はてなキーワード: 確認団体とは
この参議院選挙において、山本太郎氏が、いい意味でも、別の意味でも、「ともかく話題性!」で候補者を選んでいたということには、ほぼ異論はないはず。
そのブログの著者は、
とまず褒めるのだ。
まじ? そんなにスゴかったのか?
このブログは、読まないとだめだな。
その後、山本太郎氏にも、参議院にも、立候補にも、ほとんど関係がない自分の考えを披露する。主張タイムってやつだ。
それなら、大川隆法氏でも、公明党でも、衆議院でも、いいんじゃないか、と心で突っ込みつつ、続きを読む。
それは気になるところだ。
で山本太郎氏は、いろいろな理由を述べる。当然、褒めるわけです。
うほ?!
それは、断りづらい。折衝はうまくいったようだ。
そこで気になった文章に出くわす。
また、私は会議が非常に苦手で、教授会ですら辛いのに、「国会」などという会議だけでできているところで働けるか、疑問であったので、そのことも聞いてみた
まじか!?
24時間看護を必要とする方を擁立するつもりで(それは後に木村英子氏のことだとわかった)で、そういう方が働ける環境をれいわ新選組は用意するので、会議アレルギーも何とかする、とのことであった
まあいい。それよりも、
「0歳時の事故により、重度の身体障害を持つ。脳性麻痺とも診断され、移動手段の電動車椅子を操作する右手以外、体はほとんど動かない」(Wikipedia)という、木村英子さんを引き合いに出したよ!
こうしてすべての折衝が済んで、私が出馬することになったのは、6月25日であった。そして27日に記者会見することになった。選挙はもう目の前である
すんなり!!
主義主張が一緒じゃなきゃダメだとは言わないが、「あまりにも無節操」「単に国会議員になりたかったのか」と言われてももしかたないんじゃないか?
どひょ~ん!!
しかし、れいわ新選組は、「子どもを守る」という政治理念を勝手に私が掲げても構わないし、政策に反対だと言ってもいい、というわけである。しかも、選挙そのものも、私がどういう選挙をするか、勝手にしていい、ということであった
なるほど、「れいわ新選組」というのは、まことに自由な政党?なんだな。
これは、もはや、政党の態を成していない。なぜそうなるのかというと、一つの理由は、4月1日から、山本太郎氏事務所の少人数のスタッフが、突貫工事で政党を作ってみせるという、そもそも無理なことをやってのけている、という事情がある。確認団体としての資格を獲得するために十人の候補者を揃えねばならず、そのための膨大な書類手続と資金集めとに忙殺されており、綱領とか政策とか選挙のやり方とかに、構っていらないのである
うぎょ~~~。
さっきの「政党とは」の素晴らしい自説も、あんまり関係なかった!!
「構っていらない」(たぶん、「構っていられない」のこと)
だから、綱領とか政策とか、そもそもの選挙のやり方も、”構っていられない”のが「れいわ新選組」だったのだ!
この後に、現代の病理について自説を述べ、山本太郎氏を褒めるのである。
さらにいろいろな話の中で、公示日の第一声をどこでするかという話になり、山本太郎氏が
「まだ決まってないんです。話そこまで行ってないんですわ。ウチ、いっつもこんな感じで。」
という山本太郎氏に、著者は、
「それは素晴らしいですね。『孫子』の兵法に、「無形」という概念があるんです。それは「何も決めていない」という状態のことで、何をどうするか決めていなければ、敵は、どんな優れた司令官でも、どんな手練のスパイでも、こちらの意図を読み取ることはできない、と孫子は言っています。無形が一番強いんです。」
さっき「構っていられない」って言ったよね? それって孫子と関係あるの?
すると、この後に「日本中世史の大家であった網野善彦」が「無縁」という概念に到達したことを紹介。
「れいわ新選組」は、この無縁の原理を体現しており、山本太郎氏や私を含めた候補者は、無縁者の集まりであった。私は、これが、れいわ新選組の躍進の基本的な原動力であった、と考えている。
で、見事に締めくくられるのである。