はてなキーワード: 参議院とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/this.kiji.is/528880942749008993
https://twitter.com/yamamototaro0/status/1155862359174348800
現制度では経済活動に関わる障害者の介助費用については受益者である雇用主が負担すべきとなっていて、その制度を変えたくない政府側としてはこの件は制度通り参議院が負担して一件落着というところに落とし所をつけたい。
制度を変えてしまえば、すべての事例に対して金を払うのは国ということになってしまうからだ。
障害者に対してなるべく金を払いたくない、という気持ちでむしろ一致しているのは安倍政権と維新であって、維新は目先の、政府は将来的な負担に対して拒絶反応を示しているという違いに過ぎない。
維新の松井は制度を変えるべきと言うが、実際れいわ等の議員が改正案を提出したとして、維新の議員がそれに賛同する形になるかと言われれば、(自民党もおそらくそうなるだろうが、)賛同しないことだろう。
どうしてこんなことになったのだろう。
小学生でも分かる単純明快な政策と、確かに国民を苦しめ続けるNHKの視聴料取り立てへの不満から、
新政党ながらもN国——NHKから国民を守る党——は1議席を得ることとなった。
そこまでは(有権者にとっては意外だったかもしれないが)何の変哲もない結果でしかなかった。
しかし政界に落ちたこの小さな雫の一滴は、静かに政局の水面を揺らし、やがて大きな波紋をなす。
ある小政党の合流。
次から次へとN国に関するニュースが舞い込み、ある人は面白がり、ある人は失望を表明した。
NHKをぶっ壊す。それだけを主要な政策に掲げ、他の政策は自由。
政党にしては極めて束縛の少ない集団に、その束縛に疲弊した議員が大勢集まった。
N国の代表は分け隔てなく彼らを迎え入れた。
それから幾年が過ぎた。
今やN国が第一党となり、衆議院・参議院共に2/3の議席をゆうに越える勢力となった。
今でも政策はただひとつであり、他の政策は自由。見方によっては一党独裁だ。
しかしそれは、政党の頂点に立つ者たちが他の議員の意見を事実上封殺して、
数の暴力を以って行っていたかつての政治よりも、はるかにマシな政治をしていた。
政党政治というシステムを、党として政策をほとんど持たない党が破壊したのだ。
人々も政治に興味を持つようになり、地域の議員に意見を送る市民も増え、
政党ではなく政策で議員を選び、投票率も増え、政治を堂々と話せる風潮が広がりだし、世の中も良くなった。
多くの政策を実行していたN国だったが、一つだけ実現できないものがあった。
この政策を実現してしまえば、この政党を続ける大義名分がなくなってしまう。
誰も口には出さなかった。誰もがこの政治の体制を続けて欲しかった。
でもNHKだけはぶっ壊せない。
どうしてこんなことになったのだろう。
もう少し、メディアや流行とかそんなので政党決めるんじゃなくて、自分たちの目や頭を使って、ちゃんと各政党のマニフェストや実績を学んで決めた方がいいと思うぞ?
れいわ新選組から当選した二人の候補が、このままの法制度では登院できないと訴え物議を醸している。
常に介護が必要な方が利用する「重度訪問介護サービス」は、「経済活動」には利用できないとされており、自宅か職場かを問わず仕事に就いてしまうと、この制度が利用できなくなってしまうようだ。
この制度は、「働くことができるということは、24時間の介護が必要のない人」であり、「24時間の介護が必要な人が就ける仕事は存在しない」という暗黙の前提が存在するように思える。確かに少し前まではそうだっただろう。現在では機器の進歩などで、遠隔業務なども盛んに行われるようになっている。
「在宅就労の支援は、恩恵を受ける企業の役割」※1という一文も目にした。経済活動に参加できていなかった人が一人でも多く経済活動に参加する、一番の恩恵を受けるのは国ではないだろうか。
また、何を「就労」とみなすのかもとても難しい問題である。
例えば私の仕事が文筆業であった場合、ほとんどが在宅での業務になる。そして、机に向かって文章を書く時間以上に、構想する時間も必要になるだろう。その時間も間違いなく「就労」の一部ではないだろうか。
「わかっていたのになぜ立候補したのか、もしくは、わかっていなかったのに立候補したのか」
当事者が直接語っても、このような発言が出ることはとても興味深い。
これらの制度については深い理解があるのだろうし、まず第一の大きな壁となることは承知の上だったはずである。
その上で、現状を訴えるため、変えるために立候補したのではないだろうか。
「登院できないのなら、なぜ立候補したのか」
この制度以外にも様々な壁があったはずだが、参議院事務局の努力などもあり着実に登院に向けて進展していっている。
そのことだけをもってしても、大変意味のある立候補だったと言えるだろう。
何かを成そうとしている人に対して、「きっと出来もしないだろうに、なぜやりはじめたのか。」と問い詰めるのはどういった心理なのだろうか。
「いくらかかるか知らないが、議員の高い給料で賄えるだろう。自費でやれ」
確かに歳費、政党助成金などで賄うことは大いに可能だろう。しかし、現時点では制度の不備についてを指摘しているわけで、その交渉の一環として「登院ができない」と訴えているのである。
実際にいくらかかるか、誰が費用負担するかというのは、その次の話ではないだろうか。
ただ、この制度の変更はせず、どこかから費用を捻出するという解決策の場合、同じ問題を抱えている当事者たちには何も解決方法を示せていないことになる。埼玉県のさいたま市では、独自の補完する制度があるようで、国も即刻制度を見直すべきである。
さて、上記のような説明をしたところで、納得してもらえるものだろうか。もらえないだろう。
彼らを批判している人たちの本音は、単に「人のことなど知ったことか」に尽きるんだろうと思う。
批判している人たちの本音は以下のようなものだと想像している。
「動くことすら(あるいは話すことも)出来ないような人間を生かしておくだけのために、いったいいくらの税金が使われているのか。私の給料の何倍になるんだろう。」
「議員になるととてつもないお金がもらえるようだ。そんな権利を、なぜこんな人達が得られるのか。その上、さらに金を欲しがるのか。俺の給料はこれだけなのに。」
これは、健常者と障害者との間にある問題などではなく、実は単に経済的な格差の問題である。
彼らの感覚で言えば、自分よりも低く見ていた明確な『負け組』が突如『勝ち組』になった、あるいは(自分たちはもらえていない)多額の助けが施されていることがわかり、これはズルだと叫んでいるだけなのである。
しかしそれを責めることは決して出来ない、そんな考えを抱いても仕方がないくらいの状況が日々続いているのだから。
このように、経済的な貧しさは、あらゆるところに派生し、自分以外のすべてのものとの間に深い深い断絶を生むものである。
一刻も早い正しい経済政策への転換が待たれる。
https://news.livedoor.com/article/detail/16837848/
上のニュースで取り上げられている重度訪問介護サービス、恥ずかしながら知らなかったので調べてみました。
間違っている部分、理解が足りない部分があったら詳しい人訂正・補足してほしいです。
https://www.wam.go.jp/content/wamnet/pcpub/syogai/handbook/service/c078-p02-02-Shogai-08.html
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/service/naiyou.html
→利用規約に「働いたら支援打ち切りです」みたいな記述は見つけられませんでした。
「地域生活をサポートするサービス」だから、自宅での支援は継続して受けられるけど地域外の活動まで拡大されません、のような気がします。
実際ニュースの表記も「通勤や仕事中に」サービスを受けられない、だし。
それとも議員活動が「お出かけするときの身の回りのお世話をしてくれる」の範囲に入らないことが問題視されているということでしょうか。
→「地域生活をサポートするサービス」で、自治体ごとにサービスを提供しているようなので、地域外の活動の面倒を見れないことはあり得ると思います。
介護者も仕事なので、例えば「東京勤務」という契約で雇用していたら「やっぱり群馬でも働いて」とか言えないのでは、と。
ただ、地域をあげて障害者をサポートするというのはなんとなく効率が良さそうな気がするので、この制度を変えるより
「特定の人についてサポートするサービス」みたいな別のサービスを用意したら選択肢が増えて良さそうです。
→重度訪問介護の範囲を拡大するにしろ、別のサービスを使うにしろ、何らかのサービスを使う以上は金銭が発生します。
国会なのか(今回は「参議院」という方が正しいんでしょうか?すみませんそこらへんがよくわからなくて)、本人たちなのか。
…という議論になっていますが、「政党が負担する」という選択肢はないのでしょうか?
なんとなく、「擁立して立候補させて、比例で当選させて、もう政党としてやることはやった」という雰囲気がある気がします。
私が調べて考えたことはこんなところです。
山田太郎が何の役にも立たないということで合意できたのがうれしい。ありがとう
俺は別に令和ファンじゃないからどうでもいいけど、国会中継でALSの人がテレビに映ったりするだけで党の宣伝にはなるよね。あと政党要件を満たしたから、何か事件があったときにニュースで他の党の党首と並んで意見を言うVTRが流れたりしてそれも宣伝になるね。
山田太郎は参議院のヒラ議員で終わるけど、山本太郎は次の選挙で衆議院に出るだろうね。
山田太郎が何か役に立つことをやろうと思ったら、野党の表現規制反対議員と協力して超党派の議員連盟を作ったりした方がいいと思うけど、支持者に大勢いるネトウヨが反発するかもしれないからそれもできないかもね。
この参議院選挙において、山本太郎氏が、いい意味でも、別の意味でも、「ともかく話題性!」で候補者を選んでいたということには、ほぼ異論はないはず。
そのブログの著者は、
とまず褒めるのだ。
まじ? そんなにスゴかったのか?
このブログは、読まないとだめだな。
その後、山本太郎氏にも、参議院にも、立候補にも、ほとんど関係がない自分の考えを披露する。主張タイムってやつだ。
それなら、大川隆法氏でも、公明党でも、衆議院でも、いいんじゃないか、と心で突っ込みつつ、続きを読む。
それは気になるところだ。
で山本太郎氏は、いろいろな理由を述べる。当然、褒めるわけです。
うほ?!
それは、断りづらい。折衝はうまくいったようだ。
そこで気になった文章に出くわす。
また、私は会議が非常に苦手で、教授会ですら辛いのに、「国会」などという会議だけでできているところで働けるか、疑問であったので、そのことも聞いてみた
まじか!?
24時間看護を必要とする方を擁立するつもりで(それは後に木村英子氏のことだとわかった)で、そういう方が働ける環境をれいわ新選組は用意するので、会議アレルギーも何とかする、とのことであった
まあいい。それよりも、
「0歳時の事故により、重度の身体障害を持つ。脳性麻痺とも診断され、移動手段の電動車椅子を操作する右手以外、体はほとんど動かない」(Wikipedia)という、木村英子さんを引き合いに出したよ!
こうしてすべての折衝が済んで、私が出馬することになったのは、6月25日であった。そして27日に記者会見することになった。選挙はもう目の前である
すんなり!!
主義主張が一緒じゃなきゃダメだとは言わないが、「あまりにも無節操」「単に国会議員になりたかったのか」と言われてももしかたないんじゃないか?
どひょ~ん!!
しかし、れいわ新選組は、「子どもを守る」という政治理念を勝手に私が掲げても構わないし、政策に反対だと言ってもいい、というわけである。しかも、選挙そのものも、私がどういう選挙をするか、勝手にしていい、ということであった
なるほど、「れいわ新選組」というのは、まことに自由な政党?なんだな。
これは、もはや、政党の態を成していない。なぜそうなるのかというと、一つの理由は、4月1日から、山本太郎氏事務所の少人数のスタッフが、突貫工事で政党を作ってみせるという、そもそも無理なことをやってのけている、という事情がある。確認団体としての資格を獲得するために十人の候補者を揃えねばならず、そのための膨大な書類手続と資金集めとに忙殺されており、綱領とか政策とか選挙のやり方とかに、構っていらないのである
うぎょ~~~。
さっきの「政党とは」の素晴らしい自説も、あんまり関係なかった!!
「構っていらない」(たぶん、「構っていられない」のこと)
だから、綱領とか政策とか、そもそもの選挙のやり方も、”構っていられない”のが「れいわ新選組」だったのだ!
この後に、現代の病理について自説を述べ、山本太郎氏を褒めるのである。
さらにいろいろな話の中で、公示日の第一声をどこでするかという話になり、山本太郎氏が
「まだ決まってないんです。話そこまで行ってないんですわ。ウチ、いっつもこんな感じで。」
という山本太郎氏に、著者は、
「それは素晴らしいですね。『孫子』の兵法に、「無形」という概念があるんです。それは「何も決めていない」という状態のことで、何をどうするか決めていなければ、敵は、どんな優れた司令官でも、どんな手練のスパイでも、こちらの意図を読み取ることはできない、と孫子は言っています。無形が一番強いんです。」
さっき「構っていられない」って言ったよね? それって孫子と関係あるの?
すると、この後に「日本中世史の大家であった網野善彦」が「無縁」という概念に到達したことを紹介。
「れいわ新選組」は、この無縁の原理を体現しており、山本太郎氏や私を含めた候補者は、無縁者の集まりであった。私は、これが、れいわ新選組の躍進の基本的な原動力であった、と考えている。
で、見事に締めくくられるのである。
消費税増税には反対なのに自民党に投票するのは異星人のように思う、みたいなのを何件か読んで思ったんだが、
まあ、言われてみると確かにそのとおりだ。
翻って考えてみると、政党が掲げる目標に合致するのは「NHKから国民を守る党」だけだった。
オレNHKってもうちょっとどうにかならんかな、と思ってるもの。ニュース以外はスクランブルでええやん。
とは言え、選挙が終わるたびに「オマエは〇〇に投票したということは、××に同意したということだ!」と言われ続けると、調教もされる。
ロシア中国に接してるアメリカ寄りの国として、自衛隊の解消は無理だと思うから。
特に今の時期は、揉めるのですら止めて欲しい。
なお、日本共産党自体は存在しててもらわないと困る党だと思っている。
一番「市民」に近い党だと思っているから。平和な世の中ならな……
(反ワクチンについては、自民党にも立憲民主党にも「再開すべきでない派」が居るので、考慮外にした。ワクチン接種で「どちらとも言えない」も基本NGだろう)
のだが、「参議院」って、「人」の府だって学校で習ったんだよね。
多様な意見を持つ人が集まる、衆議院に対してチェック機能を要する事実上の上院だって。
そうするとさ、自分の投票する場所の「立候補者」を見るわけだよ。
具体的には書けないけど、例えばさ、擁壁問題に困ってる地区で「擁壁問題を解決できる人物です」って書いてあるのが、自民党の立候補者だけだったりする。
こういう選挙のときに、写真一枚でも、実際に擁壁の前でおばあちゃんと写真撮ってる議員の写真をスマホで見ると、やっぱ好印象なわけだよ。
参議院選挙はさ、党名じゃなくてポスターの名前で話ししてくんねえかな。
「自民党はこういう党」ってのは、衆議院選挙で言ってくれませんかね、とか思うわけさ。
だから、名を売って実を取った山本太郎とかは、スゴイと思うと共に、参議院議員になってくんねえかな、とも思う。
現状を鑑みるに、参議院なんてのは名前ばかりで結局衆議院の増槽タンクみたいなモンなんだろうさ。
とはいえさ、せっかくの投票権なんだから、自分の主義主張のために投票したいわけよ。オレは人を見て投票したって。
結局の所、オレは浮気を繰り返すけど好きな相手との結婚を選んだ、みたいな感じよ。
結婚したら、止めてくんねえかな浮気は。親族も居るし、みたいな。
だからさ「絶対浮気するに決まってんじゃん理解できない」って言われてもな。ヤツの中のごく一部は反対してるわけだし。
消去法で無難な結婚するってのも、バランスは取れてるけど譲れない一線を超えたヤツと結婚するってのも、当てつけで結婚するってのも、オレは嫌なわけよ。
(結婚したら本人が「浮気はOKってことだよね?」とか言い出したら腹も立つだろ。仕方ないとは言え)
マジな話、党名外してスマホで調べてみろって。
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/33949.html
たとえば、1991年8月27日の参議院予算委員会において、外務省の柳井俊二条約局長(当時)は、「いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが(中略)日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません」と答弁している。
日本の最高裁判所は2007年4月27日、中国人強制連行の被害者が日本企業の西松建設に賠償を求めた判決で、中国との間の賠償関係等について外交保護権は放棄されたが、被害者個人の賠償請求権については、「請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく、当該請求権に基づいて訴求する権能を失わせるにとどまる」と判断している。この最高裁判決の後、勝訴した被告の日本企業西松建設は、強制連行被害者との和解に応じている。この最高裁の解釈は、韓国の元徴用工の賠償請求権についても、当然あてはまる。この最高裁の解釈によれば、実体的な個人の賠償請求権は消滅していないのであるから、日本企業新日鉄住金が任意かつ自発的に賠償金を支払うことは法的に可能であり、その際に、日韓請求権協定は全く法的障害にならないはずである。
安倍首相の日韓請求権協定により「完全かつ最終的に解決した」という国会答弁が、元徴用工個人の賠償請求権は完全に消滅したという意味であれば、日本政府のこれまでの見解や日本の最高裁判所の判決への理解を欠いた答弁であり、完全に誤っているといわねばならない。
この弁護士、ものすごく慎重な書き方しているのがよくわかった。
賠償請求権をもとに裁判所に裁判上の請求ができないということになるものの、裁判所は請求内容自体は明らかにすることができるので、それを参考に自発的かつ任意に和解なりなんなりしてくださいよ、という解決ができたし、07年は実際、そういう結果になった。
じゃあ、日韓請求権協定もまた日中共同声明と同じように、請求権は実態として消すことはできないことは認めるけど裁判に訴える権能を否定する、という理屈になっているのか?と思って調べてみると、
そういう書き方になってた。
韓国大法院判決(2018年10月30日新日鐵住金徴用工事件)を読む (1/2)
第2条1項よりー
・・一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益として、本協定の署名日に他方の締約国の管轄下にあることに対する措置と、一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権として同日付以前に発生した事由に起因することに関しては、如何なる主張もできないこととする。
この別の弁護士によると、請求権の範囲について日韓で確認した【韓国政府の対日要求8項目】には、強制動員被害者の精神的肉体苦痛に対する要求も含まれていたことは大法院判決も認めているが、植民地支配の不法性に直結する請求権まで含むものではないとして、その慰謝料請求権は請求権協定の対象外としている点が不可解だという。
全くごもっともだ。強制動員ってまさに植民地支配に起因することなんでね。そんなことを言い出したら、植民地支配の不法性ってなんだったかについて、両国で再定義しなおさないと話がおかしい。
要するに、韓国の大法院の請求権協定の解釈が日本のそれとは異なっていた、ということで生じている問題なのだということはなんとなく知ってはいたが、
ずっとイライラしてたけど、完全に私も悪くて誰にも愚痴れないから増田に書く。
私はまじで政治のことが分からない。それがすごく恥ずかしい。選挙には行きたい。でも中途半端な知識で投票してしまってはだめな気がする。そしてなによりも行くのめんどくさい。web投票だったらやってたかもしれないけどね。(でもweb投票も色々セキュリティなんちゃらで適用難しいらしいね)
「選挙行かない奴はクソ」派の気持ちわかる消費税10%ありえねーって言うんだったら10%にしない政治家、政党に票入れたらいいんだよね?でもそれって誰なの?どこの政党なの?クソクソ言うなら政治のこと、選挙のこと教えてほしい。というかそれらの知り方を教えてほしかった。ここ見ればいいよ的な。ただ批判だけされるのすごいムカついた。本当は政治のこと何も知らないんじゃないの?選挙行ったら人の上に立てるのか?投票前日池上彰さんの番組を、メモ取りながら見た。「参議院と衆議院の違い」「比例代表とは」って。あ〜これ習ったな〜って面白がりながら見た。けど、で、どこに投票すればいいの?ってなった。
わたしは自分の好きなもの、例えばアニメを友達におすすめするときは、プレゼンして、DVD貸して(動画配信サイトのURL送って)、〜みたいなことするんだけど、これが道理じゃない?「選挙行かない奴はクソ」って言う奴は、おすすめしたいアニメがあるとき「え〜○○(アニメ)見てないの?人生損してるよ」って言う奴。つまんないし、おすすめされた側はそのアニメ絶対見ないし、なんならその発言ムカつくからたまたま再放送でそれ見れちゃってもテレビ消す。
私は次こそは選挙に行きたい。でも行ったとしても、行ってない人を貶す人にはならない。「選挙行ってない人はクソ」とかいう奴はクソ。
高校三年間を陸上に捧げた運動が苦手な浪人生は大学再受験を目指さずオリンピックに採用されるためには志だけあれば充分でしょうか
船後さんがどれほど政治や社会に知識があり博学で勤勉かはしらないですが、知らない事はまことに勉強不足でそれが故当選に貢献しなかった可能性については失礼ですが、病状のみを候補の基準に置いたとしたら、おっしゃってる事は無意味ではないでしょうか
そう考えると半数改選で時期も決まってて一時の変な風だけでなかなかひっくり返らない参議院にもちゃんとした意味というのはあるんだなと思わされる
その観点から今回の当選について、止めて欲しいという気持ちしかありません。
船後氏は現在全身麻痺で動くことも喋ることも出来ない状態だと聞きます。
その状態は24時間体制のサポートが必要で、食事はチューブから取るしか無く、呼吸器官も弱まっているので、喉から差している人工呼吸器が外れると死に至ります。(そうならないよう、外れたら警告音が鳴り、ナースセンターに連絡が行くようになっています。)
れいわ新選組代表・山本太郎氏は「一番彼らをしっかりとサポートしなければならないのは国会だ」と言っていますが、
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190722/k10012002581000.html
サポートしなければならないのは、正確にサポートの出来るプロの医師や看護師であり、サポートの充実した病院などです。
もちろん、家族や社会のサポートも大事ですが、サポートの充実してない国会へ連れ出すことが、本当に正しいのでしょうか?
私には、山本太郎氏のパフォーマンス、もしくは、行き過ぎた希望論を振りかざしているようにしか見えません。
社会が重度障害者を理解し、サポートできるようにするため、社会の代弁たる国会から変えていきたい。という希望論は理解できます。
ですが、船後氏のような重度ALS患者は喋れないので、特殊な機器や透明な文字盤を目で追うことで伝えるしか無く、1つ文章を作るだけでも数分かかってしまいます。
さらにALSはどんどんと筋肉が低下していくので、文章を作る時間は伸びていき、やがて目や指さえも満足に動かすことができなくなり、意思疎通が大変困難になります。
質問も反論もすぐに出来ないのに、国会で十分な議論に参加出来るでしょうか?
私の家族も、どんどんと意思疎通が出来なくなり、特殊な機器で打っていた文章にも誤字が多くなり、目の筋肉が低下して文字盤を追うことも出来ず、最後の半年には文章や文字盤での意思疎通が出来なくなりました。
十分な意思疎通が出来ず、涙を流していました。それを自分で拭くことも出来ませんでした。
そのようなことを、国会でやるのは、ALS患者やその家族遺族に希望を与えるというより、やるせないふがいない気持ちを与えることになると思います。
船後氏や山本氏は、そのようなことを分かっているのでしょうか?
現実的ではない希望論や、行き過ぎた正義を、振りかざしているだけではないでしょうか?
思ったことをバッと書いたので、おかしな点やただの感情論も多々あると思いますが、山本太郎氏が評価されるような世評に憤りを感じ、ALS遺族視点で伝えたいと思い書きました。
また、今回から新たに導入された特定枠を使い、このような擁立の仕方をして、自身は衆院選に挑むという、山本太郎氏のやり方や、特定枠システムにも疑問を感じざるを得ません。
【追記】
色々とご意見ありがとうございます。
全てに目を通させていただきました。
私の中でも問題点がはっきりしていないまま書いた部分もあり、伝わっていない、または誤解を招く表現があった部分もあったと思います。
ご意見を読んでいくうちに、自分の中での何に不安を抱いていたか分かりました。
自分は、もし船後氏が問題を起こしたり物議を醸すことで批判が起きた場合、ALSという病気への批判が出ることを恐れていたんだと思います。
例えば、船後氏に議員能力がなかった、病気が悪化して意思伝達能力が無くなった、または最悪死去してしまった、となった場合、世間の反応はどうなるでしょうか?
それとも、ALSという病気や重度障害者を批判するでしょうか?
もし、ALS(重度障害者)を批判するような論調を聞いたら、ALS患者、家族、遺族は、どう思うでしょうか?
もちろん、まだ何もやっていないのに、時期尚早。杞憂だ。と思われるかもしれません。
私の家族も13年で亡くなりましたので、すでに19年経過している船後氏の体調が悪化する可能性はあると思います。
ALSの理解が進むことは良いと思いますが、批判も受けなければいけない議員という立場に私は不安を感じます。
参議院選挙見てて思うけど、どう考えても議員の人数って多いほうが「多様な意見」の反映に適してるんじゃないだろうか?
接戦になったときの落ちた側の意見の吸い上げはどうすれば良いんだろうか。
失礼かもしれんが、参議院なんてどうせ衆議院とちがってあんまり役割大きくないんだし、人数増やしたほうがよほど弱者のためになるんじゃないかなって思う。
でも弱者守れ系統の人的には公務員の増加ってことになって歓迎されないんっだからよくわからん。
一票の格差だって単純に人口多いとこでもっと純増させればいいじゃん。特定枠だの合区だのよくわからん制度よりもシンプルじゃん。
それやっても結局今回数人とは言え埼玉県とか比例区とかで純増することになったわけだし。
小選挙区による選挙はすでに衆議院でやってるんだから、参議院はもっとなんか違う形の選ばれ方をして多様な意見を・・・のがいいなあとか感じてしまう。
そういう意見がまさに普段は多様な意見を求めてるっぽい側にこそ叩かれてしまうってのがまた難しいところなんだろうけど。