実際にやることがひどい女の子は確かにいるのに(ほんとにけっこういるのに)、絵の女の子にひどい設定つけたらだめっていうのはなんなんだろうな。あのひどいことをやってた女の子たちはいなかったことにされるのか。まさか。むしろ思い出させられちゃったよ。小学校の高学年の同級生、クラスに二人女王様みたいな子がいて、女子はそのなかで振り回されていたような、うまく立ち回っていた子もいたような。私への扱いがひどいので、前にひどいめにあっていた子が当時のことを思い出してしまって、家でつらい思いを吐露しているって、その子のお母さんが私の母に伝えてくれた、と母に言われた。わたしにどうしろっちゅーねん。
それでもみんなそれぞれにかわいげがなかったわけではなかったと思うよ。親は子を守ろうとしていたように思うよ。
正直女性の権利を主張する方々の文章を目にすると、そのひどいことをやっていた女の子たちの口調を思い出させられてげんなりするよ。だからあの女の子たちも目の前のいやなものと一緒に過ごさない権利を主張するために一生懸命だったのだろうなと思うし、はじかれた側としてはたまったものではないなとも思う。
ひどいことする人は、できれば現実でもフィクションでも肯定されるべきではないんじゃない。 犯罪は犯罪として描写すべきという話であって、犯罪描写自体を完全になくせ、現実の犯...