はてなキーワード: 高まるとは
Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180923-00010006-jisin-ent
女性自身 https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1667047/
雑誌に掲載された写真に写っている被害を訴えた女性の外見のパンチ力(表現のマイルド化)も影響しているのか、16年前の話を今頃蒸し返してくるのは金目的かー、って話が主流になっているっぽい。
あとは、日頃の彼らの言動やキャラクターで救われている部分も大きい、とは思う。
「お笑い芸人」としてはこういったスキャンダルで炎上してでも有名になってナンボかも知れないけど、「芸能人」として長寿命を狙うならこういった収束が良いのかも。
2018年9月23日 天気:職場に残してきた仕事が不安だが知ったことではない
最近日本語が下手になってきたので勉強し直したいから来世は頑張る
1本で100カロリー(キロカロリーと書くべきなんだが面倒くさいのでこの後も省略だ)。
人類が食べる食品の中でもトップクラスにカロリー摂取量が分かりやすい。
200円(希望小売価格 税抜き)で400カロリーとカロリーだけ見るとコスパは低い。
興味のない人の前で食べると「カロリーばっかりで身体に悪そう」と言われるが、大抵の場合そういう人が食べているものよりずっとずっと栄養バランスが高い。
栄養バランスが気になるけどいろいろ考えたり実行するのは面倒という人間にオススメのアイテム。
ただしこればっかり食っていると痛い人になる。
レーションを好物だといいはる軍人ロールプレイの中学生になってしまう諸刃の刃。
これは豆知識だが、袋を開けると2本入ってる1本食べて残りは放っといても意外と味は落ちないので100カロリーずつ摂取できるぞ。
腹持ちは悪いので食べる時にカロリーオーバーするリスクが気になる人は水分をしっかり取ろう。
水を一緒に腹に入れると想像以上に膨らんでくれる。
取り敢えず、私の批判内容を見たい人は「第一章」でページ内検索して飛んで欲しい。
結論だけ確認したいなら、「第三章」でページ内検索をして飛んで欲しい。
そしてやたら上から目線になると思う。
何故かって?ごめんなさい、理由は伏せさせてもらいます。失礼に当たるから。
正直、資本主義や技術崇拝といった思想を持ってる人間からすると、そういう人間がいて本当に嬉しいし今後もそのままで居てほしいからこの記事を読んで欲しくない。貧乏がいるから金持ちがいるのです。
さて、おそらく「上から目線」で「主語を大きく」私が考えてる事・持論を「長文」で投稿するだけでだいたいの人は読まなくなるでしょう。既に閉じたくなったでしょう!!
では、何故書くのかって?それはSNSやネット上の記事を見ていて腹が立ったわけで、それを誰かに伝えたかったからです。度を過ぎた目障りだった。
なお、これを読めば、「サイズ感が合わないから買わない」っていってるやつが、なぜ二度とApple製品を買ってはいけないのか分かるでしょう。そしてiPhone5などを買ったことがあるなら、そのおこないが過ちだったかわかるでしょう。
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まず「iPhoneXsやXrはデカい」「iPhoneSEが一番片手で使いやすいサイズ」は理解出来るし、同意できる。
しかし、そこから「サイズ感が合わないから買わない」という意見や「Appleは需要を分かっていない」という批判に発展するってのは頭の出来を疑います。
「iPhoneXsやXrはデカい」「iPhoneSEが一番片手で使いやすいサイズ」というのが同意できる事には理由がある。その理由は、「片手で使うサイズではないため」だ。
そう、Apple信者の一人である自分ですら、完全にそこは同意できる。iPhoneXをはじめとする新製品には、画面を下に4割ぐらい下げる機能「簡易アクセス」がある。それは一時的なもので「片手で使うサイズ」ではないことは確かです。
では、なぜ「iPhoneXsやXrはデカい」から「サイズ感が合わないから買わない」に繋がらないというかは次の第二章を見て欲しい。
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「iPhoneXsやXrはデカい」から「サイズ感が合わないから買わない」に繋がる意見をいってるやつ対して頭の出来を疑ってる理由を述べる。
まずざっくり言うと、AppleはデカくてiPhoneを落としちゃう利用シーンを考えていないことが、Apple製品から察して欲しい。
なぜならば、ちょっと画面見るためならばAppleWatch使えば良いし、音楽聴きたいならAppleWatchとAirPodsを使えばiPhoneを操作せずに再生できるし、iPadで書いたメモや図をiCloudで同期しMacで続きを進めるという、複数の製品を組み合わせて使うことを想定してるからだ。
それが何を意味しているかというと、「貧乏人やAppleに対する信仰心の足りない人間を相手にしないという意味」だ。
まず、iPhoneは10万/AppleWatchは5万/AirPodsは2万/Macは10万/iPadは10万/を足し算すると「37万」です。適当に税金つけたりして40万としましょう。そしてその40万のサイクルは1年から3年です。
そしてこの40万が高いと感じる人間は貧乏人やAppleに対する信仰心が足りない人間ということです。
では、なぜ「AppleはデカくてiPhoneを落としちゃう利用シーンを考えていない」と察しろと言ったかというと、上記40万を完全に揃えた状態で「iPhoneを落としそう」な状況というのは意外と少ない。お外で立ちながら片手に荷物をもってiPhoneを使いたいシーンとか、電車でつり革に捕まりながら使うとかです。
さて、更に言いますが、上で述べてる40万は最低ラインです。ゲームの最低動作スペックと推奨スペックに違いがあるように、40万は最低ラインです。最低ラインで常時FPS60でるんですかね?笑
その理由を述べる。
まず、Macは持ち歩けるMac book や Mac Book Pro と家で使うiMacと分けるべきです。つまり、10万で買えるのはMac bookやmac miniなので、家で使うならばiMacを買うべきである。(mac miniを選んだらMacbookやPro。)さて、iMacの想定価格は適当に25万としましょう。次に、iPadにはApplePencilを使うとすらすらと書けて仕事がはかどりますし使って行きたいですね1万追加です。(絵師入門KITとしても優秀ですね!)
さてだいたい26万が追加されます。ざっくりと30万が追加された値段としましょう。
つまり、70万が1年から3年サイクルでAppleに支払える人間をターゲットとしてる。
年収300万としたら70万はとても大きいですね?年収700万であればあんまり大きくない気がしますね。1400万であればさらに70万は小さいですね。(税金があるので実際はその2倍ぐらいは欲しいところですが)
つまり、この70万を支払える人間というのは高給取りとなります。
高給取りとなって都内に住めば、都内に住んでいる場合はタクシーを使ったり、なるべく満員電車に乗らないようにしたりという工夫をするでしょう。
つまり、タクシーやハイヤーを使うのであれば満員電車で片手で使う必要が減ります。車に座りながら荷物は横において両手で使えばいいのですから。
以上により、Appleは電車で20分とか30分ならタクシーや車を使うような人がターゲットです。壊れたら買いなおせばいいし、iPhoneでApplePencilを使いたがらずにデカデカと書けるiPad買えばいいじゃんという話でもあります。
つまり、Appleは「iPhoneを単体で利用することを考えてない」「Appleは貧乏人は大切にしない」「Appleは金持ちが満足する製品展開をしてる」ということがわかります。
では、この章の始めにいった「「iPhoneXsやXrはデカい」から「サイズ感が合わないから買わない」に繋がる意見をいってるやつに対して頭の出来を疑ってる」という意見の理由に繋げると、ココまでの思考が時間があるにも関わらずできていない気がするためです。
次の章では、第一章で述べた「二度とApple製品を買ってはいけないのか分かるでしょう。そしてiPhone5などを買ったことがあるなら、その買ったことが過ちだったかわかるでしょう。」って事に関してきちんと理由を述べます。
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iPhone5sを買った時点でAppleの戦略に加担してきています。だってブランド力を付ける、利用者数を増やすということに加担してしまっているのだから。
AppleはAppStoreに上がってるアプリの品質(不具合が発生するレベルやUIの質)を一定レベル以上を常に保っています。そうすることにより、ブランド力が高まるためです。
また、金持ちと貧乏人を含めた多くの人々が憧れるものを持つのがステータスと金持ちは考えます。その憧れる理由の代表には「製品として質が高い」や「ブランド力」といった理由が含まれています。
つまり、新しいiPhoneを買えない貧乏人はただの引き立て役でしかありません。
無課金勢がソシャゲで大切にされる理由に近いです。無課金勢が多いからこそ重課金勢が楽しめるという考え方が数年前の流行りましたね。
貧乏人は既に「欲しいけど買えない」というブランドイメージを付けることを、より一層高めるための人間になっているのです。また金持ちは「欲しいけど買えないものを買えちゃう」というステータスを誇示できて、より憧れに繋げさせてしまってるのです。
第二章までで、「サイズが合わないから買わない」というのは、考えが浅い的なことをいいました。また遠回しではありますが、サイズが合わないから買わないという意見は、いくつもあるApple製品の中でiPhoneしか買わないというポージングでもあると暗示したつもりでもありました。
iPhoneしか買わないということは、Appleのサービスを完全に受けられない状態でもあります。つまり、コスパが悪い状態。サービスに対してではなく、単純に持つことにたいして価値を感じてる状態でもあります。
第三章では、ブランド力や憧れといった点に重点を置いてかきました。
日本においては憧れの他に「みんなが持ってるから持ちたい」という感情も少なからず働きます。憧れのアイドルが持ってるから使いたいという感情もあるでしょう。そういう数多ある理由のどこかにiPhoneしか使わないはずの人間が加担してしまっているのです。
第三章の〆として、iPhoneしか使わない場合は、ブランド力を高めて、より一層Appleが力を付けることに加担していると、Appleは目標に向かって歩むでしょう。つまり、理想に向けての動きを加速させるという事を言いました。(iPhoneを考えなしに、評価し、購入した過去は過ちだと思いませんか?)
次章の余談では、私がAppleの信者である理由について書きます。(ダイヨンショウだけにヨダン なんちゃって…)
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本文章のハジメに私は「資本主義や技術崇拝といった思想を持ってる」と言いました。
より具体的に言うと、オルタ右翼で新反動主義、実力主義です。知能がある者ほど、人々のまとめ役となるべきと考えてます。例えばスティーブ・ジョブズが生きてれば国王の都市国家(株式国家!)があったらなとか思ってしまうわけです。ひいてはそんな世界に命をかけて自身の都市国家を作れたらなって本気で思ってるわけです。早死にしたとしても。
さて、その思想を持つ私はAppleに対して以下感情を抱いています。
「Appleは知能が低いものを捨てる姿勢を貫いてる」「自身の目標や理想に対して実に頭の良い策略で手を打ってる」「Appleはそのことを表に出さない」「Appleは理想を描くがその実現力をもってる」と考え憧れを感じてます。
普段、私たちが感情的に捨てられないものを捨てる姿勢すら感じれます。その真意を伏せて。
これ、恐怖心すら出るレベルで格好良くないですか? 憧れを感じませんか?
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsicr/30/2/30_2_81/_pdf
手っ取り早く文中の「暴力的ポルノグラフィーの視聴が女性への攻撃行動を促すかどうか」だけを調べたが、
少し違う結果の論文が出てきた。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpsy1926/70/2/70_2_94/_pdf
この「暴力映像が攻撃行動に及ぼす影響」によれば、いろいろ疑問があって
「暴力映像によって生じた不快感情が攻撃行動を促進すると類推するのは早急」らしい。
「暴力映像によって生じた認知・情動・攻撃行動相互の関係性について論じている」のは99年まで、
唯一Berkowitzだけとのこと。元の論文にも名前が出てきた人だ。
「暴力映像を単に視聴しただけでは攻撃行動は促進されないことが本研究から示唆される」
というのが結論だ。
(ここで使った映像は暴力的ポルノじゃなくて暴力映像なんだけど)
Berkowitzの実験では、直前に挑発行動を取った場合と、取らない場合とが比較され、
挑発行動を取った場合にのみ攻撃衝動が高まるという結果だった。
これについては、
「“暴力性”の高い暴力映像によって生じたネガティヴな認知や情動が攻撃行動を媒介するといった関係は,挑発によって生じた潜在的な怒りの状態を前提とてはじめて観察されるのではないかと思われる.」という見解だ。
挑発してきた相手にやり返す攻撃に火をつける効果はあった、というような話みたい。
懺悔の意味も込めて書く。100%悪いのは自分な事も分かっている。
完全なセフレではなく交通費と飯代を渡しているので、言うなら売春である。
俺はアブノーマルな性癖があり、嫁さんには内緒にしており、裏でそういう人を探していて、ついに見つけてしまった。
その子とのアブノーマルな果てのSEXは本当に楽しくて、最高に高まる。毎月会っては行為に及んでいる。
もう1年近く妻とはセックスレスだ。妻には実はあんまり性的魅力は感じていない。でも一緒にいて楽だし、何より自分が本当に酷かった時に一緒に支え合って乗り越えたのはかけがえのないし、離れたいとも思ってない。好きなのは間違いないのだ。
でも下半身は無情にも反応しない。普通のSEXでは満足いかないからだ。
だけど、先日その子に「なんで俺とは最後までやってくれるの?」と聞いてしまった。返事は「あなたとなら良いと思ったから」と答えた。
なんかその時凄いグニャっとした。このまま続けてたらいつか取り返しのつかない事になるのではないかと。
ダメだとは分かっていても正直な下半身。一時の欲に呑まれて行為に励み、帰りの車で後悔する日々。妻と子供の話になるたび目の前が暗くなる。
俺は……どうすれば良いのか。
基本的には何をやっても良く、時折とんでもない研究作品が出る事も多々あるが
そもそもまともに自分で考えて出来る子供など殆どいないため、大体は親がその大半を担わなければならない
はっきり言って、何の意味があるのだろうと子供の頃は考えていた
大人になり社会人となり、様々経験を得た今、個人的に夏休みの自由研究の目的とは何かを考えて、至った結論を持論としてまとめようと思う
まず最初に結論を書くが、夏休みの自由研究の在り方や目的は『結果』よりも『過程』が最も重視されるものであると考えている
時折凄まじく、大人でも唸るような自由研究が生まれてくるが、それはよほどの熱意を持ち元々の蓄積が無ければ出来得るものでは到底無いし、普通の小学生に求めるのは酷な話だ
そもそも大学生であっても、そんなものは卒業レポートとして提出レベルになってくる
そして『過程』を重視するのであるのならば、テーマは何でもいいのではないかと思う様に至った
正直、ここから先はかなり個人的な意見にはなるので、一般の感覚とは少し離れるだろうしこうしたものは認めないという人も多いだろう
だがしかし、飽く迄も『自由』な『研究』という名目なので、悪いことをしないのならば基本は何をしても良いと私は解釈する
さて、前置きをした所で
何を調べるのか、これが定まらないのであれば自由研究など進まない
そもそも子供の主体性を伸ばしたいという様な思惑も含まれるだろう事は自由研究という名前からして感じるのだ
ならば私は『その子が、今最も好きな事、好きな物に対して調べさせる』のはどうかと思う
そんなことは言われなくても、誰もが分かっているだろう
だが、好きなことが分からない子が大体だろう
だから、なんでもいいのだ
その子が、今一番ハマっている事を言わせて見ると良い
スポーツでも良い、料理でも良い、TV番組でも、youtuberの作品でも、ゲームでもアニメでも良い
その好きな事に対して、なんでもいいから調べてみるのだ
例えばスポーツで、野球が好きならば、変化球の投げ方を研究したとして毎日ボールを投げてみて、どうすればどう動くのか書きだしてみれば良い
最後に自分の感想を入れて締め括ればそれで立派な自由研究ではないだろうか
やるのが好きではなく見るのが好きなであるなら、甲子園などの試合を見て、試合ごとに自分の解釈を乗せて書いていけば面白いだろう
本を読むのが好きなら、作品ごとに考察を入れて、この時登場人物がどんなことを考えていたのか考えてまとめてみたらどうだろう
読書感想文と似ているが、形式に囚われず好き勝手に考えて書き出すのだ
いっそ自分で小説や漫画を1つ書いて完成させるくらいしても良いだろう
アニメも同様だ、1つの作品を一通り見て、それについて感想を述べるというのも面白いのではないか
今アニメで放送されている『はたらく細胞』を見て、各細胞の働きをまとめるという発展だってあり得る
だが私はそれでもいいと思える
例えばだ、対戦型ゲームなどで、それぞれのキャラクターの戦法を調べるなど面白いと自分は感じる
wikiに乗っていたとしても、自分で調べてまとめるというのは、十分に研究の1つだろう
実際にそれを自分でプレイして、思ったことを感想として書き込む
全部は無理ならば、いくつか絞ってそこに焦点を当てるなどすれば良い、そしてやりこむのだ
RPGであっても、どうすれば効率よく進められるか、レベル上げに適したところはどこか、この敵はどんな戦法が効くのか
wikiで調べてまとめるなり、逆にwikiに一切頼らずクリアしてみるなり、要は何をやったか一々書き出すのだ
wikiではこう書いてあった、でも自分でやってみてどう思ったか書いてみれば凄く頑張ってる感じもする
自分が調べたいと思った事柄を、自分がやりたいように調べる、あるいは作る
それをまとめて1つの成果として完成させる、十分ではなかろうか
このように、自分の好きなことを1つ、なんでもいいから言わせて見て、それに対して何か調べさせるといのが大事なのではいか
対象が何であれ、調べる、実際にやってみる、形にしてみるという『成果』が得られる
というのも社会に出て大事なのは、トライアンドエラーなど実際にやってみる、そして自分なりに考える、だと思うのだ
現状を分析し、あらゆる角度からアプローチをし、少しずつ条件をかえて進める
興味がある事柄に関してまず調べる、調べたうえで考える、立派な研究ではないか
そうやって改善していくのだ
冒頭でも語ったが、小学生などが出来る自由研究なぞたかが知れている
しかしそれを毎年繰り返していけば、年齢が上がるにつれ質は上がっていくのではと私は思う
これが私が夏休みの自由研究というものについて考えて至った持論だ
正直、実際に行うにはかなり反発があるだろう
特にゲームに関して調べましたと言えば、中身も見ずに激高する教師が多数いるのはまず間違いない
これらの研究結果という代物を受け止め、そのうえでアドバイスが出来る教師の度量なども必須になってくる
やり方も分からずテーマも決まらず、ただ自由研究をやれと言われてぶん投げられるより、好きな物に関して調べてこいと言った方が確実にやる気が高まる
ゲームだから駄目だ、などと言われず、ゲームでも良いとすれば視野も広がる
可能であれば、夏休み前などに教師などの大人がある程度誘導してやるのが好ましいのだが
好きなことを聞き出し、そのうえでどんなことをやらせればいいか、など
勿論全く興味がない物を押し付けたのでは、まず子供は絶対にやらないと断言できる
結果、夏休み終了直前に嘆くのだ
まあ、子供の興味などコロコロ変わるので、始まる頃には飽きて結局終了直後に嘆く子も多いだろうが
もちろん、既存の自由研究の様なテーマを行うのもそれはそれで良いだろう
自由研究キットを買ってやってみるというのも否定はしないし、実際にやってみるという成果が得られるのだ
だが、結局やらされてる感がある物よりは、自分の好きな物としてやらせる方が記憶にも残るしやる気も出ると私は考えている
……因みに、今の私がこれらの前提で自由研究を行うとするのなら
元々銃器類が好きなのもあるので、この際だからと各国の銃器の歴史を年代別に書き出して、どう進化していったのか表にまとめていくのも面白いなと感じている
大半がwikiなどに乗っているが、それを年代別に並べて見やすくするのだ
これはこれで中々いい自由研究になるのではないだろうか
こういうワナビーな人は、まずは興味持てる言語だったり要素技術をとっかかりにそれの勉強会に出るのがいいと思う。
元増田も言ってるけど、わけわからんまま独学してても習熟は見込めないこと多いよ。
勉強会に顔出して、同じようなレベルの人や、師匠になってくれそうな人を見つける。勉強会本体よりもコミュニケーションや懇親会がメイン。
web界隈のエンジニアはわりと横のつながりが強くて、転職も口利き多いんだよね。
最近はどこも人材不足だから、人事から自社に合いそうな経歴だったりキャリア指向だったりする人材を紹介しろ、と人事に言われてることもあるしね。
もちろんコネだけで転職できるわけじゃなくて、自分が何をしたいか何ができるのかをアピールする必要はある。
ので、積極的に勉強会で発表したり、ブログ書いたり、githubにコードを置いたりやらないといけない。
ただ、それほど高度なことをする必要はない。
自分が学んだことや興味あることを、わからないことはわからないなりにアウトプットする。
間違えててもよくて、いっぱいツッコんで貰えるのでそれが勉強になる。
意外とそういうことをちゃんとできる人少ないから、記録や経験をちゃんとアウトプットする人はそれだけで評価される傾向がある。
他国の基礎科学研究の成果を、論文という形で格安で入手できる以上、
論文を読んで理解し、応用できる力があれば、基礎科学研究は自国では行わなくてもいいじゃん。
しかし、地球のどこかでは基礎科学研究を行わないと、全く科学力が進展せず、何の新製品も新技術も生まれなくなってしまうため、地球のどこかでは基礎科学研究を行う必要がある。
「国際社会の一員として、自国が享受している量の基礎研究を行うのが、道義なのだ」という主張なら、納得できるし、俺はそう思おうと思ってる。
(もちろん、この説だと、基礎科学研究をどれだけできたところで、経済的繁栄にはつながらない(応用研究はモロにつながるけど)ので、
「日本が基礎科学研究でナンバーワンになった! これは(経済繁栄的に)とても良いことだ!」などとは言えない)
あるいは、「日本には、基礎研究をしたい若者がいて、その人たちが本来住みたい日本で基礎研究できると、その人達自身のQOLが高まるのだ」という主張でも、筋は通ってると思う。
(でも、基礎研究しかしない以上、地球経済へは貢献してるとは言えるけど、自国にも他国にも同量の貢献なので、その人がどこの国で基礎研究しても、その人から得られる経済的利益の量は同じだと思う)
8月12日に、Amazonにこれまでに投稿した全てのレビューが削除され、全ての商品へのレビュー投稿がBANされていることを確認した。詳細はトラバ元を確認してほしい。
そしてAmazonへの問い合わせから12日間経った今日、未だにEメールの問い合わせに対して一切の返信が届いていないことを確認したため、電話で問い合わせることにした。
以下、簡潔に通話内容を書く。重要なところは、原文ママで太字にする。
私「最近、Amazonにレビューを投稿しようとしたところ、"製品または出品者との関係が偏っていると見なされるお客様からのレビューに関しては、Amazonでは受け付けていません。" とのメッセージが表示され、一切の商品にレビューを投稿できなくなっているようです。また、過去に投稿したレビューも全て削除されていました。心当たりが無いため、原因を調査してほしいのですが。」
Ama「詳細を確認するので暫くお待ちください。」(5分ほど)
「こちらの方でも "システム" の方で、レビューの方をですね、掲載させていただいたりとか、設定の方させていただいていたので、ご理由というものはですね、ちょっとカスタマーの方でも分かりかねてしまうような状況なんですね。再掲載につきましては、こちらの方で再掲載させていただくことは可能なんですけれども、なぜ削除になったのかっていうその詳細な理由まではですね、こちらの方でも分かりかねてしまうようなご状況なのですので。大変申し訳ございません。」
私「はい。」
私「特定のレビューではなく、これまで沢山のレビューを投稿してきたので、当該のレビュー 以外は全て再掲載をお願いしたいのですが。」(※ここでは「BAN対象となったレビュー」の意)
Ama「であれば、一品一品商品の名前と出品者を確認するという形になってしまうんですが、よろしいでしょうか。」
Ama「大変申し訳ございません。」
Ama「レビュー投稿につきましては、通常通り投稿はできるんですけど、"システム" によって管理されているものなので、勝手に削除されたりということは、今後も無きにしもあらずという状況なので、そこだけはご了承していただけたらと思います。」
私「あの、現段階でも全ての商品でレビューが投稿できないという状況なのですが。」
Ama「ちなみに、今回はどういった商品をレビューしようとしておりますでしょうか。」
私「買った本をレビューしようとして、で、他の商品でもレビューしようとしたら全ての商品でレビューができなくなっているようなのですが。」
Ama「レビューができないことに関しましても、"システム" で管理されているものなので、正直こちらのカスタマー側でも分かりかねてしまうような状況ですので。大変申し訳ないです。」
私「今後もレビューはできないということでしょうか。」
Ama「そうですね。…あのー、そうですね、はい。大変申し訳ございませんでした。」
予告なく削除するのは分かる。予告なくレビュー投稿をBANするのも分かる。
でも再掲載を認めるのであれば、レビュー削除・BANをした理由が全く無いじゃないか。言動が矛盾している。
レビューが削除済みなので、当然これまでにどの商品にレビューしたのかも全て把握できていない状況で、どうして1つずつ商品名を挙げなければならないのか。これも意味が分からない。
最初から最後まで全く理解できない言動であった。これにてAmazonとの無謀な戦いはやめようと思う。結果、Amazonへの不信感が高まっただけであった。
では
「交絡や多変量を考えてないから駄目だ」
と主張する。
なるほど、それはそれで、厳密には正しい。学問的にはそれでいい。
しかし、それで言えるのは、「学問的には、厳密には何も断言できない」
というだけのことだ。元増田の「軽自動車は危険だ」という説を否定することもできない。
そこで私が交絡要因も考えて、正解を示す。
交絡や多変量で要因となるのは、
・ 運転手年齢
・ 乗車人員
・ 乗車人員の年齢
・ 車両の装備
・ 自動ブレーキの有無
・ 事故発生時の天候
など、いろいろな要素があるが、これらのすべてを考慮することは現実的でないし、無視してもたいして差はない。
だから、これらのすべてを無視しておおざっぱに数値を出して、「30%危険だ」と指摘した元増田は、間違っていない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180822141510
ただし、上記のほとんどは無視して差し支えないが、たった一つ、決定的に重要な要因がある。それは、高速道路の利用率だ。高速道路の利用率は、軽自動車は大幅に低い。軽自動車の主要用途は、短距離の街乗りであって、高速道路を軽自動車で頻繁に利用する人は多くない。
その一方、高速道路では、事故の死亡率が著しく高まる。高速道路の事故で軽自動車がぺしゃんこになった例は多くある。
http://bipblog.com/archives/5500112.html
軽自動車の危険性は、高速道路でははっきりとしている。だから、軽自動車で高速道路を走る例は少なめだ。したがって、仮に危険度が同じであれば、高速道路で走る量が少ない分、軽自動車の死亡率は低くなっていいはずだ。……これが、交絡や多変量を考慮した場合に得られる結論である。(高速道路の走行量のみが、有意に影響するから。)
ところが、死亡率が低くていいはずなのに、現実には 30%も高い数値となっている。これはつまり、「本当の危険率は 30% では収まらず、はるかに高い」ということだ。
だから、元増田を批判するのであれば、「軽自動車が普通自動車よりも 30% 危険だという結論は間違いだ。実際にはもっと危険度が高い」というふうに批判しなくてはならない。
「軽自動車が普通自動車に対して著しく危険とするのは間違った考え方で改めてほしい」
と書く。つまり、数値の検討が不十分であることを理由に、「実際にはもっと安全なのだ」と結論する。これはとんでもない論理の飛躍だ。「元増田の見解は不十分だ」ということからは、「真相は不明だ」ということだけが言えるのであって、「真相はもっと安全である」という主張は得られない。こんな論理の飛躍をなしてはならない。
真相はどうかといえば、不明ではあるが、交絡要因・多変量を考慮すれば、「高速道路の利用量が少ないのに死亡率が高い分、軽自動車は普通車よりも 30% を上回る量で危険である」というのが妥当だろう。(推定で)
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余談だが、交絡や多変量を過剰に要求すると、世の中の統計調査は何もできなくなる。すべてが無意味化する。それでは本末転倒だろう。
交絡や多変量を問題にするのが、「それによる影響があるとはっきり判明している場合に、反論として用いる」という形だけだ。本件で言えば、
「高速道路の利用率を考慮するべきだ。それを考慮すれば、現実の危険度はもっと高いとわかる。ゆえに、元増田の見解は不十分であり、高速道路の利用率を考慮して、危険度を高めに修正するべきだ」
一方、「交絡や多変量の考慮が不十分だから駄目だ」というのは、現実の統計を知らない、机上の議論である。それは、数学的には正しいが、そんなことを言いだしたら、現実の統計は何もできなくなる。ほとんど無意味。