はてなキーワード: 低学歴とは
今日もまた、ネットで数多くの人々が頭の悪い論争モドキを繰り広げた。
エビデンスがないと認めないなどと言いだす、自称インテリたち。
まるで自分たちが論理の塊であり、他者は知性の底辺であるかのような態度が目立つ。
連中は常に「数字で判断しろ」とか、「それ、n=1ですよね?」とか、統計的に言うとこうなります、などと言葉を振りかざし、頭いいだろ俺?という態度を誇示する。
その一方で、他者を低学歴だの低IQだのと罵倒し、自分たちの低い知性を棚に上げて、知性があるかのようにアピールする。
連中は都合が悪い時ほどデータやエビデンスを要求する。感情論や主観的な意見などは一切受け付けず、データ!データ!と発狂することで、論破されることを避ける。
その姿勢が連中自身の知性を証明するものと信じているようだ。アホ臭い。
特に、低学歴や低IQを持つ者に対して容赦ない言葉を投げかけ、自分たちの優越性を強調する。
それもまた、連中が己の自尊心を保つために執拗に行っている行為だ。
そして、社会的な階層や所属するコミュニティによって知性の差が生まれると主張する。
自らを上層と位置づけ、他者を下層と見下す視点が日常の中で浸透している。
さて、そんな中で自らの知性を保とうと必死になっている連中だが、逆にその姿勢が孤立を招いていることに気づくこともある。
知識や経験の差によって生まれる階級意識は、人間関係に亀裂を生む一因となるようだ。
常に他者を嘲る姿勢は、議論の場でのみならず、現実の人間関係においても疎外感を生む。
連中が優越感に浸りながらも、他者はその高慢な態度に嫌悪感を感じ、距離をとっている様子がうかがえる。
自分はインテリだと示そうとし続けることが、むしろ連中自身を縛り付けているのではないだろうか。
インテリを自称することで、他者とのコミュニケーションが難しくなり、結果として孤独感を募らせているように思える。
優れた人間は都会に出ないと心が死ぬ、などと言及する一方で、他者を下層と断じ、その狭間で、連中は知性や経験を通じて得られる幸福や充実を見失っているようにも感じられる。
このような日々を送る連中は、インテリを自称するあまりに、他者とのコミュニケーションや幅広い視野を失っているように思える。
学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。
日本に安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。
もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。
ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在そのものが、生理的に気持ち悪くて仕方がない。
知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。
卒業大学の名前がそのまま当人の知的能力の全てを、ともすると人間としての価値やランクをまるごと規定してしまう。
学歴は能力の指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。
そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。
もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。
現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれた黒人と同じなのだ。
そこに救いはない。
早く楽になりたい。苦しい、苦しい。
私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学の入試形態によって殺されたようなもの。
社会やメディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義・学歴差別によって殺されたようなもの。
彼女いない歴年齢友達0童貞低学歴低収入ブスデブキモオタ「食べ放題なら俺も楽しめるからマシやな!女と遊ぶのはつまらんけど穴のために我慢するわ!食べた分くらい自分で払え」
高学歴高収入イケメン「食べ放題で本当に大丈夫ですか?沢山食べたいならいいけど、もっと良いお店も連れて行けるからね?お金?出させるわけないでしょう」
【目次】
・私のスペック
【スペック】
・20代大卒
・簿記2級
低学歴の社会不適合者は多種多様だが、高学歴社会不適合者は1種類しかいない。
精神科医の書いた本※曰く親子関係が歪だと発達障害よりの健常者、所謂グレーゾーンになりやすい。
他責をしたいわけじゃない。自分を守れなかったのは自分の責任だ。
高学歴なんだから親がちゃ当たりだろ?と言われるかもだが、私が勉強を必死に頑張った理由なんて
「高学歴にはまともな人間が多い」という噂を信じて、「高学歴になれば親のような気狂いとは関わらずに済む」と
本気で思ったから死ぬ気で勉強したんだよ。小中高は公立だし、家が裕福なわけでもない。
私の周りの高学歴社会不適合者を見ても、大抵の場合親と仲が悪く虐待の後遺症を抱えている。
高学歴社会不適合者の典型的パターンが毒親育ちだという私の個人的認識と精神科医の意見が合致したので書いた。
一番身近な大人の頭がおかしいため、人間に対しての不信感があり、おまけに狂った人間と暮らすため心が疲れている。
普段から正常な人間と関わっている人は「正常な人間が人類の基本でたまに変な奴がいる」という認識なので、
まず正常な人間と関わる前提で人と接して、不都合があれば(何この人、キモっ)となる。
対して、毒親育は普段から異常者と接しているので「異常者が人類の基本でたまに良い人がいる」という認識なので、
異常者と接する前提で人と関わる。つまり、他人との人間関係形成の初動が狂っている。
義務教育時代に作った昔からの友達と高校進学で縁が切れてからが孤立しやすい。
自己肯定感が低かったり、精神が安定してなかったり、問題は山積みである。
他にも親と似て自他境界線が曖昧になっていたり、白黒ハッキリしていたり情緒の健康とは別の軸で思考回路も歪である。
こういった精神構造は自分の異常行動を言語化していくと減っていく。
最近は友達が増えたし、他人に対して自他境界線が曖昧な人間特有の干渉の仕方とか距離感のバグり方は何とか治した。
当たり前だが何かを人に教える人は、それについて一定以上の技能が必要である。
例えば数学教師は数学に詳しいし、英語教師は英語に強い必要がある。
これと同じで社会性の高さを正当に評価できる人間でないと、子供に社会性を教えられない。
ただ、多くの大人が自分の社会性の有無に関係なく、他人の社会性を評価できると誤解している。
お宝鑑定団という番組をご存知だろうか?文字通りお宝の価値を専門家が鑑定する番組である。
この番組から学べることは「何かを正確に評価するのには専門技術が必要である」という事実である。
一般人はゴミをお宝だと思ってたりして、お宝をお宝と評価できないのが普通の人だと思い知らされる番組だ。
当たり前だが毒親に社会性はない。社会性のない人間に社会性は教えられらない。
なのに私の親は過干渉だから自分の価値観を子供に押し付けようとする。
毒親に育てられると、社会性の定義が「理不尽に耐えること」もしくは「他人の機嫌をとること」というものになってしまう。
「社会のルールを守りながら、周りと協調しながら適切な社会生活を営む能力」のことを社会性と言い、
キチガイのご機嫌を取れば「社会のルールを守る」もしくは「適切な社会生活を営む」のいづれかに支障をきたす。
つまり、「理不尽に耐えること」もしくは「他人の言いなりになること」は社会性ではない。
社会生活を営む上で仕方なく理不尽に耐える必要がある時もあるが、仕方なくやっているだけである。
上司が明らかに間違った指示を出しても指摘せずにずっと間違ったことをするとか、こいつは雑に扱っても良いと認識されやすいとか。
正常に働いている人を見ると「社会のルールを守りながら、周りと協調しながら適切な社会生活を営む能力」を社会性と定義していた。
仕事ができる人は正常な社会性を有していた、今まで社会性の低い親に対して正常な社会性を出すと怒られていたから、
「理不尽に耐えること」もしくは「他人の言いなりになること」を社会性だと思っていたが、自分の社会性が低すぎて社会性が何か分かっていなかっただけだ。
会社に入社して、周りの対してビクビクしてたら腫れ物扱いされて放置された。
何とか3年目でシゴいてくれるタイプの上司に当たった。これは本当に有り難かった。
シゴいてくれる上司の元、1年は必死に働いたが、発達障害グレーゾーン(注意欠陥)の私はケアレスミスを連発。
おまけにシゴいてくれる上司が転職し、元の腫れ物扱いした上司が戻ってきた。
元の上司が戻った途端「お前を採用した時の面接官は誰?」と聞いてきた。
「社長です。」と答えると「もっと地位の低い人で」と言われた。
邪推だが、私を採用した人間を「なんでこんな奴を採用したんだ」と罵倒するつもりで聞いたのだろうと思った。社長に文句は言えないからね。
「忘れました」と答えておいた。嘘も方弁だ。
無職や精神異常者、現実で会えない人間から「だからお前はダメなんだよ。」みたいに言われる。
本当に人生論を聞かせてほしいようなレベルの高い人は、人生しくった経験がないから私のような人間に適切なアドバイスをできない。
人生しくじってるやつにわざわざ近づいてくる人間は、自分より下を見つけて偉そうにしたい、精神がすり減った限界の底辺だけだった。
人生を詰んだ時の問題は、自分に問題があるから落ちぶれたのに、周りの人間も問題児ばかりになるから、自分を信じて道を切り開くしかない。
という点である。
一般的な事例から外れた苦しみ方をしている場合、一般的な事例から外れた解決策が必要になる。つまり、勇気とセンスと根気が必要になる。
女と金(稼ぐ力)だ。自分でもびっくりするほど安っぽい結論にたどり着いた。
こんな安っぽいものではなく、人生で苦しむと、精神的なものを求め始める。
しかし考えてみて欲しい、精神的なものを求めるのは物質的な豊かさに余裕があるからで、物質的な豊かさに余裕があるのに不安を感じるのは自分の実力で手にした豊かさじゃないからだ。
自分の力で金を稼げたら、自分の存在意義とかなぜ産まれてきたとか、人生で何を成したいかとか、そんな大雑把な悩みはなくなる。
会社辞めた後、無職なのを隠して出会い系で女とデートした。無論、職歴を騙すのもアレなので1日で関係を切った。
セックスはしていない。流石に肩書きを騙して付き合った相手を抱くのは詐欺にも程がある。気が引けた。
女とデートするのは楽しかった。母親と仲が悪かったので、女性と一緒にいるのが楽しいと言う現象が起こるとは思わなかった。
今まで生きてても楽しくなかったから、何やってもエネルギーがなかった。
苦しみから逃れることがモチベーションだったけど、楽しいことがなかった。
商学部卒で経営の知識があることと、へっぽこだが経理の経験があること、飲食店でバイトした経験を活かして飲食店を起業しようと思う。
これからくる円安の波に乗っかるため、外国人観光客をターゲットにするつもりだ。
最初は個人店で勝負するがいづれはチェーン展開して行きたい。まぁ飲食なので激務になりそうだが、社内ニートよりマシだろ。
あと売上が立ってきたら並行してマッチングアプリで女をあさる予定だ。
金と女があれば、男は満足できる。金があっても心が満たされないのは、それは自分の実力で正当な方法で稼いだ金じゃないからだ。
女に関しては、訳分からん楽しさがある。浮気はしないようにするつもりだけど。。。
毒親の片親のもとに育ち、勉強を邪魔されるような環境で育ってきた結果、超低学歴だけど借金して実家を離れて仕事を頑張ってなんとかプライム上場企業の総合職として働くことができるようになって10年経った。
18歳になるまでの時間を捨てざるを得なかった自分より思考や収入が下の人間が多い世の中が不思議でたまらない。
車を運転していると横断者がいる横断歩道の前で止まらない馬鹿、ウィンカーを出すタイミングが遅すぎる馬鹿はしょっちゅういる。
職場でも報連相ができなくて何度もトラブルを起こす馬鹿、公私混同して仲良しごっこでやってる感を出してる馬鹿が半数はいる。
まともにルールも守れずに自分本位にしか考えることができない無能はどんなに過酷な家庭環境で育ってきたのだろうか。
無能たちの親の顔が見てみたい。きっと愛されて育ってきて自分には才能があると勘違いしてる馬鹿ばっかりなんだろうな。日本がダメになる訳だ。
小5の息子が底辺だらけの匿名はてなを見ていたようです。父親としてどう対処すべきでしょうか…
私には小5になる息子がいるのですが、ここの所よく マスダガ マスダハ と楽しそうに口にするのを聞いて
同級生に新しいお友達できたのかな…と微笑ましく思っていたのですが
一昨日、妻から
「何だか最近気色悪い低学歴の様な発言までするようになって、どうやら何かのマネをしてるみたいだけど、よくないものを見てるんじゃないかしら、そろそろ思春期だしちょっとオス同士話しあってみてよ」と相談され
その友達に色々悪い知識を教えられてるのかな…とそれとなく問い詰めてみたところ…
…なんと息子は友人達と友人宅でインターネットの匿名はてなを見ていたようです….。
真っ青になって調べてみてあまりの内容に愕然とし、吐き気を覚えました。
普通のソーシャルネットワークサービスぐらいなら、まあそういう興味が湧いてきてもおかしくない時期かなと優しく諭すつもりでしたが
これは流石に看過できるものでは無く、嫌悪感も凄まじいもので本気で息子を怒ってしまいました…..。
正直、未だに信じられません。まさか自分の小学生の息子が、匿名はてなに興味を持つなんて….。
もう息子にどう接していいか分かりません。そんな友達とは即刻付き合いやめろとも言いましたが、反発するだけで取りつく島がない状態です。
息子がこのまま本気ではてサーのネトウヨになってしまうのかと心配でたまりません
私は増田としてどうするべきなんでしょうか
無職製造機と言われる過干渉ヒスママは学歴厨製造機でもあったという話を、去年の年収が400万超えた私が実体験を元に説明しようと思う。
去年の年収が400万を超えたを何故わざわざ書いたか、それは私が弱者だからだ。
毒親育ちと言う弱者的な要素を抱えると、他人から説教されたりマウントされたりする機会が増える。
だから、「過干渉ヒスママは無職製造機」という言葉に反応して「お前が無職なのは自己責任だろ。言い訳すんなゴミが」と言う言葉が返ってくるのを想定してしまう。
攻撃されることが前提にあるから「25歳の時に年収400万稼ぐ程度には社会に適合してたので説教しないでください。そう言う話をしたいわけではありません。」
ただ、人生を順当に生きてきた人には攻撃されたり説教されることが前提にないため、
「なんでわざわざ年収書くの?自慢したいの?そんな中途半端な金額で??うざ!」という反応になってしまう。
ーーここから本題ーー
私の父親は中小企業の役員で激務だった。対して母親は専業主婦だった。
自分の母親を見る限り、承認欲求が強く他人へ関心がある女性は専業主婦に向かない。
専業主婦のような立場になっても問題が起こらないのは他人への関心が薄く適度に面倒くさがりな人間だ。
「人から褒められたい、頼られたい」という願望を持った人間が専業主婦になると問題が起こる。
この手の女性は子供が赤ちゃんで夜泣きしているうちは(大変だけど)問題が起こらない。
子供に物心がつくと家族との関係よりも学校での友人関係を重視し始める。
すると母親の視点では最悪なことが起きる。誰も母親を必要としないのだ。
父親は仕事で忙しくて滅多に家に居ない。子供は学校での人間関係で満足してるから親からの愛情はそこまで求めていない。
「父親なら働くこと。母親なら家事をすること。そして、子供が悪いことをした時に適切な熱量で叱ること。」
これぐらいのものだと思う。情緒面のつながりとか一緒にいて楽しいとかは家の外で作る友達に求めていることで、親には求めていない。
子供は父親が働き、母親が家事をする様子を見て「そう言う役割分担で結婚したんだな」と解釈するので、
「お母さん、家事をしてくれてありがとう」とはならない。「そう言う役割なんでしょ。」と思ってしまう。
父親はずっと仕事しているので専業主婦のメンタルケアなどする暇がない。
「当たり前のことでお礼を言い合うのは格好悪いだろ」ハンターハンターのキルアが言ったセリフだが、現実の人間でも当たり前のことに感謝している人はいない。
すると母親の視点では「情緒面でも役割面でも誰からも必要とされていない」状況になる。
これが承認欲求の強い女性が専業主婦に向かない理由で、誰からも必要とされていない状況が続いた母親は狂い始める。
そしてトチ狂った母親は「子供から必要とされること」で自分の存在意義を見つけようとする。
当時の私には何で喧嘩しているのか分からなかった。兄に対して「短気でみっともない」ぐらいに思っていた。
この日を境に長男が母親に干渉されることがなくなり、代わりに私が干渉されるようになった。
子供から必要とされたいと思った母親は、子供のランドセルを勝手に触って勝手に時間割したりとか
小学生の私「子供が自分でやるべきことをお母さんがやったら、子供が何も出来なくなるでしょ。やめて」
母親「何?お母さんが悪いんか?何でもお母さんのせいなんか?」
私「責任の押し付けをしてるわけじゃなくて、お母さんがやっていることは悪影響があるからやめて」
長男がガラスを破る前は寝る前に自分で時間割をしていたのに、ある日急に母親が私のランドセルを勝手に触るようになった。
今まで自分で時間割してたのになと思ったが、自分で時間割をできない人間として扱われると自信が無くなってくる。
小学生なりに頑張って筋道立てて「子供の成長を願うならば子供が自分ですべきことを親がするべきではない」と説明したのを覚えている。
私「え、子供の成長なんかどうでもいいから自分の評価が欲しいってこと?」
母親「違う」
私「何が違うの?説明して。」
母親「違う!!」
私「違うなら説明して」
母親「ええか、あんたは小学生だから分からんかもしれんが、大人になれば親の言ってることが分かるようになるんや」
私「子供が時間割を忘れるなら自分で時間割をできるような人間にするのが本質的な解決なのに、大人になると問題を水面下に押しやって解決したことにするってこと?」
母親「違う!!!ああいえばこういう!!上司に向かっても言い返すつもり!そんなんじゃ社会で通用しないよ!!」
母親「感謝して!!!時間割してやってんだから感謝しなさい!!!」
家を出る時間、朝起きる時間、宿題をするタイミング、家を出る時の服装、予定の管理....etc
ありとあらゆることを母親が干渉してきた。専業主婦で働いていないだけ体力が残っていて、その力で全力で私の自立を阻害しようとしてきた。
呼吸の仕方にまで干渉されるんじゃ無いかと思うレベルで干渉された。
干渉を止めようとして筋道立てて説得しようとしたり、怒鳴って拒絶しようとしたり、罵倒したり色々と試したが母親と言葉が通じることがなかった。
「そんなに不満なら言えばいいじゃん」と言われた。
健全に社会生活を送れている人の大半は言葉が通じない人への解像度が低いせいでこういうことを平気でいう。
当時の私は「母親が高卒だから話が通じない」のだと考えだした。
本音をいうと母親がヒステリックなのは学歴の問題であって欲しかった。努力で解決する問題であって欲しかった。
良い大学に言って、言葉が通じる情緒の安定した女性を捕まえて幸せな家庭を築きたいと思っていた。
「過干渉ヒスママのもとに生まれたら学歴厨になった」というタイトルで多くの人が誤解してそうだが、母親から勉強しろと言われたことは一度もない。
まず入塾テストがあり、最低限のラインをこえている人間だけを生徒として迎え入れる。
そして、生徒の成績を伸ばすために成績の悪い生徒を公開処刑に処すことで生徒の成績を伸ばしている。
私は下級クラスも上級クラスも両方経験しているから分かるが、授業内容は上級と下級で全く変わらない。ただ、生徒の競争心を煽るためだけにクラスが分離している。
そして、クラス内でも成績で席順が決まる。成績の悪い人が前の席に配置され、成績が悪いという事実を席に座るだけで後ろから見られる仕組みになっている。
私は自己評価が低かったから、下級クラスの前の席に配置されても問題なかったし勉強すれば良いだけだと思ったが、プライドの高い人が下級クラスの前の席に配置されると捻くれ始める。
塾に入ったくせに「なんで勉強しなきゃいけないんだよ。高学歴でも無能な奴はいるって聞くぞ。」みたいなことを言い始める。
今から思えば、多感な時期の中学生を成績順で配置して公開処刑すると捻くれ始めるのは普通のことかもしれない。
ただ、当時の私はそう考えなかった。
「成績の悪いバカは性格が悪く、無駄にプライドが高いから文句を言い始める」というのが当時の解釈だった。
だから、必死に勉強して上級クラスに行こうとしたが、下級クラスから抜け出せなかった。
ある日、自分が勉強しても成績が伸びない理由に気づいた。無駄なことをしていたからだ。
勉強は良いことだと思ってたせいで、作業量の多いやり方で勉強していた。
無駄なことを増やしたせいで効果のある勉強に時間を避けず成績が悪くなっていた。
だから、作業と勉強を区別するようにして、どうやれば成績が伸びるか必死に考えて、勉強方法に改善に改善を重ねた。
その結果として、上級クラスに移動することに成功し、なんとか上級クラスの平均より上の成績になった。
ただ、勉強したことで自分がかなり深刻な問題を抱えているという事実に直面した。
問題点1)勉強を質の高い労働者になるための訓練と考えたとき「勉強のやり方を改善した」は「仕事のやり方を改善した」に該当する可能性がある
問題点2)仕事のやり方を改善できるのは職場で信頼されている人間である
問題点4)母親の過干渉が悪化し、私が自分でやるべき基本的なことは全て母親がやっている。怒鳴ってもブチギレてもやめてくれない。
問題点5)母親は頭が悪いが有能な秘書なのかと思うぐらい子供の予定を把握している。
問題点6)問題点5から察するに勉強しても頭が良くなっても「基本的なことを当たり前にこなす能力」は身につかない
以上の問題点から母親の干渉を全力で止めようとしたが、止まらなかった。むしろ悪化した。
私の母親は頭が悪く支離滅裂なのにしっかりと子供の予定を把握し、干渉してくる。
頭の悪いしっかり者という母親の存在が、逆説的に高学歴社会不適合者の存在を暗示している。
そして自分でやるべきことを自分でやってない私は高学歴社会不適合者になりつつあるんだろうなという恐怖があった。
勉強して色々と分かるようになった分、恐怖が強くなっただけだった。
「勉強ができても、頭が良くても、頭の良さが求めらる立場まで出世できる人間じゃないと意味がない。」
という可能性が頭をよぎったが、どうやって勉強するかが唯一私に許された意思決定だったから学歴に固執するようになった。
塾の教育方針が変わったてから、今まで自由放任で勉強できていたのに急に干渉されるようになった。
塾の先生がいう勉強方法は会社でいうと現場にいない上司がいう仕事のやり方みたいなもので、的確なものには思えなかった。
自分にとって唯一許された意思決定だった勉強を先生に干渉されるのもが嫌だった。
上級クラスの平均より上の成績だったといえ、地元で一番レベルの高い高校を目指していたせいで先生のご機嫌をとるために
わざわざ先生の指導のもと非効率な勉強をする余裕などなかった。
塾の先生もなかなか頭がおかしい人で「そんなに自分の意思で勉強したいなら、
私の意思はあなたの意思だと思え」とか「じゃああなたはあなたの勉強方法で100点取れるの?」とか言われた。
塾を辞めたいと言ったが親に反対された。必死に辞めたい理由を説明したが日本語が通用しなかった。
先生に親の許可はおりなかたが塾を辞めたいという話をすると「子供は大人が稼いだ金で生活してるから反抗する権利はない」とか言われた。
大学に行けばまともな人間と一緒になれるという原動力に近い幻想が塾の先生という頭のおかしな人と遭遇したことで壊れた。
どこに言ってもヤバい人にヤバいことされる人生が続くと考えた瞬間、精神を病んでしまった。
精神を病んだ瞬間、上級クラスから下級クラスに戻り受験は無事失敗した。
心を病んでから母親に干渉されることが無くなったので、母親は子供が成長して自立するのが怖かったから干渉していたんじゃないかと思う。
ただ、メンタルは治らなかった。
高校時代はずっと中学の嫌な思い出を思い出して、まるで現在進行形で嫌なことが起こってるかのように感じて苦しんでいた。
ずっと苦しい感情を抱えたまま苦しんでいた私には友達ができなかった。
お金が欲しかったわけではなく、友達のいないメンヘラで、基本的なことを親がやってきた人間が社会に適合できわけがないと思っていたから自己改善のためにバイトを始めた。
バイトを始めると高校受験の時に頭のおかしな大人に囲まれたいた弊害が出てきた。
例えば飲食店で料理を作った後手が空いた場合「手が空いたから皿を洗おうかな?」と考えて皿を洗うのが普通だろう。
ただ、私はこうならなかった。
「手が空いたから皿を洗えるな。で、私は何をするべきなんだろう?」という状態になった。
自分の時間割を自分でやろうとしたり、自分が下級クラスから上級クラスに上がった勉強方法を続けようとしたりすると母親や塾の先生に怒られることになっていた私は
「自分が正しいと思っていることをすると怒られる」という意味不明な経験を積んでいた。
だから「何が正しいか」の感覚と「どうするべきか」の感覚が全く別のものになっていた。
その結果「手が空いたから皿を洗えるな。で、私は何をするべきなんだろう?」みたいな支離滅裂な思考回路になっていた。
大人の人=自分に対して理不尽に怒鳴ってくるモンスターみたいな認識だったから、職場のコミュニケーションにも支障が出た。
そんなんだったから、バイトを何個か首になった。低学歴のしっかり者だった母親の対義語として高学歴社会不適合者になってしまった。
自分の中の壊れてしまった感覚と向き合って、何とか自己改善してバイトが務まる程度の社会性を身につけたと思ったら大学時代が終わった。
Xを見ていると、低学歴教育ママを叩いているようなアンフェが、東京都の私立高校が無料で通えるにようになった!と言って批判している。
ああ、低学歴教育ママって用語を使う人たちは、制度を理解できないんだなあ、と実感。
東京都の高校授業料無償化とは、子供が私立高校に通う親に、支払った授業料の一定額を都からキックバックするということ。
一方、開成高校の初年度納入金は112万円程度。
差額の64万円は自分で支払わないといけない。
つまり、奨学金をもらって大学に行くような家庭では、どのみち金持ち私立には通えない。
なのにXでは、無料で開成高校に通える、みたいな勘違いをしている人ばっかりで、もう日本人全員が低学歴教育ママになったみたいだ。