はてなキーワード: ザクザクとは
外に出ると、庭のナンキンハゼの木が「アツイ アツイ」と言っていたので、もうすぐ夏がくると思った。
空を見上げると、太陽が「申し訳ない」というように両手を合わせていた。
さて、と私は思った。
庭の隅に小さな家庭菜園がある。4月にトウモロコシと里芋を植え付けて育てていた。
先週、実をつけ始めていたトウモロコシが夜の間にタヌキに食べられて全滅した。ネットを張っておくべきだったなと思ったが、もう遅い。
トウモロコシには悪いことをしたと思った。
里芋の方は順調に茎を出し葉を伸ばしている。
一週間前までは手のひらより小さかった葉が、今はもう顔くらいの大きさになっている。
10株ほどある里芋の一つ一つを見て回り、「大きくなったなあ」と呟いたら、その一つが「ソウカモネ。」と返事をした。
私は、家庭菜園の野菜たちにはある種の愛情のようなものを持っている。
しかしその一方で、この愛情は食べる側からの一方通行の愛情に過ぎないと思うこともある。
ライオンを好きになるインパラがいないように、人間を好きになる里芋もいないのではないか。
私のことをどう思っているのか。聞いても答えてくれないだろう。
朝まで降っていた雨の名残の水滴が、里芋の葉の窪みに溜まって、キラキラと光っていた。プールみたいだなと思った。
一通り見回ったので、家に戻ってアイスコーヒーでも飲もうかと思った。
庭の小道を歩くと乾いた砂利がザクザクと砂糖のような音を立てた。
ナンキンハゼの木は相変わらず「アツイなあ、アツイアツイ。」と言っていた。
空を見上げると、太陽が両手を上げて吹っ切れたようにゆらゆらとダンスをしていた。
もうすぐ夏がくる。すぐそこに来ている、と私は思った。
好きになるカプは大体覇権。覇権じゃなくても2、3番手くらいの位置にはつけてる。
好きなカプだけでも数千あるし買う本もザクザクある。
でもここ数年どうしても夢見てしまう事がある。
一次創作とかそういうことじゃない。
自分だけってのは大袈裟だけど、マイナージャンルやマイナーカプにハマって
どうしてこの良さにみんな気付かないんだ!と思いながら
そう、布教したい。
残念ながら私はいい時期に飽きて足抜けしカプを過疎らせる側の人間なのだ。
あー
「どうしてこの人こんなジャンルやカプにハマってるんだろう……」
とか思われたい。
でもそう思っていろんな漫画、アニメ、ショボいソシャゲ、レトロゲー…
様々なものに手を出してもハマれない。
結局流行ってるものでみんなが飛びつくようなカプに惹かれてしまう。
ああ、
人が狂ってないもので狂いたい。
昨日の事だ。
スーパーに行ったら厚切り肉が売られていた。
牛脂もある。これは良い。
晩飯はこれにしようと決めた。
肉叩きは無いので、フォークでザクザク刺してから塩コショウで味付けして焼いた。
それだけで十分美味かった。
だが、至福のひとときだったよ。
次は、何を食べようかな。
■挨拶がコラァ!だったおじさんの話
私の地元は地方都市の都市部から1時間ほどかかる、まあそこそこの田舎町で、住宅地を少し外れると田んぼや放置された畑が広がっているような土地柄だった。田舎特有の濃い人間関係や噂話は大嫌いだったが、むせ返るほどの草木の緑や、稲穂が金色に輝いて風に揺れる様を見るのが好きだった。
私の実家周辺は1人の地主が土地を抱えており、そこの地主はコンクリートミキサー車の運転手と、稲作農家の兼業農家だった。父の古い知り合いで、安く土地を譲ってもらったと聞いた。丘の上で見晴らしの良い実家を家族は全員気に入っていて、仕事のことや人間関係の面倒ささえなければ、今でも私はその周辺の土地に家を建てたいくらいだ。
土地を買った時私はまだ幼かったので、地主のおじさんのことを、私は「タロのおじさん」と呼んでいた。タロというのは、地主の家で飼われている犬の名前である。このタロのおじさんというのが中々にファンキーな親父で、幼い頃から度肝を抜かれてきた。
まず、小学校からの帰り道、農道をぼんやりしながらひとりで帰っていると、後ろから「コラァ!!」と声がする。「コラァ」なんて可愛いもんじゃなかったかもしれない。「グォラアア!!」とか、そのくらいの勢いがあった。気がついたら後ろに馬鹿でかいコンクリートミキサー車があり(移動音に気づかなかった私も大概だが)、その窓から、タロのおじさんが強面でニヤついている。なおこれが彼の精一杯の笑顔である。いつも目は笑ってない。
「なんしよっとかぁああ!!帰りよっとかあ!!」
乗っていくかぁあ!と続いたので、私は大慌てで首をブンブン振って走って逃げた。
タロのおじさんは近所の至る所に出没した。しかし必ず声かけは大音量の「コラァ!!」だった。至極ビビりで大人しい性格だった私はその度に心臓を震え上がらせた。タロのおじさんは大抵、ミキサー車か軽トラかトラクターに乗っており、腰に鎌を携え、作業着か肌着に麦わら帽子をかぶっていた。考えてみてほしい。ビビリの小学生女子がそんな戦車に乗ったモンスターの様な佇まいの親父に毎度コラコラ言われるさまを。第一、何も悪いことなどしてないのに、何故コラから入るのだろう?普通、こんにちは、とかじゃないのか?と幼心に理不尽を感じ、タロのおじさんに会うとすぐ逃げまくっていた。
タロのおじさんは私の実家にも時々出没した。
気がつくと、大きな梯子と枝切り鋏を抱えてやってきて、庭木の剪定をしているのだ。
「庭木が伸びきっとるのが下の道から見えたけぇ切っちゃっとるぞ!!」
母と私はザクザクと切られていく庭木を唖然として眺めていた。帰ってきた父が、若干ハゲになった庭木と庭に散らばった切られた枝葉(ちなみに片付けはしない)を見て驚いている。
それから、父が頼んだわけでも、もちろん母が頼んだわけでもないのに、タロのおじさんは嵐のようにやってきて、勝手に剪定していった。今やったら住居不法侵入罪とかの結構重めの罪になるのでは?と思う。でもタロのおじさんは純粋に親切でやっていたのだと、今なら多少無理矢理だがわかる気がする。
そう、タロのおじさんは基本的にめちゃくちゃアクティブな善人だったのだ。
付近の山に害獣の猪がでれば罠を仕掛けて仕留めるし、子供を見れば怖がられても声をかけて様子を見ているし、隣の土地の雑草や田畑の世話をし、犬も猫も鶏も沢山飼って可愛がっていた。
あの土地のことが好きだったのだろうと思う。多分私も、その一部だったのだ。
今、私は母親として都市と言われる場所で暮らしていて、地域の人との関わりといえば本当に限定的なものでしかないし、そんなおせっかいすぎるほどおせっかいなおじさんやおばさんは居ない。上品で物腰の柔らかい、決して私たち家族に深入りをしない、好ましい距離のとりかたを分かっている人達ばかりだ。田舎者の私はその上品さにたじろぎながら、ここでの人との接し方を学んでいるところだ。
別にタロのおじさんみたいな人になりたいわけじゃないし、私の娘がタロのおじさんみたいな人に会って、「コラァ!」と声をかけられたら、絶対警察に連絡する。絶対にだ。
それでも、タロのおじさんのことが時々懐かしくなる。あの乱暴なおせっかいが懐かしくなる。
タロのおじさんは、マムシに3回噛まれて呆気なく死んでしまった。だから最期に会ったのは、初盆の遺影の前。天国でもミキサー車で乗りつけて、乱暴なおせっかいを焼いているのだろう。
また会う日まで、タロのおじさん。
頼まないのか、クソが!!という対応を取られた。
悔しい。なんてイヤな店主だ。
料理人は別でチキンカツは旨かったが糞店主のおかげでメシが不味い!!
潰れてしまえ、と思ったが心がチキンだから黙ってイライラを持ち帰った。
あれから一か月、悔しさは残ったままだ。
そこで面倒くさいが、自宅メシを復活させようと思いついた。
目標は、あのクソ店よりも旨いチキンカツ定食を自宅で味わえるようにすること。
あの料理人に勝つのは難しいかもしれないが、約1000円の味の再現ならば、必ずや完遂できるだろう。
まずは総菜屋で売ってるチキンカツを偵察した。
一番人気の総菜屋のチキンカツ、身は薄いが衣が手のひらよりデカくて200円。
候補の一つする。
業務スーパー2㎏698円(税抜き)でブ売っているラジル鶏肉も候補だ。
たぶんあのクソ店も同じ肉を使っているはずだ、最重要候補とする。
味の素のサイトでぐぐればチキンカツの作り方ぐらい載ってるだろうし、パン粉や卵を買っても1000円で楽勝だ。
こいつら冷凍チキンカツは安くするためにささみ使ってて身が薄い薄い薄い。
衣ザクザクが楽しいから旨いではあるが求めてる分厚いのとは違う。
チキンカツ、ごはん、味噌汁、キャベツの千切りとたくわんを添えれば完成となる。
道のりはまだ長い。
バイプレイヤーズってあるだろ、
おれはない。冷蔵庫に余ったレタスを見るとな、おれはあれだ、廃校になった学校にある大縄跳びを見ている気分になるんだよ。
用済みってこったな。
あんなもんはドレッシングを食べるためにあったり、彩りのためにある。
おれはそう思ってた。
しかしな、たまたまだ、麻婆豆腐を作ったから、最後にレタスを乗っけた見たんだよ。
おれの伝記があったとしたら、恐らくその表紙は麻婆豆腐とレタスになるだろう。それくらい衝撃だった。
合うんだよ、合いすぎる、いや、合わせすぎてしまったのかもしれません。
今おれが列挙したやつらってのは、所謂味が合うんだ。
食材の味が。
こう、ぶつからないんだよな、出汁をガムにかけたら不味いだろ?あーいうのを合わないっていうんだよな。
この、味が合うってのが美味いの第一段階だ。
レタスと麻婆豆腐、こいつらは合う。まぁ正直そんなもんはいっくらでもあんだよなぁ。
さて、ここからは超えられるやつらは少なくなってくる。
パサパサしたもんと水々しいもん。
しかも厳密にいうとこの壁を超える武器を2つもってると言える。
1. レタスの水々しさは、灼熱の麻婆の中で映える。
まさしく砂漠の中の水といったところだな。
世の中のラクダは皆、ここ阿佐ヶ谷に向かって歩いて来てただろうな。
てめえのポケットのキャメルも、気付いたら阿佐ヶ谷へ転がってくかもな。
2. シャキシャキとトロトロ
トロトロなんて言葉をみた日には、エロ漫画を思い出して股間を弄るダメ男だったおれが、
今日は汗で水も滴るいい男だった。Gatsbyで顔洗ったらキムタクに顔が変わるCMあったろ、
最後に3つ目の壁の話をしよう。
それは温度の壁だ。
こんな簡単なことにスーパーはいつ気づくんだか、気付いているんだか、
世の中にあって良い温度差、それはたった2つ、風呂上がりのビールと体温。そして寿司のネタとシャリだ。
この温度差を超えてようやく3つ目の壁を超えられるということさ。
あー、麻婆ってのは顔のアバタがどうこう合ったと言うがよ、
おれはそんなおばあちゃんがいたら抱きしめて愛し合えるぜ。なぜなら涙でアバタなんか見えねえからな。
そしてまぁ、最後に色味ってのは大事なもんでよ、赤いもんの中に緑を見つけると、
どうもワクワクするもんだな。無宗教でもこれだけはみんなそうだろ?そういやハイネケンもそうだっけか。
なんでも良いんだ。
レタス入れてみろよ。
爆ぜるぜ。味覚がよ。チェキラ
①オンラインセッション(○ヶ月○万円)に入りたいと思った時期
3桁万円の借金があり、まだ弁護士さんなどに相談もできておらず、ひたすら「どうしよう……」と悩んでいた時期、「○○さんのオンラインセッション、○ヶ月○万円でお金がザクザク!」みたいなものにとてつもなく惹かれた。例えば半年3万〜10万円くらい。
自己破産は地元に迷惑がかかるのでできない(官報を見られそうで怖かった。田舎は狭いし…)が、その当時の収入だと自己破産一択しかなさそうだ、友人にも言えないしどうしよう……とグルグルしているときに、その「オンラインセッション」は光り輝いて見えた。3万円(例)も、捻出できなくはない。このプログラムで3万円以上「受け取る」ことができたら大丈夫なので……。
【なぜ入らなかったのか】
・講師の話を聞くだけ
→寝そう
・夢を毎週/毎月送る
→面倒になってやらなさそうな自分が見える
・「この本に全てやり方が書かれている!」
→なら本読めばいいか……
でギリギリ踏みとどまった。
なお、その後収入が多少増加→安定する立場になったため、安心して弁護士に相談し、借金を債務整理してもらった。今のところ毎月きちんと返済できている。
②月額1000〜2000円ほどのオンラインサロンに入りたいと思った時期
とにかく人と会わないと!と焦る時期があった。友人も数が少なく、結婚していて、気軽に話せる人も限られていた。また、休日に疲れて寝るだけ……ソシャゲするだけ……とか、「有意義に過ごせてないんじゃないのか?」と思い煩うことも多かった。
その時たまたま「ライフハック」系が流行っていて、そういうサイトを見ると、「なるほど、こういう風にすれば生きやすくなるのかな〜」とか「生活がパリッとするのかな」と思った。
【なぜ入らなかったのか】
いくつかサイトを見ているうちに一部の管理人がオンラインサロン始めます!と宣伝をしていた。
皆で励まし合ったり、ライフハックを共有したり……なるほど、メンバー同士の応援特化型か〜!自分もパリッとしたいなあ!
と思ってしばらく観察していて、○○サロン で検索したり、管理人さんの「この人がこういうことで成功したよ!」みたいな記事を読んだりした。
しかし、その「成功」の内容が、例えば「引きこもりの私ですが、コーヒーを自家焙煎して淹れてみました!」みたいな「本人にとっては大きい一歩かもしれないけど……」というような内容だった。正直、1000円でも厳しい、と思う内容だ。
今思うと、逆にそれをそのまま開示してくれたのはありがたい。キラキラなオンラインサロンというものは実はないのでは?と思い始めた。
③スピリチュアル系のオンラインサロン月2000円くらいの存在を知ったとき
正直心が疲れているという認識があった。心も身体もクタクタで、メンタルクリニックにも通っているけど、改善している気がしない。現状維持がせいぜいだ。
そんなとき、前は見向きもしなかったスピリチュアル本を見かけた。手に取って読んだ。自分の疲れ切った心を慰めてもらった。
そんなとき著者がオンラインサロンやってるのを知った。月2000円くらいか〜この手のサロンとか講演会は巻き上げるから、2000円くらいなら良心的かも。と思った。
【なぜ入らなかったのか】
その著者の新刊があまりにもつまらなかったので……前の焼き直しというか生地に戻した?な感じだった。スピリチュアル本は焼き直しが非常に多くあるけれど、これはひどいな〜!と思ってやめた。ちなみにスピリチュアル本については読んでることを周りには隠しているし広げてないです。陰謀論でもない。
・「新しい刺激に出会わなければつまらない人間になる」というのは単なる思い込みや妄想でしかないのに、「真実」だと受け取ってしまうとき
にオンライン○○は「焦り」や「罪悪感」にスッとハマるんだろうと思う。
プペルで失業保険使った人とか学生で染まりきってる人を見ると胸が痛むんだけど、もしかしたら自分も道を間違えてたらそうなっていたのかも……と思ってみている。
なわとび:601回
ボクシング:125kcal
徒歩:112.9kcal/3785歩
新アニメの話
レコーダーがずっと何かを録画し続けていて怖い
頑張って見て片付けないと、すでにものすごい数のアニメが積み上がってる
今日見た中で残念ながらそこそこ面白そうで切れなかったのは魔道祖師とSK∞と怪物事変の三つ
魔道祖師は仙人が道術駆使して戦う感じの中国アニメだけど、画面がやたらと豪華で気になる
男児向けアニメのような濃いめのキャラクタを女性向けのようなバリバリのイケメンデザインで描いているせいで、どことなくキンプリと似たような匂いがする
わたしのYouTubeチャンネルは、たまに猫と野球の動画をあげていただけのチャンネルだ。
最終更新は7年前。もうすっかり見る専アカウントになっている。
チャンネル登録者はそれほど多くないが、野球選手の動画を見に来てくれる方がぼちぼちいらして、今でもそこそこ再生されている。
今見る、YouTuberが溢れるような場所ではなかったYouTubeで、ひっそり自分が好きなものをあげているだけの場所だった。
そのうちの動画のひとつに、12年ほど前にアップしたとある元野球選手(以下A選手)をメインとした動画がある。
当時現役のプロ野球選手だったA選手が、球団のイベントに参加している様子を映したもの。
A選手や他の選手たちの挙動が面白くて、もちろん良いほうの気持ちでアップした動画だった。
再生数はそこそこあったものの、今のYouTubeとは文化が違ったので、誰かからの反応というのはファンのブログに動画URLが貼られていた…とかそのくらいのものだった。
7,8年ほど前頃から。つまり動画をアップしてから4,5年ほど経ってから、少しずつ動画にコメントがつき始めた。
おそらくYouTuberという文化が花開き、動画にコメントを残すというのが当たり前になってきた頃なのだろう。
最初の頃は「ゆるいイベントだなあ」とか「昔はこんなことやってたのか」とか「Aはやる気出せwww」のような、当たり前のコメントだった。
A選手は元々、期待ほどの成績を残せなかったことや、本人のどこか抜けたような性格などからインターネットでは度々話題に出される選手だった。
ネタになる、くらいの明るいものだけではなく、いじりや叩きに近いものも多かった。
ということで、徐々にコメント欄には「こんなテンションだから成績が残せなかった」「年俸詐欺のようなものだ」というA選手への罵倒が見られるようになってきた。
A選手やいっしょに動画にいる選手たちがその頃徐々に引退し始めたことも影響していたのかもしれない。
わたしは「それも意見だ」ということでそれらのコメントを残したままにしていたが、今度はその負のコメントが周りに派生していく。
「こんなダレた空気でやっていたら弱くて当たり前だ」といったチーム自体への非難
(オフシーズンのイベントの動画なので、当たり前だが選手たちが気合いを入れてどうこうするものではない)や、
「B選手やC選手もA選手を白けた顔で見ているなぁ」といった周りの選手を巻き込んだ非難や、
「司会者の喋りがキモい」といったもはや選手やチームを飛び越えた非難が書き込まれるようになった。
わたしはただそういった罵倒コメントを低評価し、それ以外のコメントを高評価した。
(あの低評価っていうのはなにか効果があるのかしら。わからないけれど。)
コメント自体、そんなに頻繁につくものではなく、月に1コメントつくかつかないか?という感じだったので、それほどまでは気にしていなかった。
月日が過ぎて気づいたら今年になっていたわけで。
ある日その動画を見返したら8割方が動画の内容というよりもただただ嫌いな選手たちを罵倒するだけのコメント欄になっていることに、やっとこ気づいた。
たまにしかつかないから気づかなかった。ちりも積もって、ほんとうにゴミ溜めになってしまった。
投稿者コメントとして「これ以上よろしくないコメントばかりになったら動画自体を消します」という旨書き込んだ。
少しばかり罵倒が止んで柔らかめの言葉でコメントがつくようになった。
そこから半年くらい経ったころ、何故かまたドッと罵倒コメントがついた。珍しく数日に続けて。どこかのブログやら掲示板やらに貼られたのだろうか。
さすがにもうだめだ、と思って罵倒メインのコメントをザクザクと消したのが今年の夏頃のことだった。
「Aはやる気出せwww」「空気ゆるゆるやな」程度のコメントは残している。
「Aがいたせいでチームの暗黒時代が始まった」「最初から入団しなければよかったのに」くらいのコメントになると消した。
驚いたのが、それ以降のコメント欄だ。
この半年ほども、以前と同じように月に1,2くらいずつコメントが付く。
内容はというと、ざっくり「A選手って面白いキャラだったんだ」「引退後○○をしているんだよね」「今では見られないようなイベントをアップしてくれてありがとう」「司会者のひとが独特な喋りで面白い」のようなもの。
twitterのリプライなどでの叩きや、そもそも現実世界のいじめなどでもよく言われている「周りがやっているから自分もやっていい」っていうやつ。
同じ動画のコメント欄という狭い世界であれば。7,8年かけて、ゆーっくりでも、その空気というのは形成されるものなのだな…と、無駄に感心してしまった。
バズっているYouTuberの動画などではよくあるものだと思っていたけれど。
そして、こういう悪意を書き込んじゃうタイプの者たちでも、「周りが誰もやっていないのに悪意を書き込む」ことには一定の制御が効くのだ、ということが、罵倒コメントを消したあとにすごくよくわかった。
おそらく、最初に誹謗中傷のようなコメントがついたときにきっちり消して警告しておけば、わたしのようなゆるやかなチャンネルではあれほどまでのゴミ溜めが出来上がることすらなかったのだろう。
批判コメントを消すことってわりと逆に叩かれたりするので抵抗があるかも知れないけれど、やっちゃっていいものなんじゃないかなー。
ということを、しみじみ思ったので書きたかったのです。
(女性です)
週末髪を切った。私の理想より1センチくらい長いな、と家に帰ってから気づいた。
その事実が耐えられなくて今朝発狂して自分の髪にはさみをザクザク入れてしまった。
下を向いても髪が邪魔でないくらい、切ったすぐは髪を結ぶ必要が無いくらい短くしてほしかった。
もっと具体的に言うと2か月前同じお兄さんに切ってもらった髪型と全く同じにしてほしかった。自分だから覚えているが前はもう少し短かった。
「伸びた分切る感じでよろしくお願いします」というオーダーがいけなかったのか?
「前に来たのが2か月前だから2センチちょいくらい切りますね」と言われて切られたが、お兄さんはそんな客ひとりの髪型が具体的にどうだったかなんて覚えていないよね、前切ってもらったときはもう少し短かったぞ確か。私どうやら人より伸びるの早いらしいぞ?
いや、今思ったが、そもそも「前と同じ感じで」自体が理想ではないと気づいたぞ?
だって前も髪型のシルエットが気に食わないって内心で思っていたじゃない。
前上がりでなくまっすぐに切りそろえたボブをリクエストしてしまったから、丸いシルエットがいいのに四角い感じになって気に食わないって思っていたじゃない。
きちんと伝えられるようにSNSで黒髪ショートの芸能人の写真いくつかスクショ取っていたじゃない。浜辺美波とか佐倉綾音とかの写真10枚くらい揃えたじゃない。
でも当日になって恥ずかしくなって見せられなくて結局「伸びた分切って」なんてチキりまくりのオーダーしかできなかったじゃない。つまり満足度が低いのはわたしのせいじゃん。
分かっているよ。私が悪いのは分かっているよ。
一応終わってからこれでいいですか?という確認はされるけどさ、そんな10秒くらいで気に入るかどうかなんて判断できませんって。下向いたりして、結んでみたりして、横顔を見てみたりして、気に入るかどうか心と相談して、3分くらいかけないと判断できませんけど、そういうわけにもいかないから「大丈夫です」と言うしかないじゃん。
というかさっきも言ったけど癇癪起こして自分で自分の髪を切ってしまったのめちゃくちゃショック。せっかく高いお金払ってきれいに切り揃えてもらったのに自分でずたずたにしてしまった。顔の周りの毛とかザックリ切ってしまったから目立つ。悲しい。
今週末にもう一回美容院予約しても許されるかな?「喧嘩して自分で切ってしまったのできれいに切りそろえて頂きたいです。ついでに全体ももう1センチくらい短くなりませんか。理想はこの写真のような感じで」とオーダーしても許されるかな。恥ずかしいから1000円カットで切ってもらう方がいいかな?次回バレるかな?3年も通っているしまた新しい人を探すのは面倒だからこれからも同じ人に通い続けたいのだけど…
また同じ高い金を払うのか…ショックだ…今週昼食代削ろうかな…2週間くらい削れば少しは足しになるかな…戒めと言うことで…いくら髪型が気に食わないからって癇癪を起して自分ではさみを入れてはいけない…。というか癇癪を起してはいけない…
事前に要望を書いておけばいいのではないか?印刷して渡せばいいのではないか?メモ帳に書いて読み上げるは多分出来ないから、いっそ印刷して渡した方がいいのではないか?
ホットペッパービューティーでの予約時に希望を書けることが理想。そんなサービスあったっけ?店に寄るかな。
さて、1週間前に切ったばかりでまた予約するのめちゃくちゃ恥ずかしいのだけど、背に腹は代えられないから予約するか…?まあ結べば誤魔化せるからこのまま耐えて年始に切ってもらうか…?1000円カットに浮気して切ってもらうか…?どの選択肢を取るか迷う……