はてなキーワード: 二度寝とは
先生が「あとはお家で一緒にいてあげるのがいいのではないかと思います。」と言った。かねてから治療についての選択は彼女が一番苦しくないものを、しかし最後となったら家でゆっくり過ごさせたい、と伝えていたから。もうこれ以上治療はしない。
彼女は三年前、「中国で肺炎を患う謎の風土病が流行っている」くらいの気分のニュースがちらほら出てきた頃我が家にやってきた。しばらくして始まったステイホームとリモートワークのお陰で三年間のほとんど、本当にほぼすべてに近い時間をふたりきりで過ごした。極端な甘え方をする猫だった。椅子の下を通る度にいちいち肩からしっぽまでがこちらの足にスーッと触れるように歩いた。トイレも風呂も洗い物も歯磨きもとりあえずついてきてチョコンと座ってこちらを見入っていた。コンビニから帰る度にレジ袋を嗅ぎに来る旺盛な好奇心とは裏腹にヤマトが来てもUberが来ても玄関から一番遠い物陰に隠れる人見知りでもあった。
コロナによって仕事は波乱に満ちた日々だったけれど、生活空間は驚くほど平坦な毎日だった。早朝の大運動会を付き合わされたあと二度寝してから仕事を始めると、彼女は飛び乗ってきてお昼まで膝の上から離れなかった。ギュウッと抱きしめうなじをマッサージしてやると目を細めた。ノソノソと膝から降りてしばらく窓の外を眺め、午後は日向で仰向けにのんびり過ごし、こちらの晩御飯を嗅ぎにきてはカリカリのお茶碗に戻り、夜はベッドに潜り込んできた。姿が見えなくてもくしゃみをするとニャオミャーオと合いの手が返ってくる。休日は昼間からちびちびビールを飲み一緒にNETFLIXを観た。彼女の存在が時空間を歪め時間の流れをゆったりとさせた。この部屋ではそんな毎日の繰り返しが起伏もなくずっと続く、それ以外の未来はリアリティを感じなかった。いつか別れが訪れることはわかっていたけれど、10年は先の話だと頭から切り離していた。
様子がおかしいことに気づいてからはあっという間だった。治療の度一旦元気になるものの数日と続かない。希望の持てない病状であることが即ち彼女との時間に限りがあることを徐々に、今更のように突きつけてきた。退院のたびに一緒に過ごす時間の愛おしさは、平坦だったあの頃にもあふれていたことに今更気づかされた。何もかもが今更だ。
残りの時間をいくらかでも楽に過ごせるような処方をもらって帰宅し、だらりとコの字で横になっている。まだ近づけばこちらをじっと見返しているし、名前を呼べばしっぽの先を少しだけ振り上げて返事をする。うなじをクリクリしても押し返してくる元気はもうない。
天寿と言うには短すぎたけれどこればかりは彼女の天寿であるのだから致し方ない。特別出演か友情出演のように短かったけれど、この人生に登場してくれて心からありがとう。本当に特別なシーンの平坦な連続だった。
あと数日。長くてもせいぜい一週間。精一杯ありがとうと念じて静かに撫で続けよう。
これから猫を看取る。
山に登る理由として、ジョージ・マロリーが「そこに山があるから」と答えたのはあまりにも有名だ。大正時代から昭和初期にかけて雪山単独行で名を馳せた加藤文太郎は、小説「孤高の人」の主人公のモデルになっており、作中で「汗をかくため」と答えている。
登山を趣味とする私(といっても高くても1000m程度の山にしか登らないが)にとってはどちらの理由もそれなりに納得のいくものだが、私の答えは違う。私は腹を空かせるために登る。
登山はカロリー消費の激しい運動である。単位時間当たりでは登山以上にカロリーを消費するスポーツはいくらでもあるが、一日でのカロリー消費で登山を上回るスポーツは少ないだろう。競技の合間の休憩で大量のカロリー補給が必要なスポーツは知らないが、登山ほど高カロリーを摂取するわけではないだろう。
登山にラーメンやスパゲティを持ち込んで食べることはしない。燃料や鍋など余計なもので荷物がかさばるからだ。キャンプなら麺料理を鍋で煮て楽しむのも悪くはないが、登山では携行性が重要だ。私は登山を始めたばかりの頃はパンやおにぎりを持ち込んでいたが、体積がかさばる割にはカロリーが少ないので、次第にチョコレート・カロリーメイト・ようかんなどの高カロリー食品を持つようになった。「孤高の人」の主人公を真似して甘納豆も持つようになった。チョコレートやカロリーメイトは脂質が多くエネルギーの即効性が悪いので持つ量を控えるようにもなった。様々な携行食の変遷を経て、最近はケーキシロップを中心にしている。歩きながらでも飲めるし、はちみつと違って大量に摂取しても腹を下すことがないからだ。そうした携行食をおよそ5000kcal分ほどリュックサックに詰め込むのが、私の日帰り登山のルーティンとなっている。
とはいえ登山中に全部を食べるわけではない。万が一遭難などして山で一晩過ごす時に備えて余分に食料を持ち込んでいるだけだ。気温・風速(風が強いと体温が奪われる)・行程によって摂取量は異なるが、だいたい持ち込んだ食料の半分程度(2000~3000kcal)を登山中に食べている。
昨日は始発の電車で登山に出かけて2000kcalほど携行食を摂取した。気温が高く風も無かったので摂取カロリーは想定したよりも低かったが、それでも普段に比べれば摂取量は十分に多い。にもかかわらず下山後は猛烈に腹が減った。帰路に就く際に二郎系らーめんの店に寄り、大盛のアブラ増しを食べた。これがとてもうまかった。普段だったら昼飯抜きにしてようやく食べきれるほどの量で、腹の膨れと胃もたれで苦しくて就寝時間になっても眠りにつくことができないほどである。しかし、登山帰りの昨日は違った。食後はさすがに腹が膨れて満腹感があったが、10分もすれば胃が収縮していく感覚があり、満腹感はすぐに消えていった。胃もたれもなく、疲れのせいかすんなりと就寝することができた。
今日も休みだから昼頃までずっと寝て過ごす予定だったが、日の出前にあまりにも腹が減って目が覚めた。気にせず寝続けようとしたが、腹が減りすぎて二度寝できなかった。腹が減って目が覚めることを諸君らは経験したことがあるだろうか。いつもより早くて量の多い朝食後も腹が減りっぱなしで、普段は取らない間食も取り昼飯も大量に食べた。それでも体重は昨日より減っているから驚きだ。代償として、両足を中心として全身が筋肉痛になっており、立ち上がるだけで両足が痛む。筋肉痛が収まるまで2~3日は、いつもより食事量が増えることだろう。
明け方、自宅で陣痛らしきものを感じ始めた時、寝ている夫を起こしてその旨を伝えたところ「えっ、ぼ僕はどうしたらいい?」と発言後、すこしだけ慌てた様子を見せたと思いきやそのまま二度寝をしていた。
陣痛がきたらやることリストを既に渡していたのになんて頼りない人なんだろう、とほんのり絶望しながら、入院の準備を一人で進めた。
その後陣痛が本格的に痛くなってきた頃、私のうめき声に気づいた夫が危機感を抱いたのか起きてきて準備を始めてくれた。
コロナ禍での諸々の制限のため、病院まで送ってもらったものの玄関前で夫とはお別れをした。
私は無痛分娩を選択していたのだが「無痛」といえど全く陣痛を経験しないわけではなく、ある程度身体の準備が進んでから麻酔を入れることになっていたため陣痛室で2〜3時間ほど痛みに耐えた。
子宮口が少し開いてきた頃ようやく処置室に移動し背中に管を入れ麻酔を注射(点滴?)した。
数分後にはそれまで感じていた規則的なお腹の痛みは嘘のようになくなり、下半身に保冷剤を当てられても冷たさを感じることさえできなくなった。
併せて、お腹にバルーンを入れたり、陣痛促進剤を打つなどしてお産を進める準備をした。
処置後再び陣痛室に戻り、軽い食事を摂ったり、持参したおやつを食べたり、スマホをいじったり、仮眠をとったりしていた。
麻酔が切れてくると痛みで何もできずうめき声をあげるだけの存在になってしまうので、度々ナースコールをして麻酔を追加してもらった。
途中からポンプを繋いで自動的に麻酔が入るようになり、そこからは一度も痛みを感じることはなかった。
麻酔を入れていなければとてもじゃないが眠れる痛みではないらしいので、無痛分娩を選択してよかったなと思った。これが12万円の追加費用の価値だ。
ただ、麻酔の副作用もゼロではなく、陣痛はないものの身体のいたるところが猛烈に痒くなった。
掻いても麻酔が効いているせいで掻いた気にもなれず苦しい。冷やした濡れタオルをかゆい箇所に当て気を紛らせていた。
麻酔を入れ始めてから約7時間後、子宮口7センチで破水し、分娩室へ向かうこととなった。身体に痛みはないものの、ほんの数メートルの距離だが車椅子に乗せてもらい移動した。
そこからあっという間に子宮口9.5センチまで進んだので夫を自宅から呼び寄せ病院の駐車場で待機してもらうことになった。
しかし子宮口9.5センチからなかなか進まず、結果的に夫は駐車場で4時間待機することになった。
私は、分娩台に乗ってからもおやつを食べたり、眠ったり、待ちぼうけの夫には悪いがかなりリラックスして過ごしていた。
しかし時間が経つにつれ徐々に吐き気を感じるようになり、分娩台の上で4〜5回ほど嘔吐した。ただ、吐いた後はスッキリするのでさほど辛くはなかった。
この吐き気が麻酔の副作用だったのか、陣痛中よくあることだったのかは聞いていないため分からない。
時折、身体の中から何かが出てきそうな、便意や痛みに似た妙な感覚があり辛かった。助産師さんにその旨を伝えると肛門のあたりをギューと押してもらうことでかなり楽になったのでやはりプロはすごいなと思った。
子宮口全開大になってからもなかなか赤ちゃんが降りてこず、お産を進めるために破膜することになった。
破膜後30分程でようやくGOサインをもらったので夫に連絡を入れた。
夫が分娩室に到着するタイミングでちょうど吐き気の波が来ていたため、入室するやいなや下半身丸出しおっぴろげ状態で桶を抱えてゲロゲロしている姿をどーんと見せることになってしまい少し恥ずかしかった。夫にとっても、かなりショッキングな光景だったように思う。
吐ききってからはお産に集中した。夫は私の隣に立ち、とても真剣に励ましたり応援してくれたり、たまに水を飲ませてくれたりした。
しかしいくら応援されても赤ちゃんは出てこない。陣痛がないため、いきむタイミングやコツががつかめなかった。
お医者さんが「介入しますね」と言い、私の腹部に全体重をかけるようにしてグイグイ押し出してくれた。それに合わせていきんでみたものの結局自力で出てくることはかなわず、会陰を大きく切開しての吸引分娩となった。
お産が終わればそのような言葉をかけられるものだと思っていたが、期待していた言葉は聞けず、分娩台に横たわる私のすぐ隣で赤ちゃんへの心臓マッサージが始まった。
お医者さんと助産師さんたちがよく分からない言葉で会話をしていた。どこかに電話をかけ、よく分からない言葉で説明をしていた。電話の相手はどうやら小児科の当直医のようだった。
コウノドリ読まなきゃよかった、と思った。当直医が呼ばれるシーンはろくなことが起きないからだ。産休で暇な中、ちょうど漫画アプリで全話無料だったから読んでしまっていた。
不安で不安で仕方がない中、そのまま会陰の処置をされた。かなり縫われたようだが、それを気にする余裕はなかった。また、これも麻酔のおかげで痛みはなかった。
分娩台の上からだと、隣で処置をされている赤ちゃんの様子がよく見えなかった。赤ちゃんに繋がれた機械に、SpO2 85の文字が光っていた。
SpO2って95%以上が正常値じゃなかったっけ。新生児は80台でも問題ないのかな。そんなわけないよな。死んじゃうのかな。いやきっと無事だよな。でも死んじゃったらどうしよう。
そんなようなことをグルグル考えて、出産の余韻に浸ることはできなかった。
後に夫とこのことを振り返ったが、この時の私は「このままショック死するんじゃないかと思った」と言われるような表情をしていたらしい。
しばらくして私服姿のおじさんが分娩室に入ってきた。さっき電話をしていた小児科の当直医らしかった。
あまり慌てた様子はなく、助産師さんたちに状況の確認と指示を出していた。
検査へと連れていかれる直前に短時間ならカンガルーケアができるよと言われたものの、その数分で何かが手遅れになるのが怖かったので拒否をした。家族3人の写真を数枚だけ撮り、そのまま赤ちゃんを見送った。
赤ちゃんと共にお医者さんも助産師さんも分娩室から出て行き、夫と二人きりになった。
その時夫とあれこれ会話をした。夫は私を労ってくれていたような気がするが、赤ちゃんのことが心配なのと、疲れ果てて眠いのとで頭がいっぱいいっぱいで、今となっては何を話したかあまり覚えていない。
しばらくして助産師さんが戻り、立ち会い終了の旨を伝えられた夫は分娩室から出て行った。
私はそのまま分娩台の上で気を失うように寝落ちした。
2時間ほどで起こされ、車椅子に乗せられ、個室へと連れていかれた。
部屋についてから入院に関するあれこれの説明を受けたものの頭がぼんやりしていたため何を言っているかさっぱり分からず、とりあえず分からないことがあれば聞けばいいやと思いナースコールの番号だけ覚えて眠ることにした。
2〜3時間後に目が覚めると、下腹部と会陰の傷が信じられないほど痛かった。
しばし耐えてみたものの、もうだめだと思いナースコールをかけると、枕元にロキソニン置いてるってさっき説明したよと言われた。そんなの覚えてません。
ロキソニンを飲みしばらくすると少し痛みが引いてきたので再度眠りについた。
翌朝、朝食が部屋に運ばれてきた。ご飯が美味しいと評判の産院を選んでいたため、朝からかなり豪華な食事だった。
しかし食事の豪華さ以上に、妊娠中に感じていた味覚の変化が元に戻っていることにいたく感動した。美味しいものを美味しいと感じられることはとても幸せなことなのだと思った。
その後ハミガキをした際、妊娠中ずっと悩んでいた舌の白さが軽く磨くだけで綺麗になることに気づき、これにも大変感動した。
たった1日でこんなにも身体の状態が変わることが不思議だし、面白かった。
お昼頃には赤ちゃんが保育器から出ることができた。すやすやと眠る元気そうな姿を見て、ほっとして涙があふれた。無事で本当によかった。
産後は母児同室がメインなのだが、「ママの休息と回復が最優先」と言ってくれる助産師さんたちの言葉に甘えて、ほとんどの時間をナースステーションで預かってもらった。
入院中には、だっこの仕方、おむつの替え方、ミルクの与え方、沐浴の仕方、産後の過ごし方などを教わった。
事前に育児本やYouTubeで勉強していたものの、座学と実践は全く違う。下半身の激痛に耐えながらふにゃふにゃの新生児を相手にするのはとても大変だったが、愛おしく、充実した時間だった。
最終日、チャイルドシートを搭載した車で夫が迎えにきてくれた。素晴らしい秋晴れの退院日和だった。
分娩・入院費用で既に42万円を支払っていたものの、諸々の処置や薬代等で追加費用が6万円ほどかかった。一時金の直接支払をあわせて、計90万円也。共働きでよかった。でも、出産も保険適用にしてもらえると嬉しいです。
帰宅後、お祝いのケーキを夫が買ってくれていた。妊娠中に食べられなかったお寿司も出前をとってくれた。お寿司とケーキを、ベビーベッドで眠る赤ちゃんを見ながら夫と二人で食べた。
出産の思い出をインターネットの海に流していつまでも見返せるようにしておこう、あわよくば誰かからおめでとうと言ってもらおうというよこしまな考えで書いたものでしたが、思いのほか多くの方に読んでもらい、お祝いの言葉をいただけて大変嬉しいです。
まだ退院から1週間も経っていませんが、少しずつ新生児との生活にも慣れてきました。
分娩直後はどうなることかと思いましたが、赤ちゃんは元気です。今日もたっぷりとミルクを飲んでたくさんお昼寝しています。
たまに悪魔のように泣き喚いてどうにもならない時もありますが、元気に泣いてくれる方が嬉しいよねと自分と夫に言い聞かせてほどほどに奮闘しています。
昨日ようやく命名ができたので、今日は出生届等の書類を用意しています。確定申告のことは何も考えていなかったので、ちゃんと調べます。ブコメでのアドバイスありがとうございました。
また、冒頭で少し夫の愚痴を書いてしまいましたが、つわりの酷かった妊娠初期から今現在まで、ずっとフルパワーで支えてくれている最高の夫です。
陣痛開始時の二度寝は、100点満点中10億点取っていた中での減点マイナス10点で9億9999万9990点になったくらいなのであまり気にしていません。
眠れないとは具体的には
・寝付きが悪い
・夜中1,2回程度目が覚める
・その後は眠れるときもあれば、数時間眠れないときもあるが一応眠りにはつく
・その後朝方目が覚める
・アラームの鳴る1,2時間程度前のことが多く、起きてしまうには早いが二度寝するとかえって辛い
・翌日は眠気や頭の違和感はあるが、起きていられなほどでもないし、昼寝しようとしても眠れない
という状況だ。
1日の活動がまったくできないほどではないが、仕事が終わったら疲れ切ってしまい、好きなことに割く時間はあっても気力や体力がわかず、別段長時間残業や連勤をしたわけでもないのに仕事だけで1日が終わってしまった、喪失感というか、とてももったいない感が強く、それがストレスなのである。
もういい歳なので、健康維持増進のためにも軽いトレーニングは欠かせない。
また、睡眠負債は万病の元というか、老化やハゲを加速させると聞くので、完全に止めることはできないまでも、可能な限りは徹底的に抗い、遅らせたい。
今後加齢臭も現れ、ハゲ散らかし、「おっさん」「オヤジ」とひとくくりにされ、蔑まれること自体は不可避としても、「ただ醜く汚くらしいおっさん」にだけは絶対になりたくないからな。
得た物
画力、CG関連スキル、動画編集スキル、作曲スキル、プログラミングスキル、IT関連の知識(フロントエンドはもちろん、サーバーとか、sqlも勉強した)、ゲームに関する知識
失った物
プログラミングを完全にやったことがない、絵も小学生レベルからスタートしたからそれを思うと得たものは多いけど、金銭的な収益は5年で数万程度
仕事後にやっていたので無理が積み重なってドライアイ、下痢等様々な病気になった
彼女にも構えずに捨てられた
健康的にもう自分から腰を据えてゲームをやることはないけど、ゲーム好きな人になら負けないぐらい新作、インディーゲームの知識がある、流石にライター等には負けるけど
半年目ぐらいにはプログラミングは二度とやらない、この先は外注すると思っていたから自分でもここまでできるようになって驚いてはいる
でもそれだけ
人生の5/60を使ってやることだったか?というと別にそうでもなかった気がする
絵描きやYouTuberとして活動してたら副収入で、年50万ぐらいにはなってただろうしな
最近ハル研の桜井さんがゲーム開発講座みたいなのやってるけどゲーム開発はコスパ悪いよ
外から見て思うゲーム開発はゲーム開発の1割の部分で、残り9割の作業部分やらないと完成しないから
1時に寝て、3時に目が覚めて、今から二度寝すると仕事に遅刻しそうだから7時までゲーム開発の続きやるとかやってたw
やらないと完成しない気がして、休みの日は15時間やるとかそういう無理を結構してしまうし、ゲーム完成させてる人はだいたいみんなそんな感じ
私は幼少期から低血圧で、季節の変わり目や低気圧にも弱い体質である。毎朝目覚まし時計が耳元かつ大音量で鳴り響き、母親に布団をはがされても目が覚めない。意識がはっきりせず時間感覚も希薄なので、毎朝お決まりのように遅刻する。家族や友人、学校の先生など様々な人達には本当に迷惑をかけてきたし、ため息をつかれたり責められたりして毎朝悲しい思いをしていた。自己肯定感が低めであることを社会人になってから自覚したのだが、これは幼少期から続いている「自分の身体をコントロールできないもどかしさ」「寝坊や遅刻に伴う罪悪感」が根底にあると思う。
しかも、どれだけ早寝をしても睡眠時間と身長が伸びるだけだった。こうなると、何が何でも成長したがっていた身体側のバグだとしか思えない。健康優良児かつ問題児である。
職場の上司にも入社直後に相談をした。幼少期から朝起きられないことが悩みであると告げると「気持ちはわかるよ。私も低血圧で朝が苦手なんだ。熱いシャワーを浴びると目が覚めるから、あなたもやってみてね」と笑顔でアドバイスをいただいたのだが、雷に撃たれたかと思うほどの衝撃であった。私はどうやったら意識を取り戻せるのかというレベルの話をしているのであって、「目覚める」の解釈が根本的に違うのだ。あまりにも話が平行線だったので、社会人になってからは平日21時台には布団に入るようになった。なお、それでも社会人2年目までに3度ほど遅刻経験がある。職場の先輩方からは身体を気遣われ、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
私が毎日アラームの音に気がつけるようになったのは、身長が完全に止まった社会人3年目の夏だった。ちょうどその頃、有名大学の起立性調節障害専門の先生とご縁があって「困ったら相談しに来てね」といただいた名刺が今も私のお守りになっている。
これは毎日試行錯誤する中で最近気がついたことなのだが、私が起きるまでには5つくらいの工程があるようだ。
①アラームの音に気がつく→②右目を開く→③両目が見えるようになる→④頭が起きる→⑤身体が起きる
まず、目覚まし時計が聞こえなかった幼少期は①で躓いているので論外である。もはや毎晩失神していたのでは?とすら思っている。
最近の課題は②→③なのだが、同居人に「左目はまだ寝てるの?」と聞かれてようやく、自分が右目から開けていることを自覚した。なぜか左目を開けるのがとんでもなくキツい。試しに動画を撮ってみたら、無理矢理開けた左目が内斜視になっていてびっくりした。その斜視が治るまで10分ほどかかっており、その間に睡魔に負けると二度寝する。しかも、③→④→⑤はスムーズにできる。私にとって、頑張ればよいポイントを見つけられたのはとても革命的だった。
思いつきで書いた文章ではあるが、この記事を読んでいる誰かの気づきになったり、毎朝格闘している同志が見つけられたりしたら非常に嬉しい。
いっぱい寝てしまう
不眠症気味なので眠れない時は眠れないが そういう時も2時には布団に入って不毛な4~6時間を布団で過ごし 朝8時ごろにようやくうとうとしはじめてそこから6~8時間眠り 夕方に起き出して水を飲んだりするものの何もしたくないので再び布団に戻り ぼんやりしているうちにいつのまにかまた二度寝していて 夜に起きて何か食べて また布団に戻り…… 食事のタイミングや夜寝つけたり寝付けなかったり 月に一度か二度消耗品を買いに出たりしながら毎日だいたいこのサイクルを繰り返す 昼間は起きているのが苦痛なのでだいたい無理矢理眠っている
何かしなければという焦りとどうしようもないほどの何もしたくなさで毎日苦しい
二度寝の時も怖い夢だった…
夢で僕は引率バスの運転手で発車前に試験官のおばさんが何か難しいこと言い出して出発できなくなった
どうでもいいので早く生徒たちと話がつかないかなと思いながらぼんやり外を見てると、片手にダイナマイト、もう片手にカミソリを持った少年が大きな風船に吊られてふあふあ浮かんでるのが見えた
ダイナマイト少年がやばいから助手席側と運転席側の窓を閉じたんだけどAピラーの三角のところのガラスが外からでも開く仕様なのを知らなくて、そこを押し込んでダイナマイトを入れてきた
なんとか押し戻すと窓を無理やり押し下げカミソリで切りつけてきた
なんだかんだで相手は少年だから力ずくで押し返してる途中で目が覚めた
怖い夢が続いたなぁ
https://anond.hatelabo.jp/20220630040756
ブコメ返信書きました!沢山おすすめしていただいてありがとうございます!
知らないのも多くて嬉しい
好きな漫画探しても既読か知ってるか読んでも微妙以外が3%しかない!助けて!!
自分の好みど真ん中のやつ
キーワードにするとすこしふしぎ、日常物、児童書っぽさなどが好き
・モモ
・白乙一
長い道
クロクロク
虫と歌
働かないふたり
変身のニュース
足摺水族館
夜とコンクリート
無限大の日々
最果てアーケード
鞄図書館
バーナード嬢曰く
つづきはまた明日
雨柳堂夢咄
クレマチカ靴店
放課後保健室
GA学園
棺桶担ぎのクロ
夢の博物誌
二度寝してた……すまん
夢幻紳士(何篇かは忘れた)
あかりや(無料公開しているのにAmazonで買ってから気づいた)
https://www.mangaz.com/book/detail/46061
最果てのソルテ(水上悟志作品は完結済みだとサイコスタッフ、惑星のさみだれ、戦国妖狐読んでて戦後妖狐大好きだけど児童書よりは少年漫画寄りかな?と思って上げなかった。ソルテは児童書感が一番強いので一番に好きになりそう!)
銀のニーナ
なんてないことのふつうの夜に
春と盆暗
回転銀河
となりのロボット
ゆうてテガミバチもネウロもハガレンも大好きな人間なので別にとにかく面白いけどマイナーな漫画でも投げてくれて全然かまいません!小説映画曲アニメゲームドラマでも可
③なんでもいいので知らないおすすめ作品ぐらいの優先順位でお願いします。
児童書とラノベ読んで育ち漫画描き出してからは漫画ばかり読んでいるので他分野
ゲーム、映画、ドラマ、アニメ、女性向けの漫画は知識が薄いです。
つーわけで漫画に詳しいブクマカ頼みましたよ……私は寝ます……
無事本日の漫画増田になれたようで沢山ブクマでお薦めしていただきありがとうございます。
【宣伝】カシワイさんに影響受けてた時に描いた漫画まとめてるから、すこしふしぎ日常ファンタジー短編読みたい人は読んでみてね!
https://twitter.com/i/events/1446098829112070146?s=21&t=vKyvx4ZJwyhLKOX26W6q6Q