はてなキーワード: ドイツとは
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フェイラーはドイツの伝統工芸技術(シュニール織というらしい)をもとにした織物製品のブランドで、落ち着いた温かみのある花柄模様が有名。とくに日本ではフェイラーといえば黒地に花柄模様がフェイラーの代名詞と言ってよいほど有名。
年配の女性がよそ行きの服を着て、黒っぽい花柄のショルダーバッグやハンドバッグを持ち歩いているのを誰しも一度は見かけたことがあると思う。あれがフェイラーだ。一家に一つはあるのではないかと思えるくらい、日本のシニア女性のあいだのフェイラー率は高い。
なぜシニア女性のあいだでフェイラーはそんなに人気があるのか?
いくつかの要因があると思う。
まず、フェイラーのバッグは手作り感があってちょっと上質な感じがするらしい。たしかに造りはしっかりしている。大人の女性が持つのに恥ずかしくないアイテムというところなのだろう。
フェイラーのバッグはヴィトンのバッグほど高くはない。手頃な価格で上質感のあるおしゃれを楽しむのによいアイテムなのだろう。
そして、なんといっても黒地のフェイラーは落ち着いた感じがある。黒地に華やかな模様を散りばめた織物。どこかでみたことがある。そう、着物である。結婚式とかで女性が着ている礼装の着物にそっくりなのだ。
年齢を重ねて肌がくすんでシミが増えてくるにつれ、鮮やかな色の服は似合わなくなる。だが黒地に花柄のフェイラーは、持つ人の雰囲気をややフォーマルに引き締めると同時に華やかさを残してくれるので、年齢に関係なく持つことができる。
日用品に蒔絵を施した漆器は平安時代の貴族がすでに使っていたが、同じような感性が現代のシニア女性に、おそらくほぼ無自覚に引き継がれているのであった。
シリコンバレーではスターウォーズが差別映画として有名になった。マスター・ヨーダがなんだ。マスターなんて言うのは黒人差別だ。マスターなんて言葉は使ってはいけない。センセイ・ヨーダにするべきだ。でもセンセイ・ヨーダにするのは文化の盗用だ。単にヨーダと呼べば良い。ストームトルーパーはナチスドイツを思い出すのでダメだ。単にトルーパーと呼ばれるべきだ。しかもストームと付いているのは嵐で家をなくした人に失礼だ。トルーパーだけでいい。しかしよく考えるとトルーパーもダメだ。兵士に家族を殺された人が悲しむだろう。ホワイト・ヘルメットと呼ぶべきだ。ダース・ベイダーが黒色なのは黒人差別だ。黒が悪なのは差別だ。ダークサイドのライトセーバーが赤色なのはネイティブアメリカンへの差別だ。そもそもライトセーバーでの戦いは日本文化の文化盗用だ。フォースのライトサイドは仏教の文化盗用だ。全部なくすべきだ。
5年くらい前だったかな、まだフェローズという名前の頃に森薫の圧倒的な書き込みの表紙に衝撃を受けて買ってしまって、そのままずるずると。
まったく同意する人はいないと思うが、八十八良の「不死の猟犬」という漫画がハードSFっぽくて大好きだった。
あとはもう終わったけど、日本人が本場ドイツでビールを作る漫画と、アイスランドが舞台の漫画(色々とこれは文句いいたいところあるんだが・・・)と、三姉妹の漫画と、弓道の漫画・・・
最近はまってるのは登山漫画。昔登ってたから、まだあの頃と学生気質は全然変わってないんだなぁ、と懐かしい思いで読んでる。
ちなみに、自分は、好きだった漫画雑誌が、昔は少年キングやキャプテンから最近はコミックブレイドまで、ことごとく廃刊になる疫病神みたいな存在だと思ってるんで、この雑誌も先は長くない気もしている。
国名 | 人口 | 感染者 | 死者 | 死者/人口 |
---|---|---|---|---|
スウェーデン | 1023万人 | 14.6万人 | 6022人 | 0.000588 |
ノルウェー | 543万人 | 2.5万人 | 285人 | 0.000052 |
フィンランド | 551万人 | 1.7万人 | 362人 | 0.000065 |
ポルトガル | 1028万人 | 18.3万人 | 2959人 | 0.000287 |
イタリア | 6036万人 | 96万人 | 41750人 | 0.000691 |
イギリス | 6665万人 | 121万人 | 49238人 | 0.000738 |
ドイツ | 8302万人 | 68.3万人 | 11372人 | 0.000136 |
直近は第二波で感染者数が増えつつも死者は増えてない。
フレンチ・カンカン、というかラインダンスとの出会いは、おそらくは文明堂のCMだ。それから「ドレミファソネットどしたらできるの」で有名なso-netのCMだ。なぜかこのCMではおじさんの脚線美を見ることになるのだがそれはさておいて、Youtubeで検索すると今でも天国と地獄に合わせて踊る動画を確認できる。
本題に移ろう。Can-can dressについてはウィキペディアではおおよそこのように述べている。ドレスは基本的に何層にもなった大量のフリルがついていて、当時の下着の上に縫い付けられていた。脚は黒いストッキングや網タイツで覆われていた。つまり、レオタード姿のソネットのCMはフレンチ・カンカンではないのである。足の動きの速さからしてまるで違う。
衣装ではなく、カンカンダンスそのものについては、日本語版のウィキペディアと英語版のウィキペディアで書いてあることが若干違う。おそらく英語から訳したときの版が違うのだろう。
両者の記述を比べてみたが、フレンチ・カンカンにおける見せパンの起源はかなり曖昧らしい。足を思い切り上げてスカートの中が見えてしまう動きは、ショーの場では1820年代にアクロバット的な動きで知られるCharles Mazurierがバレエの大開脚を取り入れたことにさかのぼるようである。初期のダンサーは娼婦やセミプロの役者だけであったのだが、1890年代になるとムーラン・ルージュではトゥールーズ・ロートレックの絵で知られるLa Goulue(食いしん坊さん、的な意味)やJane Avrilなどの高給を取るスターが生まれた。La Goulueのページでは当時の衣装とセットの見せパンが確認できる。これらのスターの生活は華やかだが晩年は不遇であることもあった。この二人もビジネスの失敗や大恐慌で財産を失い、寂しく亡くなっている。
さて、カンカンは足を高く蹴り上げるので、当然スカートの中身が丸見えになる。しかも、それや当時としてはよりスキャンダラスであった。というのも、当時の下着であるpantalettesは衛生上の理由からクロッチ部分が開いていたからである。要するに性器が丸出しになるわけである。もっとも。そのあとにこんな記述がある。カンカンのための特別な下着を用いていたという記録はないが、ムーラン・ルージュでは下着の露出は禁じられていたことになっていた、と。どうもこのあたりの記録は曖昧というか[要出典]をつけたくなる箇所が多い。ウィキペディアは普段は自然科学の記事を読むことが多いが、そこよりも曖昧な記述が多い印象だ。文体もなんだか違う。
ところで、今のフレンチ・カンカンとして知られる、大人数の女性が10分以上高度な振り付けを続けるスタイルは、1920年代にアメリカで人気が出たスタイルを逆輸入したものでそうである。
実際、19世紀末からに20世紀初頭にかけては女性の脚部を見せるということでかなりスキャンダラスなものとしてみられていた。また、陰部を覆う白い生理用(?)下着と黒いストッキングの対照もエロティックだとして見られていた。さらに、体を折り曲げてスカートを後ろからまくり上げ尻を見せる動作もあったという。先述のLa Goulueはこの芸で知られていたとのこと。また、前の席の客の帽子を蹴り飛ばすほど近づいて、スカートの中身を見せることもあった。もっとも、顔を思い切り蹴られる危険もあったのだが。
結論から言うと、当時のフランスに見せパンそのものであったかどうかはわからないが、パンツが見えることは覚悟の上だった、ということになりそうだ。女性器が見えていたかどうかまでは根拠が怪しい。もっとも、今ほど表現が自由でなかった当時のこと、そんなことを文学や絵画で記録に残せたかどうかは怪しいものだ。ちなみに女性器を堂々と描いて当時の偽善的風潮に反発したクールベの「世界の起源」が1868年、ヌードでスキャンダルを生んだ「草上の昼食」が1863年である。
パリにはいくつも有名なキャバレーがあり、それは近現代の芸術や芸能に多大な影響を与えてきた。たとえば、ムーラン・ルージュで活躍した人物としてFrank SinatraやCharles Aznavourがいる。それらのすべてをここで述べるのは大変なので、地球の歩き方に広告が載っていたと記憶しているものをピックアップして簡単に述べる。子どもの頃、トップレスの女性が旅行ガイドに載っているのを見てドキドキしていたものだ。もっとも、その女性の姿はせいぜい五ミリくらいの大きさしかなかったのだけれども。
学生時代にパリを訪れたときには、そこには寄らなかった。一日中美術館で過ごしてぐったりしていたし、まだ女性経験がなくて図々しくなれなかったからだ。今となってはいい思い出である。
赤い風車で名高いキャバレーで、ここを舞台にした映画は数知れず。トゥールーズ・ロートレックの作品群でも有名。著名なダンサーも多く、全員を紹介するのはとても無理だし、別のキャバレーにも出演していて、キャバレー別に紹介するとややこしくなるので端折る。
ところで、ウィキペディアだけからはヌードがどの程度ショーに盛り込まれていたかはわからないが、1893年の舞踏会に裸の女性がいたことがスキャンダルになったそうである。なんでもヌードモデルが活人画として周囲を歩き回り、裸の女性が深夜にテーブルに立っていたとのこと。一方、英国の劇場のように活人画、すなわち生きた人間で絵画を再現する目的としてならヌードは猥褻ではない、という意識もあったようである。例えば英国では劇場にヌードが現れたとき、当局が1930年代に裸の女性が動くことを禁じた。この禁令をかいくぐるために、モデルたちは活人画のように止まったままとなった(ストリップの記事を参照)。また、戦後日本でも「額縁ショー」と呼ばれるストリップのさきがけのようなものがあった。動かなければ猥褻ではないという謎理論がまかり通っていたのである。当時のGHQが何を意図していたのかはよくわからない。
これまたよくわからないのがゾラの1880年の小説「ナナ」では、ヒロインがヴェリエテ劇場でほぼ全裸を披露して観客を魅了するという場面があるのだが、実際のところどうだったのだろう? 本記事はカンカンについてなので劇場のヌードについては語りつくせないので、今後の課題としておきたい。
1889年開業、1915年に一度焼失するも再興し、ドイツ占領時代にも営業を続けて今に至る。
モネの絵画、「フォリー・ベルジェールのバー」の舞台としても知られる。また、黒人系の女性Josephine Bakerが活躍したキャバレーとしても知られる。バナナ型のスカート以外はほとんど身に着けていないエキゾチックな姿がオリエンタリズムの流行した当時ヒットしたのだが、後にその恰好が人種差別的だとされるようになり、そこからネグリチュード、黒人意識の発展にも寄与した。また、彼女は黒人の人権活動家としても知られている。最近、グーグルが彼女の生涯を記念するドゥードゥルをトップにした。
1869年に開業、1872年に今の名前になる。けばけばしい衣装で知られ、時としてヌードも披露されることで知られる。
映画「ファイアbyルブタン」で有名。セミヌードを含む映画の公式予告がyoutubeに上がっている。身体をやわらかな特殊素材のように扱ったショーは性欲やエロスの向こう側に行ってしまっており、すごいものになっているとしか言えない。リンクを貼ったら怒られそうなので検索してください。もちろん、そこまで独特なものではなく、もっとわかりやすいショーもある。
ユニークなのはそのショーの一部をyoutubeの公式チャンネルで公開していることだろう。かなり古い白黒のものまである。それと、公式ホームページ見ていたら驚いたのだけれども、リド自体には12歳以下の子どもでも入場できるそうである。ヌードやトップレスがないショーならOKなのか、それとも芸術のヌードならOKなのか。フランス映画、年齢制限がないやつでも割と普通におっぱい出てくるし、表現規制の国ごとの温度差を示す実例であるのかもしれない。
1946年開業。1920年代の人工的な砂浜をその前身とする。
「ストリップティーズ」の項目によれば1960年代に全裸のショーが行われた、とある。
現に、創業者であるアラン・ベルナルダンは芸術性を伴った女性のヌードショーを見せるという着想に至ったそうで、要するに最初から全裸である。
とはいえ、ただの全裸ではなく、巧みな照明技術により女性の裸体をキャンバスのようにとらえ、万華鏡のようなカラフルかつシャープな模様をダンサーの肌に映し出していることに特徴がある。ただ脱いだだけではないそうだ。1951年開業。
天国と地獄の曲を初めて聞いたのは文明堂のCMと、音楽ファンタジーゆめでだ。後者はCGの黎明期であったせいかサイケデリックな表現が多く、当時の感覚としても幾分薄気味悪いと同時に、今から振り返ってみると技術の未熟さ(失礼!)から来るアルカイック芸術のような独特の魅力があったように思われる。
ところで、この曲は地獄のオルフェとしても知られている。タイトルからすると、ギリシア神話のオルフェウスが死んだ妻を冥界から取り戻そうするとする話のはずだ。なのに、なんでこんな軽快な曲なのだろうと思って調べたら、ギリシア神話のパロディ的なオペレッタだからだそうだ。なるほど。
こうしたレオタード姿のラインダンスはカンカンではないと述べたが、それではこれはいつからあるのか調べたい。おそらく日本国内では宝塚歌劇団と関係している。また、バーレスク的なものとの関連について知りたく思う。そもそもバーレスクとは何か、僕はよくわかっていない。日本語版のウィキペディアのバーレスクの記事には、乳首と陰部に前貼りを貼っただけの姿でパフォーマンスをする女性の写真がある。リンクは張らないが、鍛えられたきれいな体だなあ、僕も筋トレ頑張らなきゃなあ、とは思う。しかし、欲望はそこまで感じなかった。隙がないのである。
ドイツが高騰でしょ。
1位、アメリカ🇺🇸
2位、中国🇨🇳
3位、ロシア🇷🇺
4位、インド🇮🇳
5位、イギリス🇬🇧
6位、フランス🇫🇷
7位、パキスタン🇵🇰
8位、韓国🇰🇷
9位、インドネシア🇲🇨
13位、トルコ🇹🇷
14位、ブラジル🇧🇷
15位、サウジアラビア🇸🇦
16位、マレーシア🇲🇾
18位、メキシコ🇲🇽
19位、ナイジェリア🇳🇬
金持ちはセキュリティばっちりのところに住めるし私設警備員雇えるし気に入らなきゃ弁護士も雇えるからどうでもいいし
あるけど公開範囲が狭く写真も更新掛けず観光以外は受け入れていない国もあるよ。ドイツとかね
【年月日】平成17年9月27日
一 争点(1)(本件写真の撮影及び本件サイトへの掲載行為は原告の肖像権を侵害するか否か。)について
(1)何人も、個人の私生活上の自由として、みだりに自己の容貌や姿態を撮影されたり、
撮影された肖像写真を公表されないという人格的利益を有しており、これは肖像権として法的に保護されるものと解される。
<略>
(イ)これに対し、被告らは、
①本件写真は一般人であれば公開を欲しない情報ではない上、公開されている情報であるから、
②本件写真は一般的な公共の場所で、原告が単に歩いている場面を原告に何らの心理的負担を与えることなく
撮影したにすぎないから、肖像権を侵害するものではないと主張する。
しかし、特定のファッションを楽しむ原告の姿は、原告が公道上を歩いているとしても、
本件写真が撮影されることにより原告の容貌等が記録され、これが本件サイトに掲載されることにより、
また、本件写真は、原告の全身像に焦点を絞り込み、容貌を含めて大写しに撮影したものであるところ、
このような写真の撮影方法は、撮影した写真の一部にたまたま特定の個人が写り込んだ場合や不特定多数の者の姿を
全体的に撮影した場合とは異なり、上記(ア)のとおり被写体となった原告に強い心理的負担を覚えさせるものというべきである。
以上のとおりであるから、被告らの上記主張は、いずれも理由がない。
(ウ)したがって、原告の承諾を得ずに、本件写真を撮影し、これを本件サイトに掲載した被告らの行為は、
日本ユニ著作権センター/判例全文・2005/09/27
あーわかるなー。各人のマジレスなんてものは当然是々非々なわけで、そんなの当たり前で、バズった意見が正しいなんてこたぁねーんだよな。
ラブライブは世間では人気だから言えないが個人的にはあまり好きじゃない。
界隈ではあまり評価が高くないみたいだが自分はターンエーガンダムは普通に好きだし、
経済的にはあまり振るわなかったけどエウレカセブンの続編も好き。
とかね。
でもそれらを意見表明したらどうなると思う?
「どの意見が覇権を取って支配的になるか」の、謎の「SNSの見解」の座を勝ち取る領土戦争みたいな。
要は自分の意見に自信が無いんだろう。寄らば大樹の陰。ただただ大樹、勝ち馬に乗りたいだけであって、意見はどうでもいいんだ。なんだろう、自分は何もしてないのに強くなったような、無双状態の気分になれるから。虎の威を借りる狐かな。キョロ充みたいな。気持ちはわかる。
ドイツの教育上の哲学だったか、「たとえ、たった一人だけの意見になってもそれを主張できるような人間を育てる」みたいな。その思想と正反対な状況わね。
戦間期のドイツで失敗した制度でも制約を課すとかで何とか運用してるのが民主主義でしょ
だったら国家が子供を育てても問題にならないような運用の仕方はいくらでも考えつくでしょう
似たようなものとしたら世界中には孤児院だってあるし、日本なら所謂「施設」だってあるんだからおそらく無理な話ではないし、それらの施設が完全に失敗した制度だとでも思ってんの?
ドイツの地元当局の発表では、この像は「戦時下の女性への性暴力に抗議の意思を示す芸術作品」という説明があり、設置を許可したとのことだ。
問題について不案内なドイツの人たちにはすんなり受け入れられたのかもしれないが、私は設置者側のこの説明に、強い違和感を覚えずにはいられない。
あの慰安婦像は、旧日本軍の慰安婦問題に関して日本を抗議・糾弾する運動のために作られ、実際に9年にわたって、その役割を存分に担ってきた。その結果、「平和の少女像」というタイトルとは逆に、この像ができて以来、日韓で人々の反感や不信、憎悪はむしろ膨らんでいる。原因は慰安婦問題だけでないが、それによる両国の感情的なぎくしゃくや対立は根深い。原作者の意図はどうあれ、この像はもはや日韓対立のシンボルでさえある。
特定の役割を担い、平和ではなく不和の象徴となっている像が、「戦時下の女性への性暴力」という普遍的なテーマを扱うのにふさわしいのだろうか。
何やら記事の後半では日本の極右の動きが悪い、どうたらこうたら書いてあるが前半部分で台無し。
像を撤去するという考え方の時点で江川さんも既に極右の連中と同様に誤っているんだよ。
不快感を覚える日本人がいたところで、それはお門違い、逆切れなんだよ。
このまま世界中に建てたらいい。