はてなキーワード: 人形とは
折口信夫への旅 第1部 ~小説「身毒丸」をめぐって(歌舞伎批評家・山本吉之助)
http://www.kabukisk.com/geitohito33.htm
という折口信夫『身毒丸』解説文の中に、日本の師弟関係がなぜ理不尽で暴力的になるのかについての興味深い示唆があったので、
もしかして既によく知られていることかもしれないが、自分は初めて知ったので、覚え書きとして残しておこうと思う。
『最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本の師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。
例えば最も古い感情を残している文楽座の人形遣いなど、少しの手落ちを咎めて、弟子を蹴飛ばしたり、三味線弾きは撥で殴りつけたりした。
そういうことは以前はよくあった。そうした躾を経ないでは一人前になれないと考えられてきたのです。
なぜ、そうした、今日の人には無理だなと思われるような教育法が行なわれてきたかということが問題になります。(中略)
それはある年齢に達した時に通らねばならない関門なのです。(中略)
子供または弟子の能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』
七月に入り一座は泉州のある村の盆踊りに迎えられますが、源内法師は身毒丸の踊りに若い女たちの面貌がチラついていることを認めて、その晩、師匠は身毒丸 を自分の部屋に引きずっていって「龍女成仏品」に一巻を渡し「芸道のため、御仏のため、心を断つ斧だと思って、血書するのだ」と厳しく命じます。
しかし、出来上がったものを持っていく度に師匠はこれを引き裂きます。
「人を恨むじゃないぞ。危ない傘飛びの場合を考えてみろ。もし女の姿がちょっとでもそちの目に浮かんだが最後、真っさかさまだ」と師匠は言います。
身毒丸は血を流しながら一心不乱に写経を続けますが、身毒丸の脳裏には彼の踊りに熱狂する若い女たちの面貌がなかなか離れません。
一心不乱に写経を続ける身毒丸の姿を見ているうちに師匠の頬にも涙が流れてきて、五度目の写経を見た時には師匠にも怒る気力は失なわれていました。
春琴の教え方は 非常に厳しく、
「あかんかかん、弾けるまで夜通しかかたかて遣りや」と佐助を激しく叱咤し、
時には「阿呆、何で覚えられんねん」と罵りながら撥で頭を殴り、佐助がしくしく泣き出すこともしばしばであったと云います。
『昔は遊芸を仕込むにも火の出るような凄じい稽古をつけ往々弟子に体刑を加えることがあったのは人のよく知る通りである
本年〔昭和八年〕二月十二日の大阪朝日新聞日曜のページに「人形浄瑠璃の血まみれ修業」と題して小倉敬二君が書いている記事を見るに、
摂津大掾亡き後の名人三代目越路太夫の眉間には大きな傷痕が三日月型に残っていた
それは師匠豊沢団七から「いつになったら覚えるのか」と撥で突き倒された記念であるという
また文楽座の人形使い吉田玉次郎の後頭部にも同じような傷痕がある
玉次郎若かりし頃「阿波の鳴門」で彼の師匠の大名人吉田玉造が捕り物の場の十郎兵衛を使い玉次郎がその人形の足を使った、
その時キット極まるべき十郎兵衛の足がいかにしても師匠玉造の気に入るように使えない
「阿呆め」というなり立廻りに使っていた本身の刀でいきなり後頭部をガンとやられたその刀痕が今も消えずにいるのである。
しかも玉次郎を殴った玉造もかつて師匠金四のために十郎兵衛の人形をもって頭を叩き割られ人形が血で真赤に染まった。
彼はその血だらけになって砕け飛んだ人形の足を師匠に請うて貰い受け真綿にくるみ白木の箱に収めて、時々取り出しては慈母の霊前に額ずくがごとく礼拝した
「自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」という強い思いです。その場合・何に対して彼は意地を張るのかということが問題になります。
世間に対して意地を張る場合もあると思いますが、あるいは神に対してという場合があるかも知れません。
ここで神に対して意地を張るということは、神に反抗するという意味ではないのです。
そのように考えるのは近代人の捉え方でして、古代人の場合には絶対者である神に対して反抗するという発想は考えられ ません。
自分に対する神の仕打ちが不当であると感じた時に、古代人は自らの清らかさを神に示すように控え入るのです。
「神よ、この清い私を見てくれ」というようにです。
つまり表面 上は畏れ入っているのですが、内心には自分に対する神の仕打ちは不当であるという強い思いがあるように思えます。
(中略)
神に対して自分が清い(あるいは正しい)ということを示そうという気持ちを失ってしまえばそれは不信仰ということになります。
だから理不尽な神の仕打ちに耐えて・彼がそれでもひたすらに生き続けることは「神よ、この清い私を見てくれ」ということになるのです。
それは神に対して意地を張るということでもあ ります。
折口信夫は座談会「神道とキリスト教」において次のようなことを語っています。
神の憤りとは人間がいけないからその罰として神が発するものではなく、神がその憤りを発する理由がどこまでも分からない。
神が憤るのは人間がいけないからだ・人間が何か悪いことをしたから神が怒ったに違いないと考えるのは、道徳倫理が完成した後の時代の人々の感じ方なのです。
既成の道徳基準があれば、人々はそれに照らし合わせて・神がこれほど怒ったのにはこんな理由があったに違いないと後で納得できる説明を付けようとします。
しかし、道徳がまだ成立していなかった古代人には照らし合わせるべき倫理基準などまだなかったのですから、人々には神が怒る理由など全然想像が付きませんでした。
『神の怒りに当たることと言う怖れが古代人の心を美しくした』(折口信夫・「道徳の研究」・昭和29年)
そのような理不尽な怒りを神はしばしば・しかも唐突に発しました。
例えば地震・台風・洪水・旱魃・冷害などの自然災害がそのようなものです。
このような時に古代人は神の怒りをみずからの憤りで以って受け止めたのです。
みずからの憤りを自分の内部に封じ込めて黙りました。ただひたすらに耐えたのです。
そうすることで古代の人々はみずからの心を倫理的に研ぎ澄ましていったのです。
「神よ、この清い私を見てくれ」と言うかのように。
古代人の 生活というものは、風雪災害や飢饉・病気など、現代人が想像するよりもずっと過酷で・辛く厳しいものであったということなのです。
そのような時に古代人は神の理不尽かつ無慈悲な怒りを強く感じたのですが、そこをグッと持ち耐えて自己を深い内省と滅却に置くことはまことに殉教者以上の経験をしたことになるのです。
貴種流離譚というものが民衆に与えた印象というものは「身分の高い人が落ちぶれて哀れな姿になって・・」というものでは決してないのです。
民衆が貴種流離譚に見たものは神の与えた理不尽かつ過酷な試練に従順に耐える殉教者の姿なのであり、それは過酷な生のなかに生きる民衆自身の姿と も自然に重なって来るわけです。
神は別に何もするわけではないのです。
しかし、神がたまらなさを感じて涙を流してくれるならば無辜の贖罪者は何かしら救われることになる・ 実はそのことだけで十分なのです。
これが古代人が神に対する時の態度です。
源内法師は身毒丸に無慈悲な折檻を強いながら、それに抵抗することなく・懸命に師の言いつけを実行しようとする身毒丸の健気さ・ひたむきさのなかに、無辜の殉教者の姿を見たのです。
『最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本の師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。
まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。(中略)
子供または弟子の能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。
それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』
折口がこのように語る時、折口は日本伝来の師弟関係のなかに、理不尽に怒る神と・神を信じてその仕打ちに黙々と耐える無辜の民衆の絶対的な関係をそこに重ねて見ているのです。
神はしばしば理不尽な怒りを発して、我々に謂れのないひどい仕打ちをします。
我々には神の意図することがまったく理解できません。それはただただ理不尽なものに思えます。
しかし、それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩むということことです。
過酷な仕打ちを受けてもなお神を信じて神に従う人を見る時、神はそのような人々に対して賜らない愛おしさを覚えるであろう。慈悲の涙を流してくれるであろう。願わくば我々を悲嘆のなかから救い上げてくれるであろうということです。
折口はそのような気持ちから道徳のようなものが生まれてくるというのです。
つまり、
神の理不尽な怒り(地震・台風・洪水・旱魃・冷害や飢饉・病気など)
→それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩む
「神よ、この清い私を見てくれ」
これが、古代の神と民衆の関係であり、師弟関係はこれをなぞっていると。
なるほど、自分がそういう目にあうのはいやだけど、ドラマや物語で接するとなんとなく納得してしまうのは、そういう古代からの宗教的な感覚が今も心の中にあるからなのかもしれない。
怪文書を書き上げたものの、表が使えるいい感じの文章発表媒体が無かったので増田を使います。
メンバーのパーソナリティアナライズをエビデンスとしてポイント付けし、ロジカルにコミット。
チェックポイントは以下の通り
チェックポイント一つに付き、1位2位3位を付け、勝ち点を4,2,1と付けていく。1位は必ず単独で付け、仮に2位が同率の場合は、5,2,2で点数を付ける。
https://imascg-slstage.boom-app.wiki/entry/idol-measurements]
特筆においては、筆者が知っている追加の公式情報を書いている。
島村卯月 | 小日向美穂 | 五十嵐響子 | |
---|---|---|---|
身長 | 159 | 155 | 154 |
体重 | 45 | 42 | 43 |
バスト | 83 | 82 | 81 |
ウエスト | 59 | 59 | 58 |
ヒップ | 87 | 86 | 80 |
出身 | 東京 | 熊本 | 鳥取 |
趣味 | 長電話 | 日浴び | 家事 |
利き手 | 右 | 左 | 右 |
特筆1 | 頑張ってくれる | プロデューサーくんという名の熊の人形を持つ | 料理が得意 |
特筆2 | 笑顔が得意 | 指で作る「まだ駄目」ポーズが必殺技 | 弟と妹が合わせて4人いる |
特筆3 | 選挙一位受賞歴有 | 会話の観察が趣味 | 嫁にしたいランキグン1位 |
島村卯月 | 小日向美穂 | 五十嵐響子 | |
---|---|---|---|
身体のエロさ | 1 | 2 | 3 |
プレイのエロさ | 3 | 2 | 1 |
知識のエロさ | 3 | 2 | 1 |
積極的さ | 2 | 3 | 1 |
ハメ外しさ | 1 | 2 | 3 |
島村卯月 | 小日向美穂 | 五十嵐響子 | |
---|---|---|---|
総点数 | 12点 | 9点 | 14点 |
五十嵐は、他二人に対して、全てのスリーサイズが小さい値になっている。
脚など、計測されない部分に肉がついているかもしれないので、
そういった点ではエロさで勝てるかもしれないが、特にケツが小さいので3位に。
小日向は「まだ駄目…」とか言ってじらしとかも混ぜ合わせてきてエロそう。
島村はボディがエロいし頑張ってくれるから、テクニックとか無しに気持ちよくしてきそう(不満ではないが改善点)。
嫁にしたいランキングの意味を一番理解しているので文句なしの一位。
小日向が二位なのは、出身の熊本は田舎なのでヤンキーの友達とかがバリバリやってるし、
中学時代の部活の先輩が妊娠して結婚とか普通にあるから、色々詳しいため。
島村は割りと育ちが良いので知識はエロ本レベルなので三位。3人の中だと一番ホモ同人とか好きそうだけど。
「お料理、得意なんです」という言葉から、自分をアピールするのが強そうな五十嵐が一位。
島村は、頑張って誘ってくれることがあるので二位。
小日向は自分からは誘わないので三位だが、めっちゃしたいときは人に聞こえるように露骨にプロデューサーくんに話しかけるので分かる。
屋外等でのアドリブ性。
一位は島村。お願いしたら絶対頑張ってくれる。いつも頑張らせてごめんな・・・。
全体的な傾向としては島村と五十嵐が反対のエロタイプとして尖っており、小日向がその中間といったところか。
今回のロジカルな採点では五十嵐がエッチしたいポイントが一位になり、
小日向は、他二人に比べて尖っているエロポイントが無かったため、三位という結果になったが、
基本的に自分は「ポルノとしての性的消費」と「芸術表現としての性描写」には質的に差異があるという立場を取っている。
ラノベやBLなどのポルノは対象の人格をリスペクトするだけのものがなく、都合のいい世界の中でお人形遊びしている(そこに暴力性、差別性などがある)。芸術表現として許容される性描写は深い人間理解と同時に理解不十分というせめぎ合いの中で生まれる(個々人の人格のアンビヴァレンツ、曖昧さ、捉えきれない無限性。もちろん古典では雑な性描写もあるが、今回は女性の人権が拡大した現代の話)。
ラノベやBLによくある都合のいい男性描写女性描写自体が他者の尊厳に対する暴力であり(テンプレキャラクター化とでもいうか)、それを象徴するかのような下手で誇張された表紙は刺激の強いグロテスクな表現だ。ただし、これはポルノ商品に限らず通俗的な「物語」全般に常に含まれる問題でもある。今回ラノベやBLが取り上げられているのは、ポルノ商品はこういった暴力がより際立ちやすいという性質を持っているため。行き過ぎたポルノ商品は芸術表現としては到底擁護不可能であり、全年齢向けで平積みするのは不適切だと考え、適切なゾーニングを求める。
ポルノ商品も社会には需要があるので表現や出版自体を規制することは権力の暴走でもあり絶対に許されるものではない。しかし行き過ぎた暴力を自由として認めることは同時に他の誰かの自由を侵害することにもなり、そこに闘争状態が生じる。だから適切なゾーニングをして被害を受ける人の数を減らすよう努力し、穏やかに棲み分けられるようにしようという話をしている。ゾーニングされてもポルノ商品を求める人は問題なく購入できるし、同時にポルノ商品を求めない人たちはポルノ商品によって無差別な暴力を受けることをゾーニングによって回避することができる。デメリットは購入者にほんの一手間余計な手続き(のれんをくぐるなど)を要求するということがある。想像力の豊かな人はゾーニングが表現規制の引き金になってしまうと危惧するが、それは権力を監視することによって回避するしかないだろう(そういった監視が面倒だという議論はあってもいいが、個人的にはまったく感心しない)。
また、「ポルノとしての性的消費」と「芸術表現としての性描写」を明確に区別することが困難であるという議論はあるだろう。まず間違いなくパラドックスが生じる。完全な境界線を引くことはできない。グレーゾーンは常にある。しかし完全な区別ができないからといって、不完全な区別まで不可能というわけではない。その辺りは政治の問題になってくる。全か無かの話ではなく、程度問題になる。だから冷静で建設的な議論が必要だ。
オタクが「こいつ話にならないな」と思うのは勝手だが、こういう考えの人間もいるということだし、社会の一員として生きて行くということは、こういう考えの人間とも折りあっていかなければならないということだ。フェミニストの言い分が100%通ることもないだろうし、オタクの言い分が100%通ることもないだろう。完全に論破して終わりではなく、妥協点をどこに見つけるかという議論が必要だと思われる。
自分がこういう顔にしたいとかいう好みは無視して美容整形医の言うことを基本的に飲んだほうがいい。
で整形終わったら顔が資本となる金の稼ぎ方するべき。
派遣社員として広告業界の大手企業に行くでもいい。あそこの人たちは根っこのところでは思考がサークルの域を出てないから顔さえ良ければ親切にしてくれる。
そんなあなたにTree of SaviorというMMORPGがオススメです。
ボコルという呪術師クラスがあり、五寸釘を人形にゴスゴス刺すことで敵にダメージを与えられます。
「なんか娘ちゃん長くない?こんなに長かったっけ?」
なんか身長が高くなり、妙に長くなったなぁと。
生まれたときは50センチほどで、今は90センチ。ほぼ2倍になってるので、感覚が追いついてないのが現状です。
体重はまだ14キロくらいしかないのに、むちゃくちゃ強いです。
どのくらい強いかというと、百均で買ったイタズラ防止の引き出しロックを引きちぎるほどに強いです。
あれ?不良品かな?と思って、再度買い直しても引きちぎり、その力を誇示しました。
現在、イヤイヤ期のピーク(であってほしい)を迎えていて、一度怒ると手が付けられません。
バパにポテト一本食べられたことで腹を立て、ポテトをパパに投げつけ(美味しく頂きました)、
はずみでジュースを倒し、中身がないことにキレていました。
泣いてる赤ちゃんがいると、駆け寄ってよしよししてくれます。優しい。
こないだもマクドの店内で転んで泣いてしまった2歳くらい男の子のもとに駆け寄り、
大丈夫?って声をかけてました。優しい。
まぁ、子供椅子に座ることを拒否し、パパにポテトを投げつけ(以下略)の直後でしたけどね!
最近は保育士さんの後追いするようで、保育士さんが嬉しそうに話してくれました。
え?パパには?
パパが同じようにどこかに行こうとすると、じゃあねー、と声をかけてくれます。
嘘だよ!ツッコんで!ツッコんでよ……。
むちゃくちゃすばやいです。おむつ替えが嫌いでいつも逃げるのですが、
すごい元気です。イオンモールに行こうもんなら、隅から隅まで探索し、棚を荒らしまくります。
本人は我が物顔で闊歩していますが、パパが後ろから危険を取り除き、棚を片付けていってます(汗)
大人の茶碗一杯分のご飯を平らげたあと、オカワリを要求します。
正直引いてます。
でも行動量のおかげが太りません。管理栄養士にもオッケイもらいました。
そんなにたくさん食べるのに野菜は食べません。
パパの見てないところでこっそりと床に落とします。
落としちゃった!と言ってます。実はパパは見ています。嘘ないよ!
なんだ!ただのグルメかー。(すまない)
臆病です。怖がりです。今まで怖いもの知らずだったのに、3歳になって急に小心者になりました。
牙があったり、爪が尖ってたりする怪獣、恐竜、爬虫類のものが苦手です。
でも好奇心は旺盛です。怪獣のぬいぐるみはパパの手を押し付けて、安全を確認してから触ります。
パパの手はどうなってもいいの!
キッズスペースに娘ちゃんが苦手なヘビのぬいぐるみがありました。可愛い見た目ですが、大きいです。
そのヘビを意識しながら、部屋の隅で遊んでました。
最近は人形遊びが大好きです。キッズスペースにあったベビーカーに乗った人形さんで一生懸命遊んでいました。
うぉー!!!という掛け声とともに、ベビーカーごと人形を、その大きな蛇のぬいぐるみにぶつけてました。
娘ちゃーん!手段を選んで!
さぁ娘ちゃんは、〇〇の中になんて言葉を入れてくれるでしょうか?
やっぱり大好きぃですかね?