2011-04-05

私たちが出来る未来への謝罪

各方面の次世代に残る、又そのための技術理論研究をしている人たちを通じ、託し贈る事が出来る物を探しています。

今回の一連の地震を発端とした事象。

これらに対して必要以上に騒ぎ立てたり、又楽観主義になることなく最低限どのような物になる可能性が有る事程度は分かっています。

恐らく、今の時間を各人の人生において一番力を出すことの出来る時代として生きている人たちは、

これらを切っ掛けとして、何らかの形で次の世代の人たちのためできる謝罪として、それを今後成すべき物の目標にしていると思います。(言葉はなく、形として)

現在に続く国家の枠組みにそれを期待できないことを知っています。端的に黒い部分も沢山あるかもしれません。

です悪人捜しをする時間もありません。

どのような考えを持つ人が政治の舵を握ったとしても変わらない事を現在を含む過去経験から学んでいます。

今、最前線で拡大を防いでいる人たちもそれを知っているからこそ出来ることだと思います。

最初に記した、「研究」分野の前進には予算が多くの場合それを早める方法の一つです

でも今は、そのための基金のような仕組みは期待できる物としてありません。

政府の言う保証は何一つそのような事柄に対し希望のある物でもありません。

予測が難しいのは確かな物かもしれませんが、その時点で行動を始めたとしても泥沼という最悪な形しか生まないことを過去経験から知っています。

そのために出来る事、どのような形であれ、次の世代への謝罪へ繋げることが出来るものが有ったら教えて下さい。

未来への基金がなかったら、それを確実に保証出来る透明性が確保できる物を立ち上げて下さい。

現在には現在被災者に対し、望めば可能な限りのことが出来る仕組みがあります

これらは私たちが過去から学んだことです。それが十分な物であるかどうかは結果を持ってしか知ることは出来ませんが、

無かったと仮定したら、仮定など出来ない物だとだけは分かります

必ず来る未来の、未来に生きる被災者のためする、有効的な仕組みを私は知りません。

私には、人を束ねる行動力、知識、技術もありません。

未来の世代に贈れる物、それに繋がる技術などのために出来る事が有ったら、それを知りたい

仮に本当に悪い人間がいたとしてもその人達を野放しにしてしまったのまま違いなく、

考えることが出来、調べることも出来た私たちの責任だと思います。

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