はてなキーワード: マツモトキヨシとは
どこのスーパー、ドラッグストアに行ってもリカルデントが無い。あの噛み応えと味の持続力は他のガムじゃ替えが効かないのに。
少し前まではたまにツルハドラッグで目撃したんだけど、ここ最近はCloretsとXYLITOLが外来植物みたいに繁茂してきてガムコーナーの席が奪われている。あんな外人のtinpoみてぇなフニャフニャのガムなんか食えるか。
耐えかねてAmazonで買ったんだけど、Amazonで買うと3個セットとかになってちょっと多い上に、3個全部味が統一されていて嫌だ。しかもAmazonで食品買うの少し怖くねーか。封切られてなかったから大丈夫だと信じて毎日食べてますよ。
しかし今机の上に置いてあるリカルデントのボトルの底には残り3粒しかないので今日明日には何としても手に入れなきゃいけない。
回った店舗
2024年の現在から過去数十年を振り返った際の重要なイベントやトレンドに関してまとめてみた。筆者の出自(旧来側の小売企業に所属)によって、記載の濃淡がどうしても出てしまうが、その点は容赦いただきたい。
大型店舗の新規出店に対して規制をしていた「大規模小売店舗法」が1991年に緩和され
2000年に廃止された。経緯としては、日米間の貿易摩擦に対する折衝の中で日本の国内産業障壁の一つとして指摘されたことによるもので、大店法緩和の象徴として日本に進出したのがトイザらスである。しかし、大店法の緩和と廃止によって生じたのは米国企業の進出ではなく、商店街などの中小小売業の衰退とロードサイド化である。我々が日本の各地で目にしている、寂れた中心市街地と画一化されたロードサイド店舗が並ぶ郊外の風景は、これによってもたらされた。
楽天市場のサービス提供が1996年、Yahoo!ショッピングが翌年の1997年である。小売の各セグメントにおいて、Eコマースは食品スーパー、コンビニ等を抑えて堂々の一位にある。あまり詳しくないので記載はこの程度。
岡田卓也が社長を務める岡田屋ほか3社が合併し、ジャスコ株式会社が誕生。
大店法緩和以降(第1位参照)の小売業の郊外進出の時流に乗って積極的に出店と企業統合および業態の拡張を行い、イオンへの屋号変更を経て、日本最大の小売グループと成長していく。
米サウスランド社から前年にライセンスを取得したイトーヨーカドーが国内第1号店として、東京都江東区豊洲の酒屋を改装しオープンした。大店法緩和以降の、中心街および市街地における店舗フォーマットとして、フランチャイズにおける小型店舗という、毀誉褒貶の伴うビジネスモデルを確立した。国内初のコンビニに関しては実は諸説あるらしいが、いずれにせよ豊洲店が現在まで続く流れの中で最も重要な存在であることは間違いがない。なお、豊洲店は今なお営業しており、従業員に国内初のコンビニであることを尋ねると、嬉しそうな反応が返ってくる(何年か前の話)。
2000年にフランスの大手スーパーマーケットのカルフールが日本に進出し千葉県幕張市に店舗をオープン。また2002年には経営不振に陥っていた西友を買収する形でウォルマートが日本に進出した。しかしカルフールは2005年にイオンに売却され、ウォルマートも2018年に西友の経営から手を引いた。
両社の進出当時には、EDLP(エブリデーロープライス 特売に頼らない一定の値付け)や卸などの日本的商習慣の打破に対する期待もあった。両社の撤退後、国内のリアルの小売業は日本資本が担っていくという流れが決定的となった。一方で、川上側の流通構造の変化については、イオンやユニクロ等が手をつけていくことになったのだが、そこに海外大手の進出の影響があったのかもしれない。知らんけど。
ユニクロがフリースを目玉商品として原宿に出店した。ロードサイド型のフォーマットは、レンガを基調にしたオールドユニクロファンには懐かしい店舗スタイルで1985年にすでに最初の店舗をオープンしていた。地方発祥の一量販店に過ぎなかったユニクロが、原宿のオープン時に社会現象と言われるまでのニュースになり、以後は全国的なブランドとなっていった。またフリースから始まったユニクロオリジナル商品はジーンズなどの数々のヒット商品を経て、単なるアパレルショップという業態からSPA(製造小売)という別のビジネスモデルへの転換へと繋がっていった。今では想像もできないが、昔はユニクロでもリーバイスのジーンズとか売っていたのだ。
スマートフォン発売当初は、国内ではいわゆるガラケーと呼ばれた従来型携帯電話が主体であったが、2010年のiPhone4あたりから潮目が変わり始めて、スマホの普及が加速した。これに伴い、ECの担い手も従来のPCからモバイルへと変化していった。
今となっては想像もできないが、当時はECで買い物をするときには、PCの前に移動してブラウザを立ち上げてから買い物をすることが必要であった。
ネットとリアルの統合とかそういったことがこの頃から言われるようになった。リアル店舗における買い物体験については、モバイル化によって、当時期待していたほどに変化したとは言えないが、今後も続く大きな流れではある。
また、このモバイル化とほぼ同じタイミングで東日本大震災(2011年)があったのは、巣篭もり含む社会情勢変化の中で間接的な影響はあったのではないかと個人的に思う。
小売業界以外の人にはほぼ知られておらず、業界内でもペガサスクラブのことを知らない人が多い。読売新聞の記者であった渥美俊一氏によって設立された、研究機関ないし互助機関である。高度経済成長期以降、アメリカの小売業をモデルとした、日本の小売業の組織化と大規模化に、ペガサスクラブの「チェーンストア理論」は大きな影響を与えたとされる。
松下(現在のパナソニック)製のテレビを、ダイエーがメーカー設定を下回る価格で販売したことによる対立。大きくは流通業界全体における主導権を製造側が握るか小売側が握るかという点での争いである。より消費者に近い川下側が主体となって流通全体の効率化と変革を進めていく考えが流通革命であり、1962年に同名で出版された著書がある。
大丸と松坂屋の統合によるJ.フロント リテイリング、阪急百貨店と阪神百貨店によるエイチ・ツー・オー リテイリングの発足がともに2007年で、翌年の2008年には三越と伊勢丹が経営統合した。この一連のイベントは、統合そのものよりも、百貨店業界全体の不振として捉えたい。
今となっては信じられないが、かつては小売業の中での業態別の首位は百貨店であったが、売上高としては1991年の12兆円をピークとして現在まで半減している。
店舗によってはお酒や食品も豊富に取り扱っており、処方箋なんかもやってたりして大変便利です。
ただひとつだけ大きな不満があります。些細な事かもしれませんが、毎回イラッとします。
内容はたいていレシート、クーポン、ポイント〇〇倍デーお知らせ、クーポン2、クーポン3....
全て長尺なため、折り曲げて渡されるせいかさらに厚みも増します。
ただ問題は大量の紙を渡される煩わしさだけに留まりません。大量の紙を印刷するのにはそれなりの時間を要します。
支払い後、延々と排出され続けるレシートを束ねる作業でレジ打ちの手は取られます。
好きだった男性からセックスしたいと言われ、「まんこは不順だから嫌だけど、後ろの穴ならいいぞ」と、
興味も津々だったから言うと、それでいいならと壁に向かされて、ジーンズを膝まで脱がされた。
「えっ、ここで?いま?」と自分で言った言葉がやおいのそれで、(あ、これでいいのか)と判断してしまい、
でもショーツは女性用だし、でも脱がされて「だ、ダメだよっ」ってどもりまで再現。
後ろでちょっと戸惑ってる雰囲気がしたけど、お尻の割れ目に冷たい液体の感触がして、
それは彼が手に唾を撮って私のアナルに塗ったのであって、次にカチャカチャとベルトを外す音がして、
どんなtんkか見てみようと振り返ろうとしたとき、tんkの先が私のお尻に当たって、
下から突き上げられてtんkがアナルから入ってきた。(切れた)と思ったけど、
便秘気味の私の便とtんくぉ頭の中で比べていた。
「なにすんだよ。なに勝手に入れてんだよ」。許可したのにそんなありきたりな台詞しか出てこない。
(ショタウケの台詞だ。私はウケなんだ。ショタで)と攻めになる可能性なんてないのに、
(いま私、肛門を責められてる。。お尻を手で掴まれるの気持ち良い。横に広げられて、
お尻の穴丸見えなんだろうな。そこにtんk挿れられてて)ってイメージしたら弩エロくて
クリトリス触って自分でもオナニー始めちゃった。でもアナルセックス自体は気持ち良いのか悪いのか。
上に持ち上げられる感じだけで。
「お尻は根本が締まってきつい」「そうなんだ」「あと、おちんちんの先になんか当たって。。」
ってまで言われてすんごく恥ずかしくなって、前もって浣腸してとか考えてないし、
「ごめん、一旦抜いて」「抜いたらおちんちんに」「ひぃぃー」
そのまま二人は服を脱いで全裸になって、それでもつながったままだけど、
お風呂場に行って、「私が洗うから目を閉じてて。絶対見ないで。息も止めてて」。
太くて長い便が出るようにtんkを抜いて、高圧洗浄機の勢いのシャワーをtんkに当てながら、
痛そうだったから弱めて、なんか茶色いものが見えたか見えてないつもりでシャワーで流して、
私の肛門は、少し切れたときのウォシュレット程度痛かったが、この程度ならいつもだ。
コンビニに夕飯とか買いに出かけたとき、マツモトキヨシでコンドームと浣腸とローションを買って、
私はリビングの真ん中に四つん這いになり、浣腸されていた。「浣腸は人にされるもの」とゆう固定観念があった。
そもそも何故浣腸をするのか。それはtんkの先に何かが当たったとゆう負い目だろう。
そのまま「ぎりぎりまで我慢」と言われて、トイレで我慢すればいいのにそこで我慢するから、
肛門ひくひく締めてる姿見られてるの想像してバカみたいだし、お腹が超痛くなってきたし、
間に合わなくてここで吹き出したら大惨事とか、それもこれも「ギリギリまで我慢」の固定観念のせいだった。
自分の中で(もう責任取れん)と、結局は自分との戦いであったのだが(彼は見てるだけ)、
立ち上がってトイレまでの歩みのとき腿に何か垂れるものを感じで、
便座に座ってからもお腹がきりきり痛くて、うーんうーんとお腹を押さえて唸った。
浣腸はこんなに辛いものだったっけ。はるか遠くの子供の時にしたかどうか。
残便感が残る状態が20分続いたあと、やっと便意は収まった、私の便はどうして硬めで丸くてなんだろう。
うさぎなのかな。流石にお尻がひりひりした。
「さんざんだよ」。下半身裸でリビングに戻って、不満を示そうとそのまま立っていた。
いつもは普通の女子だけど、浣腸されると心が荒ぶるのだろうか。
浣腸されたら出るんだよ!そもそも恥ずかしいって、股間丸見えで浣腸されてるからな。
その後の「もらしちゃって、恥ずかしいねえ」なんて薄ら寒い台詞。
通勤電車でね、漏らさないっていうのは羞恥心じゃなくて社会的責任からでしょ?
みんなに迷惑がかかる。後も大変。限界点の3分前にはうまく泣けるかを考えてると思うわ、準備として。
「男のサラリーマンの場合は『すみません、我慢できずに漏らしてしまいす」と宣言したら、
ずっと聞いてた彼が喋った。「残ってる最善策」「宣言して、もう漏らしてもいいんだ、
となっても、自分で意図して漏らすのはできなくて(あれ、引っ込んだぞ)ってなりそうか、
漏らしながら宣言してたか」「漏らしたことある?」「満員電車でとか破滅的なのはないけど、
もうだめだと思ったことは何十回はある。そのとき考えてるのは、
「漏らしたらとんでもないことになるから漏らさない」ってことだけ。
漏らした未来を想像できないから、漏らさない。その時に漏らしてたら、
いまの僕は無いね。あるんだけど。社会に出るとトイレはどこにでもあるから安心した覚えがある。
高校生までの学校と比べて。いつでもトイレ行っていいんだって。」
「やおいは大変だってことだよ」「同情する気もないけど、ホモの人が大変なのかな」
浣腸の中にそうゆう作用のなんかがあるのだろうか。うんこした帰りにパンツはかずに腕組んで、
「なんかちょっと、しにくいけど。。」
「シャワーしてくる」
お尻をボディソープで洗ってるときに、彼が入って来ておっぱいを触られたら、
「ちょっともう、集中して洗えないし」って、元に戻った。
別の日に、浣腸して肛門ほぐしてローション塗ってアナルセックスしたら、
悪く無かった。やおい友達の彼氏できない民も、肛門に入れるためにディルドを買ってもいいか、検討していた。
ドラゴンボールが集まったら、何を願うのだろう。考えたとおりに間違えそうで、その前に注意する準備をしたい。
ある日の暮方の事である。一人の少年が、原宿駅の跡地で雨やみを待っていた。朽ちた柱に蔦の絡みついた、いまにも崩れ落ちそうな原宿駅跡地は、その昔、若人が大勢集う、たいそう賑やかな駅であったという。かつてこの地は「原宿」と呼ばれており、商いで栄えていたそうな。今は広大な荒れ地が広がり、かつての栄華は見る影もない。少年は荒野の真ん中でただ一人きりであった。ただ、所々地面から、かつてのビル群の瓦礫が顔を出している。少年は雨が止むまで、その瓦礫を見詰めて暇を潰すことにした。あれは、セシルマクビー、ピンクラテ、そして…Q-pot CAFE。少年は歴史がたいそう得意であった。
何故原宿がここまで荒れ果てたかと云うと、七十年ほど前、東京には、疫病とか五輪とか不況とか云う災がつづいて起った。そこで人々は住まいをこぞって京都に移し、それに続いて都も移された。およそ二百五十年ぶりの遷都であった。人の消えた東京のさびれ方は一通りではない。荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。盗人が棲む。半グレがでかい顔をする。バニラの業者が日夜騒ぎ立てる。とうとうしまいには、行く当てのないジャニオタたちが夜ごとに集って、オフ会をしているという噂さえ立った。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。そうして七十年の時が経ち、いつしか「原宿」というと、平成・令和時代の亡霊が往来する呪われた場所としてひろく知られるようになったのだ。
少年も、ほかの大ぜいの若人と同じように、危ないので原宿には決して近づかぬよう、両親に硬く命じられていた。しかし、少年には原宿に来なければならぬ断固とした理由があった。病床に付している、かつて量産型女子であった少年の祖母が、「冥途の土産にAnk Rougeが着たい」と所望したのである。少年は、祖母が好きであった。特に、祖母のつけるジルスチュアートの香水の香りにつつまれて眠ることが大好きであった。その祖母が、いまはシンプルなアースカラーの入院着に身を包み、力なく微笑んでいる。入院着は、無印良品であった。少年は大好きな祖母のため、アンクルージュの服を見つけてくることを決意し、家をそっと抜け出してきたのだ。しかし、七十年も前の服を探し出すことは、とてつもなく困難であった。旧東京二十三区内を隅々まで探しても見当たらない。それもそのはず、量産型女子はとうの昔に、国の絶滅危惧種に指定されていたのだ。少年の祖母は、その数少ない生き残りであった。
歩き疲れた少年は、とうとう、禁じられていた原宿に足を踏み入れた。暗く、恐ろしい場所であった。荒野の真ん中にぽつねんと佇む原宿駅跡地には、多くの人の怨念が染みついているかのように思えた。少年は時計のある屋根の下に腰掛け、雨が止むのをぼんやりと待っていた。頭上には、どこからか集まってきた鴉が輪を描いて飛んでいた。
どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる暇はない。選んでいれば、大好きな祖母は悲しみのうちに死んでしまうばかりである。尤も、痴呆の入っている祖母は、たとい思い通りの恰好ができたとしても、何もわからず粗相をして汚すだけかもしれない。しかし、心持の優しい少年は、祖母のエンディングノートに書かれていたことはなるべく叶えてあげたいと思っていた。手段を選ばないとすれば―少年は、そのあとに来るべき言葉の余りの恐ろしさに小さく震えた。「盗人になるよりほかに仕方がない」などというおぞましい考えが一瞬でも頭をよぎったことが、信じられなかった。しかし、一度心に生まれたその思想は、少年の心にずっしりと居座り、どうにも振り払うことが出来ずにいた。
それから、何分かの後である。マツモトキヨシ原宿駅表参道口店跡の辺りをうろつく人影が見えた。少年は、こんな場所にも人がいたのかと大そう驚いた。夕闇によく目を凝らしてみると、どうやらひとりの老婆が何かを探しているようなのである。この雨の夕方に原宿をうろついている人間は、ただ者ではない。少年は両親の忠告を思い出し、身震いをした。しかし、老婆が何かてがかりを知っているかもしれぬ。少年は立ち上がると、小雨の降りしきる中、恐る恐る、老婆に声をかけに行った。
「おばあさん、すみません」
老婆はゆっくりと振り向いた。少年は、振り返った老婆の姿を見て、その余りの恐ろしさに、顔をしかめた。桑色のシャツを着た、背の低い、痩せた、白髪頭の老婆である。右の手に黄色のビニール袋を持ち、左の手に、大きな紙袋を持っていた。紙袋には、けばけばしい装飾が施されている。見るとそれは、山田涼介のイッピ袋であった。
ジャニオタだ。少年は歴史の資料集で良く学んでおり、ジャニオタを知っていた。日本史の安藤先生がいうところによると、ジャニオタは四十年ほど前に最後の一人が観測されて以来、日本から姿を消したという。まさかジャニオタに、生き残りがいたとは。少年は、大そう驚いた。
「なんだい…」
老婆は唸るように呟いた。地の底から響くような、恐ろしい声であった。少年は勇気を振り絞り、老婆に尋ねた。
「お忙しいところすみません、すこしお聞きしたいことがあるのですが。」
「他を当たっとくれ。私は急いでいるんだ。」
「違います。探し物をしておりまして。
ところでお婆さん、そんなに急いでどこに行かれるのです。」
「ライブ参戦前にジャニショに行くのさ…ケンティーのオフショを買いにね…」
そういうと老婆は、うつろな瞳で前方をじっと見た。そこには荒野が広がるばかりであった。それを見た少年は、腹の底から寒気が上がってくるのを感じた。ジャニショ。それはかつてこの地にあった多神教の神殿であったと聞く。かつては多くの信者が通い詰めたその神殿は、しかし、原宿から渋谷へと拠点を移し、遷都とともに東京からもなくなってしまったと聞いている。全て七十年前の出来事だ。今となっては跡形もない。この老婆は、いまでもジャニショの存在を信じ、この場所をうろついている。うわさに聞くジャニオタの亡霊だろうか。少年の身体は恐怖に震えた。
「おや…お前は」
何かに気が付いた老婆は、少年の顔をじつと見詰めた。その濁ったうつろな瞳には、真っ黒なカラコンが不自然に張り付いていた。少年は後ずさりをした。
ええ、もっとよく顔をみせておくれ」
そう叫び声をあげると老婆は、少年の顔をつかもうとした。少年はきゃあと叫び、踵を返して逃げようとした。しかし恐怖からか足がもつれ、少年の体は地面に叩きつけられた。何とかもんどりうって逃げようとする少年に、老婆が覆いかぶさる。
老婆はうわ言のように呟きながら、少年の腕や顔をベタベタと触った。少年の恐怖心は、次第に、老婆に対するはげしい憎悪に変わっていった。二人は荒野の中で、しばらく、つかみ合った。しかし勝敗は、はじめからわかっている。少年はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。老婆は細い体を大きく震わせ、肩で息を切りながら、ぴえんと泣き叫んだ。
「ファンに、ファンにそんなことをしていいと思っているのか。」
少年は老婆を見下ろし、吐き捨てるように言った。心のうちで、老婆に対する憎悪と侮蔑が、大きく燃え上がっていた。そうして、あることに気が付いた。老婆の纏っている布切れである。すっかり薄汚れていて気が付かなかったが、これはいつか歴史の資料集で見た、アンクルージュのフリルカラーチェックワンピースではないか。チェックの模様に、けばけばしいフリル。そうに違いない。それを見ると、少年の心にあるひとつの勇気が生まれた。それは、老婆に出会う前は決して存在しえなかった勇気であった。
「ファンにこんなことをして、貴様、アイドルとしての自覚が足りぬわ。」
「言いたいことは、それだけか」
老婆の話が終わると、少年は嘲るような声で念を押した。そうして、老婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこう云った。
「こんなことをする者は、ファンではない」
老婆はそれを聞くと、目をかっと見開き、呻き始めた。少年は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く瓦礫の上へ蹴倒した。かわいそうな老婆の周りには、胸元に大事に仕舞われていたしわくちゃの青い振込用紙がはらはらと散らばった。少年はそれを一瞥すると、薄汚れたワンピースをわきにかかえ、またたく間に原宿の闇に駆けていった。
しかし、嗚呼、何と残酷なことだろう。老婆からはぎ取ったワンピがアンクルージュではなくミオレミューだということを、少年は知る由もない。
その後、原宿にうろつく亡霊の噂は、はたと途絶えたという。
いま住んでいる市内にはドラッグストア、スーパーなど生活必需品の小売店が人口に比して多い。
【市内にあるドラッグストアチェーン】
カワチ
セキ薬品
【市内にあるスーパーチェーン】
多いよな…
皆さんの住む自治体はどうですか?
【追記】
ブクマついててうれしい。ありがとうございます( ・∇・)
ちなみにこれ全部が半径4キロ以内位にほぼ収まってる(実は合わせて20店舗もある)ので、いちばん端の店舗からいちばん端の店舗に自転車移動で(訂正)25分くらい、車だと信号多いから12~13分です。
都内23区や政令指定都市とは人口や広さでスケール違いますよね。ご指摘のように東京隣接の県です。そう、埼玉県です。
ドラッグストアもスーパーも地域で違うので、出掛けた先で入ってみるの面白いです。
おそらく今が一番店舗が多いピークかとは思うのですが、近隣の市町村にスーパーがあまり多くないのであと10年くらいは大丈夫かなと。
そのために引っ越せないでいるんですが。