はてなキーワード: 理不尽とは
その確固たる事実が、私を奮い立たせてくれる。理不尽をやり過ごす勇気になる。
実際に奮い立ったこと一度でもあるのか?
私は学歴厨だ。
自分の大学よりも上なのか下なのか常に探りたくなる衝動に駆られる。
まあよくない事であるという自覚はあるが、そういう話が回りでされている時だけ
いわばゴキブリホイホイならぬ学歴ホイホイといったところである。
大人になってまで学歴厨なんて恥ずかしいと思うこともあるのだが、
うちの会社の理不尽クソ野郎どもが軒並み自分より低学歴又は同じ程度の学歴だからだ。
理不尽クソ野郎どもに囲まれて仕事をするのは地獄だが、ここで私の学歴厨が功を奏すのだ。
例えば理不尽に怒られたとする。
勿論、高3の模試がどうだろうが大学どこに受かろうが仕事出来るやつが会社では偉い。
それは100も承知で分かっている。いいか、ここ重要だぞ。それは1 0 0 も 承 知 で わ か っ て い る。
だが、心の中で、こいつは自分がすらすらといていた問題を解けなかったやつなんだろうなとか、
自分が発表を見て笑っていた掲示板サイトの前で泣いてたやつかもしれないんだなとか、そこまで想像すると
どんなに偉くなっても、最終学歴は消えない。お前がF欄卒だったっていう恥ずかしい事実はけすことが出来ない。
少なくともあの時、私の方が一生懸命頑張れた人間であり、難題をクリアできた人間であるという事実は絶対に消えないのだ。
その確固たる事実が、私を奮い立たせてくれる。理不尽をやり過ごす勇気になる。
そして、少なくともあの時は自分の方が勝っていたのだから、今の状況を打開することが不可能なんてことは絶対にないはずだ。
どうだ。本物の学歴厨は、自分を奮い立たせる道具にその性質を使うんだ。
学歴厨、なめんじゃねえ。
若干フェイク入れておくけど
保育園とか幼稚園とかでハロウィンパーティがあって、みんな思い思いの衣装を着ていた。
当時自分とは仲が悪かった子達が先生に「フェイスペイントやってー」みたいなこと言ったのか、
顔になんか描いてもらってたんだよ。
でも当時はフェイスペイント用の絵具とかはそういった場所にあるわけはなく、
おそらくプロッキーとかの水性マジックペンで描いてもらってたと思う。
それを見て自分も鏡見ながらプロッキーで描いてみて、先生に「見てみてー」ってやったら
めっっっっっちゃ怒られたのね。
いや、仲が悪かった子達には喜々として描いて、自分は怒られるの?!って理不尽さに泣いた。
これなんで怒られたかわかる人いる?未だにマジでわからないしフラッシュバックしたから書いてみた。
本人に悪いところがあるから死んでいいってことなら人間は皆死んでいい存在だよ。
軍師官兵衛がいうような「命の使い道」だなんて甘っちょろいこと言わずに理不尽にバンバン虐殺するのが悪の組織に必要なことや。降伏させて勢力を増やすのではなく被害が生じても皆殺しを選ぶべき。
むやみに部下を処刑したら組織のパフォーマンスが下がるとか、田んぼを耕す民がおらんとか、悪はそれだけで強いからそういうのは要らん。「みんなで力を合わせて戦おう」なんて悪やない。弱い奴は死んで当然というのが悪や。作物を育てるのではなく他者から奪うのが悪や。組織の持続可能性を考えるな。悪の親玉1人でも生きていけたらそれでええ。
正義側が侵略したら悪の陣営にも一般市民がいて、抵抗するので殺したら自分達も逆から見れば悪とかいう「もう一方の正義」なんか要らんねん。悪の陣営では弱い民はすでに皆殺しになってるから正義側が虐殺できるものは残ってないんや。
気持ちはわかる。
だけど、ロスジェネのひとりとして言わせてもらいたい。
ロスジェネ冷遇の被害者はロスジェネだけじゃなく、この国全体に及ぶということを。
なぜって、単純な話で、ロスジェネは数が多いから。団塊に次ぐ人口のボリュームゾーンだ。
生まれてくる子どもの数は、出産可能年齢にある女性の数と不可分であり、ロスジェネが次のボリュームゾーンを作らなかったら何が起こるか、予測するのは何も難しいことではない。
それがわかっていた当時の厚生労働大臣が「産む機械」発言で理不尽に吊し上げられたのが2007年。
既に数年遅いが、そのころならまだギリギリ間に合っただろう。しかしながら、結局のところ何ら積極的な策は打たれず、日本の崩壊は決定されてしまった。
その結果、これから何が起こるか。
これから20年で、かつてない勢いで人口が減る。一方で、介護や医療が必要な人は大幅に増える。
今当たり前のことの多くが、当たり前ではなくなってしまう。
これはもう決まっていることであり、首相が誰かとか与党がどうとかでなんとかなる程度の話ではない。
移民で解決という人もいるが、衰退する国にどんな移民が来るだろうか。
われわれロスジェネは、薄給で団塊世代を支え続け、支え抜いた後に振り返ると自分たちを支えてくれる世代はなく、逆にロスジェネのせいでこんなことになったのだと罵られながら、死ぬまで薄給で自分自身を支え続ける運命にある。
これはもう決まっていること。どうすることもできない。
あのころ本気で子育て支援策に取り組み、ロスジェネの就業支援をしてさえいれば、状況は違ったかもしれないのだから、ロスジェネが恨み言を言うのくらい許してほしい。
鬼滅を子供に観せんな!って日記に触発されて、オッサンの子供の頃の話をするよ。
オッサンが保育園児の頃、帰りのお迎えが遅い子たちは男女に分けられてテレビ鑑賞タイムだった。分けられてる理由は単に趣味趣向の問題。(男の子でも希望すれば女児向け部屋に行けたのかとかは知らない)
で、男の子の部屋、つまり幼稚オッサンのいた部屋は基本的にロボットアニメが流されてた。
オッサンの母親はそこの保育士だったので、自動的に帰る時間は子供の中でも最も遅い時間帯になっていた。
突然だが、オッサンは今32歳だ。これでピンとくるオタもいるかもしれないが、当時放送されていたロボットアニメの中でもガンダムシリーズはやはり金字塔だった。そしてこの頃に放送されていたのはVガンダム。
ガンダムなんてよくわかんないよって人にザックリ説明すると、Vガンダムはガンダムの中でも特に戦争のダークサイドにスポットを当てたヤツなんだ。割と当たり前のように人がバラバラになり、主人公の母親が頭だけになってたり、大人のエゴが暴走して主人公相手に児童虐待したり、差別的なニュアンスが仄めかされたり、やたら主人公(たち)が理不尽な目に遭ったりする。正直言ってとにかく暗いんだ。
製作者(脚本家だったかの責任ある人)があの頃はおかしかったと述懐するくらい悪趣味な作品なんだ。一応言っておくと、視聴に耐えられるなら駄作ではないらしい。オッサンは大人になってからも耐えられずロクに観れていない。
そして、中でも多くの視聴者に印象を残したとされる要素の一つがギロチンだ。完全にヤバイ顔とファッションをした女の人がおじいさんをギロチンにかけていた。
その時、首が落ちるシーンが明確に描写されたか覚えていないが、首が落ちたらしき音が流れたのは覚えている。「ゴト、ゴロ」みたいな音だったはずだ。
オッサン自身としては、子供に残虐描写を見せるなとか、昔はもっと酷かったんだよとか言う気はない。
これを見たから人格が歪んだとも、見ない人はもっとまともだろうとかは思わないからな。案外、幼い頃に観るアニメの影響なんてそんなもんだと思う。
Wikipediaによると、DaiGoは幼少期にいじめられていたらしい。
彼はお金=社会的承認に飢えている一方で(あるいは飢えているがゆえに)、既存の倫理観に対してかなり挑戦的だ。
彼のこうした人格には、当時の経験がかなり尾を引いているのではないかな、と思っている。
いじめられるに至った経緯は不明だが、興味は無い。いじめの経緯なんていつも些細なことだし、どうでもいい。
道徳の授業で、暴力はいけない、揉めたらよく話し合おうと教えられる。相手の人格に問題があったとしても、暴言や暴力を向けていい道理は無い。いじめは許されない。法に触れていれば犯罪だ。
しかし、建前がどうあれ、学校というコミュニティにおいては往々にしていじめが発生してしまう。学校には何故か警察は介入してくれない。彼の場合、頼みの綱の先生も助けてくれなかったようだ。
社会に適応的な人間からすれば、虐められた原因を正して社会と和解すればいいだけのことかもしれない。
しかしいじめられっ子は、たまたま生贄に選ばれてしまっただけだ。仮にいじめられる側に原因があったとしても、どこを正せばよいのか伝えられないまま、突然暴力によって存在を否定される。いじめられっ子からしてみれば、理由はどうあれただ理不尽に暴力を向けられただけである。気に入らない奴に暴力を振るい、尊厳を踏み躙り、見て見ぬふりをするという社会の悪性を一身に向けられたいじめられっ子は、果たしてそんな社会の仲間でありたいと思うだろうか?
ひとたび社会の強烈な不正義に晒された人間からしてみれば、適応は不正義への降伏に過ぎない。
彼がナタを投げるという脅迫によっていじめを克服し、しかも本人がそれを成功体験としているのも悲しい話である。
周りの大人や先生が助けてくれたなら、まだ世の中捨てたもんじゃない、正義だってある、自分には味方もいると思えたのだろう。そうした経験を欠いた彼の世界には、おそらく未だに愛も正義もない。自分の行動によって世界は変えられるという本人の言は、承認は行動によって勝ち取るしかないという不安の裏返しではないだろうか。
無条件の承認も社会への帰属意識も身につけられなかった人間は、自分に居場所があることを確認するため、社会的承認をかき集め続けなければならない。
これこそ彼が、目に見える成果が出るまで時間のかかる心理学研究でなく、すぐにお金を稼いで世間に自分の非凡さを思い知らせられる、うさんくさいパフォーマーとしての生き方を選んだ理由ではないだろうか。
私は、彼の信じられないほど酷薄な発言も幼少期のいじめに由来するのではないかと考えている。
非納税者を蔑視する発言は、相手にされないことへの不安から来たスタンドプレーという一面もあるが、既存の倫理観への不信からくる本音でもあるのだろう。暴力はいけないという一般論を教育されつつ暴力を振るわれた過去故に「口でいくらヒューマニズムを謳っても、本心は違うに違いない」と思っているのではないだろうか。
別に私はDaiGoも被害者だから哀れむべきと言いたいわけではない。理由はどうあれ、非納税者への福祉に関して無理解なまま、倫理にもとる発言をしたことは批判されてしかるべきである。
しかし「悪い奴だから懲らしめてやる!」と義憤に燃えている人は、自身が正義などではなく、気に入らない人間を積極的に排除しようとする側、いじめっ子気質の人間であることを認識した方がいい。
自分の非を認めていない人間に数の暴力でサンクションを与えたところで、暴力によって従わされたという心の傷が残るだけではないだろうか。
DaiGoの件に関して言えば、浮浪者への差別発言の問題点を大して理解していなそうな人まで「レイシズム=ナチス=悪」という借り物の価値観で脊髄反射敵に叩いているのも気持ち悪かった。Twitterで支配的な反レイシズムという規範に沿わないという理由で叩くのなら、クラスの空気に沿わない人間を吊るすいじめと大して変わらない。
DaiGoのように成功者になって世間を見返すのに躍起になり、果たしてそれが上手くいったとて、こんな風に問題行動を起こしてしまう。
逆に完全にいじけて人生を放り投げれば、黒子のバスケ事件の犯人のように社会の敵になる。
これらは元いじめられっ子の中でも極端な例である。しかし私には、帰属意識の喪失や社会の正しさへの不信、自尊心の低さ、自分の影響力を確認することへの執着といった、いじめによってもたらされる人格の歪みが遠因になっていると思えてならない。
手立ては色々ある筈だ。
これまでの話は全部私の臆測であり、一から十までこじつけである。どこかに論文があるわけでもないし、私は何の専門家でもない。
しかしDaiGo本人がオリジンとして語っている以上、暴力による自力救済でいじめを克服するしかなかった経験は、彼にとって大きな意味を持っていたのだろう。
DaiGoをいじめたりそれを傍観したりしていた同級生、彼を救えなかった教師、もしかすると「やっぱアイツ変だったしな〜」などと考えていないだろうか。
お前らが歪めたんだ。
もともと会社員だったが、妻の要望もあって育休は最低でも一年、できれば二年取得するつもりだった。
これ子供つくれないわ。
家計は共働きではなく俺の一馬力。残業代込みでようやく生活できてる状態。貯金はゼロ。
妻は身体が弱く病気も多いので、仕事には向いておらず、また出産直後の大変さも大いに予想できた。
当時の収入ではどう計算しても、育休を取得して国からの7割の補助金のみが唯一の収入源になったら、夫婦2人の生活ですら破綻する、ましてや子育てなんて無理だと思った。
会社の同僚はどうしてるんだろう。
と思って相談したが、うちで育休を取得した事があるのは女性社員1人。
聞けば補助金+夫側の稼ぎで乗り切ったらしい。
じゃあと思って男性社員に聞いてみたら、育休をとる選択肢を持ってる人間が誰も居なかった。
なぜか。
シンプルに金が無い人ばっか。
もし育休取得したらバイトして稼がないと暮らしていけない。そうなったら本末転倒なので結局育休は取れない。
最終的に育休を諦めるか、子供を作らない選択肢をとる人も多かった。
会社は決して育休取得に無理解な会社ではないと思う。育休とってもキャリアに響いたり理不尽な左遷に遭ったり部内でイジメに遭う事も多分ないだろう。
でも、この会社にいる限り育休取得なんて無理だと思った。
俺は散々悩んだ末に、会社を辞めて起業する事にした。リスクは大きいけど、上手くいけば労働時間を削ってかつ収入は増やせるから。
下手すれば妻を路頭に迷わせるが、コレしか無いと思う程に精神的に追い詰められてた。
そして今は自営業者をやっている。
幸い適性があったのか運に恵まれたのか、今は会社員時代の半分以下の労働時間でもそれなりに稼げてる。
時給換算したら以前の倍くらいか。
最初の1〜2年はトータルで収入は大きく下がり苦労したし借金も作ったが、3年目くらいから会社の収入に追い付いてきた。来年は会社員時代の収入超えてると思う。超えてるといいな。
予定より歳を食ってしまったが、もし年齢的問題で不妊になったら、その時は潔く諦めようと思う。
で、俺が言いたいのは、起業しろとかそういう事じゃないんだよ。
よくネットニュースで男性の育休問題を取り上げる際に、家計の問題をスルーしてるのは何故?って事。
育休取得関連のニュースに載ってる謳い文句と言えば、男性の意識改革とか、マタハラで育休取得した男性が出世できないとか、会社の上司の無理解で育休取得に積極的になれず〜、みたいな精神論の話はよく読むけど(それも大事だけど)、生活費とか育児費用の話を書いてる記事が殆ど無い。
正直冷めた目で読んでいる。
俺にはもう必要がないものだけど、全国の子供つくれない家庭の為に国はもっと補助金出してくれよ。
半年後に50%になったらやっぱり暮らしていけない家庭は多いと思うよ。
そしてメディアは、育休中の金の問題にもっと焦点を当ててくれ。
やってる店のgoogleの口コミに理不尽な書き込みされて辛い
営業時間外に電話8回かけてきて「こちらが電話しても居留守使います。2度と行きません。悪質な店。」って。(もちろん自分が営業時間外にかけたことは書いてない)
キチガイの絡みは防ぎようがなくて怖い
ふと思ったが、最近従業員とオーナーがもめている所を全く見かけない。それもそうか、最近は人の入れ替りがあまりない。私が働き始めたときはバイト歴2年未満の人が多かった。今はここ一年以内に働き始めた人は二人しかおらず、二人とも真正面からオーナーに意見するタイプの人ではない。
基本的に昼勤のパートさん達は血気盛んというか目茶苦茶気の強い人揃いらしいのだが、シフトリーダー以外とは私は接点がほぼ無いので、最近どうしているのかは知らない。シフトリーダーはシフトリーダーになって以来益々アグレッシブにオーナーに立ち向かっていて、オーナーの方が諦めているようだ。シフトリーダーが頑張って夕方に揚げ物を沢山揚げていくので、私ども夕勤・夜勤勢は「これマジで全部売れると思ってんのかよ?」と眉間のシワを深くする日々だ。
しかし、シフトリーダーも最近は仕事よりも家族に顰蹙を買いまくっているらしい道ならぬ(?)恋に夢中な様子。揚げ物の大量廃棄が生じる問題以外は平和な日々。
従業員とオーナーが揉めない理由がそういえばもう一つあった。今は派遣の従業員がいないのだ。派遣の人とオーナーはよく揉める。派遣の人は、手取りは直接雇用のバイトとさして変わらないのだけど、店から派遣に支払われる給料はすごく高いので、オーナーは派遣の人に過剰に期待して(給料ぶんひとよりも動けと。)、大概期待外れなので、きつく当たる流れになりがち。派遣の人のほうも、きつく当たられても引くことがない。
昨日は常連客の虫の居どころが悪かったらしく、特にやらかした訳でもない私が盛大に八つ当たりをされた。腹が立ったので、私はいつもは「ありがとうございました、またお越しくださいませ」というところ、「ありがとうございました。」しか言わなかった。たとえ毎日来る客とはいえ、八つ当たりという甘えを受け入れるほどの義理などないので、もう来なくてどうぞ! という気持ちで他のお客様に気づかれないレベルで仕返しをするのだ。
八つ当たり客が帰ったあとになって思ったが、八つ当たり客が貧乏ゆすりしながら「キャスター」と言った時に、私はいつもこの人がキャスター1ミリのロングを注目するからと、つい忖度して、いつも通りに取って来てしまったが、それは失敗だった。そういう時は、
とあえて聞いて客をキレさせるのが最善手だ。下らないことでキレ散らかすのは客の方の恥だし、こちらにとっては「お前は特別な存在でも何でもない」という意思表示になる。理不尽に怒鳴り散らされたって痛くも痒くもないし、暴力を振るわれたらその場で警備員呼びつつ110番である。
なんか、煙草を番号で注文しない奴って、こう唐突に横柄になるとかろくな客ではないことが多いので、本当に二度と来なくてどうぞ! の精神で対応してこ。
1ヵ月ほど使ってみた。
安い、圧倒的に安い。
開封してイヤーカバーが一つ少なかった時は不安を覚えたが、メールで問い合わせると数日でイヤーカバー一式が送られてきた。迅速な対応だ。
予備が増えて得をした気分だ。
音飛びが少しあるが、実際の音質は、まあこんなものだろう。
値段相応、ではないな。
値段に相応なら5000~8000円あたりだろう。
完全ワイヤレスでこの値段に1万越えの性能は求めるのは理不尽を通り越して白痴に近い。
結果として複数個買って色んな場所へ置いておいてもいいくらいには満足だ。
家では良いのを使えばいいだろう。
かかりつけ医ナシのみんなは、ウソをついてワクチン打つか・打たないか、の理不尽な二択を選んできたってことかい? どうしてそれを今日まで疑問視してこなかったのか。
理由は「コミュニティメンバーのリーダー含めた複数人があなたのことを苦手に思っているから」という理由だ。リーダーからDMがあり、その日のうちに
コミュニティ(以下コミュ)を自主的に去るという形を俺に取らせ追放した。(文章にするとえらい最低なことをされたと本当に思う)
ならばそこで今までのことを反省すればいいと
思うだろうが、俺は全く持って心当たりなどなかった。
いや、後から考えればあるにはあったが、
その言葉を告げられた時さっと思い付かないぐらいには
目立った行動はしていないと思っていた。
さらに、「複数人から嫌われている」と伝えられてしまったがために
そのコミュにいた全員に俺のことが不快であった可能性が出てしまい、
一気に信用が置けなくなってしまった。
さすがに全員ではないと思うが、それでも一度疑ってしまうと
拭えない心境であった。
自分も考えていなかったわけではない。
具体的に避けられているなと感じていたのはリーダー含めた2名のみ(?)
で、
今思えば彼の言動は何度か遠巻きのメッセージだったのかもしれない。
やはりリーダーは俺がいると居心地が悪かったようで、
話しててズレるとか、遮られて不快とか、一緒にゲームしたくないとか
結構言われた。
俺は相手を攻撃しようとして彼らに発言したわけではないからだ。
悪意など微塵もなかった。
にもかかわらず誤解されそれを解消する時間さえ与えてはくれなかった。
注意→警告→アウト みたいな流れはなく
いきなりアウトになってしまったらしい。
いや、本当はもっと手前のタイミングで終わりは来ていたんだと思う。
彼はDMの中でこう言っていた。
「君と一旦距離置いてみたり、頑張ってみたりしたけど、それでも無理だった」と。
俺はこれを100割虫の良い嘘だと考えているが、
もしこれが本当だとすると
コミュ全体が困っている。
しばらく考えたけど
答えは変わらなかった。
追放するか。
そんなとこだろうか。
彼の態度や行いに対してではない(それなりに腹は立てているが)
本当の問題は、
とってしまっている ということだ。
いや、そこに限らず、これまで関わってきた人が
俺と付き合っていて不快な思いをしていて、
それに俺は気づけないでいたのか?と思った。
そう思い
今までの言動を猛省した。
そうだ、あの時も、あの時も…
思い返せばわかることだった。
しかしその時は止められなかった。
何も喋らず過ごした方が
いいとさえ思った。
だが、光はあった。
俺にこのことをはっきり伝えてくれた
リーダーのことだ。
彼だけが、形はどうあれ、彼なりに向き合い、
だから、彼は嫌いにはなれない。
かといって好きでもないが。
彼とは二度と会わないことを願うが、
苦手なことと向き合える強い心を持つ
彼は、きっと目標を達成できるだろう。
彼はそれができる人だ。
俺の気分はクソだけどな
流れに乗っかってお気持ち表明するようで、それはそれでクソダサだろうなと思いつつ、ずーっと思っていたことをちょっと書き出してみようと思う。
学生の時だからもう15年とか前か。それどころか20年近く前なのか?私は当時アジカンが好きだった。リライトから入って、ソルファと君繋ファイブエムはものすごく何回も聴いた。特に海岸通りっていう歌が、春になればずーっと聴いていたいくらい好きだった。
お金も時間もなかったし、ロックバンドのライブなんて行ったことなかったから、アジカンも見に行けたわけじゃないんだけど、だからその程度で好きとか言うなよって言われるかもしれらきんだけど、バンドのウェブサイトもよく覗きに行ってたし、そこに載っていた後藤さんの日記を読んだりもした。ものすごいユーモアとセンスがあって、何回も笑わせられたし、読みやすくてテンポもよくて、好きな文体だなと思った。
おかしいなと思い始めたのは、マジックディスクあたりからかな。サーフブンガクあたりからかな。
私は曲を聴く時にものすごく歌詞を聴いちゃう人で、歌詞が好きだとそのアーティストを好きになりやすい。ソルファも、そう言うポイントで好きなアルバムだった。
特に理由もなく離れていた時期があって、久しぶりにアジカン聴きたいなと思って手を出したのが、サーフブンガクとマジックディスクだったと思う。この辺りから、「世の中」と「大人」に対する、ネガティブなイメージの言葉が歌の中に増えていった。
「おかしいな」の違和感が決定的になったのは、東日本大震災の後あたりだったろうか。あのあたりから、思い切り反原発の話をし始めた話だったと思う。ここで完全に、アジカンは私にとってnot for meになった。
アーティストが政治の話をするなとは思わない。興味がないよりあったほうがいい。考えていた方がいいに決まっている。
それが何らかの形で発信されたとき、自分の考えと合わなかった時は致命的だ。その人たちの作り出すものがいくら好きでも、世の中のことは、つまり後々自分の生活に影響していく。その向く方向が違うのに、私は心地よく好きでいられない。
災害とか、不況とか、自分の手の及ばない理由で辛い思いをするのは、理不尽だって思う。クソだなって思う。思うんだけど、それ本当に全部世の中のせいで、全部世の中を動かす大人のせいなんかねって思っちゃう。
そりゃ私だって、10代の頃は大人ってクソだなって思ったことはあるよ。あるけど、実際学校出て仕事始めて、そんな簡単なことじゃないんだなって思ったんだよね。
思ったし、じゃあどう思うか、どうするかを決めるのは、結局最後は自分なんだよな。余裕のある時より当然選択肢は限られるけどね。そう思えるのは、私が今までありがたくも平穏に生きてこられただけかもしれない。いいさ、平和でお花畑な頭だって言われても。
後藤さんがいきなり政治的なことを言い出したわけじゃないっていうのは、多分その通りだ。大震災の後から、正確にはその少し前から、後藤さんの世の中に対する考え方が合わなかった。個人の考えどころか、それが作品=歌にも、「大人って、あーあ」みたいなのが滲んでいたから、彼らの歌を私は聴けなくなった。
そして今も、フジロック2021での、自身のバンド内ではないアクトのことで話題になっている。
大人は、世の中はクソだって云うけどさ、あなたも大概、もう十分大人じゃないのさ。
ロックなのかロックじゃないのかみたいなことは分からん。好きが過去形になって、もう遠くに行ってしまったのは、なんだかただただ虚しいよ。