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はてなキーワード: ナポレオンとは

2024-06-16

anond:20240613203515

キャンセルカルチャー問題点は、「悪い」という倫理が内発的なものではないことなんだろう。

どこかで知った「教養」に発するものからキャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。

まり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。

その程度の教養正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャン謝罪に追い込む社会なわけだね。

かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的正義感情的正義区別し、自分のことでもないくせに感情的共感によって主語がでかくなるのが感情的正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのを思い出す。

もうひとつ思い出したのは、2年くらい前、

共感にあらがえ - 内田樹の研究室

のなかで、人権とかマルクス主義とか、外付けされた倫理は歯止めが効かず暴発する、ということを内田樹がいっていたこと。

増田へのレスなかに

コロンブスナポレオン他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw

というのがあるね。

正直、なんとも思わないねというのが俺の感想だし、植民地主義への反省なんていっても、外付けの反省まり

俺の中では、このMVはたわいもなくみえしまい、それを批判したくなるほど自分のなかで内面化されていないわ。

しろMVのなかで、不快に思ったのはそこではなくて、ナポレオンなどの人物たちが「Monkey Attack」というビデオを鑑賞するシーン。負傷していまにも死にゆハチマキをした類人猿兵士を抱きかかえる類人猿兵士、その場面にビデオ鑑賞していた皆が涙する、という場面だが、このシーンは、旧日本軍兵士連想させられ、ビデオ鑑賞で感動ポルノを消費するという行動にはイラっとさせられた。

類人猿ベートーヴェン指導したり、人力車にひかせたりというのには何とも思わなかったのに、このシーンだけは嫌な気分にさせられた。

そう、まさに「つまり解釈余地があるんです。」という感じなんだな。モンキーアタックビデオへの不快感はあるものの、袋叩きにしてやり込めるほどのものではない。他愛もないMVだよ。



若い頃、20年くらい前までは、人権歴史教科書通りに学んで、それを教養として広めていけば、外付けされた倫理共感を呼んで広まっていく、みたいに素朴に思っていた時期があった。

https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2024/06/16/011301

みたいなことを素で思っていたというか、それこそ20年前のはてな草創期の「何とかidさんの日記」にはそういうのがあふれていたし、はてなにははてサと言われる人たちが多かったのだろう、そういう人ともつながった。

しかし、いつしか違和感を覚えるようになった。特に歴史修正主義というドイツで使われた文脈言葉安易日本南京虐殺否定文脈で使うことが一般的になり始めたころ、はてサという存在が疎ましくなっていった。

俺の違和感の正体は、結局のところ、歴史文脈のなかで生まれ言葉には、その歴史に紐づいた反省があり、過去への抗いがあるはずなのに、いつしか教養」として普遍化するなかで、その歴史固有性が失われ、あたかハンディ批判ツールになり下がることだった。

村上春樹2009年、イスラエル文学賞を受賞したときはてサは一斉に授賞式に出席しようとする村上を引き留めようとし、攻撃した。出席することは共犯意味するとまで言った人もいた。そのとき村上氏は自身への批判を受け、それらの情景を正論原理主義といった。パレスチナの人たちとの現実の接点をもたずに、パレスチナだ、ガザだ、人権だと漠然と騒いでいる、ごく普通のひとたち(私たち)の”寄り添い”は本当に軽いものだ。共犯という言葉も軽い。イスラエルに赴いて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」と現場で話をした村上春樹言葉のほうがよっぽど覚悟必要だ。

俺はだんだん嫌気がさして、ブログからフェイドアウトしていった。


お前、そんなこともわからないのか、そんなことも知らないのか、といって得意げに歴史知識開陳する態度。

てめえだって大して現実味のないことに対して義憤を抱いてるにすぎないくせに、この尊大な態度。

サヨクに対する嫌悪感は、ここに尽きる。キャンセルカルチャーは、無力なサヨクが得意げに知識開陳して自己満足する場になってるんだよ。


言葉の軽さはどこからくるのか。ヒントになるのは、前述の内田樹文章

そのなかで対談相手永井陽右氏は次のようにいう。

永井:それで言うと、私は本当に「人権」というものを外付けしたタイプだと思います大学1、2年の頃、大学平和学の授業を取ってたりしたのですが、そのときに、何が幸福なのか、他人が何を考えているのかなんてわからないと思ったんです。そして陳腐ですが、みんな正義も正しさも違うよねともやはり思いました。

じゃあ何を拠り所にしたらいいのだろうと考えた結果、「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。普遍性が高いなら、「人権が著しく侵害されているのであれば、これは問題だ!」と堂々とみんなに言うことができる。そうして私は良くも悪くも人権というか権利しか見ない人になっていったわけですが、それは本当に「外付け」だったと思います

「これは問題だ!」と深く自分のこととして考えもせずに簡単にいえてしまう、ここにこそ問題がある。

そういう義憤の招待って何だろう。

最近朝日新聞人生相談に回答した野沢直子に対して、それを朝日新聞記者コメントともに、冷笑と受け取って批判している記事があった。

[B! 報道] 読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義” | 文春オンライン

元の人生相談とその回答はこちら。

https://digital.asahi.com/articles/ASS5K30WGS5KUCVL02MM.html?ptoken=01J0FYBDAZQF5YH5MPNMCJH3QA

不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」とかいう50代の男性相談

正直、文春の批判のほうが今の時代の病を表現していると思った。私個人は、野沢直子の回答の感覚に近い。現地に行ってみろと。行けば当事者意識を持てるから

新聞で得た世界出来事いか正義言葉で嘆いても、その切実さは現場の人の感覚とは何も通じ合っていないかもしれない。

現場にくると世界は反対側からみえることもある。

かつて、北アフリカスーダンで、ダルフール紛争と呼ばれる、政府系の集団による虐殺国際問題となったことがある。

日本ブロガーも反応し、かつてFinalvent氏がこの知名度の低いこの問題を何度も取り上げ、意識を高めようとするべく、記事をお書きになられていた。

最初は、自分の啓発もかねて弁当氏の言説に注目していたのだが、しかし、その後、私自身が北アフリカ地域仕事上関与するようになってからスーダン人とも仕事をしたし数多く知り合いになった。自分なりに関心をもって現地で情報を集めてみると、国際的に展開されているセーブダルフールキャンペーンは次第に異なる運動に映じるようになっていった。

それは現地武装組織悪業を過剰に喧伝する国際NGO特にアメリカNGOキャンペーンのやり方に対する違和感だった。紛争実態はもう終わっているにも関わらず紛争継続しているかのような言説が多く、それは単に当時のバシール大統領悪業断罪などの過剰かつ単純な演出によって集められた資金は、NGO広告費に回っているという話まで聞いた。

正しい、とみんなに思い込まされていることでも、プロパガンダが功を奏しているだけかもしれないということだ。

弁当氏がその後、一貫してスーダンに注目していたかどうかは知らないが、やがて同氏の記事の傾向が変わり、国際問題にはほとんど言及されなくなっていった。

今、現在スーダンの置かれている状況はというと、2023年に始まった国軍準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦により、ダルフール紛争の比ではない、深刻な国内避難民が発生している。2023年末時点で国内避難民が905万2822人。これはスーダン人口の2割に相当。2003年の世界最悪レベルの人道危機と言われたダルフール紛争ときですら国内避難民は100~200万人というオーダーだったので、それをはるかにしのぐ難民が発生している今の状況がいか危機的かがわかる。

しかし、俺は思う。当時、弁当氏のスーダン記事を読み、義憤を抱いた人の何割くらいが、現在進行形の危機を憂いているだろうかと。エジプトトルコスーダン国軍支援アラブ首長国連邦はRSF支援、このように中東の中堅国らは、自分たちに好意的顧客武装させながらも、和平を口にする、いわば代理戦争様相を呈している。


自分のこととして考える、といえば、かつて、中学生の頃にとても印象に残っている社会科の授業があった。

それは、水俣病写真を数多く世に問うたことで知られるユージン・スミスのとても有名な写真を見せられたときのこと。

「入浴する智子と母」

この写真感想を当時の社会科の先生が生徒に聞いてゆく。

生徒の言葉から出てくるのは、可哀そう、水俣病のひどさが伝わった、許せないとか、そういった感想だった。

一通り感想を聞いた先生最後自分感想を述べた。

わたしは、どちらかというと気持ち悪い、というのが先に立った」「みんなもそういう気持ちはなかった?」

そう問われて、中学生の俺は衝撃を受けた。俺も気持ち悪いって内心思っていたから。

それをなんとか「可哀そう」と思うことで上塗りして、もみ消そうとしている自分の内心と向き合わざるを得なくなった。

その先生はいまでも尊敬しているが、あとになってその授業の組み立てに感心したのは、その写真感想のあと、授業は別段、水俣差別問題に触れるでもなく

わりと淡々事実経過が説明されていたことだった。お前らの差別感情と向き合え、という誘導が一切なかったことだ。

しかし一方で生徒側は、自分自身気持ち悪さの感情に気が付いてしまった以上、外付けの感情で上塗りしている自分をはっきりと認識せざるを得なくなり、以降、その写真を思い出すたびに、自分がいいかっこしようとしているときに隠しているものはないか、という視点が大切だ、ということを少しずつ釘で打ち込まれてゆく気がした。


ただ、一方で、外付けの教養には意味がない、とは思わない。しかし、植民地主義歴史を知るとか、外付けの倫理いか理解しているかという意味ではない。

普遍的な価値として、人権を外付け実装してきた日本である自分自身いかに受容してきたのか、それを踏まえて自分の生きる社会をどうしたいのかを知ること。

そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要があると思っている。

表現の自由ひとつとってもそう。表現の自由って大切じゃないか?と少しでも思ったら、それを所与の普遍価値から、と思考停止しないでよくよく考えてもらいたい。

なぜアメリカ判事歴史的な判決のなかで、空気が濁っているほうが社会健全だといったのか。なぜフランスでは神を冒涜することが権利なのか。

なぜドイツではホロコースト否定表現の自由に当たらないのか。日本公共の福祉解釈としてそれらをどのように受容したのか。表現の自由が失われると何が恐ろしいのか、それはそれぞれの社会文脈がある。少なくとも自分社会ではそれは何なのか、それを知ること、それこそが教養というものだと思っているし、理性的共感というものだと思う。

少なくとも俺が思うに、日本社会においては、冒頭のケシカラニズムが政府にとって都合よく操れる心情だろう。

表現の自由が失われることによって立ち現れる社会は、「これが正義だ!」とみせられるとすぐに無教養な人々を煽り立てることでき、簡単プロパガンダ誘導することのできる、政府にとって都合の良い社会ということになろうかね。MV叩いて知識開陳してマウントとってるサヨクもそれで満足ですかね。

世界中、世の中でいろいろと深刻で理不尽なことが起きているなか、そういう諸々には無関心で当事者意識もないくせに、「教養ある人」が突然ポリコレし始め、他愛もないMV植民地主義的な傾向にかみついて、そうだそうだとみんなして一斉に同調した結果、MVの発表取り下げに至る、という構図は学級会のつるし上げそのものだ。

サヨク知識マウントできて満足だし、日ごろのストレス発散になったことだろう。

anond:20240615211557

30年前に中学生だった者だけど、コロンブスナポレオンについては当時の教科書に載ってる内容ですら「なんでこいつら偉人扱いされてんのや」ってレベルだったぞ。

2024-06-15

anond:20240615211557

ナポレオン美術強奪してて、返還されない事の恨み言はニュースでも目にするよ。

じゃあコロンブスみたいに評価が変わった偉人英雄って誰よ?

ぶっちゃけコロンブスがそんな批判されるような奴だなんて知らんかったわ。気になったからChatGPTに聞いた。

評価が変わった偉人英雄の例を以下に挙げ、それぞれの以前の評価現在評価、そして評価が変わった原因を説明します。

クリストファー・コロンブス (Christopher Columbus)

トーマス・ジェファーソン (Thomas Jefferson)

ウィンストン・チャーチル (Winston Churchill)

ハトマ・ガンディー (Mahatma Gandhi)

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア (Martin Luther King Jr.)

ナポレオン・ボナパルト (Napoleon Bonaparte)

これらの例からも分かるように、歴史人物評価時代背景や社会価値観の変化によって大きく変わることがあります

コロンブスだけじゃなくナポレオンダメだったのかよ。

日本人だとどんな例があるんや?

もちろん、日本人の例もあります。以下に、評価が変わった日本人偉人英雄の例を挙げます

豊臣秀吉 (Toyotomi Hideyoshi)

織田信長 (Oda Nobunaga)

昭和天皇 (Emperor Hirohito)

徳川家康 (Tokugawa Ieyasu)

福沢諭吉 (Fukuzawa Yukichi)

山本五十六 (Isoroku Yamamoto)

これらの例からもわかるように、日本歴史人物評価も、時代の変化や新たな歴史研究の成果によって変わってきています

うーん。元からそんな良い評判の良い人らでは無いような気がするが…。うっすらとセンシティブ配慮必要とされる人らやん。

もしかしてコロンブスも、昔からそういう枠内だったってコト?

コロンブスナポレオンベートーヴェンの三体が合体するやろ

それで宇宙からやってきた猿人ゴリ率いる猿の軍団と戦うやろ

これなら炎上しないやろ…😟

Mrs.GREEN APPLEコロンブス』ではなく『ザビエル』にしていれば正解

コロンブスベートーヴェンナポレオンという人選が良くなかった。

正解はザビエルシーボルトペリー

日本人アーティストによる日本語の歌なんだから

日本史になじみのある人がいいに決まっている。

ピアノを教えるシーンなんてまさにピアノを持ち込んだシーボルトが適役だろし、

そもそも炭酸持ち込んだのペリーだし。

というわけで、今からザビエルシーボルトペリーMV作り直せば一件落着。

コロンブスの話さ「ダメなのは大前提なんだからもっと考察しようよ

しっかしよく「コロンブス」を通したよな。作者本人がやり口を教えてるけどバラしてレビュー通してガッチャンコしたときヤバい表現にしたんだろ?やり方がゴルゴだよゴルゴ

あのな「コカ・コーラが『コロンブス』とタイアップした」時点でそれが一つの重大な意味を持った表現なんですよ。なので「差別的ですね」ってのは出発点で、MV考察するのが「文化人」ではないですか?(文化人類学の文化人の部分)

人選について

コロンブス」は一番押し付けたい嫌味だったかタイトルにもなったんだろうけど…よく通したな根回しがすごい2024

ベートーヴェン」はロックンロールの始祖(諸説あり)のチャック・ベリーの曲から取ってるだろうし

ナポレオン」は、なんか、革命っぽいから置いたんじゃないでしょうか。島流しにされてたからさ、日本人名誉白人みたいな部分を揶揄してんじゃない?知らんわ

皮肉の数々

あとはみんなの目で確かめろ!

よくわかりませんでした。

https://bunkaonline.jp/archives/5214/3 こういう感じの記事を書きましょうよ

anond:20240614134049

コロンブスナポレオンが出てくるからダメとか言うなら」そんなこと誰も言っていないが、知能障害かなにかか?

スキーム炎上Mrs.GREEN APPLEコロンブス

差別意識はない説https://anond.hatelabo.jp/20240613203515

一連の事実から推測できることはこうだろう

1 米国企業日本メディアをある程度統制できる(SNS炎上させたり止めたいPVを止められる)

2 米国企業欧州尊厳を守るポーズを取るため欧州史の拡散を止めたい

 1)コロンブスの国は科学が発達していたイスラムグラナダから航海術を得た

 2)フランス革命妨害ナポレオン皇帝復古支配は、銀行家らが資金提供をしていたもの

 3)ベートーベンが好んだワインには鉛が添加されており、難聴の原因となった

3 イスラエルガザ攻撃は止めないが、人種差別反対のポーズも取りたい

4 白人の真似して白人をおちょくって良いのは白人だけだと言いたい

2024-06-14

anond:20240613203515

かなり本気で植民地主義批判している動画に見えるのに、無知または肯定と取られてしまっているのが気になる。

登場人物植民地主義的だと批判された人たち(ベートーベン2021年モーツァルトと共に植民地主義的だと批判されて話題になった)。

コロンブスが攻め込んで、ナポレオン軍事的に、ベートーベン文化的に現地人を啓蒙するストーリー

・そのほか植民地主義象徴するものが、短い動画なかにこれでもかと詰め込まれている。

日本では植民地主義過去のものと考えられがちだが、イスラエル軍事攻撃の根幹にはヨーロッパ植民地主義があるといわれている。

・明るく楽しい販促動画に見せかけて、だまし討ちのようにアメリカ大企業の懐の内でアメリカ批判した。

以上の点から、この動画は、批判方法としてありかなしかを問われるならまだしも、無知ゆえの失敗と笑われるようなものではないと思う。

メンバー征服者を演じているからといって、征服者肯定しているとは限らない。

コロンブスは猿にプログラミングを教えれば炎上しなかったのでは?

コロンブスナポレオンベートーヴェンは猿たちにプログラミングを教える

最初は猿たちに派遣とかSESをさせて搾取してぼろ儲けする

しかし、猿たちは技術を向上させてWebサーバー猿人X」を開発、独立してしま

ぼろ儲けできなくなるコロンブスたち…

ラストで猿たちが叫ぶ

ワイは猿や!プログラマーさ…

コロンブスMV改善案

コンセプトを同じにして改善するなら、まず自称白人ではなくて上陸される側であるべきだったよなと思う。

それもホームパーティーとかではなくて、ミセスの人たちが普段つかってる音楽スタジオコロンブスらが現れるという形で十分だった。

それで、みんなで楽しげに遊んだり、ベートーベンを乗せた人力車浅草を巡ったり、ナポレオン明治村を巡ったり。

そして、ベートーベンピアノを教わり、ナポレオン乗馬を教わり、コロンブスに……

あれ?

コロンブスには何を教わればいいんだ?

あいつ心底クソだから、何を教わればいいんだろうな。

操船技術?でもなあ、それ現代だと完全にいらないやつじゃん。


結論コロンブスという題材を選んだ時点でもう無理

anond:20240614110649

🎓️✋(👁👅👁)🤚ナポレオンマリー・アントワネットと寝てたころに先に起きたマリーが朝食のチーズをまだ寝てるナポ公の鼻先に近づけたら「まだスルのか…」て言った故事

2024-06-13

いつまでたっても偉人と言えば

コロンブスナポレオンエジソンってのも今のご時世相当ダサいわな

anond:20240613203515

コロンブスナポレオン他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw

歴史知らない自分が「コロンブスMVを作ったら

なんかMrs. GREEN APPLE新曲であるコロンブス」のMVの内容が問題だとされている件で

歴史について無知人達が作ったかあんMVが出来たなんて意見がよく出るけど

歴史について無知自分にとっては全くピンと来ない意見だった

なぜなら自分にはあのMVはどれも思いつかないもんばかりだったからだ

ナポレオンが一緒にいてピラミッドに行ってるシーンとか思い浮かばんよ…)

というか楽しい交流をしてる筈の猿に人力車引かせてすげえ辛そうにさせるのとか歴史云々の問題じゃないよな?

から歴史について無知人達は皆コロンブスについて色々言ってみた方がいいと思う

歴史無知について意見を言うのなら無知と主張したい人達が本当に歴史を知らないのか、

そしてどんな発想をするのか確かめた上で意見を言うべきなのは

歴史社会についての研究重要さを主張する人なら当然わかるよね?

まさかあのMVが本当に無知が原因で作られたのかきちんと調べないで主張するつもりは無いよね?)

それはそれとして仮に無知自分が「コロンブスMVを作るならどんなストーリーになるか考えてみる

まずはコロンブスの卵だ

これは彼が自分の国で卵を立てるのに苦労した?みたいな印象がある

からMVの前半はずっと卵を立てようと苦労するシーンで占められる

次に長距離航路をした人って印象もある

よって卵を立てる事に成功したら意気揚々と船にのってずっと海の上で苦労してるシーンが後半のメインになる

とりあえず嵐で死にそうになったりゲロ吐いたりそういうシーンが盛り込まれ

最後大陸なのか島なのか分からんもの発見するシーンでエンドだ

無知自分はまず植民地だの現地の住民への行いだのそんな物に全く辿り着かず

海の上までしか想像出来ない

他のシーンを盛り込む必要があったら他の船員と一緒に船で踊ったり歌ったりするシーンや

卵と言えばニワトリニワトリに追いかけられるシーンが浮かぶ

こうしてあんMVは思い浮かばない訳なんだが

自分以外の無知な人はあんMVを思い付けたりするのか?

するんだったら言ってくれ

Mrs. GREEN APPLEの『コロンブス』PVを読み解く(完全版)

まず、無人島にある一軒家が映る。

そこに、自分の事をコロンブスベートーヴェンナポレオンだと勘違いした人間上陸する。

自分の事をコロンブスだと思い込んでいる人間が家主の許可も得ずに押し入り、中にいる猿人類に嘲笑する。


猿人類らは豊かな家の中で、文化的暮らしをしているが、そこに入りこんだ3人は、彼らの文化否定し、蹂躙する。

ある者には彼らが詠うもの否定し、ピアノを押しつける。

ある者には自らの動物の扱いが正しいとばかりに、家畜に鞭を打つやり方を教える。

ある者にはプロパガンダ映画を見せ、洗脳をする。

そして、それらに従わないものには、馬車馬と同じ扱いの労働という名の罰を与える。近くにいる猿人達は彼らに逆らえないため、馬車馬と同じ扱いをされる仲間を助けよう集まるが、恐ろしくて手が出せない。

彼らが何をしたかの暗示である

そして、それらをつなぐシーンの合間には、彼らに従う猿人類と共に、食料を食い尽くし、暴れる姿が挿入される。


己をコロンブスと考えている男が手紙を書くシーンでは、

How can I fix the light ?

などと、彼らが今までしてきた暮らしを壊れたもの一方的に報告する手紙本国に送るシーンが挿入される。

また、コロンブスが行った著明な詐欺欺瞞のシーンも再現される。そのシーンは猿人達が既に支配者となった男達に接待をする様子が描かれている。猿人類が「忖度」を生み出した瞬間だ。

コロンブスだと思い込んでいる男は、猿人類が忖度していると言うことに気付いていないように見える。


しかし、画面が切り替わり、ラストシーンでは猿人達が死んでいる風景が映し出される。これはコロンブス西欧から病気や略奪と共に虐殺という死と病気という死をもたらしたことメタファーだ。

それを見る3人は、満足するかのようにその後継をみると、次なる獲物を求めて家を出て行く。


かつて猿人達の神をまつっていたと思われる崩壊した祭壇後を踏みしめながら。


全体にこれは、コカコーラ代表されるアメリカで行われた悲劇蹂躙歴史皮肉った高度な風刺である

登場する3人にとっては良い思い出として処理されるのだろうと言う所も含めて、高度に完成されている。謝罪文すらその装置だろう。

anond:20240613185030

そうも見えなかったよ…

自分的には、不快感はなかった、

というより、何が言いたいのか、何がやりたいのかさっぱり分からなかったし、

コロンブス以外がナポレオンベートーヴェンというのも最初からなかった、

特にコロンブスという感じもしなかったし、

映像も歌も凄く薄っぺらく感じた

やるんだったら、徹底的に不快にさせてみろ、みたいな感じさえある

ホラー映画とかってそういうもんじゃ

どれだけ視聴者不快させるか、オチモヤモヤさせるか、みたいな目的がある

あの映像からそういう気概も感じられないし、

よくここまで中身のないものを薄く広く伸ばせるなあ、みたいな感じしかなかった

まあ、それが逆に不愉快と言えば不愉快なのかもしれないけど、

だったら観なければいいだけなんだよな…

ただ、あれはちゃん計算して作ったんです、っていうなら差別的だし、それはそれで問題ある気がする

無知で作ったのなら俺は許す、というか無視するだけだと思うけど、

高度に計算して、意図があって作ったんです、という話なら差別的表現という批判は免れないと思うんだよね

anond:20240613151422

それこそナポレオンなんて世間的には「馬に乗ってる絵の人」「吾輩の辞書不可能言葉はないって言った人」「フランス革命で有名(フランス革命自体はなんだかよくわかってないけど)」がわかってればまあ御の字でしょ

これ以上深入りとなるとnhk教養番組になるよ

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