はてなキーワード: 老人介護とは
それ、ほんまにフィンランドなん?
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=60441
答えはスウェーデンで見つかりました。今から5年前になりますが、認知症を専門にしている家内に引き連れられて、認知症専門医のアニカ・タクマン先生にストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学させていただきました。予想通り、寝たきり老人は1人もいませんでした。胃ろうの患者もいませんでした。
その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。
今年で28になるけど仕事したくない。早々にリタイアしたい。みんなそんなに仕事したい?
休日平日関係なく趣味に時間を費やしたくない? 十分に寝てすっきりした頭で思索に耽り数学に取り組み昼食の後眠くなるまで読書したりしたくない? 運動不足対策に週3日はジムに通って汗を流したり泳ぎ方を知ったばかりの魚のように気持ちよく泳いだり健康のことだけを考えた生活をしたくない? その中でジムのインストラクターや行きつけのコーヒー屋の店主なんかと毒にも薬にもならない会話を楽しみたくない? 所有している不動産についての事務連絡や余剰資産のやりくりについて銀行員との会話もそこそこにあてもなく東京の路線図上をふらつきたくない?
はー富裕層なりたすぎる。
仕事は好きでやっているけどやっぱり望み全てが叶っているわけでなく当然ストレスもあるし、やりがいもあるけど老人介護のような面倒な飲み会を思うと暗澹たる気分になるし。段々と若さで乗りきれなくもなってきている中「いやあよくやってくれているよ」なんていう上司の口車に愛想笑いをしながら影じゃ色々言われてんだろうなと半ばあきらめながら他部署と折衝したり。苦手な先輩には丁寧にと心がけて上手くやっているつもりでも1,2ヶ月に一度は理不尽な扱いを受けて腹の立つこともあるし。
今の仕事や生活は充実してるんだけどその中身は所詮交換可能なんだよなとつくづく思う。適度な運動や悠々自適な暮らしと、その中で自分で意識的にメリハリをつける余裕さえあるのであればこんな生活も仕事も喜んで手放す。
一般に老人が増えているし、障害者向けのサポートも強化される方向にあって、ここ数年、老人介護、障害者介護に注目が集まっているけど、はっきり言って、ここに未来はない。ただ、大口叩いておいてなんだけど、訪問介護についての経験しかないので、その点の偏見は先に述べておく。
そもそも介護事業の主な収入は何かといえば、給付金だ。介護を受けるような人は収入が少なく、過去に行政がやっていた事業を外出しにしたものなので、お金は行政が出して、実際の利用者負担は一割に抑えられている。ところが、この仕事の一時間あたりの金額は、行政が決めている(都道府県レベル)。どんなに大変な作業だろうが、その時間あたりの事業所の収入は、既に決まっていて、それを変更することができない。また、利用者の利用スケジュールも事前に厳密に決められ、これを変更するには、緊急事態でもない限り、関係者(老人介護であればケアマネージャー)の話し合いを通すことになる。
ということは、要するに、いくら働いても、単なる時間給以上の収入が存在しないということだ。また、価格も決まっているので、事業所が主体的に手厚いサービスを作って高額に販売したり、その反対に低額なサービスを作るといった、自主的な事業開発はできない。一応保険外サービスというのも設定可能だけど、介護を受けるような人に、そんな余裕なんてない。そして、従事者も、その時間給で給与が支払われることが多い。結局どんなベテランも、アルバイト以上の仕事なんて、できやしない。
また、仕事内容も条例(? 法律?)で決まっている。基本的に給付を受ける人の対してのみサービスが行われ、例えば家族の代わりになるようなことはできない(障害者で子供がいる場合などは例外のよう)。そして、実際にやることといえば、その人の生活を支援することだけで、それ以外はない。どこへ言ってもやることは変わらない(人によっては「個別に全く違う」という人がいるけど、それは定義の抽象化ができてないだけ)。
そして、更に困ったことに、行政による路上生活者などの再就業先として、介護が推進されていることだ。介護従事者の待遇改善がずっと叫ばれているけど、こうした安い人材が後から後から供給されるようでは、とてもじゃないけど、今後とも安い仕事であることは変わらない。そのために、離職率がとても高い。
こうした事業領域に未来を感じる人がいるとすれば、それは単なる間抜けか、世界を変える大物だけだ。どんなに頑張っても、まずは法律が変わらないと何も自主的な仕事はできないし、事業の性格上、あまり差別化もしにくい。ほぼ毎日利用することもあって、地域的なつながりの強いところ(つまり、利用者の自宅の近く)からしか選べないし、一度選ぶと数年続けるので、利用者間の流動性も低い。レストランみたいに、今日はこっち、あしたはあっち、ということが起きない。なので、事業者間の競争も少ない。一方で給付金による収入が見込めるので、小さな事務所でも始めやすく、そのおかげで零細も多い。
こういう業界に若者を費やすなんて、とてもじゃないけど勧められない。また、仕事の性格上、十分な世間知のある40代以上が望ましい。そうじゃないと様々な問題に対処ができない。
もしそれでも介護に未来を見たいという人がいたら、医療の方面にいくか、機器の開発をするしかない。車いすとか、松葉杖とか、サポート器具には改良の余地がある。建築に関連して、家屋の設計もありだろう(ただし、一般の「リフォーム」は単なる建築労働者なので、NG)。
だから、もし学生とかで介護をするとか言う奴がいたら、頬をひっぱたいてでも止めろ。これだったら、まだブラックITのほうがましだ。
正直な話、日本はもう積んだと思う。
日本の将来をいくら考えても、明るいビジョンを描くことができない。逆に悲惨な未来ばかりが浮かんでしまう。その理由はもちろん少子高齢化だ。
見たことがある人も多いだろうが、これが国立社会保障・人口問題研究所が予測する2040年の日本社会の人口構成だ。
http://www.ipss.go.jp/site-ad/toppagedata/2040.png
出生率がどう推移するかによって違いはあるが、いずれにせよ逆ピラミッドに近い姿が出現することは避けられない。いくら「少子高齢化時代に適した社会設計」をしたところで、こんな社会が存続可能だとはとても思えない。昔は今よりずっと人口が少なくても大丈夫なのだから人口が減ってもいいと言う人がいるが、綺麗な人口ピラミッドを描いていた昔と逆ピラミッドを描く未来とでは状況がまるで違う。
では、若い人を増やす政策についてどうかと言えば、実効性のある少子化対策は現在の政治的力学から見てまず不可能だ。選挙のことを考えれば、政治家は高齢者のことを再優先にせざるをえない。民主党政権下での子ども手当ても「バラマキ」というレッテルによって葬られてしまった。子育て支援の制度がコロコロ変わるということが、これから子どもを持つことを考える若い人たちの心理にどれだけ悪影響を及ぼすかなんて考えもしない。気前のいいことを言ってもすぐに撤回されてしまうのであれば、制度をあてにして子どもをつくるなんてことはできない。まあ、団塊ジュニア世代が出産可能年齢を過ぎつつある状況からして、少子化対策はもう手遅れなんだが。
他方で移民については、これにも強烈な反対がある。移民と聞くと二言目には「ヨーロッパは悲惨なことになっている」という奴が出てくるが、一人あたりGDPのランキング上位に移民国家が並ぶ理由なんて考えたこともないんだろう。一位のルクセンブルクなんて人口の40%が外国出身者で占められている、二位のカタールに至っては人口の78%、三位のノルウェーは少なめで13%だが、四位のスイスと五位のオーストラリアはともに人口の27%程度が移民だ。ちなみに日本は2%以下にすぎない。
確かに移民は様々な社会問題を生むし、ヨーロッパでも移民反対の声は強くなっている。だが、ヨーロッパでの移民政策は移民の受け入れを「減らす」ことではあっても完全に締め出したり、研修生という名目で悲惨な労働を強いることにあるのではない。
実際、過去に移民を受け入れてこなかったとすれば、ヨーロッパの国々の多くは今よりももっと「悲惨」なことになっていただろう。犯罪に走ったり、社会保障に依存する移民もいるにはいるが、実際には経済成長や人口増加に貢献する影響のほうが遥かに大きい。日本にいると移民に関係する問題ばかりが伝わってくるのだろうが、あまり見えないところで社会に貢献している移民の存在は重要だ。
…と、こんなところでぼやいたところで、政策転換が図られるわけではないこともわかっている。日本社会は十分な少子化対策を打つこともできず、移民を受け入れることもせず、ただただ衰退していくのだろう。外国人が少しでも何か問題を起こせば極端に喚き立てる連中がいるかぎり、安全志向の強い日本人は移民に対する拒否反応をひたすら強める。
結果、2040年の日本では。老人介護に圧倒的に人の手が足りず(2025年の段階ですでに100万人が不足するという予想)、かといって外国人の手を借りることもできないので、一部の富裕な高齢者だけが介護サービスを受けることができるようになる。孤独な住居で糞尿を垂れ流しながら人知れず死んでいく人たちが激増する。老人の自殺や犯罪も増えるだろう。
国内市場は縮小する一方だし、社会保障関連の税金があまりに重いので、能力のある人材や企業は海外に逃げていく。結果、国内には高齢者と海外に逃げることのできない人たちだけが取り残される。メディア産業も市場が小さすぎて今の規模を維持できなくなるだろう。新作アニメも作られなくなり、ネットにストックされた過去の作品を楽しむだけになる。あるいは海外で作られた作品を輸入するばかりになるかもしれない。日本語に翻訳してくれる酔狂な人がいればの話だが。社会の先行きに希望が持てないので、少子化がさらに加速する可能性もある。
国際情勢に目を向ければ、2030年の段階で日本のGDPは中国の4分の1以下になるとも予測されている。国力にこれだけの開きがあれば、シーレーンの防衛にしても困難を極めるだろう。尖閣の実効支配もどこまで続くか怪しいものだ。その前に中国経済が破綻する可能性もあるのかもしれないが。
老朽化しているのに補修もままならないインフラと廃墟に取り囲まれながら、少子化対策にカネを出すのも嫌だし、移民を受け入れるのはもっと嫌だと言いながら衰退していく日本。「世界中が日本を賞賛」などというありもしない幻想にすがり、隣国を蔑むサイトや本でオナニーをしながら、真綿で首を締められる状況に気づかないふりをしている日本。遠く離れた無人島の帰属にばかり関心を寄せる一方、これまでは人が住んでいた島が無人島になり、本土でも誰も住まない土地が増えることで確実に腐敗が進んでいることからは目を背けている日本。こんな日本がまだ積んでいないと言える奴がいたら、それは自分で自分をごまかしているか、嘘つきかのどちらかだろう。
あー
馬鹿の相手は何の刺激もなくて超つまんねえ
老人介護に近い
そりゃそうだ。
大雑把に「相手軍の陣地」っつっても
こっちの砲台を制圧するのとあっちの司令本部を制圧するのは別の目標・別の戦果なのぐらいわかるよな?
守備側がなぜ重要設備と重要人物を分散したまま(護衛戦力を分散する)なのかさっぱりわからない。
工場に戦力を集めてその責任者ってのが工場へ逃げ込めば守備しやすいよなw
こっちの例えであれば、
既述の通りの「守らなきゃいけない重要設備が複数ある」っていう状況だなどう見ても。
あー
馬鹿の相手は何の刺激もなくて超つまんねえ
老人介護に近い
将来が暗いニュースや、若者が辛い時代になると言う世論も多いけど、良く考えたら悪い時代では無いんじゃないかと考えた。日本のバブル時代や、バブル中の国と比較すれば、もちろん見劣るし夢も萎む。
日本はすでに人口オーナス(人口も減り、老人が増え働き手が減る)であり、成熟国に入っている。
人口ボーナスがあり、発展が途上の国と幸せのあり方を、一緒に考えてはいけないのでは。
ガンガン物を手に入れて幸せになる時代ではなく、持っている物を楽しむ時代であると感じる。
もちろんバンバン働いて、金や物も手に入れて幸せになることも正しい。
ただそれを、バブル期や発展途上国のように、絶対的な物差しとしてはいけないと考えた。
約2010年の日本人が普通(8割ぐらいの人は)に持っている物は、
・贅沢はできないが、安心で好きな食べ物やおいしい食べ物を入手できる環境
・ガードマンはいないけど、安心して外出でき夜中でも襲われることのない日常
・100%保証ではないけど、安心して通院できる医療制度や腕利きの病院
・費用負担はあるけど、十分使えるパソコンに、自由なインターネット環境
・住んでいる地区にもよるけど、お金をかけなくても楽しめる観光や旅行や遊ぶところ
・他にも、漫画、アニメ、映画、SNS、2ch、はてな、Amazon を嗜む環境etcetc
は大体の人が持っていて、無駄遣いしなければ月10万あれば、この暮らしができる
(例:家賃5万、デリカ250円×3=750×30=22500、ネット3000円、その他10000円、貯金10000円。かつかつで)
月10万なら、資格や能力が何も無くても、特殊な問題を抱えていなければ、ある程度
年齢が越えていても、コンビニ等の働き先は、いくらでもあるんじゃないかと。
さらに8割以上の人は、18万以上稼いでいますよね。
何も無い人が、簡単に月10万稼げる国は、世界でも少ないはずで、
いやいや、今の時代はつらいよ。原発、老人介護、医療、年金etcと、これから大変だよ。
患者150万人のうち15万人が死亡。
世界恐慌に加え、冷害・凶作、昭和三陸地震や津波が続き、身売り、欠食児童、行き倒れ、自殺などが激増して悲惨な状態
生活はどんどん制限
生活はどんどん制限
3500人死亡
約30万人が死亡
日本は300万人が死亡
今は戦争も日本ではないし、食べ物はあるし、病院もあるし、すごい良い時代だ。
人口ボーナスがあり、発展が途上の国の幸せのあり方だったと思う。
これは悪くない時代だったはず。
で僕らは、獲得する幸せは感じないけど、1950年代の人が、全力で手に入れた物を
僕達が今後いきる世界は、今あるものを十分に楽しんで生きれば良い。
つか、ネットがあると、それだけ十分楽しめるよねって話でした。
タイトルに上げたんだけどさ、今高齢要介護者向けに「介護保険」ってあるじゃん。
これと同じ仕組みで「子育保険」って出来ないのかなって妄想したんでぐだぐだ書く。識者の方できたら突っ込んでくれ。
介護保険って
常々、介護と育児は中身は年齢が違うだけで中身は結構似ているような気がするんで、これを元に
ってすればどうだろう。
これだけじゃ無理がある部分もあるので…
どうよ(ドヤッ
介護保険を使う事になっていろいろと調べたり利用申請したりしたのだが、介護が必要な人間を抱える家族って、育児をしている家族と構造はすごく似ているって思った。ただ将来への展望が違うだけで。
介護保険のコンセプトは「介護が必要な人を社会全体で支える」という事だったと思うけれど、育児も「子どもは社会全体で育てる」という感覚があっていいと思うんだ。
また、介護は、介護保険があるおかげで介護が産業化していて民間企業が参入し、使い易い介護用品が出てきたり、従来より足りないと言われてきた有料老人介護施設の増加を促したり、介護業者も競争が増えて対応の質が上がったりしている。
一方ケアマネージャという有資格者が必ず関わることによっておかしな業者に引っかかって被害を受けると言った事を防止し、過剰請求なども防ぐ仕組みが出来ている。
いろいろあるけど介護保険はこの点で成功している精度だと思うんだよ。
だからこれを見本に、育児・教育を保険として作れば、いくつかの諸問題は(多少時間がかかるにせよ)解決に向かっていくんじゃないかと思う。
これで介護保険並の保険料で済むなら、十分に考える価値はあると思うんだけどどうだろう。
いやまぁ、こんな事ここで言ってもしょうが無いんだけどさ。
識者の方突っ込んでください。
いやいやいやいや
「基礎的で最低限の能力が無い」って話だろう?
元増田の言ってるようなクソ文書く奴と同じぐらい
こういう「どこを読んだのかさっぱりわからん賛同や反論をする奴」が俺はイライラする。
本当に死んで欲しい。
ていうかもっと踏み込んで言えば
きっちーんと文を読解した上で悪意を持って煽ってくる人にはあんまり怒りも憎しみも感じないんだよね。
悪意の表現形式がスマートなら感心もするしさ。「やるね!」って感じ。
だけどこういう、「何をどう読んでそうなるの?」みたいな頓珍漢なパーには本当にイライラする。
何の悪意も敵意も無く書いてるのだろうとわかっててもついつい「死ね!」と思ってしまう。
前者は相手してて脳の肥やしや刺激になるけど
今朝、駅前で市会議員候補のチラシを受け取ったが
彼女は3児を育てる主婦であり、NPOの立ち上げ経験もあるらしい。
政策的には保守傾向であり、私の好みに合致している。
コラムでの日々の活動報告を読む限り、地域を回って精力的に活動しているようだ。
しかし、この作文は本当に酷い。
試みに通勤電車の中で添削して行ったら赤だらけになってしまった。
抽象的な内容や込み入った論理は全く含まれていないにもかかわらず、スムーズに読めない。
すぐ目的語がどっかへ行く、開きカッコがないのに閉じカッコがある、
ベースの語彙や文法はまともであり、ただ直前の文の体裁を覚えていない。
多分誠実でもあると思う。
しかし、ああいう作文をする人の能力というのはどんなもんなんだろうか?
行政に携わっていく上で、多少なり複雑な思考をする場面に、
彼女の脳は作業メモリが足りていないんじゃないかと思わずにはいられない。
そこで、
年収はあんまり関係ないと思うけどなぁ、ソースは底辺の給料で定年間近まで中小の平だったけどずっと浮気し続け、定年後もまだ浮気繰り返している家の父。
家の職場でパートで働いてるお婆ちゃんの夫もすっげ女好きで浮気繰り返して、たまにパート先に来ては若い子口説いたりしてるけど、妻が老後も働かなければならないレベルで貧乏。
なんかの人生相談で夫の親の介護に疲れ果てた妻とボケ老人2人抱えて暗い家に嫌気がさして浮気したけど、その事を妻がまだ根に持ってるかもって夫の話も見たけど、これも夫の両親の介護を高級老人介護施設なりなんなりに任せられる財力が夫にあれば、夫は浮気しなかったわけよ。
金があるって事は浮気のチャンスも多いって事だけど、まともな人は浮気したりしないよ。夫の忍耐力や責任感や、女好きか否かにかかってる。
そして浮気された時より一層悲惨なのは金のない男。
金のある男なら気軽に出せるような養育費も慰謝料も払えないし、妻の収入も貯金に回らず生活に消えているから子供抱えてたら離婚もできずに耐えたりしなければならない。
妻より低収入の男は下みたいな理由で、妻より高収入な男の5倍以上の浮気率って研究結果もあるしな。
>男性にとって「一家の稼ぎ手」は男性のステータスであり、それが危うくなった時に「浮気」という手段で男性としてのアイデンティティーを回復しようとしているのではないかと見ている。ヒスパニック系で顕著な理由としては、ヒスパニック社会では「稼ぎ手」であることが男らしさの決定要因と見なされているためと考えている。
目から鱗の劇薬だと思った。
日本には1500兆円の個人資産があり、その80%は老人層が占めていると内閣府が公表しているが
これを突き崩せる数少ない妙案ではないか?と感じたからだ。
要旨は、貯蓄資産のうち300兆円くらいは貯められただけの「死に金」となった、過剰な貯蓄である
(と、インタビューを受けた識者は試算している。実際はよく解らない)
ゆえに「銀行個人資産から(名寄せして)1000万円を超える部分の元本に対して、課税する」という提言なのだが
これによって2%の課税とした場合、先ほどの試算から6兆円が導き出され、消費税の5%上げ相当の税収増になる、との事。
メリットとして
・逆進性がない
・預貯金のみに対しての課税なので、他の金融資産に回る(だろう)
・課税されるくらいなら、消費に回る(だろう)
をあげていた。
そして税収としての試算は6兆としたが、それを嫌ってマーケットや消費に回れば企業の増益や消費拡大も考えれば
経済効果分がさらに上積みされるだろう、と言う。
この話のダイレクトな反応を見たくて、ちらっと2ちゃんの実況板を見ていたのだが
非難ごうごうで、
2.それで銀行潰れんじゃね?預金減で銀行などが買い支えてる国債が崩壊するだろ
3.タンス預金が増えるだけ
4.それを狙う空き巣・強盗が急増するだろうな
なんて言葉が延々と並んでた。
順序が前後するがまず3.は確実におこると思う。そして4.も。そしてその時、3.をした人は安全のコストとしてなにをするだろうか?と
警備会社との契約や金庫を買うという選択肢もあり、それはそれで経済の一環を担うので、いい事な気もするのだが
けっきょくは、そのコストは税金として納めて銀行に貯蓄した方がマシ、という結論になりそうな気がする。
そして1.だが、冒頭にあげた比率から逃げるとするなら、老人が主たる層という事になるが、語学に堪能な老人層がさてどれだけいるのか?と
実際はそれほど逃げ出さずに、前出の3.の流れに甘んじるのではないか?と。ゆえに2.も最小限ですむのではないか
そして、逃げたとしてその時に移し替えた資産は円売りであり、円安に繋がり輸出企業には朗報だろう
さらに、もし大量の老人層が国外に逃げるというならば、これからさらに大きな負担となる老人介護・高齢者医療の絶対数を減らすことにもなる。
5.については・・・知らん!まずは経済を回す事が先決だ
個人的には「金持ちが日本を養う」ことと「老人の輸出ができる」というのは長期的には日本を救う策な気がするのだが、どうだろう?
最新情報をガブ呑みしていないと夢が萎んでしまう人達 --- シロクマの屑籠(汎適所属)
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20100425/p1
地方に夢なんかない、あるのは絶望だけ --- SKiCCO ALTERNATiVE
http://d.hatena.ne.jp/skicco/20100425/p1
どっちの言い分もすげーわかる。
私は団塊Jr世代。高校卒業後に上京して東京タワー近くの専門学校に2年行って、都内の企業に就職した。最後のバブル入社組で、私の後輩が入らないまま5年ほど務めたけど「この会社やばいな」と思って辞めた。その会社は今はもう無い。その後、派遣社員みたいな形で7年ほど仕事した。その間にその会社の規模は7倍ぐらいになった。落ち目の会社からの転職としては、当時としては悪くなかったと思う。30を過ぎて、やっとこさ年収500万を超えるようになって、少しは貯金ができるかなーって頃に、鬱が進行して少しづつ何もできなくなり、最後は仕事もできなくなり、貯金を使い果たして田舎に逃げ帰った。あの時はマジでホームレスになると思った。田舎に帰って抗うつ剤を飲みながらなんとか仕事を見つけ、抗うつ剤を飲みながら見合いをして結婚する所まではいったけど、結婚の方はすぐ破局。そりゃそうだ。仕事はまぁ上司と喧嘩しながらもなんとか続けているが、年収は300万ぐらい。東京に居た時から40%ダウンだ。
「最新情報をガブ呑みしていないと夢が萎んでしまう人達」を、私は愚かだとは思わない。むしろ、かつてはそうなりたいと思っていた。思っていたけど、田舎育ちで金もない俺には、そんな生き方は無理だった。学生時代から数えれば14年間都内に住んで、14年も住んでれば少しは東京の人っぽくなれるかな、と思っていたけど、実際は全然そんなんじゃなかった。
親子3代住まなくちゃ江戸っ子にはなれねぇなんていう人が居る。14年住んでみて実際そうだと思った。その意味が身にしみてよく解った。俺は死ぬまで田舎者だ。もっとも、それを悪いことばかりとも思わない。恵比寿のとある居酒屋のメニューに季節限定の「つくし」が出たとき、私はそれを喜んで注文したが、都内の友人は誰も「つくし」を知らなかった。汁物に乗っかってる葉っぱは、ただ「青臭い」といって敬遠された。私にはつくし狩りの思い出も原っぱを駆けまわって転んだ時の青臭い匂いの思い出もあるから、それを食べる度にそういう思い出に浸ることができる。そういう思い出を大事にしたいと思う。それを東京の友人と共有できないことは寂しい。
しかし一方、田舎に帰ってきたところで、実際問題として田舎には職がない。いや、無いことはないのだけど、農業などの1次産業か、もしくは老人介護。田舎にもそこそこ名の通った企業というのは多少は存在するが、新卒ならともかく、中途・Uターン組にとっては実に狭き門だ。
もし今、上司と喧嘩でもして会社を辞めるような事になったら、たぶんまた都内で仕事を探すことになると思う。なんでか。よくわからない。よくわからないけど、強いて言えば、夢をもって頑張っている人たちの近くで、何か役に立つことがあればいいかな、という、そんな感じ。行き着く先は、最終的に独居老人で孤独死、なんてことになるんだろう。将来、俺の遺体を片付けることになる特殊清掃業者には申し訳ないと思う。申し訳ない。
誰が「いやだ」つってるのか主語が書いてねえよ。ちゃんと書けよ。これだから女の文章はダメなんだよな。
ところで介護支援だが、介護される本人が何言ってようがかまわず使っちまったほうがいいぜ。だいたいよう、あんたの母さん正気か?「日中何かあったら」って心配するレベルだろ。そんな状態の老人の話を真面目に聞いてどうする。
そもそも老い先短い老人のための介護支援なんて非生産的だっつの。若い世代のためじゃなかったら社会的に何も貢献しないじゃん。
それとヘルパーの言ってることもおかしい。「明日雨が降るってわかってたらキャンセルの電話してください」とか、そんな義務ないし、こっちにわかってるならヘルパーにもわかるだろ。そっちから電話かけて来い、って話ですよ。
本当は有無を言わせず老人介護施設にぶち込んじまって終了、とするべき所なんだけど、お金の問題もあるし空きがなかったり親戚がガタガタ言ってきたりしてそうはいかないんだよな。
ともかく、あんたの書いてることは、同じ立場ならみんな同じように考えることだ。不安かもしれないが、母が、って主語を書けないほど罪悪感持つ必要はないんだぜ。