はてなキーワード: れいなとは
職場近くのコンビニ店員は外国人が多いけど、家の近くのコンビニ・スーパー・ドラッグストア等々の店員に外国人は見かけない。
5年~10年くらい前、家の近くで店員をやっていたのは日本人女性ばかりだったのだけど。85%主婦で、15%が入れ替わり激しいJKのイメージだった。
それが日本人男性店員がすっごく増えた。8割男性かも。そしてKpopみたいなマッシュか、流行りのコムドットのようなセンターパートにした、こぎれいなイケメンが多いように思う。
雑貨屋は女性店員100%だったかな、あとカルディも女性店員100%だった。100均やドラストなど生活用品っぽいところが、男性店員になってるんだよね。主婦パートが減ったということ…?
昔はこぎれいな男って高校生雑誌に載っているようなごく一部しかいなくて、どこか芸能界のような特殊な存在だった気がするのだけど…。
接客をやると人に見られている意識が強くなるから、接客の男性が増えることが男性美容市場の活性化につながるのかもしれない。
あとは景気が悪くてほとんどの男性は稼げない、ってなると、若い女性にもてるためのアピールポイントが容姿と生活能力とコミュニケーションくらいしかないってことにもなってくるね。
ヨーロッパでは若年層失業率が高いらしいけど、日本でも今まであったような雇用の受け皿がなくなって、ひと昔前はパート主婦がついてた仕事に若い男性が流れてきているのかな。
店員が女性じゃなくなって、イケメンに限らず太ったおじさんとかでも、なんか生理用品買いにくくて、ネット通販で買うようになった…トイレットペーパーとかは普通に近所のドラストでも買うんだけど。
僕は音楽に向かないと思って今まで生きてきた。
いつからやっていたのかわからないが、かなり長い間という印象がある。
といっても低学年の頃には通っていた記憶がないので、3年生くらいからはじめたかもしれない。
そう考えると、通っていた期間は1年も満たないかもしれない。
子供の1年は長いのだ。
なんで習い始めたかはわからないが、きっとテレビで見たとか、友達もやっているからとか、そういう軽い興味を母親に話したからだと思う。
母は「興味があるならやったほうがいいと思うよ」と言う感じで了承してくれてすぐに音楽教室に通うようになった。
しかし、通ってすぐにモチベーションは下がっていってしまった。
まず、楽譜の読み方はわかった。鍵盤と楽譜のドレミの位置はわかった。
知っているドの場所とは違う読み方だった。
ト音記号とヘ音記号の違いは何なのかわからなかった。先生に聞けばよかったんだろうが、奥手の自分は質問はなかなかできない。
先生に直された場所に音名を書いて、それの前後から音を類推して暗記しようとした。
しかしそれが今やっているレッスンの何を説明しているのか全くわからなかった
レッスンは聞いてても面白みのない単調なものをずっとひかされて、そして知らない言葉が日々増えてきた。
先生の使う言葉はわからない。当てずっぽうでやっていくしかない。という負の連鎖に陥ってしまった。
教室に向かう途中で台風や事故でも起きて行かなければ済めばいいのにというのをずっと思っていた。
レッスンが済めばとても爽やかな気持ちになった。
もう一週間教室に行かなくていいという安堵感だ。その夜のドラゴンボールZはとても嬉しい気持ちで鑑賞できる。水曜の夜の清々しさは土曜日の夜にもまさった。
だが、月曜が来るとまた水曜が近づくということで憂鬱になる。
その繰り返しだった。
発表会は絶対に失敗できないのでそれは模倣をすることでなんとか乗り切った。
むしろ発表会周辺はいい。レッスンはその曲の練習に割り当てられるので、常に同じことを繰り返すだけだったからだ。
そんなに辛いならやめたいといえばいいのだが、僕はそういうことを言えない性格だった。
自分からやりたいと言ったからと言う負い目も感じていたのかもしれない。
よっぽどのことがない限り学校を休ませてくれない親に育てられたからだからか、途中で放り投げるというのは悪いこととも思っていたからかもしれない。
とにかく、つらい水曜日を送っていた。
そんな僕に転機が訪れた。
引っ越すことになったのだ。
引っ越すときに親に「引っ越した先でも続ける?」と言われたとき僕は何も言えなかったが、伏せ目がちにはぐらかそうとしたのを察知したのか、親は「まあやらなくていいか」といってくれた。
新しい学校への不安や友達とも離れてしまう寂しさもあったが、教室からの自由はそれらに勝っていた。
しかし、この教室に通っていたことはのちの人生に禍根を残すことになった。
まず音楽教室に通う前に親に「小さいときにやっていると、音感が身につくし、ピアノや他の楽器だってすぐにひけるようになる。プロや上手い人はみんな小さいときからやってた。だからやったほうがいい」と言ってくれた。
これは『小さいときにやると、音感やピアノが身につきやすい』という話だがこれを僕は解釈を誤ってしまい『小さいときにやらないと、音感は身につかないし、ピアノや他の楽器は弾けなくなる』とそう思っていた。
でも、あんな苦しい思いをしたんだから今後ピアノや楽器はひけなくてい良い。10歳ごろのころに完全に諦めた。
学校で音楽祭という行事があるのだが、僕はなんの立候補もすることなくリコーダーをした。
ピアノや木琴などは音楽教室に通っている人の特権だと思っていた。
児童館のピアノで猫踏んじゃったなどを弾く女子がいたが、その時おもっていたのは「僕には全然わからなかったことを分かっているすごい人。あんなに弾けるまで音楽教室を続けられている。きっと勉強もできるんだろう」という尊敬の念とともに「僕はああいうふうにでできる人じゃなかった」とも感じていた。
このピアノが弾ける人は小さいときからやっている。小さい時にやりはじめないとピアノは一切弾けないという思いはクラスのピアノうまい子を見るたびに強くしていった。
通っていて何もできないなんてしられたくなかった。だから何も始めなかったことにした。
避けたといっても積極的に行かなければ関わることもないので気にならないようにしていた。
中学くらいになれば色気が出てギターを始める人、バンドに熱中する人も出てくるが、
僕はそこに入る資格はないとおもっていた。なぜなら小さいときに始めることを諦めたからだ。
そして、ギターなどを始めている子たちは小さいときから何かしらやっていたんだろうと思っていた。
そんな誤った認識は結構成長するまで続いたが、高校時代衝撃を受けたことがあった。
保育士の専門学校ではオルガンやピアノの授業があるが、「今までピアノとか触ったことなかったので、弾けるなるようなるまで毎日頑張っている。結構うまくなってきた」とバイトの休憩時間で教えてくれた。
僕は驚いた。小さいときにピアノをやったことないのにやれるのかと。
もう一つ驚いたことがあった。
同級生のあまり親しくない人が先生と雑談しているのを勝手に聞いたのだが、「最近ピアノをはじめた。近所のうちにあるから弾きにいってる。独学だけど結構ひけるようになった。」と。
これもまた衝撃だった。
小さいときに初めてないのにピアノをやっている。そして教室に通わずに自分でやっている。
僕の認識では、ピアノや楽器は小さい時から教室に通い苦しみを乗り越えたもののみが得られるすごいスキルなんだと思っていた。
でも僕はすべての弾くスキルに対してそう思っていた。
ずーっとあの単調なつまらないフレーズを練習してそれをクリアしないときれいな曲を弾く資格を得られないと思っていた。
バイト先の人のおかげで、小さいときからやらなくてもできるということ、同級生のおかげでいつでも自由に楽しむために始められるということを知った。
でも、それを聞いてもすぐには楽器に手を出すことはなかった。
大学受験だ。
そんないい大学を出てはいないが、勉強と問題集での実力の測定のPACDを回して模試での偏差値がグイグイ上がっていくのに熱中した。
おかげで自分が卒業した地元のあまり評判の良くない高校には似つかわしくないくらいの大学には入ることはできた。
これも設計、実装、バグとりのPACDを回して品質を上げていくことに熱中した。
こういった人生経験を積んだおかげだろうか。
新しいことをやるということに恐怖はわかなくなった。
息子が吹奏楽部に入部したので楽しそうと思ったからかもしれない。
ギターを始めるにあたって、CとかFとかはなにか、コードとはなにか、メジャーとはマイナーとはなにかを調べた。
ドレミファソラシドと一般的に言われる音名は英語ではCDEFGABC日本語ではハニホヘトイロハということ
ドレミは階名といって主音にしている音が何かによって相対的に変わるらしいということ。
ハ長調は主音がハで、長調だからドがハになるということらしい。
Cをギターで弾くと、ドミソの音がなっていることに気づいた。
4分の3拍子や4分の4拍子と教室ではずっと言われていてなんのことかわからなかったが、1小節に四分音符が3つ入るか4つ入るかということだということ
泊のとり方もわかった。
長調と短調のこと全然わからなかったがギターではメジャーとマイナーという言葉で帰ってきた。
ここらへんまだ調べきれていないが、長調は全全半全全全半で音が上がっていく音の並びを使い、短調では全半全全半全全で音が順番に上がっていくらしい。
ピアノでミとファ シとドの間に黒鍵がないが、これは半音しか上がっていないということに気づいた。
これピアノはハ長調を弾くときに黒鍵を触らないでも済むようにデザインされているのかもしれない。
こうやって、幼い頃に躓いたあの教室の意味不明だった理論の答え合わせをしている。
いつから始めても構わないし、やりたいときが始め時、やめたいときが止め時だなと思った。
そして、息子が僕と同じ罠にはまらないように、疑問にはなるべく二人で調べるようにして、ちゃんと解決をする道筋を自分で考えることを教えようと思う。
私も1年前から同じように平日はカフェインを避けて生活している。
参考までに、今、常飲している飲み物を紹介しておく。
また、元増田がどんな理由でカフェイン抜きの飲み物を探しているかは分からないが
私のように健康上の理由でカフェインを避けなければいけない人たちの参考になるよう
「健康上の理由でカフェインを避けたい場合」にTipsを書いてみた。
結論としては、
3.好みのルイボスティー
をその日の気分や体調で切り替えて飲むのがおすすめ。
口にしたことがなければ、3.〜4.はぜひ試してみることをお勧めしたい。
知っておいた方が良いように思う。
- 元々がカフェインを含まない飲み物。麦茶、十六茶等のブレンド茶、
- カフェインが少ない飲み物。明確な定義はない。例えば、100mlあたりで
いくらまでのカフェインであればカフェインレスを名乗って良い、
- 後述のデカフェによってカフェインが少なくなっているコーヒー、紅茶を
- どのくらいカフェインが少なくなっているのかは
コーヒー、紅茶、中国茶などの種類によっても、メーカーによっても
異なるのでチェックした上でつき合い方を考えて良いかも
- 概要
- 様々なカフェインレスコーヒーの豆が小売店やカフェで売られている
- 正直に言えば、普通のコーヒーと比べると、味、香りは落ちる。
多くのブランドが売られているので、お気に入りを探してみると良い
- 購入場所
- 参考例
- 他と比べると、無印のカフェインレスは悪くない味、香りに感じる。
入手しやすいのも良い
- 備考
- 概要
入手しやすいはず
- 購入場所
- 参考例
- 概要
- ノンカフェインの温かい飲み物と言えば、ルイボスティーが本命
特にピーチ、マスカット、アップルの香りがついたものは鉄板。絶対に美味い
- 購入場所
- 無印が入手しやすい。ピーチ、マスカットのティーバッグがおすすめ
でも最近では、商品の種類も扱い店舗も増え、欠品することもなくなった。
ぜひ試してほしい
- 参考例
- 私の場合、前述の無印のティーバッグと紅茶専門店のルピシアで買った
ルイボスティーが美味しかったのだが、こちらはメーカーを失念してしまった……
- 概要
なにより、ハーブティーによくある、何か物足りない感じ、
白湯を飲まされている感じがない。
- ハーブティーは刺激が少なくて飲んだ感じがしないと感じた場合には
ぜひ試してほしい
- 参考例
- 私は「CELESTIAL」というメーカーの製品をストックしている。
Amazonでの品揃えはこんな感じ→ https://www.amazon.co.jp/s?k=CELESTIAL&i=food-beverage&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=UERATDLEL9I9&sprefix=celestial%2Cfood-beverage%2C180&ref=nb_sb_noss_1
このメーカーのFruit Tea Samplerという商品は5種類のお茶が
入っているので、好みのものを探すのに良い。
(サクマドロップのハッカ並みのハズレフレーバーも入っているが……)
- 概要
- ハーブティーは大抵ノンカフェイン(私が知っている限りでは)
- 有名なハーブティーとしててはカモミールティー、ローズヒップティーの
2つが挙げられる。この2つだけ紹介
- カモミールティー
- 小ぎれいなマッサージ屋さんにいったときの良い香り。あれがカモミール。
- ちなみに「カモミールティー」で検索するとサジェストに「まずい」が出てくる。
そこまで酷い味ではないものの、美容、健康に効果がなかったら、
多くの人が飲みたがるようなものではないと思う。
- 良い香り、美しい色、きつめの酸味
- こちらも「ローズヒップティー」で検索するとサジェストに「まずい」が出る。
飲みやすくするためにミルクを入れると分離して悲しいことになる。
- 参考例
- カモミールティーだけ常備している。
- 備考
- ルイボスティーやカフェインレスコーヒー/紅茶が用意されている
カモミール、ローズヒップのどちらかは置いてあるケースが多い。
下記のような方法が良いように思う。
2.どうしてもコーヒー、紅茶が飲みたい気分になってきた場合に
少しずつカフェインレス、あるいはカフェイン含む飲み物を取り入れる。
ルールを決めて試すと良い
3.カフェインレスを飲むことで健康に影響が出ないかを測定する。
- 平日午後以降:ノンカフェインのみ
カフェインを避けようと考えても続かないことが多い
大学4年と就職してから4年、合計8年アメリカで過ごして今年帰国した。
Twitterでたまに「アメリカでは日本より個人が尊重される。恋人ができないから、結婚できないからまともじゃないなんてことを思う人なんていない。他人のことをごちゃごちゃ言うのは日本だけ」ということを言うのを見るけど、そんなことはないと個人的には思う。
便宜上日本人は、アメリカ人はという言葉を使うけどもちろん全ての人に当てはまるわけではない。ただ私がアメリカで住んで肌で感じたことを書きたいと思う。
・恋愛をしてない人は「かわいそう」
とにかくアメリカ人は愛を重視する傾向にある。離婚率は割と高いけど、それは愛が無くなれば一緒にいる意味なんかないと思うから。世間体よりも愛。
日本では恋人がいないと言っても「あ〜」「出会いないとそうなるよね〜」みたいなゆるい空気が流れると思う。
アメリカでは「かわいそう」「なぜ?」となる。これは煽ってるわけでも馬鹿にしているわけでもなく、心から気の毒だと思っている感じ。憐れまれているのである意味日本よりきついかもしれない。愛し愛される相手がいないなんて…こんな悲しいことある…?みたいな。
だからモテるモテないの問題は日本では茶化されるけどアメリカではもっと深刻になると思う。愛されないことも愛せないことも何かの罰みたいになってる。
・街が、国が独り身を受け入れていない
日本ではお店で1人でごはんを食べていても気にもとめないし当たり前のことだと思う。
アメリカでは1人でいることはなんらかの非常事態であることのように扱われる。
お店に入るとき1人だと「ひと…り…?」と聞き返されることもまあまああった。
訳ありだと思われないのはフードコートやバーくらいじゃないだろうか。
お店だけでなく家やら商品やらシステムやらのなにもかもが1人で使うことを想定していなさすぎる。
恋愛うんぬん関係なく1人でいたい人にとっては結構きつい国ではないかと思う。
・仕事ではどう?
「結婚してない、恋人もいない人はまともじゃないので責任ある職を任せられない」みたいなことはないとは言えない。
アメリカ人、特に立場がある人は差別主義者扱いされることを嫌うので、決してオープンにすることはないけど、根にその感覚はあると思う。
「なんか変わってるけど根はいいやつ」ポジションに収まらないと上に行くのは厳しいかもしれない。
レズビアンである私の推測だけど、同性愛者の人たちが日本よりオープンなのはそれが日本より「受け入れられている」からではなく「恋愛をしない人と思われるほうが深刻」だからでは…?と思った。
という感じになるかもしれない。だから自分が同性愛者であることを隠す時は「好きだと思える人がいない、忙しい」みたいな感じで親に話す気がする。
という感じになると思う。
だから隠すよりも同性の恋人の存在をオープンにしたほうが親は安心するんじゃないかと思う。あくまで推測だけど。
高校の時は短期留学でホストファミリーのとこにいたけど、ホストマザーに彼氏のことを聞かれいないと言うといない!?!?と驚かれ、実は彼女が…と言うとあ〜ね☆みたいに受け入れられたのはわりと衝撃だった
メモ書きみたいなまとまらない文章で申し訳ない。またなんか思い出せば追記するかも。
※以下、30年くらい前の話なので記憶があいまいなところもある。間違えていたら許してほしい。
※なお、壮絶な話は何もないので、期待しないでほしい。
20歳そこそこの頃、タウン誌の掲示板コーナー的なところに「社会人英会話サークル」の案内を見つけて連絡したことがある。
無料というのがかえって怪しかったが、好奇心から指定の場所に行ってみたところ、
そこは三軒茶屋の小ぎれいな一軒家で、20代前半から中頃くらいの物腰の柔らかい感じの男性が数人いた。
どんな会話があったかほとんど覚えていないが、少なくとも英会話の話はほとんどなかったはず。
途中で宗教法人の登録証?のようなものを見せられ、そこには「○○弥勒○○」(弥勒しか記憶にない)みたいな団体名が書かれていた。
後で揉めないように先に情報を開示しておくということかなと思ったが、後に調べてみたらその宗教団体は統一教会の隠れ蓑団体のようだった。
ともかく、その時点で宗教であることは明白だったが、当時の俺はとあるインドのグルに熱中していたのでむしろ面白くなってきて、
瞑想について熱弁した。連中は穏やかに「うんうん」と微笑みながら聞いてくれるので、調子に乗っていたかもしれない。
そのうち、「ビデオでも見ませんか」とビデオテープがずらっと並んだ棚へ誘導された。
今にして思うと怪しいテープもあったかもしれないが、1961年の日本映画「釈迦」を見つけた俺は迷わずそれを選んだ。そしてみんなで一緒に鑑賞した。
「釈迦」といっても日本映画だから登場人物はほとんど日本人で、ダイバダッタは勝新太郎だし、アショカ王は中村鴈治郎である。釈迦は本郷功次郎。
そのほか、京マチ子、川崎敬三、東野英治郎、市川雷蔵、山本富士子、月丘夢路、中村玉緒なども出演している。
極めて真面目に作られた映画だが、あの勝新太郎がダイバダッタとして登場した段階で俺は笑いを禁じえなかった。
周りのみんなも俺につられて苦笑していた。
そして、そのままなんとなくグダグダな雰囲気になり、特に勧誘らしきものはないままお開きとなった。
とまあ、特に何もなかったという話なんだけど、後で正体は統一教会だったと知り、いろんな姿をとって忍び寄ってくるんだなあと驚いた次第である。