に通っていて、親も教育熱心な方ではありませんでした。
小学校の頃に周囲の子が塾や何かに通って勉強をしているのを「たいへんだなー」と見ていた記憶があります。正直、そういう勉強熱心な子たちの大抵よりも勉強ができましたから、見下していた面もあったと思います。
受験なんて考えたこともなかったし、勉強は宿題を嫌々やったりやらなかったりしていました。
自分ではそれなりに受験勉強をしたと思っていたのですが、クラスの9割以上が塾へ通っている中ゆるゆると自宅でネトゲの合間にワークを解いていたので実際あまり勉強をしていなかったのかもしれません。
かといって学力に余裕があったかというとそうでもなく、中学生活で落ちきった成績で一発合格できたのは奇跡だったと思います。
地元は田舎で、特に偏差値の高い私立数校と特に偏差値(と民度)の低い公立数校を除いては公立の方が『良い』とされています。志望校は学力的に中の中で、特別賢いところではありませんが、それでも比較的評判の良い学校でしたので合格した時にはそれなりに誉められました。
ちなみに私立の滑り止めも受験していましたが、そちらも合格していました。滑り止めは本当に偏差値の低い学校だったので当然ではありますが。
大学受験もあっという間に終わりました。
早い時期から志望校は決まっていて、その大学に一般入試ではない形式で合格したので、受験生らしい期間がほとんどありませんでした。
思えばこれまでの20年弱の人生で、勉強を強要されたことがありません。塾へ行ったこともありません。
私の親も、塾へ行ったり特別勉強を頑張った経験をせずに大学まで進学した人でした。
そんな親の子だから、こうやってゆるゆると生きてきてしまっているのかもしれません。
もし、将来自分に配偶者ができて子供を育てたとして。彼ないし彼女が医者になりたがったり弁護士になりたがったりしたら。
私は適切な教育を受けさせられる自信がありません。どんな塾へ通わせたら良いか、どうやって受験を乗りきったら良いか、なにもアドバイスできない自分に気づきました。
小5~中1まで親の海外赴任でインターナショナルスクールに通っていた。
海外に行くまでは地元の公立校で勉強も運動もそつなくこなし、中学受験を見据えて塾に通っていた。
それがある日突然異国の環境に放り込まれ、何もかもに不自由し、学校を休みがちになった。
それでも英検2級に受かるくらい英語力は上達したがネイティブレベルには到達しなかった。
問題は帰国してからで、英語以外は学力は明らかに落ちていて、もともと勉強ができた自分にとっては屈辱的だった。
環境の変化、劣等感、反抗期など複数の要因が重なり中学不登校になってしまい、何とか高校には進学できたが2年目に中退し引きこもりになった。
そこから数年間引きこもりを続けいよいよ人生の危機を感じ、一念発起して実質2浪目の年から大学受験勉強を始めた。
もっと早く知っておけばよかったのだが、MARCHの文系ならセンター英語で190点近く取れるレベルなら国社が出来なくても受かる学部があることを知った。
結局2浪目の年にはメンタルの不調でセンター試験以外受けられず、センター利用で受かった大学はあったが、この精神状態では通える気もしなかったため3浪目に入った。
3浪目になってしまい受サロに毒されていたので早稲田を第一志望にする。
ほぼゼロから社会科を勉強する必要から効率重視で政治経済を選択したため、慶応上智は自動的に選択肢から消えた。
ただ早稲田の一般入試は英語配点がMARCHほど偏ってないため英国社まんべんなく得点する必要がある。
古文漢文が出題されるのも苦しかったし、正直英語だってほぼリーディングしかないのだから、海外で養ったリスニング・スピーキングは何の意味もない。
それでも必死に勉強して補欠で合格したが、普通に日本の教育を受けて受験していたらこんなに苦労しなかったのではないかと思う。
高校まで海外で生活して帰国枠で入ってきた国際教養学部の連中にはどうせ英語ができるだけだろと僻んでしまう。
小中は公立を出た。田舎に育ったので、レベルの高い公立校に行けない子がいく、レベルの低い私立高校を出た。で、適当に入れた私大に入学した。その間、一切勉強しなかった。いや、一度だけ中3の一月に焦って受験勉強をした。もちろん間に合わず志望校は落ちた。が、少しだけ遅れて成果が出た。高1の夏の全国模試で偏差値70を全科目で超えた。その後、全く勉強せず、遅刻とサボりを繰り返して何とか卒業した。
大学受験は家から一番遠いという理由だけで、大学を選んだ。入れた私大の偏差値はたぶん50くらい。今は少し上がったらしい。
中学の成績がいつも真ん中あたりだったので、自分は偏差値50あたりの、いいかえれば「普通の人」だと思っていた。大学を出たあと、仕事を少しして、海外の大学院を修士だけ出て、いま旧帝大の博士課程にいる。その間、趣味でつくった文章が編集者の目に止まるなどして、急に、環境が変わった。周囲の社会階層が上昇していって、いまは、いわゆる上級国民ばかりになった。友人たちは教授、医者、弁護士、官僚、大企業役員の子弟で、就職先は公官庁や大企業ばかり。英語は出来て当然で、みなドイツ語やフランス語もできる。ぼくは語学が苦手なので英語しか出来ない。あとはせいぜいギリシア語、ラテン語を辞書を使って読める程度だ。
博士課程にいるが、学振に落ちたので、翻訳の仕事などをして日銭を稼いでいる。先日、単身赴任から帰ってきた友人にあった。月収100万超の彼は飲み仲間で、バカ話をしては呑んで終わる間柄である。その中で、社会資本やら教育格差の話になった。なんとかしたいと思いつつも、何をどうすればいいのか分からない。
大阪の底辺中学校生徒の家庭教師をした友人いわく「家に本がない」子も多いと聞いた。当然、本棚もないのだろう。その家の子は、親からスマホの従量欲しさに殴られて、端末を取り上げられたこともあるらしい。
大学全入時代というが、実際には、半分の人の選択肢でしかない。偏差値など、その半分の中での曖昧な目安にしか過ぎない。しかし、そこに象徴される社会的分断は、想像しているよりも大きなものなのだ。たとえば「ラフマニノフ」と聞いて、ぼんやりとでも芸術関連のことばだと気付くか否かは、どうしても環境に寄るのではないか、と小説家の友人が言っていた。そうかもしれない。そういえば、ラフマニノフは一枚も持っていない。
ぬるいオタクでもあるので、趣味仲間にはいろんな人がいる。それはすごく楽しい。同時に、恥をかくこともある。ネット仲間の知り合いで初めて会った人が「工場勤務です」というので、研究開発だろうと思って話していたら「ライン作業です」と言われてしまった。自分の想像力の無さを恥ずかしく思った。
親はよく「金がない、金がない」と言っていた。小4のときに引っ越してきた友人の家は金持ちだった。ずっと連絡していないが、誰もが知るPCサプライのメーカーの社長だった。また父親の友人に、趣味のクルーザーで釣りに連れていってもらったことがあった。父の友人には、ニューヨークの画商や官僚がいた。彼らに比べれば「金がない」という意味だったのだろう。たしかにバブルの頃に、毎週、生け簀のある料亭で食べていたし、家にはマッキントッシュの真空管アンプが数台あった。祖父が現金で、さらっと一億用意するのを見たこともある。ごく幼い頃の記憶だ。
ずっと自分は金がない普通の家の人だと思っていた。無論、何が普通かなどわからない。ただ努力をしないまま、適当な大人になった。結果として自分が貧しくなることは覚悟していたが、それ以上に、社会が崩壊していく速度のほうが速かった。社会資本がなんちゃら、教育資本がうんたらかんたら。ニュースで見かけ、たまに出会う、自分の「普通」とは違う人々について、チャラチャラと考える。何とか人の役に立てるようになれないだろうか。答えは出ない。
小中は公立を出た。田舎に育ったので、レベルの高い公立校に行けない子がいく、レベルの低い私立高校を出た。で、適当に入れた私大に入学した。その間、一切勉強しなかった。いや、一度だけ中3の一月に焦って受験勉強をした。もちろん間に合わず志望校は落ちた。が、少しだけ遅れて成果が出た。高1の夏の全国模試で偏差値70を全科目で超えた。その後、全く勉強せず、遅刻とサボりを繰り返して何とか卒業した。
大学受験は家から一番遠いという理由だけで、大学を選んだ。入れた私大の偏差値はたぶん50くらい。今は少し上がったらしい。
中学の成績がいつも真ん中あたりだったので、自分は偏差値50あたりの、いいかえれば「普通の人」だと思っていた。大学を出たあと、仕事を少しして、海外の大学院を修士だけ出て、いま旧帝大の博士課程にいる。その間、趣味でつくった文章が編集者の目に止まるなどして、急に、環境が変わった。周囲の社会階層が上昇していって、いまは、いわゆる上級国民ばかりになった。友人たちは教授、医者、弁護士、官僚、大企業役員の子弟で、就職先は公官庁や大企業ばかり。英語は出来て当然で、みなドイツ語やフランス語もできる。ぼくは語学が苦手なので英語しか出来ない。あとはせいぜいギリシア語、ラテン語を辞書を使って読める程度だ。
博士課程にいるが、学振に落ちたので、翻訳の仕事などをして日銭を稼いでいる。先日、単身赴任から帰ってきた友人にあった。月収100万超の彼は飲み仲間で、バカ話をしては呑んで終わる間柄である。その中で、社会資本やら教育格差の話になった。なんとかしたいと思いつつも、何をどうすればいいのか分からない。
大阪の底辺中学校生徒の家庭教師をした友人いわく「家に本がない」子も多いと聞いた。当然、本棚もないのだろう。その家の子は、親からスマホの従量欲しさに殴られて、端末を取り上げられたこともあるらしい。
大学全入時代というが、実際には、半分の人の選択肢でしかない。偏差値など、その半分の中での曖昧な目安にしか過ぎない。しかし、そこに象徴される社会的分断は、想像しているよりも大きなものなのだ。たとえば「ラフマニノフ」と聞いて、ぼんやりとでも芸術関連のことばだと気付くか否かは、どうしても環境に寄るのではないか、と小説家の友人が言っていた。そうかもしれない。そういえば、ラフマニノフは一枚も持っていない。
ぬるいオタクでもあるので、趣味仲間にはいろんな人がいる。それはすごく楽しい。同時に、恥をかくこともある。ネット仲間の知り合いで初めて会った人が「工場勤務です」というので、研究開発だろうと思って話していたら「ライン作業です」と言われてしまった。自分の想像力の無さを恥ずかしく思った。
親はよく「金がない、金がない」と言っていた。小4のときに引っ越してきた友人の家は金持ちだった。ずっと連絡していないが、誰もが知るPCサプライのメーカーの社長だった。また父親の友人に、趣味のクルーザーで釣りに連れていってもらったことがあった。父の友人には、ニューヨークの画商や官僚がいた。彼らに比べれば「金がない」という意味だったのだろう。たしかにバブルの頃に、毎週、生け簀のある料亭で食べていたし、家にはマッキントッシュの真空管アンプが数台あった。祖父が現金で、さらっと一億用意するのを見たこともある。ごく幼い頃の記憶だ。
ずっと自分は金がない普通の家の人だと思っていた。無論、何が普通かなどわからない。ただ努力をしないまま、適当な大人になった。結果として自分が貧しくなることは覚悟していたが、それ以上に、社会が崩壊していく速度のほうが速かった。社会資本がなんちゃら、教育資本がうんたらかんたら。ニュースで見かけ、たまに出会う、自分の「普通」とは違う人々について、チャラチャラと考える。何とか人の役に立てるようになれないだろうか。答えは出ない。
夏の甲子園“投手ぶっ壊しコロシアム”の解体方法──スポーツとしては時代遅れ、教育としてもデタラメ
ピッチスマートでは17~18歳は105球を上限とされているが、100球ちょっとで9回を完投できることはさほどない。よって継投を余儀なくされる。そうすると、2番手投手の力が劣るチームは不利となる。
ただ、日程に余裕をもたせる提案も、抜本的な解決にはほど遠い。そもそもトーナメント戦で一発勝負であることが、野球というスポーツにはそぐわない。プロスポーツで優勝者の勝率がもっとも低いのは、6割程度の野球だと言われている。10回やって4回負けるチームが優勝する。これは試合数の多さも関係しているが、運に左右される傾向があることも意味している。高校野球ファンとプロ野球ファンがかならずしも重ならないのはこのためだ。
一発勝負の勝ち抜きトーナメントだと、強いチームの思わぬ不調や弱小チームのまぐれなんかで、弱小チームが勝って強豪チームが負ける番狂わせが起きることがある。それを嫌って、長期的な勝ち負けの記録を積み重ねて成績を決めよう、というのがリーグ戦だ。
この2つはどちらが悪いわけでもなく、単なる設計思想の違いである。実力が明らかに格下の相手に偶然が重なってたまたま負けてしまったばかりに大会敗退を余儀なくされた強豪からすればリーグ戦の方がありがたいだろうし、わざわざスタジアムまで足を運んでチケット代を払ったのにやる気のない消化試合を見せられた観客からすればトーナメント戦のドラマ性に魅力を感じることだろう(サッカーW杯のポーランド戦は記憶に新しい)。
そう、選手層が薄いチームにとって有利なのはトーナメント戦であり、選手層が厚いチームにとって有利なのはリーグ戦なのだ。
別にどちらを支持しようともそれ自体では何の問題でもないが、継投制限をするなら選手層が薄いチームにとって不利になる、という主張と、トーナメント批判を同一人物が同じ記事で行っているのは理解に苦しむ。
球数制限を課し、リーグ戦を導入したならば、選手の健康は守られるかもしれないが、選手層の厚い私立高がますます有利になり、甲子園に出てくるのは「プロ部活」ばかりになるだろう。
逆に球数制限を課さず、トーナメント方式を維持するならば、選手には大きな負担がかかるかもしれないが、選手層が薄くとも一発逆転の目があることになり、「昭和の野球」が勝ち進む余地が生まれてくるだろう。今回の金石農業のように。
球数制限も試合方式も、それぞれは独立したオプションのように見えるかもしれないし、実際ある種の人にとってはそうだろう。それは、どのようなチームが有利になるのが望ましいのか、という視点を持たない人だ。その視点を持たないならば両者は別々のオプションとして扱って美味しいとこ取りをして何ら問題あるまい。
しかし、「選手の獲得や育成にお金をかけられる私立高ばかりが有利になるのが本当に望ましいのか」という問いを立てるならば話は別だ。そのような視点から語ろうとするならば、球数制限と試合方式は切り離せないセット販売だ。
もしも「球数制限を課し、リーグ戦を導入」というセットを購入すると決めたなら、自動的に言うべきことも決まるはずだ。「プロ部活が有利になってしまうという批判があるが、それは仕方ない。都市部の私立高が勝ち進み、地方の公立校が早々に敗退するような制度を支持する」
なのに、そのセットを購入すると表明しておきながら、選手層の薄い学校には酷だ、なんて同じ記事で言うのは理解できない。都会のスマートな自由主義か、田舎の泥臭い平等主義か、どちらを支持するのかハッキリしてほしい。
常日頃、「物が売れない、これでは景気が回復しない」とか「景気刺激のため公共事業をバンバンやるべし」とか言ってる連中は、公立校のクーラー設置を全力で後押しするべきではないだろうか
猛暑がきびしい各地の小中学校の教室にクーラー設置してれば、電機メーカーも電機店も大儲けである
「公共事業の土木工事をやったって、儲かるのは大手ゼネコンだけじゃん」と言うと、「いや、土建屋に落ちた金が他に回り回って景気刺激になるんだ」と返される
だったら、金を落とす先が土建屋ではなく電機メーカーと電機店でも良いではないか?
しかも、需要はものすごく膨大にある、何百億、何千億の金が動くかわからない
普段「日本経済のため、みんなバンバン物を買え、消費しろ、金を使え」とか言ってる連中は、今こそ一致団結して公立校のクーラー設置を後押しするべきじゃね???
そうならない理由は何なのか?
タイトルのとおり。仕事も何もかも頑張れなくなって、今までやれていたことまでできなくなってしまった。
診断名はADHD。
以下に概要と経緯を書く。乱文だが聞いてくれ。
30代前半、会社員。
いままでの三十余年、苦手なことや違和感を感じることがあっても、なんとか努力と工夫と時間をかけることでカバーしてきた。
会社には新卒で入社して以来10年以上在籍しているが、人事評価を見ても、悪いとき、良いときの波は激しいものの、成果を出して高い評価を得たこともありそこそこにやれていたと思う。
生育歴も軽く書く。
田舎の市出身、核家族、小中高大は国公立校卒。大学から首都圏で一人暮らし。
友人は多くもないが全くいなかったこともない。
その頃自分は、何か悲しいことがあると突然黙り込んで周りをシャットアウトしてしまうことがあった。他の友達はそんなことしない、自分は何かおかしいな、と感じたのがきっかけだったと思う。
そんなわけだから、小学校の中学年にもなると「自分は知能か何かの問題があるに違いない」と確信していた。
ただ、両親や友達に気づかれたら軽蔑されて嫌われてしまう、隠さなきゃいけないと強く思っていた。担任教師は何か気づいていたかもしれないが明確に指摘されたことはなかったと思う。
運や周りの人に恵まれたおかげで、幸いにも今まで発達のせいで大きなトラブルを起こすことなくやれていた。
ただ、うっかりミスややらかしは度々あり、周囲には迷惑をかけていた。
そんなわけで大人になる頃にはネットで知識もつけて自分はADHDだと思っていたが、依然として周囲の同僚や友人にはバレたくないという気持ちが大きかった。
人知れず治そうと、過去3度精神病院に行き診断を求めたこともある。いずれも診断はつかなかったが。
今回、4度目の診断を求めて精神病院に行ったのは、仕事での行き詰まりを感じたためだ。
少し前から他部署から異動してきた社員とタッグを組んで仕事をすることになった。自分が前任者のため、引き継ぎや情報共有をしながら業務を進めるのだが、どうにもうまくいかない。
今まで、スケジュール管理やタスク管理、作業漏れのチェックなどで苦手を感じることは多々あったが、自分ひとりなら残業などで帳尻を合わせてなんとか収めてきた。
それが、2人分となると本当にダメだった。ミスは頻発、スケジュールは遅れ、タスクは滞る…
だんだん精神的に参ってきて、夜は眠れず、朝は起きられなくなり、頻繁に頭痛やめまいやふらつきを感じるようになった。
上司や友人知人に相談もしまくったが良い解決策も見つからない。状況が改善するならドーピングでもなんでもしたい、そうだ自分のADHD傾向が解決すれば良くなるはず…
ということで、発達障害を扱っている精神病院に向かったのだった。
病院ではチェックシートのようなものに2枚ほど記入し、30分の問診を受けた。問診では色々なことを訴えた。朝起きられないこと、スケジュール管理が苦手で仕事に問題が出ていること、イライラしたときなどに手指や体をソワソワ動かしてしまうこと、自宅の部屋が散らかり放題なこと…
したらあっさり診断が下された。
正直、拍子抜けした。過去3度の病院では診断が下りなかったし、もっと生育歴を調べたり知能検査などをするのかと思っていたから。
そんなわけで薬を処方されて、それ以来ADHD患者として通院している。
前置きが長くなった。
自分が病院に行ったのは、そもそも仕事において行き詰まりを感じており、仕事の状況が改善するならと思ってのことだった。
やる気をすっかり失ってしまったのだ。
今までは、苦手なことがあってもなんとかカバーしよう、カバーしなければという気持ちで頑張ってきた。
なんでも努力と工夫でやってきたし、頑張れば普通の人のようにできないことはないはずだと思ってやってきた。
何か困難があるたびに
また、何をしていても
「実は自分は満足な仕事ができておらず、この10年ずっと戦力外だったんじゃないか」
のようなことを考えこんでしまい、作業の手が止まってしまうようになった。
仕事は滞り続けている。
毎日出社するのが辛い。
このまま迷惑をかけ続けるのであれば会社をやめなければならないと思うが、やめたところで行き先がない。
死ぬしかない、死んだら家族や親族に迷惑がかかるだろうが死ぬしかない、
その前にいま抱えてる仕事は引き継いでおかなければいけない。しかし引き継ぎはうまくいっていない、死ねない、でも死ぬしかない…