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はてなキーワード: 中学校とは

2023-07-29

酒々井町という平凡な田舎で生まれ育った私は一橋大学商学部在学中、ストックホルム商科大学留学。そこでストックホルム貴族達の有色人種虐殺計画を知った。

帰国後、大学卒業叔父の家に居候しながら1年間勉強神戸大学医学部医学科に進学。大学卒業後は初期研修に進まず基礎の道へ。

結果的にはストックホルム貴族達の不興を買うことを恐れた教授たちから追放されサナトリウムに拘束された。

活動開始後に知り合った男性の父はストックホルムの息のかかった医師から毒物(SGLT-2を阻害し血糖値抑制すると謳っているが、実際にはランゲルハンス島活動抑制してインスリンの分泌異常を促し、膵管内における悪性腫瘍増殖と他臓器や骨への湿潤を促し死に至らしめる薬剤である)を投与され膵臓癌に犯されていた。

ここまで来て初めて彼は私の元に助けを求めてきたが、ここまで来ると既にどうしようもない。

私はせめてもの延命を行うため、酒々井町で収穫された新鮮な青梅と氷砂糖を瓶詰めにしたシロップ炭酸水で割り、それを男性の父に与えた。

彼は当初既に殆ど食事ができる状態ではなかったが、梅シロップ炭酸水割りと処方薬断ちにより徐々に軽快し、最終的には医師からの余命診断(実際には計画に基づく死の予定日)を大幅に超える4年を自宅で健康に過ごし、最後心不全によって眠るように亡くなられた。

これと対照的であったのが、酒々井町酒々井中学校同級生であり千葉県立成東高等学校から日本女子大学に進学した私のかつて交際していた女性である

彼女栄養士として働き、夫と幼い子供幸せ生活を送っていたものの、計画子宮頸がん発症最後ステロイドを過剰投与され死に至った。彼女の無念と死は工作員を通じてストックホルム貴族達に報告され、彼らの晩餐会における肴となったのである

この醜悪な現実に対し、ベルナドッテ家は人間としての良心から怒りを感じているようではあるが、立憲君主制スウェーデンにあって外国出身君主の力など狡猾で老獪、かつ軍産複合体金融資本と結びつき力と金も持つストックホルム貴族達を牽制するには遠く及ばないのであろう。

これがベルギーのサクス=コブール=ゴータ家のように欧州屈指の財産(この財産レオポルド2世の血塗られたアフリカ政策によって築かれたものであるということには注意)を持っているならば貴族議会軍産複合体牽制することもできたのであろう。

いずれにせよ、北欧至上主義に基づく人種政策地球規模で推し進め、ストックホルム世界体制を維持しようとするストックホルム貴族達をなんとしても挫かねばならない。

そして私たちの子供の命を守らねばならない。

これは善良な日本人ならば誰もが負う義務であろう。

anond:20230729104114

私はこの何も起きない町の周囲よりは少しばかり裕福な米農家で生まれ育った。

父親は県立高校で教鞭を執りながら祖父とともに清酒用の米を作り、休日には手繰川印旛沼沿をぶらぶらしながら空気銃で鴨を撃つのどかな人間であった。

酒々井町酒々井中学校に在学中、私は坊主頭拒否し横分けを貫いていた。そんな私に対してある1人の教員は事あるごとに拳骨を浴びせてきたが、それほど大事にはならなかった。それほど酒々井のどかな町であったのだ。

千葉県佐倉高等学校に在学中、私はよく手繰川まで自転車を走らせ鰻を釣った。これを庭で焼き、甲子正宗とともに一杯やるのが最高なのである

当時、千葉県立成東高等学校に在学していた私の彼女は私がヘベレケになる様子を見ながら「高校生でお酒飲んで煙草なんか吸ってるとがんになって死んじゃうからね!」とよく叱った。

彼女とは大学卒業頃に疎遠になった。日本女子大学に進み栄養士となって病院で働いていた。私が一橋大学商学部卒業し、さら神戸大学医学部医学科に進み、そこを卒業する頃に他の男と結婚した。

「がんになって死んじゃうからね!」と言っていた彼女子供を産んですぐに子宮頚がんに襲われた。

私は彼女を救おうとしたが、その頃既に私は酒々井で「気狂い」の烙印を押されており彼女入院しているのが千葉県東金病院であるということを聞き出すのも一苦労であった。ようやくたどり着くもストックホルム貴族達の息の根のかかった千葉県警に拘束され、私がプロポフォール意識を奪われている間に彼女亥鼻医局員共にステロイドを過剰投与され殺された。

私はストックホルム貴族達への怒りを一瞬でも忘れた時はないのである

良く考えたらちゃん勉強してたの中学校までだった

2023-07-28

一つたしかに言えることがある。

あの日千葉県東金病院にて亥鼻差し向けた医局員たちは私にプロポフォールを投与した。本来麻酔科医がいなければ使用できない薬剤で私の意識を奪った。

そして、癌性腹膜炎によって苦しむ彼女ステロイドを過剰投与し、夫と幼い子供の前で彼女を殺したことである

薄れゆく意識の中でさまざまなことを思い出した。酒々井中学校卒業式彼女から詰襟ボタンを求められたこと。休日には成田参道を共に歩いたこと。南酒々井駅で初めて口づけを交わしたこと。私が好きだった成東駅近くの和菓子屋最中学校帰りによく買ってきてくれたこと。

千葉県立成東高等学校から日本女子大学に進み、栄養士として社会に貢献し、夫から子供からも愛され続ける筈だった彼女人生ストックホルム貴族達によって閉じられた。

私が医局追放される前(思えばあの頃から教授たちは私の査問の準備をしていたのであろう。いつも私に良くしてくれた講師がやけによそよそ態度を取った時期である)、彼女電話した。彼女から泣きながら言われた言葉は「あなたは頭がおかしくなってる」であった。その一言彼女電話を切った。

思えば、彼女は皮膚病があった。肉も好きだった。消化器と皮膚の炎症がマクロファージからサイトカイン放出を促し、予防接種を通じて肝細胞に仕組まれシステムが既に作動していたのではないか一種せん妄状態であったのであろう。

千葉県佐倉高等学校に在学していた時に親しくしていた部活の先輩も、執拗に私をサナトリウムに拘束しようとしていた。彼もやはり持病によってCRPは上昇しやすい傾向にあった。

もし、一橋大学商学部在学中にスウェーデンへ行くことがなければ、私も彼らのように何も知らず、怒りを感じず、穏やかに酒々井で仮初の幸福享受することができたのであろうか。

しかし、知ってしまった限り動かねばならない。ストックホルム貴族達をはじめとした白人至上主義者どもの醜悪計画を挫かねばならない。

私の父について触れておこう。

私の父は県立高校教師をしながら祖父とともに清酒用の米を作り、休日には空気銃で鴨を撃つのどかな人間であった。

中学3年生の私にタバコと酒をすすめ、共に甲子正宗を飲むような人間でもあったわけだが。

母は現在千葉市緑区出身中学音楽教師であり、米農家に嫁ぎながら遂に田んぼに足を踏み入れることを拒否したまま生涯を終えた。

私は何事も起きない小さな町で生まれ育ち、何事も起きないまま酒々井町酒々井小学校酒々井町酒々井中学校、千葉県佐倉高等学校へ進んだ。

父は私に農家を継がせることを嫌がり、東京大学へ進学して霞ヶ関役人となることを求めた。私が代ゼミの寮で心変わりを起こし一橋大学商学部に進学すると、少し落胆したようであるが、公認会計士合格しいずれは叔父税理士事務所を継ぐように求めた。

私は親に反発するほど自我の強い子供ではなかった。父の言う通り、一橋大学商学部で学び公認会計士となり、監査法人での勤務を経ていずれは叔父事務所を引き継ぐものだと考えていた。そして、共に酒々井中学校で学び千葉県立成東高等学校から日本女子大学に進み管理栄養士を目指していた当時の彼女結婚し、酒々井町にて父と同じように家庭を築くものだと。

私が目覚めたのは留学中であった。ゼミナール指導教員に薦められるまま、ストックホルム商科大学留学した。そこで財界人の子息達と知り合い、招待されたローベン島離宮パーティーストックホルム貴族達と彼らの思惑を知った。思惑について詳しく知ったのはチェコストックホルム貴族達やリヒテンシュタイン家の人間達と鹿猟に興じている時であったが。

私は日本に帰り、一橋大学商学部卒業すると叔父事務所居候しながらこそこそと勉強神戸大学医学部医学科に進学した。

今までの私の歩みを見ていれば、私が公認会計士となり父と叔父の願いを果たすのは自明であったろう。しかし、私の瞳の怒りの炎を感じ取ったのか、父は怒るでも小言を言うでもなく、神戸へ送り出してくれたのだ。

私が医局から追放され、とある田舎サナトリウムに拘束されて以来父とは縁が切れてしまったが、慣れ親しんだ酒々井町の自宅で生涯を終えられたことは知人から聞いた。

一橋大学商学部在学中、私は友人や教授などお世話になった人に何かと酒を振る舞うことが多かった。

甲子正宗、梅一輪、寒菊。

酒々井町で生まれ育ち、酒々井町酒々井中学校に通っていた私は3年の頃から父と晩酌し始めた。千葉県佐倉高等学校に通う頃には手繰川で釣った鰻を庭で焼き甲子正宗を飲むような人間になっていた。

酒々井中学校から千葉県立成東高等学校に進学した私の彼女は酒と煙草をとても嫌い事あるごとに「ガンになっちゃうよ!」と怒ったものだった。

そんな彼女は私と別れ、私が神戸大学医学部医学科を卒業する頃に他の男と結婚した。そして子供を産んですぐに子宮頚がんにより亡くなった。

当時、既に私は神戸大学医局追放されていた。千葉県東金病院に駆けつけた私をストックホルムの息の根がかかった千葉県警は拘束し、千葉大学医局から差し向けられた医師達はプロポフォールの投与を命じた。

私が目を覚ました頃に彼女は亡くなっていた。恐らく怖気ついた亥鼻医局員たちがステロイドを過剰投与したのだろう。

彼女の夫は自分の愛する妻がストックホルム貴族達によって殺されたことも知らず、直接手を下した亥鼻医局員たちに頭を下げていた。

私はあれほど怒りに震えた日はない。

anond:20230727215246

まずお前は親をやめろ!

親が自分をハッタショと呼んでるなんて子どもが知ったら、マジでこの世に絶望するぞ。

鬱になるか、ならなくともお前は老後に仕返しされることを覚悟しとけ。

親なら子どもに寄り添えや!

さて、オレはまさにこの子どもと同じパターンだった。

数学はめちゃくちゃ得意で幼稚園から公文を楽しんでやっていて、小学校入学する頃には中学校範囲をやってたわ。

高校地域進学校進学クラス数学で一位を取る一方で、国語はまともに作文すら書けないという感じだった。

ただ、勉強で一つでも強みがあれば他にも活かせる。オレはロジックが得意ということが分かったので、理詰めで国語問題を解けるようにしたら国語も得意になった。公文数学だけでなく国語もやると良い。

あと体育は何も教えられないとただ不得意になって鬱になるだけなので、すっぱり諦めて良いと言ってやるか、運動神経悪い事を受け入れて寄り添って教えてくれる専門プライベートコーチを雇え。

酒々井町酒々井小学校酒々井町酒々井中学校千葉県佐倉高等学校代ゼミの寮に入り1年間の浪人生活→一橋大学商学部(在学中にHandelshögskolan i Stockholmに留学しヴァレンベリ一族の1人と交流)→叔父税理士事務所で働きながら勉強神戸大学医学部医学科→大学院医学研究科→査問にて研究室から追放を言い渡され研究結果も全て破棄→ヴァレンベリ家の1人(北欧至上主義に異を唱える良心人物)の援助を受けながら、各地を転々とし草の根活動継続

2023-07-26

ビッグモーター事件から考える日本企業

2023年7月25日

ビッグモーター社長記者会見を行っていた。


記者会見の前に様々な悪行がSNSであふれてた。

それを見たとき既視感があった。

「あ、これ以前働いていた会社そっくりじゃん」と。


どの業界でも存在する企業体質だ、と思った反面、個人的には今後活躍する若い世代に残したくない企業体である

私の一意見ブログにし、誰でも見られるようにと考えた。


私は以前教育業界にてある企業に勤めていた。

この企業は、小学生対象中学校受験対策から個別指導大学受験対策まで行っている企業だ。

会社の主部門小学生対象部門。私は大学受験対策の一部部門で働いていた。少し特徴のある部門だったが、私の強みが活かせると考え転職したのだった。


強みが活かせると考え入社はしたものの、すぐに企業の実情を知ることとなった。

上層部から一方通行なありがたいお話を1時間聞くだけの名ばかり会議

利益第一主義体質から行われる売り上げを作るための不要な講座作成

不要顧客への営業強要

・「〇〇に参加しないと落ちる」など不安をあおる営業手法

・人を集める=売上を増やすためのコース設定

などだ。


私は「指導」に興味を持ち教育業で働いてきた。

指導」が「売上」に繋がり、「結果」に繋がる。その「結果」を見て翌年顧客が来る、という自分なりのビジョンを掲げていたがこの会社はそうではなかったらしい。


教育業ではあるが、同僚と話をするのは「指導」の話ではなく、いかに売上を作るか、いかに人を集めるかであった。

とにかくその年の売上、前年に対して決められたパーセンテージを超えれば、達成。

翌年?異動するから別に関係ないよね、だそうだ。

指導について語ったことはほとんどなかったように思う。

要は、入学お金さえ落としてくれればあとは授業だけ出席させばよい。退学だけ阻止すればよいよね。釣った魚には餌なんてあげないよ、だ。

悪天候で流れた授業の補講は行わなくて良い、なんて仕組みを聞いたときには驚いたものだ。

今年も合宿にいく?らしい。行かなければ前年と比べて売上が下がってしまうからな。


しかし、教育とはいえ株式会社である会社目的利益の追求。

我々の評価も「売上」すなわち予算の達成で決まる会社だった。「指導」や「受験結果」については一切評価基準にはなかった。

会社なので慈善事業ではない、利益を追求する必要があるのはわからなくもない。

一方で利益について、予算が達成できていない、予算に対して大きく乖離がある、その場合は前述の会議上司からつるし上げをされるわけだ。

立地的に集客が厳しい校舎もあった。エリア的に集めていたが、予算があり得ない数値になっていた。予算未達なだけでつるし上げをされていた校舎もある。


それでも私の部門比較的穏やかだったと聞いた。

他の受験部門個別指導部門では、それこそビッグモーターのようにLINEからつるし上げをされていたとも話に聞く。

経営からすれば我々のような一校舎の長は「売上」を生み出す「労働力」でしかなく、「売上」を生み出せない「予算」を達成できないのはただお前の頑張りが足りないだけと思っていたのだろう。


私の在籍していた部門は、退職前には予算達成が厳しい数値になっていた。

以前までのブランドを活かせず、入学者数にどの校舎も苦しんでいた。おそらく、コロナ禍による家計の急変、物価高騰による教育費が家計に与える影響増、そして、ブランドの信用を失いはじめたなどだろう。

その際、上長部門長に近い人間から言われたのは「このままじゃ働く校舎がなくなるよ?」「原因は何だと思う?」だ。

上長部門長にあたる人間はこの状況について、原因を見つけようとせず校舎の責任に投げたのだった。

彼らも予算未達についてその上の経営陣に晒し上げにされたのを我々に落としているだけだったのだ。


結果、私はその企業退職した。

教育業ならば利益最優先ではなく、全うな「指導」を対価に顧客からお金を頂く仕事がしたいと思ったこと。

自分自身が納得し、顧客に対して必要もの提供したいと思ったからだ。


今回のビッグモーター事件を見て、

・どの業界にもあくどい企業はいる。

・そういう企業ほど利益を出しているため世にはばかる。

・見せ方が上手い

だ。

私が在籍していた企業も見せ方は上手かった。誠実さ、人が一番です、優先すべきは人です、なんて述べておきながら、実情見ているのは金だった。


顧客となる方々は難しいとは思うが、そのような企業を「見抜く力」が今後要求されるのだろうと、思ったニュースであった。


ビッグモーターでは、店舗店長うつ病発症した、そんなニュースも流れていた。

どの業界でもこのような企業体質ばかりでは、これから社会で働く若い世代も働きにくいであろう。

利益至上主義で人に顧みない企業はすべて体質を改めてほしいものだ。

個人的には体質は変わらないと思っている。ビッグモーターや私の勤めていた企業をはじめ、このような企業顧客から信用を失い、選ばれなくなり、倒産して欲しいのが私個人の願いだ。


少なくとも、自分が働くこの環境はそうならないように。

そして、これから活躍する若い世代が自信をもって納得して働くける環境を作る、そう私自身を戒めるニュースでもあった。


つたない文章であった。お目汚し失礼した。

anond:20230726212316

ダボダボズボンヤンキーかいなかったの?

授業中に机に足上げてる奴も?

中学校ナイフ持ち込んで見せびらかしてた奴も?

犯人読書感想文じゃなくて受験

大学生論理的文章を書けずお気持ち構文になってしま問題、原因は入試就活にあるのではないか

一般入試入学する学生は今の時代、半分程度らしいじゃないか。残り半分の多くは「高校時代何をしたか、その経験で何を感じたか大学生活で何をしたいか」という、まさに「自分経験感情、頑張りたいですというお気持ち」を自己PRして入試突破してきた。そのフォーマットにあった文章や考え方を鍛えてきたわけだ。

そして大学3年生になれば就活が始まる。ガクチカかいうやつはまたしても「学生時代に何に力を入れたか、その経験で何を得たかフォーマットだ。そして「御社では〇〇の経験を活かして活躍したいと思います」と思いを語る。

大学受験や大学生活の方が、小中学校時代に年一回夏休みの宿題で書かされる読書感想文より、よほどお気持ち構文を訓練している。

現状、お気持ち構文は彼らの人生にとって有用なんだから思考方法お気持ち構文よりになってしまうのは当然の帰結ではなかろうか。

anond:20230726154948

どの時点で 親になる資格が無い を判断するの?

精通の平均年齢は13歳なので、かなり早めの段階で資格の判定をしないと手遅れになっちゃう。

中学校への入学時点で性格面や収入面など多角的判断、親になる資格を与え失格者はその時点でちんこを切ってしまう。というのがいいかな。

2023-07-25

キッズ給食しょぼくなりすぎ問題

ワイ昭和生まれオジ

中学校給食がしょぼくなりすぎていてビビる

これが衰退国家か…

公立中学校勉強バカにする圧よりも恋愛バカにする圧の方が弱者男性の生育に寄与していると思った

2023-07-24

振り返ってみれば公立中学校に入って1~2歳しか違わないクソガキに先輩面されながら苦痛しかない部活を3年間続けたのが人生の敗着だったな

まり小学校の段階からやり直さないとこの人生のバッドエンドは回避できない

終わってる

2023-07-23

anond:20230723195138

例えが下手すぎて草も生えない

ネトウヨがどうとか言う前にお前はまず中学校入り直して日本語習いなおした方がいい

2023-07-22

ミソジニーモテない

ミソジニーってよく分かんない。

中学校モテなかったから女嫌いになったんじゃないか

何となくそう思ってるけど、これって偏見なのかしら。

女性無視されたり邪険にされたか

復讐の為に女性攻撃してるのがミソジニー。違うかな。

もし違うなら、過去モテてたけど今はミソジニーしてますって男が存在するはず。

anond:20230721235937

読んでなかった?

ちなみにエリオット女性に対しての自信を喪失する原因となったのは、中学校同級生で大変キュートブロンド嬢、モネット・モーイオさんへの決して口に出すことのない片思いであった。モネットさんはエリオットにはまったく目もくれず、気味の悪いタイプの生徒、負け犬という目で見ていたとのこと。それが一生忘れられない屈辱となったとしている。

2023-07-21

中学校部活

高校部活

大学講義

仕事

時間がすぎることを願うばかりの人生だった

内申点世間体のために

好きでもない興味もないことに従事して

何一つ主体的にやろうとしてこなかった

名残惜しい時間を過ごせないまま年を取ってしまった

娘よ、パパは小学校が嫌いだった。

今年、娘が小学生になった。都内公立小学校に通っている。そんな娘に「パパは小学校しかった?」と聞かれて、僕は「楽しかったよ」と答えたけど、これはハッキリ言って嘘だ。

娘に変な先入観を持ってほしくないから、ポジティブに答えたけれどパパは小学校が大嫌いだった。正確には学年が上がるとともに制度先生が嫌いになっていった。

平成初期に生まれた僕は小学校3年生まで80年代に開発された所謂ニュータウンに住んでいた。比較若い住民が多く、大きな電機メーカー工場などが集積していたので、所得教育水準もそれなりに高かったのだと思う。小学校も開校20年程度だったと思う。好きな先生もいたし、友達ともよく遊んだ。指の皮が剥けるまでスマブラ64をしていたと思う。

その後、両親の離婚を経て、僕は母方の祖父母の家に住み、かつて祖母や母が通ったという小学校に転校した。明治時代からある古い学校だった。

カルチャーショック

この学校に転校した時は激しいカルチャーショックに見舞われたので一部ご紹介する。

1.男女でトイレが分かれていなかった。壁際に小便器がずらっと並び、その後ろには個室が並ぶ。要するに男子便所と同じ構造だ。そして、この個室には男子女子関係なく入る。ジェンダーレストイレが話題になった今となっては時代最先端なのかもしれないが、当時は本当に驚いた。

2.自転車に乗っていいのは小学4年生から自転車の解禁が小学4年生以降だった。何も知らずに毎日自転車乗っていたら、ある日学年集会でいきなり晒し上げられてルールを知った。

こういう一つ一つ、当時の自分が嫌なポイントが増えていったのだが、決定的だったのは先生の質の低さだ。

小学校先生たち

3年生当時

30歳前後/女性

とにかくヒステリーをよく起こす人で、どうでもいいことで一々叫び散らす先生だった。クラスで少し問題があるとなんでもかんでも集団責任と言い、一々放課後に全員で居残りさせられて迷惑だった。クラスいじめられている子がいて、僕は転校生クラスヒエラルキーの外にいたので、助けようとして喧嘩になったら怒られたり、その放課後に、このクラスいじめはありません!とか宣言しててこの人もうダメだと思った。毎日上履きに泥を詰められたりして、◯◯菌とか言われてる奴がいじめられてなかったらなんなんだろう。

4年生

40代後半前後/男性

この先生はかなり変なおじさんだったが、好きだった。いつも扇子を持ち歩き、教室に畳を敷いて、カーテンを簾に変えていた。将棋趣味将棋を教えていた。その先生から将棋を教わって将棋を始めたクラスメイトはその後、当時史上最年少で女流棋士としてプロになったのでその一点だけでも凄い人だと思う。

5,6年生

30代半ば/男性

この人はマッチョな見た目そのままの脳筋だった。子供ながらこんなに頭悪いのに学校先生になれるんだなぁ、と思ったものだ。悪気があるのか無いのかわからないが、事ある毎にうちが母子家庭であることをクラスで話し、当時は今ほどシングルマザー理解も無かった時代、そして土地柄。そのせいでクラスメイトやその親から「お父さんいないってどんな気持ち?」と聞かれたり、煽ってくる奴がいた。

決定的におかしいと思ったのが、成績の評価だった。大前提として、僕は公立小学校程度のテストならばどの科目も殆ど100点以外取ったことが無かった。年に1回の県統一学力テストでも成績は学年1位だった。そういうわけで国語算数理科社会通信簿は常に5段階中の5以外もらったことがない。

ところが、僕はこの先生に「3」を付けられたのだ。そして、自分より頭の悪い子が5を取っていた。この成績を見た母は「1学年1位の息子が何故3なのか?」と学校に問い合せた。実は当時、通信簿評価がそれまでの相対評価から絶対評価に切り替わった。先生曰く、生徒一人ひとりの成長を元に点数を付けることになったが、100点しか取らない僕は成長が見られないので中評価だという説明だった。

それに加えて、各科目の課題や授業に対する態度が悪いということ。具体的にはドリルとか問題集とか、その学期を通して行うべき課題最初の1週間で全部終わらせて提出したことが悪い、授業中騒いだり他のことをしたりするわけではないが、かと言って授業も真面目に聞いていないことも理由であったと。

全く意味がわからなかった。

学校簡単テストは100点以外取りようが無いのに、どうやって成長を示せばいいのか。簡単宿題を早く終わらせて一体何が悪いというのか。教科書を読めば一瞬でわかることを延々と説明する授業の一体なにを聞けばいいのか。僕は授業の邪魔することもなく、ただただ黙って大人しく時間が過ぎるのを待っていたのに。

ちなみに結局その後、試しに中学受験に向けた全国模試を受けたら偏差値は55~60くらいしかなくて、中学受験組の中では精々中の上程度だとわかった。そして日能研の「シカクいアタマをマルくする」とかい広告問題全然解けなかった。別に自分が頭が良いわけではないことを理解出来た。そして実際に市川という上の下くらいの中学校になんとか滑り込んだ、というのが僕の実際の実力だ。開成筑駒?渋幕?全然無理、って感じ。

何故嫌いになったのか

当時を振り返ると嫌いになった要素がいくつかあると思う。

まず第一に、制度問題日本公教育は、基本的に出来ない子に合わせざるを得ない環境であり、そもそも人間としての最低限の指導しかしてもらえない。加えてその基準は非常に低い所にありすぎて、子どもたちの学力すらもまともに測れない。物差しすら用意していない。当たり前のことが出来るだけでメーターを振り切ってしまう。そして相対評価の謎運用無駄な不平等を生み出している。

そして先生問題先生の魅力というのは、学力だけでなく教育への熱意や広く言えば人間力など様々な観点があると思う。そしてその仕事過酷さが度々話題になるように大変な仕事なのもわかる。

しかし僕が出会った先生は今思い出してもヒステリーなオバさんや脳筋が多く、学歴的にも大凡他人に物を教える事ができるようなレベルではない。人間力含めたって精々小学生くらいにしか教えを説けるレベルになかったと思う。

考えてみれば、そこそこの学歴を持つ友人を見渡した時、高校教員大学教員になった奴はいても小学生相手をしている奴なんて殆どいない。

そんなことを考えると、子供私立小学校に入れる選択肢を考える親の気持ちもわかる。ただ、個人的には小学校の時に悪かった友達大人になって逮捕されたりしてるのを見ていると、人種の坩堝に身を投じて色々な人がいるということを理解するのも大事な気がする。

娘よ、そういうわけでパパは小学校が嫌いだった。お前が思ってるよりしょうもない大人先生をやっているからな。そういうことにも一つ一つ気づいていきながら人生を歩んで欲しい。

anond:20230721092943

何コレ珍百景で卒業式の様子が放送されてたはず。

https://rongkk.com/nanikore-2019-4-7-6/

あとこの映画で始業式の様子が写ってる。

https://www.amazon.co.jp/%E5%B3%B6%E3%81%AB%E3%81%A6-%E5%92%8C%E5%B3%B6%E5%8D%81%E5%9B%9B%E7%94%B7/dp/B095ND9HCZ

中学校は生徒が1人だが、学校には校長教頭担任副担任養護助教諭の5人の先生がいて、給食は新くんのお母さんが作っている。島に同世代の子どもがおらず、新くんは放課後 毎日のようにお父さんと海釣りをし、釣った魚を自分でさばいて夕食に食べる生活をおくっている。学校生活では、定期的に本土運動会クラブ活動に参加して本土の生徒と交流もしており、時には本土友達が島に遊びに来ることもある。島では、新くんが淋しくないように島民の方々が学校行事積極的に参加、島の住民みんあと多くの時間を一緒に過ごしてくらしてきた。

anond:20230721093921

休校、ってなってる中学校もあるが、どうなんだ!

数年後に別生徒が入学する可能性があるから休校なんじゃないのか!

日記

https://dailyportalz.jp/kiji/my-hospitality-tour-narita 

面白かった。

推しハーレーにのって羊羹配達してほしい。

自分はそんなに地元を紹介できるほどの思い出があるかな小学校にいたK市ならちょっとあるけどもう店はないなぁ。小学校中学校と通学路があるくらいか

 中学校くらいから思い出のあるU市はどいなかで、高校で駅舎が木造でなくなったし入鋏もしなくなったけど今めちゃくちゃきれいだし。デパートも建ったし潰れたな。同級生なんていないだろうな。

 高校は送迎の自動車自転車移動だったからAの駅とかかな。Aの駅に駅そばがあったと思うのは記憶の間違いだろうか。

 T駅のほうが栄えててこういう思い出ができそうなものだけど。アニメグッズはそこにしかなかったけど定期の外でいけなかった。

 駅のない大学から自分でなんでも選べて楽しかったけど、サークル試合の都合で全国旅行してたなあ。

 地元愛とか育てる環境になかったな。今は地元愛を育てられるんだけどネットでとりよせちゃうもんな。昼飯のために外にいったら焦げちゃう

・というか当時は親が支配的すぎた。金もなかったし友達とふらふら遊び回りたかったけど塾とかいかされてた。

 塾にはたぶん行きたくなかったけど母親支配がないだけでなんか幸せな気がして通ったし、なんなら家より寝てた。貧血だったなあ。

母親は何十年生きても今も支配的で、帰省すると昼食はぜひこの店をと(その食材アレルギーがあって食べられないっていってても)押しつけてくる。

 口を開けば聞きたくない話を延々としているしこちらの話を聞かないので本題が全くすすまない。

 耳が遠いのか、聞く耳持たないのか。学びも当然ないので正直いってたいしたことなくてつまらないけど、田舎町ではそれでもしっかりしてるほう(のつもり)だろうな。

 昭和生まれ父親にとっての社会アダプターだったんだろうけど、おかげで子供達には父親社会人としての顔がほとんど一切知れないまま逝去した。

 母は一般的にいう社会と一切相性が会わない、よくしゃべるタイプの野生児だなぁ。

結論母親支配悪魔チェンソーマン)よりよほど支配である

 

高校同級生ゆびとまだのfbでみるかぎり全国に散らばってるけど、同窓会とかやってんの?行かないけどさ。趣味あわなそう

・うーん、やっぱ引っ越し先でできた新しい友達こそ大事にすべき、か。

友達なのか?なんか年上ゆえ上司みたいに腫れ物みたいにあつかわれるのやだなぁ。

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