はてなキーワード: 男女平等とは
女性って「男は臭いから対策しろ」って言うだけでバッシングされて解雇される立場にほんとになりたかったの?
男女平等なんてすすめればすすめるほど、女性には有利な部分よりも不利な部分や辛い部分が増えるだけだと思うんだけどなあ…
もし自分が女性だったら、小言やモラハラを男に言っても苦笑いで許してもらえる立場に収まったままうまく専業や時短勤務で子育てしていく
些細なことでキャンセルするのはおかしいけど、フェミがそれを男をターゲットにやり続けて止めないんだから、男女平等を希求する立場としてはやり返すしかないでしょ。
端的に言えば、雁琳さんが以下に書いてるとおり。
https://x.com/ganrim_/status/1822567952744341967
臭い男は一日数回シャワー、汗拭きシート、制汗剤を使って欲しいと言って契約解除されたフリーアナウンサー川口ゆり氏の件、ハッキリ言って何でこんなことでクビにならなければいけないか理解不可能だが、男が女に対して類似の発言をした場合絶対に即クビになる社会である以上、クビは間違い無く正解。
主と妻の論点が異なってるし、どっちもそこそこ正当なことを言ってるから、主と妻がお互いどの領域でなにを言いたいのか冷静に整理しないと先に進めなさそう
妻の主張
①息子がチー牛かもしれん
②子育てのやり方を見直すべきでは?
主の主張
①(嫁に対して)チー牛とかいう差別的ネットスラングを(特に家族に)使う人間になるな。
②息子がチー牛の特徴に当てはまっていたとして、それのなにが悪い?
って感じで、議題が噛み合ってる箇所が②しかないし、
その②も簡単に論じれるような話題じゃないから、もっと慎重に論点を切り分けながら個別に意見のすり合わせをしていく必要があると思う
以下それぞれに対する俺の感想
まず主①の主張、これは賛同できる
チー牛とかいうかなり差別的なネットスラングをあろうことが子どもに対して向ける妻の精神性はかなり「それはやばくないか?」と思わざるを得ない
そして妻①の主張、「息子がチー牛かも?」これはまあ判断できる要素が書かれてないからなんとも言えないが、主が否定してる描写も無いしそこそこ当てはまっているのでは?と感じた
で、主妻それぞれの②の主張、まとめると
「チー牛っぽい特徴を持っているかもしれない息子に対して今後どうアプローチするべきか?」に対しては、
「息子がチー牛でなにが悪い?」という主の意見はわかる、わかりはするんだが、
一旦冷静になって、「悪い」のニュアンスを分けて考えるべきだと思う
チー牛っぽい特徴を持っていることは人格的に、もしくは社会的に、「悪」なのか?というと、これはもちろんそんなわけがない。そういう意味で、主の意見通り「息子がチー牛なのはなにも悪くない」。善悪の概念では、悪ではない。
が、チー牛っぽい特徴を持っていることが、今後何か不利益に働くか?と言われると、これは「だいぶ不利益に働く」と言わざるを得ない。良不良の意味では、不良。
そういう意味で、「なにか対策を打つべきなのでは?」という妻側の意見の方に賛同する。
そうだな、「学歴差別は不当」と「低学歴は苦労する」は両立するのに似てるな。
主は「生理的に無理」とか「キモい」とかそういう言葉を即物的だと言って一笑に付してるけど、
人間は理屈や正しさよりもかなり感情や第一印象や先入観で動きがちで、なんならたとえ理性的であろうと心がけている人でもなんだかんだ生理的感覚に引っ張られるものなので、
「生理的に無理」「キモい」と感じられてしまうような人間に対する世の中からの扱いはかなり悪くなってしまう
これが不当な差別だっていうのはわかる、わかるんだが、人種差別とかと違って、本能に根差したものとして指摘すればなくなるわけじゃないんだよ ある程度根拠のある差別と言ってもいい
学歴差別を無くしたからといって、学力方面での高学歴と低学歴の差がなくなるわけじゃないのと同じ
妻がいう通り、チー牛という言葉がそういう「感じ」を上手く言い表しているんだよね
昔は「ネクラ」とか「オタク」という言葉にその「感じ」が含まれてたけど、「オタク」がもっと価値中立な言葉に浄化されたから、代替としてチー牛という言葉が生まれただけ
チー牛という言葉を無くしても、その「感じ」がなくなるわけではない
妻はなんというか、チー牛というスラングがそこまで差別的な言葉だっていう認識が薄いんだろうね
だからもちろんチー牛という言葉を使うこと自体は咎めたほうがいい
ただその「感じ」があること、その「感じ」に世の中から差別的な目が常に向けられていることとは別に議論した方がいい
じゃあどうすりゃええねん、と言われると、
そうだな、そうだな……
ただなんとなくは、「父性」が鍵のような気がしている。
母親が過干渉で父親が無関心気味の家庭が「そう」なりがちというのは各所で言われがちで、
やっぱり教育家庭における「男らしさ」の不足が原因の一端なんじゃないかな?とは思う
男らしいとか女らしいとかそういうのはジェンダー平等に反してるだろ、と言いたいのはわかるが
なんだかんだ現代でも男は男らしい方が得するんだよな
男女平等を主張してる女たち自身が男らしい男を嗜好するし、男同士であってもそうだから、
男女平等、ジェンダーバイアスの解消というのはお題目としては立派であっても現実に即してはいないんだな
優しさとか誠実さとか生真面目さは世の中を渡っていくにあたってそこまで大きなプラスになる「見た目」ではないんだよな
これらを持つこと自体を否定してるわけじゃなくて、もちろん大事なものなんだけど、無害性のアピールにしかならないから、
必要な時に(時として他者のために)他者に対して強く出られる能力、責任を引き受けたりする能力、リーダーシップやイニシアチブを取る能力と見かけ上相反してるから、やっぱりなにかしらそういう芯の強さを育む機会が必要だと思う 無害性オンリーでは人間的評価だと下の上止まりになってしまう おそらく中の下にもいけない
運動部に入れろとかそういう感じに近いけど、部活を強要するわけにもいかないし、親にできることってどれぐらいなんだろうな……
まとめると、
•「チー牛」はその「感じ」を端的に表していることばではあるが、かなり差別的なので息子に向けるのはやめたほうがいいと伝える
•息子がチー牛的素質を持っていること自体は、すこしなんらかのアプローチを考えた方がいい
って意見かな。
主と妻の論点が異なってるし、どっちもそこそこ正当なことを言ってるから、主と妻がお互いどの領域でなにを言いたいのか冷静に整理しないと先に進めなさそう
妻の主張
①息子がチー牛かもしれん
②子育てのやり方を見直すべきでは?
主の主張
①(嫁に対して)チー牛とかいう差別的ネットスラングを(特に家族に)使う人間になるな。
②息子がチー牛の特徴に当てはまっていたとして、それのなにが悪い?
って感じで、議題が噛み合ってる箇所が②しかないし、
その②も簡単に論じれるような話題じゃないから、もっと慎重に論点を切り分けながら個別に意見のすり合わせをしていく必要があると思う
以下それぞれに対する俺の感想
まず主①の主張、これは賛同できる
チー牛とかいうかなり差別的なネットスラングをあろうことが子どもに対して向ける妻の精神性はかなり「それはやばくないか?」と思わざるを得ない
そして妻①の主張、「息子がチー牛かも?」これはまあ判断できる要素が書かれてないからなんとも言えないが、主が否定してる描写も無いしそこそこ当てはまっているのでは?と感じた
で、主妻それぞれの②の主張、まとめると
「チー牛っぽい特徴を持っているかもしれない息子に対して今後どうアプローチするべきか?」に対しては、
「息子がチー牛でなにが悪い?」という主の意見はわかる、わかりはするんだが、
一旦冷静になって、「悪い」のニュアンスを分けて考えるべきだと思う
チー牛っぽい特徴を持っていることは人格的に、もしくは社会的に、「悪」なのか?というと、これはもちろんそんなわけがない。そういう意味で、主の意見通り「息子がチー牛なのはなにも悪くない」。善悪の概念では、悪ではない。
が、チー牛っぽい特徴を持っていることが、今後何か不利益に働くか?と言われると、これは「だいぶ不利益に働く」と言わざるを得ない。良不良の意味では、不良。
そういう意味で、「なにか対策を打つべきなのでは?」という妻側の意見の方に賛同する。
そうだな、「学歴差別は不当」と「低学歴は苦労する」は両立するのに似てるな。
主は「生理的に無理」とか「キモい」とかそういう言葉を即物的だと言って一笑に付してるけど、
人間は理屈や正しさよりもかなり感情や第一印象や先入観で動きがちで、なんならたとえ理性的であろうと心がけている人でもなんだかんだ生理的感覚に引っ張られるものなので、
「生理的に無理」「キモい」と感じられてしまうような人間に対する世の中からの扱いはかなり悪くなってしまう
これが不当な差別だっていうのはわかる、わかるんだが、人種差別とかと違って、本能に根差したものとして指摘すればなくなるわけじゃないんだよ ある程度根拠のある差別と言ってもいい
学歴差別を無くしたからといって、学力方面での高学歴と低学歴の差がなくなるわけじゃないのと同じ
妻がいう通り、チー牛という言葉がそういう「感じ」を上手く言い表しているんだよね
昔は「ネクラ」とか「オタク」という言葉にその「感じ」が含まれてたけど、「オタク」がもっと価値中立な言葉に浄化されたから、代替としてチー牛という言葉が生まれただけ
チー牛という言葉を無くしても、その「感じ」がなくなるわけではない
妻はなんというか、チー牛というスラングがそこまで差別的な言葉だっていう認識が薄いんだろうね
だからもちろんチー牛という言葉を使うこと自体は咎めたほうがいい
ただその「感じ」があること、その「感じ」に世の中から差別的な目が常に向けられていることとは別に議論した方がいい
じゃあどうすりゃええねん、と言われると、
そうだな、そうだな……
ただなんとなくは、「父性」が鍵のような気がしている。
母親が過干渉で父親が無関心気味の家庭が「そう」なりがちというのは各所で言われがちで、
やっぱり教育家庭における「男らしさ」の不足が原因の一端なんじゃないかな?とは思う
男らしいとか女らしいとかそういうのはジェンダー平等に反してるだろ、と言いたいのはわかるが
なんだかんだ現代でも男は男らしい方が得するんだよな
男女平等を主張してる女たち自身が男らしい男を嗜好するし、男同士であってもそうだから、
男女平等、ジェンダーバイアスの解消というのはお題目としては立派であっても現実に即してはいないんだな
優しさとか誠実さとか生真面目さは世の中を渡っていくにあたってそこまで大きなプラスになる「見た目」ではないんだよな
これらを持つこと自体を否定してるわけじゃなくて、もちろん大事なものなんだけど、無害性のアピールにしかならないから、
必要な時に(時として他者のために)他者に対して強く出られる能力、責任を引き受けたりする能力、リーダーシップやイニシアチブを取る能力と見かけ上相反してるから、やっぱりなにかしらそういう芯の強さを育む機会が必要だと思う 無害性オンリーでは人間的評価だと下の上止まりになってしまう おそらく中の下にもいけない
運動部に入れろとかそういう感じに近いけど、部活を強要するわけにもいかないし、親にできることってどれぐらいなんだろうな……
まとめると、
•「チー牛」はその「感じ」を端的に表していることばではあるが、かなり差別的なので息子に向けるのはやめたほうがいいと伝える
•息子がチー牛的素質を持っていること自体は、すこしなんらかのアプローチを考えた方がいい
って意見かな。
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厚生労働省はセルフケア……メンタルの自己回復を図ること、を大々的に推してる。
そのくせチュートリアルさえ提供せず、子どもたちの自助に任せっきりなのは…、怠慢でしょ。
メイクはセルフケアや恋愛スキルだったり、ときに武装の意味も持つ。
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男社会が女にメイク圧力を掛けてくるのは事実だし、それは許す気はない。
でも、女性が自らの意思でお化粧をして、まさしく武装なり、セルフケアをするのは自由だ。
だけど男子児童は一切興味を持たなかった。私がフェミニズムを学ぶ前の、だいぶ前の話。
当時は、男の子ってそんなもんかなぁ、と思っていたけど。
でも今では、実は男女の脳は、CTスキャンの精度で物理的に全く同じことを知った。
女性の文化を見下して「くだらない」とみなす社会の歪みは、素直で敏感な子どもたちに伝わってしまってる。
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今まで、女性にとっての地獄の時代が続いてきたことのバックラッシュに過ぎないと思う。
コメントにも同様の意見があるけど、少なくとも私はこれを支持する立場。
だけど見方を変えると、男の人の不幸率と自殺率は相変わらず相対的に低いままで、この数字だけをみると辛いのは男性、であるかのように見える、そうです、不思議ですよね。
今まで男性たちはケア役割を女性に押し付けてきた。女たちをまるでケアを与える道具のように2級の存在として扱って、人間扱いしてこなかったわけね(今でもVtuberに癒しを求めておいて、感謝する代わりにイラストサイトでは彼女らを好きに脱がしてたりする。ひどい)。
でも女に気を許されるほど理解のある男性は少ない。都合良く利用されるとリアルの人間は怒ります。叱られた結果、多くは女を、清潔感やメイクなどの女性文化ごと見下して、遠ざけてきた。
話すたびビックリされるんだけど、基礎的なスキンケアさえ頑なにやらない男の人は驚くほど多いの。
——そうしてるうちに、男性のセルフケア能力は退化していった、これは統計で証明されてる事実。
お化粧にはセルフケアの効能があって、女子会には傷を舐め合う意義があるのにね。
ケアの価値を軽んじて女の仕事としてまとめて捨て去ったのを今更後悔しても、もう遅い。
暗がりでの女性主義への反発を最近も見たけど、もはや人間扱いが何を意味してるのかさえも分からないようだった。ネットの片隅でお互いを罵りながら陰口を言い合う様子は、外から見るとイビルにしか見えない、そして孤立は加速する…………、そんな悪循環があると思う。
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不幸率以前に、まずスキンケアね
男性は生まれつきセルフケア能力が低いとか言うけれど、男女の脳に性差はないって証明されてるんですよ。
お化粧どころか一番基本的なスキンケアさえしないのに、不幸率が高いって。
違うでしょ。
甘え率が高いんでしょ。
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「男は生きづらいです。でも男らしさは捨てません」
頑なに男らしさを捨てようとしないのな。
男が生きづらいって主張して、それが認められているのに。
モテなくていいんだよ、って男にアドバイスしたら顔真っ赤にしてキレられて、
あーーー問題解決を目指してるわけじゃないんだー、って思った。
モテに執着するなら確率的に一定数モテない不幸な人が生まれるのは当然の論理的帰結だと思うけど。
「男って不幸なの」
…あらら? ? 男らしさと縁を切った? セルフケア効果があるメイクはしてる?
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悪いけどそれ、個人的には間違ってると思ってる。「メイクや男性同士での傷舐めなども含めたセルフケア全般ができない」のが丸ごと、生まれつきセルフケア能力が低い男性の特性なんだよ。
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男は薄っすら嫌われる、女は薄っすら好かれる、というネットミームがあります。
広く受け入れられている格言ですがしかし、事実ではありません。
男は薄っすら嫌われるんじゃなく、好かれるようなことをしてこなかったのでしょう。
好かれる努力をしないのに
「薄っすら嫌われる」
「男は不幸率が高い」「男だって生きづらい」
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だってセルフケアの方法教えるつってんのに、メイクにまるで関心持たずに
なんだもの。
むしろ、弱者男性の生きづらさをもっと語ってほしい、それのほうが生産的かな。
弱者男性が差別されてるというけど、具体的にどうして欲しいのか。
弱者男性問題への解像度を増すために声を上げてほしい、耳を貸すから。
だから、代わりに信頼してほしい。
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私は一応フェミニストの端くれ。
先生方には及ぶべくもないけどフェミニズムを思想として活動してるアカウントです。
専門外だけど、弱者男性の救済になるように動いたことがあります。
男性は統計的に※ ケア能力が低いことが知られていて、にも関わらず一部の男性は女性文化を見下してます。
女性のやってるような女々しい事をやってられるか、とばかりに拒絶するんです。
それでいて「男の不幸率は高い」とおっしゃる。
だけど弱者男性になんとかセルフケアとしてのメイクを勧めようと働きかけました。
男性のミソジニーが悔しかったのが大きいけど、頑なに不幸から抜けようとしない人たちがもどかしくて。
それを聞かせてくれよ
※ 男女の脳には違いがないと証明されてるようですが。
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メイクしないのが不平等の可能性は? 私の周りを見る限り、女の文化を見下してメイクどころか基礎的なスキンケアさえ頑なにやろうとしない男性って結構いるから。そのくせ、ムダ毛処理せずにショートパンツ履いて外出して男女平等とか言ってたり、セルフケアの効果があるメイクをしないのに男の不幸率が高いとか喚いたりしてね。他愛がなくて愛想が尽きちゃうよ。女の努力ナメてる男の人が多すぎだと思ってる。
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同意。
ってか本当のところはもっと酷いでしょうね。
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逆逆逆ゥ!
でも誰もしない。
心の交流が描かれるマンガはクッソいいのに、幼少期から男は読まない。
男は論理、女は共感なんて言ってる人いるけど、それシンプルに男が感情面を無視してるだけですから。
不幸率とかセルフケア能力の低さとかの統計って、女性差別の証拠なんですよ。
アンチフェミだかなんだか知らないけど、男性の生きづらさを訴えてる人って結構いるけどさ。
聞くたびに思う、男の人って女性差別しておいて自業自得で不幸になってるだけだよね? って。
「女を踏んでる足が痛い」と嘆いてるようにしか聞こえない。
増田がめいろまの優生思想を肯定しているわけではないのはわかるが、
日本の選手が強くなったり、最近の子達が美形でダンスや勉強もうまいというの、あれ日本で80年代以後は見合いが激減したのが原因かもな。能力がない、金がない、不細工は結婚できなくなって、優秀な人間だけが自然選別で結婚して子供を産むようになった。多分これ結構あたってると思うんだよ
ある快挙を無理やり優生学的な原因で説明しようとするのはモロに優生思想でしょ。例えば日本のスポーツ選手が強くなり、オリンピックで優れた成績を残せるようになったのにお見合いの激減など効いているはずもない。はてな民からしたらめいろまなんか真に受けるなよといいそうだが、最近こういうなんでもお手軽に優生学的な理由を求めようとする人間が増えている気がするので真面目に反論しておく。
これはズバリ森喜朗のおかげ…もといtotoのおかげである。森喜朗もJリーグも好きではないが、今日の国際大会での日本勢の活躍の一因は間違いなくこのスポーツ予算にある。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14462004.html
totoの売上からは"毎年"200億くらいの予算がスポーツ振興に安定的に投下されるようになっている。メジャースポーツからしたら大した額に見えないかもしれないが、これにより従来個人の趣味の域を出ずスポンサーもつかなかったマイナースポーツへも強化予算が割り振られるようになった。パリオリンピックでの躍進目覚ましいフェンシングの分析をしたものが以下のツイートである。
Sato Josuke (Jose Sato)
@soccer_kozou013
いつの頃からかは不明なのですが、味の素トレーニングセンターに作られた広い練習場で定期的に候補選手の強化合宿が開かれていたり、学生の選手で将来有望だとみなされた選手のトレセンが頻繁に行われています。太田雄貴さんの活躍によりそれにさらに拍車がかかった印象です。
一昔前なら、フェンシングのようなマイナースポーツ(失敬)の国立トレーニングセンターなど想像もできなかっただろう。ちなみにスケボーも2017年からJOCに加盟しているのでそれなりの予算が出されていると思う(たぶん)。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/images/3980a.gif
こんな感じになっており、言うまでもなく90年代からの増加は女性選手のおかげであることは明らか。日本の男女平等は完全には程遠いが、宗教や経済的理由により女性がまともにスポーツをできない国はまだまだ多く、それらの国々に比べればまだマシであるおかげと言える。
80年代からお見合いが減ったといえ、今のスポーツ選手はその世代の子供にあたり、たかだか1世代しか経過していない。そのような少ない世代での効果などたかがしれている。さらにお見合いがなくなった80年代の価値観で言えば、男性の魅力は経済力という時代なのでスポーツ能力とは全く関係がない。スポーツができてモテるのはせいぜい中学生までくらいのものだろう。
品種改良をしようとするのなら優れた形質を持つもの同士を交配し、さらにその子孫もその形質で選抜しつつ交配を繰り返さなければならない。たかだか1世代経済力で選抜したところでスポーツ能力など上がりようもないのだ。(「最近の東大生は選抜されているから美男美女が増えた」というのも同レベルの寝言だろう)
人の意見に毀誉褒貶があるのは当然なので、反論したいわけではないですが、誤解は解いておきたいので追記します。
これはその通りで私の言葉足らずでした。ああいうのは優生思想そのものではなく、優生信仰とか優生信者とか優生陰謀論とかそういうのが正しいですね。
これもそのとおりです。増田は別に遺伝要素や環境が引き継がれる要素まで否定するつもりはないです。優生学にも科学的な要素はあると思っています。ただそんなにね、1,2世代ゆるふわな身体能力と関連性の薄いセレクションしたくらいで身体能力上がるわけ無いだろ!安直に優生思想で説明するな!遺伝学なめるな!と言いたかっただけです。
理論的には、特定集団を隔離して交配と選択を繰り返せば一定の形質をもった新たな品種を生み出せる、というのは育種学的に見れば当然の話だし、あるいは大集団でゆるい選択を長いあいだ続けることによって平均値を緩やかに変えていく、みたいな可能性はあり得ます。例えば木村資生博士はこの後者の可能性を提案しています。
という問題があって、具体的には2番めの点については木村先生はほぼ自明に賢いものを優遇しようと提案されていますが、目下の少子化で消滅がほぼ確定しつつある日本を見ると賢い人間よりマイルドヤンキーみたいな方が優れた形質なのでは無いかという気もします。家畜の場合「肉が多い方が良い」「産卵個数が多い」など具体的に目標を決めることができますが、人間の場合望ましい形質というのはそんなに簡単には決められないでしょう。(ただ木村先生の活躍された時代は少子化ではなく人口爆発が懸念されていた時代である、ということは背景にあります)
3点目もこれに関連していて、例えば「外見が優れている」価値観の中身などはすぐに変わり得るということです。平安美人は今の美人とかけ離れている…などと持ち出さなくても、イケメンの定義でも昭和と令和では全然違うという現実があります。石原裕次郎や高倉健は今の時代では顔の濃いおっさんフェイスだし、今風の顎が細く中性的なK-POPアイドル的容貌は昭和の時代では気持ち悪いカマホモ野郎扱いでしょう。高々30年(=1.5世代)程度あれば人の価値観はあっさり変わってしまうものなのです。
結局の所「優生学」にも科学的な部分はあるがその部分は「育種学」と呼ばれるものであり、このあたりの関係は「脳科学」と「脳神経学」みたいなものではないかと思っています。
ので難しい。
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10年以上自炊をしてきた。一人暮らしを始めた当初は、レタスとキャベツと白菜の違いもわからない体たらくだったが、試行錯誤の末に、自分を適度に満足させる料理は作れるようになってきた。わたしの場合、「沢山作ったちゃんとしたおかず」と「適当なおかず(豆腐や納豆、カットサラダ)」をループしつつ、コメや果物で隙間を埋めるというものだ。「おかずとごはん」がわたしの自炊の基本であった。「毎日台所に立つのはめんどう」だけど「四日に一度くらいなら料理をするのは楽しい」ので、自然とこういうかたちに落ち着いたのである。
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≪余談≫好きな適当飯は「豆腐かけご飯」。ご飯の上に温めた絹ごし豆腐を載せ、鰹節・すりごま・麺つゆを掛けたもの。最近は減塩のため麵つゆの量を減らしラー油をかけているがこれがまたとても美味しい。
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さて一人暮らしでならこれでよいのだが、家庭の台所を預かる身としてはこれでは不十分だろう。目下そこが最近の悩みである。
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ここでわたしの家庭の話をすると、夫婦二人暮らしだがいわゆる”週末婚”であり、夫は土日のみ帰って来る(諸事情あり、平日は夫実家で過ごしている)。夫には一人暮らし経験はなく、料理趣味はない。頼めばカレーやキャベツ卵炒めくらいは作ってくれるが、とてもハードルを感じているようだ。まあそりゃそうだろうと思う。わたしだって他人が管理している台所に立つのは嫌だ。
家庭料理の話をすると、現代においては二言目には「家事の折半」「男女平等」と言われる世の中だが、少なくとも我が家にはそれは当てはまらず、5/7は実質一人暮らしなのだからわたしにはハウスキーピング責任者としての振る舞いが要される。加えて自炊経験に大きな差があるので、台所の守り人としての責任もある。「適材適所」だ。
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というわけなので、少なくとも土日二日間はわたしには「まともな食卓」を構築する責任がある。
あるのだが……
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めんどくさいよ~~~
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極力努力はしているがたまに力尽きておかずが一種類しかないとか、コメが炊けていないときがある。
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その場合、夫は気を遣って、適当に食べたり外食したり、コメを食べて納豆ご飯で済ませたりしている。だがその「食べる」の内容がものすごく不健康なので(納豆2パック食べた後フルーツグラノーラドカ食いとか、とんかつ定食大盛り+蕎麦とか、ラーメン大盛りとか)つい「さすがに食べすぎでは…」と口出ししたくなり、でも家庭の原則としては「気になる方がやれ」である以上、じゃあ気になるならわたしが献立をコントロールしろという話になると認識しているのだが、だが……。
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はい。結論としては「じゃあ、やれ」ということになる。デモデモダッテ、と自分の中で言い訳する理由は結局のところ「めんどくさいんだもん」なので、じゃあそこは工夫と気力で改善すべきだろう。
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でもめんどくさいよ~~~
だいたい土日はわたしも休みたいんだよ~平日しぶしぶ料理をするのはお弁当を作る必要があるからなんだよ。
ほうっておいても健康的なもの食べてよ~~。栄養学について自分で学習して摂取カロリーを自分で計算して食生活改善してよ~長生きしてほしいんだよ~その食習慣で長生きするのはムリだよ~~~いろいろ持病もすでにあるんだしさ~~~~
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ギエ~~~~~~~~~~~~~