2023-05-14

クソゲー叩きクソアニメ叩きってもしかしてハラスメントだったのか?

カスハララインがよく分からない。

不味い料理を不味いと口にするのは許されると思う。

それは感想しかいから。

だけどそれを「こんなの出してる味覚障害に金払う必要があるとか飲食業って本当簡単だよなぁ?」と言いながら会計して出ていったらカスハラになるかも知れない。

どうなんだろうまだ大丈夫かな?

たとえば店の前で「この店は超まずいですよ~~~」と大声で叫んだら流石に業務妨害も通るんじゃないのか?

いわゆる「ハラスメント」ってのは窃盗罪万引きに言い換えるようなものなのでは?

まり、「お前はそれがヤンチャで済むと思ってるのか?そろそろ弁護士呼んで蹴りつけるから震えて眠れ」を意味しているのでは?

じゃあ俺たちがやってきたクソゲー叩きってどうだったんだろう。

多分きっと間違いなく恐らく絶対メイビーで「この会社作品がこれ以上世に出回らないように、売上を下げなければ」という使命感があったはずだ。

それはクソゲーを掴まされたことに対しての正義の怒りであり、言うなれば詐欺にあった被害者の訴えとして存在していたんだと思う。

まりそこには業務妨害をしようという明確な意志があり、それが詐欺被害者という立場から来る特例によって許されると信じていたんだ。

食べログに騙されて不味い料理を食わされた客が、それを詐欺だと感じて相手詐欺師ならこっちもある程度は強気に出てもいいだろうと暴言を吐いて回るのと同じ思考回路で。

でもそれは単に今まで訴えられてなかっただけで、いつ訴えられてもおかしくなかったこと、要するに「ハラスメント」だったんじゃねーのかと。

インターネットを通じて気軽にレビューが出来るようになった直後、気に食わないものコテンパンに叩くのを当たり前だと人類が考えた時代があった。

それが一段落したあとに今度はそうやって自分趣味嗜好で人様の作ったものをボロカスに言う事の是非が問われるようになった。

トドのつまり、どっちも流行りに乗っかって手当たり次第に言葉暴力合法的に振り回したかった人達による叩いていい認定ブームだった気はしないでもないのだが。

そして今、「クズに対してクズというのは正当なレビュー」という人類が長年守ってきた文化に対して「ハラスメント」という概念から疑問符が投げかけられている。

ツイッターにおける誹謗中傷に対して弁護士が出てくることも増えた。

この時代価値観で振り返ってみると、クソゲーから何を言ってもいいし晒し上げにしてお祭り化してもいいという考えはかなりアウトに思える。

上辺で「愛がなければ出来ない」というくだらん言い訳をした所で、それは学校イジメにおける「弄りを通してクラスに馴染んで欲しかった」と同じようなもんじゃないのかと。

KOTY文化が滅びるのが間に合ってよかった……。

もしもあと5年も続けていれば、いよいよどこかの会社がブチ切れて殴り込んできたんじゃないだろうか?

2000年頃のインターネット価値観世間一般価値観においてはまだそういった行為は単なるお遊びで済んでいた。

でも今の時代価値観で見るとそれはかなり危険行為になっている。

時代の変化によりモラルラインが変動しているということだ。

昭和時代他人をぶん殴るというのは割りと一般的なことで、ちょっとした口論から派生して手が出るのはそんなに珍しいことではなかった。

それは「殴る」という行為が持つ意味、重さが今とは違ったからだ。

今の時代において「殴る」というのは最終手段としての面が強い。

論理を飛び越えて物理的に相手言動排除しようと試みることは、社会における通常の枠組みの外に位置しているのだ。

たとえばこれが原始時代であれば、暴力によって気に食わないもの排除するのは一般的だった。

気に食わないもの排除してから死人に口がないのを良いことに好き放題に自分に都合がいい理論暴力を振るったあとに語るのは通常の営みであった。

それは実際に「決闘」というシステムとして社会に組み込まれていた。

だがいつしか決闘禁止され、現代においても決闘を挑んだ時点で6か月以上2年以下の懲役が課せられるように法律で決まっている。

暴力を通して自分意見を通すことは、原始社会においては許されていたが、現代社会においては禁じ手なのだ

これは実に明確な「時代によるモラルの変動」の例だと言える。

同じように現代においては「相手罵声を浴びせる」ということにより相手心理的に追い詰めることも禁止されつつある。

現代社会において人類論理的に振る舞うことを目指している部分が強く、都合の悪い他者社会から葬り去ろうにもそこには論理的な手段が求められる。

たとえばそれは権力構造であったり金銭の流れであったり法律であったりだ。

そういったものを通すことなく「相手精神的な負荷をかける」ことによって自分の都合を通すことは、現代的でないものとして次々に禁止されてきている。

気に食わない商品に対してマイナスイメージを広めることで市場から追放することは、果たして論理的に正当な手段を用いているのだろうか?

ここからは完全に私個人価値観によるものだ。

クソゲーを掴まされた時に辛辣レビューを通して次に購入しようとした人に警鐘を鳴らすのはセーフなのか」を命題とする。

この場合、「一個人レビュー範疇に収まるか」によってその是非決定されると私は考えている。

それは以下の5つの条件を満たしているかによって決まる。

レビュー手段として正当な方法

②一個人が語る文量/回数として決して多すぎない範囲

あくまゲームの内容に対しての批判

脅迫を伴わない

他者扇動しようとする意図がない

それぞれの反例をあげてみる

①’販売店舗にて「クソゲー絶対買ってはいけません!」と言うテロップ勝手に貼る

②’複数アカウント作成してレビューサイトに何度も批判を書き込む

③’製作者の人格や経歴についての批判ゲームレビューに持ち込む

④’「次回作はこうしないと会社を爆破します」

⑤’「本当にクソゲーですよね。皆さんの意見を集めて投書したいと思います

こういったことをね、本当にやっていた人がいたんですよね……インターネット歴史の中では……マジで……

このレベルのことをしていないなら、今の価値観でも大丈夫だと思う。

でも最後の⑤が結構難しい。

反例として挙げたのは明確にアウトな行為だと思うが、そこより下のラインでどこからアウトになっているのかがよく見えない。

「このクソゲー酷すぎwww」と書き込んだ時点でそこには「皆も一緒に叩こうぜ!」という意思はあるんじゃないだろうか?

だったらそれはレビューサイトにてあらゆる批判をすること自体ある意味扇動意思があることになってしまう。

まあ実際にそれは事実で、あと50年もしたらレビューなんてものが完全に禁止されるのかも知れないわけだが。

現状においてのセーフラインはどこかにあるはずだ。

でもそれは会社によっても、製作者によっても、その時の空気によっても、そして刻一刻と変わっていってるわけで。

そこが見えないんだよな。

いね

公式発表がないままストライクゾーンが変わっていくようなもんだよ。

アプデ告知のないオンラインゲームみたいなもんだ。

おい運営どうなってんだよ。

マジでクソゲーすぎませんか?

皆さんどう思います

  • 辛口感想を誹謗中傷だと受け取っちゃう人が増えた。まあ時代だよね。 テラスハウス自殺事件から物事を過度にネガティブ反応するHSP患者みたいな人が増えた。一般人にネットを使わせ...

  • KOTYはハラスメントじゃねーよ クソゲー愛好文化だよ

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