はてなキーワード: あの世とは
なので一応増田の言い分はある程度わかるつもり。その上で言わせてもらう。
甘ったれてんじゃねーよ。
しかもよりによって実家でとかアホか。親の身にもなってみろよ。
てめえがあの世にトンズラかましたあと、親は自分の子供が汚物まみれの肉の塊になってるの泣きながら片付けなきゃなんねーんだよ。
あげくHDDだのPCだのクロッキー帳だの、息子の思い出だらけの部屋を処理させたいとか、何様のつもりよ。
親を地獄に叩き落したい、どうしても復讐したいっていうならとめないけど、じゃあ親孝行だの話し合いたいだの綺麗ごとぬかしてんじゃねーよ。
増田が本当に親に望むことって何よ?
死にたいって思ってて、その思ってる自分も含めて受け入れて欲しいってことじゃないの?
ざくっとしか目を通してないけどさ、要は「寂しい」としか読めなかったけどな。
増田が親に自分を受け入れてくれない、解ってもらえないって感じるのは、相手を能力も愛情も有限な人間として認識しだしたということなので、単純に親離れの時期がきたんだと思うよ。
物理的には離れてるみたいなので(実家とあるし)、精神的にも独り立ちできるようになれたらいいね。
話し合いにならないっていうけどさ、もし増田が親から「ちょっと首くくりたいんであとのことよろしく」って相談受けたとしたら、どうする?
「OK!あとのことはまかせとけ!」って、自殺のバックアップできる?
そりゃそんな話したくないさ。親も増田と同じように一人の人間だから。
死にたい死にたいと思い続けて、死ぬ死ぬ詐欺のままただ生き続けるのも、それはそれでありじゃないかな。
今悩んでることも含めて、それが増田っていう一人の人間なわけだから。
ただ、いつ実行できるかわからないのに周りの人間巻き込むのは、ちょっとダサい。
少なくとも親はたまったもんじゃない。
「若い頃一つの道に熱中したのにもかかわらず大成できなかった~~の専門家を親にもち、
見た目ロリ・ショタのくせに冷静でめちゃくちゃ問題解決能力あるけどたまに心が不安定になる旅の仲間」
みたいな子は
親になるはずの人間が、
よっぽど絵を書くことはツライんだろうね。
(実際、部誌の表紙とか書いてくれてた)なら
自分は今後の人生で絵は一筆たりともかかなくていいとおもうくらいだったのに、
才能ない自分がしかたなく別の生き方を学んでる間にこの世にいなくなったわ。
絵を書く人間はケチだから子孫という作品さえ残さないんだなって涙も出なかった。
スポーツ選手とか芸能人ならどんどん次世代も活躍して本人も生きてるのにな。
絵にのっとられた脳には何言っても無駄なんだろうから無理すんなしかいえないけど、
世間に流されて生きててくれたら絵はかかなくても結婚だとか出産しなくても
ずっとずっと仲良くしたかったよ。
当たり前なのかもしれんけど。
大長編ドラえもんを1から読んでたんだけど、のび太の南海大冒険まできて
ノリというかテンポというかうまく言えないけど違う世界を見ているような感じ。
なんでだろうと思ってウィキペを見たら藤子F不二雄没後の作品だった。
正直腑に落ちた。
でもやっぱり違う。彼らの姿形を借りても、もうあの世界ではないんだなぁと。
次作を読もうか迷い中。
なんで続けちゃったんだろうなぁ。
いつの日だろう、ある休日の昼下がり、1匹の野良猫がうちの庭にやってきた。
頭から尻尾の先まで真っ黒で、おちんちんをぷらぷらさせる野良猫。しかし、やせ細った身体でトテトテと這いよるその骨川筋右衛門は、明らかに衰弱していた。
いろいろ考えた結果、田舎ゆえ周辺に住宅が少ない、そして何より自分がネコ好きということで彼を放っておくことができず、かつお節ご飯と水を与えた。そのガッツキようは今でも覚えている。さながら、ホットドッグを爆食いする小林尊のようであった。
腹をすかしてはフニャアフニャアと鳴き、エサを催促した。食べると満足するのか、うちの庭のど真ん中でドテンと横たわり、お日様の下、完全無防備状態で爆睡する(つついても起きない)。日が傾きはじめる頃、ふと見るとどこかに消えた。しかし次の日には、同じようにフニャアフニャアとやってくる。こちらもいつしか、スーパーで一番安く売られる缶詰を買うようになり、また首輪も買った。同時に、「クロ」といかにもな名前をつけた。
クロは日に日に肥えていった。ぷよぷよした姿は、もう完全にデブ。肥満が問題なのは重々承知だが、「まあ野良猫だし…しかもカワイイし…」という素人考えでエサを与え続けた。また、大きめの木箱に毛布を敷いて寝床をつくってやると、夜はそこで寝るようになった。
いつ頃からか、自分が仕事から帰ってくるとクロが出迎えはじめた。車からおりると、そのでぶでぶした巨体を左右にゴロンゴロンさせながら、お腹をみせつけてくる。ハイハイわかったわかった、と十二分になでたあと家に入ろうとすると、入れさせんとばかりに頭をすり寄せてくる。その一連の姿がなんとも愛らしく、どれだけ仕事で疲れていても、自然と笑みがこぼれた。
クロはよく周囲を冒険をしていた。時に他の猫と喧嘩したのだろう、右頬の肉がえぐれるなど、大怪我を負って帰ってくることもあった。ジュクジュクした傷から出る膿をガーゼで拭いてやり、「負けんなよ、俺も負けねえから」と1人意味不明なことを語りかけては、フニャ、とクロは鳴いた。クロが生活の一部、いや、人生の一部になっていた。そうして数ヶ月がたっていった。
もういっそのこと飼い猫にしようか、と考えていたちょうど5日前、クロがふと姿を見せなくなった。いつもは「クローーッ!」と手をパンパン叩くとドテドテ走り寄ってきたのだが、その気配が全くない。まあ野良猫だし帰ってくるだろう、と自分に言い聞かせながら、当然のことだが我が子を思うように心配で心配でもう仕方なかった。
そして昨日。ちょうど仕事に行く前、家の裏の日陰に横たわるクロを発見した。すぐさまかけ寄ると、フゥフゥフゥと呼吸が荒く、目も半分しか開けていない。ヨダレもたらしている。ずっと横たわっていたためか、体は多くのアリにたかられていた。ふと怒りを感じた自分は、無造作に払い落としたアリを踏みつけて殺し、クロの体をふきながら口元に水をやった。すると最初は横たわった状態でペロペロと水をなめていたクロは、ヨロヨロと自分で立ち上がり、自力で水を飲んだ。大丈夫か?とつぶやくと、フニャ…、と弱々しく鳴いた。これから俺は仕事だけどどこにも行くな?とつぶやくと、フニャ…、と弱々しく鳴いた。そこはかとなく、クロは笑っていたような気がした。
クロを一心に思いながら仕事を終わらせ即帰宅すると、クロはどこにもいなかった。
そして今日の早朝、近所のジイさんがやって来て「おめえんとこのネコだっぺ、オレんちの前で死んでんどや」と教えてくれた。確認するまでもなく、クロだった。
ジイさん曰く、近頃近所では一斉に除草剤をまいているようで、その草でも喰ったせいじゃないか、とのことだった。いずれにせよ、クロは死んだ。
月並みだが、心にポッカリと穴があいてしまった。もう仕事から帰ってきてもゴロンゴロンする姿はない。恥ずかしながら心内を語れる唯一の存在も消えた。
クロの亡骸は火葬してもらい、今はこの眼の前に骨としてある。
言葉では如何様にも語れるし、また避けられないことは自明の理である。しかし、やはり”愛する”存在の”死”は、わかっていても耐えられないよなあ、と。
進撃の巨人のアルミンや裏サンデーでやってる人喰いとか胃能力バトルの主人公。
おめーらだよおめーら。
確かに、あいつらの常人にはできない発想をするが、それで頭が良いなどと思わん。
そして何より、作者の「俺はこんな頭良いキャラを描けるんだぜー」って態度が透けて見えて不快なんだよ。
アルスラーン戦記や銀英伝のナルサスやヤンウェンリーは天才的知略の持ち主とされているが
俺も今まではこういう描写を馬鹿にしてたが、最近の若手の書く頭脳派キャラにイライラして逆に評価できるようになってきた。
彼らには作者の自慢は透けて見えてこない。
奪いとった要塞のコンピューターを初期化するという当たり前のことをしてない敵の裏をかいたところで現実的には天才でもなんでもないわけだが
複雑なトリックも無しで頭良さそうに見せてしまう方がはるかに創作の技量が高いだろう。
作者が天才と言ってるのだからあの世界ではあれが天才なのだ、という割り切りがクールで心地よい。
読者はネタでツッコミは入れてもいちいち疑念を抱く余地もない。
この潔さを見ると、最近の若手の頭脳派キャラを考えるのに無駄なトリックにリソースを削いでて馬鹿みたい。
何の意味もないんだよね。
http://anond.hatelabo.jp/20150330001506
http://anond.hatelabo.jp/20150330162001
という反論を書いた増田がいるわけだが。うーん、なんかめんどくさい。僕は最初の記事に割と近い考えを持っている。反論の方は「真の無宗教とはなんぞや、本当に宗教や信仰を知れば選ぶのは難しくない」と言って批判してるわけだけど、それはどうだろう。
増田Aのような考えはそもそも宗教は人間の発明であるという前提がある。歴史上幾多の宗教があり、それらは神の性格も教義もバラバラである。つまり世界そのものや、人間の存在、理不尽な運命などを説明し、安心するために人が創りだしたものであろうと考える。もちろんそれこそ死の恐怖などに対しても多くの宗教は解決策、あるいは恐怖を幾らかでもやわらげる答えを出している。従ってそれらを「信仰」すれば死の恐怖を和らげることはできるだろうことは無宗教の人間にも理解できる。しかしそのためには、本当にその答えが正しいと信じなければならない。
「昔の人が考えた事で、なんの証拠もないけど死んだらあの世に行けるってよ」とか「昔の人が考えたことで何の証拠もないけど死んだら生まれ変われるってよ」と考えたとしてもそれは信仰たりえず、死の恐怖を和らげることもできないだろう。
もちろん、強い意志で「昔の人が考えた根拠ない仮説ではない!真実だ!」と思い込むことが可能なら真の信仰に辿り着けるのかもしれないが、それは増田Aにも僕にも無理だと思う。
初詣や冠婚葬祭で宗教の手を借りるのは、まるで信じていなくても別にできるし、例えば特定宗教の聖域でしてはいけないことなどは、信じてる人をいたずらに刺激しても何もいいことはないと思うのでやらない。盆に墓参りをするのは親や親戚に対して喧嘩売りたくはないからで、手を合わせている時も別に南無阿弥陀仏と唱えれば死者が成仏するともなんとも思ってはいない。こういうのはたとえ寺の檀家の人間であってもシンプルに無宗教と言ってもいいのではないだろうか。
無宗教者にとって死とは文字通り自分の消滅でしかないので、これを恐怖するかどうかはその人次第としか言い様がない。人が死を恐れるのは、自分の死というものが、思考上どこまで近づいても超えられない壁の向こうにあるからだ。必死に死について考えている自分、自分という存在、思考し行動するモノが、死というものをまたぐと永遠に存在しなくなる。考えれば考えるほど「永久に考えない状態」が怖くなるのだろう。
でも実は「見も聞きも考えもしない状態」を人間はほとんど毎日経験している。寝るとき人は意識を失う。眠りが深くなれば夢も見ない。その状態を恐れる人はあまりいない。睡眠中に突然死する人も結構いるが、そういう人も寝るときに恐怖に震えたわけではあるまい。ということは、死というのは当人にとって、眠りから目覚めないこととあんまし変わらないのだと思う。もちろん「永遠に目覚めない眠り」というのも怖いと思う気持ちはあるだろうが、「いつものアレと意識の有り様は変わらない」と思えばそう怖がる必要もないんじゃないかなあ。通常の眠りでも、眠ってしまった後は起きるか起きないか心配する「意識」「自我」は機能しなくなるわけだし。死ぬのも寝るのも似たようなものだと思う。
そう思うようになって、僕は「死ぬ前にエロ動画フォルダを処分しなければ」みたいなことも考えなくていいと思うようになった。死後それがバレて家族に軽蔑されたり、よしんば世間に公表されてより多くの人の笑いものになったりした所で、それが「僕にとって問題になる」ためには僕が存在していないといけない。恥じたり怒ったりする自分がその時もういないのなら、どーでもいいことだ。
愚行権の定義だとか、公共の福祉に抵触しない程度に個人の欲望は優先されるとか、自然状態の人間が社会と契約することで社会が成立するだとか
そういう理由でそれに意見することはできるけど、俺が描いていたのは、そういう文脈じゃないんだよ
出発点は「碇シンジがどうしてアスカの首を絞めたのか」「碇シンジの結末はあれで良かったのか?」と言う所
「Air/まごころを、君に(以下、旧劇)」での2回の首絞めはどのような経緯だったのかと言うのが不思議だった
そして、どこか自分自身でもその行動に共感する所があったから、色々と調べて、他のエントリでも記述していた
結論から言えば、「碇シンジの首絞め行動には共感する部分があるが、それは余りにも典型化され過ぎていて、それが故に劇的で。劇的であるがゆえに、(アニメだからというのがわかっていつつも)その描写に”気持ち悪さ”を覚える人もいると言う気持ちが分かる」と言う感触だった
人間と言う存在を1列にした時に、その端っこの部分にいるような感触がした
もちろん、アニメというのは個性も能力も可愛さも格好よさも病理も苦悩も、極端化するものだから仕方ないし当たり前だ
人は典型化されるから、分かりやすく特徴が表現される劇的な描写っだからこそ共感する
だからこそ、本来であれば碇シンジの個人の人生で賄われるべき事柄に、アニメ的描写の必要性で以って全人類を巻き込んだ所に気持ち悪さが感じるという意見にも共感すべき所があるという感触だ
さて、細かい経緯を描き並べる
適当に拾い読みしてくれれば良い
碇シンジは父親に捨てられたという体験がもとになり、いわゆるヤマアラシのジレンマになっている状態だ
「自分には価値がないから捨てられる」「捨てられるのは嫌だ、だから最初から関わらない」「人と関わりたいが、捨てられるならこちらから捨てる」という心情である
精神分析で言うなら、自体愛・自己愛の所で止まり、対象愛、つまり他者を他者として認め愛そうとはできない部分だ
(つまり、自分を愛していて、安定しているから他者を愛することで自分も満ちるようにできる、共生的な状態にないと言う事)
描写としては「碇シンジが他者の存在を必要とし、全人類との一体化を否定してアスカと2人きりになった」という所だろう
すべてを一つにしてしまう混沌を母的な存在とするなら、自己と他者を切り分けて境界線を引くのは父的な存在である
父的側面の足りない碇シンジが自分とい他者を切り分けられたのは、極端な自己愛から脱却しつつあることを意味する
(なお、旧劇の該当シーンで地球が細胞分裂のようになるのは、人が”切り分ける”事を通して分離個体化する事のメタファーとして効果的だったという感想を自分は持っている)
ATフィールドの訳語が絶対恐怖領域である事を待たずとも、当たり前のことである
人は他人を受け入れたりもするが、受け入れなかったりもすると言う話に過ぎない
しかし、碇シンジはそうした絶対恐怖領域に耐えられるのだろうか?
それは、「もしアスカが起きたらまた自分は拒絶される、だから拒絶=殺害したい。でも世界にはアスカしかいない、拒絶したら、もう2度と他者と触れ合えない。でも、でも、でも」と葛藤している所を表している
だから、アスカが「大丈夫、怯えなくてもいいよ」と頬を撫でると力が緩み、涙を流した
ここでアスカが言った「気持ち悪い」の意味に関しては、本筋とは関係ない上にまだ把握できていないので割愛する
さて、旧劇における首絞めの理由に共感できる部分があると思った自分は、その過程(人類補完)と結末(アスカへの首絞め)が碇シンジにとって救いとなっているのか、新劇場版(以下、新劇)が作られたと言う事は、同じ結論にはならないのではないかと思った
(例として、新劇・破における碇シンジが自分個人の理由から綾波を救出し、周りの意見を聞かなかった結果、Qにて自分の言葉が届かなくなってしまったなど、旧劇とはまた違う結末になりそうという所だったり)
そして、もし結論が違うのであれば、旧劇の過程や結論は間違いだったのかと思った
シンジのデストルドーはどのように救われれば良いのか、分からなくなった
そこで、エヴァに関しての考察は停止して、救いとは何かについて別の視点から記述した
結論から言えば、人は完璧な世界(他者が居らず、自己愛だけが満たされ、幼児的万能感の世界で神になる、自分が傷付かない世界)を目指そうとすれば死ぬしか無くなり、生きることは苦しんで研鑽したり、自己に閉じこもり堕落する事を繰り返し葛藤しながら何とかやっていくことに過ぎないということだ
坂口安吾が「生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか」と言いつつも「だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう」と言った事と同じである
生きると言うことは決して楽なことではなく、むしろ葛藤を抱え、時に逃避したり自責感に自殺を選びたくなっても、ともかく自分なりの現実を作り生き続ける事に他ならない
そこまで考え、旧劇における結論は他者の存在がまだまだ希薄だが救いがあると思った
碇シンジは他者を認めつつあり、自分の葛藤を自分なりに処理していくことができるようになるだおる
碇シンジは、生きるか死ぬかの所で他の他者すべてを巻き込んでしまった
あの世界では、もう生きようと思っても生きられない
さらに言えば、その過程で碇シンジと同じように葛藤を抱えて生きようとした全世界の人間の救いを奪ってしまった
そうした自分勝手な行動によって他者の救いを奪ってしまった事、そしてやっと他者を認めつつあるのに、アスカ以外の人間を復活できなかった事から生じる生きられなさ
そういう結論から、碇シンジの内面が何の関係もない他者の人生や世界の命運と”繋がってしまう”というエヴァンゲリオンに「だから、エヴァンゲリオンを見た時の気持ち悪さはそこにあるんだと思う」という感触があることに否定が出来ない
いわゆるセカイ系の気持ち悪さと言い換えても良い
現実世界において、どれだけ葛藤を抱えても世界や他者が壊れないのと別に
セカイ系においてはそうした葛藤と世界・他者が結ぶつきやすく、すぐに取り返しのない事に合ってしまう
近所に長い間病気で寝たきりやったおじいはんがいたんやけど4年前に亡くなりよった。
当初つきっきりで看病をしとったおばあはんはショックで寝込んだり入院したりで、いつ後を追ってもおかしくない位に気落ちしとったんやけど、半年経った位から次第に明るくなり白髪だらけでボサボサやった頭も綺麗に染めてパーマをかけ、すっぴんやった顔もバッチリ化粧をし、地味な色合いやった服装もこやれた華やかな色合いになってすっかり別人のようになり「彼氏でもできたんやないか」と近所で噂になっとった。
ある日、わいと母が犬の散歩をしとると道端でおばあはんに会い「お茶でも飲んでって」と家に呼ばれた。
その時に母が「きょうび明るくなりよったよね」と言うとおばあはんは「そうなの!これ見て!」と旦那はんの遺影が飾られとる仏壇から手紙を取り出して見せてくれた。
それは遺品整理の時に見つけたと言う旦那はんからのケツの手紙との事でどエライ丁寧で柔らかい筆跡で
「僕はあんはんより先に行きまんねん。あんはんにはホンマに迷惑をかけた。
僕はあんはんの明るく溌剌とした笑顔に惹かれ結婚を申し込みたんや。
どうか僕が死んだらあの時のようにいつも明るく元気でいてくれへんかの。
存分にお洒落をして沢山遊んで笑ってくれへんかの。僕はあの世からあんはんの笑顔を見ていまんねんわ」
だいたいこないな内容。
「読んだ時、嬉しくて嬉しくて…やからしょげてられへんって思って月に2回美容院行って、
なるべく綺麗にして外に出るようにしてるの」とニコニコなおばあはん、ほんで涙腺崩壊の母。わいもウルッと来た。
これだけだとしんみりした話なんけど、衝撃やったのはその後。
元々旦那はんは野球をやっていてほんで知り合ったとの事で「夫の好きやった野球を観に行こう」とちょくちょく野球観戦に行くようになり、そこからサッカー観戦、バスケ観戦、バレー観戦ととにかくスポーツ観戦ばかりをするようになりよった。
もう80歳過ぎてるんやけど、出かけとるうちに体力ついたらしく見る度に姿勢が良くなっとった。
兄はサッカー場で2度、わいは野球場で5回くらいユニフォーム着て地元チーム応援してるおばあはんに会った。
しかも「このバッター、去年は盗塁○個やったけど今年この時期でまだ○個や心配ね」とかサラリと詳しい。
ほんで今年、東京ドームで行われたWBCの試合の時に青いユニフォーム着て観客席ではしゃいでる姿がTVに映っていて「何ぞ1人で行ってるっぽいぞ!」と近所中で話題になり、「次はイタリアでACミランの試合が観たいの」とどんどんとアクティブになって行くおばあはんに衝撃を受けた。
心配したおじいさんは我慢しきれず楽屋を覗くと、一瞬にして最悪な気持ちになりました。
推しは布織りではなくキャスをやっていて、推しの横で若いイケメンの男が布を織っていたのです。
男はおじいさんに気付くと、
とシャウトしたおじいさんはあることに気づきました。
「きみこないだの現場の時フロア後方で腕組みながら見てたよね!?てかようなぴ作の似顔絵アイコンよくRTで回ってくるわ」
「はい。じいさんめっちゃ沸いてましたね。自分でサークル作ってモッシュに飛び込んでいく姿見て感動しました。
あとリフトされながらmixのカンペ掲げてるのもかっこよかったです!」
「うあああああああああああしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしのうしの」
おじいさんは140字では収まりきらない今の気持ちをつぶやくと、ショックのあまり2つの意味において他界しました。
「おじいさん!だめ!やだ!」
推しは今の一部始終がキャスでダダ漏れていることも忘れ泣き叫びました。
「私のせいだ。こんなことになるなんて...」
「じいさんならお前のTOになれると思ってたのに...」
そこへ部屋におばあさんがはいってきました。
「おばあさん!おじいさんが・・・」
「案外チョロかったな。」
「どういう意味ですか?」
「こうなることは分かってた。そしてじいさんの血圧が高いことも分かってた。」
「私が布の制作で病んでた時、おばあさんが彼氏でも連れてきて手伝ってもらえば?って言ってくれたのはありがたかったです。
おじいさんにばれないか心配でしたけど。。。おじいさん、具合悪かったんですか?」
おばあさんは語りはじめました。
ば「医者からはモッシュと推しのファボ欄は見るなと止められていた。あんまり興奮したりショックなことがあると危ないからって」
推「そうだったんですか。」
ば「現場ある日は薬の量多めにして参戦してたよ。行くなって言っても、いつ会えなくなるか分からないからって聞かなかった。」
推「私が彼氏と一緒にいるのを見たショックが大きすぎて、おじいさんは逝ってしまった。。。」
そこで推しの彼はあることに気づきました。
彼「つまりばあさんは最初から計画的に俺をここに呼び寄せた。わざとトラジックなシチュエーションを作り、指にも触れずにじいさんを他界させた。」
ば「あたしはもう限界だったんだ。」
そう語り出したおばあさんの目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちてきました。
ば「今までは推し増しだとかお前が1番だとか言うからなんとか我慢してた。でも今回のははっきりと推し変だったから。」
推「どうしてそう思ったんですか?」
ば「じいさんあんたのところのグループのCDを物販にあるだけ買い占めて来てさらに「俺がオリコンにのせる」と言って、
タワレコで5000枚積んでたんだよ。私の出したLPだってそんなに買ってくれたことはなかったのに。」
彼「じいさん強ヲタすぎっすね」
ば「あたしの78回目の生誕で玄関の前に飾るはずだったスタンド花の発注忘れてたし、似顔絵ケーキがいいって言ったのに普通のだった。
メセカもオリジナルじゃなくてLOFTで買ってきたやつだった。あんたにはお手紙書いてたのにね。」
推「おばあさん。。。」
おばあさんはおじいさんの気持ちが自分から離れてしまったことが、何よりもつらかったのです。
おじいさんの遺体と2人っきりになったおばあさんは、
すると絶命したはずのおじいさんの口から微かに
「イエッタイガー...」
という声が聞こえたような気がしました。
おばあさんは満足した表情を浮かべると、サイリウムの液体をODしておじいさんの後を追い、2人の魂は空へと飛び立って行きました。
先日、学習院大学からの中退を発表したロイヤルビッチ二号(19)。
この暴挙を嗜めるべくロイヤルキンタマこと巨人小笠原(40)が勃ち上がった。
リリーフカーで佳子のもとに現れた畜生は「散々我儘に振舞った挙句FAとか中村紀みたい」「学習院で学習淫して来たんだろ?」と丁寧に挨拶。
さらに御面喰らいになられる佳子に「AV入試だ」と宣言するとレイプ開始。
しかしそこは流石のビッチ、嫌がる素振りも見せずに股をお開きになられると「アンアンICU~」と喘がれるなど淫乱ぶりを見せつけられた。
この惨状に「(これが皇族じゃ)いかんでしょ」と珍しく危機感を露わにした畜生。
きっちりと種をつけたのち佳子をスケートリンクに叩きつけて殺害したが、銀盤で何かを思い出し死亡ののち逮捕。
被疑者死亡により不敬罪で書類送検されたのち死刑となり、あの世から連れ戻されたのち再びあの世に送られた。
まだ、あの世に許される日は来ないみたいだね。
○朝食:納豆卵掛けご飯
○昼食:なし
○間食:焼き鳥の缶詰、どら焼き、カルピスサワー、サワークリーム味
○調子
というわけで、大好きなカレーを食べて、久々にビールも飲んだ。
例によって一本で良い気分に。
その後、レンタルビデオ屋さんで、DVDを借りてきて、見ながら遊戯王タッグフォーススペシャルをプレイ。
マジシャンと補給部隊のシナジーが脳汁でる、ドロー山ほどできるデッキって楽しいね。
僕は、アイドルマスターっていうコンテンツを、今田舎村で落ち合おうの解散までで、
それ以降は蛇足だと思っている。
僕にとっては、今田舎村で落ち合おうが絡まないという時点で、ゼノグラシアだろうがアニマスだろうがぷちますだろうがニコマスだろうが、全部等しく蛇足だなあ、としか思えない。
ただそれでも、あの時の熱量を思い出して、興奮して涙してしまう。
なんていうか、あの世界のどこかにゆりしーボイスの雪歩がいるかもしれない、と考えただけでもう感動してしまうのだ。
(だから、ToHeart2のダンジョントラベラーズの展開も大好きだよ)
この楽しみ方は、はっきり言って無敵だと思う。
悪魔の証明じゃないけど、作中の登場人物が「ゆりしーの声の雪歩はもういないよ」なんて言及をするわけがないので、
缶ビール一缶とカルピスサワー一缶だけで酔ってるから、なに書いてるのかよくわかんなくなってきたけど、
とにかく、シンデレラだろうとミリオンだろうとサイドMだろうと765だろうと876だろうとインペル(ペだっけべだっけ、もう忘れたや)だろうとぷちどるだろうと