はてなキーワード: プラマイとは
ニュースをYouTubeやネットニュースで確認するようになり地デジは一切見なくなった為、テレビからモニター+スピーカーに替えた。
ちなみにAmazonプライム、ネトフリに加入しているけど基本iPadとかPCで観てる。
すでにモニターで生活し始め3週間ほど経つが全く支障がない。むしろ音が格段に良くなり大満足。
これは外付けスピーカーのおかげだ。
音量調整をモニター側でちまちまやるのがめんどくさいって理由でテキトーに安いヤツつけたんだけど音が全然違う。
ゴミとなったテレビはジモティーで「無料で譲ります」と投稿すると、冗談抜きで1秒で連絡が来て、10分以内に貰い手と日時・取引場所が決まった。
※※このサービス利用は、NHKを解約する際すげー大切になってくる※※
選択基準はとりあえず評価に『残念評価』がひとつもない人、かつ自分の都合に合わせてもらえる人を選んだ。
中には無料でって言ってるのに2000円出すと言って枠を勝ち取りにくる人もいた。評価があれで無視した。
ちなみに連絡してきた相手の情報を見ると、多分ほとんどが地元の人ではない。
知らんところで金にされるのか〜と思うと少し引っかかったけど、わざわざ家まで引き取りに来てくれたし無料のゴミ収集車だと思ってその日のうちにお譲りした。ゴミとして出すと金がかかるしな。
解約は
①電話をかけて(なかなか繋がらない)
④書類返送
という流れ。
解約理由の説明は「地元リサイクルサービスを利用して人に譲りました。スマホはiPhone、チューナー内蔵機材は所持してません」と話した。全て事実。
そんな中、驚いた質問。
そんなことまで確認するんだ?と思いつつ幸いにもジモティーの貰い手募集ページや相手とのやり取りページがあった為、証拠としての提示は困らなかった。
そして処分した証拠書類(画面のスクショ)を印刷して送り返した。
呆気なさ、やり切った達成感、自由を得た開放感がある。
そしてなによりも2ヶ月4320円ってなんなんだよ?我慢してたディズニー+余裕で入れるじゃねーか?!というピキピキで情緒不安定になっていた。
当たり前なんだけど1年あればモニター+スピーカー代も余裕で戻ってくるんだよね。
【NHK1年】2ヶ月4320円×6=25920円
たっけぇ、たっけぇ、たっけぇわ。
今まで深く考えたことなかったけど月2160円どんな内訳だよ!?なんの金なんだよ…!?
他人の家の分も払ってんじゃねーの?って思って一度サイトで料金確認したくらいだ。
こういう周りからチヤホヤされたいがためだけにガキ産みっ放しにする精神薄弱児が「自分は産んだからいい」という謎理論で放棄した本来自分がするべき労働納税の社会貢献を自分の配偶者と他人果ては自分の子供にまで押し付けた挙句に「社畜と子作り家畜以外は社会貢献してない」というデマカセを子供が学校行く前から徹底的に刷り込むから、労働力と税金はおまえが放棄した義務の分だけ足りないし子供は自分の将来に何の希望も見いだせずに自殺したりニートになって一生社会に負担だけかけ続けるようになるんだろうが。
おまえはまずその「子供さえ産めば他の面倒なことは夫が親が社会が自分の子供がやってくれる」っていう甘ったれた考えを自覚して、セックスしたら子供が出てくるっていう動物が何も考えなくてもできることをしただけで社会に貢献してるっていうおまえ自身薄々「無理だな」って分かってる欺瞞にしがみつくのをやめて、人並みに労働納税しろ。義務とか社会貢献とか自分がやってないことを語る前にまず自立しておまえ自身の面倒見ろ。自分の面倒も見れないヤツがただ動物として活動してるだけで「社会貢献」なんてしてるわけないだろ。おまえはただ動物として生きて社会(他人)に面倒を見てもらってるだけだ。
まず労働納税という義務を自分個人として(自分の子供にやらせるんじゃなくて)ちゃんと果たして社会貢献した上で、飯を食うとかセックスするとかおまえが動物として自分のためにやりたいことは自分の責任で自分で勝手にやれ。人間は社会に提供するだけじゃなくて持ち出しもあるんだから、新しい人間を一人つくるのは「貢献」じゃない。プラマイゼロだ。子供を産んだというだけでおまえが勝手に放棄した義務は必ず誰か他の人間がやらなきゃいけなくなる。おまえの子供にはその子供自身が社会に対して果たすべき義務があるんだから、おまえがするべき貢献を子供に押し付けるな。セックスするとか小動物を可愛がるとか自分がやりたいからやってることを勝手に社会貢献に勘定して自分の義務を放棄するのをやめろ。
ふるさと納税の欠点を解消した、ぼくのかんがえた最強の納税システム、名付けて「エスクロー方式」を思いついたので増田に書き増田。
総務省には怒られるかもしれないが、結構行けると思うんだよ。誰か実装してくれ。
積極的にお互いにふるさと納税を行うようして、寄付納税額を全体で概ね「ゼロサム」にすることを保証する。
これによって、ふるさと納税の問題点「税金が流出してしまう」という事を防ぐシステム。
手数料を抑えるなら、いっそ返礼品を地域限定電子商品券に限定してしまえばいいかもしれない。そうすれば発送事務もないので安くできるだろうとは思う。
総務省に微妙に嫌がられそうだが、名目的には行けると思うしどうだろう。賛同者を集めて、自分の所はここからの寄付以外認めないという自治体が増えていけば、面白くなるんじゃないか?
ちなみに、企業版ふるさと納税では既にこう言う事がが行われているらしいとも聞いた。
例えば、別々の町の社長さんが結託し、お互いの町に「町営施設の補修に使え」と同じ金額を寄付し合うと、納税額はプラマイゼロになるが、税金とちがって使い道を指定できるので、ダイレクトに政策に反映できるのだそうだ。
小学校からの腐れ縁のオタク仲間で、それぞれ住んでるジャンルは全然違ったけど沸った想いをお互いに語り合い聞き合い、インターネットミームでゲラゲラ笑ったりした。一緒に旅行に行ったり、同人活動を手伝ってもらったり、しょうもないネットの記事をLINEに送りつけてだらだら下らない話をしたりしていた。
ただ自分はアホだからたまに何か失礼だったり不快なことをやらかしてしまって、その度に相互フォローのアカウントでエアリプみたいにぼかして愚痴られてるのが昔からしんどかった。
しんどかったけど、こんなアホのポンコツ人間とこんなにも長く仲良くしてくれていい奴だな、自分が悪いな、またやらかしてしまったな、いつも申し訳ないな、優しいから直接言えないんだろうな、とずっと思ってた。
コロナ禍が始まった年だったか、自分の推しが大変なことになって、すごく精神的に荒れてた頃があった。
大変だから何とか応援したい+見納めになるかもしれないタイミングだった。だから元親友を今までイベント事に誘ったことは多分ほぼ無かったかもしれないけど、その時はよかったら今度有料配信があるから観て欲しいって誘ってみた。けど観れたら観るわ(観ない)で、当日は自分の推しの映画だか配信だかを見ていた。
あっちの推しのイベントや遠征にも付き合ったのに、こっちの推しには、推しが大変だって話してたのに付き合ってくれないんだと思って、それが結構ショックでTwitterで思わず愚痴ったら、それがド地雷だったみたいでまたTwitterで愚痴られた。
それについては結構長いこと愚痴られて、やっちまった感で申し訳無さと自己嫌悪で結構しんどくて、お詫びに誕生日祝いも兼ねてプレゼントをあげてとても喜ばれたけど、謝罪に対しては「いやお前の推し知らんのよ」って言われたのもまたショックだったし、その後も愚痴は止まらなかった。
以前はルームシェアでもするか、老後は一緒の老人ホーム入ろう、なんて言ってたのに、突然家を買うみたいな話をしだして、態度も一気によそよそしくなった。
謝ったから許されるとは思ってなかったけど、遠回しに独り言みたいにぼやかれるよりハッキリぶつけてもらいたいと思って、ビビりながらクソ長文LINE送ったけど「別にお前のことじゃないけど、誤解させたなら悪かった」「Twitterで愚痴られるの気になってたって言う割に、自分はこないだそういうツイートしてたよね^^」みたいなことを返された。
こんな人だったっけ?と思った。
それから、私が悪かったなと思った。
私は期待し過ぎてたんだと理解した。
いつも私の推しなんか別にいいよって10年以上言ってたのに、いきなり見てくれって何だって話だし。そもそも顔がどうしても覚えられないってずっと言われてたのに。その時元親友の推しもコロナで大変だったのに、自分本意だったなって反省した。
元親友の推しジャンルは自分からは好まないものの、親友の好きなものだから知りたいし喜んでる親友を見たいと思っていた。でも友達だから必ず付き合う必要も無いし、断るという選択肢あったのにそれを選ばなかったのは自分だった。
「何かあるなら直接言ってくれ」は、嫌な思いをさせた側のエゴでしかない。Twitterも私が誤解してるだけならフォロー外して見なければいいだけだ。
ただこれは私の悪意が含まれるけど、もしこの場は誤魔化されただけで、実は本当に私の愚痴だとしたら、本人が見られる場で「はぁ〜嫌な思いしたな〜いやお前のことじゃないけどね?」と繰り返し発言する神経が分からないなとも思った。
だからとりあえずTwitterのフォローを外した。相互フォロー必須の鍵垢にしてたから申し訳ないけどブロ解した。一言も言わなかったけどフォロリムご自由にって書いてあるからまあいっかと思った。自分のことじゃないとしても、もう元親友の愚痴を見たくなかった。
あまりのよそよそしさで、もう元親友は私のこと嫌いなんだろうな、もう遊ぶこともないだろうなと思い込んでゲームのフレンド登録も消してしまった。
まあ腐れ縁だし遠い将来に来たる訃報くらいはなと思って、LINEだけは一応残した。SNS一つ残ってれば連絡は取れるし、今までもLINEでよくやりとりしてたし。
もしかしてこのことでまた何か呟くかなと思ってTwitterを覗きに行ったら、やっぱり私の愚痴を話してた。「おっ向こうからフォロー外したかw助かるわw」なんて言ってた。
最終的に「私は何もしてないけど突然友達にTwitterで暴言吐かれた。後から謝りたいと言われた」「元々変な子だったし付き合いも長いからまあいいよって返したけど、結局その後Twitterもゲームもブロックされた。LINEもブロックされてるかもしれない」「多少モヤったけど、自分でも驚くくらい感情が動かなかった」「私のことを大事にしてくれる友達を大事にしていこうと思った」みたいなことをツイートしてた。
ああ、これが本音かぁ。そうだったんだ、今まで長らく本当にごめんね。でも本当にそんな人だったんだね、今まで気づかなかったよ、ごめんね。
昔から変な奴と思いながらも付き合ってやってたのに、いきなり地雷踏まれたらそりゃあ不快で嫌いになるよなって納得した。
今まで一緒にゲラゲラ笑ってた思い出も全部パァになるくらいどうでもよくなったみたいだし、そこまでになったら私ももう関係を取り戻すのは大変過ぎる。
冷静に考えれば黙ってフォローを外すなんてとても乱暴で、ともすれば強いショックを与える可能性のある行為だったと思う。でも何も感じなかったそうだし、変に断ってから外すとそれはそれでめんどくさかっただろうから、結果的にこれで良かったなと思った。
本当に他意は無かったのに私が勝手に気にし過ぎてグルグルしてるなんて精神的に不健全だったし、向こうからしたらどうでもいい奴が視界から消えたし、お互いにとってこれがベストだったに違いない。
きっともう二度と連絡し合うことは無いんだろう。「達者でな」ってツイートに心の中で、お前も元気で暮らせよ、いつか線香あげさせてくれたら、もしくは線香あげに来てくれたら嬉しいよと返しながら、晴れやかな気持ちでTwitterの検索履歴から元親友のアカウントを消した。
それから1年半くらい経って、突然連絡が来た。
遠慮がちに腰低く「連絡見るのも嫌かもしれないけど、良かったら忘年会でも」みたいな連絡が来た。
正直ねずみ講かどこどこに投票してくれみたいな話かと怪しんだけど、私のことが嫌いを超えて無関心になってたのに、どういう風の吹き回しなんだろうと思った。以前元親友のことを相談していた友達には止められたけど、応じてみた。クリスマスも近かったから、元親友の好きな食べ物を手土産に買って行った。
実際会ったら全然ねずみ講じゃなかった。腰が低かったのは直前にクソ長文LINEが残ってたから気を遣ったそうだ。
仕事で鬱になってしまって、死ぬことをふと考えた時に、死ぬまでにやりたいこととして私に会いたいと思ったらしい。
一方的に切られてもショックを感じないくらいどうでもいい嫌いな人間に会いたくなるなんて、鬱はやっぱり怖い病気だなと思った。自分もなったことがあるが、食が細くなったり不眠になったりで体力が削られることで余計に弱って考えや行動がおかしくなるから仕方ないなとは思った。
あと友達を増やすにはどうしたらいいかと相談された。元親友にとって私は「友達を大事に出来ない人間」「いきなり暴言吐いてくる変な奴」なのに、どうしてわざわざ会って訊くんだろうと思った。
私を含めて友達と言える人はすごく少なくて、でも私以外の友達には遠慮してしまって物寂しさを感じてるらしい。自分なりに友達に配慮して、大事にしてて偉いなと思うと共に、どうして大事にされてないと感じる私がまだ友達扱いなんだろうと内心首を傾げた。
色々不思議だったけど、鬱はどうしても一定ネガティブになるから思考の壁打ちは大事だし、自分なりに答えて、後は昔みたいに最近ハマってるジャンルの話とかして、よいお年をって解散した。手土産は素直に受け取って帰っていった。
まずプラスのパターン。これは「何かを投じてる」という意識が無く、ただただ楽しい・快と思える状態。
次にプラマイゼロのパターン。これは例えば「あの人すごいめんどくさい(=精神でマイナス)けど、高いご飯奢ってくれる(=金銭でプラス)んだよな」「あの人暴力振るう(=体力でマイナス)けど、一緒にいると幸せ(=精神でプラス)」みたいな状態。
最後にマイナスのパターン。これは「こんなに○○してあげたのに、ちっともお返ししてくれない」「本当は○○したいのに物足りない、寂しい」など、自分の投資に対してリターンが少ないと明確に感じている状態。
例えば同級生、同僚だとか同じコミュニティにいたり、妊婦仲間とかライフステージが同じだと、時間や精神が自動積立されるから関係性が維持しやすくて、逆に同じじゃない場合は維持したいなら自分から積極的に投資しにいかないといけないし、相手も自分に投資したいと思っていてくれないと成立しない。
あと精神に関してはFXとか暗号資産みたいなもので、突然高騰したり暴落したりする。一番不確定要素がデカい。先の例で言うDV彼氏みたいな、客観的には大損でとっとと手放した方がいいのに、本人にとってはリターンがすごくて手放せなくなる、みたいなこともあるから、ちゃんと自分の状態をメタ認知していかないと危ない。
更に人間関係は、アップデートをかけ続けていかないといけない。
もちろんしなくてもいい・必要としない関係もあるけど、例えば学生から社会人になる、結婚をする、子供ができる、みたいなライフイベントは、その人の暮らしがガラッと変わる。暮らしが変われば連絡の取り方だけじゃなくて、その人のトピックスもボキャブラリーも変わってくる。
人間関係ってどうしても現状に甘んじてアップデートをあまりかけないけど、例えば「独身同士の付き合い」があって、ある日どちらかが結婚・出産した場合、「独身と既婚子持ちの付き合い」に変えられないとどこかで破綻する可能性がある。
そういった時に「これからも仲良くしたいんだけど、連絡は独身時代みたいな感じだと迷惑にならないかな?」「もしよかったら子供の話してもいいかな?子供連れて遊んでもいいかな?」みたいな一言を投げかけられるか=アップデートをかけにいけるかが結構大事だと思ってる。
こういう明確なライフスタイルの変化はまだわかりやすい。環境とか置かれた状況、時間の流れで生まれた小さな小さな変化の積み重ねによって実はお互い色々変わっているのに、それに気付けていないパターンは結構重篤なのにきっかけが無くてアップデートがかけにくい。
そして人間関係はここまで語った内容に加えて、縁や運、偶然というものもあると私は信じている。様々な要素があるからこそ、出会って3日で入籍するようなカップルもいれば、数十年来の付き合いがある日突然終焉することもある。高齢者になって恋が芽生えることもあれば、若くして運命の出会いによってプロの道へ歩み出す人もいる。人間関係は面白くも難しくもあって、それらを感じて一喜一憂しながら生きるのが、高度なコミュニティを形成して暮らす生き物の醍醐味なんじゃないだろうか、と私は考えている。
自分の法則で言えば、我々は最初はプラスの関係だった。それは間違いない。
しかしいつのまにか「お互い嫌なところを感じながらも、一応楽しいから」というプラマイゼロの関係に成り下がってしまったのを自覚しながらも、そのまま漫然と維持してきてしまったツケを払ったんだと思う。
私が勝手に期待という莫大な精神を一方的に投じて、一人で損が出た時の一言で、相手の精神を大暴落させてしまった。
私も優良銘柄だと思って保有してたけど、長期的に続いていた地味に痛い損失にふと目がいってしまって、もうこんなに暴落してるから、今から挽回するにはかなりの投資が必要になるし、元々損失のある銘柄にそこまでのリソースを割く必要も感じない。これはポートフォリオに積極的に残しておいても仕方ないと考えてしまった。
向こうも長期的に小さく小さく不快が積み重なっていたからこその大暴落だったんだろうし、アップデートをかけずにいた古いままの我々はもうとっくにガタがきていて、たまたまあの時の私の一打がきっかけになっただけの、必然の結果だったんじゃないだろうか。
向こうにとって今の時点で私からどういうリターンがあったのか分からないけど、忘年会の席であの時の話はほとんど出なかったから、向こうとしては過去のことには蓋をしてアップデートをかける気は無さそうだった。
破綻したものを再構築するのはとても大変だし、仕事や生活、他の友達との付き合いで忙しいから、私としても助かった。とりあえず鬱は本当に怖い病気だから早く寛解するといいなと思う。
読み返すといやに卑屈で、それでいて根に持った文章になってしまった。根に持つ以前に、数十年の付き合いだったから後ろ髪を引かれた部分はあって、「人生の大半を過ごした友達だからこそ」、「私の期待を分かって欲しかった」「何が嫌だったのかちゃんと理解させて欲しかった」「あの時のことを腹割って話して、わだかまりを無くしたかった」みたいな気持ちがやっぱりあったんだと思う。
でも関係の年数そのものに価値は無い。これも所詮「過剰な期待」だし、時間も経ってしまったから流石にもうどうでもいい。記憶の経年劣化で私も、きっと向こうも、都合の悪いことは忘れて、被害者意識だけが強まっているようなレベルまで塩漬けにしたものに、腹を割って話すような大規模アップデートは相当しんどいものになるに違いない。
だからもういい。めんどくさい。何考えてるんだろう本音はどうなんだろうどうせ後でツイートするんだろうってグルグルするの疲れた。あの日の帰り道もきっと何かツイートしてたんだろうなと思ってしまう。この気持ちを訴えたところで「それは申し訳なかったけど、その場ではダメなとこ気付けないんだね^^」なんて言われるに違いない。
もし仮にものすごい相互の努力の果てに無事アップデートできたとしても、疑心暗鬼は多分一生拭えない気がする。
そう。散々偉そうに持論を垂れておいて、結局のところ私は久しぶりのコンタクトで、忘却の彼方にあった遺恨を思い出してしまったから、これを綴っている。書きながらネガティブ感情を反芻してしまった。あの時感覚的に捉えていたことを、書き綴ることで言語化して、あの時よりも強くはっきりと再認識している。
人は楽しかった思い出よりも嫌な思いをさせられた記憶の方が残る。今はもうありし日の思い出への後ろ髪よりも、根に持つ気持ちの方が強くなってしまった。この増田は、ただの被害者意識と、エゴの塊から来る、自分のしでかしたことを棚上げした八つ当たりの怨嗟だ。
それを心の内に留めておけず、隠れてインターネットに吐瀉物を撒き散らす自分の何と幼稚なことか。そんな自分を吐き切って、これを限りにもうこの2022年に置いていく。きっと元親友も、自分のことは本来ならとっくに置いていっていただろうから。
辛い時に思い出してくれたのは嬉しかったけど、無事寛解した暁には今度こそブレずに、トラウマにまでなる思いやりのない非常識な私のことなんて早く忘れて、自分のことを大事にしてくれる友達と仲良くしていって欲しい。
ギャンシンブイベーッス
本日は国際生物多様性の日、日本では清水トンネル開通の日、シャンソンの日、東京大賞典開催日となっております。
東京大賞典、今日だったんですね。書いてる最中に思い出しました。
そして労働という時間を使えば確実にプラスが貰える作業がとても大事なものだと思えてくるのです。
家庭とか恋人とかそういうのはね、ひとまず置いて趣味が自分の精神にプラスをもたらすならひとまずそれの為に頑張ってみたっていいんじゃないでしょうか。
人生は全てがプラスになるわけじゃないし、歳を取れば減るものが増えていくからこそ、どこかで減るという事態に慣れておくべきなのかもしれませんね。
何を言ってるんでしょうね、プラスのままの方が良いに決まってるじゃないですか。
まぁその良い選択を常に取れるわけじゃない、という話ですね。
年末に何を言ってるんでしょうね。
ということで本日は【コストの計算よいか】でいきたいと思います。
現在特定口座に持っている株、投信は新NISA開始後もそのままがいいのか、売ってNISA枠で買い直すのかどっちがいいか検討してみたぞ。
特定口座の銘柄を売り、所得税を源泉徴収された後の残りで同じ銘柄をNISA口座で買い直し、さらにその後何年かしてからそれを売る場合と、買い直さずに特定口座で持ち続けてから売る場合とでは、前者の方が
(投資元本) * (将来売るときの評価額 - NISA買い直し直前評価額) / (NISA買い直し直前評価額) * (所得税率)
だけ得になる。たとえば、100万で買って2024年の制度開始時に120万円になっている銘柄を将来150万円になったときに売るならば、特定口座で持ち続けて売るよりも、いったん売ってNISA枠で買い直してから売った方が 100万*(150万-120万)/120万*0.20315 = 5万800円ほど利益が大きくなる。源泉徴収される分だけ買い直し前後で評価額が下がるんだけど、それを考慮しても買い直した方が得。買い直し後値上がりしていれば、上の式中の引き算の部分が正になり、特定口座で持ち続けていた場合よりも利益が大きくなる。買い直したときよりも値下がりした状態で売る場合(式中の引き算の部分が負になる場合)は、特定口座で持ち続けて売る場合より逆に損になるので注意。
ただし、買い直すときも将来売るときも税率は変わらない前提。NISA買い直し時には含み損(=税率0%)でその後上昇してプラスに転じた(=税率20%)とか、その逆とかの場合は計算結果が変わってくる。ただ、どの場合でも言えるのは、「その銘柄が今後上昇することが見込まれるならば」特定口座のものは売ってNISAで買い直したほうがよいということ。厳密には税率が将来下がる場合は、NISAで買い直した場合に価格が上昇していても損になることはありうる。が、2037年末までの復興特別税0.3%がなくなる以外に税率が下がることがあるとは思えず(逆に上がることはあるかも)、0.3%程度の減税ではほとんど無視していいぐらいの差にしかならない。今後の上昇が見込めない銘柄は、特定口座で持ち続ける…のではなく売って買い直さずさよならするのが正解。特定口座で持っていていいのは、今後も上昇を期待できるけど、年間枠/生涯枠の上限にひっかかってNISAに移せないものだけ。
買い直す優先順位は、期待リターンが大きいものから順に。これは現行NISAと同じで、リターンが大きい=税額が大きいなので、期待リターンが大きいものほど税額の圧縮幅が大きくなるため。また、将来値上がりしそうだけど現状は含み損、というものは優先度が下がる。-100万で売ってもプラマイゼロで売っても非課税なので、実際に上昇して含み損が解消するころまでは特定口座に置いておいても問題ない。ただし、損益通算のために早めに損失確定してNISA枠に移してしまうという戦略もありうる。
これはあくまでダークソウルというゲームの体感との比較になるけど、個人的なダクソのウィークポイントである地理的な閉塞感が解消されたのは大きいと思ったわ。(もちろんそれが独特の世界観と結びついて過去作の体験を作っていたわけだが。)
神話的な世界観設定と、シリーズではじめての広大なマップが結びつくことで「この世界の広がりはどこまで続くのか、どれほど多くの試練があるのか」という驚き呆れるような感覚は、他のゲームでも感じたことがない強度だったかもしれない。
もちろん戦技や戦灰とかの戦略的な広がりも良かったけど、あれらはどちらかと言うと初心者向けの救済でもあったから、ハードなゲーム体験を求める自分的にはプラマイだった。
昔の男は、女性憎しからそういう行動に出てたんじゃあなくて、単にそれが男の権利だと思ってたわけでしょう。
まぁその権利意識が良くねぇよ、ってのが女性解放運動とかに繋がってくんだと思うけど、それが現代のフェミニズムまで続いてきた結果、
昔の男は、女性をプラマイゼロの位置に置いて自分をプラスの位置に置いてたけど、
今のミソジニーは自分をプラマイゼロの位置に置いて女性をマイナスの位置に置いてる。
そういう違いだと思う。逆にそうでなければミソジニーという呼称には当たらないんじゃないかな。
〇〇差別をバネにして。
みたいな論調あるじゃん、でもそのためのエネルギーがそもそも出せないっていう。
今回の本題じゃないけど、わかりやすく例えば年齢差別を例にするけど毎日「年齢差別なんか気にしない」って意識持って生きるのがそもそもだるい
そんなに頑張れるエネルギーあるなら「年齢差別のない世界」に行くために努力する方が有意義だよね?
だってそうだよね、年齢差別に対抗して生きたところで社会は変わらない上に、自分は革命の使徒というより痛いおっさんおばさんでしかないからプラマイゼロだけど
年齢差別が薄めの世界にいく努力なら、そこで費やしたエネルギーが自分に還元される。自分の生活が変わる可能性がある
脱出してその先の行動のために使った方がよっぽど良いですよね。