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2024-03-19

多分、興味ないんだろうけどさ

朝、仕事に向かう時に歩く国道の大きな道

大概、憂鬱な気分で歩いてるんだけどさ、

綺麗なんだよね、具体的に何がってわけじゃないんだけどさ

薄曇りの朝、肌寒くて風が強くて、それでも空は青くて高い、太陽光は間接的に建物を照らして、遠くには変哲のない山、ただ濃いグレーが木や土や石の多くの集まりによって作られているだけ

ただそれだけなんだけどさ

今思い出すとなんかこう、涙袋が熱くなるくらい、目の裏に刻んでおける景色なんだよね

自動車がたくさん通って排気ガスなんか物凄いはずなんだけどさ

今日過ごす一日のあまりにも長い時間に比べれば、そのトラックやらバスやら軽自動車やらの編み上げる音なんざ、全然気にならないんだよ

日常ってさ、こういう風に僕の真横を平行に貫く国道を駆ける自動車たちみたいにざーっと過ぎ去っていくんだけどさ

そういう意味では、国道こそわが人生なのかもしれないな

そんな自動車たちに追い縋ろうとして、僕はこんなものを書いたりしてるんだ

こんなことを書いたって所詮は徒歩、牛歩に近い徒歩なわけだから、何も追い縋ることなんて出来ず、ただ自動車毎日びゅんびゅん横を通り過ぎられ、圧倒され、蹂躙され、こうしてコンクリート植木の脇に打ち捨てられた白い不織布マスクなんかを横目にまた一歩一歩なわけなんだけどさ

今、この目で見えているものを見えているものそのままに扱うと、とても鮮やかだよ

今日タスクが、とか、今日上司が、とか、気勢を削いでくるものは色々あるけど

目で見えている生のもの、それは国道を突っ走る自動車的だけれど、実は違うの

吸い込む外気も、空の色も、遠くの山も、建物の外壁も、国道沿いのトヨタやら日産やらの販売ディーラーも、葬儀屋も、iPhone修理屋も、洋菓子屋も、ガソリンスタンドも、信号も、母と子も、中年男性

綺麗なんだよね、

たぶん誰も興味ないんだろうけどさ

2024-03-14

サルベージした日記

 私の故郷は、海抜六〇〇メートル丘陵地に佇む半農半漁の村で、後方は形のよい峯が三つ並び、前方には大きな入江があって多島海に伸び、子供の頃は、その入江で魚つりに興じました。

竹の棒に糸を張った粗末な釣具で、餌もミミズでしたが、満潮の時などは入れたら釣れ、入れたら釣れで、一時間もすれば小鯛などバケツいっぱいになりました。

腹が立つのフグで、五回に一度はかかり、フグに毒があることは子供にも分かることでしたから、腹立ちまぎれフグの白い腹を石にこすりつけるとみるみる大きくなり、このガキッとばかりに思い切り石に叩きつけと、パーンという音がして腹が裂け、溜飲を下げました。

 私は五人兄弟次男として畑仕事や魚釣りに勤しんでいましたが、田舎の貧しい暮らしから豊かな生活を夢見て、一足先に日本へ行った八歳年上の兄祥雨を追いかけて◇◇へ来ました。

その時十七歳で、一九三九年でした。兄は布施(東◇◇市)でセルロイド工場経営し、腕輪やクシを作っていました。

その兄の元へ身を寄せ、普通学校四年を卒業したものの、価値ある社会活動をしていくためにはさらに学が必要だと感じ、向学心に燃えて◇◇・東成区夜間学校(◇◇商工実務学校)へ通うことにしました。

工場住込の私の仕事はまず、朝五時に起きて無煙炭をおこし、六時半に出勤する職人さんの仕事に間に合うように湯を湧かしておくことでした。

そして、仕事が終わるのは夕方の六時。急いで自転車を走らせ学校へ行き、帰りは一〇時で、それから夕食をとり、深夜の一時過ぎ、二時過ぎまで勉強して、寝るのが連日三、四時間でした。

休日は一日と一五日でしたが、それも畑仕事に追われました。

 その死にものぐるいの努力が効を奏して、成績はトップとなり、幸か不幸か、級長をやらされました。

戦時中でしたから、訓練ばかりで、「前へ進め」「全体とまれ」と号令をかけるのが級長の役目でした。

ところが、私は強度の「どもり」でしたから、その号令の文句がなかなか言えず、落ち込んでしまって、《死んでしまおう》と何度線路に寝込んだかわかりません。

星の光が目に入るたびに、《ちょっと待て、死ぬんだったら、もういっぺん努力してみよう》という気持になり、「どもり」の矯正学校を五つも修了して、死ぬほどの努力を重ね、矯正しました。

こうして、《ヤレバデキル、ダメナコトハナイ・・・》の信念を貫いて苦節の日々を克服したことが、大きな自信となりました。

 終戦後の一九四八年のことですが、体を悪くして、マイシン注射を打ったところ、耳に障害が発生し、聞こえなくなってしまいました。

これまた、苦節の日々で、断食をしたり、いろんなことをやってみましたが、完治するまでには至らず、補聴器の世話になる毎日となりました。

ところで、戦争は激しくなり、私も協和会の勤労報国隊に徴用されて、九州炭坑で二ヶ月ほど働かされました。

石炭を掘って出てきたら顔は真っ黒で、目が辛うじて見え、つらい日々でした。

そうこうするうちに戦争が終わり、兄はそのまま日本に残りましたが、私は里心がついて故郷へ帰りました。

ところが、祖国はとても住める状態ではありませんでした。

日本兵が釜山の港からどんどん引き揚げて行くさなか、私も小さな船で玄界灘の荒波を掻き分け、決死覚悟日本へ戻ってきました。

一九四八年に兄と、資本金二〇万円の◇◇グリップ化工株式会社設立し、自転車ハンドルグリップセルロイド製造し、販売しました。

以来、資材をセルロイドからプラスチックに変え、◆◆◆グリップの普及に努力しました。

その途上、兄を交通事故で失い、私が会社を引き継ぐことになりましたが、中小企業信用保証協会や育成協会から資金融資韓国人業者としては第一号だと思います

 一九九〇年に◇◇グリップ化工から◆◆◆技研に社名を変え、現在では日本全国の占有率九〇パーセントを獲得し、一億人以上の人に◆◆◆グリップを握ってもらっています

私は、金属木材等で作られている従来の物をプラスチックに代えて作るという物づくりを企業の基本理念の一つにしてきましたから、事業の発展に伴い、グリップの他にも車輪、カゴ、チェインケース、泥除け等、タイヤ以外のものは全てプラスチック化し、その間の特許も数百にのぼって、◆◆◆製品世界ブランドとなりました。《継続は力なり》の精神で、より精度の高い関連商品の開発に努めています

 一九六〇年頃、日本韓国との間にはまだ国交はなく公式には往来できない時で、金融機関祖国産業視察団の一員として、初めて祖国訪問しました。

公式の日程を終えて、私の生まれ故郷に帰りました。

懐かしい山河景色幼なじみの顔、感激の涙に浸るばかりでした。

その感激もさめやらぬ時、町からキロも離れていず、一六〇戸もあるわが懐かしい村には電気水道設備もないことに気づき、昔と変わらぬ貧しい古い部落がそこにありました。

故郷のために何かしてやりたい》という衝動かられ、その後、回を重ねて訪問する毎に藁葺きの集会所を二階建の近代的な建物にして

事務所や老人らの憩いの場に使用できるようにし、また、電気架設の資金協力や子供たちの遊び場等も寄贈し、植木スピーカー等も添えて故郷の人の心を癒やすことに努めました。

 人間は誰しも食うがため、生活するがために働き、事業するものだと思いますが、私もご多分に漏れ世間並みの生活を夢見て渡日し、口では言えない苦労と努力を重ね、一応の目的は達したと、自分を顧みています

これまで、通産大臣府知事税務署長などの表彰を受け、韓国政府から国民勲章冬柏章を受章しましたが、私の企業活動に対� =キる評価だと喜んでいます

現在、◆◆◆ー技研のグループ企業として◆◆◆販売韓国◆◆◆があり、◆◆◆技研は私の長男に任せています

◆◆◆販売は兄の息子が取りしきり、ヘルメットを中心としたオートバイスポーツ用品製造販売し、韓国◆◆◆は弟の息子が社長を務め、スキー水泳用品を主力としたスポーツ製品製造販売し、輸出による外貨を稼いで祖国経済発展寄与しています最近中国青島にも進出し、六〇〇人ほど雇用しています

 兄の処世訓は《まず、自分自身が立派になり、次に家族の支えなり、その次に身近な社会に貢献する》ということでした。

私は、兄の遺志も引き継いで、家族会を設け、年一回会合を開いて、十親等以内の全学徒に、成績に応じて奨学金支給しています

その家族会の会長は私ですが、弟の息子がすべて代行してやってくれています

いわば、祖国故郷で私の夢を実現してくれる代理人のような存在です。後は、全家門の子孫たちが末永く仲良くしてくれればいいと願うばかりです。

振りかえってみれば、私の人生は苦しいことのみの連続で、喜びや楽しみというものがあっただろうかと思う時がありますが、◆◆◆販売の新社屋落成式(一九八四年)に、私が挨拶をし、息子夫婦、兄の子夫婦韓国の甥夫婦を紹介し、その三人を後継者として披露しました。

三人はそれぞれに立派に成長してくれ、私の夢を実現してくれる後継者になってくれたことが人生最大の喜びです。それに子孫たちが、私の喜寿(七十七歳)をニューオオタニホテルで祝ってくれたことも忘れられない喜びです。

 外孫まで入れると四十五、六人になりますが、アメリカに行っている七、八人の子孫たちもその日(一九九八年九月一八日)にはみな帰っ� =トきて祝ってくれました。

私たち韓国人は、税金人一倍納め、社会に貢献しているにもかかわらず、後ろ指をさされる傾向が強いのですが、人間というもの生存競争なかにあってライバル意識を持ち、自分より事業を大きくやっていたり変わったことを大きくやっていたりすると、ねたみの心が出てきて、あらぬ中傷に走るのではないでしょうか。

私たち韓国人の側にも虐げられたひがみ根性というものが抜けきれないのではないかと思いますが、真面目に生き、社会に貢献していくことが肝心で、価値ある社会人になるためには自分自身が努力し、そのためには人の話を聞くことです。

何か疑問を感じたら、聞くのが一番の近道で、その疑問を解いてくれる人が見つかるまで聞きつづけたらいいのではないでしょうか。聞くことにお金はかかりませんし、それが私の処世訓の一つです。

2024-02-17

チクリ魔クリスティ君は哀れ

俺が小学校の頃、公園と林の中間みたいな公園の大きい植木の中にいい感じの空洞があって

そこで仲間と秘密基地作って遊んでいた事がある。


基地って言っても1.5畳くらいの空間で、今思えば色々汚いけど、

自販機の下漁って手に入れた小銭を貯めて駄菓子とか買い溜めしてそこに備蓄したり、

読まなくなった漫画本(週刊誌とか)を持ち寄って皆で読んだりしていた。


学校で「チクリ魔くん」って呼ばれてたクラスメイトがいたんだけど

そいつがある日、基地の噂聞きつけて入れてくれって言われたけど、当然断ったの。

どうせ仲間に入れたら先生にチクるだろうって。

そもそもチクらなくても一緒に遊んで面白くないから勘弁だって

案の定そいつホームルーム時間基地のこと全部バラしやがった。

先生基地まで来てお菓子とか漫画本も没収されてかなり説教された。


学校の仲間の遊びに加わる権利があると思います!仲間外れはイジメです!僕はイジメられました!

って主張してたけど、子供ながらに「コイツガキかよ」って思っていた。

自分の思う通りにならないからぶっ壊してやる!ってヤツはワガママなガキでしか無い。

当然それからもチクリ魔くんは皆から相手にされずぼっちだった。


チクリ魔くんみたいな人間大人になってもたまに見かける。

異常に構ってちゃんで、自分から積極的交流する気も無い癖に

構って欲しいそぶりだけはする誘い待ちで、話もやる事も面白く無く

人の悪口ばかりが多くて他人不快にさせる様な事ばかり言ってて

その癖相手にされないと全力で被害者面して大騒ぎして場を壊そうとするヤツ。


その手の人間を見かけたり、遭遇する度にうんざりさせられるけど

(増田ブクマカではよく見かける)

ガチ友達いなさそうなヤツってのは色んな意味で「おかしい」と痛感させられるよね。

酷い偏見だと思うけど、チクリ魔くんみたいなヤツにコミュニティ壊された経験ある身としては素直に笑えない。


そりゃワガママなガキのまま成長してない様なヤツとは誰だって深く付き合いたく無いし

友達がいないのは当然を超えた当然なんだけど、

孤独ますます構ってちゃん悪化しておかしくなっていくのだろう。

悪循環なんだけど本人は嫌われ者から敢えて救いたい人間もいない。


大人の「チクリ魔くん」は、どうしたら救われるのかまるで分からない。

放っておいて害が無ければ放置で良いけど、そういう訳でも無いからなあ。

勝手にウザ絡みしてきては思った様に構ってくれないとキレて騒いで

色んな所で被害者アピールし始めるから始末が悪すぎる。

2024-02-08

anond:20240206221342

一本とかじゃないよね?植木鉢(プラ)ごとあげたりしてない??

2024-02-02

安楽死代行会社

死因:

工事現場で急に鉄骨が崩れてくる

ベランダから植木鉢が落ちてくる

・崖が崩れる

マンホールの蓋が開いていた

フグにあたる

・犬に咬まれ

 

それはUNLUCK死やないかーいとちょっと愉快になれる死に方を提供いたします。

2024-01-22

塾で鶴亀算植木算を10問くらい解く小学生の方が毎日数千億の数値計算をするAIより価値がある

人の指示を受けて安く自分の手を動かす職人のような人材が求められる

AIのように指示通りでしかうごけず無感情で出来ることしかやらず答えだけ出して人に親切に伝えようともしないもの努力とは言わない

2024-01-20

20年くらい前だったと思うが

深夜番組で「そーぞーのじゆう」みたいなタイトル番組を知ってる人誰かいいか

映像系の専門学校生大学生が作った映像作品を流す感じの番組だった

その中で「帽子男」というタイトル作品があった

男の頭から植物の芽が生えたところから始まって男はシルクハットみたいな帽子植木鉢がわりにして植物を育てる

男はその植物がいつか美しい花を咲かせることを期待していた。帽子の横に温度計が設置されるなど男の植物への愛情は増してくる

しかし、頭から出た芽が育ってできたのはカボチャだった。男はショックを受けた

みたいな話だった

「そーぞーのじゆう」や「帽子男」で検索しても自分が覚えているものはヒットしなかった

1996年9月23日ドラえもん「行かなきゃ」みたいな都市伝説的なものなのか?

2023-12-29

今年、日本の膿が超でたね

人権無視芸能界

植木枯らし車修理屋

裏金増税無能統一

万博ゴリ押し輩党

まじでこの辺みんな消えて欲しいわ

2023-12-10

anond:20231209202659

隠すなら植木鉢の下じゃなくて中だよ。ジップロックに入れて土の中に埋めとけ。

2023-12-09

オートロックの鍵ってどこに隠したらいいの?

植木鉢の下→ストーカーに見つからったらアウトじゃん

郵便受けの裏→見つかるのでは?

職場休日になくしたときどうすんの?

車の中→車の鍵なくしたら終わりじゃん

スマホケース→スマホ忘れたら積むやろ

身につける→どこに?縫い付けるの?

ガスメーターの扉の裏→前住んでいる家でそれやってたけど今住んでる所はガス・水道共にオートロックの中なんすわ

絶対に忘れなきゃいい→咄嗟ときに無くすよ

管理人に言え→管理会社外注なんすわ

家に他の人いないの?→いないよ

近所の人に開けてもらえ→分かるよ。でも自己解決したいじゃんなるたけ

2023-11-18

通勤路のバイパス沿いにレストランがある。煉瓦造りの、よくある感じのこじんまりとした店だ。店の近くには、お世辞にも上手いとは言えないが味のある手書き文字で「当店自慢のオムカレーフェア」等、季節のイチオシメニューの書かれたタテカンが出ている。なんとなく、ニット帽にチェックシャツカントリー風な店主なんだろうなと想像してたんだけど、こないだ通ったら、パリッとした、今時珍しいしっかり長いコック帽にコックコート、黒い前掛けを身に着け、白髪を後ろに撫でつけた上品なおじいさんが店の植木にジョウロで水をやっていて、それを見て何故か自分は酷く物悲しくなってしまった。

家を建てれば、一国一城の主、と昔は呼ばれた。きっとそのレストランは、おじいさんの大切なかけがえのない店なのだろう。多分、自分がその姿を見るずっとずっと前から、おじいさんはそうして植木に水をやり続けてきたのだろう。

その姿を見れば、普通幸福そうだと己も嬉しく感じそうなものを、どうして自分は悲しくて、ともすれば涙さえにじみそうになったのか、よく分からずに居る。

己の認識外でも、そのように自分仕事をコツコツと連綿と続けてきた人々が確かにこの世界には居るのだと、そういった人々でこの社会が構築されているのだと、その社会が護られる事無く失われていく地域があるのだと、その事が自分は悲しかったのだろうか?

 

いつかタイミングが合ったら、料理を食べるのは難しくても(昼は混むだろうから珈琲の1杯くらいは、その店に飲みに行かなければ、と思う。

いつ、この社会が失われるのか、知れないのだから

2023-11-05

街路樹(植え込み含む)は全廃しろ

街路樹あるじゃん。あれほんとなくなればいいと思ってる。木だけじゃなく植え込みもなくなってほしいと思ってる。以下理由

1.歩道が狭くなり、歩行者の円滑な通行を妨げる。

2.根が歩道路面を隆起させることにより転倒による怪我事故リスクが上がる。

3.(運転手目線で)視界が遮られ事故リスクが上がる。

...

経験談で恐縮だが以前歩道を徒歩で通行中に後方から接近してきたクソチャリに死ぬほどベルを鳴らされた挙げ句に舌打ちされたことがある。その歩道一定間隔に植込みがあるのだがクソチャリが接近してきたときはちょうど植込みがあり歩道の幅が1メートル程度に狭くなるところだった。追い越したいクソチャリと避ける道理はない歩行者自分)による状況においてクソチャリが前述のベル攻撃をしてきた。

まあ、クソチャリが道交法(正確にはわからんが察してくれ)違反してベル鳴らすマナー違反が悪いのだろうが、それよりなにより歩道の幅を減らすほどの植込みがなければいいんじゃね?とも思うわけよ。

頭の足りねえクソチャリは掃いて捨てるほどいるわけだし、脳みそツルツルなクソチャリにイチから教育していくなんて時間予算いくらあっても足りないなかで、とりあえず歩行者安全を脅かす遠因でもある植込みを無くせば(同様に街路樹も)少しは安全になるんじゃないかと思うわけで。

あとさー車の運転でも街路樹邪魔でクソほど危ない目にあうことあるじゃん。よく見ろとか言われてもそもそも物理的に見えないものをどうしろ

街路樹があることでのメリットってなんなの?思いつく限りだと

1.景観、美観

2.植木屋が儲かる

3.地方自治体植木管理する連中に仕事ができる

ぐらいしかなくね?これ市民メリットある?安全犠牲にするほどのメリットなの?

まあ、100歩譲って都心都内ではない)のような木々のない所にはあってもいいよ。よくないが、まあいい。

だが、少し視線を上げれば雄大な、木々が生い茂る山々が見えるような地方歩道街路樹や植え込みは必要なのかと問いたい。いらねーよ。

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追記

なるほど日陰ねー。たしか信号待ちのときに日陰があると便利だ。でもそれは交通安全犠牲にするほど重要もの???ちなみに俺は今年の夏から日傘を導入したがあれほどいいもんはないと実感した。永久に日陰がついてきてくれる。マジおすすめ

緑化はCO2の吸収源として有効と言っているけど、それって歩道に植えなきゃだめなん?まあ排ガス発生源(車)の真横に植えるのが効果的に思えるけど地球規模で考えるとどっかの土地にまとめてドカッと植えたほうが効果ありそうじゃない?それとももはや道路脇にしか植えられないほど土地が無いの?むしろ工場の緑化をもっと厳しくブチかましてやれ。マイカー通勤とか舐めんな。

書いていて思ったけど道路脇ってことは人やモノの活動圏内ど真ん中であって手入れも管理もやりやすいってのもあるのか。は~よく出来てる。植えてハイ終わり!じゃそれはそれでなにやってんの?になるしな。

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まり邪魔なので市に文句言おうと色々調べたら国道に生えてる街路樹は国が管理で、市道町道自治体管理で、自治体の中でももっと小さい区分(◯丁目自治会とかそういうやつ)で管理している場合もあって何がなんだかわからん

2023-09-27

anond:20230927190903

読んでないし関係ないけど、草刈り仕事にしてるから村中歩くたびに雑草植木も気になる

謎の営繕マンのように生きたい(当時でも駄目だったのだから特に人や公共草木となると

2023-08-28

https://www.asahi.com/sp/articles/ASR8X5H4ZR8XOIPE00K.html

車内にいた女児(3)に植木鉢の破片を突きつけ「金を出せ」と脅迫女性運転から差し出した現金1千円を奪い取った疑いがある。

何をやっているんだ、本当に

2023-08-13

かかあ天下の息子はろくでなしが多い

母親立場が強かった家庭の息子って碌でもないのが多い。例えば「専業主婦母親が家の中では1番強い」ってのは問題ないけど「母親家庭内だけじゃなく社会的にも父親より強い」って家庭で育った男はマザコンモラハラ気質マジで碌でもないのが多かった。

・Aくん(役場職員

母親造園業林業建設業を行う会社社長の一人娘

父親婿養子植木職人

・Bくん(内科医

母親産婦人科医でクリニック院長、医師会役員とかもやっていた

父親地方銀行

・Cくん(教員

母親役場職員議会議員の娘

父親→他地域出身役場職員

全員やばいやつだった。

2023-08-07

WEB広告の仕組みがわかるようでわからん

このまえ買ったCPUクーラー植木鉢の広告が出るのはわかる

10年以上前結婚した時に指輪候補で考えて検索したジュエリーがいまだに広告で出てくるのってなんで?

その後ジュエリーなんて一切検索してないのに

2023-08-03

anond:20230803155155

ホームセンター普通に売ってる除草剤の注意書きに「庭木が枯れることがある」って書いてあるのに

なんのためにデタラメ言うんだろうな

https://fumakilla.jp/gardening/594/

庭にある植木も枯れますか?

枯れる恐れがあります。根が伸びていないところに散布してください。出来れば枝から2m離して撒いてください。

2023-07-26

昨日うちの子のだいじだいじくまさんを拾って歩道の植込みに

昨日うちの子のだいじだいじくまさんを拾って植木に掛けておいてくれた方へ。

ありがとうございました!

今朝無事に回収しました。

あのクマ柄のTシャツはただのお下がりのボロいTシャツですが、なぜか下の子お気に入り安心毛布存在で、うちではだいじだいじくまさんと呼ばれています

昨日遊びに行った帰りに下の子自転車に乗せてもだいじだいじくまさんを離さないのでそのまま帰宅したら途中で眠ってしまったようで無くなっていました。

帰宅してから「くまぁ…」と呟く様子で無いことに気付いたのですが、既に夜で探しに出ることもできず無事かずっと心配していました。

うちのだいじだいじくまさんを助けてくださってありがとうございました。

2023-07-25

犯罪組織建物の前の植木が枯れる現象が、今後広まりを見せるかが注目される

2023-07-13

一昨日あまりにあまり日差しが強く

朝起きたら一番にすることは仏壇のお膳を下げてこうかんすることなんだけれど

それか

庭の鉢植えの水やり。

まだ朝早いほうなのに、日差しがしんどくて

台風一過ときにいったん外してしまっていたオーニング

日を浴びると植木はすごく伸びるので

このままでいいかなと考えていたけれど

日差し半端ないので

きのう、5時30分にごみを出して

そのあと水やりしたあとに

オーニングをやっぱり張りなおしました。

こい茶色なので日差しを遮るととても薄暗くなってしまうんだけど

壁がじりじりと熱くなるよりはましなのかなぁと。

オーニングに熱気がこもってそこに風が吹くとそれも暑いので

本当に迷っていて。

2年前に裏庭の壁をセルフペンキ塗りしたので

多少はましになっていたんだけど

やはり夏の日差しは凄かった……

白いオーニングにしたかったけど

買ったときはなかったのです。

2023-07-12

anond:20230712161932

この暑さで植木鉢は全滅したけど

駐車場雑草モリモリなんだよなぁ

2023-06-28

蜘蛛捕まえては部屋の観葉植物の中に入れてるんだけどこいつら小さな虫食わない

なーにがハエトリ蜘蛛だよ

せっかく植木にいれてやってもすぐにハチから出ていきやがる

2023-06-19

野良猫ウンコ問題

最近、うちの敷地内にウンコしていく野良猫が多い。

酷いやつは家族総出でウンコしていく野良猫一家がいる。

猫のウンコ臭いし、植木を枯らすので大迷惑だ。

猫よけ対策は色々やってみているのだが、効果が薄かったり一過性だったりでなかなか上手くいっていない。

原因を探ってみると、どうもうちのすぐ目の前にある駐車場野良猫に餌をやっている人がいる為ではないかと思い至った。

人間もそうだが食べたらウンコ出るからな。

駐車場の持ち主は他県に在住している(元の持ち主が亡くなって息子さんが相続した)ので、管理委託している会社に猫の餌やりを禁止する様に頼んでみた。

で、防水加工した注意書きを駐車場の壁に張り出してもらえたのだが、一向に餌やりする人が減らない。

餌やりの現場を見つけて直接事情説明して止めてくれる様に言っても、言っても聞きやしない。

というのも、餌やりをする人達は近所の住民ではないのだ。

うちの近所には俺も子供の頃に通っていた元保育所保育園結構前に民営化した)があり、そこに車で通ってくる子供とその保護者が餌やりをしている。

自分食べ残しをやるとかいレベルではなく、缶詰とかでかいキャットフードの袋を持ってきて与えている。

そりゃ俺も猫はかわいいとは思うよ。

最近子猫も生まれてそりゃかわいいよ。

でも俺に自分が飼ってる訳でもない猫のウンコを処理する義理は無いんだよ。

糞害で困ってる旨を散々説明したのだが、マジで聞きやしない。

「それくらいいいじゃないですかw」

とか抜かしやがる。

あんたは「猫を共同で飼いましょう。私はご飯あげて遊ぶ担当で、あなたウンコを片付ける担当ね!」って言って納得するのか? と問いたい。

あんまりなので保育園にもクレームを入れたが、特になんの変化もない。

来る日も来る日もウンコ処理の日々。

なんでウチがわざわざ木酢液やらウンコ用の袋やら用意せにゃならんのか。

かといって放置すれば臭い洒落にならんし、近所迷惑にもなる。

ウチが猫を放し飼いしてると勘違いして突撃してきた爺さんまでいるのだ。

ほんとどうにかならないもんだろうか。

つーか最近は餌やりのせいか野良猫特に子猫)が人や車を怖がらないもんだから、いつか轢かれそうで怖いんだよな。

そうなった時に片付けるのも俺なんだろうか…。

2023-06-17

下書き

書き直し。

ダラダラと、曲への思いを書きました。谷川俊太郎の詩による合唱曲ふたつ…曲:三善晃「生きる」と曲:木下牧子ネロ」についてのとても個人的な感慨。最初の方、書けなくて意図的主語を拔いてるので読みにくくてすみません。ていうか、無駄に長いので読まなくていいですごめんなさい。

 

全部谷川俊太郎って演奏会明日やるんだけど、中の2曲が自分経験に強く結びついててちょっとだけ抱えるのがしんどい

「生きる」と「ネロ」。

 

去年の夏、子供誕生日にお祝いを頂いたのでお礼の電話をした。子供からもお礼を言って、その時に「また遊びに行くね、今家族で音取りしてる曲があるんだ、遊びに行ったらみんなで歌うから聴いてね」なんて言っていた。

 

数日後、会社仕事をしていたら人事から電話があった。なんだろうと出てみたら配偶者から代表電話にかかったのを取り次いでくれたのだった。

数日前に電話したばかりなのに、亡くなったのだと聞かされた。家事支援ヘルパーさんが発見してくれたということだった。電話を切ってから自分携帯を見ると配偶者からたくさん着信があったとわかった。

会社は早退して駆けつけた。

 

病院ではなく自宅でだったので、そのあと警察署手続きやら葬儀社の互助会書類探しやらで、気がついたらその日にあった合唱団練習は無断欠席していた。

 

 

諸々落ち着くまで合唱団練習は一ヶ月ほどお休みした。

復帰してはじめての練習に行ったら、新曲が始まっていた。

「生きる」だった。

ちゃんと予習してなかったのでぶっつけでの参加だったけど、タイトルからして親しい身内を亡くしたばかりの自分には重そうだなあ、そんなことを思いながら歌い始めた。

 

うちの団はパート練習はなくて、音取りは自力でできるのが前提なのだけど、実は私にはそこまでの力はない。♯や♭が多くなりリズムが複雑になるとキーボードを叩くのもたどたどしく実用性がない。その代わり楽譜を見ながらの耳コピは割と速いので、既に歌えている周囲を聴きながら声を出していった。

曲は「生きる」。まあ、三善晃だし、ソプラノはそんな難しくはない(難しいけど)。 

 

……谷川俊太郎の詩によって、「生きているということ」がどんなことか、語られていく。

それはのどがかわくということ

木もれ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること

孤独を感じる曲に影響されてか、詩の内容が全部亡くなった人を思い出させる。のどの渇きも、木漏れ日の眩しさと、くしゃみが出そうなムズムも、亡くなってしまった人は感じないことだ。だけどほんの少し前には感じていたのだ。あの人も。

本来の詩とは少し違うが、合唱歌詞としては

くしゃみをすること、手をつなぐこと

あなたと、あなたと手を…あなたと、あなた

と続く。

くしゃみをすること」までは生きていること一般の話だったのが、急に、自分の手と存命中のあの人の手をつなぐイメージにおそわれて、───しかし私は一度も手をつないだことはなかった、これからも、もう決して手をつなぐことはないのだ……。

 

これから介護があるのだろうとぼんやり思っていた。長生きの家系から、私の今後15年程は、あの家で、あの人と身体をふれあわせて暮らすのだろうと思っていた。

そうはならなかった。

寂しがりなところがある人だったから、一緒に住みたいとおそらく願っていたと思う。

そうはならなかった。

私が選ばなかったからだ。選ばないまま、亡くなってしまたからだ。

私は亡くなった人と手をつないだことがない。

 

曲はまた、「生きるということ」のいろいろな姿を歌っていく。自然科学芸術や…歌詩に出てくるミニスカートは何かな、生命力?若々しさ?を歌う。

それら美しいもの出会うということ。

あの人はもう、新しく美しいもの出会うことはできない。最後電話で話した、子供たちの歌にも出会ってもらえないままになってしまった。

 

「生きる」というタイトルなのに、谷川俊太郎の詩は死が匂う。

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこが揺れている、揺れているということ

いま、いまが過ぎてゆくこと

不穏な曲調で産声や兵士の傷が突きつけられ、それをぶらんこの往復運動が包み込み、ただ時間が過ぎる静けさに着地する。

生も死も同じ時間の中にある。

 

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

生き物の、自然の、あるがままの姿を歌った流れで「人は愛する」なんて、谷川俊太郎ずるいよね。あぁそうなんだと思わされる。

もちろん、愛さない人もいる。羽ばたかない鳥も轟かない海も這わないカタツムリ存在する。けれどできてない個体のことは今は措く。

それができている個体はなんと尊いことか。生きるということの意味を、「人は愛するということ」ととらえられる、かもしれない。もし私が愛さな人間でも、愛する可能性がある希望

 

そして曲はまた、

あなたの手の

あなたの手のぬくみ

いのちといういのちということ

生きるという生きるということ

あなたの手」に戻ってきて、命とはなにか、生きるとはなにか問いかけるように終わる。

 

私が繋がなかった手のぬくみ。

永遠に失われ、想像上にしか存在しない温かさ。

 

 

一人暮らしだった家は空き家になった。夏のことで、風を通したり、植木鉢やあとから頂いた供養の花に水やりをしなければならず数日おきに通った。

空き家にはピアノがあり、風通ししている間の時間で音取りをした。難しい音階を苦労して弾いた。

子供が小さい頃みんなで遊びに行くと、いつも初見でなんでも伴奏を弾いてくれたあの人がいたときのままの部屋で。ピアノには練習していたらしい楽譜が開きっぱなしだ。胸が苦しい。

  

亡くなった直後のショックや悲しみは今は薄れている。

でも練習で歌うたびに、空き家に風通しに行くたびに、拙く練習したのが思い出される。

去年の夏の、古い家特有の湿り気のある空気やあまりワット数の高くない蛍光灯の薄暗さ。

今日リハーサル明日が本番だから、終わったらしばらく歌うことはなくなる。

もう去年の夏を思い出すこともなくなるのか、いや曲を聴くたび一生思い出すのか…。

 

 

ネロ」も練習復帰後すぐに始めた曲だ。

これはまた、ストレートな死の歌で、主人公の「ぼく」が子犬の「ネロ」を亡くした経験を歌っている。

しか

ネロ

もうじきまた夏がやってくる

(中略)

おまえはたった2回ほど夏を知っただけだった

と、「夏に親しい者を亡くす」という、私の経験ととてもリンクするシチュエーションなのだ

 

主人公は「もう十八回の夏をしっている」とあるから若者だ。それは私とは違うけれど、私の子供たちとはとても近い。

何でもかんでも自分関係があるように捉えるのは無理筋ではあるけれど、私にはこの曲はうちの子たちが別れをどう受け止めたのか、の追体験のif…みたいに感じられる。

 

今、6月だ。もうすぐ本格的な夏が来る。

ネロ

もうじき又夏がやってくる

しかしそれはお前のいた夏ではない

又別の夏

全く別の夏なのだ

去年の演奏会には来てくれた人が、今年はもういない。

お盆あたりには親戚が集まっていたあの家で、今年は新盆をどうしようか、コロナもまだ猛威をふるっているから集まるのは無理だろうか。

去年の夏、せっせと通って水やりをした植木鉢も、一年草はみんな枯れて、鉢から抜いてゴミに出して、鉢も片付けてしまった。

 

曲は、しか喪失を嘆くものではない。疾走感とともに「新しい夏」の到来、「新しいいろいろのことを知ってゆく」ことを歌う。

たびたび出てくる「知る」という営為

そして僕は質問する

いったい何だろう

いったい何故だろう

いったいどうするべきなのだろうと

主人公は何を知りたいのだろう?

なぜネロは死んだのかを?

なぜ生あるもの死ぬ定めなのかを?

私にはそんな凡庸な問いしか想像できないが、案外それも全くの的外れでもない気もしている。

 

詩のなかで飛び飛びに3連に渡って繰り返しネロを思い起こし、

ネロの声や「気持ちまでも」が「はっきりとよみがえる」。

それは死せるネロとともにあるようだけれど、決して停滞ではない。ネロを胸に抱いたまま、

しかネロ

もうじき又夏がやってくる

新しい無限に広い夏がやってくる

そして僕はやっぱり歩いてゆくだろう

新しい夏を迎え 秋を迎え 冬を迎え

春を迎え 更に新しい夏を期待して

そこには若さがある。喪失を抱えていても新しいもの貪欲に取り込む力強さ。

(願わくはうちの子たちもそうあれかしと思うけれどそれは親のエゴというもの、彼らには彼らの受け止めかた、歩みかたがあろう…)

 

私自身は、「全く別の夏」というところからまだ身動きできないでいる。

冬場からこち空き家に通う頻度も減ったが、また雑草の伸びる季節になって、草を引くたびに「この家を高齢でよく維持していたものだ」と感慨にふける。

家の中はまだ手つかずで存命の頃と何も変わらない。カレンダー書き込みもそのまま。去年、子供誕生日のお祝いを送るためのメモ書きも、電話の横のメモ帳にそのままある。ただ留守を預かっているだけ、という感覚から動けない。

それなのに全く別の夏が来てしまう。記憶が上書きされてしまうのが切ない。感傷だ。感傷だが、血縁ではない私とあの人は、客観的に見ればけっこう長い年月、長い時間を一緒に過ごしていたわけだ。

まだもやもやと引きずってはいくけれど、そういうものなんだろう(ああ、しょうもないまとめになってしまった)。

 

 

(「あの人」と書いているのは配偶者の母ですが、普通に表記するとちょっと生々しくて書けなかったので…表記距離を置かないと吐き出しにくい)

 

引用の詩は曲のために繰り返しなどの改変があり、オリジナルと少し違っています

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