はてなキーワード: 財政とは
ここまで頭おかしいと人災というより何らかの地理的因縁を感じる
八戸藩は、天明の大飢饉で深刻な打撃を受け、百姓一揆も起き、年貢の増徴による藩財政の改善も見込めない状況に陥っていた。このため、八戸藩の運営は御用商人からの借り入れに頼らざるを得なくなっていた。そんな中、時の藩主南部信真は野村軍記を登用し、文政2年(1819年)、「国政御主法替」と称する藩政改革に乗り出した。その一環として、八戸藩最大の産物である大豆の専売制を開始。もともと大豆の流通に力を持っていた商人たちを排除し、あらたな御用商人を登用した。その過程で、従来最大の権勢を誇っていた七崎屋を取り潰した。文政6年には大野鉄山を藩営とし、実際の運用を西町屋に任せて利益を藩に収めさせた。天保3年(1832年)、天保の大飢饉が発生。八戸藩では領知高2万石のうち1万1千石が損毛となる大凶作となった。翌年も8割の減収となった。藩は財政に窮し、御用商人の西町屋や美濃屋に銀札を発行させ、預かり小切手も発行して米や食糧の買占めを行おうとした。しかし、インフレが急激に進行し経済が大混乱となり、天保5年には久慈の農民が一揆をおこし、民衆が八戸城下へ押し寄せる事態となった。いわゆる「稗三合一揆」である。これは、藩が1人1日稗三合の食糧を残して、残りを全て価値の激減している銀札や小切手で買い占めようとしたことから、このように呼ばれた。一揆に対して野村軍記は武力鎮圧を主張したが採用されず、一揆側の主張をほぼ受け入れる形で決着した。そのため野村軍記が進めていた藩政改革はほとんどが否定されることになり、野村自身も失脚。幽閉され間もなく死去した[2]。
2022/6/21 18:48
新年会で男性に渡された賞状を模した書面。翌月、男性は自殺した(画像の一部を加工しています)
青森県八戸市の住宅会社「ハシモトホーム」が、青森市の40代の男性社員=平成30年に自殺=に、賞状を模し侮辱する内容の書面を渡していたことが、遺族側への取材で分かった。遺族は20日、パワハラや長時間労働が自殺につながったとして、会社などに約8千万円の損害賠償を求め、青森地裁に提訴した。会社側は「表彰の一環」と説明している。
原告側によると、関係会社も参加した30年1月の新年会で、男性は課長が作った「症状」と題した書面を渡された。文面には「今まで大した成績を残さず、あーあって感じ」などと書かれていた。上司から「おまえはバカ」とのショートメッセージを受け取るなどした男性は翌2月、重度の鬱病を発症し自殺した。
男性の妻は、代理人弁護士を通じ「こんな『症状』を渡して、家族が見たらどう思うのか、何も想像しなかったのかと不思議でなりません」とのコメントを出している。
https://www.sankei.com/article/20220621-SAR4XBLCPVNZNEDYKGDZKZPR74/
被害者に合掌
https://diamond.jp/articles/-/304914 そんな中、公務員の減給状況が書かれた投稿が突然、中国国内のSNSで拡散された。その内容は、「上海市の公務員で、処長級の年俸は、35万元(約698万円)から約20万元(約399万円)」とか「北京や天津などの大都市では20%近く給与がカットされた上に、さまざまな手当も廃止された」「全国で最も裕福といわれる浙江省、広東省の公務員所得も約25%カット」など具体的な内容だった。
公務員の減給実態についての中国政府側の公式報道はないので、投稿内容の真偽は定かではない。インターネットに流れたこうした投稿は削除されてしまったが、中国政府はその内容について否定してはいない。数字の正確さはさておき、どうやら都合の悪い事実としては確かに存在しているのではないか。
例えば、広東省の一部地域の公務員に対する手当支給が遅れていて、公務員の手当は2カ月、教員は1カ月猶予されたりしているという。広東省・深セン市では、数年前に導入された大卒への定住手当1万5000元(約30万円)、修士課程卒への定住手当2万5000元(約50万円)が廃止された。深セン市は中国で最も財政的に豊かな地域として知られるのだから、他の都市は推して知るべしだ。
こうした減給は公務員に限ったものではなく、民間企業ではより広く見られる。しかも、今年に入ってオミクロン株が感染拡大してからより深刻化している。企業は生き残りをかけて、従業員に自主減給申請書の提出などを求めたりして、人件費を減らそうと躍起になっている。
なかには50%もの大幅な「自主」減給を強硬に求める企業もあれば、「退職したときに給与の減額分を返す」と約束する企業もある。減給額が多い従業員のポストは守るが、減給に積極的に応じない従業員は「自主辞職」を求められてしまう。50%の減給を受け入れない従業員に対しては、会社を去ってもらう作戦を展開している企業もかなりある。
北京のインターネット会社に勤務する女性の暁暁さん(31歳)は、基本給+成果給で月に1万5000元(約30万円)もらっていた。5月に入ってから在宅勤務をしていたが、5月中旬に、突然、給与を50%下げると会社からメールが送られてきた。
大幅な給与削減作戦に不満をもつ同僚は、会社と交渉してみたが、結局、交渉が失敗して「自主辞職」という形で会社を去った。それを見た暁暁さんとほかの社員はやむを得ず給与の50%カットという条件をのんだ。しかし、わずか1カ月後の6月上旬に、投資者からの資金投入がなくなり、会社が経営困難に陥ったという理由でリストラされた。
おまえがよくても他の人たちは生きたいんだ
この間の生活保護受給者の車保有をめぐる論争で、某chには「大都市のベッドタウンに移住させたらいい」なんて意見が山ほど見られた。
勘弁してくださいよ、生活保護費は自治体負担もあるんですよ。ただでさえ財政が弱いベッドタウン、さらに生活保護費の負担まで強いられたら、ますます行政サービスが圧迫される。
徳川 斉順(とくがわ なりゆき)は、清水徳川家第3代当主、のち紀州藩第11代藩主。江戸幕府第14代将軍徳川家茂の実父である。
江戸幕府11代将軍・徳川家斉の七男。母は家斉の側室・妙操院。12代将軍・徳川家慶の異母弟であり、13代将軍・徳川家定は甥にあたる。正室は紀州藩10代藩主・徳川治宝の五女・豊姫、側室は実成院を含め3人。紀州藩13代藩主・14代将軍徳川家茂(慶福)の父である。しかし、家茂が生まれる前に没したため、家茂は実父の斉順に会ったことがない。また、水戸藩主徳川斉脩の正室峰姫は同母姉にあたる。
当初は異母兄敦之助の夭逝後に空跡となっていた清水徳川家を継いだが、紀州藩第10代藩主・徳川治宝の娘婿となっていた異母弟虎千代が早世したためこれに代わって、治宝の五女豊姫と結婚して治宝の婿養子となり、紀州藩主を継いだ。重倫、治宝の2人の隠居を抱えていながら贅沢な生活を送っていたので、藩の財政は傾いてしまった。また『和歌山市史』によると、治宝が政治の実権を握っていたため、山高石見守などの斉順側近と山中俊信などの治宝側近との間で深刻な対立が生じた。
先述のとおり、慶福が出生する前に死去し、他に嗣子がいないために、治宝は松平頼学を、附家老水野忠央は将軍家慶の十二男で自身の甥(妹お琴の所生)である田鶴若を擁立しようとしたが、結局異母弟の斉彊が家督を相続した。紀州藩主としての治世は21年11か月であり、この間の江戸参府8回、紀州帰国8回、紀州在国の通算は6年4か月であった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E6%96%89%E9%A0%86
矢島 楫子(やじま かじこ、1833年6月11日〈天保4年4月24日〉 - 1925年〈大正14年〉6月16日)は、日本の女子教育者、社会事業家。
肥後国上益城郡津森村杉堂(現・熊本県上益城郡益城町)の惣庄屋矢島忠左衛門直明・母鶴の1男7女の6女(末子)に生まれ、かつと命名された。極端な男性社会にあって度重なる女児の誕生は歓迎されず、名付け親は10歳違いの姉である三女・順子であった。順子(竹崎順子)は、横井小楠の高弟である竹崎茶堂と結婚し、熊本女学校校長となった教育者である。また、順子のすぐ下の姉・久子(徳富久子)も同じく横井小楠の高弟である徳富一敬と結婚し、湯浅初子・徳富蘇峰・徳冨蘆花の兄弟を生んでいる。蘇峰は明治、大正、昭和にかけての大論客、蘆花は明治、大正の文豪である。また、かつのすぐ上の姉つせ子(横井つせ子)は横井小楠の後妻となった。この姉妹4人は「肥後の猛婦」、「四賢婦人」と呼ばれた。
かつは学校などない当時、一通りの教育を母から厳しく身につけさせられるが、もとより勝気で秘めたる情熱の持ち主だったかつは、やがて母亡きあとは母に替わって兄・直方のために尽くす。その兄も妹のために良縁を求め、かつ25歳の時、初婚にはもはや遅いとして既に2男1女を儲けていた富豪林七郎(1828年生) を家柄・人物ともに相応と認め、後妻として嫁がせる。林は武家出身で、横井小楠の弟子であった。後年楫子自身の口からも「この人は気品の高い、竹を割ったような人でした」と語らせるが、家族への乱暴など夫の酒乱の悪癖にかつは極度の疲労と衰弱で半盲状態に陥り、かつ自身も三人の子まで儲けながら、このうえは身の破滅と思い、末子達子を連れ家出する。迎えに来た使いの者に見事に結い上げていた黒髪を根元からプッツリ切って紙に包み、無言の離縁を言い渡したのである。明治元年(1868年)、これを転機に新しい一歩を踏み出す「新生元年」ともなった。
妹たちの間を転々とする間、兄・直方が病に倒れ、達子を置いて上京を決意する。長崎発東京行き蒸気船に乗り込み、船上にて自ら「楫子」と改名する。兄は大参事(副知事)兼務の左院議員で、神田の800坪の屋敷に書生、手伝いらはもとより千円という借金を抱えていた。楫子はその放漫財政を正し、3年で借金を片付けると、生来の向学心から教員伝習所に通うこととなる。明治6年学制が施行され全国に小学校が設置、訓導試験に合格した楫子は芝の桜川小学校(現・港区立御成門小学校)に採用される。当時教員初任給3円のところ、楫子は5円という破格の待遇であった。
このころ長姉・藤島もと子が息子二人と、直方の妻・糸子も子供をつれて上京、兄宅は一気に賑やかになった。しかしそうした喧騒の中、楫子は妻子持ちの書生との間に女児を宿す。堕胎や父親に渡すべきだと諭す姉の言を受け入れず、楫子は妙子(鵜飼猛の妻、湯浅清子の母)と名付け、練馬の農家に預けて独り下宿生活に戻る。そんな折届いた兄からの手紙で、熊本に残してきた長子・治定がキリスト教徒になったのを知り愕然とする。熊本洋学校生徒35名による花岡山キリスト教奉教同盟事件である。治定だけでなく甥の横井時雄、徳富蘇峰、徳冨蘆花も参加している。やがて熊本洋学校は廃校になり、彼らの一部は、新島襄の同志社に入学し、熊本バンドと呼ばれることとなるが、この熊本バンドは札幌バンド、横浜バンドと並び日本におけるキリスト教の三大源流と言われている。教え子の居宅で父親の酒害を目撃し、寂しさでタバコを覚えた楫子だったが、悩める楫子にとってもキリスト教はわが子の信じる宗教であり、遠い異国の宗教ではなくなった。
明治11年(1878年)、楫子は後半生に多大な影響を受ける米国の宣教師で教育者のマリア・ツルー夫人と運命的に出会う。明治7年(1874年)にB六番女学校として設立された築地居留地にある新栄女学校の教師に請われ、住み慣れた下宿を引き払い、同女学校寄宿舎舎監室に移る。
自ら吸いかけのタバコによるぼや騒ぎを起こして禁煙を決意、翌12年(1879年)築地新栄教会でディビッド・タムソンから洗礼を受ける。ほぼ同時期に、三人の姉である徳富久子、横井つせ子、竹崎順子も洗礼を受けている。当時17歳のキリスト教徒であった甥の徳富蘇峰は、純粋がゆえに楫子の洗礼に際して、「過去の過ち(1.幼いわが子を置いて家を出たこと 2.妻子ある人の子を産んだこと)」を告白すべきでないかとの手紙を送っている。しかし、楫子は幼い妙子のことを考え、死ぬまで「過去の過ち」を公表することはなかった。
明治14年(1881年)夏、櫻井女学校の校主(現在の校長と理事長を兼ねた職)代理に就任。楫子は校則を作らず、「あなたがたは聖書を持っています。だから自分で自分を治めなさい」と生徒たちを諭したという。
明治23年(1890年)、櫻井女学校と新栄女学校は合併して女子学院となり、初代院長に推される。
明治29年(1896年)、恩師のツルー夫人が55歳で客死。楫子64歳であった。
一方、恵まれなかった結婚生活や小学校教師時代に抱いた心の疑問から、楫子は「一夫一婦制の建白」、「海外醜業婦取締に関する建白」を政府に提出、国会開設と共に二大請願運動として継続する。
楫子の情熱は日本に止まらず日本国外にも向かい、明治39年(1906年)、74歳にして渡米、ルーズベルト大統領と会見。激務のため白内障を患う。大正9年(1920年)には欧米の旅に出掛け、翌10年(1921年)には満州に、同年から11年(1922年)にかけては三度渡米、このとき楫子89歳であった。教職は大正3年(1914年)、女子学院院長を後裔に譲り、齢81で名誉院長として退いた。その後は禁酒運動、公娼制度廃止運動等に尽力するも、大正もその幕切れを迎えんとする大正14年(1925年)6月半ば、楫子は眠るように大往生を遂げた。明治、大正といういまだ婦人が一個の人間として尊重されることのなかった時代に、楫子は婦人福祉のためにその一生を捧げたのであった。
みんなかしこくなってぼくのおもいどおりになってくれればいいんだ。
ほっといたらだめになるから政府がいろいろ財政、金融、税制、政策で調整しているのに、政府が何もしないのが望ましいなんて戯言がゆえに悪い状況になっても止められないってのが今の失われた30年だろうが。
資源は政府の基礎研究、応用研究の積み重ねと、企業の設備研究投資で作られるぞ。
そして、企業の設備研究投資を起こすにはインフレにしないとならない。
大規模経済危機を迎えてデフレになった暁には、財政、金融、税制でインフレにする。そのツールの一つが政府の財政出動だ。
しかし、自国通貨建て国債と外貨借金を峻別していなかったからデフレでも緊縮し、デフレが脱却できなかった。
そこで、MMTが自国通貨建て国債と外貨借金とを峻別したから、デフレになったら財政出動をしたらよいという話になる。
自国産業が弱まった状態で過剰な財政出動をすると経常赤字が増えて外貨借金が増えるが、経常赤字が問題だ。
だから、解は輸出を増やして輸入を減らすということだし、輸出できるものや、自国で作ったほうが良いものについては財政出動したらよいだろう。
設備研究投資が加熱したらそれは緊縮したり金利を上げたり、金融緩和で手に入れた株式を放出したらいいな。
ぼくはJGPはサポートしてしか見ていない。しかし、ブラック企業の蔓延から逃避や、メンタル壊した人の回復、何らかの形で学歴がつかなかった人の技能習得としては良いとは思ってる。
12兆円の中には持続化給付金や雇用調整助成金、18歳未満への給付金で数兆円規模の予算執行があるようです。
普通に考えれば「インフレ対策」「原油高対策」に関して、使途を限定できないから予備費として計上してるって話なのは見ればわかるじゃん。
むしろこの人たちは、「インフレ対策の予算は今年は〇兆円までしかやらないよ」って限定されたら満足なんだろうか?
なによりも「今更!?」って感じだ。2020年の時からやってるんだけどね。今までしらんかったことを恥じるでもなく、知ったとたんに騒ぎ始めるとか。
https://nordot.app/851028029151608832?c=39546741839462401
コロナ感染が広がった2020~21年度に、政府が複数年にわたって事業の資金を支出できる基金に総額12兆8206億円の予算を投じた
そうはいっても、「国会の議決を経ずに政府の判断で使用できる」状態なのはやばいよな。
わけもわからず怒るんじゃなくて、
「だいたいこういう思惑だと思う。それぞれに対していくらくらい必要だと思う。本当にそれだけ必要なのか国会で議論しろ」
って方向でただしく批判してほしい。
https://twitter.com/nikkei/status/1517435566190731264
国会に使い道が報告された12兆円余りのコロナ予備費。日経が分析したところ、最終的な用途を正確に特定できたのは6.5%どまり。国会審議を経ず、巨費をずさんに扱う実態が見えてきました。
当初は5兆円の予算だった
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022042601011&g=eco
政府が26日決定した物価高騰対策には、国会の議決を経ずに政府の判断で使用できる予備費から1.5兆円支出することが盛り込まれた。使用した分は2022年度補正予算案で補充し、新型コロナウイルス対策の予備費は原油高対策などにも使用できるよう「衣替え」する。22年度当初予算では、コロナ予備費を5兆円、自然災害など不測の事態に備えた一般予備費を5000億円それぞれ計上。今回の支出後も両予備費は当初の水準を確保する。岸田文雄首相は26日の記者会見で、予備費の補充について「さらなる状況悪化など、いかなる事態が生じても迅速に対応できる」と強調。内閣府幹部は使途拡大に関し「コロナと物価高騰の両方の影響を受けており、機動的に対応する」と説明する
https://www.mof.go.jp/policy/budget/budger_workflow/budget/fy2022/seifuan2022/01.pdf
NHKでこういうページもある。
あなたは優しすぎるしいい人すぎる。
そういう人たちから税金取りたくないから、そういう人たちから、金持ちから税金取るんじゃなくて消費税で取れって突き上げられてるから結局消費税がどんどん上がってるわけじゃん。
不本意にもサヨクと罵られてしまう一部の国民の気持ちね。だけど国の意思は違うよ。
平等になったら自分たちの安定的な地位が損なわれるんだから、すすんでそんなことするわけない。
把握はできていてもやるかやらないのは国側の意志の問題でしょう。マイナンバー整備することでその意志が変わるわけではない。
最初からこれっぽっちもないんだからマイナンバー整備しようがしないが変わるわけがない。
自己責任を冷酷に突きつける現状は今まで通り。
そもその今の仕組みだって貧困の深刻さは十分分かるのに「財政的に余裕がない」という建前で、多くを見捨てているし、そうすることで自分たちの安定的な地位もより保証される。
マイナンバーが整備されようが何しようが、絶対にそんなことにはならない。
それができるのならなぜ国会議員の報酬を今すぐに年収500万程度に変更しないのか?
例のレビューをネタにしてるブログやTwitterで、評価がバラバラなので疑問に思って調べたてみたら。
コピペ保存された複数バージョンを集めて比較してみたが、書き直すたびに、プライバシー侵害的な記述や伝聞系のデマが削除されて、文章が毒抜きされてる。
初期バージョンと削除直前バージョン、読後感は相当違うだろう。
特に、以下の文章が冒頭に入っているバージョンは明らかにプライバシー侵害内容を扱っているので要注意。
あるいは借用書を発行してもらって出願している。
これも、一般家庭ではなかなかできないと思う。
まぁ全削除された今となっては蟷螂の斧ではあるのだけれども。
敬老パスの廃止・見直し、政令市の6割で…高齢者増で財政負担重く
高齢者がバスや電車に割安で乗れる「敬老パス」について、全20政令指定都市と東京都のうち約6割が制度を見直したり廃止したりしていることが読売新聞の調査でわかった。パスは高齢者の社会参加につながるとされるが、高齢者の増加に伴う財政負担がネックとなっている。
敬老パスは、高齢者に外出を促して健康増進を図ることなどを目的に、1970年代以降、主に交通網の整備された都市部で導入された。公共交通機関を安く利用でき、割引分は自治体が負担する仕組みだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f4908635d4b32beb44383f4c166cc16bbbac2d63