はてなキーワード: スーパーヒーローとは
いい加減にしろよな、まじで。
アニメ映画で滅茶苦茶に稼いだ金をこの糞実写映画でどんだけ浪費してるんだ。
あまりの馬鹿馬鹿しさに笑ってしまうが、何よりむかつくのはなぜこの資金をアニメ映画に使えないんだ?
ドラゴンボール超 スーパーヒーローの世界興行収入は約140億円だ。
広告費込みの製作費50億円で作ったとしても利益が出るレベルの興行収入だぞ。
ハリウッドのスパイダーマンのアニメ映画は1億ドルの製作費で6.5億ドル稼いでる。つまりアニメ映画だってもっと稼げる可能性がある。
糞実写映画に80億円もかけるなら、50億円くらいドラゴンボールとかスラムダンクのアニメに投資しろよまじで。
話してたぞ。
おまえの主張は「主人公が人間じゃないと感情移入できないから売れない」。
俺の主張は「人間でないと感情移入できないとは限らない」「そもそも感情移入が必要とは限らない」。
「主人公が人間でなくても普遍的なテーマであれば受け入れやすい」というのはおまえではなくむしろ俺の主張の範囲なんだよ。
そもそも人間には「親近感」以外にも「憧れ」や「同情」などさまざまな感情がある。
映画の中には、視聴者には真似できないことをするスーパーヒーローも、現実では絶対にやりたくない悪事を働くダークヒーローもいる。
主人公が本当に嫌な奴でムカつくからこそ面白い作品だってある。
主人公を全能のように描いて脇役に感情移入させるタイプの作品もある。
それらすべてを一面的に「視聴者と主人公が近くて感情移入するから人気がある」と説明することはできない。
それを「子供っぽくて親近感が湧くから人気なんだ」と無理やり説明しているのがおまえ。
もちろんそれも一因ではあるが本質的ではない。
日本の社会人の平均学習時間は1日6分、そのうちの95%の人の学習時間は0分。
これが日本社会の現実である。つまり何もスキルを身に着けようともせず、自分が学校を卒業したころ、自分が最初に就職したころと似通ったスキルで世の中を渡りきろうとしている人々がいる。あなたはどれほど学習しているか。
ほとんどの人は『努力』と『苦行』とを同一視している。これは教育の失敗によるのであろう。努力は苦しみを伴うことも多いが、苦しめばすなわち努力となるのではない。耐え忍べばいつかは救済が来るわけではない。苦行は意味がない。苦行ばかりしている人が多い。『わたしたちはいっぱい苦行をしている』と言い張っている。それは正しい。しかし努力をしなければならない。自分の意を通すために必要なことをすべてやる能力を努力という。
他責ばかりする者が多く見られる。『他責にするな』というのではない。どうして自分の人生のすべての責任を、完全に他人のせいにしてそれを受け入れていられるのか。人生の主導権を手放して、それで満足か。痛めつけられてきて、自らの未熟さを世間から突きつけられ続けたからかもしれない。蔑まれ、馬鹿にされ、からかわれ、侮辱される。どうせやっても無駄だと感じているか。無論、社会というものがクズに見えるのは仕方がない。クズな人間は目につきやすい。ノイジーマイノリティである。悪事千里を走るとも言う。ふざけたどうしようもない人物も実際に多くいる。そういうふうに社会を見れば、社会は「クズ」の総体でできたもののように見えるのも無理はない。「ああ、社会というものはどうしようもないんだね」と思うのだろう。違う。
いつまでも自分がモラトリアム期間の中にいて、いつまでも人生が猶予されているように振る舞っている輩が目につく。年齢を重ねれば自然と大人になるわけではない。大人になろうとしなければ大人になることはできない。知識を重ねさえすれば大人になるわけではない。それはアダルトチルドレンという。どれだけの人々が、愚痴も言わず、他人の人生を助け、人々を愛しているかをしっかり見ようとしない。気付いてしまえば、己こそが真のクズだとわかってしまうからだろう。社会とは、自分の身の回りだけではない。自分の身の回りは世界ではない。世界のごく一部である。
どれほど自分が未熟で、愚かで、他罰的で、人に迷惑をかけ続け、どうしようもない、本気を出せない、信頼を容易く裏切る、クソガキ的存在なのか、そういうことに思い至りたくないのだ。このように言うと、実際反発する人が多いものだ。自分がいかに素晴らしく、いかに努力をしており、それに比べて他人はどうしようもなくダメで、他人は楽々生きているように見えて、恵まれているくせに、厚かましい無神経なやつばかりなのだと思っている。
「ああ、これは自分のことを言っているのだ」と振り返ることができない。どこかずっと他人事である。そういうことは、自分ではない他人がやるべきなのだと思っている。しかし他人も人生は1つしかない。どうしてあなたのために、他人は他人の人生を犠牲にしなければならないのか。他人にどうにかしてくれという発言は、ドラえもんを求めるのび太の声である。誰かスーパーヒーローがやってきて、自分を救ってくれはしないかと思っている。自分がドラえもんになろうとはしない。
ヒーローはいる。ヒーローは、人知れず人を助けている。感謝など誰からもされない。それこそが大人である。少し探せばいくらでも見つかるものだ。探そうともせず、目が曇っているから見つけられないのだ。自分はやっている、十分やっていると思っている。いいや、全然、やっていないのだ。耐えるだけなのは、怠けているのだ。耐えるだけなら楽だろう。耐えている自分は善で、耐えさせる他人が悪なのだ。そして、素晴らしい人々は、自分とは違う世界の住人だと思っているか。そうではない。身の回りの調度品を注意深く見よ。それはどう作られているか。あなたに作れるか。何故それがそこに存在できるのか、安全に暮らしていけるのか、思いを馳せない。それが当然のことだと思っているからだ。当然ではない。先人たちの血と努力の奇跡的結晶を「それが自然の摂理だ」と、誤って学習してしまったのだ。
努力や忍耐など他国の人々もやっている。とてつもなく多くやっている。他国の人は決して無知の民ではない。同じ人間であり、ホモ=サピエンス(知恵のある人)である。野蛮人だと思っていたか。自分だけだと思っていたか。それだから追い抜かれたのだ。時代のせいにするな。甘えるな。依存するな。もうとっくに、昭和ではないのだ。今の社会人は全員が不景気しか経験していない。得など誰もしていない。「他国のもっと苦しんでいる人だって頑張っているのに」という言葉を軽く見ている。心が鎖国しているのだ。目を向けなければいけない。自分が、自分が虐げられていることだけが重要だと感じているのだろう。あくまで自己が優先。他人など蹴落としてしまえ、他人を虐げてしまってもよいという精神が、他人を容易く批判させる。
大人とは、「あなたは悪くない、あなたは少しも悪くない、悪いのはあなたではないよ、あなたは頑張っているよ、あなたは虐げられているよ、あなたは大変だったね」という悪魔を求めるべきときではない。そんなことは、ほとんどの場合、言われないものだ。当然の如くやるものだとみなされている。褒められもしない。愛されもしない。やるのが常識だと思われる。報われることもない。それでも頑張れるのは、わかってくれる人がいるからだ。自分のことだ。自分が、どれほど懸命にやっているかわかっていれば、それで良いのだ。
社会には大人が少ない。いないわけではないが、割合少ない。見えにくいというのもある。だから大人を求めている。全く割に合わず、非合理であっても、それをやろうとする人間を求めている。自分の任務をわきまえて、それを果たせる大人を求めている。年齢的な意味での大人は、見限られていることも少なくない。どうせ言っても無駄なのだ。固定観念に縛られて、他者に損害を与え自己利益だけを徹底的に追求する邪悪だと思われている。そのわりに、自分は正義だと思っている。だから子どもに教えているのだ。大人は、子どもに救いを求めている。「未来の大人たちよ、私達を助けたまえ」と言っている。
俺たちは、もはや助けられる方ではない。助ける方なのだ。誰か助けてくれると思っても仕方がない。なぜなら助けてくれる人が全くいないのだ。日本は王国でも帝国でもない。早々に自分の人生は解決して、他人を助ける側に回らなければならないのだ。進まなければならないし、進もうとしているのだ。耐える必要はない。ただ努力せよ。
もしもそれができないなら、指をくわえてみていれば良い。救ってやろう。守ってやろう。俺たちは大人だから、そうしたいのだ。
俺は、この文章の意味が、ただ1人にだけ伝わればそれでいい。俺はただ、社会がクズなものだと思いたくないのだ。世界は素晴らしいのだ。
大人の嗜みとして真っ先に思いつく、アルコールとタバコ。両方弱かったけど、タバコだけはヤニクラに耐えセブンスターを吸えるようになった。
社会性としては、どう考えても付き合い程度に飲めるよう慣れた方が良かったんだろうけど。でもタバコの方が魅力的だった。かっこいいから。
それか缶かしゅっ。ぐびっ。それでハイ終わり。
こう雑に言ったら愛好家に怒られるだろうけど、私にはそう見えた。
タバコは取り出してから火を点け、一息置いて煙を吐き出す。紫煙に目を細めつつ、頃合いを見て火をもみ消す。その一連の所作に、どうしようもなく惹きつけられた。
灰皿とライダーという喫煙具を常備しているのも、なんとなくかっこよく感じた。酒飲みは常に一升瓶握っている訳ではないし。
フィクションにおける小道具として登場するそれへの憧れも強くあった。映画スターがおもむろにタバコを取り出し火を点ける姿。昔はかっこつける気なんかなくて、スマホをいじるくらいにタバコを吸うのが当たり前だったのかもしれない。それがどうしようもなくかっこよく見える。戦争映画なんか観ると、無性にタバコを吸いたくなる。有害なマッチョイズムなのかもしれないけれど、子供がスーパーヒーローに憧れるが如く心惹かれてならない。
嫌煙が「正しい」側の時代だし、たばこ税の歳入が云々と正当化しようとするのも悪手だと思う。毒ガスを撒き散らす害悪な存在と罵られたら、不快に思えど返せる言葉はない。
自分はマックイーンでなければショーン・コネリーでもない。一服というシチュエーションに酔いしれる様をキモい、ダサいと思う人こそいれど、かっこいいと思う人などいないだろう。
後者のは女の医療漫画と括るにはちょっと的が外れてて(追記:女性がメインキャラに入ると言う点では確かに「女の」括りは合ってました。失礼。ただこの後の話はそれでも成立すると思うのでそのままにします)モーニング系の青年誌掲載が殆どなので、あの系列特有のハードさがある。同じ講談社でも女性向けレーベルから沖田×華先生も医療系漫画を出してるけどもおおむね同じ傾向。
Kも講談社だけどあれはスタートがマガジンだったのでスーパーヒーロー的なのは少年誌向けとして書かれてる
今表出してる医療漫画は3つに大別して
・青年誌
・婦人誌(エレガンスイブとかフォアミセスとかあたりに載ってそうなの)
で見たほうがわかりやすいと思う
友達が居て仕事があってお金に困ってなくて健康で恋人が居てその恋人とそのうち結婚して浮気をされず幸せな家庭を持ち趣味も充実して。。。
そんな人並みの幸せがほしい。
一体どこが人並みだ。
こうして書き出してみるといかに現実離れしているかが今なら分かる。
叶わぬ望みなど抱かぬほうが良いだろう。
ならば、俺は何を望み何を願うのだろう?
自己完結した真の願い。
駄目な自分をそれでも愛することだろうか。
いや、それだけ足りないじゃない。
客観的に見てつらい状況でも辛くないと思えるようになることだろうか。
小さな幸せ。それは例えば銭湯に週1回行くとかそんなもので良くて。
そういう幸せをちゃんと握りしめて、絶望と仲良くなって独りでもちゃんと生きていく。
二週目見たので。
特撮の白倉プロデューサーはメタネタを作品に取り入れることが多いんだけど、ライダー・戦隊映画の「スーパーヒーロー戦記」なんか、敵が「お前らネタ切れでモチーフ被りまくりのオワコンじゃねえか!」なんて台詞を吐くんだよね。
シンエヴァでも、(しばらく観てないのでうろ覚えだけど)シンジと綾波の会話中、「使徒、襲来」から「シン・エヴァンゲリオン」までのタイトルが「作中のスクリーンに」流れる。
どちらも、作中のキャラではなく観客に向けた表現であり、またシリーズのファンでないと伝わらないネタでもある。
「すずめの戸締まり」も3.11をメタ的に、観客を意識して作られた映画なんじゃないかな?みたいな。
文系は作者の気持ちを考えてろ、なんて言葉があるけど、昔は作品にゃ「作者の意図」ってのがあって、それを読み取るのが正しい読み方なのだ、って学校でも教えられてた。
でも後から、「文章を読んで書いた奴の気持ちなんか分かるわけねーだろ」「それをどう読み取ったか、読んで何を考えたかが大事だろ」的な考えが出てきて、作者ではなく読者を主体として考えるべきじゃね?みたいになって、そんで、多様な考え方を尊重しようみたいな話に繋がったり繋がらなかったり。
まぁそんな感じで、被災した人もしなかった人も、311を経験した人なら色々考えるし語りたくなるよね、的な?
☆タイムリープと予定論
タイムリープものとしてみた時、あのシーンは実はこういう場面だったんだ!って気持ちよさは薄い。(自分が観た中だと、平成ジェネレーションズフォーエバーのネタばらしが一番気持ち良かった)
で、先のことは全部決まってる、ってやつね。最初ちょっと引っ掛かったんだよ。仮に扉が閉じるの失敗して震災起きちゃったとしても、結果は決まってるからしょうがなかった、ってことにならね?みたいな。
ただ、幼すずめにとってというより、現すずめが言うことに意味があったのかな、とも考えたり。現すずめにとっての先の未来は不確定なんだし。
雑多な感想
全体的に、「間」を大事にしてるっつーか、日常描写に尺割いて丁寧に撮ってるなーという印象。世界観説明はセリフで軽くすませて、子守りシーンはしっかり描写する、みたいな。それが不満な人もいるだろうけど、個人的にはそこが良かった。娯楽としての面白さって、つまりはセックス&バイオレンスなわけで。盛れば盛るほど下品で楽しい作品にできる。ヒロインとのキスシーンなんて大抵の映画にノルマのように入ってるけど、すずめのそれは上品で、個人的にはちょうどいい。
ダイジンの草太に対する認識というか、すずめから草太への好意に気付いてたのか無頓着だったのか、気にしながら見たがいまいち分からず。ただ自分の方が愛されてると勘違いしてるのはビンビンに伝わってくる。哀しい。
親子喧嘩のウチの子じゃない、自転車の仲直りもダイジンは見てたんだよな。で、色々考えて、結局自分はすずめの子にはなれない、と悟ったんやな…
二週目だとダイジンのヘイトチャージクソ猫っぷりが違う意味で面白い
初見の時、ダイジンは要石に戻る覚悟決めて車に乗ったんだなと思ってたがそうでもなかった
サダイジンは抑え切れずに抜けてしまったのか、ダイジンが抜いたって感じでもないよな~?
草太さんの記憶、バンクじゃん!ダイナミック回想じゃん!とかいらんことを考えた。
初見時、エンドロールで稔君が迎えに来てるの気付いてなかった。フェードアウトしたのかと…
書いてから読み直したら、メタフィクションと震災なんも関係あらへんやん!俺は何が言いたかったんだ?
視聴者の存在を認識してるみたいなメタ発言と、フィクションの自己言及としてのメタフィクションを混同してたんだろうか…?
実際はハイコンテクストってのが近いのかしらん?
う~ん。しかし、作中で3月11日に発生した震災と、現実の3.11は別の話だよね?要石も閉じ師も現実には存在しないし、みたいなことは考えてた気もする
アンタのワイフはアンタに「アタシのスーパーヒーロー❤️」でいてほしいんだよ言わせんな
俺も枕詞に「暴力は許されないけど」とつけつつも、ぶっちゃけ山上の事はスーパーヒーローだと思ってる。
山上の弾丸がなければ統一教会が白日の下に晒されることも無かったしな。自民党の支持母体が統一教会なのはまあまあ有名な話だったのにお前らこんなことでも無ければ素通りだもんな。親を統一協会の信者に持つ友人は韓国と自民党と親と姉貴が結婚した韓国人の悪口を10年前から言ってたよ。それでも姉貴の姪っ子は可愛いってこともね。
安倍さんが死んだのは不幸だと思うけど、ちゃんと司法が機能していて公正に安倍さんの行いが裁かれて罪を償っていれば、凶弾に亡くなった時にもっと悲しむ声が多かったと真剣に思うよ。安倍さんも悪いけど、司法がきっちり機能してないのが一番悪い。
全く主人公が凄くねえ……。
それどころか天才アピールのためにガバガバな理論を決めつけで投下するのでむしろ思い込みの激しい馬鹿に近い。
馬鹿なら馬鹿でアクティブなら面白いんだが……基本的に受け身。
なにかあってから完全な後手に回らないよう0.5手だけ取り返す感じの動き。
ヴィランと戦うスーパーヒーローならそういう専守防衛でいいのかもだけど、そういう展開じゃないからね。
すごいスマホを巡ってレースをさせられてるのにノンビリ受け身はマズイよ。
しかも最初に見つけたすマホ持ちを自分の探してきた犯人だって決めつけて過剰に入れ込んでるし。
これで天才設定は笑わせる。
でもさ、小学校の頃に「末は博士か大臣か」って言われてた奴なんて所詮こんなもんだってリアリティはある。
別に頭なんて本当は大してよくない。
判断力も凡人レベルで、その癖して過去の成功体験があるから自分が思い込んだら人の忠告を無視して固執する。
ちょっと頭のいい凡人に凄いアイテムが渡されたらどうなるかって話になってる。
デスノートは人類最上級の天才同士のバトルってコンセプトがあったけど、すごいすマホはせいぜい高校入試偏差値60同士のバトルぐらいに落ち着いてる。
実は、すごい漫画なのか?
新しいコントローラーのこと。
発売当初のプロモーション番組で、芸能人たちがこぞってコントローラーから伝わってくる臨場感がすごいと言っていた。
どういう仕組なのかよくわからないけど、ゲーム内の質感や反動なんかをフィードバックしてくれるらしい。
やっとの思いで手に入れたPS5で、その部分が一番に楽しみだった。
プリインストールされてるPS5の性能紹介的なゲームをやってるときは楽しかった。
グラフィックもすごかったし、芸人のコメントはさすがに大げさすぎたけど、確かに今まで経験したことのない臨場感を楽しめた。
そうなればやっぱり新しいゲームをプレイしたくなるもので、そこそこアクションの強いゲームを買ってきた。
場面に応じて色々なフィードバックをしてくれるコントローラー。
なんというか、今まで経験したことがないというだけで楽しかった。
ところが、とあるシーンに移った時点で、それが一気に不快感に変わった。
コントローラーにはL2R2と言われる指を引っ掛けて引っ張るように押し込むボタンがある。
攻撃に合わせて押せと指示が出たので言われたとおりにボタンを押す。
その瞬間、コントローラーがけたたましい音を立てて、ガタガタと振動し始めたではないか。
騒音に合わせる形で、画面では屈強な男が銃を乱射している。
今までコントローラーだと思っていたそれが、突然自分の中で銃の引き金に変わってしまったのだ。
画面では動かなくなった敵が何体も転がっている。
さっきまでのウキウキした気分は一瞬で消えて、どうしようもなく後ろめたい気持ちに押しつぶされそうになってしまった。
本物をさわったことなんてないけど、子供の頃に遊んだエアガンとかよりもよっぽどリアルなんじゃないかと思われた。
だけど、今、それを味わって楽しめるようなメンタルをどれくらいの人が持ち合わせているのだろう。
銃で撃たれて亡くなった市民もいると聞かされている中で、まさか自分が銃を撃つことへの実感めいたものを感じることになるとは思ってもいなかった。
ゲームは犯罪と無関係だと思い続けてきたけど、これにはちょっと抵抗を感じた。
なんというか、本物を撃ってみたい衝動に駆られるようなリアリティがあった。
トラウマレベルで、もうそのゲームをやろうという気持ちがなくなってしまったし、しばらくは銃を扱うゲームをこのコントローラーでやろうとは思えそうもなかった。
そんなことくらいでと思うかもしれないけど、自分でもびっくりするくらいに心が沈んでいる。
例えばナイフを実際に刺すときの感触のフィードバックはゲームには不要だと思う。
人を殺すシーンの感触に対するフィードバックは、できれば禁止して欲しい。
投稿から1ヶ月以上も経ってて、しかもこんな日に取り上げないでくれ。
君ら銃規制には賛成なのに安易に銃に興味を持ちかねない環境の規制には反対なのってダブスタすぎない?
面倒くさいからゲーム名だすけど、ネタバレ厨に難癖つけられるのムカつくから嫌なら読まないでくれ。
やってたのはアヴェンジャーズって正義のヒーローあつかったゲームなんだわ。
映画はろくに見たことなかったけどマーヴェルシリーズは嫌いじゃなかったから、PS4版を中古で安く買うとPS5に無償アップグレードできるっていうから飛びついただけなんだわ。
スーパー能力で悪いやつバシバシぶっ飛ばす感覚を楽しみにしてただけ。何が悪いんだよ。
銃の乱射みたいなシーンがあるなんて全然考えてもなかったわ。
そんでノリノリで楽しんでたら、突然そういうシーンに出くわしたってこと。
確かに相手は一般市民ではないけど、人型でテロリストみたいな格好してるんだよ。
それまではバスとかぶん回してやっつけてたけど、そんなノリの中でR2(L2?もう忘れた)を引け!って命令されたら何も考えずに引くじゃん。
そしたら突然銃を乱射し始めたんだよ。
それもただブルブルするだけじゃなくて、乱射してるようなリアルなダダダダダ!っていう感触で。
効果音じゃなくて、コントローラーそのものがマシンガンみたくダダダダ言ってんだよ。
今までの振動とは全く違う。逆に今までの振動程度で文句はいわない。
それともあなたがたは事前説明なしに初めて出くわす出来事を予めオフにできる能力をお持ちなんですか?
振動そのものが不快だったらとっくの昔に切ってるよ。全く予測できなかったからこそ不快なんだろうがよ。
それを何えらそうに「不快なら切りましょう。」「嫌ならOFFにする程度の知能すらないのかこいつは。」だよ。
バカをバカにして気持ちよくなろうとしてるお前らのバカが透けすぎててこっちが恥ずかしいわ。
「人を殺すシーンの感触に対するフィードバックは、できれば禁止して欲しい。」というお気持ちしか表明してねえから。
それがだめならパッケージに明記しておけよ。
「人間および生命体を直接傷つける感触のフィードバック体験が含まれます」って。絶対に買わねえ。
スーパーヒーローで悪者無双するつもりが気づいたら無差別殺人鬼になってたなり。