2015-09-03

学校勉強のやり方を教えるべきだと思う

学校で教える科目に三角関数必要なのか、簿記は、プログラムは、ダンス義務教育に追加すべきか。そういうエントリーが目端に映る今日このごろ。確かに今の学校教育には何かが不足しているような気がしないでもないし、過剰な教育によってあらゆる部分が中途半端になっているような気もする。

そう考えているとふと気づいた。そもそも「勉強のやり方を教える」という授業が不足しているのではないだろうか。

習ったことを忘れないようにするためには忘却曲線の知識が必要だ。学校側でも復習はさせているがそれだけでは時間が足らない。生徒たちの自発的学習必要不可欠だ。そうでないなら皆テスト100点を取っているはずだが小学校ですらケアレス以外の理由で酷い点を取る生徒がいる。彼らに予習や復習をさせる必要がある。だけど彼らはやらない。何故か、その重要性に気づいていないからだ。

予習複数重要性を教えるのに「頑張りなさい」だけでは絶対に説得しきれない。そんなのは教える力のない教師の泣き言にしか聞こえないだろう。だがここで生徒と教師脳科学の知識を共有したらどうなるだろうか?学校から帰ってきて10勉強するだけで将来の勉強や居残りの時間が何時間も減少すると知ったら。確かにそこまでやっても勉強しない生徒はいるだろう。だが脳科学の知識を身に付けることで正しい学習方法に目覚める生徒も少なからずいるはずだ。

また長期的な学習スケジュールを立てることの有用性も教えるべきだろう。期日までに勉強必要な量の概算を出す、それをカレンダーに振り分ける、学習の進行具合を記録して軌道修正をする、学習してきた記録を見て学習した事自体を誇らしく感じる。大学受験を終える頃には大部分の学生自分でコレが出来るようになるのかもしれない。だがこれはもっと早いうちに身につけた方がいい技能、知識だ。大人になっても身につけていないなんて事になったらそりゃもう大変だ。これも隔週や月に1度でいいから生徒に方法論と有用性を教えて、それが身についているか確認をすべきだ。小学生にはまだ早いかもしれないが、高校受験を見据えた中学生には絶対に教えるべきだ。

既に学校では個々の教師自主的にそういう話をしているという反論もあるだろう。だが、それはあくま学校教育全体の管理から離れた教師側の自発的活動しかない。そういう授業をする時間を儲けるべきなのだ。くだらない総合学習時間とやらでも削れば教える時間は出来るはずだ。むしろ総合的な学習として「勉強学習努力生活の仕方の基礎」を教えるカリキュラムを組むべきなのではないだろうか?学校本来教えるべき物は学ぶという姿勢のものなのではないだろうかと私は思う。学ぶという姿勢を身に付けるためには学び方を知ることは非常に重要なはずだ。

  • 勉強やってもいいことないんだからしょうがないじゃない。 たぶん今でも公立の(特に大都市圏以外の)小学校じゃ、勉強のやり方なんか知っても仕方がない。 通知簿の上で「優等生...

    • まともに勉強すら出来ないワナビーなのかな? 地方の弱小公立出身だけど、 普通にテストの点数高ければノートとか綺麗じゃなくても通知表の評価は常に5だったけど? 運動やらピアノ...

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