はてなキーワード: 公立校とは
仕事でこの春からイギリスに住み始めた。8歳の娘は家の近くの公立校に転入した。日本人学校も補習校もない地域なので。
噂に聞いてたけど、小学校は全体的にゆるくていい加減。でも彼女にはそれが合ったようで、まだ英語もわかっていない様子なのに、友達がたくさんできてなにやらずいぶん楽しんでいる。日本では引っ込み思案で新しいことには慎重だし、何にでも消極的に取り組むように見えた。失敗すること、間違えることをとても嫌っていて、失敗するくらいなら初めからやりたくないとよく泣いていた。
それがイギリスでは、英語もわからないのに二泊三日の林間学校に参加して思いっきり楽しみ、また行きたいと言う。先日は地区の運動会的なイベントがあって(練習は前々日に一回あっただけ)、そこでも参加した種目で入賞。おお、やる気に満ちている。
聞くと、イギリスの学校はゆるくていい加減なのがいいそうだ。いい加減に取り組む子もいるし、頑張る子もいるけど、人それぞれ。基本的にいい加減なので、失敗しても咎められないし、わからないことばかりだけどみんな助けてくれると。
確かにこちらの子供達は優しい。転校初日、英語もわからないし泣いてるかもとドキドキしながら迎えに行ったら、クラスの子供たちが私の周りに寄ってきて、「今日、とてもがんばってたよ」「She was brilliant today!」と声をかけてくれた。みんな褒め上手。きっと先生や親御さんたちにもいつもそうやって褒められているんだね。(娘は泣いてもいず、先生にケーキもらった!ケーキ甘すぎて美味しくない!と話していた。その日は誰かのお誕生日だったらしい。)
日本の小学校では、運動会や学芸会は数ヶ月前からクラス全体で練習して当日を迎える。練習していれば失敗も少ないし自信もつくのかもしれないけれど、当日失敗した時のダメージも大きい。練習は失敗しないことが目的だから。失敗は恥ずかしい。周りの子にも迷惑をかける。うちの子はそういうのが嫌だったのかもしれない。
高知県の人口が70万人を切ったニュースで思い出した話がある。
超少子高齢化と人口減と都市地方間格差が進んだ結果、進学への情熱が薄れてきているという話。
そのためには私立進学校に行く。」というのがエリートのセオリーみたいなものだった。
だが今は、そんなセオリーが崩れている。
いや正確には「無理してまで良い大学に入らせようとは思わない」「そのために私立進学校に行く必要はない」
その前に、高知県の大学と高校(及び中高一貫校)の事情を説明しておく。
まずは高校。
土佐>=学芸>土佐塾(ここまで私立中高一貫)>追手前(県立)>その他県立高校とか明徳とか
であった。
それが今はどうだろう。
県立西高校と県立南高校が統合され、南西高校になるかと思いきや公立中高一貫の高知国際中学高校になった。
しかも母体の西高校の色もあり、英語教育に力を入れているスーパーなんとかハイスクールに指定されている。
昔ながらのThe私立進学校は、特色ある公立校に押されつつあるとみられる。
次に大学。
高知県にある4年制大学は国立大学法人高知大学と、高知県立大学、そして高知工科大学の3つしかない。
かつては高知医科大学があったが、高知大学と合併して高知大学医学部になっている。
更に機械や電気、情報といった工学系となると高知工科大学しかない。
受験難易度の点で見れば偏差値46程度の高知工科大学であればわざわざ難関私立進学校に入らなくても良い。
筆者は土佐高校の卒業だが、当時人気だった進学先のひとつは岡山大学であった。
同級生や年の近い先輩後輩の進学先ら帯広畜産大学から琉球大まであったし、海外留学していったのもいた。
ほぼ100%が進学志望なのは今も昔も変わらないと思うが、志望大学がバラエティに富んでいた。しかし今や地元志向が強すぎる。
もちろん地元高知大学の人気も高かったが、今はそれ以上に高知大学志望が増えているという。
「もうちょっと頑張れば、もっと良い大学に行けるのに」と先生が勧めても、
生徒や親が浪人を嫌がり、より確実性の高いところで落ち着こうとするのだ。
あるいは、「もうちょっと頑張れば」というなら理学部から医学部に進路変更する。
でも本当に医者になりたいのか?安定した職業を求めているのではないか?
言っておくが国立高知大学も高知工科大学も、決してチンケなFラン大学ではない。
だが、やれハーバードだMITだスタンフォードだ、東大だ京大だ、早慶だ阪大だ、
そして環境。圧倒的に人が少な過ぎて、異なる価値観に触れる機会が都会とは雲泥の差なのだ。
月とトイレの方のスッポン。多感な学生時代を、世田谷区人口にも満たない県人口の田舎で、刺激の少ない学生時代を送ることになる。
たとえば高知から東京の大学に進学するとなると、それだけで大変だ。
平均世帯収入の低い高知から、物価の高い東京で一人暮らしとなれば、不景気ないまおいそれと出せない。
筆者なんか6年も通ってしまったのだ、どれほど親に金を使わせたか。
余裕がないのだ。
一年浪人させて県外の良い大学にいくよりは、現役で高知大か工科大に行き、
県庁か市役所に勤めることこそが、堅実な将来であることに疑いはない。
でもそれで新しい時代が切り開けるか?
消耗しないように高知に残り、消化試合の人生は「負け」ではないが
超少子高齢化と取り返しのつかない人口減に対応するため、私立進学校も変革の時を迎えている。
ちなみに、土佐高校は昭和半ばからずっと1クラス50人×6クラスである。
どう考えても多すぎる。
学費を上げてでも人数を減らし、きめ細かい教育ができるようにすべきだ。
脱藩マインドが低い者は公立校に任せ、県外や海外へ送り込める少数精鋭の人材育成校に転換した方がいい。
冠する土佐藩の名に叶って欲しい。
英語がわりとすぐ話せるようになる人と、なかなかしゃべれるようにならない人には、ある特徴があるんだよね。
日本の英語教育がダメとか言う人って中高の英語まじめにやってきたの?
あーわかる気がした。
とにかくね、自分のことをしゃべる、ということ、
よかれ悪しかれ、これができないと英語を理解できてもしゃべれるようにはならない。
以下のお手紙を書きました。
もし同じような思いの方がいましたらコピペして使って頂いても結構です。
PTA活動は任意活動なのでどんなに理不尽な活動が行われていようと「自由参加だから」で片付けられてしまいます。
でも実質的には環境や立場、空気を利用した「半強制的な加入」が行われているのが事実です。
【以下、本文です】
いつもありがとうございます。
昨今のPTA活動は、入学式後にいきなり役員が新入生の保護者を取り囲み、PTAの良さを力説の上、希望用紙を配布します。
その中には「加入する・しない・参加できない」といった選択は用意されていません。
これは立場や環境を利用した【実質的な強制加入】ではありませんでしょうか。
また、希望用紙を在校生の保護者にも毎年配布したり、会費納入袋を職員や保護者に加入意思の確認もなく当然のように配布している状況は、
「ブラック企業やブラック校則、長時間労働をなくし、一人一人の選択を尊重しよう」という世の中の流れと逆行するものになっていませんでしょうか。
PTA活動による明るい側面も感じますが、中には賛同し難い活動も存在します。
ぜひ 【一人一人の意思】 がより反映された組織運営にして頂きたく、以下の点の検討をお願い致します。
③収支明細表の全世帯への配布(総会に参加した人のみへの配布は不公平・不透明ではないでしょうか)
④収支明細表の一層の透明化(学級費は一品一品公開されているのに対し、あまりにも不透明ではないでしょうか)
⑤子供との直接的な関わりの少ない職種、待遇が正規職員と大きくかけ離れている職種、収入が少ない世帯等への半強制的な加入や会費納入袋の配布はあまりにも理不尽・横暴ではないでしょうか。
⑥昨今は【公立校の職員の半数が週60時間以上の勤務で過労死ライン】などといった調査結果がたびたび上がるにも関わらず、代休もない職員が休日や勤務時間外に話し合いやイベントに参加することについて。
⑦本来学校や市による公費、または業者などが責任をもって行うべき内容でないかの再検討
⑧多くの職員や保護者が必要性を感じていない活動(部門)になってしまっていないかのアンケート調査
⑨PTA事務の方への時間外手当、休日出勤手当、交通費、各種手当の支給
【追記】
このような違法とも取れる活動を行う組織の学校への立ち入り・活動を認めたり支援している学校長や教育委員会にも責任はあります。
学校長の許可なく学校内への業者や組織の出入りや活動はできません。
小学校の頃に、時々デブで頭も悪く馬鹿にされていた同級生が椅子振り回してた事を思い出す。
デブの家はちょっと貧乏臭く、親は金髪でピアスのある人たちだった。デブに粘着して虐めていたのもまた、馬鹿なヤンママの息子みたいな奴らだった。
田舎の公立校は親の仕事でぼんやりとグループが分かれていて、医者教授公務員の子供の層と、地元出身の親の層は、住むところも交友も何となく違っていた。
だから下層の方の争いは、下層で起きることで、大抵皆無関心だったのだけど、デブが椅子を振り回す時だけは、我々にも被害が及んだ。
恵まれてる人間しかいないような世界で生きてきて、その周りにある狭いコミュニティしか知らないのに
「俺/私にだってまともな環境さえあればいくらでも努力したのに!」というありがちな叫びが、その実どれほど信用に値せず、単なる口だけの言い訳に過ぎないか。
と認識してるって、それこそ世間知らずさと視野の狭さとの合わせ技じゃあ…
因みに地方トップ校は大抵公立なので、皆が皆恵まれた家庭のボンボンとは限らんよ。
(まあそれでもボンボン率が高いのは事実だが、学費からして高額な私立のように貧乏家庭の子が存在しない訳ではない)
親の教育熱も同様で、親の教育熱が薄くてもたまたま子の地頭が良けりゃ入れるよ。
都会の私立中高一貫みたいに親からして熱心でなければ(子供を中学受験させて高額な学費払ってでも私立に行かせようと思っている親でなければ)
自分は公立校出身だったので地元民の友人も多かったから一緒に成人式に出たりしたんだが、今どきの子供はどうすんのと思う。
私立の中高一貫とか行ったら地元で友人がいないのでは?知り合いのいない成人式には出づらいのでは?私立学力重視の現代って同じ層の人とは繋がりやすいけどいろんな背景のある地元の人々とは関わりが持ちづらいのが大変だよな。
同じ私立の友人かつ同じ自治体に住んでるやつと一緒に成人式行くんかな。それも限られた人数ぽいしあんまり楽しめなさそう。
ワイの旦那さんはがっつりその例に当てはまる人で成人式出なかったこと後悔してる。
増田やってる学生達はとりあえず成人式は出ておいたほうがいいよ。人生で一回しかないイベントだからね。オッサンはなんか成人式の思い出話しでもして若者たちのモチベあげてくれる?
日本語がまともに読めない日本人が世の中に大勢存在するというのはショッキングな事実などではなく、普通は中学の段階で察する常識だ。公立校の教師は頭が悪すぎて優秀な生徒に呆れられているし、クラスメイトの大部分もやはり頭が悪くテストの平均点はいつも異常に低い。この事実を知らない人は中高一貫校の私立出身なのだろう。
ところで、「新書」と言ったら普通は「岩波新書」「ちくま新書」「講談社現代新書」「中公新書」などを指すが、世間の人たちは割と「ハードカバーの新刊」のことだと思っていたりする。
新書はあまり賢くない人たちでも読めるように易しく書かれたものがほとんどだ。だが世間のあまり賢くない人たちははあまり賢くない人たちに向けて書かれた新書すらまったく読まない。読まないから存在すら知らないのか、存在を知らないから読まないのか。とにかく彼らは新書という言葉を知らない。専門書など読まないし読めもしない彼らが直接的に知へアクセスするのは難しい。だからこそ新書がある。あまり賢くない人たちでもその気になれば知へアクセスできるようになっている。だが、その新書が存在すら知られていない。これではあまり賢くない人たちは人生において知に触れる機会がほぼまったくないということになるのではないだろうか。
おそらく彼らには知に触れるという発想自体がない。彼らにとって世の中はとにかく簡単で、いつも通りの馴染みのやり方ですべてが解決が可能で、すべての情報は彼らが既に知っている情報の確認でしかない。だから新しい考え方というものを知らないし、当然多様な考え方があることも理解できない。「今までこれでうまくいっていたのに!」となる。ネットでもよく見た光景である。
読まなくてもいいので新書というものの存在くらいは知っておいてほしいと思う。ふと気が向いた時に扉をあけてみたらいい。扉があることを知らなければ開けようもないが。
数え切れないほど痴漢にあってるのに、それでも満員電車通学をやめられなかったのはなぜか。
当然親がさせてるからだ。
そりゃあ痴漢はあかんけど、そんな危ないところに毎日通わせ続けるのはもはや虐待でしょ。親も教師も「知らなかった」わけないよこんなの。
そもそも痴漢がなくても、満員電車って大人にとっても怖いところで危険なところなのに、週5で放り込むのやばくないですか。男の子だから安全てわけでもないよね。
いや、わたしが満員電車に縁がなく「毎朝満員電車に小学生が乗ってる」というのを目にしたことがないので、都市伝説のように思えるんだけども。本当に実在するのだろうか。
近所の荒れてる公立校より、痴漢付き満員電車通学の私立校よね〜〜、ってこと? 娘が痴漢にあってるけど将来エリートコースのために満員電車ってこと? 嘘でしょ? うえー。いやいや、やはり都市伝説……。
日本の英語教育がダメとか言う人って中高の英語まじめにやってきたの?
私は中高まじめにやっただけで普通にコミュニケーション取れるくらいになってたし留学用のテストも一発だったよ
英会話とか通ったことないし、ただ授業(公立校の)まじめに受けてELTに話しかけてただけ
あとはネットでネイティブの友達作ってチャットしたりはしたけど、そのチャット始めるための英語も全部学校で教わったものだし
たまにネットで話題になる「○○と言いたい時に英語でxxと言うのは間違いだった!」みたいな豆知識?見てもいつもこれ高校でやったとこだ〜ってなるし
よほどマニアックな文法とかすごい古い言い方とか、そういうの以外の基礎は中高でちゃんと教えてくれるってこと
だから日本の英語教育クサす前に中高の英語の教科書買ってきてちゃんとやって見たらいいと思う
もちろん極力ネイティブみたいに話したい!とか思うなら最初から英語圏で売られてる英語で書かれた文法書とかのほうがいいけどさ
数学として正しければ正解だと思うんだよ。
私が疑問視していることは「数学として正しい」ことと「答が合っていれば正しい」が半ば同一視される意見が見られる、ということです。
数学的な正しさと個人個人の数学的な理解を直結させるには論証が必要です。その論証が理解できているかどうかを確認するのにはさらに議論を深めなくてはなりません。
私が「数学的に正しい」教師であれば、件のテストの回答時間中に約分の成立する理由を空欄にでも書いてあれば正解にすると思います。
公立校小学生向けの業者の出す単元別テストなんて、表裏完答してさらにおまけのコラムまで解き切ってなお時間が余ってラクガキするほど余裕があるはずなので、将来ガウスかテレンス・タオかという天才児と言わずとも、数学嫌いにならず、担任を屈服し切る説明をしてくれるはずです。
(そんなアリアハンのザコレベルのテストすら満足な答を出せない児童がいるのも公立校ならでは、なんですけど、大抵の人は学生時代の記憶なんて風化してしまうものなんでしょうか?)
南青山とは縁もゆかりもないただの地方民だが、今の公立校って本当に先生が委縮してる。
問題児がいても強硬手段が取れないから、問題児が一人いるだけで学級崩壊する。
授業妨害する奴がいたとして、昔みたいに鉄拳制裁する事も、そいつを別室に隔離する事も出来ないんだもの。
公立校を選ぶ場合、親は全体のレベルとか進学実績とかじゃなくて「変な子が入って来る要素が少ないか」を物凄く気にするし、
「変な子が入って来る要素」がある所は敬遠される。
いや、元から住んでる地元民とかなら別だが(今更気にしたって仕方ないし)、転勤族とかは気にする。
ネットには「どこそこに転勤するけど良い学区ありますか?」なんて質問が飛び交っていて、
そこに「〇〇小学校は学区内に□□があるから止めた方がいい」と言うレスがついてるのなんてごく普通だ。
□□に何が入るかは想像にお任せするが。
因みにうちの子が通う学校の学区もその手の意識高い方々に嫌われる要素があり
ネットじゃ「あの辺は止めた方がいいですよ」と書かれていたりする。
(んで両隣は「ここはおすすめ」として挙げられていたりする)
地元民の自分からしたらうちの子の学校もさほど酷いものではないと思っているし、その人気学区の学校もさほど優れている訳ではなく