はてなキーワード: いでとは
ボルヘスの「隠れた奇跡」にそういう記述があるが、専門外のことについてよく調べないで発言をしてしまった経験のある人は多いと思う。もちろん俺にもある。
増田にも熱狂的なアンチがいるNATROM先生だが、こんなツイートを見つけた。URLを載せるべきなんだろうけど出し方がわからないので引用する。
@NATROM
どうだろうか、と言われても、こんなの全然ダメで話にも何にもならない、AVならウンコ食わされるレベルであることは賢明な増田諸兄諸姉ならおわかりになると思う。
まあ誰でも油断することはあるよね。
こいつらが何を言い争ってるのか把握したのでまとめた
まずkurahitoが執拗にFrancesco3にセクハラを続けている
「Francesco3とはファックしたくないファックファック」と狂ったように騒ぐkurahito
''kurahito" 因みに実母とファックしたいと思った事はありますが、F子みたいなのが母親だったら
ファックしたいとは思わない。客観的にw親密に見えたとしても。 2010/12/15
"kurahito" 私がファックしたいと思う基準は親密性もさることながら責任能力。
F子みたいに電波な母親とファックしたら後々面倒に決ってるので桑原という感じ。教員もしかり。 2010/12/15
ひとりはてブタワーをのぼりながらファックの話を続けるkurahito
みんな遠巻きにしている誰も止められない
ここでNATSU2007登場
"NATSU2007" あーはいはい 貴方の発想って一事が万事「女が俺に欲望されないから嫉妬してる」
しかないんだね。だから「ファックしたくない・お前には欲望しない」と見当違いに吠える。
珍しい心性じゃないが。むしろ何度目だナウシカ。 2011/03/21
"kurahito" これは一般論だが「夫がロリエロ/近親姦漫画を隠してました。おぞましいです」は嫉妬だと思うが。 2011/03/22
嫉妬脳の恐怖wwwwwww
なぜか女から欲望されている事を疑わないのは
キモヲタ全般に共通するが
こいつらの自意識過剰の理由を誰か説明してくれwwwwwwwwww
"NATSU2007" それら全て「欲望されない女の嫉妬」と定義するならゲイ男性も当然忌避される筈だが
逆に好かれてる位だ。さーどうする理屈に合わないな。「ホモが嫌いな女子はいません」が
二次に限るとしても「おこげ」も存在する。 2011/03/23
"kurahito" 浅っ。腐女子やオコゲは「ヘテ男に欲望されねばならない」という心的負担のない
安全圏からゲイ男性を視姦してるだけでしょう。 2011/03/23
"NATSU2007" メタブ え、小児性愛者や人形愛者は「ヘテ男」で括られるわけ?幼少年しか欲望しないペドは?
ゲイ男性と同じ立場の筈だが幼女を欲望するペドと同じように"おぞましがられている"と思うんだけど。 2011/03/24
"NATSU2007" メタブ あとこれ"kurahito氏自身"が「ヘテ女に欲望されねばならない」
痛い所を刺されkurahito泣きながら逃亡wwww
"kurahito" ↓「異性愛⊃人形愛、近親姦、小児性愛」なんだが。私のことを知りもしない癖に
知ったような書方するし、知ってほしいとも思わないし、他者に敬意を払えない
自称ライターさんもウザイからこれ以上レスしません。 2011/03/24
"NATSU2007" メタブ, 性 これじゃ父息子・兄弟の近親姦や少年性愛者も「ヘテロ」となる。
「ヘテ男に欲望されたい女の嫉妬」メソッドではそれらが忌避される説明がつかない。
どこまでもヘテロ目線だから破綻するんだよ。底が浅いのはどっちよ 2011/03/25
(私も散々ナツと呼び捨てにされ失礼な事書かれた)、
知りもしない他人の事を知った様に書いてきたのは貴方じゃないの。
ついでに
知りもしないFrancesco3のことを知ったように論評するkurahitoと
それをブーメラン返しで自覚させるNATSU2007
"kurahito" 私が見聞きした限りではF子は娘に対して異常に他人行儀な気がするんですよね。
異常に距離感が掴めてないというか。「親子は他人の始り」をどこかで認識し損ねたかのような。 2011/03/10
"NATSU2007" メタブ, 転移 私が見聞きした限りkurahito氏は母親への恨みを母の表象の
以上
堪忍バッグの緒がきれたNATSU2007がバッサリ斬った構図だが
イメージ操作したがっているid:kanoseやそのお仲間の遣り口の薄汚さには
ノドにスッパい物がこみ上げてくるのを抑えきれねえ。まるwwwwwwwww
ひどい量の放射線を浴びたが、作業して生還した人が、最後どうなったか、東海村関連の記事読めばわかる。
「安楽死させてくれ」と。
元増田は生還を期さないと言ってんだろアホw
「生き延びる目なんか無いのに外道な医学の実験台として観察のためだけに限界まで生命維持処置された」だけなの。
医者に余計な手出し(人の尊厳や苦しみを無視したモルモット扱い)さえ許さなきゃもっとずっと早くずっと楽に死んでた。
この程度のことも分からない上に
日本語で書いてることも読めない馬鹿が人様に説教してるんじゃないの。
東京のある小学校も新年度を迎え、新たなクラスに新たな担任が配置された。
担任となった先生は言った。
「新しいクラスになり、知っている相手もいるでしょうが互いのことをよく知らない相手も多いでしょう。
出席番号1番の人から順番に、自分の名前と簡単な自己紹介、それから両親の職業を言っていってください」
子どもたちは次々に「相沢太郎です。趣味は野球で、お父さんはサラリーマンです」
「伊藤花子です。本を読むのが好きです。両親は医者と看護士です」などと自己紹介をしていった
そしてある子どもの順番になった。その子は言った。
「北沢たかしです。趣味はサッカーです。僕の父はゲイバーでストリップのダンサーをしています」
その言葉に教室はざわめきかけ、それを察した先生は「はい次の子は!」と慌てて次の子を指名した。
その時間の終了後、先生は北沢たかし君の所に行って「ねえ、お父さんがバーでダンサーをしているというのは本当なの?」と聞いた。たかし君は答えた。
「ううん、アレは嘘。本当は僕のお父さんは、東京電力の社員なんだ。でも本当のことは恥ずかしくて言えないから、ああ言ったんだよ」
下のエントリを読んで引っかかる表現がいくつかあった。文章を書き慣れていない人がやってしまいがちなところであり、いい機会なので指摘しておきたい。内容についてはここではふれない。
現在、問題を起こした「ケツダンポトフ」(http://ptflive.jp/)には「視聴者の皆様へ」と題した謝罪文が掲載されており、そこには
(中略)
と記されています。
「そこには(引用)と記されています」と書くのではなく、「そこにはこう記されています。(引用)」にするのがよい。
「そこには」を読んでから「と記されています」にたどり着くまでが遠いときは、引用の入れ子を外しておきたい。
こちらは間違い。
引き続き代理人を通じて責任の追求をしていくと共に(後略)
「以外」と「意外」の変換間違いは誰でも見たことがあるだろう。「ついきゅう」もこのタイプの、変換時に気をつけたい言葉である。
上の引用は「追及」が正しい。「ついきゅう」を変換するときは十分注意されたい。
もちろん、文脈から変換結果を調整するIMEを利用してもよい。ATOKでは上記の例はすべて正しく変換された。
責任の追求をしていくと共に(後略)
ここは「責任を追及していくと共に」と書くとすっきりする。さまざまな表現で応用できるだろう。
「Aすることができる」はたいてい「Aできる」に置き換えられることもあわせて知っておくとよい。
上記エントリの筆者はライターだということであるが、こういう素人くさい書き方や間違いがあるようではダメだというつもりはない。人間ダルシム待ちガイル。仕事としてこういう文章が上がってきても、編集者はいちいち怒ったりはせず単に修正するだけだろう。
みんなこういうことを知って、すっきりとわかりやすく間違いがない文章を書こうよ! という話である。
ラブプラスをやってみた事があるのですが、心が満たされないのです。
それをいうならid:kurahitoとid:angmarの結婚の方が先だろ
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/angmar/20110325%23bookmark-35337145
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/angmar/20110330%23bookmark-35716410
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/angmar/20110330%23bookmark-35716410
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/angmar/20110331%23bookmark-36160734
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/angmar/20110331%23bookmark-36160734
きりがないからやめ
もともとkurahitoはメタブで誰彼かまわず絡むのが好きな気持ち悪い奴で
たまたまNATSU2007が相手の時もあっただけのこと
余った分はアフリカに回す、というような話で怒った
この状況下で、余るという意味が分からない。余ったのなら、義援金として配れ(赤十字ですら足りてないのに、ユニセフが余るわけがない)
という話だと思うが?
ようするに、この状況下で余ったのなら、余らせたという事で、アフリカに回すために国内の義援金を余らせたらそら、怒られるだろ。
しかも、ユニセフじゃないが、被災地で縄張り争いして、同じ自治体に複数の団体が、支援物資持っていってバッティングとかいみわからないことも起きてるらしいしな。
個人は送らないでください、の意味が、団体も勝手に動かないでください。協力してください。という意味だとは思わなかったらしい。
9ページ目。でかい表が書いてあるし8% 25%というわかりやすい数字で検索しても出てくるのに、わからないが、わからない。検索したか?
すくなくとも25%と仮定するに必要な統計上のサンプルを取って、そのサンプルを、概算でいいからのせないと全く意味が無い。
えいやーできめたのか?統計上サンプルとったのかが見えてこない。
p7に書いてあるでしょ。
統計なんか取っても意味ない(分布の裾の話だから)し、統計でないアプローチ(モデル)もある。
「統計的に有意」とか言えば納得する人に限ってモデルの不確実性を考慮してないことが多い(増田がそれはどうかは知らない)。
統計で全て説明したいならテールに関わる議論には口を出すべきじゃない。
そういう議論を「意味がない」として切り捨てるのは自由だけど、それらを切り捨てた上で残るのはごく一部のせまい領域の議論だけということは理解するべき。
首都圏に生まれ育って生活してる人間はカッペのライフスタイル馬鹿にしたりしないよ
何故かってどういうライフスタイルなのか知らないし想像つかないし興味も持たないもん
たまに映画やドラマなんか見て田舎のことに思いを馳せるとしても
せいぜい「空気がきれい」とか「人々がおだやかであたたかい」とか
カッペ、の中でも過敏な都会コンプレックスを抱えた一部の哀れなカッペは
自分が毎日毎日東京や首都圏のことばかり考えて興味津々なもんだから
ついつい逆も同じだと、つまり都会の人間も自分たち田舎のことに興味持ってると勘違いするし
こういうの思考の対象性というんだけど
「自分がこれだけ相手のこと考えてるんだから向こうも俺のことたくさん意識してるに決まってる」となり
はては「わざと無視しやがって」「馬鹿にしてるんだな」
みたいになっていく思考経路がわりと有名
またもし
こういう書き込みを本当に見たというなら
その書き手は都会の生活と田舎の生活を比較できる、つまり両方を知ってる人物であり、
それってどういうことかというとつまり
田舎にはなんでそういうのが無いの?(^q^)どうやって生活するの?
車社会とかワロス(^q^)カッペは二酸化炭素撒き散らす珍生物
↓3月11日以降
コンビニとかそんなに要らないんだよ!(゚Д゚)スローライフ最高!
火力にしろよ!二酸化炭素なんか問題じゃないだろ!(゚Д゚)
各方面の次世代に残る、又そのための技術、理論、研究をしている人たちを通じ、託し贈る事が出来る物を探しています。
これらに対して必要以上に騒ぎ立てたり、又楽観主義になることなく最低限どのような物になる可能性が有る事程度は分かっています。
恐らく、今の時間を各人の人生において一番力を出すことの出来る時代として生きている人たちは、
これらを切っ掛けとして、何らかの形で次の世代の人たちのためできる謝罪として、それを今後成すべき物の目標にしていると思います。(言葉ではなく、形として)
現在に続く国家の枠組みにそれを期待できないことを知っています。端的に黒い部分も沢山あるかもしれません。
どのような考えを持つ人が政治の舵を握ったとしても変わらない事を現在を含む過去の経験から学んでいます。
今、最前線で拡大を防いでいる人たちもそれを知っているからこそ出来ることだと思います。
最初に記した、「研究」分野の前進には予算が多くの場合それを早める方法の一つです。
でも今は、そのための基金のような仕組みは期待できる物としてありません。
政府の言う保証は何一つそのような事柄に対し希望のある物でもありません。
予測が難しいのは確かな物かもしれませんが、その時点で行動を始めたとしても泥沼という最悪な形しか生まないことを過去の経験から知っています。
そのために出来る事、どのような形であれ、次の世代への謝罪へ繋げることが出来るものが有ったら教えて下さい。
未来への基金がなかったら、それを確実に保証出来る透明性が確保できる物を立ち上げて下さい。
現在には現在の被災者に対し、望めば可能な限りのことが出来る仕組みがあります。
これらは私たちが過去から学んだことです。それが十分な物であるかどうかは結果を持ってしか知ることは出来ませんが、
無かったと仮定したら、仮定など出来ない物だとだけは分かります。
必ず来る未来の、未来に生きる被災者のためする、有効的な仕組みを私は知りません。
私には、人を束ねる行動力、知識、技術もありません。
未来の世代に贈れる物、それに繋がる技術などのために出来る事が有ったら、それを知りたい。
どもです。やっぱ結論は同じになってくるよね。
脳で覚えたあとは脊椎反射!体育会系だw ただし、理論ありの体育会系。理論なくなるとただのアホだからね。
教材の内容を愚直に無意識に落としこむため、スクリプト読みから次に進むために、一度例文を読んだら、原稿を見ずに目を瞑って読むってのをやってます。
1回目は余裕がなくて途中で詰まっちゃうんだけど、次第に場面が浮かぶようになると詰まらないで発音もカッコよく言えるんだよね。
そして1曲リピートで再生して何度も聴く、そしてshadowing.
自分のカッコいい発音に酔えるようになったら次のtrackへ。
そんなの繰り返してるとちょっとは実力ついてきたかな。
要は、1度目でうまく言えないんだから、全部のパターンを2度目にするしかないんだよね。
結論としては練習、練習、練習、さらに練習(夢枕獏風)
そこそこ英語出来る人(TOEIC Aクラスや、それ以下でも喋れる人)にオススメな教材は ALL IN ONE.
例文が長めでパターンが揃ってるので、弱いところを無くす練習にいいです。
それ以下だと定番のDUO3.0かな。
話すには、日本語訳から英語が出てくるようにすることだよね。まずは。
これからも頑張りま〜す
スピーチでない会話に関しては、ジョークや下手なりのユーモアが重要だと感じてます。
マトモな英語も話せないヤツの相手してもらうには、自分に興味もってもらうのが大事。
これは英語ができるのも大事ですが、相手への興味が一番大事かも。
まず、このたびの地震では被害は遭われたすべての方にお見舞いを申し上げます。
この3年ほど、東北地方には特別の共感を感じておりましたので、わたしにとってもたいへん重苦しい思いです。
今回の震災の被害の大きさは言うまでもなく、ここで繰り返す愚をおかす気にもなれません。
先日、天皇のビデオレターを見ていると、国民ひとりひとりが痛みを分かち合い・・との趣旨のことを言っていました。
もともと寄付を考えていたのですが、この言葉を聞きまして、実際に痛みを感じるくらいのレベルで寄付しようと思いなおしました。
そのようなわけで私は、給料の数か月分を寄付することにしました。(正直、100万円を超えます。)
この額は、自分にとって今の生活水準を大きく変える程度には「痛い」ものです。しかし、この「痛み」は、丸ごと被災地の復興へと生まれ変わります。被災地の痛みをわが身へと移すことで、具体的に痛みの分かち合いを実行できると考えました。
今回、寄付を考えている方は多いと思います。もう実行した方もいらっしゃるでしょう。しかし、ぜひ、ご家族と話し合い、納得が得られましたら、「痛み」をともなう額を寄付してはいかがでしょうか。お金のかたちではなくとも、現地へ出向いての支援等でもよいのではないかと思います。形式ではなく、東日本の痛みをシェアするのかしないのか、だと思っています。
痛みを分かち合うみなさまの賛同をお待ちしています。。
http://news.livedoor.com/topics/detail/5463829/
乙武氏のインタビュー記事が評判だ。いわく、震災に際して催しを自粛するのはよくないという、至極ご立派な意見である。この記事に対して、どこの誰もが大絶賛を送っている。
私は催しを制作する責任者の立場から、震災にあたって2つのイベントを自粛した。もともと吹けば飛ぶような小さな催しではあったが、それでも待っていた人には残念な思いをさせたと反省している。
震災直後、ビートたけしが「こんなときに笑いは無力だ、勇気を与えるなど慢心だ」と断言して、一部のお笑いファンから批判を浴びた。「プロの芸人なら、こういうときにこそ笑顔を届けるべきだ」というものだ。だが、たけしのあの発言に、私は救われた。たけしでさえ、己の職業の無力に慄いているのだ、と思った。
私が催しを自粛した理由は、1にも2にも演者への負担が大きすぎるという判断によるものだ。舞台の上に立つのも、同じ、この国の人間なのだ。同じように震災にショックを受け、自分たちの仕事が何の役に立てるのか、誰が今自分たちを必要としているのか、眠れぬほどに悩みぬくような、普通の人間なのだ。私の仲間たちは、平時でも「不謹慎だろw」と、PTAのみなさんが眉をしかめるような演者たちである。彼らが輝くには、それなりの条件が必要であり、その条件が整わないうちは、私は彼らを客前に出すことはできなかった。たとえることが許されるなら、それは整備されていない凸凹のアイススケートリンクにフィギュア選手を送り出すことはできないという、そこでトリプルアクセルを飛ばせれば彼らは大怪我をするだろうという、そういう類の判断だ。彼らは、客前に出れば、それでも思い切り飛んでしまうのだ。
それは自粛ではなく萎縮だと言われれば、そうだ、としか答えられない。これだけの大被害だ。ただでさえ心を痛めている仲間たちが、その責任感から舞台に上がってさらに自分を傷つけてしまうことを、私は恐れた。無用の誤解と批判にさらされることを恐れた。神をも恐れぬスーパースターなら別だが、私たちのような泡沫エンタメ家業にとっては“不謹慎厨”の存在そのものが脅威であり、同時に“不謹慎厨”も大切なお客様なのだ。見世物家業はイメージがすべてだ。それはエンターテインメント業界だけでなく、商売の世界でもきっと同じだろう。
だからどうか、日本中にいる私たちの仲間の、自粛や萎縮にも、寛容になっていただきたい。「批判を恐れるあいつらはプロじゃない、根性がない、演者としての自覚がない」などと、彼らを責めないでいただきたい。そして、もう少ししたら、また一緒に笑ってほしい。
京大原子炉の今中先生ってカルトな反原発kitty-guyたちにわっしょいされてたから
彼も同類なのかなと勝手に思っちゃってたけど、夕方のニュースでのインタビューやこのレポート見る限り
かなりまともな人っぽいな。やはり数字で語ってなんぼだな〜。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/No110/iitatereport11-4-4.pdf
なんかまともな原発撤廃運動してる人たちがせっかくの世論を原発撤廃に向かわせられるかもしれないタイミングなのに
一部のマジキチオカルト過激派反原発人間のせいでかわいそうなことになっているような構図が見えた。
何を今更って感じですがね。にしても線量高いなー。
「不謹慎です」「自粛しよう」のようなことを、言われたことがないので分かりません。むしろ、「不謹慎です」「自粛しよう」へ過敏に反応し、「経済を回そう」という方を見受けることが圧倒的に多いです。その姿に圧倒され、リアルでもネットでも震災でのことを話しづらいと感じています。
これは君なりの定義だろ。
あのねー
書こうとしてる物事の分野やその隣接分野についての知識を備えたうえで
人から話を聞くなど取材をし、集めた材料を記事にまとめるわけ。
福島農家の出荷状況については福島のおっさんのほうが詳しい情報持ってる。
で、そこで得た情報にどんな意味があるかを考えて伝え方考えて記事にまとめるのが書く人たちの仕事なわけ。
これは情報(しかも断片的な)持ってるだけの農家のおじさんには出来ない。
これだけでも死ぬほど不自然なのに
あ、頭が悪かったんだっけ、君?^^
読解力なさそうだしね^^
まあ思考力もそれに準じてるよねきっと^^
こんな顔真っ赤にしてたらバレバレだろ
もーちょっと頭使えよもう…
完全な妄想レベルで全く根拠はない与太話なのだが。ハイクに書こうと思ったらえらく長くなったので増田に書いてみる。
突っ込みどころは山ほどあると思うがまぁ与太話として聞いてくれ。
様々議論はあるだろうが、今後国内では原発は向こう数十年は推進される事はなくなるのではないかと思う。少なくとも国政選挙が2回ぐらいは原発支持・不支持が論点になり、原発推進候補は勝てないだろう。当然ながらこの福島原発の処理が終了するまでは先に進めないだろうし、毎年毎年、3月11日が来るたびに思い出され、忘れられずに残っていくだろう。あるいは残らなければならないと思う。
また、一緒にするなと言う話になるかもしれないが、スリーマイル島事故のあと米国は反原発に舵を切って長年原発を作ってこなかった。それが解除されたのはつい最近で、きっかけは確かカリフォルニアでの大規模停電だったように記憶しているが、そういった再び世論を動かす事故が起きなければ敢えて寝た子を起こすような政治家は出てこないと思う。(ただ…チェルノブイリ発電所は2002年まで動いていたとか、そういうことを考えると残る可能性も十分あるし、今回の経験から日本の原子力技術はさらに成熟されるだろうし、国際的にはどうだろとか、いろいろな議論はあるとおもうけど発散しちゃうのでここではこういう前提にする)
という夢は日本が今後成長していく上では捨ててはならない。捨てた瞬間日本の経済は終わる、と言うレベルで捨ててはまずいと思う。エネルギーはすべての生産活動の基本なのでここが下がらないことにはコスト競争に勝てないからだ。
まずエネルギーコストがあがると、エネルギーコストが原材料費に占める割合が大きな産業からやられてくる。たとえば製鉄業などがこれに当たるが、実はすでに鉱石からのアルミニウムの生成など一部の産業では国内企業はエネルギーコストの上昇によって競争力を失っているものがある。(日本では独自に水力発電所を持っていてエネルギーを極端に安く入手できる企業しか残っていない。国内のアルミニウム工業はインゴットを輸入している。このためアルミニウム合金そのものについては国内より外国の方が進んでいる)これらの産業が外国に流出しても別にかまわないという考え方も十分あるが、これは全体的にコストの上昇を意味することとなる。
さらに、エネルギーを輸入に頼らなければならない日本では、エネルギーは即座に外国に金が流失する事を意味する。(国内でエネルギーを生産できる国はエネルギーコストが上がっても国内需要として残る)故にエネルギーコストが原材料費に占める割合が増えると産業競争力が落ちるばかりでなく、国内の金の巡りが悪くなり、経済はかなり厳しくなる事すら予想される。
全ての産業がこう言った事に追い込まれないためにも、永遠にエネルギーコストを削減していく技術は追い求めなければならない。
ただ、原発はもう少なくとも政治的・社会的にもう限界だし、コスト的にも議論はある。個人的にも消極的容認派から積極的収束派に意見が変わった。原子力推進でこの夢を追うのは無理だ。
では、どうするか。
原子力によって叶えようとした夢は、自然エネルギーが引き継ぎ、夢へと動くべきだと思う。自然エネルギーは原子力と非常によく似ており、正統な後継者だからだ。
「おい貴様何を言ってる水と油じゃないか」「かわいそうに、酸素欠乏症にかかって…」「ばーかばーか」等と言う声が聞こえてきそうだが、かなりマジである。原子力と自然エネルギーは、少なくともチェルノブイリ以前の認識ではかなり共通点があったと思うんだ。
後ろの利権(産業としての裾野の広がり、影響力)の話なんかも下手すりゃ同じである。原子炉の仕組みが考え出された当時は火を燃やすよりずっと安全だと考えられており、今でも単純な死亡者の数では火力より安全だという議論すらあるくらいである。故に、今の自然エネルギーの一種のような認識だったのではないか。さらに言えば発明された当初は「こんなもの制限が多すぎて使い物にならない」と考えられていた…かもしれない。
原発というのはあくまでも手段であって目的ではない。大規模な原子力災害が発生し、その他様々限界が見えてきた中で手段を変えるのはそんなに悪いことじゃない。目的が達成できればいのだから。
故に、自然エネルギーは原子力の正当なる後継者じゃないかと思う。だから原発は今後尻すぼみになるなら、同じ夢を追う自然エネルギーに原発に振り向けていた投資のうち、維持費以外を振り向けて推進するべきだと思うんだ。原発反対の反動としての自然エネルギーではなく、原発の正当なる後継者としての自然エネルギーに。
ただ、よく知られているように自然エネルギーは
などなど、山ほど問題を抱えていて実際の所うまくいく保証はない。というか、代替エネルギーとして今すぐ原発の後を継げるような存在ではないのは間違いない。今原子力の直近の代替エネルギーになり得るのは火力しかないと思っている。(夢は継げるかもしれないが。さらには原子力が火力を駆逐できなかったように、火力も依然として必要とされるだろう)ただ個人的にはそれぞれ、以下のようなブレイクスルーがあって、研究されさえすれば解決に進むのではないかと思っている。
最後の送電網の組み替えだけは、物理的な問題があるのでブレイクスルーのような物はちょっと考えつかない。ただ、これはたとえ原発事故がなくても設備の更新などは必要だったわけだし、おそらく原発がこのまま推進される事になってもこの流れは必要になってくると思われるので、と言う事にしておく。
また…。これは完全に不謹慎であるし、お怒りをいただいてもしょうがない思考ではあるのだが、怒られそうな事を敢えて言うと、今回の被災地は壊滅的な打撃を受けほとんど丸ごと町を作り直さなければならなくなってしまったところがかなりあり、政府はここに莫大な公金をつぎ込み新たな町を作り上げるつもりのようだが(そして世論もそれに賛成している)、これは新エネルギーのための町をある程度採算度外視で作る事ができる条件がそろっていることを意味している。
ご存じの方も多いと思うが都市計画は、再開発よりも一から作った方がよほど簡単なのである。たとえば中国では大規模造成によって作られているのはものすごいスピードで発展しているが、何もないところ(あるいは何もないに等しいところ)を造成しているから早いのである。(日本の高度経済成長期のニュータウン造成も似たような話)一つずつ立ち退かせるところから始めなければならない再開発より早いのは当然である。
だから、災害に遭ってまっさらになってしまったところがある、というのは、未来のエネルギー産業を育てるためのモデル都市を作る事ができると言う事も意味する。きっかけは不幸な災害であったが、この災害を次へと繋げる事も可能になると言えるのだ。(ただ、外野だからこういうことをいるのだ、とも言えるのであるが…うまくいけば世界に名だたるモデル都市になり、産業たり得るだろう)
前掲した以外にも様々な技術的な問題はある。これらの実現・解決にはかなりの時間がかかる。ではどうするか。個人的にはそれでもとりあえず問題はないのではないかと思っている。何故かと言えば、原発は今すぐ停止できる物ではなく、どちらかというと安楽死というか引退させると言った緩やかな停止になり、自然エネルギーの成長を待つだけの余裕は十分にあるのではないかと思うからだ。
今後、原子力は引退させようという動きになっていくと思うが、一部の過激派の言うように「今すぐ撤去せよ!」というのは暴論も暴論で、とても無理だと思う。確かにエネルギー問題を無視あるいは過激派の言うとおり節電などでやりくりすることが可能であれば、異常な状態である福島第一原発を除けば原発を今すぐ止めることは物理的には可能だろう。しかし停止状態になっているのに問題になっている、あるいは使用済み燃料であるにもかかわらずきちんと管理が必要なことを考えれば、いきなり停止させても自己満足以外の意味は、それほどないのではないか。むしろゆっくり運転させ経済的に重要である状況に置いておいた方が、追い込みすぎて安全対策にまで金が回らなくなることに比べればずいぶん安全かもしれない。
さらに、原発の解体は年単位で時間がかかるし、日本国内できちんとした技術は確立されていないから、そこら辺の技術をきっちり固めてからではないと危険であるし不可能だ。
また解体した原発の放射性のゴミをどこに捨てるかという問題も当然発生するだろうが、場所はすぐに見つかる物でもないので(今でも地層処分の場所が見つからず難儀している)、そこも確保してから停止しなければならない。もちろん一度にたくさんの数の解体を進めることも、現実的ではない。すると、古い順番から廃炉へと動いていく事になって、原発の廃止にはどうやっても時間がかかる。自分は少なくともどんなに急いでも二十年はかかるとおもう。
だからまさに原発から自然エネルギーへ夢を引き継いでいく素地は十分にあると思うのだがどうだろう。
根拠らしい根拠はない。また「未来の可能性は無限だから何でもできます」みたいな不毛な話なのも自覚している。今の短期的な電力不足・技術的課題が残るであろう中期的な問題を解決するような話ではない。
さらには原子力がクリーンな夢のエネルギーとみられていた時代と同じで自然エネルギーも今後おそらく確実に様々な今知られていない問題も出てきて、場合によっては今回のような致命的な問題は出て来て頓挫するかもしれない。
また、設備以外にも、ライフスタイルは大幅に変えなければならないだろう。少なくとも
等は考えつくところだ。さらには原子力産業で食っていた人たちをどうするかと言う事もある。電力会社は徐々に電気を作って売る会社ではなく、電力送電網を所有する企業へと変貌を迫られるだろう。末端の電力網を維持管理する作業者は技術的に大きな変更はなくあまり関係ないだろうが、そうでは無い電力会社本体の、発電に携わる今まで日本を支えてきた技術者の方々には削減の並が及んでしまうだろう。
しかし、原子力が数十年原子力産業と日本を食わして来たように、数十年は日本を食わせてくれる原動力になるポテンシャルは十分にあると思うがどうだろうか?
また、困難であるため他者が参入してこないと言う状態であるならばより高い見返りを得る事ができるのではないか?うまくすれば、日本がはじめてエネルギーの世界で優位に立つ事ができるようになるやもしれない。
今こんな事を言うと怒られるかもしれないが、原子力は敵、自然エネルギーは味方、あるいはその逆でも良いが、そういった思考では未来は開けない。
現実原子力の力によってできあがってきた社会を直視し、原子力に携わる人々に「なんて物を作ってくれたんだ!」と言い放つのではなく「今までありがとう」と言い(これは無論原子力災害に見舞われている現地の方々ではなく、そのエネルギーを享受してきた我々の立場である。原子力災害のただ中にいる人は怒っても良いし、保証の話は別だ)原子力で見た夢は自然エネルギーが引き継ぎます、と告げ、方向転換を図る時だと思う。