はてなキーワード: 教員免許とは
低賃金なのはどうかと思うけど、これって大半は旦那がいてその収入に頼れる既婚女性が小遣い稼ぎ程度でやってるんじゃないの?
こういうの、労働ダンピングってやつだよね
シルバー人材センターとかでも起きてる現象。
昔どっかの教授(さえぼうさんと訴訟になった人だっけ?)がこういうのを『セレブバイト』と揶揄していて、その人の他の発言はともかく、それに関しては正しいと思った
スキルのある人材が、家庭に主な稼ぎ手が他にいて食うに困らないのをいいことに安請け合いして低賃金で働くから、
自分の収入だけで生きていかなきゃいけない人達が巻き込まれて迷惑するんだよね
図書館職員、7割以上が非正規「生活できないほど低賃金」 待遇改善求め、関係団体が集会
https://www.bengo4.com/c_5/n_17635/
日図協では、学校図書館職員を対象に、2023年11月から2024年1月までウェブで調査したところ、893人から回答を得た。回答者のうち、女性が9割以上を占めており、年齢も40代と50代が多かった。
8割以上の人が司書資格を持ち、教員免許を持つ人も3割いた。しかし、正規雇用は2割を切っており、回答者の6割が、配偶者など自分以外の収入源が主な世帯の収入源であると回答している。
ただの愚痴。
職業差別のようで申し訳ないのだが、自分は社会人になって、教員という職業を持つ人間に対してマイナスイメージを持つようになってしまった。
詳細は伏せるが自分がお世話になっているスポーツ系の社会人サークルに所属している知り合いの教員はどなたも癖が強く、周囲から妙に浮いてしまう特徴がある。思いつくままに列挙する。
→例えば試合の後疲れて少しみんながダラけているとき、2☓歳くらいの小学校教師が「お前ら、とっとと動けぇ!」と罵倒混じりで叫ぶ。
本人は「仕事のクセで〜」と言ってるのだが、異常な行為に周りが引いていることに気付いていない。
試合中も他人への非難や半ば指示に近い提案をされることが多く、自分もその人にはとても気を遣いながらプレーしている。
そもそも、仕事ですらない対人コミュニーケーションにおいて、人に何かを強制・命令するということに違和感が拭えない。
「あの人のプレーは雑だ」「あの人はうまいけど一緒にやりたくない」など、他人のプレーや言動を当たり前のように批評する。
後は「〇〇ちゃん、〇〇に言い寄られて嫌いになったらしいですよ」などと他人のネガキャンもしないで欲しい。
これに関しては、もうなんというか、「普通言わんだろ」としか言いようが無い。
それなりに勉強がてきなければ教員にはなれないと思う。社会的地位、イメージ、高い仕事だ。教員というだけで立派に見える。それはわかる。
だが、「私昔から勉強はできたんですよね」とか、「地元の中では一番の高校へ〜」とか言わんでくれ。シンプルに痛々しい。
褒めて欲しそうだから褒めてやってるが、一般的な社会人の運動系サークルで学歴自慢なんて普通はしないんだよボケが。
優秀か否かなんて、「どこを基準に置くか」でどうとでも変わるだろうが。
勝てるフィールドを基準に選んでイキるなんて謙虚さの対極だろう。
申し訳ないが、自分は教員をそんなに頭の良い人間と思っていない。
自分は学生時代、理学の専攻だったので「アカデミックな研究や技術の世界について行けなかった人が目指すもの」というのが実態としてあった。
ただ、理学の人間が教員免許を取るには卒業に必要な単位に加えて追加での単位取得や実習が必要。
実際、教員免許はあるが民間で技術者をやっている知人は頭の回転が早く、尊敬できる人が多い。
・上記の問題に本人達が一切気付かない、もしくは気付いていても全く気にしない。
サークルで問題を起こしたり、主催に注意を受けても翌週しれっとやってくるのが彼らで、あまり反省しないというか、異常にメンタルが強い。
あと一切練習に来ないのに試合だけ出たがる人、若者が多い中にオッサン(どっかの中学の教頭らしい)が話割って入ってきたり。
なんなら関わりたくねえんだ、俺は。
ただの愚痴。
職業差別のようで申し訳ないのだが、自分は社会人になって、教員という職業を持つ人間に対してマイナスイメージを持つようになってしまった。
詳細は伏せるが自分がお世話になっているスポーツ系の社会人サークルに所属している知り合いの教員はどなたも癖が強く、周囲から妙に浮いてしまう特徴がある。思いつくままに列挙する。
→例えば試合の後疲れて少しみんながダラけているとき、2☓歳くらいの小学校教師が「お前ら、とっとと動けぇ!」と罵倒混じりで叫ぶ。
本人は「仕事のクセで〜」と言ってるのだが、異常な行為に周りが引いていることに気付いていない。
試合中も他人への非難や半ば指示に近い提案をされることが多く、自分もその人にはとても気を遣いながらプレーしている。
そもそも、仕事ですらない対人コミュニーケーションにおいて、人に何かを強制・命令するということに違和感が拭えない。
「あの人のプレーは雑だ」「あの人はうまいけど一緒にやりたくない」など、他人のプレーや言動を当たり前のように批評する。
後は「〇〇ちゃん、〇〇に言い寄られて嫌いになったらしいですよ」などと他人のネガキャンもしないで欲しい。
これに関しては、もうなんというか、「普通言わんだろ」としか言いようが無い。
それなりに勉強がてきなければ教員にはなれないと思う。社会的地位、イメージ、高い仕事だ。教員というだけで立派に見える。それはわかる。
だが、「私昔から勉強はできたんですよね」とか、「地元の中では一番の高校へ〜」とか言わんでくれ。シンプルに痛々しい。
褒めて欲しそうだから褒めてやってるが、一般的な社会人の運動系サークルで学歴自慢なんて普通はしないんだよボケが。
優秀か否かなんて、「どこを基準に置くか」でどうとでも変わるだろうが。
勝てるフィールドを基準に選んでイキるなんて謙虚さの対極だろう。
申し訳ないが、自分は教員をそんなに頭の良い人間と思っていない。
自分は学生時代、理学の専攻だったので「アカデミックな研究や技術の世界について行けなかった人が目指すもの」というのが実態としてあった。
ただ、理学の人間が教員免許を取るには卒業に必要な単位に加えて追加での単位取得や実習が必要。
実際、教員免許はあるが民間で技術者をやっている知人は頭の回転が早く、尊敬できる人が多い。
・上記の問題に本人達が一切気付かない、もしくは気付いていても全く気にしない。
サークルで問題を起こしたり、主催に注意を受けても翌週しれっとやってくるのが彼らで、あまり反省しないというか、異常にメンタルが強い。
あと一切練習に来ないのに試合だけ出たがる人、若者が多い中にオッサン(どっかの中学の教頭らしい)が話割って入ってきたり。
なんなら関わりたくねえんだ、俺は。
小学4年生か5年生ぐらいのときにちんちんまんまんセックス妊娠コンドーム初潮オナニー辺りの話は一通り聞いたと思う。
「男の子の性器はおちんちんです。女の子の性器はおまんこです」
「男の子はおまんことか見たこと無いかもね?でもこれは簡単に見せちゃいけない場所なの」
「たとえば増田くんがアノ子ちゃんに「おまんこ見せて」と言ってもアノ子ちゃんは簡単に見せちゃダメなんだよ」
みたいな感じで淡々と進めてたな。
そんで俺がまさにここで「まんこ見せて」と言ったことにされた増田くん。
マジでさ、この一見からアノ子ちゃんとはなんかギクシャクするようになって全然話とかしなくなった。
教師からしたらちょっとしたその場の表現に20人いる男性生徒の中の運が悪かった奴の名前を借りただけなんだろうな。
でも俺はハッキリと傷ついて今でも覚えてる。
ぜってえ許さねえぞ糞女って怒りが今でも残ってる。
でも憎しみだけは残ってる。
性教育ってセンシティブな話題だからさ、単に教員免許取っただけの三流大卒にやらせるのってどうなのみたいな意見の本質はここだろうな。
だってクラス40人の前で「増田くんってたしかにセクハラしそうだよな。なんかこうサイコパスっていうかアスペっぽいつーかKYっつーか。そういう所あるからああいうときに名前が出るんだよ」みたいな扱い受けたんだよ?
マジで。
あれ?なんの話だっけ?
私は今年28歳になる女だ。
就活に失敗してとんでもないブラック企業で足掻くこと3年、運良く大手の会社に転職できたため、婚活をはじめてみた。遅い年齢であることは分かっていたが、やはり年齢的に同世代のいわゆるハイスペ男は市場から撤退した後だったことに薄々気づきはじめた。
私はそこまで可愛くなく、愛嬌も無い。男に媚を売るのも嫌いである。おまけにコミュ障で、そんなに洒落っ気もない。そんな28のフツメンババアなど婚活市場ではまあ無価値だ。
だが、私は子供が好きだ。大学では高校の教員免許を取り、仕事もずっと教育関係の仕事をしてきた。いつか自分の子供を持ちたいとずっと夢見てきた。それだけは、どうしても諦めたくない。私のエゴであることは分かっている。
ならば適当な男でいいじゃないか、と思うかもしれないが、先行き不透明な時代を生きる子供のことを考えると、せめて容姿とIQだけはいい物を授けてあげたい。
それが、過酷な時代を生きる子供の武器になると思うからだ。ただし、これはあくまで可能性の話であって、勿論どんな子供であっても生まれたからには大切に育てるつもりだ。精子を選ぶという部分においては選択権は私にあるので、高スペックで生まれてくるために自分でできることの最善を尽くすべきであるという考えである。
これは何においてもそうだと思うが、全力を尽くした上でダメだったら現状を受け入れやすくなると考えている。
私のスペックで捕まえられる男との間に出来る子供と、優秀な精子との掛け合わせで出来た子供、どちらが幸せな人生を送れるか考えた時、私は後者だと思った。
この決断を正解にできるよう、頑張っていく。
まさかこんなに読まれると思わず、全てのコメントをありがたく読ませてもらっている。
一つ追記したいことがある。私は昔からおしゃれや化粧がとても苦手で、嫌いだ。人並みに頑張ってはいるが、近年のトレンドである全身脱毛やプチ整形などは、本当にやりたくない。
正直なところ、婚活アプリなどで男と会う前、化粧品を漁ったり洋服を漁ったりしていると無意識に動悸がするし、涙が出てくるくらい辛いのだ。美という客観的指標がないものに、時間とお金をかけている自分が辛くて辛くてたまらない。勉強より就活より受験より何より辛い。だから、私は市場から撤退する。
追記2
両親揃っていないと不幸だという社会は、一人一人の思い込みがそうさせてるんだと私は思う。
つまり、両親が揃っていないと不幸だということにしたい、そういうことにしたい人たちが多いんだと思う。
それがなんでかは分からないけれど。
追記3
肯定コメントや応援コメントがちらほらあって本当に嬉しかったです。世の中捨てたもんじゃないね。子供のために頑張って稼ぐよー
追加4
私は風呂でアベマニュースを見るのが大好きなんだが、冒頭にこのブログのことが取り上げられてて危うく溺れそうになった。マジか。
うちの実家は薄味系のメシマズで、袋麺ですら同封されてる粉を半分に減らすアレンジでまずくしたうえ冷凍のミックスベジタブルを大量投入してさらに薄味にされていた
減らした粉は捨てるしかないので、節約にはなってないが後述の理由により節約目的があるかもしれない
どうやら私の父が今でいう発達障害の感覚鈍麻で、自損の交通事故で大怪我をしてるのにバイクを引きずって自力で帰宅する、若い頃から話しかけても全く聴こえていない、味をなにも感じていない、臭いを感じないため、食事中に異臭のする薬品を塗りたくるなどで特に母が迷惑していた
あと無意味な節約行為で気分が良くなるタイプのため、ガソリン代をかけてまでかなり遠方の安いと有名なガソリンスタンドに出向きガソリンを入れてくる、かなり遠方の店をハシゴして底値の使わない物を買い集めて来るなどが趣味である
そのため袋麺やカップ麺に付属の粉も半分だけ入れて残りは冷蔵庫に溜めていたが、当然他に使い道がないので大掃除の時に全て捨てるだけである
父は味覚鈍麻により、粉全部を入れた味と粉半分の味の区別がつかないのである
母は迷惑しつつも昔の人間なので夫の希望をできる限り叶えてあげていた
まずいと思いながらも薄味料理を作り、今聞けば父は海外駐在により国内勤務の同僚の倍くらいに高級取りだったのに、無意味な節約行為を手伝っていた
残ったふりかけは袋の口を折って次回まで保管させられた
薄っすらとしか味が付かないご飯は、唾液が出すぎてかえってまずかった
そうして出された薄味料理に慣れたため、特に日曜昼に父が自作しがちだったラーメンやピザ自体がまずい料理だと思っていた
それで子供の頃はかなりの少食だった
母は子供は太らせないといけないとプレッシャーを感じていたようだ
私が食べないと、まずい料理を半狂乱で食べさせようとしてくるので結構ストレスだった
そして現在、調理実習のトラウマとか、調理と別分野の学科で家庭科教員免許を取ったため必修で大学まで調理実習をやらなきゃいけなかったとかそういう面でも嫌なことが重なりすぎて、私は順調に料理嫌いに育ち、料理をすると主にSNSで発狂するので、それを許してくれ、食事の用意を肩代わりすらしてくれる優しい彼氏と結婚した
彼氏は診断済みASD混じりのADHDで、私もADHDを疑われる特徴があるので検査は受けたが生まれつきの発達障害ではまったくなく、知能が低いとか分野によるばらつきはなく、性格ですねと言われた
子供が産まれてから知ったけど、育ちによるストレスとか色々で発達障害っぽい特徴が出てしまうみたいなやつなのかな
その子供も早産フォローアップで診断された、ASD混じりのADHD
私は料理をしないので出来合いのものを買うか外食しかしないし薄味はまずくしか感じなくなったため濃い味しか買わない
夫は作るけど趣味により基本的にキャンプ飯、めちゃくちゃ濃い味好みだ
あとすごく貧乏で一番安くて黄ばんだ米をリサイクルショップで一番安かった小さい炊飯器で炊いていてすごくまずかったので、濃い味のカレーやチャーハンに加工しないと食えたもんではなかったという経験由来でもある
子供は味覚過敏からか、辛いものだけでなく少しでもしょっぱいもの、すっぱいものも含めて「辛い、痛い」と言って食べられない
モスバーガーに入っている普通のケチャップが辛すぎて泣いたレベル
甘いものも「甘すぎる」と言って食べられない
少し苦いものだけは好きなようで、カフェインレスコーヒーやお茶をよく飲んでいる
外食でもお子様ランチは食べられないので、私も夫も食べないサラダなどを別で注文しないといけなくて金がかかる
しかも少食なので半分以上残す
共働きなので、平日の放課後は私の実家に預けており、そちらの薄味料理は食べられるようだ
でもやはりかなりの少食
私の母は子供を太らせないといけないというプレッシャーを実の子以上に勝手に感じてしまい、度々金切り声を上げていることに関しては双方の心情が心配だ
「太らせなくていいよ、私も身体は健康に育ったんだから」と母には話しているし頭ではわかってくれていると思うが、あのプレッシャーは生物的本能由来か私の知らないトラウマ由来?みたいなもんで理性ではどうにもならないのかもしれない
子供の味の好みは実家と合ってよかったが、私と夫とは全然合わない……
もう薄味には戻りたくないし作れない……
どうしよう……
わざわざ教員免許を再取得した人ってどれくらいいるんだろう
入ってすぐの奴らに銃撃たせるなーゆうのは正解やと思うわ。
まあここに居ても未来ない癖に潰し効かんなーで辞めたくち。
口が悪いっつ―か「こういう喋り方したら相手の神経逆撫でするだけだよな―」って普通は飲み込むような表現平気で使うんな。
特に年食ってる癖に曹長にも准尉にもならんで1曹2曹で楽しよ企んどる奴らがほんま常識ないんよ。
あーまー年食って3曹続けてる奴らは論外なんで。
意図的に出世嫌がってるような奴らだいたい世の中舐め取るかんな。
いい年こいて正社員断り続けてる飲食バイトみたいな精神性の連中や。
あー話逸れたし一回行開けるで。
自衛官なー、アイツラなー「とりあえず罵倒しておけば相手は言う事聞く」みたいなノリやねん。
実際には「指導しなきゃいけないのは頭でわかってるけど、どういう指示出せばいいのかさっと思いつかんから、とりあえず『注意だけは頑張ってしましたよ』っていう言質作りのためにひとまず強い言葉使っとけ」って感じやね。
マジクソー。
本気で指導したいんじゃなくて単に「僕は頑張って指導したんだけどな―」って言い訳作っときたいだけ―。
マジクソー。
マジ舐めとんよな。
そんな「僕は注意したんだけどな―」が通るのなんて一般社会じゃせいぜい高校の委員会までちゃう?
インカレでそんなんやったら「なんやコイツ……こんなこすっからいカスやったんか……」でムラハチされるよな。
地元の高校に会ったやろ中学校で世界止まった奴らを収容してる高校とは名ばかりの中学4~6年生が通ってるガッコ。
あれなーあれの延長で中学40年生やってる奴らがいる世界なー。
本気で問題解決したいんやなくて単に「僕ちゃんセンセーに怒られたくないよぉ」で終わりなんよなアイツら。
マジでアイツら二言目には「怒られるのは私なんですよ」言うかんな。
「書類がちゃんとしてないとあとで問題が起きるので」やないんよ自衛隊の世界は。
「偉い人に怒られたくないから言われたことは守らなきゃ」なんだよ。
マジか?
パパママ先生ガミガミおじさんが神様の世界から卒業しないままアラサーアラフォーアラフィフやっとんか?
マジビビルやろ。
「これやっとくと怒られないらしいな」っていう虫ケラの条件反射、エターナル・パブロフ・ドッグスやからな。
んでまあそんな奴らにありがたーいご指導ご鞭撻を頂く期間が自衛隊にはあってな、その時はマジで理不尽よ。
何が理不尽って「理不尽への耐久力を高める」というお題目の元テッキトーに罵詈雑言飛ばしてるだけの指導と言う名のシゴキという名のごっこのおべんちゃらの茶番のイビリを延々受けることやね。
これで何が学べるって「あー自衛官の言語能力ってカスやなー」っていうことだけよほんま。
言う事コロコロ変わるの当たり前やけど半分ぐらいは伝言ゲーム下手くそすぎるのが原因なのに「どうだ!これが理不尽だ!ガッハッハッ!」だからな。
授業中に先生の書き間違い指摘して「試したんだよ」って返ってくる定番のボケあるやろ?
あれ延々聞かされるんよしかも逆ギレ気味に毎日毎日んでもってずーっと正当化されるんだわ。
ムカツくでアレわ~~~。
まあこれも社会勉強やなーってもう途中から完全に辞めるつもりやったから耐えられたけど、あれ本気で相手してたら脳みそバグるで。
そんな日頃「理不尽の訓練!」って右向け左言い続けてる奴ら相手してたらそりゃまあ真面目くんは本当にムカつくやろね。
いやマジで思い出したら腹たってきたな~。
お前、そんな態度で人に接したらそのうち撃たれるぞ、って奴らめっちゃ多かったな。
まともな人もおるで?
でもクズも沢山おるねん。
いや本当クズの巻き添え食った人はご愁傷様。
いい加減クビのシステム入れたほうがええで。
40歳ぐらいの「もう僕クビとかないから好き放題だな~~~」って調子乗っ取る奴らマジで人間として終わってるからな。
アレの相手させられる他の隊員が可愛そうやわ。
1年するとまあ慣れるんよ。
慣れちゃいかんのでワシは辞めた。
どんだけメンタルガキンチョならあそこに骨埋める気になるんやろな。
それとも学校の先生やりたいけど教員免許取れんかった人や保母さんやりたかった人がやるんかね。
小学校の頃が一番楽しかったーって連中には楽園やと思うわマジで。
自分で考えんでええかんな。
障害のある子供の親御さんたち、教育委員会や先生たちの薦めを無視して無理矢理普通の公立校、普通の学級に入れるのはやめろ。
発達障害やら何やらあるが、全国の支援学校、支援学級に在籍している知的障害の割合が1番多いため、主に知的障害の子供について話す。ただし、他の障害種別でも通用する話ではあると思う。
だいたい、文頭で指摘したような、障害がある子を無理やり他の子と同じ環境に入れたがるような親というのは
・自分の子供に障害があることを頭ではわかっていても認めたくない。
・特別支援学校(学級)やそこに通う子供、あるいは障害者それ自体に対する強い偏見がある
・子供のヤバさ(学力の遅れや集団に馴染めないなど)をきちんと把握できてない
のいずれか、あるいはハイブリッドなのだ。テレビ等でよく美談のように語られる中では「普通の学校で学ぶことの方が様々な経験ができる」みたいな、あたかも子供のためを思っているかのような美辞麗句で誤魔化すが、大体はこのどれかに当てはまる。
そもそも、普通の公立校に通うことが本当に障害のある子供のためになっているのだろうか?中には他の子とお互い刺激しあって力を伸ばす子もいるだろうが、ごくごく一握りだと思う。大半は勉強についていけず、お客さん状態(授業中、発言もできずただ終わりまでぼーっと座ってるだけ)になっているのが関の山だ。仮に学習についていけているとしたら、先生や学校の大変な努力と配慮の末に辛うじて成り立っているものだろうし、おそらく長くは続かず、学年が上がり内容が難しくなっていくごとに真綿で首を絞められるが如く状況は厳しくなっていく。
そもそも、そのように学習に大変な配慮を必要とする子が学級にいることで、先生の負担は遥かに増す。私学ならともかく、公立校の教員に「一部の子は見捨ててでも授業の進度を優先する」という選択肢はないに等しい。つまり、理解に困難を抱える子供への授業作りが主となってしまい、授業内で応用的な内容、ハイレベルな適用問題などに取り組むことが難しくなる。また、授業は普通に進めるが、その分ついて来れなかったところは放課後につきっきりで学習するという手もなくはないが、それをするということで先生の負担が増えているというのは火を見るより明らか。そして先生の負担が増えると困るのは誰か、皺寄せが行くのは誰か。その学級の子供である。無理矢理普通級に障害のある子供を入れることにより、巡り巡って自分たちの首を絞めている。自分だけならまだいいが、影響は大なり小なりそのクラスの子供全員に及ぶ。
障害のある子が特別支援学校や特別支援学級に入るプロセスのことを「就学相談」や「就学指導」などといった呼び方をする。
おおまかなプロセスとしては
①幼児期からの発達の様子を見て、幼稚園や保育園などから声がかかる、あるいは小学校入学前にある就学時検診における知能検査などの結果を見て、もしくは小学校、中学校在学中に随時学校や教育委員会から就学指導を薦められる。
③発達検査の結果から、教育委員会の人などがその子にあった判定を下す。
④次年度以降、③で出た判定の進路へ進む。
といった流れである。だが、保護者はこのプロセス中いつでもキャンセルができる。保護者が嫌がれば就学指導は中止され、自動的に普通の公立校、普通の学級に行くことになる。また、③で特別支援学校判定が出たとしても「普通の公立校の支援学級ならギリ許すけど特別支援学校はお断り」みたいなパターンもある。というかこのパターンは割とよくある。(普通の学校の支援学級在籍者のうち、体感1〜2割はそれ)
ここで曲者なのは「保護者の意向次第でいつでもやめられる」ということ。冒頭で示したように、自分の子が障害があると認めたくない人や偏見を持っている人は、そもそも就学指導の話を持ちかけられた時点でブチギレる。プロセスの途中でも、他所から変な知識を入れ知恵されて突然やめたりする。そうなるともうお手上げである。冒頭の黒ポチ3つめのパターンも厄介といえば厄介だが、子供のヤバさに気づいてくれたら考え直してくれることがよくある気がする。(まあ気づくまでに何年もかかって、結果勉強の理解は同学年の子より遥かに遅れて取り返しがつかなくなっている事が多いのだが。)
もう一度問うが、無理矢理普通の学校、普通の学級に行かせることが子供のためになっているのだろうか?
就学指導で「貴方の子は特別支援学校判定です」と言われたということは「お前の子はバカなガイジなんだ」と言われてるように捉えるかもしれないが、そうではない。その子は特別支援学校で学ぶことが合っているというだけの話である。それによって何ら人格が貶められることはないし、就学相談に携わる人間は誰もそんなこと思ってない。
環境の面でも大きな違いがある。小学校ではクラスの定員は35人だが、支援学級なら8人、支援学校なら6人である。ちょっと考える頭があれば、これだけで雲泥の差とわかるだろう。さらに、支援学校は担任が2名になる場合もある。また、学校の設備面でも、当然普通学校と比べ遥かに充実している。教員免許も特別支援学校用の免許のため、専門的な知識を身につけた教員ばかりなのである。(当たり前だが、普通の小学校には小学校教員の免許しかない人だって当然いるのだ。)どちらで学ぶことが、子供本人のためになるだろうか、子供本人の成長につながるだろうか。
更に言えば、障害のある子供の将来に関してもやはり特別支援学校にはアドバンテージがある。特別支援学校では「作業学習」という時間があり、職業訓練のような事もする。また、特別支援学校であれば、障害のある人でも就職し給料を稼ぐことのできる職場とのコネクションもある。普通校では作業学習の時間はないし、就職支援でだって特別支援学校の専門性には敵わないだろう。
長くツラツラと書いてしまったが、世の保護者に言いたい。自分の子に障害があり、特別支援学校や特別支援学級で学ぶことを薦められたら、どうかその通りにしてあげてほしい。教育や発達に関してある程度知見を持った人が何人も集まってそういった判断を下しているので、それを無視して無理矢理普通のクラスで学ばせることは、本当に子供のためにならない。親のエゴでしかない。親のエゴで普通学級に入り、理解が難しい授業を一日6時間聞き続ける生活を何年も強要しないでやってほしい。その結果(必ずしもこうなるというわけではないが、一例として)小5小6や中学生になっても九九の3の段も言えなかったり、小3になってもひらがなの50音が読めないような子を生み出さないでやってほしい。その子たちは、その子たちにあった環境で勉強していれば、もっと伸びることができたかもしれないのだ。
親のエゴで普通の学校に通わされ、勉強が十分身に付かず年だけくって卒業していく子供のこれからの人生における苦労を考えると、気の毒としか言いようがない。