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はてなキーワード: ゾーニングとは

2022-04-24

BL漫画キモすぎて皮肉にもフェミ気持ち理解できた

東京都有害図書指定されたという不満を言っていたBL作家ツイートホッテントリに入ってて、BLってそもそもどんな漫画なんやと該当作家BL漫画の表紙だけ見たらキモくて吐きそうになった(個人の感想です

銀魂とかでBLジョークにするネタとかもあって笑ってたけどガチのやつはヤバイですわ

これは隔離しなきゃな、こんなもんを全年齢で売るとか頭おかしいだろ、子供の目に入れたくない……とまで考えてフェミってこんな気持ちだったのか………………と理解

うん、きっとたわわもキモいんだろう。俺が銀魂BLで笑ってたみたいに、漫画太郎ババアおっぱいが全年齢で丸出しでも別にいいだろう。ただ「たわわ」みたいなのはかにゾーニングして、見たい人だけ見れるようにしたらいいな。BLの方もよろしく頼むでマジで

そういう気持ちになっている

2022-04-23

結局たわわ問題がどう収束するかは選挙を待つしかないの?

正直表現の自由重視派とゾーニング派のやり取りは議論とは呼べないただの平行線の罵り合いだし、もう参院選まではこの流れが続くんだろうなと諦めてる

ゾーニング派は立憲・共産社民ジェンダー平等を前面に押し出し政党議員数をどれだけ増やせるか

表現の自由派はエロ表現の自由を重視する議員赤松健(自民)、藤末健三(自民)、石井苗子(維新)など)を何人通せるか

まあどうせ終わっても罵り合いは続くんだろうなあと思うが、少しは現実が見えるだろ

2022-04-22

たわわはエロ漫画としてゾーニングすべきだったよ

なあ表現の自由戦士って別にそこまでたわわもエロ漫画も、すきじゃないだろ

フェミ叩く道具がほしいだけ

出版社も成人向けと一般向けのパイ両取りとか頭お花畑かよ

18禁エロ同人誌をヤフオクで全年齢で出品するやつとか昔いたけど、それとやってること同じなんだよな。だってこっちのほうが売れるんだもん。じゃねーよ

もう頼むからちゃんゾーニングしようぜ。日経とか妻も読むし、そういう気まずさを持ってくんな。外界とは区別された隔離空間からこそJKおっぱいを堂々と視姦する楽しみを開陳できるんだろうが。おれだって日経ジャニー喜多川みたいなおっさん少年を視姦する漫画広告載ってたら不快だし気分悪くなるけど、18禁コーナーなら何も言わんぞ

そういえば昔道端でシコってるおっさんがいて、今ああ、そういうことかと合点してる

現在日経掲載されたたわわがホットですが、この手の話題って結構ありましたよね。

性的まなざしだーーって批判する側はポルノを全て廃止せよとは言ってないんだよね。今回もナゼに日経に??ってのが焦点なわけで。つまりゾーニングきちんとやってね、って要望なのよね。

なのに、アンチフェミとやらは表現の自由をたてにあーだこーだ言ってるわけだ。

で、思い出したのが、道端で己のイチモツをしごいてたおっさんのこと。

自分の部屋の中でやりゃーいいもんを、何故か他人に見せつけるようにシコシコしてるわけだ。見せつけるようにね。

たわわや温泉むすめもそう。見せつけてくるのね。そしてあーだこーだ言って何がエロいんだ??みたいな口ぶりでさ。やめてやめてというほど絡んでくる。

結局この手の人たちは女性が抱く嫌悪のものを楽しんでるのよ。ほんとキショい奴ら。つまり露出狂かつ加虐趣味の人たち。

anond:20220422143330

概ね社会コンセンサスのとれている基準ゾーニングする分には問題無いけど、

ツイフェミ場合は、お気持ち基準規制しろと言ってるから、そこに歯止めはかからないだろって話よ。

エロ糾弾されて人殺しはいいのかよ!

じゃないよ、落ち着け

表現の自由として人殺しエロ基本的には自由であるべき。ゾーニングとか程度の問題はもちろんある。過度であればR指定がどちらも必要

でもなんでエロだけやいのやいの言われるか、というと人殺しと違って犯罪じゃないときがあるからなんだよ。

人殺しはいかなる理由があっても正当防衛を除き刑罰適応される。

でもエロは、というと多くの場合合法である恋人同士のセックス合法だし風俗店で初対面の女性の乳を揉むのも合法

ここが表現規制派の声を荒げている点だと思う。

セックス合法、でも同意がなければ違法という曖昧さ。

刑法で裁かれない罪の意識のないものに先回りして鉄槌を加えたいという思想ではないかと思うんだよ。

あと現状性犯罪への罪が軽すぎるのもその思想拍車をかけている。

なので、この一連の話題解決するのは刑罰厳罰化と明文化に他ならないんじゃないかな。

ここはきっちり犯罪ゾーンですと分かればそういうエンタメとして万人が納得できる。

曖昧さ回避こそ表現の自由の根幹ではないだろうか?

anond:20220422013454

実際一昔前までは出られなかったし、今でも出演歴バレて干される人いっぱいいるじゃん。

今は、職業差別はよくないって建前のもと出してもらえるようになったけど、それでも戦隊物ぐらいのフィクションの悪役とかバラエティ番組ぐらいまでであり、歌のお姉さんとかお天気お姉さんとかニュースを読む女子アナにはなれないからね。そういうラインゾーニングされてるよ。で、日経ってクオリティペーパーだから後者側だと思うんだけどな。

2022-04-21

裕木奈江は一部正しい

https://twitter.com/nae_auth/status/1516394011325571072

このツイート話題となっている。スレッドの上のほうで「ゾーニング」がどうこうと言っているので、『月曜日のたわわ』の問題についての話ということでいいはずだ。

このツイート特に問題になっているのは、「自由な娯楽を嗜むには一定以上の知性が必要で、そうでない人には自制が難しく作品に影響され自分勝手感情的な行動をとりやすくなってしまう」という部分だ。

多い批判が「選民思想だ」みたいな話である。まあ選民的でないとは言い難いのだが、youtubeとかYahooニュースコメントとか見ればわかると思うけど、世の中話が通じない人っていうのはかなりいる。娯楽作品を「正しく」楽しめる人っていうのは、楽観的に見て、世間の半分、いや三分の一……くらいは……いてほしいが、多分「マイノリティ(!)」である

この主張は、要するに娯楽作品犯罪描写に影響されて犯罪を起こす、という話に基づいている。これについてはいくつかの研究があったと記憶しているが、肯定的だったり否定的だったりする結論が出ていたはずだ。

これらの研究のどちらが正しいかという話をしたいわけではないので、まあそこはなんとも言い難い。ここで問題なのは科学的な議論ではなく、表現の自由のような社会問題を論じるときに、このような(たぶん)科学的な研究に基づいたフリをして、賛成・反対に立つ人間が主張することである

そういう人たちが、論文を読み比べた結果としてどちらの研究がより正しいと考えられるのでそちら側に立つ、なんて手順を踏んでいるわけがない。結論合致する研究を持ち出すだけだ。大麻合法化とかの話もこういう議論が行われているはずで、これの良しあしがどうとかいう以前に、議論が成立するはずがない。

で、いわゆる「表現の自由戦士」(この言葉に「ネトウヨ」とかみたいに侮蔑的ニュアンスが含まれているのかもしれませんが、単に他の表現を知らないので使っている、とポリコレ的な言い訳をしておきます)の側にとってマズいのは、学者の間で、「人間は娯楽作品表現に影響されて犯罪を起こす傾向がある」という考えがコンセンサスを得てしまうことだろう。

彼ら戦士たちは、上記のようなことはない、という立場研究にかなり依拠して自らの主張を保持しえているのだから、もしそういうことになったら大変だ。大体学問世界は割とリベラルが力を持っているわけで、結構危機的なんじゃないだろうか。

わざわざこんな文章を書くくらいだから、私も娯楽作品の内容に規制がかけられたくはない側の人間である。単にポリティカルにコレクトな内容の娯楽なんか読まされてもクソつまらいからというだけなので、「表現の自由戦士」のみなさんには怒られそうですが。

そういうわけで、学問世界が(日本のクソバカな)リベラルにとって都合のいい方向に行ったときに、表現規制されるということはこのままでは避けられないし、実際(単にクレームとそれへの対応によってではあるが)様々な「自主規制」が幅を利かせ始めている状況である

一方で「創作に影響されて犯罪を起こすことはあり得ない」というのは、ある種創作矮小化しているのではないか

そこで、リベラル理屈をひっくり返して使ってしまえばいいのだ。ここでは、「娯楽作品犯罪描写に影響されて犯罪を起こす人がいる」という話はある程度事実だと認めてしまおう。

でもって、「自制が難しく作品に影響され自分勝手感情的な行動をとりやすくなってしまう」「自由な娯楽を嗜む」のに必要な「一定以上の知性」がない人もいるという側面もあるにはあるだろう。(ただし、私はこういうのは「知性」というよりは、「常識」とか「(人文・社会自然科学的な素養」の問題なんじゃないかと思う)

宮崎勤事件報道リアルタイムでは知らないが、要するに宮崎勤オタクで、ロリコンポルノに影響されて事件を起こした、という理屈がまかり通っていたはずだ。Wikipediaを読む限りはそれは否定されているようだが、有名ではなくとも、そういう事件はあったにはあっただろう。

日本で語られる「犯罪動機」が大体警察の作文であるにしても、根っこにそういうことが潜在的にあること自体否定するのは困難だろう。

しかし、宮崎勤事件もそうだが、センセーショナル報道される事件というのは、無差別殺人みたいに、わかりやすく怖くて視聴率が取れる事件である。たいていの犯罪は、非常に狭い人間関係での問題か、経済的問題によるものであって、そういう事件レアケースなのだ

まして「自由な娯楽を嗜む」のに必要な「一定以上の知性」がない人が、それが原因で事件を起こすというのは、世の中の犯罪のなかでも非常にレアケースで、リスク自動車とかのほうがはるかに高いだろう。

そんなことをいちいち予防して回るのは、過保護しか言いようがない。

しかし一方で、そういうので「不安だ」とかみんな言うわけであるちょっと違う話だが、(ポルノとかじゃなく、ガチの)性犯罪者GPS発信機をつけて位置情報を公開すべきだ、と言う話について、「不安を解消するためには、この程度の人権制限必要だ」という意見が、有名人から発信されていた。個人的には、人権をそんな風にとらえる人間が同じ社会にいるのは結構不安なのだが……。

リベラルな人らが大好きな日本国憲法を読めば、権利制限は「公共の福祉」に基づくべきだ、とみんな理解できるはずだ。「安心」なんてものは「公共の福祉」なんかではありえないだろう。「不安」なんてことのためにいろんなことを規制するのは、公権力がやるべきことではない。

大体、世間の人々が不安になるのは、マスメディア報道に「影響されている」からだろう。日本はこんな社会なのに、恐ろしいことに犯罪は減少傾向だったはずだ。みんなもっと科学思考をしてほしい。特に学問しか取り柄のないリベラル学者のみなさんは、このような世間の風潮を批判すべきであって、それに便乗して、多くの善良な人々を、人権などクソほども守られない日本監獄にブチこめるようにすることなんか望むのでは、「リベラル」という言葉無意味どころか逆の意味になるじゃないか。なってるんですけどね。それも「グローバル」に。

表現規制」に反対する側が言うべきなのは、以下のようなことだろう。

「娯楽作品には人を影響する力があるし、それによって犯罪を起こす人もいるかもしれない。でもそんなの犯罪の中ではレアケースですよ。あなたたちテレビ報道に『影響されて』言ってるんじゃないの?そんなことのために我々『一定以上の知性』がある人々から自由を取り上げるのは、『マイノリティ』の迫害だ!」

anond:20220421202705

(o´・ω・`o)

ゾーニング(笑 ねぇ…

ツイッタ、インスタ、ここ増田、くらいのでエエじゃないか

anond:20220421201432

一人の成人が、漫画本買って写真をアップするだけでもう批判されること自体が既に異常なんだよね。

表現の自由ゾーニングか以前に、個人の行動に制限をかけるのは人権侵害になりかねない。

2022-04-20

吉野家の件でオタクが静かだなと思ったら〜と始まるツイート、「こんな感じでエロ絵描いてバズらせたりしてました」ってセンシティブ設定だった絵を転載

ゾーニングしてても破るし、見たくない人にも触れない人にも配慮なし。無意味

わざわざエロを探してひたすら批判したいってことですよね?

https://twitter.com/oriii_chance/status/1516606773150760964

山田の性活が第一氏の凍結、センシティブ設定をしていたにも関わらずセンシティブ設定をしてない馬鹿無断転載で氏の作品を広めた結果みたいだな。無断転載する様なやつはどんどん凍結させるしか無い。ゾーニングは守れ

https://twitter.com/Watts_D8/status/1516698376045494276

問題のツイフェミツイート

https://twitter.com/0721_gg/status/1516368620259258371

anond:20220420170538

ツッコミ所多すぎて、自分の嫌いなもの攻撃することと自分の好きなものを守ることの両立のために炎上したケースごとに都合よくフェミニズム子供の人権理論つまみ食いしてるようにしか見えん。

本屋のくだりもガバガバ過ぎる。結局プロセスの中で子供に見せてるだろそれ?そしてそれは見えないようにできるだろ?できるんだからすればいいじゃん。

風俗看板も店名だけ分かるようにしてゲス文章は削除するように工夫できるし実際そうしてきたんだよ。

それを完全に徹底して世界からなくすのは無理ってことと、でもできるだけもっとちゃんゾーニングするってことは全然両立するだろ。

それが女性向けに跳ね返ってきたからかもしれないけど、なんかオッサンみたいなこと言ってるぞ?

後半も、じゃあ「新社会人に向けて」って理屈さえなかったら新聞広告になってOKだったのか?

未成年キャラBLもまた「癒し」「ご褒美」として接種されてるものではないのか?

そういう消費そのもの自体がずっと批判されてきたのであり、男性向け作品がに限らずもう背負うべき時代なんでは?

anond:20220420162427

BLにかぎらず、ソフトエロ表現全般について、本屋で売ることについてはそんなに気にしてない。

本屋って、漫画にかぎらず、文庫本の並びにフランス書院文庫も並んでたりとか、その横には成人向けじゃないけど強めのセックス描写あるハードボイルドとかも普通にあるし、厳密なゾーニングあんまりされてないけど、なんとなくの棲み分けはできてるでしょ。

まあ、すごい昔、かわいい少女漫画だと思って立ち読みしたらロリエロ漫画誌でショック受けたことはあるけど、今どきそこまでまぜこぜに置かれてるほうがレアだと思う。

初見じゃわからないって言っても、本屋に通う子供ってだいたい小さいころから地元本屋にずっと通ってて本屋内の配置に土地勘あるのが普通じゃない?「あのへんの棚はいかがわしい本あるから入れない」みたいな認識はなんとなく持ってたと思う。大人向けの本と子供向けの本をまぜこぜに売ってる本屋学校の中でも「あの本屋エロい」って言われてて子供は入っちゃダメ雰囲気だったりとか。

初見時のショックについては、普通に生活してる限りどこでもあり得る話で、路地入ったら風俗店があったりとかするわけだし、そこまで全部浄化するのは難しいと思うよ。

で、これは自分私見だけど、たわわ広告については、広告出稿の文脈に「新社会人に向けて」と公共性を持たせてるにも関わらず、ソフトエロ表現を「癒やし」「ご褒美」といった文脈提供していることが問題だと思ってるよ。たわわ売りたいだけならそんなに気にならないよ。

anond:20220420153316

普通に本屋に置かれてることはどうなん?18禁ゾーニングしてもいいよって同意してくれそうだけど

月曜日のたわわと同じくらいの「18禁じゃないし裸体も出てこないけど微エロ」くらいのBL書店からなくなったら怒る腐女子の方が多そうだけど。

それとも元増田に出てくるような新聞広告ダメだけど書店は良い派?

anond:20220420145508

まあ腐女子フェミニズムを一緒にやった上で現在BLゾーニング状況を肯定するってことは論理的整合性とれないわな。無理無理無理。

子供の見れる場所に置いていいけど広告ダメ」女オタと男オタの立場の違い

(※筆者はどちらかというと自主規制が今よりキツくなることを消極的ではあるが支持している派。これはこの記事の本筋とは少しズレるのだが、一応書いておく)

話題のたわわ論争で語られる論点は多岐に渡っていて、包括的に語るのは難しいのだが

今回その中で1個ピックアップして、面白いと思ったのだが自分の中で上手く理解できていない立場対立点について書いてみる。

当てはまる人や解説できる人がはてなにいたら是非レスポンスして欲しい。

オタク側の一部から出た

「たわわと同程度"問題"のある描写や内容、未成年キャラを使ったソフトコア的な性表現は、女性向け作品(特に例に挙げられやすいのはBL)でも世の中に溢れておりそれらは容認されている。よってこのような広告自主規制しなくてよい」

というような意見に対し

女性オタク側の一部が

「それらは新聞広告になっていない。新聞広告になっていることが論点として重要

と返しているケースが多く見られる。これが個人的には凄く面白い

なぜかというと、上で挙げた

「たわわと同程度"問題"のある描写や内容、未成年キャラを使ったソフトコア的な性表現のある女性向け作品

は、新聞広告にはなっていなくとも(そもそもここの真偽の問題はあるが一旦置いておく)18歳以下でも入れる書店普通に平積みされ販売されているからだ。

これは

子供(18歳以下)でも見れる場所に置いていいが、新聞広告にするのはダメ

という基準を持った立場存在するらしいということを意味する。

この立場自分的にはなかなか理解できていない。かなり特殊なことを言っているように見えて面白いが、やはり理解はできない。

そもそも子供が見れる場所」なるもの重要視するのが間違いで(とはいえこのワードはずっとゾーニング議論で長年出てきてはいたが)新聞広告に「子供が見れる場所」云々とはまた違う特殊公共性があるのか?

それとも、書店というものにある種の特権性があり自主規制ラインが変わってくるのか?その場合いわゆるヘイト本などの問題はどう処理されるのか?

あるいは、同程度の性表現未成年キャラクターの性的消費が行われていたとしても、キャラクターが男か女か、見る人が(たとえ18歳未満の子供だとしても)男か女かにより変わるのか?消費することそのもの問題はどうなるのか?

様々な疑問が湧いてくるので、この立場に当てはまる方がいたら是非説明して頂きたい。

その上で、今現在自分感想を正直に言えば、この立場論理的に整理するのはかなり難しく

もし、たわわの新聞広告自主規制されるのなら、上で挙げた「たわわと同程度"問題"のある描写や内容、未成年キャラを使ったソフトコア的な性表現のある女性向け作品」も一緒に今よりキツくゾーニングされるのは避けられないと思っている。

上記のような作品

新聞広告にするのはダメだし、子供(18歳以下)でも見れる書店に置くのもダメ

とするか

新聞広告にしていいし、子供(18歳以下)でも見れる書店に置くのもいい」

とするか

このどちらかのみがどう考えても論理的には正しく

おそらくどちらかがセーフでどちらかがアウトというのは成り立たないのではないか

最後

この議論自体がwhatboutism的に捉えられそうなので一応書いておくが、これは当て擦りのような事がしたい訳ではない。

筆者個人の考えとしては、1番最初の※で「仕方ない」と表現しているように、消極的ではあるが上記のような形で自主規制が進むのを支持している(なぜそうなったかはあまりにも長くなるので省くが)

「やるとしたらこういうラインになる」という話をしたのみだし、実際にそうなってよい。ここは男性オタクから批判されてしまうところだと思うが。まあ最初に書いたようにここは話の本筋ではないのでスルーして欲しい。

anond:20220420090610

赤松健山田太郎も全く攻撃されとらんがな。

エロけが守るべき母国なら、表現の自由なんて幅広い言葉を使わずに、エロゾーニングしない自由と言ってほしい。

Chim↑Pomのいう多様性って約束事を破っても許される自由ってこと?

4/19、16時少し前、Chim↑PomTwitterhttps://twitter.com/chimpomworks/status/1516309905828810753/photo/1)で改名のお知らせが出ていた。

まず、内容をざっとまとめよう。

Chim↑Pomは”際どい社会人である“間違ってもただの「健全」なグループだと勘違い”してはいけないグループだと自称している現代アーティスト

Chim↑Pom現在森美術館個展を2月から5月末まで開催中(開催真っ只中!)

・会場準備の設営費の一部に協賛金が必要になっていた(1000万円ほど)

・そんな協賛金のうち、Smappa!Group接客を伴う水商売ホストなど)の会社であり、Chim↑Pomと数々の協働もしてきている会社Chim↑Pomの一人であるエリイ」の夫が会長を務める会社でもある。)の金額のみ森美術館受理していない

受理していない理由は「六本木ヒルズという『まちづくり』における『ブランディング』」「森美術館ヒルズという『文化都市』の顔である」と森美術館は言っている

これに対してChim↑Pomは、

受理しないことは、”アートによる「多様性」と取るか「『多様性』の搾取」と取るかは、議論必要である

受理しないことは、クリエイティブ産業が街から「猥雑」なものを十把一絡げに職業属性により排除する「旧来のジェントリフィケーション」の典型だとも捉えている

社会全体、そして、特に多様性をうたう森美術館が”実態としては公共性よりもブランディングを優先し、いざ自身問題として直面すると排除する、という常套手段がまかり通ることに対しての違和感をここに強く示す”

そもそも、「スーパーラットポケモンピカチュウを模して渋谷の街で捕まえたネズミ黄色く、頬は赤くしたもの)」の美術館内での展示ができず、美術館内ではなく共同プロジェクトスペース内での展示という落としどころになっていたことも”「表現の自由」に議論余地ができた”ことだったから、水面下の交渉限界を感じ、発表した

・同時開催で別のイベントもするから遊びに来てね

でもって、森美術館

・全媒体広告物の「Chim↑Pom」の名前を「Chim↑Pom from Smappa!Group」に変更して今後は使用する(使用開始の期限はGW明け5/15)

・Smappa!Groupの協賛金受け取りとロゴ掲載検討

の2つを誠意を持って対応しろ

という感じだろうか。

改名、いいじゃないの、したらいい。意志表示、どんどんしたらいい。

でも、いくつかの点で、この声明文に物申したい。

おっと、その前に。まず、増田当事者でもないし森美術館および森ビル関係者でもChim↑Pomファンでもない。

そのため、すべてのことは想像しかなく、中には事実と反することもあるだろう。

それを踏まえて、聞いてもらいたい。

①”多様性””公共””ブランディングを優先””ジェントリフィケーション

キャッチーで、そうそう、そうなんだよ、反体制スピリット!と、どこかアナーキーアーティスト性に酔いしれたいファン応援したくなる巧みな言葉遣いうまい、うますぎる

⇒だけど、待って。多様性って「いつでも全てを無条件ですべてを認める」ということなのだろうか。幼稚園ロリコンの成人が混ざりたいといっても、幼稚園には幼稚園対象があり断られるように、NHK企業名を出さないように、R18のゾーニングをすることのように、男湯と女湯を分けることのように、さまざまな無条件ではない場合にも、そこに多様性がないわけではない。多様性とは、で調べると、「幅広く性質の異なる群が存在すること。」とある。そうだと思う。『群』だと思う。その『群』を否定してはいけないが、その『群』が完全に混ざり合う必要はないのでは。だから多様性の一つの解釈に「いたずらに何かを排除してはいけない」があるといえるだろう。今回は「排除」しているのかもしれないが「いたずらに」ではない。そもそも、”公共”の要素を持っているからといって、森美術館は『株式会社』だ。”ブランディングを優先”そりゃそうだ。株式会社だ。権威であろうと、体制であろうと、そこには日々の生活と日々の業務があり、誰かにとっての、そして企業にとっての小さな信頼と伝統を積み重ねてきた「商いの形」がある。そんな「商い」の中で、交渉をし、契約を結び、落としどころを見つけながら話していることは、「いたずらに」ではないのではないか。そこには企業としての意思がある。

ジェントリフィケーション、その通り。『都市開発』では『都市』を『開発』するのだから、そりゃあジェントリフィケーションが起きる。でも、それとこれとは別の話ではないか接客を伴う水商売を悪いものとしているわけでも否定しているわけでもなく、ただ「うちとは合わないよね」といっている話に、たいそうにジェントリフィケーションを持ち出されても、森美術館の言う通り「ブランディング」の内側の話を拡大解釈しすぎではないだろうか。

約束ってそんな簡単に破ってもいいの?

改めて、会期中、しかも会期残り2週間のためにすべてを修正しろっていうのは担当者のことを考えると辛すぎる

アートと商いは相性が悪いという話は、アートと商いがとっても相性がいいという話と同じくらいよく見受けられる。アートの中で、資本主義は時に否定され、時に資本主義と共に大きく幅を利かせている。

⇒会期残り2週間のために用意しているあらゆる媒体資料広報資料名前を『物理的に(印刷など)』修正し、デジタルであっても『修正依頼を(人力で)』ひとつずつかけて、すでに用意していた様々な資料もすべてをやりなおす。だれがその資金を工面するのだろうか。森美術館がするのか?商いを馬鹿にしすぎている。契約という約束事が軽すぎないか

⇒人気も出てきた、会期も真ん中、なぜいま発表をする?別で準備しているイベントがまとまったからか?なんなんだ?Chim↑PomChim↑Pom契約同意し、うまみがあったり意義があったり面白味があったりいろいろな理由を超えて「森美術館でやりたい」と同意たから、会期が始まっているのに、なぜ、今なのだ?そんなに不快なら仕事を受けなければよかったのかもしれない。始まる前に話し合ったり声明文を出すのも手だったかもしれない。でも、今、すでに始まった中で後から手を翻し、ずっと怒っていたと一方的にきざな言葉で並べ立てるのは、いささか「商いを馬鹿にしすぎている」としか思えない。ひとりひとりのお客さまからお金をいただいて、ひとつひとつ企業さまからお金をいただいて、誰かのお金になるように、経済を回すこと、生活すること、権力だろうと権威だろうと体制だろうと、そこには人がいるし、そこには道理があるのではないだろうか。強者に対してなら何をしてもいいとでも思っているのだろうか?

そもそも、会場設営費の1000万円って・・・

⇒会場に行った方なら体感できるだろうし、行っていなくても写真を見たらわかるだろうが、今回の展示、かなりアグレッシブな展示方法も展示手法も含まれている。これは予算が…これは消防法…設営の順番大変そう…いろいろな制約を乗り越えられるよう、ひとつひとつアーティストと館の間を取り持ち、掛け合いながら進んだのではないか、と感じさせる会場だ。

⇒1000万円、通常の展示ではないことをたくさんする(=森美術館としては、新しさのあることにしたい&今までのChim↑Pom活動をそのまま紹介できるようにしたい)という意志もあって、「会社的にはこれ以上の設営費の負担ができないので、その形での展示は出来ないのですが、設営費をいただけたら、なんとか…」という落としどころをもって話した結果だったりはしないのだろうか。

⇒そのうえで、「受理していない」場合は、その「不足額」は誰が払っているのだろうか、「その協賛金を受け取れないのは森美術館側の話だから、その不足分は森美術館で持ちます、だからすみません」そんなやりとりがあったのではないだろうか。スーパーラットの展示を美術館内で出来ないと判断されても、展示の流れに組み込みたいという思いで共同プロジェクトスペースに設置しているのを思うと、ついついそんなことを想像してしまう。

物事多面的で、憶測でモノを申している立場で本当に申し訳ないが、

やっぱりこの声明文でChim↑Pom評価されていることに納得がいかない。

きざな言葉を並べて、弱いふりをすれば、もしくは本当に弱者立場であるからといって「弱さを盾にすれば、権威のことを後ろから殴ってもいい」そんなわけがないと自分は思う。

2022-04-19

anond:20220418190253

(続き)教育に悪いと思うのはまさしく偏った価値観に基づく考えだ。

100万年前とかにまれていたら裸でほっつき歩いていても何も感じるものはないはずだからだ。

その教育に悪いという考えで子供に性に関するあらゆることを隠すことが、子供に性に関することへの後ろめたさを植えつけることになるのだ。

そもそも法律撤廃されると言う前提ならその未来撤廃された世の中で裸で歩いていても全く反社会的な行動ということにはならないので、裸を見て育つことが将来裸になって歩く因子になっているのだとしても、教育に悪いということには全くならないはずである

法改正直後には街やテレビ映像として裸が視界に入ってくることになり、それに不快感を示す人も一定数出て来ることだろう。

しか社会の移行期には誰かしら不都合を被る層が出てきてしまうことは当然なのである

産業が変わるときだって失業者は出て来るものだ。

一切の不都合を被る層が出て来ることを恐れてはより理想的な方向への変革もままならないのである

LGBTに対する多様性を確保した次には、このような法改正をすることでより大きな多様性を確保していくべきである

いずれネイティブに性に後ろめたさを感じる人はいなくなっていって、裸に不快感を示すことなど「お気持ち」に過ぎなくなるだろう。

ある意味原始時代に戻るわけである原始時代においてそんなことに不快感を感じる人など奇異な存在というものである

どんなときでも服を着なければならないということではなくなることによって、社会はより合理的に回るようになるだろう。

それだけではなく、同意の無い他人を巻き込まない限りは街中でオナニーすることや野外セックスだって可能である

こんなことを言えば、また教育に悪いとか言う人が出て来るだろうか。

極端な話だが目の前で殺人が起こったからといってただちにの子供の将来が殺人犯ということになっていくのだろうか。

そこらへんもひっくるめてリアルタイム子供矯正していくのが親の務めだと思う。

しろ自己完結的なあるいは納得ずくの性行為同意なき人を巻き込んだ性行為との峻別を絶えず親は教えていくべきである

街中で他人の納得づくの二者間のセックスを見たからといって、その子供の将来がただちに強姦魔に決するというのは、殺人の一部始終を見た子供殺人をするようになる以上の飛躍というものである

普通に教育すればこれほどの飛躍が発生することはまずないはずである

現代面前DVの定義には性行為を見せることというのがあるそうだが、個人的には嫌なことを強要し続けた段階で何事もDVであると思う。

逆に、嫌なそぶりを見せたらすぐひっこめればDVには当たらないと思う。

教育用のひらがなを教えるようなビデオを見せても関心を示さな子供の首を無理やり固定してするようなことはむしろ虐待であるから勉強かに興味がないとわかったら、ただちにボール遊びとか、次の将来につがなるなかで子供が興味を示すようなことを模索するものである

それと同じ感覚で性行為を見せるのには問題はないと思う。

興味を示したらもっと見せればよく、将来AV俳優として大成するかもしれない。

興味を示さなかった以後ら見せなくすればいいだけの話である

性に関することについて何が処罰される社会に変わるのか少しわかりづらいかもしれない。

簡単に言えば現代でも強要罪にあてはまるもの処罰対象限定されるようになるということである

たとえば今で言う露出狂基本的強要罪の対象ではない。

見たくなければその場から立ち去れば済むからである

しかし立ち去った相手にわざと近づいてその眼前で性器をぶらさげながらとおせんぼするようなことは、公然わいせつなどが廃止されても強要罪にあたるだろう。

こういうことに処罰限定されていく社会になるのである

そういうことがしたかったなら、もし既に裸であるなら一定の離れたところから(具体的な距離はここで考えることではない)同意を求めるべきである

事後承諾に期待するのは勝手だが、あとで同意がなかったと被害届を出されても事後承諾を図っていたことが発覚した時点で情状酌量余地はないことに留意するべきである

ゆるくするところはゆるくなら、きつくするところはきつくというものである

基本的には強要罪に一元化されるが、性に関することについては厳罰化検討されるというのは前にも書いたとおりだ。

基本的に同じ行為に対する罰則理由なく厳罰化するということには不公平感を感じられるものだと思う。

しか煽り運転厳罰化したように、悪質な犯罪が増えた場合にはそのようなことになるという例はある。

悪質な犯罪が増えることが予期された場合には厳罰化検討ということも普通に考えられるわけである

もっともとそれが性に関する法律を一部ゆるくするという法改正によるものならば、最初からそんなことしなければ厳罰化しなくても済むじゃないかという反論もありえよう。

しかしこれはより高度な自由享受するための改正なのである

なので結局改正のほうを否定するのではなく、改正したのちの未来犯罪の動向についてどう対処すればよいかという話に帰結するべきだということになるわけである

性に関する法律がこのように緩和されて性に対する余計な後ろめたさがなくなれば、今はわいせつとかされているものに対する不快感もなくなっていくだろう。

ゾーニング必要特になくなる。

そのように性に対する価値観が変革した社会においては表現規制存在も真に疑問視され、なくなっていくかもしれない。

まりオタクのためにもなるわけである

親展の手紙を送るのは、法改正までのつなぎとして行うべきと思ったこである

anond:20220419093920

フェミの言う「ゾーニング」は「不快ものがいっさい視界に入らないこと」を意味しているのでそんなもの不可能だよ

2022-04-18

anond:20220418231128

「〇〇はキモいからゾーニングしろや!」『んだとコラ!』💥ボカスカボカスカ💥

 

「~は~でいいのか?~~じゃないとしたら矛盾するんじゃないのか?」ブツブツ『え?結局何が言いたいの?それが嫌だったら自分で声上げれば良くない?』「人格のある人間だと認めてくれない…」

うーん

anond:20220418215709

そう言ってた女性たちも「快・不快問題じゃない!」っていいだすからへーきへーき

その路線が苦しくなったらまた「不快からゾーニング!」に戻るからへーきへーき

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