はてなキーワード: カスタマイズとは
アーマード・コアシリーズの新作、ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON が発表された。
この10年近くずっと新作を待ち続けていたので本当に楽しみだし、たくさん売れて評価されて、今後も新作が出続けてほしい。
そこで、アーマード・コアをよく知らないけど少し興味がある、という人に向けてシリーズの紹介をしたいと思う。すでに同じような記事が出ているけど、こういうのはいくつもあって良いだろう。
3人称視点の3Dアクションゲームで、プレイヤーはアーマード・コア(AC)と呼ばれるメカ(ロボット)を操縦して戦う。公式にはジャンルは「3D戦闘メカアクション」とされている。
(ゲームとしてのアーマード・コアとゲームに出てくるメカとしてのアーマード・コアを区別するために、以下ではメカの方をACと書くことにする)
ACはコアと呼ばれる胴体を中心に、頭、腕、足(人型以外にも色々な種類がある)や武器、動力源のジェネレーター、高速移動用のブースターなど様々なパーツを組み合わせて完成する。完成済の機体の中から選んで操縦するのではなくて、たくさんあるパーツの中から自分で選んで組み上げた(アセンブルした)機体を操って戦う、というところがこのシリーズの大きな特徴。
主人公(プレイヤーの分身。名前も自分で決める)は金銭を対価に依頼を受けて戦う傭兵で、色々なミッションをこなして金を稼ぎ、稼いだ金でパーツを購入して機体を強化し、また次のミッションに向かう…というのがゲームの基本的な流れ。ミッションの他に、AC同士の一対一の対戦で賞金を得られるアリーナがある作品も多い。
先日公開された IGN のインタビュー (https://jp.ign.com/armored-core-6/64541/interview/armored-core-vi) から宮崎氏の言葉を引用する。
『ARMORED CORE VI』の開発がどういう形で始まって、どういう狙いがあったかというと、まずは「ARMORED CORE」シリーズ従来のコアコンセプトである、自分の機体を自由にカスタマイズできるアセンブルと、それを自由に動かせることになります。
アーマード・コアの核となる部分はまさにここなんだけど、これだけだと未経験者はイメージできないと思うので、もう少し詳しく説明する。
前提として、ACのパーツには「これを選んでおけば最強」というものは基本的にない。どのパーツにも個性があって、選んだパーツやパーツの組み合わせによって機体の動きの特性や得意な戦い方が大きく変わってくる。
防御力の高い機体で真正面から敵と撃ち合っても良いし、動きの速い機体で敵を翻弄しながら戦ってもいい。遠くから狙撃するスタイルの機体を組んでもいいし、近接武器メインの機体で敵を切り刻んでもいい。
ミッション一つ一つにも機体の向き不向きがあるので、攻略するために状況に合わせて最適なアセンブルを考えていくことも必要になってくる。もちろん、自分の考えた最強の機体で最初から最後まで戦い抜いても良い。プレイヤーごとに様々なスタイルがあり得るし、様々な遊び方がある。
また、ACのアセンブルではただパーツを選ぶだけでなく、機体を好きな色に塗装したり、エンブレムを貼り付けたり、名前を付けたりと、機体の性能に関わらない部分まで細かくカスタマイズすることができる。そうやって隅々までこだわって完成したACは自分だけの唯一無二の機体で、そしてそれを自由に操って戦場を駆け回ることができる。これがとても楽しく充実感があって、他のゲームでは代えがたい魅力だと思う。
シナリオクリア後には全てのミッションを再度プレイできるようになるので、最初はガチガチの攻略用機体でさっさとクリアして後から好きな機体で趣味に走ってもいいし、クリア後はひたすら他のプレイヤーとの対戦に没頭しても良い。
一周クリアしたからもう遊び尽くした、おしまい、とはならないのもこのシリーズの特徴だ。
こういう戦法で戦いたい、好きな武器を撃ちまくりたい、見た目がかっこいい機体で戦いたい、他作品に出てくる好きなロボットに似た機体を作りたい、操縦が難しい機体を上手く乗りこなしたい、あえて自分で制限を加えて縛りプレイを楽しみたい、他プレイヤーとの対戦に勝ちたい、などなど、色々な遊び方にアーマード・コアシリーズは応えてくれる。そこが本当に面白くて楽しい。
これに関してはすでに IGN のインタビューでも語られているが、大前提としてソウルシリーズはアクションRPGで、アーマード・コアシリーズは戦闘メカアクションだ。
基本的な操作方法から世界観に至るまで全然違う。飛び交うのは矢や魔法ではなく銃弾やレーザーだ。とはいえ、同じフロム・ソフトウェアが作っているのでフロムゲーに共通する要素は見られるし、ゲームシステムにも似通った部分はある。
例えば、ACのアセンブルはソウルシリーズのキャラメイクと似ていると言えるかもしれない。
キャラクターが装備する防具のようにACにはフレームパーツ(頭、コア、腕、足)があるし、剣や弓、魔法や祈祷はACでは武器パーツになる。ソウルシリーズでキャラビルドを突き詰めるのが好きな人はきっとACのアセンブルも楽しめるだろう。
キャラメイクの際に外見にこだわり抜いた経験がある人はACのカラーリングやエンブレム作成にハマるかもしれない。
もちろん異なる点もあって、例えばアーマード・コアシリーズにはレベルアップの概念がない。同じアセンブルの機体は常に同じ性能で、レベルアップするのは操縦するプレイヤーの腕前だけだ。
この他にもシビアな世界観や多くを語らないストーリーテリングといったフロムゲーによく見られる特徴があるが、挙げていくときりがないのでこのくらいに。
そんなことは全くないので安心してほしい。シリーズが長く続く中で世界観やゲームシステムが何度かリニューアルされていて、分類すると以下のようになる。
系列が異なる作品にストーリー上のつながりは無いので、例えば3系だけプレイしても十分に楽しめる。(初代系と2系のように一部世界観がつながっているものはあるが、ストーリーを追いかける上では知らなくても問題ない)
なお、ここに挙げたのは据え置きゲーム機のタイトルのみで、他に PSP や携帯電話(スマホ以前のガラケー)向けのタイトルも存在する。
新作のACVIでは世界観からゲームシステムまですべて一新されることが(今出ている情報だけからでも)分かっているので、シリーズ経験者もVIからのプレイヤーもスタートラインは横並びになる。VIから始めても全く問題ないはずだ。
とはいえシリーズ全般に通用する基礎知識というものはある程度存在するし、過去作も面白いので気になったらぜひプレイしてみてほしい。
ぜひプレイしてみてほしいと書いたものの、残念ながらどの作品も動作するハードが旧世代機になってしまっているので、2022年現在だとそもそも過去作をプレイする環境を用意するのが難しくなってしまっている。
手元にある(あるいは手元に用意できる)ゲーム機で遊べるタイトルがおすすめ。機種別だと、最初にシリーズに触れる作品としては
が個人的におすすめ。これに限らず気になった作品から手を付けても大丈夫だけど、同じ系列の中で後発の作品は前の作品をプレイしていることを前提に難易度調整されていたり、前の作品とストーリー上のつながりがあるものがある。
そのため、3を飛ばして3SLから始めたり、NXを飛ばしてLRから始めるのはあまりおすすめしない。(ストーリーに関しては作品ごとに単体で完結するので、その点は安心してほしい。ただ、同じ系列の中であれば前作をやっておいた方が後の作品をより楽しめる)
ちなみに、PlayStation の初代アーマード・コアは古い作品なので今遊んでも面白くないかというと、全くそんなことはない。
アーマード・コアというゲームの基本はシステムの面でも、世界観の面でもほぼ全てこの1作目の時点で完成しているので、古いゲーム故のグラフィックの粗さが問題ない人はぜひ触れてみてほしい。
新規に手札を引くことがない状態から始まるカードゲームは複数存在する。
これはお互いがNO.1~10のカードの中から2枚を相手に隠し、残った8枚のカード効果(隠しカードと手札を交換する 等)を駆使して相手の隠しカードの番号を当てるゲームだ。
漫画があるので気になったら読んで欲しい https://www.corocoro.jp/episode/3270296674393275156
第二の大間違い。
これを論破するのには「インディアンポーカー」の一言で終わりだろう。
頭に置いたカードを手札と呼べるというなら僕の負けでいいが、そこまで拘りがないならもうなんでもカードゲーム扱いでいいだろ逆に(無敵ロジック)
💮大正解💮
🎺パフパフパフ📯
その通り。
カードゲームかどうかを決めるのはこの一点だけであると言って良い。
実際にやるゲームがなんだろうがゲーム中に動かすものにカードの形をしているものがアレばカードゲームになる。
それこそ、バトルえんぴつのようなダイスを振るタイプのゲームであっても、出た目と能力の対比表がカード型ならそれはカードゲームと言い張れるのだ。
コマンド戦闘中に使うスキルの形がカード状だが、実際にそれはただのコマンドRPGと変わらなくても、ゲームの中にカード状の物が出てきてるならカードゲームだ。
それこそ「アクションゲームの主人公がカードの姿をしているが、挙動自体はよくあるマリオタイプのゲームだし、別に主人公をカスタマイズする要素もない」というゲームであっても、それは「カードゲーム」と言い張れるのである。
それがスマホゲームアプリ業界における「カードゲームの定義」なのだ。
考えるだけ無駄。
日本国内の需要は低下している。よく言われるのは若者の車離れ。若者だって余裕があれば買いたい人は多い。昔も若いときは給料低かっただろうけど、10年後の給料の明るさは全然違っていたはずだ。ローンを組むのが怖いのだ。
では、日本で売れなければ海外で売ればいいのでは? もともと、二次産業で工場製品を海外に売って世界2位の経済大国になったのだから。しかし、二次産業から三次産業に移った今の日本で、海外向けの三次産業はどれだけあるのか? いや、逆になぜ日本の三次産業は海外から欲しがられないのか?
よく言われるのはガラパゴス化。人口的には1億人のパイがあるから、外で一生懸命売る必要性がなく、日本人にカスタマイズしすぎたからというもの。でも、その筋書き正しいのだろうか? 本当に品質が高ければ、誰でも欲しいのではないだろうか? 特定の日本人ターゲットに売れれば十分と、品質を高めることを怠ってはいないだろうか?
三次産業は、その国の習慣や文化が色濃く出るのは仕方がない。文化圏が違うのだからガラパゴスと言われるのは分かる。しかし、クオリティの高いコンテンツは、海外でも評価されている。映画やアニメ、ゲーム等。
ガラパゴスとかではなく、日本全体で製品もサービスもクオリティが下がっているのではないだろうか。しかし、クオリティを上げるには、時間の余裕が必要だ。だが、日本は貧乏になってしまった。時間を掛けるための資金の余裕がない。まさに、貧乏暇なし。では、どうやって貧乏を脱出するか。それは、ものを売って稼ぐしかない。しかし、その稼ぐ力が衰えている。衰えているなら、元気になるしかない。
じゃあ、日本が元気になるには、どうしたらいい? それは、庶民に余裕がある状態にならなくてはいけない。 これより安いものはと、デフレマインドの購買欲ではなく、ちょっと高くても、美味しいもの、品質の良いものを求める購買欲が必要だ。海外でものを売るにも、まずは庶民の元気を取り戻さないと。話はそれからだ。
在庫系のシステムを入れ替えることになって9月頭納品だったんだけど、うちの環境と合わないとかで納品が延期になったのね。もろちん、要件定義とか進める時点でうちの環境は調査しに来たし、調査の結果問題なしだから9月に入れられますって話だったんだけど。
で、環境に合わせるためにカスタマイズします、無料ですって言うからさっさとやれよと思ってたんだけど待てど暮らせど連絡がなくて、先週連絡したら「開発部が次のお客様の開発に入ったから手が空かないので当分は難しい」って言われたのね。
いや、意味わかんなくね?まずはうちのを納品終わってから次の開発に入るのが普通じゃね?うちのシステムの開発終わったから次の客行きます、うちのシステムのカスタマイズは別案件だから開発序列の最後尾ですってこと?いや、そんなわけなくね?
とりあえず営業呼び出してめちゃくちゃ詰めてるところなんだけど、開発の手が空かないの一点張りで話にならないので部長がブチギレて案件を法務に上げてしまった。
ff14に疲れたので休止することにした。戻るかはわからない。
大半のコンテンツで新規がPTプレイに入ってくるにはUIや各種設定のカスタマイズが済んでいる事が大前提
新規は先行者プレイヤーと同じ体験をすることができなくなっている(漆黒時代のボスBGM変更による演出改変は死に値する)
各アクションの説明を「どうせ皆読まないで感覚で遊ぶんだから間違ってても平気w」くらいのノリでリリースされると裏取りで解析くらいしたくなるからリリース品質上げてくれませんか
問題あるユーザーが発生した時に通報マターでしか動かんのなら保身のための追加規約なんぞ作ってんじゃないよ
運営側が自発的に調査して対処してれば君だけ部外者一味みたいなのは今頃拡散して生き残ってないし、そういう事ができるように作った規約ならまずサポートが仕事しないんですか?
salesforceが絡んだ開発というのがある。
昔からあったのかはよく知らないが、Herokuを買収(https://www.rbbtoday.com/article/2010/12/10/72742.html)してからこういった話は増えたのではないかと思っている
Herokuを買収することで何が起きたか。端的に私(一人のエンジニア)の意見を言わせてほしい。
salesforceは「Heroku Connect(https://devcenter.heroku.com/ja/articles/heroku-connect)」という武器を手に入れた。
これは、salesforceで管理しているデータをHeroku Postgresに連携(同期)させるというもので、つまりは、salesforceで管理しているデータを用いてHeroku環境を構築できるようになったのである。
Herokuでできたことは何でもできるから、WebサイトでもAPIでもなんでも作ることが可能だ。
SaaSとして完成された管理システムを提供しつつ、「カスタマイズでアプリケーションを作れますよ」と言えるようになった。
最高の売り文句を手に入れたと言っても過言ではないかもしれない。
問題は、(Herokuの)カスマイズ開発を一切salesforceがやらないことである。
技術的質問をしたいと言ったら、カスタマーサービスだかe-Learningだか紹介して終わり。
「Herokuを使う」という厄介な制約だけつけて、自分たちはドロンだ。
何の巡り合わせか開発することになった者たちはたまったもんじゃない。
カスタマイズできたとしても、自分たちは「カスタマイズできることも含めたSaaS」を売ることしかしないのである。
それだけでも苛立ちがあるのだが、さらに嫌になるのは「Herokuという技術の特殊さ」だ。
これをたまたま読んだ人は「Heroku Connect」なんて果たして聞いたことがあっただろうか。
dynoだとか、Herokuの料金体系だとか分かるだろうか。
それ相応の専門知識がなければ、開発も運用もままならないのである。
学べばいいだけというのは事実だろう。
けれど、学んで何になるのか?
2022年、「アプリケーション開発しよう」となったときに、SupabaseでもFirebaseでもAWSでもなくHerokuを選択する理由がどこまであるだろうか。
Herokuの無料プラン(https://blog.heroku.com/next-chapter)が無くなるという昨今は、尚のことだ。(Herokuを知らないエンジニアも今後増えるのだろう)
むしろ、saleseforceが絡まなければ選択する理由が思いつかないまである。
それでも、「学ぶことには意味がある」と言う人がいるかもしれない。
私もHerokuに個人のポートフォリオをデプロイしたことはあったし、Heroku自体が嫌いとまでは言わない。
けれど、Herokuを学ぶことでsalesforceの奴隷になるのであれば、私の答えは「No」だ。
Herokuに関わる求人を出している企業は、おおよそsalesforceから案件投げられている企業なんじゃなかろうか。(証拠があるわけではない)
エンジニアから言わせれば、大企業salesforceにいい顔するために利用されているようにしか思えない。
大して汎用性のある知識じゃないものを学んで、しかもsalesforceの顔を立てる気苦労をして、その上、実際の開発は放り投げら
こんなこと、やり続けたい人などいるんだろうか。
salesforceからしたらエンジニアなど末端の人間なのだろうが、末端の人間のモチベーションを軽んじる仕組みに気付くべきだと思う。
そのまま無視するなら、仕事を受ける企業は段々と先細りしていくとしか思えない。
丸投げで、salesforce自身もトラブルを被っていたっておかしくないはずなのだ。こんな座組みでトラブル0だったら逆にびっくりだと思う。
Heroku(Heroku Connect)の恩恵を一番受けているのはsalesforceなんだから、salesforceが開発部隊を持って、受託開発するのが一番ではないか。
理由付けなり何でもできるだろうし、自社独自の技術だと誇りにやったらいいじゃないか。
Kintoneか、懐かしいなあ。
大型クライアントに過密スケジュールでカスタマイズの無茶振りされた思い出が蘇る。
メインの案件とサブの案件も抱えてる中で、JSでどれくらいカスタマイズできるかとかそれで機能要件はともかく非機能要件満たすかとかサードパーティのアプリ使うのはどうかとかああ色々調査したけどこれダメっぽいわ代替案提案してみようかとか、もう何回徹夜したか。
下手にアドバイスするべきじゃないね。ご指摘ありがとうございます。
半年に一度くらい、なにか文章を書きたくなるときってあるよな?それがいまの俺だ。
無職でもうすぐ貯金がなくなるのに3.6万もするワイヤレスイヤホンを買って、2週間ほど使い倒したからレビューを書き散らしていくぞ。
せっかちさんはここだけ読んでくれ。あとは読む必要ないぞ。
いまワイヤレスイヤホンを使ってて、最強NC気になるなーと思うなら買ってもいいと思う。
逆にワイヤレスイヤホンをはじめて買う人にはちょっと高すぎて冒険しすぎかも。
Ankerとかの安めのやつ(5000円~)とかでまずはワイヤレスイヤホンの使い勝手とか、
自分の生活スタイルで必要かどうかを判断してからポチったほうがいい。
とりあえずBose公式で買うと30日は返品できるから試してみるのもあり。
Bose 公式サイトでは¥36,300、価格コム最安で¥32000
ちょっと大きめのケースだけどぜんぜん許容範囲。イヤホン本体も不満なし。
もちろんもっと小さくできたなら嬉しいけど。
ケースをポケットに入れて持ち運ぶ人(いるんか?)だと持て余すかも。
これも店頭で聞いたほうが一番はやいと思う。あれ?このレビューいらなくねーか?
LDACでつないでたSONYのXM4と変わらないんじゃないか?と思う。(でも耳がいい人からするとやっぱLDACがいいらしいっすよ)
今年上半期の最高音質といわれたゼンハイザーのmomentum true wireless 3 も聞いてたけど違いがわからん。
でも、さすがにこの値段なので音にノイズがのってる感じはしないし、Boseらしい低音の効いてて悪くない音だと思う。
低音ききすぎて好みじゃなかったからイコライザーで減衰したけど。
音質もノイキャンも大事だけど、長時間つけてられるかどうかが一番大事じゃねーかなと個人的には思っている。
使い始めの最初の3日間は小一時間で耳が痛くなってたけど、着け方のコツを覚えたら4時間くらいは着けっぱなしでも大丈夫になった。
カナル型のイヤホンは耳奥までつっこんで密着させる感じで着けるけど、earbuds IIは ふわっと耳を塞ぐ感じで着けるといい感じ。
密閉感がないから落ちそうでちょっと怖いけど、思いっきり頭振り回したりしても落ちないから、案外しっかり装着できるっぽい。
耳のくぼみにハマるようにイヤーピースとイヤーウィングが用意されていて、それがきっちりハマればかなりストレスないと思う。
俺は左耳の形が変らしくイヤーウィングがくぼみからはみ出してて仕事しない状態になってても落ちないので、イヤホンを手で弾き飛ばすようなことがない限りは取れないんじゃないかなあ。
不満なのは、純正イヤーピースが3種(S,M,L)しかないこと。
俺はSだとスカスカで、Mだとややきついので、もっと種類がほしい。
あとイヤーピースの形が独特でサードパーティ製のやつは対応してないこと。
無理やりつけれなくもないけど本体が痛みそうだし、一度無理につけたやつは、イヤホンを外したタイミングでイヤーピースが耳に残ってしまったりした。
イヤホン本体にセンサーがついていてそれで操作することができる。
が、ほぼカスタマイズ不可。ひどい。
スワイプが微妙。たとえば音量を一気に下げたいとき、何度もスワイプしないといけない。(スワイプ→離さずタップし続けてもロングタップ判定になる)
あと操作性とはちょっと違うけど、ケースから取り出しにくい。毎回イヤーウィングつまんで取り出してる。そのうちやぶけそう。
ロングタップ:NCの強度変更 or スマホのアシスタント起動 (変更可)
スマホと接続している状態で音楽聞いてるのにアプリ開くと「接続が切断されました」とか表示されたり、
画面の指示どおりにしてるのに接続できなかったり、正直不親切。
めっちゃ効く。イヤーピースがキレイにハマってるときとそうじゃないときで差がでる。
テレビの音:8割減。なにか言ってるっぽい感じはするが聞き取れない。
車:軽とか普通車はシャーって静かなミニ四駆みたいな音が聞こえる。
お店:ガヤガヤとかそういう人の声は8割減、店内BGM7割減という印象。
音楽流しながら会話とかは厳しいと思う。相手がよほど声量あげてくれたらいける。
懸念してた装着感もいい感じ、自称最強NCも伊達じゃない出来なので満足。
ダメだったら返品したろ!と思って買ったのにこのまま使い続けることになりそう。
総評:★★★★☆
値段:★★☆☆☆
装着感:★★★★☆
NC性能:★★★★★
アプリ:★★☆☆☆
中々眠れずにそんなことを考えていました。
前提として過去に戻る際、今の記憶は引き継がれないこととします。
つまり、自分の意思決定は全く同じ状況化にある場合、毎回同じ結果になるのではないか?ということを考えていたわけです。
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中学時代にプログラマに憧れ、高校は情報系の商業高校を選択しました。
そのために中3から塾に通い猛勉強をしてなんとか入学できました。
高校時代は非常に怠惰で、自主勉強はせずゲームばかりをする日々でした。
ですが、情報系の授業は非常に大好きで部活もその手の部活を選択していたこともあり5教科はギリギリ赤点を逃れるレベル、情報系の教科は毎回90点台という塩梅でした。
当時の自分は強くプログラマになりたいと思っていたわけではありませんでした。
ですがなんとなくPCをいじるのが好きだったのでPCを一日中触っている職業がいいと思っていました。
また、フリーソフトをインストールしてPCをカスタマイズするのが好きで、そういった小さいソフトを開発できるようになりたいという思いもありました。
明確な理由があるためこの選択は何度やってもおそらく変わらなかっただろうと思います。
それは親も同じでした。
中学3年生、春の三者面談で父と自分が担任の教師に「笑っている場合ではありません、この学力では志望校は無理です」と怒られた覚えがあります。
父も自分も非常に楽観的な人間でした。が、流石にまずいと思い強制的に勉強ができる塾に通うことにしたのです。
面倒だから行きたくないという気持ちはありましたが、ここまで切羽詰まっては自分を強制する他ないなという気持ちが強かったのを覚えています。
そのため、この時の自分の選択も何度やっても変わらないでしょう。
問題はこれです。
自分は当初、怠惰ゆえの結果で場合によっても勉強する可能性もあったのではないか?と考えていました。
しかし、思いを馳せてみれば当時の自分は「5教科などプログラマになる自分には不要の長物」と考えていた故に「勉強しない」選択肢を選んでいたのです。
上辺だけ見ればただの怠惰でしたが心根には「ゲームなどの娯楽よりも価値のないもの、故に勉強は不要」という思いがあったのではないかと考えたわけです。
もちろん当時の自分の理性は「そんなことはない」と分かっていましたが、今までの少ない経験則や自分の重視している物事、それから娯楽の誘惑などを総合的に鑑みるに勉強しない選択をしたのでしょう。
そうなってしまうとこれも何度やってもきっと変わらないでしょう。
それどころか今でもなお自分は自主勉強ができない人間のままなわけですからこれは確証を持って言えます。
最後にこの進学先ですが、ここはほぼ選択肢はありませんでした。
自分は高校時代にいくつかの資格と大会の受賞経験があり、一応勉強さえすればそれなりの大学に入学するチャンスはありました。
これは「興味のない科目に対して勉強するかどうか」と同じ帰結でしょう。
自分の考え方をトレースするとこの選択肢も変化はなかっただろうと思います。
題名でもう結論は出ていますが、結論として多少の誤差はあるかもしれないが「過去に戻ってやり直しても今の自分と大差ないんじゃないか?」というのが自分の結論でした。
この思考の中で発見したのは「"怠惰"というものは存在せず、複数の選択肢のうち自分の考え方や経験が結果的に"怠惰"の選択肢を選んでしまうのだ」ということです。
また、この「考え方や経験」というのは幼少期の経験が強く影響しているのではないかと思います。(遺伝もあるかもですがデータが自分しかないので遺伝の影響度合いは分からないです)
つまり、幼少期の経験が人間の一生に大きく影響するんでしょうね。
そう考えると、結局人間というものは幼少期の影響がバタフライエフェクトのように広がり、成功や失敗を生み出しているのだろうなと思うんです。
もしそうなら、人がなにか罪を犯した場合、それは本当にその人だけの罪なのかな?などと変なことをぼんやり考えてしまいました。
仕事の合間に見に来たら色々言及いただいて驚きました。ありがとうございます。
さて、いくつか言及いただいている「記憶を引き継がないなら同じでしょ?」という話ですが自分の考えを追記しておきます。
自分は人間の行動にはランダム性のある部分があると考えています。
例えば「歩く」動作一つにしても呼吸の間隔や足の動く速度はつど変化が起きるのではないかと思うのです。
そう考えた場合に「時を戻す」ではなく「再度人生をやり直す」場合に上記のように同じ動きはできるのか?と考えたわけです。人生の再演算と言ってもいいと思います。
その場合、同じ「歩く」動作でも違いが起きるのではないかなと考えています。
そうなると思考にもランダム性があるんじゃないか?と思ったりしました。
そういう曖昧な考えがあってじゃあ実際にどうなんだろうな?と具体的に掘り下げていった結果がこうなったというわけです。
...しかしながら、そう思うと親というものは本当に偉大だなと思う一方で子供を育てる難しさは果てしないものがあるなと考えさせられました。自分は結婚の予定すらありませんが・・・。