はてなキーワード: ドトールとは
つけっぱなしの換気扇は、部屋の主人がいなくても外に淀んだ空気を送り続ける。そのうち部屋の中から空気が無くなってしまうんじゃないかと思うけど、息苦しくなることはない。部屋の中でタバコを吸うと、壁紙がヤニで黄色くなってしまうから、ドトールの喫煙コーナーみたいな臭いになっちゃうから、タバコは換気扇の下で吸う。マルボロの臭いが、ほとんど部屋にとどまることなく一直線に換気扇まで向かっていって、うすらいで広がってなくなっていく。出ていった白い煙は外から見えるのだろうか。もしそうだとしたら、おいしいご飯を作っているみたいでいい。世界中のあちこちの換気扇から、隅においやられた喫煙者のため息を含んだ白い煙がもくもくと出て。空にある雲の一部はそんなものから出来ているのかもしれなかった。
新宿からも近い街。でも、イマイチ不便。中央線を渡るのが面倒。南北が分断されているが、北には独裁者がいるわけではない。
東口の方には上島珈琲店がある。が、マンションに住んでいる暇な人で溢れていることが多い。天井が高いのは嬉しい。
西口の方にはドトールがある。近所にIT系の会社があるようで、そこの社員が愚痴を言いながら仕事してる。それもすごく長時間。
会話を聞いていると、結構ブラック。向かいの担々麺屋で飲んでいるときも同じような話をしていた。そんなに人数は多そうではないが、社長のメンコがうざいらしい。
専門学校の生徒も多いが、その子らはサクサク帰っていく。学校の最寄りじゃ遊ばないのかな。
なんか変な感じの街だ。
彼のトランペットの音は木管楽器のようだった。張りがあって鳴り響くというより、アンティークな雰囲気を思わせる、コトコトと響くような、そういう音だった。
彼のことが好きだった、そして彼もわたしを。
彼は透き通るように肌が白くて、キメが細かくて、茶色くて深い目の色をしていた。もちろん他校にはファンクラブがあった。肌のキメの細かさをわたしが知っている理由は、何度となく彼に触れたから。何度も。
大学の先輩と後輩の関係から、自然に話すようになった。自然に。休みの日に2人で出かけるようになった。ただ喋っているだけ。渋谷のあの、真ん中にピアノが置いてあるドトールで、何時間も話をした。お互いの家族の事、今まで歩んできた道、これからのこと。「思っている事が思っている通りに伝わる」相手だった。何時間でも一緒にいられた。彼は文学少年ではなかった。表象を、学ぶ学生だった。当時のわたしに「表象」を理解しようとする余裕はなかったけれど、彼の言葉の選びかた、表現のしかた、惹きつけられるものがあった。気取っているわけではないのに、彼の言葉と音には、確実な鈍みのある輝きと重さがあった。
どうしてこんなに楽しいのだろうね、と彼にメールをした。自由が丘にケーキを食べに行った帰りに。彼からの返信は、「もう付き合った方がいいんじゃないかと思うよ」だった。でも彼のその返信は付き合うきっかけにはならなかった。
ある日の夜、わたしの身の上にひどく悲しいことがあった。どうしようもなく家族が壊れてしまいそうな出来事だった。彼の顔が浮かんで、そうしたら彼がやってきた。ハーゲンダッツのアイスクリームを持って。わたしたちは何も話さずに、朝までただ部屋に座って過ごした。字の如く、彼はただそこに居てくれた。
わたしの自宅に変な電話がたくさんかかってきて、夜中の変な時間に男の人が訪ねてくるようになったときに彼はいった、しばらくうちにいてもいいよ、と。彼はお兄さんと暮らしていたので広いお家に住んでいた。彼のおうちで一緒にエントリーシートを書いた。2ちゃんねるのフラッシュ紅白を見ながら。35歳を過ぎてもお互い独身だったら結婚しようか、という話をしながら。ベッカムは試合のときに奥さんのパンツを履いているらしい、という話をしながら。ふと浮かんだどうしようもない事柄についてずっと話を掘り下げていくのが好きだった。そうしながら、わたしたちはお互いが大好きであることを確認しあった。
20歳そこそこだったわたしたちは、お互いの「好き」を疑いもなく異性としての愛情だと信じていた。でも少しずつ違和感を覚え始めた。我々は彼氏と彼女になるべきだろうか、という話し合いがその後数日続いた。男性、としてとらえると何かが違う気がした。大好きなのに、違う気がした。どちらかが前向きになるとどちらかが後ろ向きになって、彼と意思がずれる瞬間はその度にとてもわたしを苛立たせた。
それから彼とは会わなくなった。会えなくなった。メールはするようになったけれど、我々がどうあるべきかについては問わなくなった。様々なSNSが流行るたびにわたしたちは必ず繋がっていたけれど、ときおりお互いの近況にコメントをしたけれど、でもわたしたちが会わなくなった理由に言及する事はなかった。
数年後、彼は文章を書く仕事に就き、わたしの知らない人と結婚し、そして東京を離れることになった。いよいよ東京を離れるときに、わたしたちは会った。薄暗い、カフェだった気がする。渋谷の。
彼に最後に会ってから10年が経とうとしている。メールはする。Facebookでも繋がっている。彼はいま3人の子供がいて、わたしも結婚した。とても幸せ。
わたしの誕生日は彼がとても人生で重きを置いている出来事が起こった日でもある。彼は仕事を通じてもそのことを掘り下げている。でも彼はその日には決しておめでとうとは言えないことをわたしは知っている。でもどうか、どこかで頭の片隅に浮かんでいればいいなという期待をしてしまう。毎年の夏に。
いつか彼にまた会う事があったらあのときの若い2人のことについて話してみたい。我々の正解はこれであったのだろうと、彼と合意をしたい。ドトールでコーヒーを飲みながら。そして言い合える日がくればいい、いまも大好きだと。
http://anond.hatelabo.jp/20170325194531
ねえ、貴女と一緒に出かけるときはいつもファミレスだったよね。
一番最初、貴女とノートを広げてテスト勉強してたときからそうだったね。
おごってもらったのがドトールだったよね。
「私は、毎日こういうところで休憩してるよ。金が余ってしょーがないから」
貴女はそういって笑ってたっけな。
「派遣の後輩たちにこうして奢ってやって、言うこと聞かせるんだ」
そういうことを目を輝かせて語っていたのも、ド○ールだったね。
あれから十年たって今、こうして、たまに貴女とカフェに行くときもやっぱりド○ールだ。
ここ何年か、こういう安いカフェに行くのは貴女と一緒のときだけだ。
別に安い店が悪いというわけじゃないけど、ここのコーヒーは色付の汚水みたいなもんだ。
カフェのあとに行く、ユニクロの服は、ボロ布を見ているような気がしてならない。
ねえ、別にファッションビルで少し値段の張った服を見なくたっていい。
もう少し金を出せば、ユニクロでなくって、本物の服やコーヒーを出す店を
でも、今の貴女を見ると、
貴女がポケットから取り出すくしゃくしゃの千円札三枚を見ると、
私はどうしても「もっといい店行こうよ」って言えなくなるんだ。
貴女が前の派遣先クビになったの聞いたよ。貴女が体壊したのも知ってたよ。
新しく入った派遣先で、一回りも歳の違う、20代の若い派遣社員の中に混じって、
使えない粗大ゴミ扱いされて、それでも必死に卑屈になって仕事続けているのもわかってる。
だけど、もういいでしょ。
十年前と同じドトールで、十年前と同じ、努力もしない夢を語らないで。
そんなのは、隣の席で浮かれているガキどもだけに許されるなぐさめなのよ。
俺は底辺だがまあ友人も飯などに付き合ってくれる。食う物はラーメンとかが多いがたまに代表的な和食や叙々苑とかも食う。年寄りだから底辺でも口は驕ってしまい、そして今は情報に溢れてる。他人に押し付けなければ金が無いのはそれはそれで楽しい物だ。この辺は仏教の断捨離に近い。持ってる物がなければ死も恐れる必要はない。痛いのは嫌だけど。
その友人は人に貧乏な気持ちを押し付けようとするし、あなたは自分の生活ランクを押し付ける。いちいち金が無いなどと聞きたくはないが、ユニクロやドトールに一人で行く事があるのなら、ついでに連れがいる程度とは思えないだろうか。一人でも立ち寄る場所に、年に一回付き合う程度の気持ちも持てないのなら、既に友人ではないので仕方のないことなのか。
18歳になったから出会い系サイト使えるようになって、初めて知らない人と会ってホテルに行ってきた。
キスすらしたことないのに、知らない人とセックスの予定、簡単に決まってしまった。別になんのきっかけもなかった。バスの時間まで家で一人で缶チューハイ飲んでなんとか気を紛らわせようとした。
身分証入ってるのとか持ってくの怖かったから駅のコインロッカーにカバン入れて、コインロッカーの鍵だけ入った小さいカバンと携帯だけ持って待ち合わせに向かった。
二重に整形するお金がほしくて、でもセックスしてみたかったのもある。
部屋入ったらいきなりベットでビックリした。ほんとにベットしかなかった。一緒にシャワー浴びて、洗いっことか正直したくなかった。どうでもいいから。好きじゃないから。気持ち悪いとかはどうでもいいけど、その人の前で裸になるのも、おっぱい触られるのも、キスするのもなんとも思わなかった。
ファーストキスとか処女とか、そんな概念しょうもないと思った。
してる最中、こんな思いするなら1日中立ちっぱなしで働いて疲れて同じ値段もらう方がマシだと思った。放心状態で駅前で相手と別れて、地下街を彷徨ってた。
カバンを入れたコインロッカーの場所がわかんなくなって、とりあえずドトール入って、アイスラテ飲んで、また彷徨って、マックでポテトを食べて帰った。
そろそろ後期試験だろうか。
私は4年制薬学部の最後の入学者で、1回生を2回やった薬剤師です。
留年した人間の国家試験体験記というかただおばちゃんが思い出を書くだけなので、気が向いたら読んでいってほしい。
書いてみたらクソ長い。ごめんなさい。
講義をサボったわけではない。(皆勤でもないが)真面目に勉強して2回生に上がれなかったのだ。
こちらのほうが致命的である。
私が親なら退学を勧める。
しかし別学部卒で自身も留年経験のある親は留年を許してくれた。
今思えば、
当時の自分は、いわゆるプライドの高い真面目系クズに該当すると思う。
自分は人並みに頭が良いと思っていて、誰かに頼らずとも自分でなんとか出来ると奢っていた。
元同級生と顔を合わせたくなくて、キャンパスの中で一人になれる場所を探した。
結局それなりに友人もできて、面倒見の良い教授にあたり、その後は国家試験までストレートに合格できたのだけど。
◆その国家試験前の話。
私学なので国家試験前は予備校の先生を招いて講義をするのに、空白の2年に卒業する=合格率に直結しないという理由で私たちにはそれがなかった。
今でも納得いっていない(笑)
ほとんどの子が自費で予備校に行くなか、私はお金もないので、教授が借りてくれた空き教室で毎日自習した。
お湯を沸かすためのポット。
無機質な真っ白の部屋に
これらを持ち込んで占有させて頂いた。
こんなに頑張ったのは初めてだった。
考えたらいつも、あと残り2割か3割の努力ができなくて。
できない、というのはなんとなくだらだらして。
無意識のうちに、全力で努力することが怖かったのかもしれない。
余力を残すことで、結果が出なくても言い逃れできるようにしていた。
ほら、やっぱり真面目系クズだ。
クズにも底が見えた。
勉強していたら、身体がバラバラになるような感覚がして、涙が出て来て、気がついたら貴重品持って大学を飛び出して
行ったことのない駅で降りていた。
風のすごい強い寒い日で、我に返って大学に戻ってコーヒーを飲んだ。
そんな意味不明な1日。
(ちなみに一般的に国試より厳しい卒試は、非常に優しかった。だってお荷物だから追い出したいし…なので割愛。)
今でも全力の努力って中々できないけど、やったことのある人はわかるだろう。
毎日毎日目新しいこともなく、見覚えのあるものを解いてはため息。
解けたら安堵の、解けなければ落胆と不安の。
悔しいことに、この苦しい日々を忘れつつある。
今一児の母だが、出産の痛みさえ1年も経たずに忘れる。
そういう風に人間できている。
だけど、大学を飛び出したあの日のことは、何故かハッキリと覚えている。
◆今、卒試国試前の人へ
6年間も(それ以上かな)本当に良く頑張ったから今そこにあなたは立っている。
ゴールより手前で息を吐かないよう、走り切ってほしい。
◆留年した人へ
ドラマのような、逆転劇は残念ながらない。
留年や休学を繰り返すループに入ると、時間的にも金銭的にも人生に響く。
それは全然悪いことじゃない。
自分の人生を、大事な時期を真剣に考えての判断なら、それは後退ではなく前進だ。
上でサクッと書いたけど、「それなりに友人ができて面倒見の良い教授に出会えた」のは、大学に行き続けたからだ。
必ず授業にはでること。
頑張れ。
神戸と京都に関する素敵な文章を読んでしまったので私は盛岡のことを書く。すごく需要は少なそう。
盛岡は新幹線が止まる町だ。一昔前までは東北新幹線の北端でもあった。というわけで全国のみなさんが想像する平均的岩手県像よりはちょこっと発展していて、町の中心部には生活に必要なお店とぶらぶら立ち寄れる場所がまばらにある。
駅前には何もない。女子の買い物はフェザンか郊外に2つあるイオンかで済んでしまうから町中を散策する必然性はない。それでも地下道を潜っていくと右側の道の2階にこじんまりとしたアニメイトがある。
観光客に人気のじゃじゃ麺屋をスルーして開運橋の交差点まで出る。(通ぶった地元民は岩手公園の近くのお店に行きたがるけど私はどっちもおいしいと思う。というか自分で調味料を混ぜるのでどこで食べても毎回違う味になる。冷麺は普通)
この開運橋の景色はちょっと有名。バスカードにプリントされたりNHKの朝のニュースの最後に映ったりかつて比嘉愛未さんが朝ドラのロケをしていたりした。
もうちょっと行くと大通りっていうさして大きくもないアーケード街に入る。半分がシャッターが降りた店で残り半分は美容院と歯医者とカラオケ屋だ。あと居酒屋。全国チェーンじゃない安いお店が結構ある。モンキーズキッチンという名前の通りびっくりドンキーみたいにちょっと薄暗い店内で葉っぱ飾りがいっぱいのお店があった。お酒を飲めなかった大学時代はばななみるくばかり飲んでいた。ところでみんな知らないだろうけどびっくりドンキーの1号店は盛岡の「ベル」なんだよ。メニューは普通のびくドンと同じなんだけど座敷の離れがあったりしてちょっと落ち着いた雰囲気が良かった。高校時代の部活の打ち上げにもよく使った。同級生のデートを目撃したりされたりしたのは淡い思い出だ。
ベルまで行くとすぐ岩手公園のお堀が見えてくる。現・盛岡城跡公園の名前の通りお城はない、石垣だけ。菜園のほうまで曲がっていき一際急な斜面を登って公園に入る。菜園という地名が好きだった。畑はなくて地元資本の百貨店がある。パン屋さんと親がお歳暮買うのに着いていったぐらいしかご縁はなかったけどたまにトイレは借りていた。無料のほう。
岩手公園の裏側っていうと失礼かもしれないけれど、まあ大通りと逆側にはベンチがいくつか設置されていて、脇を流れる中津川と対岸に構える岩手銀行本店の明治風建築をぼけっと眺めるのに良かった。中津川は常時川底の石が見えるくらいの清流で、冬には鮭が遡上する。それを地元のテレビ局や熊が追いかけにくる、のどかな町だ。初めて京都に行って鴨川を見たとき、「あ、盛岡だ」と思った。逆なのは分かっているけれど地元愛ということで許して頂きたい。ここもカップルが等間隔で並んでいることが多い。
盛岡は北上川と中津川と雫石川の間になんとか町を作ったようなところなので、少し歩けば必ず川に当たる。お気に入りの橋のひとつやふたつできるもので、私はやっぱり富士見橋、毘沙門橋、与の字橋の順で好きです。
バスセンターより向こうには友人の芝居を見るのに何度か足を運んだ。地下の小さなホールで間近に、でもいつもと違う友人達の姿に触れて、帰りのバスの中でもずっと別の世界から帰ってきた感覚が抜けなかったな。天満宮で願掛けし、急な石段を登って振り返れば真っ直ぐ長い道が町中まで続いているのを見通せた。
町のこちら側に寄ってくると青春の痛い部分が刺激されてきたのでもうそろそろ盛岡駅に戻る。でんでんむしバスで100円で着く。駅のドトールと西口のアイーナには受験勉強と称してよく入り浸った。贅沢でのんきな受験生だった。
朝7時起床。お風呂にお湯を貼りつつ、彼女の朝食を作りはじめる。
ケールの新芽が売ってたので、簡単にフレンチドレッシングと和えたサラダ。
朝7時半。彼女が起きる。おはようのハグをした後、彼女は風呂に向かう。
朝8時。ドライヤーで髪を乾かしている音を聞きながら、俺は朝食をテーブルに並べる。
そうこうしている内に部屋に戻ってきたので、一緒に朝食を取る。
「やっぱりベーコンは買ってきたのとぜんぜん違うね」と嬉しそうに食べている。
朝8時半。化粧を始めた彼女を横目に後片付け。
上着が決まらないらしく、こっちかなー、あっちかなーとわちゃわちゃしている。
「今日はかなり暖かくなるらしいよ」と俺が言うと、
「ありがと!じゃあ、こっちだな」と決まった模様。
朝9時。二人で一緒に出勤。といっても、俺は特に行く先は決めてない。
近くのバス停まで彼女を見送った後、晴れていて気持ちが良いので買い物を兼ねて電車に乗って少し遠出することに。
丁度、初ガツオの美味しい時期らしい。
「美味しそうなの、1本ください」
「うちのはどれも美味しいよ。これが大きくていいかな」
というやり取りを魚屋の親父として、持ってきた保冷バッグに氷と魚を詰めてもらう。
数分後、受け皿に溢れるほど乗せられた赤身のまぐろ丼が運ばれてきた。
「このマグロ丼、盛りヤバい!?今度一緒行こうねヽ(=´▽`=)ノ」
晴れた日にベランダに洗濯物が干し終わった瞬間が家事の中では一番楽しい。
お米を研いで夕ごはんの準備。
カツオは1本を下ろして4本柵取りにする。
「すごい助かる!!大☆歓☆迎☆」とのことなので、おすそ分けに行く。
切った薬味をセットをつけて上げるのが優しさ。お礼に苺をもらう。
「ごめん!ちょっと今日遅くなりそうー。21時くらいには上がれると思う!」
とのこと。
「了解ー。夕飯に初ガツオが待っているから頑張って(`・ω・´)ゞ」
と連絡をして、夜の散歩に出かけることに。
夜19時。彼女の職場の近くのTUTAYA併設のスターバックスに行く。
雑誌や料理本、エッセーなんかを見ながら、苦くて渋いコーヒーを飲む。
ドトールも本屋さんと併設してくれたらコーヒーおいしくて良いのに。
などと思いながら、時間をつぶす。
夜21時半。彼女からLINE「遅くなってごめん!今終わった」
こないだ見逃した映画のDVDがレンタル開始してたので、借りて帰る。
夜22時。今日はだいぶ遅めの夕ごはん。メニューはカツオののっけ盛りと、コゴミのおひたし。菜の花の味噌汁に、切り干し大根のはりはり漬け。
彼女の部下がやらかしたらしく、そのフォローにあたってたとのこと。
お酒を飲むと会社のことを話したくなるようで、俺は彼女の周りの人たちに一度も会ったことが無いのに、全員名前まで覚えてしまった。
夜23時半。洗い物をして、苺を食べながら借りてきたDVDを一緒に見る。
彼女は部屋着に着替えて、メイクもばっちり落としてリラックスモード。
DVDがあんまり面白くなかったので、彼女にちょっかいを出しはじめる。
夜24時半。コトが終わって、あっという間に眠りについた彼女を横目に俺はお風呂。
今日も充実した一日だったと噛みしめて、湯船につかる。
○昼食:チキン南蛮弁当(キャベツ、ご飯、チキン南蛮、スパゲッティ、漬け物)、アイスカフェオレ、ワッフルアイスクリーム
○夕食:納豆ご飯(朝と同じく)
むきゅー!
QuantumBreakの余韻が凄くて、ちょっとゲームする気になれなかったので、
最近ハマってる、フルハウスという海外ドラマを流しながら、大掃除をしてた。
電気毛布をしまったり、布団カバーを変えたり、普段ぞうきんがけしないところもしたりと、
体を動かしたくったので、ヘトヘトです。
へろへろくんです。
午後からは、近所に住んでる叔母ちゃんとドトールでお茶をした。
が、これはごめん、僕には合わなかった。
これでまだ、僕の好きなカイとかヤザンとかジュドーとかトライスターの人たちとかが
排出されたらやる気も出たんだろうけど、ノリスでした。
ジオン軍人が苦手なので、やる気は出なかったです。
なんか飽きてきた。
っていうか、冷静になると、バッジ集めるだけのゲームに何を僕は真剣になっていたんだろう。
ちゃんと読み込んでないんだけど、サヤステ家はスバース以前にも剣聖がいる可能性があって、
超帝國の血が絡んでる説があるんだよね。
ビザンチンもヘリデサヤステもイマイチ良くわからん人だけどねえ。
現役勢だと、マドラがこのサヤステ家とスバースの血の両方ついでるから
プロミネンスがらみとかありそうだな。(ユーゾッタもだけど、ユーゾッタって魔導大戦でなんかするのかなあ? 次のアドラーの話がメインのイメージがある)
イゾルデさんは、まあさすがに超帝國がらみはないでしょ、あるなら13巻のジークが格好よすぎるけど。
(まあ、ジークさんもその辺の設定絡みそうだけどさあ)
あっ!
西ヨーロッパを旅していると、町のいたるところに小さくあいまいな飲食店があることに気付く。
フランスにはカフェやタバ(tabac)があり、イギリスにはパブがあり、スペインにはバルがある。
東京で似たような機能を持つ店を探すと、サイゼリヤがあることに最近ようやく気付いた。
スタバやドトールなどのチェーン店系カフェでもなく、居酒屋でもなく、おしゃれな独立系カフェでもなく、サイゼリヤである。
まず、サイゼリヤの食べ物は安いが、極端にジャンクフードの味はしない。来ようと思えば週に何回も来ることができる。ワインも安いので、つまみ類を何度もオーダーしながらゆっくりすることができる。
サイゼリヤの店舗は極端に機能分化しておらず、いろいろなことをやっている客を基本的に黙認している。
スタバやドトールなどのチェーン店系のカフェでは、アルコール類が原則として出ない。コーヒーやお茶を飲んで、サンドイッチでも食べて、おしゃべりかひと仕事でもしたら、あんまり長居はせずに帰ってくださいねというように、わりと機能が分化しているように感じられる。
最近では、吉野家、松屋、王将などのチェーン店系の飲食店がアルコール類を出すようになったが、こうした店舗はもともとゆっくりできないような造りになっている。
独立系のカフェはきれいな店舗に座り心地のよいソファーがあったりするが、食べ物と飲み物の単価はチェーン店系より高い。また、回転率を上げるためにどうしても客をコントロールしたがる傾向があるように思う。口には出さなくても、そのような視線を感じて、やや居心地が悪いことがある。
一方、サイゼリヤでは、オーダーを一度とると基本的に放置してくれる。
セロリを食べながらワインを飲んでいる自分の隣で、食事の後にドリンクバーでくつろいでいる親子連れがいる。勉強している学生風のカップル、お酒を飲みながら食事しているサラリーマン風のグループ、甘いものを食べながら談笑している年配のグループがいる。
最初のころは、なんだかごちゃごちゃしたファミレスで、やだなあと思っていた。でもよく周りを見ると、さまざまな年齢層の客が、てんでばらばらなことをやって、ずっといるという、この店のまったりした雰囲気と多様な機能は、西ヨーロッパの小さくあいまいな飲食店にいちばんよく似ていると思う。