はてなキーワード: チェーホフとは
ちなみにこの件で増田投下は初だよぉ。他の増田諸氏とは違うから(目の裏原っぱじゃなきゃ読んでで分かるぞ)、よろしくねぇ~
んじゃ、今日は表題通り、津田教授があの時感想をどう言えばセーフだったかを考えていきたいと思いまーす。
大学で教えている、少なくともアカデミックな権威であることを誇示しています。「?」がついてるから無効なんてぇ言い草は通りません。しかも、リンク先を見れば、教授であることはすぐわかる。
さらに本人の言では「匿名でやってたけどこっちに変えた」との供述があり(https://twitter.com/brighthelmer/status/1305058021031030785)、
https://twitter.com/brighthelmer/status/1304248768896921603
銀河英雄伝説のリメイク。3期以降も続くのかな。もしそうなら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。旧アニメのままだと、さすがに時代にそぐわない。作品として大変に面白いのは踏まえたうえで。…なんてことを書いたら炎上するかな。
まず注意したいのはこの時はまだ、3期情報が来てないんだよねぇ(後日3期発表有)。でもキリがついたから発表は間近そうでもある。
もしそうなら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。
「変更せざるを得ない気がする」。これ、主語は何なんですかね。気がしている主語は津田だけど、津田に思わせているナニモノか、即ち教授様より「大きな力」が示唆されているわけです。さらに「変更せざるを得ない」先は直近で割りに見えてる代物なんですな。
この「旧アニメ」が何のことなのか(OVAなのか、2期までのノイエなのか、津田の頭の中にだけある架空劇なのか不明)ですが、時代にそぐわないと断言。時代ですよ時代。つまり、国民ひいては世界の総意にそぐわない、そう断言するわけです。エビデンス?社会学にそんなものねぇよ!
これが個人の感想、なんですかねぇ。
ただの感想に見えるが、そんな簡単なものをわざわざ置く訳がないじゃないですか。ツイートを見たファンに「面白いものの続きがあるかどうかは、国民総意に背かないかどうかにかかってるんだぞ?」という念押しです。そうと思うならば、変えろ、さもなくば突撃隊を出してお前らを蹂躙する、お前らそれ守る価値あるよね、じゃあおとなしく城下の盟を結んで屈服しろよ?という言外の恫喝のためにわざわざここに置かれているといっていいでしょう。ここだけ取れば個人の感想ですが、全体を通した場合、意図のある発言で感想ではありません。
津田もかつて
https://twitter.com/brighthelmer/status/1169101430797389824
ヤクザに「月が明るい夜ばかりだとは思わないほうがいい」とか「お子さん可愛いですよね」と言われて、それは純粋に事実の表明であるから脅迫にあたらないと考える人が世の中には多いのだろうか。言葉の意味は文脈によって強く左右される。
ま、ヤクザじゃなくたって、「月夜ばかりじゃない」っつったら、普通恫喝ですけどね。お子さん可愛いも見知らぬ人間が何の文脈もなく言ったら、害意の告知でしょうよ。
で、津田は銀英伝に「可愛い子だねぇ」と言って納得できるほどの仲だったんでしょうか?検索すると
あれれ?一っ言とも触れてませんねぇ?
つまりは、おしめを変えて飯を食わせ好みも嫌いもよっく知ってる知り合いの小父さんが言った「可愛いねぇ」ではなく、通りすがりのおっさんがニソニソしながら言う「あの子、可愛いねぇ。さらわれないか心配だねぇ(ニチャァ」なんですわ。これ、文字通りの可愛い=「面白い」ですか?
…なんてことを書いたら炎上するかな。
これがまた小狡いから、燃料を投下してるわけ。しかも炎上する主体がどっちだか書いてないよね?ノイエが燃えてもこの予言は実現される。上手いなぁw
これこそチェーホフの銃で、ここに炎上と書くことによって、炎上を起こす意思があることが明確なのです。ただの感想を素人さんが言う時にわざわざこんなこと書かないよね?
つまりこいつは、燃えるか燃やされるか、完全な決闘モード宣言ですよ。勝った気になってますけど。別してパブリックエネミー「社会学者?」を名乗る以上はねぇ。放火の意図は、津田をファシストにしたい意図より明瞭にダダ洩れなのであります。
承認欲求もあろうから相互フォローと同アイコン使用までは認めます。さらに言えば、いっちょ噛みでないことを示すためにせめて何を視聴してるのか常々感想垢に一言書けば「ああ、初回から見てるな」というのが分かります。
さらに、時代とか大仰な主語を持ってくるようなことは止めましょう。お前の感想はお前の脳からしか出てなくて、それはお前ひとりの意見です。
そうすると、まあこんな感じすかね
銀河英雄伝説の新作。3期以降もあるといいな。
もしそうなら、僕としては男女役割分業の描き方は変えてほしい。2期のままだと、ヤンとフレデリカとかちょっと違和感があった。面白かったんだけどそこだけ残念。3期が早く見たい最終回だった
語末だと濁る子音の濁りが消えたりするよ! でも表記するときには反映されないね! Петербургは「ペテルブルク」じゃなくて「ペテルブルグ」って書くことになってるよ!
そうかな?私の観測だと、反映されることが多い。
"サンクトペテルブルク"でググると約 1,610,000 件出てくる。
一方、"サンクトペテルブルグ"でググると約 540,000 件だ。
ロシア語の固有名詞、カタカナで書くときに色々表記揺れがあって紛らわしいよね! 表記揺れが起きる原因をまとめといたから、参考にしてね!
これは純粋に日本語内部の問題だから一番わかりやすいね! БладимирВладимирを「ウラジーミル」と書くか「ヴラジーミル」と書くか、Иванを「イヴァン」と書くか「イワン」と書くか、という単純な話だから、好みに合う方を選んでね!
強勢の置かれた母音は長く強く読まれるんだけど、この母音を棒引き(ー)で表現するか否かが問題だね! これはだいたい慣用によって決まっているけど(「イワーン」じゃなくて「イワン」、「ウラジミル」じゃなくて「ウラジーミル」)、別に慣用じゃない表記を使うことは自由だし見慣れない語だとフィーリングで決めたりするから表記揺れが生じる余地があるよ!
ыは日本語では書き表せない音なんだ! でもどうしてもカタカナにしないといけないときがあるよね! そういうときに表記が揺れちゃうんだね! Кадыровは「カディロフ」でも「カドィロフ」でも間違ってないよ! どのみち正確な日本語表記は無理なんだし! でも「カドイロフ」はさすがにどうかと思うな! めんどくさいのが形容詞の語尾で-ныйみたいな形になってるときだね! 「~ヌィ」だと語末のйを無視してるみたいで居心地が悪いし、「~ヌィイ」だと煩雑だし、「~ヌイ」だとなんかыっぽくないよね! こういうときは多少正確さを犠牲にしても日本人にとって一番簡単な表記を選んでおくのがいいよ! だからВерныйは「ヴェールヌイ」でСовременныйは「ソヴレメンヌイ」なんだね! でも別に「ヴェールヌィイ」でも間違いじゃないよ!
ロシア語では強勢の置かれないоは「ア」みたいに発音されるよ! Москваは実際には「マスクヴァー」みたいに聞こえるけど、日本語では綴り通りの「モスクワ」で定着してるよ! っていうか日本語表記では反映しないのが慣用になってるね! Достоевскийは「ダスタイェーフスキー」じゃなくて「ドストエフスキー」、Чеховは「チェーハフ」じゃなくて「チェーホフ」って書くことになってるね! ただし例外的に、Спасибоは「スパシーボ」じゃなくて「スパシーバ」、Хорошоは「ホロショー」じゃなくて「ハラショー」で定着してるよ! でももちろん発音を優先して「ア」って書いてもいいよ!
ロシア語のеは「エ」というより「イェ」であって、теは「テ」というより「チェ」、деは「デ」というより「ジェ」のように聞こえるよ! 強勢があると特に! 逆に強勢がないときは母音が弱く読まれて「チ」みたいに聞こえたりするよ! だからЕкатеринаを「エカテリーナ」とするか「エカチェリーナ」とするかで揺れるよ! まあ実際に聞いてみると「イカチリーナ」みたいに聞こえるような気がするんだけどそんなふうに書くわけにもいかないからね!
еと同じで、тиは「ティ」じゃなくて「チ」、диは「ディ」じゃなくて「ジ」みたいに発音されるよ! なんなら由来を重視して「ヂ」でもいいよ! だからПутинは「プティン」じゃなくて「プーチン」なんだね! БладимирВладимирが「ウラディミル」じゃなくて「ウラジーミル」なのもそういうことだね! まあ別に「ヴラヂーミル」でもいいんだけど! ただ「ティ」や「ディ」に聞こえなくもないところがややこしいところかな! でもやっぱり基本的には「チ」や「ジ」って書いとくのがいいと思うよ!
шは日本語のシャ行の子音で、чはチャ行の子音なんだけど、後ろに母音を伴わないときになんて表記するかが問題だね! 「シュ」と書くか「シ」と書くか、「チュ」と書くか「チ」と書くかってことだね! Эйзенштейнは「エイゼンシュテイン」と「エイゼンシテイン」のどっちでも間違ってないよ! なんなら「エイゼンシチェイン」でも間違いじゃないよ! もう理屈はわかるよね!
語末だと濁る子音の濁りが消えたりするよ! でも表記するときには反映されないね! Петербургは「ペテルブルク」じゃなくて「ペテルブルグ」って書くことになってるよ! ドイツ語の地名は「アウクスブルクハンブルク」みたいに書くことになってるのに不思議だね! たまに「ペテルブルク」って書いちゃう人がいるけどあんま好ましくないね! なんでかというと上で書いたような発音の法則があるから実際の発音に即して書こうとすると「ピチルブールク」みたいな表記になっちゃうんだよね! 「ペテルブルク」だと中途半端なんだね! 発音に忠実に書くのはめんどくさいから綴り通りに日本語にした方がマシだね!
ёは形の上ではеに似てるけど、読み方は「ヨー」だから全然違うね! でも、大人のロシア人は読み書きするときにいちいちёとеを書き分けたりしないんだ! 日本人が「これははんこです」を正しく発音できるのと一緒だね! Аксеновを「アクセノフ」って書いた新聞社があったけど、もちろん正しい綴りはАксёновだから「アクショーノフ」だね! このへん、慣れれば「これってёじゃね?」という目星をつけられるようになるよ!
そして、この文字が表記揺れを引き起こすこともあるんだ! Фёдорは「フョードル」って読むんだけど、たまに「ヒョードル」って書かれたりするよ! もちろん「フョードル」の方が正確なんだけど、「フョ」は日本人には発音が難しいから「ヒョードル」でも構わないと思うよ!
ロシア語のьは軟音符っていうんだよ! この文字自体は発音しないんだ! じゃあ何に使うかというと、前に置かれた硬い子音を軟らかい子音にする(口蓋化する)ために使うよ! 日本の慣用表記だと、軟らかくなった子音はイ段で表記されることが多いんだ! たとえばл「ル」に軟音符がついてльになると「リ」になるんだね! そしてこの文字は、ほとんどすべてのローマ字表記法で’の記号を当てることになってるんだ! でも、論文とかじゃなくて新聞とかの通俗的な表記だと、この’が落とされちゃうことがすごい多いんだよね!
たとえば、большевикиっていう単語をきちんとローマ字にしようと思ったらbol’shevikiになるはずなんだけど、実際はbolshevikiって書かれることがすごく多いんだよね! ロシア語を読める人なら「ボリシェヴィキ」って書くのが正しいってわかるんだけど、ロシア語を知らない人は「ボルシェヴィキ」って書きたくなっちゃうかもしれないね!
そしてこれが語末や子音の前に来ると表記揺れを引き起こすことがあるんだ! -ньという綴りが語末や子音の前に来ると、「ン」と「ニ」の中間っぽく聞こえるよ! だからКазаньは「カザン」とも「カザニ」とも書かれるんだね! ポーランド語のGdańskが「グダンスク」とも「グダニスク」とも書かれるのと同じ理屈だよ!
хは喉の奥から出す「フ」の音だよ! 日本語のハ行とは発音の仕方が違うけど、どの行に聞こえるかと言われるとハ行が一番適切なんじゃないかな? 袴田茂樹先生の妹さんはИрина Хакамадаだし! でもこれ、日本でよく使われるローマ字表記だとkhになるんだ! それに引きずられてカ行で表記されちゃうことがあるけど、間違いだね! ハ行で表記しようね!
яって文字はよく見るけど、何て読むか知ってるかな? そうだね、「ヤー」って読むんだね! でも、これをローマ字に直そうとしたらどうなるかな? 実は、ロシア語のローマ字表記にはいくつかの種類があるんだけど、それらの表記によってяをどう表記するかが違うんだね! イギリスでよく使われるローマ字表記だとyaだけど、アメリカの議会図書館式だとiaになり、そして国際式表記だとjaになるんだ! そうだね、ロシア語を知らない日本人がローマ字表記だけ見ると読み方を間違える余地があるんだね!
たとえば、Настяっていう女の子の愛称は「ナースチャ」って読むんだけど、議会図書館式でローマ字に直すとNastiaになるんだよね! ロシア語を知らない人からすると「ナスティア」にしか見えないよね! 綴りの後半部分はti-aじゃなくてt-iaで切れてるんだけど、そんなの普通わかんないよね! Надяは「ナージャ」って読むんだけど、ローマ字でNadiaって書かれると「ナディア」って表記したくなっちゃうよね! 違うアニメになっちゃうね!
さらにさらに、ローマ字に直すときにяの表記が誤魔化されちゃうことがあるよ! この文字は女の人の名前の語尾によく使われるんだ! たとえば英語の「メアリ」に当たるロシア語の名前はМарияで、日本語だと「マリヤ」って書かれることが多いね! でも、ローマ字にするときにMariaって書かれることがすごい多いんだ! たぶんMariiaやMarijaやMariyaだとわかりづらいと思ったんだろうね! けどMariaって書かれるとロシア語を知らない人は「マリア」って書いちゃうんだよね! Лидияも本当は「リージヤ」なんだけど、Lidiaってローマ字表記に引きずられて「リディア」って書かれることが多いね!
複数の間違いが組み合わさることが多いのがТатьянаだよ! これは女の子の名前で、素直に読み下せば「タチヤナ」になるよ! 議会図書館式に忠実に転写するならTat’ianaになるんだ! 真ん中の部分はt’-iaで切れるんだね! ’がついたことでtが軟音化して「チ」、iaで「ヤー」だね! でも’が省略されていると、iaが「ヤー」だと知らない人は、Tatianaを「タチアナ」って書いちゃうんだ! ひどい場合には「タティアナ」なんて表記されたりするね! そうだね、ti-aで切れると勘違いしてるんだね!
Литвякを「リトヴァク」って書いてある本があるんだけどさすがにちょっと許せないかな! どうやれば「リトヴァク」になるのかな!? もちろん「リトヴャク」が正しいよ! 「ヴャ」は発音しにくいっていうなら「リトビャク」って書いておくといいよ! 「何百」を発音できない日本人はいないよね!
じゃあみんな、юはなんて読むか知ってるかな? そうだね、「ユー」だね! でもこれもяと同じで、yuとかiuとかjuとか色んなやり方でローマ字表記されるよ! だからたまにiuっていうローマ字に引きずられて「イウ」と書いちゃう人がいるんだ! 気をつけようね!
ロシア語は強勢の位置がすごい大事なんだけど、間違えて書かれることがあるんだ! БладимирВладимирは「ウラジーミル」なんだけど、「ウラジミール」って書く人がたまにいるね! チェコ語ならVladimírだから「ウラジミール」でいいんだけどね! 父称のВладимировнаも「ウラジミーロヴナ」じゃなくて「ウラジーミロヴナ」だからね!
たまにロシア風のキャラクタの名前として「イゴール」っていうのを見かけるけど、これは複数の間違いの複合だね! Игорьはロシアの男の人の名前だけど、厳密にローマ字に直すとIgor’になるんだ! そこから’を抜いてIgorにした上で強勢の位置を間違えると「イゴール」になるんだね! もちろん「イーゴリ」が正しいよ!
いくつかの理由があるよ!
これ、つまるところ英語の名詞をカタカナで書こうとするときの苦労と一緒だね! そういえば英語も「発音に忠実な表記を諦めて綴り通りに表記することにしている」場合がすごく多いよね! Bostonは「バッスン」じゃなくて「ボストン」、Donaldは「ダナー」じゃなくて「ドナルド」って書かれるよね! そういう意味では英語とロシア語って似てるね! オラ英語に親近感湧いてきたぞ!
Fateのサーヴァントとか、あんまりメジャーじゃない方の表記ゆれ名使ったりしてる印象があるが、検索避けみたいなこと一応気にしてんのかなと思ったりする。
奈須きのこそこまで考えてないと思うよ!
ま……マジだ! めっちゃ恥ずかしい! ごめん! 気づかなかった! 訂正しといた! 教えてくれてありがとう! Владимировнаの部分は正しく書いてたからそれで許して!
言い訳すると、ローマ字対応のキーボードでキリル文字打ってるから、ボーッとしてるとつい目の前のBってキーを押しちゃうんだ! でもそれを押すとБが出てきちゃうんだ! 稀によくある!
アウクスブルクは煩雑な発音とつづりとの中間点・妥協案的表記であるので,その直後に「ペテルブルクは中途半端でダメ」とか言われれると増田お前自己矛盾してんぞって顔になった。
ごめんね! 正直「~ブルク」ってつく地名なら何でも良かっただけなんだ! よく知らない言語について迂闊なこと言うもんじゃないね! 「ハンブルク」に直してみたけど、これならどうかな?
https://anond.hatelabo.jp/20200323025005
――ところで、わたしは昔から、最後のスタンザは少し弱いのではないかと思っていたのですが……。
( ・3・) 弱い? 「リング」と「スプリング」とで韻を踏むのはありきたりだとか?
――弱いというよりは、ピンとこないといったほうが正確かもしれません。「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」――これはどういうことなんでしょう。
( ・3・) 彼女のほうが歳上だったんじゃないか? 50歳くらい。
――それはたしかに too late な気がしますが、もし年齢が離れていることが問題なら、彼女が三月生まれであれ、七月生まれであれ、一年のうちで生まれた時期に言及する意味はないはずなんです。
( ・3・) 春に生まれようが夏に生まれようが誤差みたいなものだからな。
( ・3・) ははは、まさか。
――ここに一枚の写真があります。1975年に撮られたものです。
https://twitter.com/kedardo/status/1242030916232339458
( ・3・) ボブ・ディラン、本を読む。
――何という本ですか?
( ・3・) 『クリスタル・マジック』と書いてある。マジックのつづりが変だけど。
――目次には次のような言葉が並んでいます。「ケンタウルスが獅子を狩る」「シャンカラの理論は現実をどう捉えるか」「ハクスリーの知覚の扉」「アジュナチャクラあるいは第三の目」「カバラの諸相」
( ・3・) 神秘主義のロイヤル・ストレート・フラッシュという感じだな。
――星座が何であれば、支配星は何、エレメントは何、という表も載っています。
( ・3・) 本を読め、ただしまともな本を、と釘を刺したばかりだというのに。
――まともな本も読んでいますよ。このころディランはチェーホフやコンラッドに傾倒していたはずです。 [3] [4]
( ・3・) じゃあ『クリスタル・マジック』はたまたま手にとっただけで、内容を真に受けたとまではいえないんじゃないか?
――1974年、コンサート・ツアーを再開した理由を、ディランは次のように語っています。「わたしの惑星系 (my planetary system) において土星が障害となっていた。その状態がしばらく続いていたが、いま土星は別の場所へ移動した」 [5]
――1976年のアルバム『ディザイア』のバック・カヴァーには、タロットが描かれています。
( ・3・) タロット! イタロ・カルヴィーノの『宿命の交わる城』は何年だっけ。ちょっと待って――第一部・第二部の合本が出たのが1973年。英訳は1977年だ。
――1978年のインタヴューでは、占星術を信じているのかと単刀直入に訊かれています。
PLAYBOY: OK, back to less worldly concerns. You don't believe in astrology, do you?
DYLAN: I don't think so.
PLAYBOY: You were quoted recently as having said something about having a Gemini nature.
DYLAN: Well, maybe there are certain characteristics of people who are born under certain signs. But I don't know, I'm not sure how relevant it is.
PLAYBOY: Could it be there's an undiscovered twin or a double to Bob Dylan?
DYLAN: Someplace on the planet, there's a double of me walking around. Could very possibly be. [6]
( ・3・) 信じているかといえば、信じてはいない。星座と人間の気質とのあいだには何か関係があるかもしれないが、どの程度なのかは分からない。――うーん、言質を取られるのを避けているみたいだ。
――もともと質問に率直に答える人ではないのですが。
( ・3・) 思い出した。昔、日本の有名な批評家がイェール大学に文学を教えに行ったんだが、向こうでは占星術が流行っていて、同僚の学者の生年月日がどうのこうのと書いていたっけ。あれも70年代半ばじゃなかったかな。
――期せずして、アメリカにおける神秘主義の流行、というテーマに足を踏み入れてしまいました。
( ・3・) ……引き返そうか。
――「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」の意味をめぐって脇道にそれてしまいましたが、実は、意外なかたちで問題が消滅します。
――いえ、問題自体が消えてなくなってしまうんです。アルバム発表から一年も経たないうちに、歌詞が書き直されて、最後のスタンザは大きく変わります。1975年のライヴ録音を聴いてみましょう。
To know too much for too long a time
She should have caught me in my prime
Instead of going off to sea
And leaving me to meditate
( ・3・) ジェミニを連想させる "she was my twin" も含めて、占星術につながりそうな表現はなくなったな。詩の問題の解決を、人は問題の消滅によってうやむやにする。
――「彼女はわたしの双子だった」も、考えてみれば謎めいた表現です。「本当の恋人だった」と「双子だった」とが置き換え可能かといえば、そうではないと思います。
( ・3・) 歌詞だけじゃなくて、コード進行も旋律も変わっているぞ。
――そうなんです。これまでわれわれが検討してきたことの少なからぬ部分が、このヴァージョンには当てはまらなくなっている。ディランにしてみれば、もう「わたしはそこにはいない」んです。
( ・3・) うなぎみたいなやつだな。
――歌詞の変更は1975年以降も続きます。「彼」と「彼女」とが入れ替わったり――
( ・3・) 体が?
――立場がです。第一スタンザで「孤独を感じ」「まっすぐに歩いていればよかった」と願い、第二スタンザで「夜の熱気に打たれるのを感じ」るのは、「彼」ではなく「彼女」になります。80年代にはさらに全面的な変更があり、90年代には――
( ・3・) もはや原形を留めなくなった?
――いえ、それが――。
( ・3・) それが?
――おおむね元のかたちに戻りました。
( ・3・) ……。
――……。
( ・3・) 「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」も?
( ・3・) 抑圧された占星術の回帰……。なくなったはずの問題の再燃……。まるで人生のようだ。
――これで「運命のひとひねり」は概観できました。全体について何かありますか?
( ・3・) 英語は易しめだったな。
( ・3・) 「彼」と「彼女」との間に何があったのか、曲のなかでは詳しく語られないけど、これは、その、いわゆる一夜の関係というやつなの? [7]
――なぜそう思ったんですか?
――ただ、それだと、彼女がいなくなったときの彼の傷心ぶりや、「指輪をなくしてしまった」のくだりはうまく説明できません。
( ・3・) そうなんだよな。じゃあ、ある程度つきあった恋人たちの最後の夜だったんだろうか。
――第一スタンザに、「体の芯に火花が走るのを感じた」とありますが、これは恋に落ちるときの表現だと思います。まあ、よく知っている相手に対して改めて火花を感じる、という可能性もゼロではありませんが。
( ・3・) すでにつきあっている恋人同士なら、見知らぬホテルの前でまごまごするのも不自然だしな。うーん、こんがらがってきた。一方では、彼と彼女とは一夜の関係に見える。ある日の夕暮れに物語が始まって、翌朝には彼女は姿を消している。その一方、物語の後半では、彼は生涯の伴侶を失った男のように見える。
――常識と観測結果とが矛盾するときは、常識を捨てなければなりません。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、と考えて矛盾が生じるのであれば、そう考えるのをやめればいいんです。
( ・3・) いや、でも、ある日の夕暮れから翌朝までじゃないの? ネオンの輝く見知らぬホテルに長期滞在して、数年後の朝に彼女はいなくなりました、なんていくらなんでも無理があるだろう。
――キュビズムの絵画では、ある対象を複数の視点から捉え、平面のキャンバスに再構成して描きます。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、という枠組みのなかに、出会いから別れまでの一切が凝縮されたかたちで描かれているとしたら?
( ・3・) 時間の流れが一律ではなかったということか?
――いいですか、時計の秒針が聞こえてくるのは、彼女がいなくなった後です。それから彼にとっての永遠の現在が始まり、彼女がいた過去は、彼の記憶のなかで遠近法的な奥行きを失うんです。
( ・3・) 時計を一種の仕掛けと見立てて、内在的に解釈するわけか。理屈は通っているかもしれないが、常識を捨てさせるには、まだ十分ではないと思うぞ。
――では、時間の流れが一律であるとは限らないという外在的な傍証を。1978年のインタヴューです。
Everybody agrees that that [Blood on the Tracks] was pretty different, and what's different about it is that there's a code in the lyrics and also there's no sense of time. There's no respect for it: you've got yesterday, today and tomorrow all in the same room, and there's very little that you can't imagine not happening. [8]
( ・3・) おい、詩に暗号が隠されていると言っているぞ。
――その点は保留にしてください。
( ・3・) 時間の意識は失われている。過去、現在、未来が同じ部屋に混在して、想像しえない出来事などほとんどない。
( ・3・) 「運命のひとひねり」の解題ではないんだな?
( ・3・) そうだな、まだ腑に落ちるとまではいかないが、時間の扱いは気に留めておいたほうがよさそうだ。
――はい。実は、キュビズムの絵画や、時間の意識をもちだしたのは、次に聴く曲「タングルド・アップ・イン・ブルー」でも同じ問題がでてくるからなんです。邦題は「ブルーにこんがらがって」。ディランの重要な曲を挙げるとしたら、まず10位以内には入る。人によっては1位かもしれない。というわけで、ウォーム・アップは終了です。次は少し難しくなりますよ。
そのようにして彼らは「タングルド・アップ・イン・ブルー」を聴き、「シェルター・フロム・ザ・ストーム」を聴いた。窓のかたちをした陽だまりが床を移動し、寝ていたストラヴィンスキーの首から下が影に入ってしまった。もう次の曲に進む時間は残っていなかった。デレク・ベイリーのCDを持って帰らなければ、と彼は思った。マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスならいつでも買い直せる。しかしベイリーは品切れのまま再発されないことだってありうるのだ。
「もう帰るのか?」と上司は言った。
「はい。それで、デレク・ベ」
「おまえの家は一戸建てだったな、たしか。陽当たりと風通しは良好か?」
「陽当たり? まあ、それなりには。それで、デ」
「窓からの眺めは?」
「眺め? まあ、壁しか見えないということはありませんが。そ」
「じゃあ、決まりだな」と上司は言い、リムスキー=コルサコフの両脇を後ろから抱えると、目の高さまで持ち上げた。
「新しいパパだよ」
かくして予言は成就し、わたしは持っていったもの以上を持ち帰ることになる。小さなモフモフと、モフモフの当面の生活に必要なモフモフ用品とを。
まずはこの子に、猫としてまっとうな名前をつけよう。このままだと、もし何かの拍子に迷子にでもなったら、「リムスキー=コルサコフ! リムスキー=コルサコフ!」と大声で呼びながら近所を捜し回らなくてはならない。獣医にかかるときだって、きっと問診票に名前を書く欄があるだろう。常軌を逸した飼い主だと警戒され、信頼関係を築くのに支障をきたすかもしれない。
しかし、猫に名前をつけるのは難しい――T・S・エリオットの Old Possum's Book of Practical Cats にもそう書いてある。クラシックの作曲家では大仰すぎる。ジャズ・ミュージシャンではどうだろう。わたしはCDとレコードの棚の前に立ち、名前の候補をピック・アウトしていく。チェット。論外である。マタタビに耽溺してばかりの猫になってしまいそうだ。ドルフィー。才能も人格も申し分ないが、早世の不安がつきまとう。ベイリー。デレク・ベイリーのCDを取り戻すまで、わたしはあとどれだけの道を歩まなくてはならないのだろう。
わたしは気づく。予言は成就していない。少なくとも完全には成就していない。人知を超えた力によって予言はねじ曲げられ、わたしは持っていったもの以上ではなく、持っていったもの以外を持ち帰ったのだ。新しい家の探検を終え、お腹を上にして眠る小さなモフモフよ、おまえのしっぽが曲がっているのも、運命のひとひねりのせいなのか?
[1] 実際にはEより少し高く聴こえる(テープの再生速度を上げているため)。
[2] これ以降、歌詞の引用は2小節ごとに改行を加えている。
[3] Bob Dylan. Chronicles: Volume One. Simon and Schuster, 2004. p. 122.
[4] Sam Shepard. Rolling Thunder Logbook. Da Capo Press, 2004. p. 78.
[5] https://maureenorth.com/1974/01/dylan-rolling-again-newsweek-cover-story/
[6] Interview with Ron Rosenbaum. Playboy, March 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 236.
[7] 草稿では、第三スタンザは以下のように書かれたあと、大きなバツ印がつけられている。"She raised her weary head / And couldn't help but hate / Cashing in on a Simple Twist of Fate." 初めは娼婦として描かれていた点を重視することもできるし、その構想が放棄された点を重視することもできる。
[8] Interview with Jonathan Cott. Rolling Stone, November 16, 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 260.
いや衝撃だった、あのシーンは。
自分としては、今年観た映画の中で最も衝撃的なシーンだった。
原作小説や実写映画は未読・未見だったのもあってあまり期待せずに劇場に来て、
……というような感じで、元々低かった期待値は終盤になっても更新されることはなく、自分の中では「駄作」ではないけど、せいぜい「凡作」くらいの評価で終わるのかな…
と思っていた。終了15分前のあのシーンまでは。
作品がいよいよクライマックスに入ろうかというタイミングで、突然ある登場人物がとった行動。
(え、ちょっと待って、まさか……いや、でも深夜アニメならともかく、これは「そういう作品」ではないだろう…………え、嘘、マジで!!!!!?????)
それまでのあまりポジティブではない印象が全部吹っ飛んでしまった……。
しかしあまりにも唐突過ぎないだろうか……いや、確かにあとになって思うと「伏線」と言えなくもない描写はいくつかあった。(深読みすると、公式サイトのキャッチコピーも…)
でも、その登場人物が「そっちの選択肢」ではなく、無難な、というかありがちな選択肢を取ったとしてもなんらおかしくないくらいさりげなかったし……
いや、やっぱり取ってつけた感は否めないぞ…。それに、○○要素を入れるならもっと作品全編を通して描くべきでは?
…と思ったが、そうなると完全に○○作品になっちゃうよな…。特に思い入れがない自分としては大歓迎だが、原作や実写版のファンからすれば
「原作付きじゃなくてオリジナルでやれよ」ってことになるのかな…。だとすればこれがギリギリのラインだったのか…?
(ただ現状でも星雲賞のメディア部門やコミック部門に並ぶいくつかの作品が「SF作品」である以上には、この映画は「○○作品」だったとは言える)
でも、この作品に○○要素を持ち込む理由は…? チェーホフの銃の原則からすると、あの登場人物が○○である必然性はなかったのではないか…?
……いや、そもそもそんな「必然性」なんていらないのかもしれない。ダブル手帳氏がブログで
と書いていたように、○○も「何の理由もなくアニメに登場してもいい」のかもしれない。
実際「あのシーン」のあと、どの登場人物も茶化したり、嫌悪感を示したりすることなく、ごく当たり前のこととして受け入れていた。
これを「ありえない、非現実的だ」と思う人もいるかもしれないが、ダイバーシティの観点からすると極めて真っ当な描写なのかもしれない。
(だがその一方で××を笑いものにするシーンがあったりするので、脚本家の人そこまで考えてないのかもしれないが…)
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 81 | 8763 | 108.2 | 39 |
01 | 90 | 9153 | 101.7 | 39 |
02 | 15 | 3251 | 216.7 | 272 |
03 | 15 | 1011 | 67.4 | 50 |
04 | 4 | 359 | 89.8 | 67.5 |
05 | 9 | 375 | 41.7 | 35 |
06 | 12 | 614 | 51.2 | 27.5 |
07 | 21 | 1067 | 50.8 | 34 |
08 | 36 | 2768 | 76.9 | 47 |
09 | 74 | 3718 | 50.2 | 26.5 |
10 | 78 | 5034 | 64.5 | 37.5 |
11 | 50 | 5208 | 104.2 | 45 |
12 | 61 | 5134 | 84.2 | 43 |
13 | 76 | 5077 | 66.8 | 37 |
14 | 75 | 7359 | 98.1 | 65 |
15 | 58 | 10818 | 186.5 | 57 |
16 | 77 | 6362 | 82.6 | 47 |
17 | 87 | 10583 | 121.6 | 49 |
18 | 109 | 10160 | 93.2 | 43 |
19 | 111 | 9593 | 86.4 | 46 |
20 | 70 | 5134 | 73.3 | 48 |
21 | 113 | 8907 | 78.8 | 33 |
22 | 76 | 6470 | 85.1 | 50 |
23 | 73 | 10863 | 148.8 | 53 |
1日 | 1471 | 137781 | 93.7 | 44 |
フルHD(5), カオナシ(4), 三ツ矢サイダー(3), 指名手配(7), 実行委員(3), 内定辞退(3), Blender(4), 迷彩(3), ボンド(3), 名義変更(3), 千と千尋の神隠し(4), こども(9), 然(6), 未熟(7), 指名(5), 性行為(8), 腐れ(4), お盆(4), パヨク(6), UI(5), 天気の子(4), 暴行(5), 反する(5), 裁判官(10), 起こさ(6), 暑い(6), エントリー(5), 描け(5), 同性愛(10), 法学部(5), ヤクザ(11), ブサイク(11), 楽しむ(9), 裁判所(7), がんばっ(7), 狂っ(9), 特殊(7), ソフト(7), 昼(8), 超える(6)
■風俗に理解ある妻のつもりだったけど /20190817091932(15), ■姉が「結婚したくないが子供が欲しい」と言っている /20190816090950(13), ■「女性」がうまくできず男性に失望される /20190816232155(11), ■「禁忌」としての同性愛が好きです /20190816152215(10), ■大人になってスキルセットを増やすのは難しくないだろうか /20190817001709(8), ■誰が「Vtuberはスキャンダルを起こさない」と思っていたのか? /20190817153832(7), ■小麦って身体に良くないと科学的に証明されているのに /20190817133835(7), ■炭酸水にシロップ入れても三ツ矢サイダーにならない /20190817200704(6), ■液タブ /20190817023238(6), ■パイロットになれなかったおっさん /20190817123324(6), ■anond:20190817133739 /20190817133810(6), ■煽り運転しただけで実名晒して指名手配かよ /20190817092250(5), ■日本って教養あるお笑い少なくない? /20190816112831(5), ■ /20190817003104(5), ■地雷レイヤー /20190817002912(4), ■【悲報】女さん、夫婦別姓賛成の理由は名義変更の煩雑さだった /20190817144253(4), ■チェーホフの銃とLGBT /20190817153300(4), ■妊活してる不妊傾向の息子嫁に何て声をかけるのが正解なのか? /20190816232253(4), ■男の人って勇気ありすぎでは /20190817155147(4), ■ /20190817170740(4), ■完結した作品しか信用できない /20190817174204(4), ■乳首の作画が上手い作者は大成する /20190817180601(4), ■五体満足で職もあるのに /20190817004720(4), ■女の権利の過剰保護で国が亡ぶ。痴漢を罰するせいで経済衰退。 /20190817180831(4), ■非モテだけど女をあてがえなんてこと言わないからさ /20190817075657(4), ■彼女がいてもマッチングアプリがやめられない /20190817094209(4), ■ /20190817191156(4)
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LGBTは映画の小道具じゃない!ってツイッターでえらい燃えてるけど
反発してるLGBTもそれを当たり前って刷り込まれてるから異性愛者が小道具になってることに気付いてないだけなんじゃないかと思う
お前らが勝手にヘテロ認定してる登場人物がLGBTかもしれんぞと
そもそもチェーホフの銃そのものを知らないのに語ろうとするから定義もめちゃくちゃで感情論だけになってるやんけ
日本だとチェーホフより名探偵コナンで置き換えたほうが分かりやすいんじゃないかと思う
蘭姉ちゃんが序盤の雑談で「こないだテレビで◯◯を見た」とか言ったら
それは終盤の展開だったりトリックやヒントとして後々出てくるかミスリードになったりするし
「金持ち」の園子や「有名人」「アイドルファン」の小五郎は事件の舞台を用意するのにそれを活用されるし
容疑者の動機を絞る際に「異性愛者」はまずそこを疑われてそこから容疑の否定・新たな情報を吐き出すシーンに繋げられる
全員小道具なんだから「LGBT」の宣言者だけがそこから外れることになったらそれこそ「作劇に無意味なLGBTを出すな」で
ゼロの執行者の犯人はトリックや容疑者の絞り込みにおいて犯人のセクシャルの情報は必要がなかったから宣言されてないけど
動機とかその後の展開見るともしかしたら同性愛者だったかもと思えるし
逆に相棒で同性愛者が出てきたときは話に深く関わってたからちゃんと作中で同性愛について発言がなされてるし
「弾が入ってるライフルだと宣言された」小道具はマイノリティだろうがマジョリティだろうがちゃんと劇に活用される
小道具じゃないLGBTを出す場合は「自身の装弾を宣言しない」しかない
百合やBL好きなオタクの言う「作中で性対象が明言されていない以上同性愛者の可能性もある」は案外その通りで
ズートピアの主人公の隣人は「無遠慮な隣人」という属性で書かれたからそれに則って主人公にプレッシャーを与える役割をしたけど
同性愛者であることを推察できる要素を散りばめてあって、ただし彼らがゲイであることは物語を展開することに関係ないからそこは宣言されない
ラノベ(なろう系)で親が出てこないのはチェーホフの銃だからとかそんなくだらねー理由じゃないよ
ティーンズ向けにカタルシスのある話を作ろうと思ったら絶対に「親殺し」は避けて通れない
メタファーが薄いか濃いかの問題だけで、作中に何らかの手段で「親殺し」を登場させられないなら片手落ちになる
現代劇でファンタジックな要素をねじ込みつつ「親殺し」をしようと思ったら、
ファンタジックな要素(現実に対する少年時代のメタファーになりうるモノ)の中に「親」を配置する必要がある
このときに主人公の本来の両親が意味もなくうろちょろしてると「殺される親」の存在を薄めたり説得力を失わせたりしてしまう
(現代劇で両親が出張ってくる場合、その親は本当の「親」であることもある)
チェーホフの銃
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%95%E3%81%AE%E9%8A%83
チェーホフの銃という表現は、ストーリーに持ち込まれたものは、すべて後段の展開の中で使わなければならず、そうならないものはそもそも取り上げてはならないのだ、と論じた、アントン・チェーホフ本人の言葉に由来している。
「誰も発砲することを考えもしないのであれば、弾を装填したライフルを舞台上に置いてはいけない。」アレクサンドル・セメノビッチ・ラザレフ(Aleksandr Semenovich Lazarev)(A・S・グルジンスキ(A. S. Gruzinsky)の変名)に宛てたチェーホフの手紙、1889年11月1日
例えば、ミステリ作品において、犯罪者の正体を探っていく過程では、無実の登場人物に疑いが向かうように偽りの強調をしたり、ミスディレクション(誤った手がかり)を与えたり、「意味深長な」言葉を並べるなど、様々な騙しの仕掛けを用いて、著者は読者の注意を意図的に誘導する。読者の疑いは、誤った方向に導かれ、少なくとも当面の間、真犯人は正体を知られないままでいる。
予断を持たずに事件に取り組み、判決などで具体的な理由を示すにあたっては、最終審としての説明責任を果たす内容になるよう、力を尽くしたい。最高裁には多様な紛争についての不服が申し立てられ、どの事件も最終的な決着が求められている。社会的に影響の大きな事件も少なくなく、責任の重さを日々痛感している。
広い視野の下で、公正な判断を行うことが期待されていると感じる。その期待に応えるためには、判断の内容を説得力ある分かりやすいものにすることが大切である。また、裁判所の存在が国民に身近なものとなるよう、情報発信や手続きの工夫などといった面にも一層留意する必要がある。
地裁や高裁で勤務した時代、3人の裁判官の間でさまざまな議論を重ね、充実した判断につながったと感じられた事件は、著名かどうかを問わず長く記憶に残っている。最高裁においても同じだろうと思う。
任命権限に関わる事柄であり意見は差し控えたいが、現在、バックグラウンドの異なる同僚裁判官とさまざまな角度から率直な意見交換ができる環境にあり、日々の仕事にとって大きな意義があると感じている。
裁判の中で憲法判断を示す立場にあり、お答えは差し控えたいが、憲法は、我が国における「法の支配」の基盤となるものであり、普段からそのありように国民の目が注がれていることは、大切なことであると考える。
前項と同じ。
これまでに関与した定数訴訟についての私の意見は、大法廷判決の中で示してきたところであり、これからも個々の事件の判断の中で示していきたい。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
法的判断が司法に求められている大きな問題の一つであるが、今後訴訟が最高裁に係属する可能性があるので、意見は差し控えたい。
国民の皆さんの理解と協力に支えられて、制度が定着しつつあることを、刑事裁判に携わってきた者としてうれしく思っている。大改革であり長期的なものさしで改善を図っていくべき課題もなお残っているが、刑事裁判が、「開かれた司法」の方向に大きく変わったことは確かである。
誤判を防ぐためには、一つ一つの事件において、当事者が適切な訴訟活動を行い、裁判官が曇りなき目で判断を下すことが、何より重要である。制度や運用の改善点については、法曹三者の間で、実情をもとにして、率直で冷静な検討を深めることが欠かせない。
国民の間で議論を深めていくべき重要なテーマであると思っているが、具体的事件に関与する立場にあるので、立法論に関わるご質問についてはお答えは差し控えたい。
重大な刑事事件は裁判員裁判によって審理されており、今回の新制度の運用については、裁判員裁判の証拠調べにおいてどのような評価が示されるかが、重要なポイントになると思う。裁判員裁判と同様に、長期的なものさしで検討すべき問題であると考える。
さまざまな課題を抱えていることは認識している。法曹養成制度も教育制度の一つであり、時間をかけて行うべき人づくりの土台だといえる。長期的なゴールを見定めて、じっくり検討していく姿勢も大事だと思う。
国際的な経済活動が原因となった訴訟はこれからますます増加すると思う。裁判官は、紛争の背景にある実情も視野に入れた上で、判断を下すことが求められる。そのためには、研修、人的交流などの機会も一層充実させる必要がある。
「開かれた司法」を推進していく上で、テクノロジーの活用は重要な柱の一つだと考える。それだけに、単に「便利かどうか」というのにとどまらず、司法へのアクセスや裁判手続きの将来のあり方も念頭に置いた上で、総合的に電子化などの改革を進めていく姿勢が大切だと考える。
個人的には、今年は名演と観客席の熱気が一体となったライブに出会う機会が多く、終演後はその場の一員であった幸福感を味わえた(例えば、ロシアの劇作家チェーホフの「ワーニャ伯父さん」)。
「尊敬」という意味とは少し違うように思うが、強さ、弱さを含めて、人間的魅力に富んだ人物として、最近興味があるのは、森鷗外。趣味はコンサート、観劇。好きな言葉はゲーテの「人間は努力する限り迷うものだ」。
千葉聡の「歌うカタツムリ」。身近な生物を手のひらの上に乗せながら、生物進化に関するダーウィン以降の研究の歴史が物語られており、科学読み物として非常に新鮮だった。
約40年間、弁護士の活動から培った経験や市民感覚を踏まえ、弁護士出身の裁判官であることの自覚と誇りを持って、正義と公平にかない、かつ、健全な社会常識にかなう法律の解釈・適用に努めていきたいと考えております。最高裁裁判官に就任して約1年3カ月経過しました。最終審としての判断の重さを更に自覚し、一つ一つの事件に謙虚に向き合い、よりよい判断・解決のため、誠実に職責を果たしていく覚悟です。
裁判所に対して、一つ一つの事件について、迅速かつ適正妥当な判断を期待していると思います。最高裁判所としては、主な事件の判決などについて、ホームページなどでも公表していますし、法廷の傍聴人の方々にも事件の争点など概要がわかるような工夫を積極的に進めています。
個別事件の判決の中で示した意見のとおりであり、これを離れてお答えするのは控えさせていただきます。
いずれの質問についても、憲法で定められている任命権者が判断する事柄ですので、お答えするのは控えさせていただきます。
憲法の改正は、国会の発議により国民投票を経て行われるもので、主権者としての国民が判断される事柄であり、各国民が真剣に考え議論すべきものと思います。
国家存立の基盤である国の安全保障政策については、各国民が自分の問題として真剣に考えるべき事柄であり、司法の立場にある者として、個人的意見は控えさせていただきます。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
裁判所は、どのような訴訟においても、法にのっとり公平かつ適正妥当な判断をしていかなければならないものと考えております。
裁判員制度はおおむね順調に運営されてきていると思いますが、問題点もご指摘のとおりあります。更なる審理の工夫や制度の広報に努める必要があると考えております。
誤判は絶対にあってはならないものです。刑事事件の事実認定においては、思い込みを排し、様々な視点から十分に証拠を吟味することが大事です。刑事司法に携わるすべての者が、誤判防止に向けて、それぞれの立場で誠実に職務を行わなければなりません。
死刑制度の存廃や終身刑の創設などは、最終的に国民の意見により決められるべき立法の課題であり、司法の立場からの意見は控えさせていただきます。とはいえ、死刑は究極の刑罰であり、その適用は極めて慎重に行われるべきものと考えております。
新制度は、捜査・公判が取り調べ及び供述調書に過度に依存している状況にあるとの指摘を受けて立法化されたものであり、これにより、刑事手続きにおける証拠収集方法の適正化及び多様化がされ、公判審理の更なる充実が期待されます。
具体的な政策についての発言は控えさせていただきますが、法科大学院で5年間教壇に立った者として、法曹養成の理想に向けて開校した有力な法科大学院で募集停止が相次ぐこととなり、残念でなりません。社会の様々な分野で法律家が活動することは、法の支配する公正な社会を実現するために必要であり、大変意味のあることだと思います。わが国社会の今後の発展を支える有為な人材として質の高い法律家をいかに計画的に養成するかという観点で検討されることを望みます。
国際取引事件、家事渉外事件をはじめとする国際的紛争事件に十分対応できるよう、裁判所における人材の育成が求められるものと考えております。
裁判手続きのIT化のあり方としては、裁判手続きの利用者の利便性の向上だけでなく、本人訴訟への対応を含む関係者の手続き保障、情報セキュリティー、事務の合理化を含めた費用対効果などの諸般の事情に配慮しつつ、裁判手続きにとって真に望ましい姿を探る必要があります。
趣味は、歌舞伎鑑賞です。尊敬する人物は自分を育ててくれた両親で、感謝と尊敬をしています。好きな言葉には「道を伝えて、己を伝えず」という言葉があります。日本の幕末から明治にかけての動乱期に、キリスト教の伝道を行った宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズの生き方を表現した言葉です。私はキリスト教の信徒ではありませんが、ウィリアムズは、幾多の困難に全身全霊で立ち向かいながら人々の心を一つにまとめ、教会や学校・病院を造り、社会や世界を動かしました。そのような信仰の姿こそが、「『道を伝え』ることではないか」と思われます。そして「己を伝えず」。真の意味はいまだ計り知れないものの、「自分の考えを相手に独善的に押しつけようとしない」とか、「自分の名誉や欲望のためにけっして人を利用しない」と解釈されています。事実、ウィリアムズは一介の宣教師に過ぎない自分の名が記憶されることを徹底して拒み、日記や手紙の多くを燃やしまでしたとも言われています。
何もかもがうまくいかない。
世の中っつーか、まあ、俺が生きてる世界だけど。
この中では、俺は、本当に産業廃棄物なんだろうな。 <h3>o- *</h3>
モテたことも当然無い。 友達、いたのかなあ。 いたのかもしれないが、もう10年くらい友達というのはいない。
職場でも、常にバカにされる。 いやもちろんバカなんだけど。
「人間性が無い」 「なんで謝ることもしないの?」 「謝らなくていいから結果出せよ」 「普通出来るだろ、甘えるな」 「非常識だし、失礼だ」
分かってる。 迷惑をかけたら謝る。 謝ったら口だけと言われる。 なぜか?
謝ってもまた失敗するから。 メモもとって、手順を脳内でシュミレーションしてやるんだけど。 それでも間違える。
精神科行ったけど、異常なし、むしろ知能指数は高かった。 なぜだったら巧くできないんだろ。 <h3>o- *</h3>
ネットでも、空気が読めないらしい。 ネットでも空気が読めないということは、本当にダメなんだろう。
どのコミュニティでも巧くいかない。 できるだけ目立たないようにしてるんだけど、なぜかダメ。 多分根本的に頭がおかしいのかもしれない。 <h3>o- *</h3>
格闘技もやったが、巧くいかなかった。 格闘技自体はそこそこくらいのレベルだったんだけど、人つきあいがだめだった。
どうしても、練習で自分より弱い人達ばっかだったから、手を抜いていたら、それがよくなかったらしい。 <h3>o- *</h3>
俺個人は本当に何もできなくて、俺を慰める現実は無い。 ただ、ネットのオナニーのためのおかずだけは、いつでも優しい。
だけど、エロ漫画の子達は優しい。 エロげではモテるし、セックスさせてくれるし、優しくしてくれるし、俺のこと大好きみたい。 AV女優も俺のことかわいがってくれる。
文学とか、哲学もそこそこやるけど、やっぱり文学や哲学って、正しいんだけど、俺とは関係が無い。
ツルゲーネフの恋の描き方。 ドストエフスキーの変質的な主人公。 チェーホフの日常へのいつくしみ。
分かる。 分かるけど俺とは関係無い。 これもエロゲーと同じで、都合のいい妄想にすぎないのもわかっている。 <h3>o- *</h3>
仕事に向いてない人がほとんどで、皆それに会わせているのもわかる。
だけど、小中高大学とまったく楽しくなかった。 多分、皆、運動会とか、学校の友達と遊ぶとか、実験とか、なんか楽しいのあったんだろう。 それが、まったくなかった。
そもそも、人が好きじゃ無いというのが大きいんだと思う。
他人と付き合うのが、完全に仕方ないから渋々、という態度だった。
何度も何度も他人と付き合う方法を探した、技術だけはそこそこだけど、本質的に人が好きになれなかった。
人というか、ネコもかわいいというのが分からないし、犬も好きじゃ無い、動物を好きになったことはない。
中二っぽいけど、魚をさばいたり、肉をさばいたりするのは快感だとは思った。 ちゃんと生き物として生きているんだな俺も、という快感があった。 <h3>o- *</h3>
産廃なんだと思う。 DNAが間違うと奇形が生まれるように、俺も奇形だったんだと思う。
奇形は進化や環境の変化に淘汰されないために必要なのかもしれない。 そして、俺も必要な産業廃棄物の一つなのかもしれない。
生きる意味は、もう果たした、タダ単に変異の一つとして生まれただけ。
それが悪い方向に働いたから仕方が無い。
人間のフリして生きているだけなんだなと感じる。 <h3>o- *</h3>
昔、一回自殺未遂した。 未遂だったから生きてるんだけど。 それ以降は、現実が現実と思えない。
あそこで俺の人生は一回終わったんだけど。 じゃあ今というのは何だろう?というのがとらえきれない。
ふわふわしてて、生きているというのが不思議というか、何で生きてるのかがよく分からない。
生かされているだけなんだし、地球の中で、偶々こういう物質構成が存在しているだけで、あんまり意味はないんだけど。
じゃあ、なんで俺はまだ生きているんだろうとも思う。
生かされているんだけど、誰が生かしてくれているのかが分からない。
生きていることで、親が悲しまず、仕事先のお客さんのためになっているのかなと思う。
そう思うと、俺の使っている服もマウスもキーボードも、どこかの誰かが犠牲になっているのかなとも思う。
服を着る、オナニーをする、パソコンをする。 これが誰かの犠牲の上で成り立っている。
それを享受してもいいんだよってのが世の中だけど。
そのかわり、俺もその犠牲にならなきゃいけない。
そこから一人だけ逃げるのはズルイのかな。
ズルイかもしれないけど、過去の人達が積み上げて今がある。 今の人は過去の財産を引き継いで生きている。 <h3>o- *</h3>
緑の革命ってので、農業の生産効率が一気に上がって、農業従事者が極端に少なくても食物の生産がOKとなった。
パートで、週5日、1日4時間ほど働いて、だいたい月10万あるか無いか。 10万って数字は、社会保証をけずるためだろうね。
過去の財産を引き継いでいるはずが、ロボットが受け継いでくれる。
何もかもがうまくいかない。
世の中っつーか、まあ、俺が生きてる世界だけど。
この中では、俺は、本当に産業廃棄物なんだろうな。 <h3>o- *</h3>
モテたことも当然無い。 友達、いたのかなあ。 いたのかもしれないが、もう10年くらい友達というのはいない。
職場でも、常にバカにされる。 いやもちろんバカなんだけど。
「人間性が無い」 「なんで謝ることもしないの?」 「謝らなくていいから結果出せよ」 「普通出来るだろ、甘えるな」 「非常識だし、失礼だ」
分かってる。 迷惑をかけたら謝る。 謝ったら口だけと言われる。 なぜか?
謝ってもまた失敗するから。 メモもとって、手順を脳内でシュミレーションしてやるんだけど。 それでも間違える。
精神科行ったけど、異常なし、むしろ知能指数は高かった。 なぜだったら巧くできないんだろ。 <h3>o- *</h3>
ネットでも、空気が読めないらしい。 ネットでも空気が読めないということは、本当にダメなんだろう。
どのコミュニティでも巧くいかない。 できるだけ目立たないようにしてるんだけど、なぜかダメ。 多分根本的に頭がおかしいのかもしれない。 <h3>o- *</h3>
格闘技もやったが、巧くいかなかった。 格闘技自体はそこそこくらいのレベルだったんだけど、人つきあいがだめだった。
どうしても、練習で自分より弱い人達ばっかだったから、手を抜いていたら、それがよくなかったらしい。 <h3>o- *</h3>
俺個人は本当に何もできなくて、俺を慰める現実は無い。 ただ、ネットのオナニーのためのおかずだけは、いつでも優しい。
だけど、エロ漫画の子達は優しい。 エロげではモテるし、セックスさせてくれるし、優しくしてくれるし、俺のこと大好きみたい。 AV女優も俺のことかわいがってくれる。
文学とか、哲学もそこそこやるけど、やっぱり文学や哲学って、正しいんだけど、俺とは関係が無い。
ツルゲーネフの恋の描き方。 ドストエフスキーの変質的な主人公。 チェーホフの日常へのいつくしみ。
分かる。 分かるけど俺とは関係無い。 これもエロゲーと同じで、都合のいい妄想にすぎないのもわかっている。 <h3>o- *</h3>
仕事に向いてない人がほとんどで、皆それに会わせているのもわかる。
だけど、小中高大学とまったく楽しくなかった。 多分、皆、運動会とか、学校の友達と遊ぶとか、実験とか、なんか楽しいのあったんだろう。 それが、まったくなかった。
そもそも、人が好きじゃ無いというのが大きいんだと思う。
他人と付き合うのが、完全に仕方ないから渋々、という態度だった。
何度も何度も他人と付き合う方法を探した、技術だけはそこそこだけど、本質的に人が好きになれなかった。
人というか、ネコもかわいいというのが分からないし、犬も好きじゃ無い、動物を好きになったことはない。
中二っぽいけど、魚をさばいたり、肉をさばいたりするのは快感だとは思った。 ちゃんと生き物として生きているんだな俺も、という快感があった。 <h3>o- *</h3>
産廃なんだと思う。 DNAが間違うと奇形が生まれるように、俺も奇形だったんだと思う。
奇形は進化や環境の変化に淘汰されないために必要なのかもしれない。 そして、俺も必要な産業廃棄物の一つなのかもしれない。
生きる意味は、もう果たした、タダ単に変異の一つとして生まれただけ。
それが悪い方向に働いたから仕方が無い。
人間のフリして生きているだけなんだなと感じる。
でもそれは、お金には本質的には価値がないと言っているようなもの。
お金があることで、信用どうこうでなくお互いを信用できて通商できる。 物の価値は物を見る目が無いとダマされるけど、お金の価値は誤魔化しようが無いので、お金で取引すればよい。 となるから。
社会常識もこれと同じで。 時間を守ったりといったものを守ることで交渉できる。
② 社会性を叫ばれるとうざいのは何故?
社会人としての常識 などと言われると非常にいやな気分になる。 そんなもの本当には価値が無いというのは少し考えれば分かるから。
もちろん、心の問題では本質的には価値が無いけど、お互いが交渉するために必要だから身につけろ、というのは理解できる。
だけど、発言してる人が、『社会性がないヒトは軽蔑します』 のような感情や人間性を叩くような事を言うのが気に入らなくなる。
そんな根拠の無いものでヒトを判断するのはおかしいやん、と感じてしまうから。
逆に、それをやられてしまうと、 『あんた社会常識で俺を判断するけど、それをやってる時点で人間の心についてまともに考えたことが無いの丸出しやン。 なんでそんな人が人間性がどうこうっていうの? おかしいやろ』 となってしまう。
③ 本当の人間性
文学で、まあなんでもいいんだけど、主人公はたいてい社会性が無い。 ドストエフスキーでもチェーホフでもなんでもいいんだけど。
そういうのは社会性を余り問題にしていないというか、むしろ社会性でヒトを判断するのは危ないみたいな感じになっている。
国家に裏切られたヒトとかが、なんでだろう? と考えた末に、そういう考えになるんだろうと思う。
それをそのまま肯定してるのがたいていの文学のように思う。
と思うし、実際そうなってるようなので、だからこそ、『社会人としての常識が守れないのは人間性が無い、他人の事を考えられない自己中心だ 』 と言われると、 『あんたは心を学ぼうとしたのか? なぜ根拠も無いのに否定するの?』 となる。
今さっきトーマス・マンの「魔の山」を読もうと思って2ページくらい読んだんですが、ふと思い立って皆の知恵(というか経験?)を借りてみようと思った次第です。
とりあえず、今まで読んで面白かったのは
ヘミングウェイ「誰がために鐘はなる」
スタンダール「赤と黒」
チェーホフ「退屈な話」
等々
自分の分析では、「登場人物(一人称小説なら主人公の)の心理描写が丁寧で、ストレート」なものが好き。
で、「登場人物の考えがいまいちわからない」ものが苦手。たとえば、カフカ、カミュ、など(あくまで個人の趣味の問題で別にけなしてるわけではないです)
あと、どうも「あまりにも細かいことについて掘り下げる日本の小説」も苦手。「暗夜航路」がだめでした。(あくまで(以下略))
あ、ドストエフスキー、シェイクスピア、ホメロス、以外でお願いします。既読が多いので。新しい人とか作品が知りたいのです。
です。こんな私にお勧めありませんか?奇特な方、ご教授ください。作品名だけじゃなくて一言何かあるとさらにありがたいです。注文が多くてごめんなさい。
http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社
デリダ『グラマトロジーいについて』
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
メルヴィル『白鯨』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
ブランショ『文学空間』
日本文学
樋口一葉『にごりえ』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
志賀直哉『小僧の神様』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
横山利一『機械』
谷崎潤一郎『春琴抄』
川端康成『雪国』
太宰治『斜陽』
大岡昇平『俘虜記』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
坪内逍遥『小説神髄』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
保田與重郎『日本の橋』
吉本隆明『転向論』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ヴァレリー『精神の危機』
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店
デリダ『グラマトロジーいについて』
ベイトソン『精神と自然』新思策社
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
サルトル『嘔吐』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
二葉亭四迷『浮雲』
樋口一葉『にごりえ』
島崎藤村『破戒』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
谷崎潤一郎『春琴抄』
大岡昇平『俘虜記』
埴谷雄高『死霊』
安部公房『砂の女』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
花田清輝『復興期の精神』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。