はてなキーワード: 蛆虫とは
なにか信じるものに従えば必ずおちんぎんもらえるって一点張りの無知を知性とか信仰とかいうとあとで悲しくなるかなと思うよ
宗教だって思ったりするのだとしたらその制約を誓ってたご本尊が蛆虫の塊だったって見えたとき絶望すると思うんだわ
まず経済を勉強して実地で体感してから金融派生商品を触ったほうがいいと思うよ
きっと何かに例える発想があるなら学んだその後できっといい表現が生まれる気がする
まずね経済が波があってその差で儲けるってのは波乗りとおんなじその局面でだけできる偏差がるんだわ
商売やってたり会計やってたりすると何日締めで何日払いとかあるよね
あれなんでだと思う?
販売があってお金が儲かるのがお仕事なんだけどあれ大概は借金してモノを仕入れてそれをいいタイミングで売って儲けるの
仕入れの代金とか従業員のお給料とか電光熱費に事務所家賃に税金などいろいろ
いつ払いますとかこれだけは年末までため込んで使っちゃいけないお金とかあるからどうしてもタイミングが合わなくなるものがでてくる
取引先がみんな25日締めで払いだとその日に全部の現金を用意してないといけないよね
なのでこっちにお金がはいってくるタイミングとお支払いするタイミングが分かれるわけ
これで差ができるんだなーと思ってもらえたらいいんだけどそうでないならもうちょっと
そのリスクを減らすために現金が発生するタイミングを増やしたりするんだよね
歳末とか毎週のセールとか取引を現金でするから値引きとか長いスパンでの取引とか
そうするとどこで現金がほしいか何の取引に利益がでるかで「そこでできた利益の分け前をくれ 仕入れの金を援助してやるから」って会社の機能を切り売りできるものがあるんだね
それが株なんだけど何をどうする予定があるとかわかればすぐそこに乗り込んできて利益をふんだくるやつがいるからインサイダーとか厳しい取り決めがあるんだけど
そういうこまかいのは調べればいっぱいでてくると思うので調べてみて
その今の時点の会社を買い支えるっていう公開株の取引きのほかに夏になったらビールが売れるとか冬になったらダウンがうれるとかのタイミングで
夏からダウンを作ってるところにダウンが売れるわけがないので製造料金は売上のない完全マイナスなんだけどこれを先に売ったりもできるんだよね
小麦がとか小豆がとかでヤバイって先物取引の話とか漫画にもなっててみんなよく知ってるよね
農家のみなさんはすでによくされてるけど作物が出来上がって売れたら初めてお金になる
台風とか水害とかこう害とかでダメになったら投資が全部ゼロの儲けになってしまうとかそんなのみんな知ってるよね
約束とか嘘とかそういう言葉にすればそういう取引だったり概念的だとか宗教的だとかいまはその知識に当てはめられると感じてるかもしれないけど
それは経済って仕組み一本で純粋に成り立っているので人間性とかそういうのは入らずにそんな仕組みはあるんだよ
なぜ未来がとか願いがとかって思うだろうけどそれは期日って決めたお互いの経済循環的機会つまりタイミングをずらすことで約束を破らず果たせるようにしてる姿なの
そのずれが大きく離れるときにリスクを回避するためにとる手段が現金とか流動貨幣的に募集したり投入したりするタイミングになるわけ
根性や自分ルールでその派生商品に利益がでるわけではないんだよ
単純に考えると自分が「儲かる!」って見えて感じてしまうそのタイミングが「どの周期をそう見てしまっているのか」という事に気が付いてルールにしたのなら
自分の感覚の動きが情勢を理解して把握しなくても小さなデータから傾向を割り出すことができる指針になっているかもしれないってことだね
そういう勘はその人自身の人生そのものが反映しているわけでだからどうだと言ってもマイルールを分けることや説明することに特に意味はないかな
たとえば私は交差点で目があった人とはかならず目をそらされてしまうそういうジンクスがあり傾向がありその性別はどちらが多いとかデータがあったとしても
取引には現金で即日という最強の取引から期待値に不動産を貸し出すとかまでいろいろあってそれぞれにちがうリスクがあるので
相互に埋め合わせるために盾と矛みたいな経済循環をもっていてそのタイミングに必要な貨幣量っていうのがその取引自体では等価なので
時間でその量がたまるのを待つ以外にはもっている人から借りるということで時間を減らすことがリスクの回避になっているから
その相手の必要なタイミングでお金をつっこめばありがとうって感謝とともの元本が返ってくる
逆に準備がし終わって払い出すタイミングだと払う側に準備予算と同じ高さで会社の一部を買い取ってその会社の「次に借りたいお金の分量」が下になるときに売ってしまうと
次のタイミング用に買い付ける人たちがその下側の値段でなら引き取りますよってくるんだね
FXとかはそのさらに大きな国単位での時期とか商品とか予算とかに全部の分の取引相手国の現金が必要なんだよね
これが商取引なんていう各個人それぞれの都合で必要な貨幣量の総合計を国とか銀行がストックするのってすごくリスクなんだよね
国単位の明日の状況とか予想とか出来る訳がないから現状を常に見て変動してるのでたしかに一日で倍になるかもしれない
同じ確率で半分になるかもしれないその安全性の確保は偉い人が「いい感じ」って言うとしてその理解をその下がどう行い市場がどう動きみんなが何を買うかで変わる
もう勘で動くというのが4重奏くらいなわけ
こんな「くじにはあたりが必ず入っている」という確率が四分の一つまり「あたりなんてはいってない」が四分の一ほどにもある状態にみんなのお金を入れられないよね
博打の胴元をしてどうせ当たらないだろうと思って掛け金をのんじゃう人みたいなやばさがあるわけ
なので一般市民のみんなの現金をオラにわけてくれって方式で募るのが外国為替証拠金取引なの
みんなが保険会社みたいな感じだね
反対に度を越えたらみんなが保険金をお支払いするっていう契約の保険会社を自営業でやってる感じ
銀行や国が手をだしたくない賭けなのにみんなが必ずもうかるって訳はあるはずないよね
だけどその動きはできるだけ多くの情報を知ることでより確率の高い方向へ向かわせることができるよ
細かい連鎖が数珠のようにつながってるような鎖のペンダントみたいな形になっているというか紐を端から揺らすと先端がどこに動くかなんて予想がつかないよね
でも繋がっているものがそれぞれ全然ちがうものをつなぎ合わせてチェーンにしたものでもそれぞれがどう動くかなんとなくわかっていたら先端がどっち向くか予想はできるよね
その繋がっている情報をどうやって手に入れるかがとても重要な動向の予想の鍵になるわけで信仰とか宗教とか感情とか人間性はあんまり関係ないよ
でも逆に考えて人がそれぞれどういう感じでうごくからこんな施設があってこんな業態があってこんな商品がいつ売れているから今はどうなるかって予想は一人の人間でもできる範囲にあるよね
春だから何がうれるなーとか秋になったらとか男性だから女性だから子供だから作業員だから官僚だからといったようなそれぞれのニーズがそれぞれのタイミングで存在してまたそうじゃないタイミングとそうじゃないのに準備をしないといけないタイミングがあるよね
お米を売ったお金が入っていたらいいけど入っていない状態で田植えをするとなると「お米を買った人以外」からお金を集める方法が必要でそんなタイミングで売りに出るものがあってそこで買えるものは「お米が売れる時期」に価値が増すしそうじゃない時期にはお手頃で買えたりすることになる
その売りのタイミングや買いのタイミングを季節か雰囲気とかだれの態度とかどんな動物の状態かとかそんな雰囲気で感じ取って判断してアタリを引く人もいるわけで
そんなルールがあるならそれに従うといいねというだけの話であって「ビーバーが小屋をつくったら小麦の輸出高があがる」とか言い出す人のみているビーバーとあなたの観察しているビーバーが同一かどうかまた場所とか気候ほか温度やなにかについて同一でもないなにもかもが物理的に一致していない人が繰り返してもそれを感じ取ったりできる可能性は高そうではないよね
そう自分の財布にあるお金とその商品の末端の行き先の間にあるものを全部うめていけば科学的に値動きはわかるはずだよ
その一部だけでも形骸化して人間に把握できるようにしてるのが経済
あなたの持ってるお金で小麦の先物を買うとしたら知っておくべきは
・小麦の流通状況 組合などの状況とそれに接続している数件の業者と運営にかかわる状況
・運輸運搬・取引先の状況 事業自体に関わる法制度や自然環境的状況 取引先の状況
・小麦を使った製造業 市場における商品の状況とメーカーの状況
・製品の取り扱い業者状況 製品の広告や製品の販売実態に対する状況
・製品を取り巻く当期の状況 製品自体の販売タイミングにおける消費動向などの状況
これを全部把握するとしたら何億や何兆といった数の情報を行動について判断できる精度で得る必要があるのが最低限必要なんだけど
そんなの個人でできるわけがないのでそんなリスクを背負うことを業務としてはできないので個人のあまってるお金で投資っていうものをしてくださいねってのが一般の金融派生商品の約款には書いてあるというか取引条件がそれなんだね
でも人によってはそれらが織りなす大きなパターンをなにかの絵に見えたり動物にみたてたり風景のように感じて判断できる人はいないとはいわないしいるとおもう
みんなそれらが理解できないしあることがわかっていても風景にすら見えない人が全然関係ないものをあがめてその雰囲気を上記の最低限必要な情報の集合体と見立ててすがるのは
たしかに宗教的かなとはおもうけどその情報の集合体であるご本尊は貴重な市場データが高い純度でつまった大理石の像なのかなってことを知ってほしい
手垢にまみれたあまいつくりの木彫りのご本尊がそのたった1商品を取り巻く広大な情報と今後の世界における位置づけや動向について示すコンパスになりえるのか
崇めている巨大な「セミナー」とか「勉強会」とか「コーチング・コンサルティング」のその姿を成している情報の点の集まりは宝石なのか蛆虫なのかどうか
それすらわからないもう「宗教かも」というスケールでみているのだとしたら人工衛星から地表に設けたダーツ盤に矢を放つようなものじゃないかな
もしも投資をしていたりするつもりだったりそれがいいものだって思ったりしていたりするなら
いまいちど宗教とかそういう事から離れてまずお金ってどこから生まれてくるのか探してみたらいいんじゃないかな
そういう探求をしようと思った時「納得!」させてくれる人がいたらまずその人はさけるべきだとおもう
無知な人が理解ができる情報の限界は無知な人が理解できるレベルなはずがないんだよ
「納得」してしまう現実を見れる場所を教えてくれる人がもしそこに連れて行ってくれるというなら行ってみてもいいかもしれない
もちろんその人自身の知識を尊敬し理解し納得する最低限の法律と情勢の基礎知識である経済は簿記がとれる程度には知っておく必要があると思うんだけどね
3連休が終わる。嫌だなあ。
私は社会人4年目の会社員で去年営業からマーケティングに異動になった。
とくに希望を出したわけでもなかったが、まだ20代だし経験できることは全部経験してみようと引き受けた。
マーケティングの仕事は想像以上にストレスが多い。吐きそう。この間睡眠外来もいったし、精神科もいった。
まず社内に味方が少ない。なんでか知らないが・・・・私も営業職のときそうだったのかもしれないけれど、マーケティング部の仕事には必ず他部署の人がケチをつける。
「俺ならこうするのに」と。
じゃあやってみろ。
その権限もなくマーケティングの数字責任も負っていない奴が、だれよりも数字を見て、数字責任を背負っていろんな制限の中で施策を考えてきた人間に上から目線で指図するんじゃねえ
そのくせなぜかマーケティング担当者には「俺ならこうする」「なんでそんな方法にしたの?」「他社はもっとイケてるけど」「こんなこと俺たちもやりたい」など軽々しく言うんだよ
こういうやつらが本当に多い。マーケティング職は舐められているのかな。
「マーケティングはおれにだってできる。チャンスが回ってきていないだけだ」
「マーケティングは俺だって分かっている。だから助言してやる」って。
ふざけんなよ。なんも見えてねえだろうが。
予算獲得するしんどさも、投資したお金を回収するしんどさも、数字を見てひやひやしながら過ごす毎日も。
営業だった数字を追っていた。でもマーケティング部が追う数字はちょっと違う。
マーケティング部は数字達成できないと営業に言い訳にされるんだ。
「俺たちが数字を達成できなかったのは、マーケティング部がお客を集めてこないからだ」って。
だから数字プレッシャーの大きさが全然違う。自分の数字を追っているようで、営業の数字も追っているんだ。
他も同じ。採用がうまくいかないとマーケティングが下手だからイメージ悪いとか認知低いとかブランディングがどうのとか。
全部マーケティング部のせいになる。マーケティングは会社の全部の数字を追うんだ。
マーケティング部の仕事にぐちぐちと「もっとこうしたら」とか言ってくる他部署のやつらも蛆虫のようにウザい。
あんたらの給料も上がるようにって思ってこっちは必至で売上伸ばす方法を考えてんだよ
なのになんで足引っ張るんだよ
だったら相談してくれ?協力してもらえるようにしろ?馬鹿か??
営業とマーケが情報交換するのは分かるけど、目の前のお客様を担当している営業がマーケ部の部長に営業の助言もらうの?
もらわねーだろ。
なんでマーケは全部署にお伺い立てなきゃいけねーんだよ。頭おかしいだろ。
世のマーケティング担当者って他人の数字を背負って、そのうえ数字背負ってねー他人から仕事内容をジャッジされて、こんなシンドイ仕事してたんだ。
よく病まないな。あーなんか愚痴ってたら「仕事したくない」っていう気持ちが「むかつく」になってきた。
結果出して全員見返してやるからな。あいつらのやってたマーケティング戦略は正しかったんだ、と思わせてやるからな。本当に腹立つ。
「私、増田阿野太郎は!恥ずかしながら!戻ってまいりました!」
暗い気持ちを誤魔化すために、久しぶりにあった両親の前で冗談めかしてそう答えた。つもりだった。
わずかな沈黙のあとで父親が「随分怖い喋り方になったな」と半笑いで応えてくれた。
母が怯えた目をしていたことに気づいた。
嘘が多い。
私、増田阿野太郎が某実力組織への就職を決めたのは、大学を出て無職になった次の秋だった。
惰性で続けていた就活にもバイトにも嫌気がさしていた頃で、親の態度も少しずつ冷たくなっていた。
曰く「デスクワークもある」
なんとなくで、就職先を決めた。
そして、気づけば私は税金で寝食を得る身になった。
総員起こしの前に歯磨きや洗面を済ませる。
着替えを用意し、寝ている間にズレたベッドシーツをベッド下に潜って引っ張りなおす。
そうして、何事もなかったかのようにベッドに戻り、ずっと寝ていましたよというオーラを漂わせつつ喇叭を待つ。
朝の体操と点呼により貴重な血税を一斉にドブに捨てたあとは、朝の掃除である。
上官の靴を磨かせていだくことの喜びを噛み締め、靴墨をこれでもかと塗りたくる。
そうして塗りたくられた靴墨がそこかしかに染み付いた床を必死に擦るのも、下々の者達の公務である。
二度目の点呼、国旗への敬礼、朝の挨拶、行進、大事な大事な公務の時間。
蛆虫が羽ばたく権利を得るために求められる最大のモノ、それはベッドメイク。
人生と同じだ。
もしも明日、訓練中に死んだとして、親が死に目に会いに来ても恥ずかしくないベッドメイクを。
それをシーツに込められぬものが銃を持てば国民が不安になろう。
国民を信頼させろ。
敵国に威勢を見せよ。
それがベッドメイクに現れる。
完璧なベッドメイクをする軍隊を前に、その絶対の統率を前に攻め込もうとするものがあるだろうか?
否!
絶対の統率!
目の輝き!
輝く靴!
輝くバッジ!
無理だった。
「なぜこんな安定した仕事を辞める?」
「定年後も自衛隊員という立派な経歴でガードマンでもバス運転手でもよりどりみどりだぞ?」
役に立ちたいから、こんな所にいたくねえんだ!
その言葉は流石に飲み込んだ。
もう疲れた。
もううんざりだ、俺は差別主義者じゃない、差別と共に戦ってるつもりだった
だがやり方を考えろと、苦々しく思ってきた
お前らの擁護するあいつは、やりすぎだ、叱られる理由があると物申したい
でも俺はそいつらに袋叩きにされるのが怖い、息苦しい、もううんざりだ
だいたい、ラブドールに実在の子役の顔を再現したいという奴を何で擁護しなくちゃいけないんだよ?
ま、俺も小児性愛傾向があってロリ同人出してるから他人の事は言えませんがね
でも、アイコラだって捕まる世の中にあんな放言をしておいて、炎上しない方がおかしいんだよ
未遂行為を必要以上に咎めても仕方ないが、批判される理由は十分ある
でも、叱りもせず「人形で発散してえらいでちゅね~とっても模範的な人間でちゅね~」
とさも慈愛に溢れたリベラル善人ぶって擁護する奴らがいる、そいつらが持て囃される
腐ってんな
分かりますよ?
悪しき規制派だの悪辣なフェミと戦うにはこれくらいしないとだめと言うんでしょう?
表現の自由戦士さんよ、お前らあれほど嫌っている腐ったクソリベラルそっくりになってきたよ
そこに落ち度を何も無かったかのように整地している
言論の自由を行使して「徹底的に批判」しているだけなんでしょうけども
それでいいの?
差別を消し飛ばす成果を急いだ結果が、あんたらの大嫌いなクソリベラルなんだよ
こればかりは、程々で動いてじっくり待つしかないと痛感したさ
もう見たくもない
ま、そんな彼らの暴れっぷりを知らんぷりして今日も俺もロリエロ描くよ?
先に結論だけ書いておくと、これはダメ人間が書いた掃き溜めだ、読む価値はない、これを読む時間を聖書を読む時間に当てた方が有意義なことを保証する。
自分はいわゆるADHDで鬱というクズだ。税金や公共料金は滞納し仕事を先延ばしにしケアレスミスを多発する、ただ会社の金を貪り尽くす蛆虫だ。いや蛆虫の方が医療等で活躍できるため自分よりはるかに有用だろう。
これら先延ばしのこと等は自分の中ではやらなければならないとは思っている
・まだ実装できていない機能を実装し、残っているタスクを消化する
など、どうしなければならないかの道筋は頭にあり、またそれを実行しさえすれば解決できるものであると確信している。
しかしなぜかできない、なんでと言われても自分でもその理由がわからないので答えようがない。
これらは自分の中ではやらねばならないことだと認識しているので、やれないことに対する不安がだんだん心の奥底に鍾乳洞から滴り落ちる水滴のように溜まっていきいつかこぼれるのだと思っている。いやすでに溢れていてそれが現状の鬱なのかもしれない。
自分は社会で最低限必要なことができないクズだ、ADHDや鬱がなければまともになれたと思うが現状まともでないのでクズであることには変わりはない。
おそらくこれを読んでいる方の中には「やればいいじゃん」と思ってる方もいらっしゃるだろう、まさにその通りだ。やればいいことでやれば終わることだ、しかし今の自分にはできない。今の自分にできるのはだた陰鬱とした感情を吐露することのみである。
もしできることなら自殺できたらと思う、迷惑をかける自分の存在は周りにいる人や社会にとって明らかにマイナスなのだ。
これら特性は今に始まったことではない、大学では引きこもり本を読むか(自分以外に無意味な)コードを書く日々を過ごしていた。この時も本来やるべきである勉強をしていなかった。(私は物理系の学科だが情報系の勉強ばかりをしていた)
大学生だというのにまともに交流も勉強もせず無下な時間を狭い6畳一間の部屋で過ごしていたのだ。さらに大学も中退してしまった。
もっと昔に遡れば高校の時も嫌になった部活や委員会から逃げたり、中学校の時も嫌な勉強から逃げたりしていた。
こう見てみると自分の人生は「逃げ」か「嘘」しかない空虚なものだと思う。結局ADHDとして生まれた時から自分の人生には「逃げ」か「嘘」しかったのだとも思う。
最近、人生をやり直せたらと思うことが多くなってきた、現在20台半ばだがすでに未来は暗い、丑三つ時の夜空の方がまだ明るいだろう。
スキルもなく、人格も悪い、事あるごとに「逃げ」か「嘘」を使い、全ての事象から目を覆うダメ人間に未来などない。
昔は自分の人生は素晴らしいものになると思いていた、自分で言うのも恥ずかしいがIQは高く、記憶力に優れ、芸術的センスも平均以上にあり、会話や交渉が得意、これらの才覚があれば自分は素晴らしい人生をあゆむ素晴らしい人間になると錯覚していた。
しかし、これらはあくまで"普通のことができる"、"努力ができる"人間であればと言う話だ、自分はおそらくこれらの代わりに"普通のことができる"、"努力ができる"と言う一番大切な能力を失ったのだろう。そのせいで無駄に悪知恵が働き、無駄なことを覚え、よくわけのわからない表現をつかい、他の人を騙す、最悪の人間になってしまった。
厄介なのが自分の中に自分の理想像があるのが一番厄介だ、もし自分の理想像がなければ現実との解離で苦しむことはなかったのだろう。
如何しようも無い現実が存在し、それからは逃れられない。現実から目を背けても無意味などころかより悪い状態に陥る、しかし目を背けずにいられない。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
もし、自分が中学生の頃までにADHDだと診断を受け、適切な治療を受けていたら?
もし、大学生の頃、鬱傾向が出た時にきちんと精神科で治療を受けていたら?
もし、ADHDや鬱がなかったら?
これらはあくまで現実と解離した無意味なIFにすぎない。しかし、当事者である自分からしてみると考えずにはいられず、またありえたかもしれない世界という逃げ場所を失うと言うことを避けたいのだ。
自分はいわゆるADHDで鬱というクズだ。税金や公共料金は滞納し仕事を先延ばしにしケアレスミスを多発する、ただ会社の金を貪り尽くす蛆虫だ。
しかし、今までの文章からわかるように改善はもはや見込めない。ただこれからも周りに害を振りまく人生を過ごすだけだ。
もうどうしようもないのだ。
殺意すら芽生える。
死にたい。
おいおいおいおいおいおいおいおい。
わざとか?
https://twitter.com/Jeremy_L_Mercy3/status/1265605108164816896
元垢は鍵つけたが↑を見ればわかる通りその画像は5月26日の投稿。
https://twitter.com/kazuuuuuuuus/status/1262321710990348288
なぜラブドールが話題になっているのか、なぜ非難するツイートが多いのか?ですが。
「女児体型のラブドールを『合法レイプ』という売り文句で販売していた」
というのが発端です。
犯罪行為を「夢」と表すのは度を過ぎている。 pic.twitter.com/dNLLKhTUsA— ああいうこんなへんな不良品権利保障外蛆虫マスクから溢れたギロ (@giro_switch) May 28, 2020
それって蛆虫の鳴き声?