はてなキーワード: サービス残業とは
うん、周りの人間をすべて敵に回して自己破産する覚悟があればね。
けどさ雇われはそこまでの選択選ぶこと自体ないよ。よっぽどパチンコやガチャゲーにでもはまってない限り。
一生懸命やった結果が、パチンコやガチャゲー狂い並みの扱いを受けることになるのに甘んじないとならないのが経営者。
後、労働基準法も確かに雇われていた時はなかなか力関係で行使できないが、証拠をきちんと残しておけば辞めた後なら自由に使える。
webエンジニアの人気が高いのは底辺の一発逆転思想にマッチしているからではないか。
何もできない年をとったニートやフリーターが正社員として働く道はほぼない。
キャリアを積むための就職すらできないから勉強でスキルをつけたがる。
勉強だけやれば働けそうな仕事ということでプログラマー、特に自由でクリエイティブそうなwebエンジニアが持ち上がるわけだ。
しかも一発逆転思想の底辺はプログラミングを知らないから、自分にも才能があるかもしれないと思っている。
(プログラミングをできるようには誰でもなれるし、才能が無くても働ける。頑張れば。)
もちろんwebエンジニアもピンキリで、研究職を経てGoogleに行く人や大学生で成果を出してYahoo!に行く人もいる。
しかしこれから勉強する人はメガベンチャーではなくスタートアップの小さい会社に行くだろう。
それでも土木作業員を内心馬鹿にしている自意識の高い底辺にとって、
スーツすら着る必要がなくオシャレなオフィスでパソコンをいじりながら働ける環境は自尊心を守るのにちょうどいい。
たとえ給料が低くてサービス残業が多くても、意識高いクリエイターだから仕方がないと自分で納得できる。
最近ありとあらゆるところで
「医療従事者やスーパー、ドラッグストア店員の人たちに感謝しよう」キャンペーンみたいなの見かけるけど
ああいう仕事が忙しいのって台風や大雪のときなんだけど、そういうときにビショ濡れになって配達すると
「こんな嵐の中ありがとうねぇ…」とか言ってくる奴(たいていババア)がいるんだよな
だったら頼むんじゃねぇーーーーーよ!!
お前今回頼んだの「天気悪いし出掛けたくないからピザ配達頼もう」って理由だろ?
ならわかるだろうが!お前の注文によって、その「出掛けたくない天気」の中、原付で宅配しに来る人間が発生することをさぁーー!!
本当に申し訳ないと思ってる、あるいは感謝してるならそもそも頼むな!
もしくはチップを寄越せ!!
テメーみたいな自分の罪悪感軽減させるための口だけの感謝より、引きこもり風のオッサンが毎回無言でくれる150円のほうが100倍嬉しいんだよ!!
いや、間違えた。ババアの有り難みはマイナスだから-100倍か
まあとにかく、いち従業員でしかない人間にとって1円にもならない感謝の気持ちなんてムカつくだけだから、金出さないなら黙っててくれと思ってたんだが
■追記
確かに医療従事者とピザ配達は違うから、そこを並べたのは混乱を招いてしまったかもしれない
ただ俺が言いたかったのは
「アツアツを届けてくれてありがとう」とか「お宅の店のピザいつも美味いよ」とかポジティブな行動に対するお礼って普通に嬉しいんだけど、ネガティブな行動をしてくれたことに対するお礼ってなんかムカつくよなーって話
そういうありがとうって「ごめんなさい」の意味も含まれてることが多くて、上手く言語化できないんだが、「口だけで謝れば何しても許されると思ってるわけ?」
みたいな気持ちになる
例えばサービス残業させられてるときに、上司から感謝のメッセージが届いたら余計ムカつかない?
トラバにある「鉄骨渡りで謝りながら前の奴を突き落とす人間に対するカイジの怒り」が一番近いと思う
本当に申し訳ないと思うなら押すなよ
結局押すという結果は変わらないのに、謝って、涙流して、俺は悪くない、仕方がなかったみたいな感じになってんじゃねーよ。俺は謝らずに押すからな!
みたいな
台風や大雪のときに注文されること自体には全然ムカつかなかったんだよ
ただそんなときに口だけのお礼を言われると
って言われてる気分になるんだよ
こんばんは。
アラサー無職女です。去年の年末に退職したので無職歴だいたい4ヶ月半ってところですね。
もうすぐ失業保険が切れそうなのでそろそろ就活でもするか…と重い腰を上げてるところです。
退職理由はいわゆる寿退社です。なんだかものすごい前時代的な響きですね。でも前の職場ではそうやって辞めていく先輩がいっぱいいました。
私は田舎の、その地域ではそこそこな規模の医療機関で働いてました。
コロナで日本がこんな事になる前にギリギリ逃げ切った感じですね。
はっきり言ってラッキーでした。
先月の中ごろくらいに前の職場の同僚や後輩とリモート飲み会したんですけど、マスクは3月ぐらいからとっくに在庫がなくて、ガウンも底をついたみたい、という話を聞きました。
今月に入ってから元職場の人と連絡は取ってません。現場を去ってのほほんと専業主婦のまねごとをしてるような人間と電話するくらいならゆっくりと休んでほしい。という思いが強いです。
元職場ははっきり言ってブラックでした。常にギリギリの人員でなんとか業務を回していて、ひとり風邪で休もうものなら途端にパニックになるようなそんな職場でした。給料もとても安く、週一回のペースで25時間勤務があり、朝から次の日の朝まで拘束され、明けで帰った次の日は朝から普通に日勤、みたいな働き方をして手取りは17〜18万、みたいな感じでした。奨学金を返しながら一人暮らしして車の維持費を捻出するのは相当しんどかったです。
車を手放すことも考えましたが、車を手放すと通勤することも困難になるくらいの田舎だったので手放せず、メンテもろくにできないボロボロの車に乗ってました。
寿退社していった先輩たちだって退職の本当の理由は別のところにあったと思いますし、私だって1年ぐらい前から我慢の限界で、遠距離で付き合ってた彼氏をせっつきまくって入籍したような形です。
この業界はきついと分かっていましたし、覚悟の上でこの道を選んだはずでしたが、想像の上をいっていました。
働き方改革なんて夢のまた夢、サービス残業当たり前、有給?なにそれ?そんなもん取れると思ってんの?
そんな時にこのコロナショックです。
無理です。いくらなんでもひど過ぎる。
このコロナ渦が終わったら大量辞職の波が必ず来るでしょう。
途中、朝ご飯を買いにコンビニエンスストアに立ち寄る
店の奥から男性店員が出てくる、名札にはアジア系の名前中国人か韓国人か
瞬間失敗したと思った
彼がグシュグシュト鼻水をすすり、ゲホゲホと咳を繰り返していたから
このご時世に、その状態でレジを打つ等到底信じられる神経ではない
店の中の商品は、店の中の空気は大丈夫なのか、コロナに感染しはしないか
そんなことを考えている間にも彼は私の朝食を手に取り、ビニールに入れ、レジをたたく
せめて金銭のやり取りは避けようと電子マネーで支払いを済ませ、レシートの受け取りを拒否し店を出た
帰り道にぼんやりと彼の事を考える
若干の腹立たしさが過ぎ去った後に残ったのは「彼が何故あの体調で働かなければならかったのか」という疑問とも呼べないような疑問
答えは明白だ、彼はあそこで働かなければ生活費を稼げないからだ、生きていけないからだ
日本という国が労働力の多くを外国人に頼るようになってからもうどれくらいがたったのだろうか
「頼る」などと言えば聞こえはいいが、実際には日本人がやりたくない大変な労働を外国人に安い賃金で押し付けているだけ
コロナでもインフルエンザでも休むことができない彼ら、休むことを許さないコンビニエンス業界
いや、日本という国そのものが自分たちの代わりに彼らに死ぬまで働けと要求している
彼にしても見も知らぬ日本人が何人コロナになったって知ったことではないし、店だって同じだろう
それがコンビニエンスストアという仕事なのだ
とりとめもなくそんなことを考えているうちに自宅についた
キッチンにコンビニの袋を置いてハンドソープで手を洗いうがいをする、コンビニの袋を捨て、サラダとおにぎりをパックから皿に移し、パックを捨てる、その後もう一度ハンドソープで手を洗う
気休めの自衛をして朝食を済ませる
あとしばらくすれば私は仕事に出かける
私が仕事に出なければ何千、何万という人に迷惑をかけてしまうから
彼が働かなければならなかったように、私もまた働かなければならない
体温計で熱を測る
36.8℃
平熱
仮にさっきの彼からコロナをうつされていても体温計が示す数字は変わらないだろう
所詮はこれも気休めだ
コロナはきっとまだまだ終わらない
管理職でもないくせに私へ業務を振りまくって業務量を激増させようとした男女、何を企んでいたんだろう。
まあそれは横槍で阻止されたが…
私へ当てようとしていた業務を若い子がすることになったら、その子に「量が多いだろう大変だろう」としょっちゅう心配している。つまりそれは私への当てこすりか。
この頃の時短勤務でも「時短になってからこっそりサービス残業もしないようなやつ、平時は何の仕事しているんだろうな」とか私への当てこすりでしかない。
当てこすりその他へ抗議したら『仕事へ感情を持ち込むな』。どっちがよ。
結局何なんだ。
当てこすりがキツ過ぎてもういや。
確かに「熱意があること自体」は伝わるかもしれないが、それが相手の求めているものであるとは限らない。
いくら熱意があろうとも、相手の要求に応えていなければそれはお金をいただいて提供するサービスとは言えまい。
自部署は基本的に接客業であり、顧客からお金をいただいてサービスを提供することで利益を上げるビジネスモデルである。
気持ちのない行動もときに無意味だが、行動のない気持ちはいくらたくさんあっても何も生み出さない。
強く願うだけで何も行動しなくても利益がわいてくるならばそれはありがたいが、そのような話は少なくとも私はおよそ耳にしたことがない。
ともすれば「熱意だっ!!」などと精神論・根性論に走りがちな自部署の管理職たちを見るにつけ、不安を禁じ得ない今日この頃である。
若手(7年目)だが、この会社をやめたい。
実際そうだと思う。
年休はほぼ100%取得必須(部下が年休未消化だと組合から管理者が説教食らう)
会社のシステム的にもサービス残業は不可(パソコンが起動しているかどうかが監視されており、オンライン上に投入する勤怠管理表に登録してある時間以外にパソコンを起動させると管理者に通知がいく)
だがやめたい。
3年前から本社勤務となった。本社の人間は仕事はできる。だが人の気持ちを考えられないサイコパスが多い。分からないことを質問してもイライラしながら回答される。業務の引き継ぎもろくにされない。仕事の進め方も分からない中で暗中模索して進めたら、最後の最後でダメ出しをされる。先輩の仕様ミスを押し付けられ、地雷処理をさせられる。みんなの前でミスだミスだと攻められる。
さらには業務上、十年に一度の節目のイベントの年であり、業務が逼迫してる。自分の担当だけサービス残業が平気で行われている。上記でパソコンの起動が監視されていると書いたが、ゴニョゴニョすると監視をはずせるため、いくらでも残業できる。時には土日も仕事してた。
管理者はこのような状況を知ってて、何もマネジメントしない。その上休日の会社のイベントを休もうとすると、若手なんだから参加しなきゃダメだと言われる。
世間のブラック企業からしたらかわいいのかもしれない。ただ休日にやりたいことができない。オリパラにむけて語学学習もしたい。競技プログラミングも勉強したい。機械学習もしたい。ただ休みの日も業務を持ち帰っているのでできない。
業務量が多過ぎてやらなければいけない仕事ができていない。当然他の担当と絡む案件もあるが、何もできてないのでいつも打ち合わせで冷ややかな視線をあびせられる。多分こいつは無能だと思われてるんだろうな。
辛い
残業を書かなくてすみません。サービス残業をすすんでやってすみません。私は労働者の敵で、経営者の良い道具・社畜です。でもそれが私にとって居心地がいいのです。
子供の頃から何かを成したいと思っていました。思っていましたが、行動はしませんでした。何かをしたいと思いつつ何もせず、時間は過ぎ、大学に進学し、4年間でなにかになろうと自己実現を夢想しつつ、驚くことに何もせず、そのくせ何もしない癖がついたので就職はせず惰性で院に進学し、そこでようやく行動力のなさのしっぺ返しを受けて地獄を見て、逃げるように就職しました。
会社では、そこそこ良い大学を出たこともあって重宝されました。真面目に授業を受けていたのでプログラムもそこそこ書けました。いろんなことを頼まれるので、それに応えました。「ああいうのが欲しい」「こんなのあったら便利じゃない?」を日々の業務と並行して作るのは難しいので、サービス残業をしました。お金が欲しくないわけではないですが、それよりも自分の作ったもので喜ばれるのが嬉しかったからで、楽しかったからです。
私は会社人になり、ようやくモノづくりをはじめました。それでも人から言われたことばかりをこなす、自分というものが無い存在です。それでも楽しいのです。会社という強制労働施設は、行動力のない私の自己実現の場として発揮されました。休日に自宅のPCでエクセルマクロを勉強し、会社のデータのモックを書き、動作を確認してから会社に納品したこともあります。「もうできたの?はっや!」と驚かれ、嬉しかったのを覚えています。
よくある会社の「AIで何かしたい」に応えるため、会社の帰りに本屋によって「退屈なことはPythonにやらせよう」「仕事ではじめる機械学習」「ゼロから作るDeep Learning」を自費で購入し、Udemyの講座もいくつか自費で購入しました。家に帰って独学し、休日もずっとそれらをやっていました。ある程度理解できたので、サンプルコードを改造しつつ、会社の製品情報や見積額等を学習データに使い、見積AIを作りました。営業からは「面倒な見積が簡単になった」という言葉をいただき、購買の人からは「見積額も適正でいいね」と言われました。
仕事も一応ちゃんとやってるし、いろんな頼まれごとをこなすので、会社からはより重宝され、入社3年目でチームリーダー兼プレイングマネージャーを任されました。チームリーダーになってからはチームのマネジメントで忙しいので、なかなかモノづくりをするのは難しく、プログラムを触る頻度は減っていきました。それでも仕事中は自分もコードを書きつつ、家に帰って仕様の確認や仕様書の作成などをやるようになりました。
ある日飲み会の席で、人づてにチームのメンバーが自分のことを「コード書きながらマネジメントするすごい人」「尊敬している」ということを言っていたと聞きました。「尊敬する」ということを言われたのは初めてだったので、感動しました。飲みの席では「ブハハwww」と笑ってごまかして、家に帰ってなんか泣きました。
プライベートを大切にする人にとって、私のような存在は、経営者をつけあがらせ、労働者の価値を貶める裏切り者で馬鹿と見る人もいるかもしれません。というかはてブやTwitterとか見てるとそう思います。そのとおりだとも思います。
最近私が考えるようになったのは、プレイベートを大切にする人と、私のような会社でしか輝けない人のゾーニングです。プライベートを大切にする人にとっては、私達のことを悪く言う人がいます。私達のような社畜の中にも、プライベートを大切にする人のことを「定時で帰るやる気のないやつ」みたいな扱いをする人がいます。このような争いは不毛だと感じます。私が願うのはゾーニングされた世界です。プライベートを優先する人は当然いていいし、社畜は社畜で会社の中で輝いて楽しむ人がいてもいいということです。この考え方には、労働者同士の意識だけでなく、経営者の意識も大切だと思います。私のようなオーバーワーカーを通常の人材と思わず、特殊でラッキーな人材と認識する必要があります。経営者はプライベートを大切にする人をやる気のない人だと思わないでください。従業員は会社に奉仕すべきが当然と思わないでください。
最後になりますが、人の考え方は様々です。私のような考え方を受け入れられない人もいるでしょう。つまり、それでも社畜は悪であるという目線や、従業員は社畜になるべきという目線です。それでも結構です。大切なことは、自己実現だと思います。私は社畜をやめないし、あなたはプライベートを大切にするのをやめない。経営者は従業員を利用しているだけかもしれませんし、大切にしているかもしれません。とにかく、それはともかく自己実現だということです。自己実現のためなら、社畜でもいいと言う人間は、ここにいるのです。
バブル崩壊と言われた後、実際には日本の景気は今ほど悪くはなかったのだ。
それでもなお、金持ちは居たし、その辺のおっちゃんは500万を超えて700万程度はあったのだ。650万だとちょっと低いかな? という程度。
野原ひろしの年収が650万というのは「平均よりちょっと下のうだつの上がらないリーマン」だった。
要するにイケてない中年。そんな中年でも子供二人にマイホーム持ってるってそういう時代。
それが今じゃ、バリバリ仕事をこなす、やり手リーマンになってしまった。
バブル崩壊後に、日本を支配したのは「このままじゃだめだ。欧米を真似ないと、もっと景気が悪くなって滅ぶ」という漠然とした根拠のない不安だった。
この当時の空気を知りたければ、サラリーマン金太郎を読めばわかる。
バブル崩壊からの、根拠のない危機感と、ことごとく裏目に出た改革案がすべて全巻を通じて載っている。
最後に小泉純一郎をもじった大泉なる総理が、派遣解禁を役人が必死に止めるのを「ユニオンだから合法」に乗っかるシーンで終わるのだが、まさに今から見ると「それをやったからお前、お前、結局雇用の底が抜けちまったじゃねえか馬鹿野郎。お前が悪いんだよお前が!!」と単行本を投げつけたくなる。
いわゆるバブル崩壊以降の改革案というのは、「一切の科学的に分析された知見によって行われたものではない」と断定してよい。
簡単に言えば「バブルが崩壊したのは心を失った日本への天罰だ」という謎のオカルティックな思想によって支えられていた。
だから、「経済に潜む何者かに清貧をささげて悔い改めれば、許してくれるだろう」という謎の思想が支えていた。
この思想でまず一番最初に挙がるのは、石原慎太郎だろう。彼は、東日本大震災の際に「我欲を捨てろ、天罰である」という趣旨の発言をした。彼には津波は我欲を洗い流すためのノアの洪水のように映っていたのだろう。あの空気感。
だから、バブル崩壊以降の改革案は「痛みを伴う改革」という路線で進められた。つまり、「罰を受けるのだから痛くなければだめだ」という短絡的な思考があったことは間違いない。
つまり、「国民に痛みを与えて罰することにより、経済に潜む何者かに許してもらおう」という思想があったのだ。正直そこには「効果的であるかどうか?」はあまり意味がない。「痛みを伴うこと」が重要だったのだ。効果があることよりもずっと重要だった。
マジで、今までが甘えていたんだ。これからもっとひどくなるぞ。だから我々は厳しくせねばならんって本宮ひろし顔で主張してる政治家がわんさかいたんだよ。Mr.ビーンなんかも、なんかもその流れで無茶苦茶人気が出た。リストラする俺、非情のリーダーで格好いいって時代だよね。
与党も野党も左も右も、意見で対立し続けてはいたが、「痛みを罰として引き受けること」には一致していた。あらゆる経済的な社会保障を切り詰め、消費税を増税し、国債発行高を抑制しようとしても、小泉純一郎の様々な国民をいたぶるかのような社会のセーフティーネットと規制を撤廃するかのような改革を続けて、経済に潜む何者かにいけにえを捧げ続けても、「余計に悪くなった」ということしか起きなかった。
このことにいまだに気づいていない人間が山ほどいるのだ。
「国債発行は悪」
「消費減税は悪」
「サービス残業は当たり前」
「我々が罰を受けなければ、子供が苦しむぞ」
これらを支えているのは、経済的を科学的に俯瞰した法則ではなく、「バブルを罪としてとらえ、罰を受けることによって禊をする」という非科学的な思想だ。
だからいつまで経っても成果が上がらない。
これは小泉純一郎の自民党で顕著だったか、民主党も「苦い薬を飲め」と国民に迫り、その内容は自民党以上に強硬だった。
どちらも「罰を受けねばならない」というという、謎の強迫観念から逃れられていない。
このあたりの謎の思想を見たければクニミツの政を読むことをお勧めする。
とりあえず「公共事業という寄生虫が国をダメにしている、あいつらは規制虫だ。我々がこんなことをしていれば子供が借金まみれになって苦しむぞ~」というわけのわからん空気感だ。
で、これら改革の行きつく先がもう見えてる。
ふう。言いたいことを言ったのですっきりした。
飯食って寝る。