はてなキーワード: 福沢諭吉とは
#竜馬とたけち#
身分制度に疑いを持たないため、将来彼を自分の手足として使うことを当然と考える武市と
そもそも身分制度に頓着がないため、純粋な友人として見ている竜馬の違いは大きいのう
#大村益次郎の知恵#
「竹竿台場も江川台場も役に立たぬ意味では同じです。画餅にすぎぬ。
もともと実現不可能なものを命じられているのであれば、幕府に差し出さねばならぬ図面や設計書もうんと立派なものにする。
図面さえ出しておけば幕府は安心し納得する。5~6年以上かかる大工事の計画書でなければいけません。
なに、心配入りません、3年待たずして必ず状況は変わります。程無く幕府も砲台設置は無意味と気づくでしょう。」
「吉田寅次郎はアホな人ですね。
天下の佐久間象山に就いておきながら、なぜ蘭学を学ばない、なぜ科学を収めようとしなかったのか!
蘭書を読み科学を学べばわざわざ命を捨ててアメリカに行く必要はない。」
あの船の動力室を見れば、西洋の合理主義もオランダの国力も手に取るようにわかる。
→多分これが可能なのは佐久間象山と大村益次郎のふたりだけで、
吉田は日本の中ではとても優秀ながら、これが出来なかった、というか普通できないから海外に行こうとした。
子供の頃から山鹿流を極めて、外国と合戦するという視点に囚われていたから
逆にそれをUnlearnするのはなみたいていのことじゃ難しいというのもあったと思う。
大村益次郎や福沢諭吉レベルの合理性というのは、なかなか難しい。
しかし吉田松陰は合理性の鬼ではないどころかその逆に非常に忠義や友情と言った人間的なものに強かったから
教育者としては短い人生で歴史に名を残すほどに多くの人に影響を与えているというのが面白い。
大阪には、庶民のためにここまで命を投げ出す人がおったんか、と何やら胸が熱うなったな。
それまでわしにとって大阪は出世前の足場に過ぎず、いずれ若い頃学んだ江戸に戻って一旗揚げるつもりやったんやが
何やしらん、大阪の町と底で暮らす人々が愛おしゅう思えてきてね
「この土地に骨をうずめるのも悪うないか」と思って、大阪で異形を開き、適塾をスタートさせることにしたっちゅうわけや。
アヘン戦争が最も愚かな戦争であれば、こちらは戦争と呼ぶのもおぞましいヤクザのゆすりたかり。
アヘンで荒廃した国を蹂躙し、さらに絞り足りぬといえに土足で入り込んで略奪放火までしていくとか。
勝利後の条約がまたひどくて、お前紳士の国とかそれ歴史の教科書見ながらいえんの?レベル。
(ただ、当時の補給線・調達や、兵隊の編成事情を見ても多少は納得する部分もある。
アングロサクソン系はもともとどうしようもない野蛮人であり、それをよく知っているからこそ
自分を律する啓蒙主義みたいなのも流行ったんだと考えると、今やたら紳士ぶってるのもわからんではない
特にロシアの領土拡大・不凍港獲得は、開国後の日本を威圧することに。
→アヘン戦争とか見てると、本当にこの当時のゲスでヤクザなイギリスを相手にしないためにも
鎖国というのは全く不合理ではなかったかも、と思えてくるから困る。
当時のイギリスのゲスさ強欲さ残忍さなどどれをとっても、松前商人をはるかに上回るレベル。(ただし頭も良いから余計たち悪い)
(日本が侵略されなかったのはこちらを食べつくすのに忙しかったからと、日本はそれほど旨みがなかったから、なんだろうか)
→にも関わらず、イギリスはなぜか日本に対しては国と国としての対応をシてくれている。(フェートン号事件をはじめ3件くらい海賊行為があったけど)
実際オランダと同じように、軍艦を一隻無料で寄贈してくれたりとよくわからない。
オランダやロシアとことを荒立てないみたいな駆け引きがあったんだろうか・・・なぜ他の国も辛抱強かったんだろうか、とかいまだによく分からない。
ラックスマン来航(大黒屋光太夫が同行)時に、幕府は慌てて直接蝦夷の国境警備を行おうとする。
さらに最上徳内・近藤重蔵らの調査により、北方警備の怠慢・アイヌ人虐待などの不祥事が明らかになり
松前藩は直轄領にされ、さらに翌年函館奉行の預りとなり、20年あまり藩を召し上げられることになった
※とはいっても、この間にアイヌ人は人口が2割以上減少するなど、それ以上に悲惨な境遇だった)
※今まで騒乱が起こったレザーノフ時も、ゴローニン事件(この時高田屋嘉兵衛がロシアに行く)も、どちらも幕府直轄時代の騒動。
その後返還がかなって34年経ち、去年ようやく松前城の新築が完成したばかりだったが
この松前城はいきなり時代遅れだったりしてどうしようもないので幕府が直接統治して国防拠点としようとする。
「樺太が日露雑居となり函館開港となれば待つ前には荷が重い」という理由で松前藩から土地没収)
(松前藩の言い分としては、幕府にしたって外国船上陸のさいにろくな対応ができていなかったし
そもそも松前藩が十分に対応出来なかったのは、対応の権限が松前藩にない上、情報すらよこさなかった幕府の怠慢が原因であるし、
今まで騒乱が起こったレザーノフ時も、ゴローニン事件(高田屋嘉兵衛)も、どちらも幕府直轄時代の騒動なのだが、そんな道理が通じる幕府ではない)
実際は、函館開港が大きな利権になること、その他蝦夷地に寄港する船舶からの租税徴収権などに目を付けられた形。
松前藩は領土返還、通行税回復を幕府に願い続けたがかなわず明治維新を迎える。
勤勉実直な父と、陽気な母の性格、さらにとびきりの好奇心を受け継ぐ?
(福沢諭吉の命名の所以は清国の法律書「上諭条例」から一文字とっている)
下士身分であったゆえ、身分の壁に悩む。諭吉も父を見て封建社会を憎むようになる。
父は諭吉が2歳になる前に病死。その後福沢一家は中津藩に戻るも福沢一家は言語・風習の違いから疎外されたりもする。
(父の死後も母が常に父の偉さを子供たちに話し続けたため、父の教えは強く受け継がれる)
幼い頃は、家事手伝いや内職をして過ごし、内職名人として有名に。
少年になってから親戚の中村家の養子に(跡継ぎが耐えないための保険にすぎず中村家に養ってもらったわけではない)
中津藩では儒学のみならず「鉄砲とそろばん」の教育にも力を入れていたため諭吉も儒学のみならず算術に大いに才能を発揮する。
子供の頃の諭吉の夢は「日本一のお金持ちになって好きなだけお金を使いたい」であった。
諭吉は西洋文明に出会う前からかなりの合理精神の持ち主であった。
14~15まで一切本を読んだことがなく、当時としては勉強を始めるのが非常に遅かったが
白石塾に入門した時身分制度の障害にぶちあたり、なにくそと死に物狂いで勉強。あっという間にトップに。
しかし能力で抜きん出ても認めぬ身分制度になおさら嫌気が刺していたところで、中津藩にも黒船来襲。
18の時に砲術訓練の名目で長崎行きを志願し、中津を離れ、長崎ではじめて蘭学に出会う。
クリミア戦争は兵站補給、爆薬、衛生学の3つで革命をもたらしたとされる。
ロシアはノーベルの父エマニエル=ノーベルにより機雷を発明したり戦力的には奮闘したが、
産業革命により鉄道輸送を実現したイギリス・フランスとくらべて長期戦において不利を取り敗れる。
アレクサンドル2世は、国家の経済を中世以来の農奴制に依存してきたため産業革命が遅れ
クリミア戦争の敗北を招いたことを大反省し、農奴解放例を打ち出す。
大改革の過渡期には様々な矛盾が一気に吹き出すもので、逆に一揆・反乱・独立運動が続々と起こり
それらの打開策のため皇帝は軍事力を強め、国外戦を起こすにいたり、大改革は、大混乱へと突入していく・・・。
(日本も時間の余裕さえあれば、こういうことを経験できただろうということもできるし
逆に時間の余裕がなかったために、ロシアのような悲惨な流血時間や長い内乱をある程度避けれたと考えるべきか)
現代の愛国心というのが観念的な薄っぺらいものであるのに対し、
間宮林蔵は、この時代の誰よりも日本全土を自分の目と足で実際に把握し抜いた。
さらにロシア船が日本沿岸を海賊のように荒らし回った時に、択捉島で直接砲火を浴びつつ応戦するという経験までした。
ここまでくると、日本という領土に敬意を示さず土足で日本に上がりこむ外国人に激しい怒りを燃やすようになった
(しかし、土地のありがたさを知らず軽んじる人たちにはそう感じなかったのかな?そこまで考えてたらきりないか)
#その他#
昔生きていた人たちが、この本の中では今も生きてる。そう感じられる。これはスゴイことですよ!(安彦良和)
子供の頃から「こういう漫画を誰か描いてくれないかなあ」と、本気でずっと思っていました。そうしたら、ズバリみなもと先生が描き始めて下さいました。「よし!」とばかりに読み始め、「こりゃなかなか終わらないだろうな嬉しいな読みでがあるなあ」と思っていたら、本当に終わらなくて、もうずっと読み続けられて嬉しいことこの上なしです。いつまでも描き続けてください。ちなみに、小学生の頃みなもと先生のキャラをソラで描けるのは、クラスで僕だけでした(京極夏彦)
@yukiko_kajikawa
「日本の繁栄も人柱の上にある。もし、天皇が17歳の娘を50万人も「からゆきさん」○春婦として売り飛ばしてなければ、兵器を買う金を政府は調達できなかった。戦後の復興もなかった!
こいつが言ってるソースっていうのはここ
http://alternativereport1.seesaa.net/article/111887599.html
http://anond.hatelabo.jp/20111226142435 から。read it laterに登録するためなんや。堪忍してくれ。
◆本屋でチェック
ビジネスマンのための「行動観察」入門 (講談社現代新書) - 松波 晴
日本基準とIFRSから考える 原則主義の会計力
受験脳の作り方―脳科学で考える効率的学習法 (新潮文庫) - 池谷 裕二;
上場ベンチャー企業の粉飾・不正会計、失敗事例から学ぶ―ケースブック - 門脇 徹雄
エスケープ・ベロシティ キャズムを埋める成長戦略 - ジェフリー・ムーア
ライフサイクル イノベーション 成熟市場+コモディティ化に効く 14のイノベーション - ジェフリー・ムーア
福沢諭吉 国を支えて国を頼らず - 北 康利
僕は君たちに武器を配りたい - 瀧本 哲史
ソドムの百二十日
死体泥棒 (星海社FICTIONS) - 唐辺 葉介
☆☆Venture Deals: Be Smarter Than Your Lawyer and Venture Capitalist - Dick Costolo
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◆子育て
子どもの話にどんな返事をしてますか? ―親がこう答えれば、子どもは自分で考えはじめる
10代の子をもつ親が知っておきたいこと
家庭のなかの対話―話しあえない父親のために (中公新書 (779)) - 伊藤 友宣
親業―子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方 - トマス ゴードン
経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには (中公新書)
ウィーン家族 - 中島 義道
☆「経験学習」入門 - 松尾 睦;
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◆英語
英会話ペラペラビジネス100 - ビジネスコミュニケーションを成功させる知的な大人の会話術 [CD2枚付] -
たったの72パターンでこんなに話せる英会話 (アスカカルチャー) - 味園 真紀
自分のことを英語で話すパーソナルワークブック (CD book) - 石津 奈々
1分間英語で自分のことを話してみる (CD付) - 浦島 久
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北村薫の創作表現講義―あなたを読む、わたしを書く (新潮選書) - 北村 薫
知識人とは何か (平凡社ライブラリー) - エドワード・W. サイード
宗教の創造力 (講談社学術文庫) - 荒木 美智雄
不完全性定理―数学的体系のあゆみ (ちくま学芸文庫) - 野崎 昭弘
The Mystery Method: How to Get Beautiful Women into Bed - Mystery
メタマジック・ゲーム―科学と芸術のジグソーパズル - ダグラス・R. ホフスタッター
社会契約論 (白水Uブックス) - ジャン ジャック ルソー
クリエイティブな習慣―右脳を鍛える32のエクササイズ - トワイラ サープ
99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書) - 竹内 薫
科学論の展開―科学と呼ばれているのは何なのか? - A.F.チャルマーズ
Loyalists - Peter Taylor
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◆暇があれば読みたい
ついこの店で買ってしまう理由
もっと儲かる全国手書きチラシ実例集
なぜこの店で買ってしまうのか ショッピングの科学
△外食の天才が教える発想の魔術
(バカ売れ販促アイデア)
創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書) - 輪島 裕介
新書で大学の教養科目をモノにする 政治学 (光文社新書) - 浅羽通明
Talking to Terrorists: Face to Face with the Enemy - Peter Taylor;
体系的に学ぶ 安全なWebアプリケーションの作り方 脆弱性が生まれる原理と対策の実践
要約 ケインズ 雇用と利子とお金の一般理論 - J・M・ケインズ
自由の条件I ハイエク全集 1-5 【新版】 - 個人主義と経済秩序 ハイエク全集 1-3 【新版】
資本主義と自由 (日経BPクラシックス) - ミルトン・フリードマン
羽月莉音の帝国 8
羽月莉音の帝国 9
武器としての決断思考
「パブリック」
もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書) - 菊池 誠
社会心理学 - 藤原 武弘
仕事の経済学
人事と組織の経済学
経験と教育 (講談社学術文庫)
組織の経済学
フィールドブック 学習する組織「5つの能力」 企業変革をチームで進める最強ツール
フィールドブック 学習する組織「10の変革課題」―なぜ全社改革は失敗するのか?
1932-37年――続・精神分析入門講義 終わりのある分析とない分析 (フロイト全集 第21巻)
現代フロイト読本 1
超実録裏話 ファミマガ 創刊26年目に明かされる制作秘話集
就活の神さま~自信のなかったボクを「納得内定」に導いた22の教え~
数量化革命
ザ・マーケティング―「顧客の時代」の成功戦略 - レジス マッケンナ
太陽のあくび (メディアワークス文庫)
「科学的思考」のレッスン―学校で教えてくれないサイエンス (NHK出版新書) -
☆報酬主義をこえて(叢書・ウニベルシタス 704)
☆中国化する日本 -日中「文明の衝突」一千年史
承認欲求―「認められたい」をどう活かすか? - 太田 肇
取材学―探求の技法 (中公新書 (410)) - 加藤 秀俊
単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜 - 小熊 英二
暇と退屈の倫理学 - 國分 功一郎
[新訳]南洲翁遺訓 - 松浦 光修
人間の限界 (岩波新書 青版) - 霜山 徳爾
☆まんが医学の歴史 - 茨木 保
社会学入門―“多元化する時代”をどう捉えるか (NHKブックス)
データはウソをつく―科学的な社会調査の方法 (ちくまプリマー新書) - 谷岡 一郎
『こころ』大人になれなかった先生 (理想の教室) - 石原 千秋
プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか? - メアリアン・ウルフ
小説の読み方~感想が語れる着眼点~ (PHP新書) - 平野 啓一郎
☆アート・オブ・コミュニティ ―「貢献したい気持ち」を繋げて成果を導くには
「分かりやすさ」の罠―アイロニカルな批評宣言 (ちくま新書) - 仲正 昌樹
経済学思考の技術 ― 論理・経済理論・データを使って考える - 飯田 泰之
この世で一番おもしろいミクロ経済学
歴史哲学講義 (上) (ワイド版岩波文庫 (225)) - ヘーゲル
情報の文明学 (中公文庫) - 梅棹 忠夫
考える技術・書く技術 (講談社現代新書 327) - 板坂 元
知性の磨きかた (PHP新書) - 林 望
神話の法則―ライターズ・ジャーニー (夢を語る技術シリーズ 5)
人蕩術皆伝―人蕩術とは人たらしの術である (致知選書)
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小説
白い雄鹿 - C.W. ニコル;
鯨捕りよ、語れ! - C.W. ニコル;
猫のゆりかご (ハヤカワ文庫 SF 353) - カート・ヴォネガット・ジュニア
☆バニラ A sweet partner (スーパーダッシュ文庫)
☆犬憑きさん 上巻 (スクウェア・エニックス・ノベルズ) - 唐辺 葉介;
塔の町、あたしたちの街 (ファミ通文庫 お 4-4-1) - 扇 智史
ふわふわの泉 (ファミ通文庫) - 野尻 抱介
歯みがきつくって億万長者―やさしくわかる経済の話 (チア・ブックス)
戦争を平和にかえる法
細雪 (中公文庫) - 谷崎 潤一郎
ペインティッド・バード (東欧の想像力) - イェジー コシンスキ
犬憑きさん 上巻 (スクウェア・エニックス・ノベルズ)
http://rocketnews24.com/?p=73487
マクドナルドの原価表が流出 / マックフライポテト14円など
このニュースがいまさらとりあげられ、地味に盛り上がっているけど
こういう時にあげられる「原価=材料費」という言葉の使い方だけはどうしても見過ごせない。
おそらくこれは「仕入れ原価」から「仕入れ」の意味合いがとれて言葉だけ一人歩きしたのでしょう。
(確かに簿記用語は福沢諭吉が翻訳した時代からほとんど変化せずに流通しているため、言葉のイメージと意味が巧くつながらないのが多々ある。借方、貸方とか、賃借対照表とかね。IFRS導入とともにP/LとB/Sになっていくのでしょうが)
本来の意味は仕入れ原価に加えて、人件費や管理費やもろもろの経費を商品毎に分配したものが原価
つまりここでは、重要な経費である「サービス」に当たる部分が完全に無視されている
材料費=原価と言う奴は(「原価厨」という言葉をつかってもいいが)
「サービスはタダだと思ってる」奴らなのだ。
店員に対して「お客様なんだから当然だろ」という態度で奴らは傍若無人な態度で振る舞う。
たとえコーヒー一杯でだべり続けても「俺は金を払った」というだろう
そして余計に人件費および管理費にコストのかかるような行動をとる。(個室の障子を破いたりね)そのしわ寄せは、当然店員に降りかかる。
医師免許を持っているけど臨床系ではない人ってそれなりにいるんじゃないかな?
製薬会社なら医師しかできない研究内容や実務もある。(やっぱり独占資格だからね)
実際は美容皮膚科で保険対象外で高価な処方箋がないと作れない有効成分濃度が高い基礎化粧品を出したり、
レーザーで脱毛したりシミ抜きしてたりするのは規則正しい生活(ほぼ9時5時)だと思う。
特に同じ意識の医師と共同経営でローテーション組めばかなり仕事は楽だと思う。
あとは公務員になるけどやはり保健所なんかだと所長になって、指導とかで臨床は保険師任せ。
福沢諭吉の「立国は私なり、公に非ざるなり」という言葉をおくります。
参考: http://blog.tatsuru.com/2010/10/11_1212.php (内田樹, 公共性と痩我慢について)
講演会:韓国併合100年 高橋・東大大学院教授、富山で /富山
◇「謝罪と補償」最初の一歩に
◇「南北分断、無関係でない」
韓国併合100年にちなんだ連続講座の一環として、哲学者の高橋哲哉・東大大学院教授の講演会「私たちの『戦後責任』とは?」が富山市で開かれた。
講座は市民グループ「コリア・プロジェクト@富山」が4月から開催し、先月27日の高橋教授が5回目。今回は日韓が真の信頼関係を築く方策を探るのが目的で、約110人が聴講した。
高橋教授はまず、北朝鮮の韓国砲撃事件について「朝鮮半島の南北分断は日本の植民地支配と無関係ではない」と指摘。砲撃後に朝鮮学校の授業料無償化適用手続きが停止されたことで、「通学する子どもたちへの差別を助長する」と政府を批判した。
更に、石川啄木が併合を憂いて詠んだ短歌と、逆に併合を喜ぶ小学生の作文などを紹介。「啄木は例外的で、ほとんどの日本人は小学生から福沢諭吉まで併合を歓迎していた」と述べた。その根底には当時の小学校で教えられた神功皇后の三韓征伐など、朝鮮支配を正当化する神話的な教育があったことなどを挙げた。
日本の朝鮮半島支配を巡っては、菅直人首相が今夏、反省とおわびを表明した。だが従軍慰安婦や強制連行問題など戦後補償に関しては、ほとんどの裁判で原告側が敗訴するなど解決していない。
高橋教授は、日本が何をしてきたのかを若い世代に伝え、みんなで責任を考える必要性をアピール。植民地支配を反省する世界的な流れを紹介し、「日本の(謝罪と補償という)最初の一歩をグローバルスタンダードにしよう」と呼びかけた。
◇
連続講座の最終回は、来月22日午後1時半、富山市湊入船町の県民共生センターサンフォルテ303で。「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳(は)せ、心に刻む会」の谷川透さんが「戦後補償 その全体像と解決への道」と題して話す。参加費1000円。詳細は、同会の堀江さん(090・5175・3756)。【青山郁子】
まだこんなのが生き残ってるってのが凄いよな。
人生の一発逆転という悲しい夢 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20101128 のエントリを見て。
自分は発展途上国の生まれではなく普通の日本人だが、スラム街からほぼ自宅勉強だけで有名大学に行って、
誰もが知っているような有名企業ではないがホワイトカラー的な仕事にありつけた経歴を持っている。
努力してたまたま上手くいったから悠長にこんな文章を書けるのだが、努力しなければ逆転の可能性は皆無なのは言うまでもない。
もちろん自分の能力だけではなく運による所が大きかった事まで否定する気はない。
逆転といっても大きな逆転ではなく、マイナス50からプラス10くらいになれた程度の事で最初からプラス30-50の立場にいる人に追いつけた訳じゃない。
前置きが長くなった。
スラム街っていうのはざっくりし過ぎた表現だけど、自分が育ったのは元記事の言葉を引用するなら「貧しくて学のない者たち」しかいない地域だった。
工場、零細土建屋、零細不動産屋、運送屋、場末のスナック、パチンコ屋、個人商店が地域の主力産業で、
地域住民は中卒高卒、たまにFランク大卒がいて作業服着用がデフォな人々で構成されていた。
そういう地域というのは宝くじもそうだが、酒、タバコ、漫画やゲームがよく売れて、サラ金、ギャンブル、外食、風俗、新興宗教、中古車屋、改造パーツ屋が儲かる。
ワークライフバランスが取れていて、ゆとりのある生活を送っている人は金を計画的に使うことができる。
しかし「学のない」「愚かで貧しく、現実に絶望している人」は精神的にも肉体的にも相当追い込まれるキツイ仕事をして少ない収入を得ているため、
出費の歯止めが利かない。わずかな収入を使ってでも現実逃避手段を確保しないと気が狂ってしまう。
例を挙げるなら、現実逃避手段を食事に設定している人は過食症気味になってブクブク太る。貧乏人ほど太るというのはこれである。
酒に設定している人はアル中になり、新興宗教に設定している人はそのままカルトな信者さんになる。
現実逃避手段の確保がうまくいかなかった人が家族殺し、一家心中、幼児虐待に走るのだろう。
そういうのが身近な世界にかつて身を置いていたためよく見える。
じゃあ、そういう世界から、抜けだしてまともな世界に行くにはどうしたらいいのか。
大学に行ったから将来の成功が約束される訳じゃないが、行かないとスタートラインに立てない。
大学に行くまでは自分と似たタイプと付き合うべし。多様な人間がいるから中学高校はいろんな人間がいる学校のがいいとか言い出す人がいるが、
中学高校の多様な人付き合いなんて社会人目線で見たら全然多様じゃない。
自分と似たタイプ、似た境遇の人間が集まる環境のほうが一生ものの友人が出来る。
生まれ育った環境がクソな場合、まわりにいる低学歴者や貧乏人が
「真面目に勉強する奴キモイ」「ガリ勉カッコ悪い」「勉強頑張ってもいい事無い」「金持ちが幸せになれるとは限らない」
と色々言ってくるが、大半は自分の境遇を正当化したいだけの言い訳なので聞くに値しない。ウザイなら付き合いを切ること。
実際、成功者を僻んだり成功者の人格批判をするくせに、成功者が足を踏み外して落ちぶれたら卑屈な笑顔を浮かべて喜ぶ輩が
「学のない」「愚かで貧しく、現実に絶望している人」のコミュニティにはかなり存在する。付き合うほど損だ。
どこの学校か、どこの地域に住んでいるか、どんな仕事をしているかでコミュニティのレベルは全く変わる。馬鹿しかいないコミュニティにいて賢くはなれない。
福沢諭吉を批判する訳じゃないが、実際問題、天は人の上にも人の下にも人を造っている。人間皆平等とほざくのは安全圏に身を置いている金持ちのみ。
自分の生まれ育った環境がクソすぎると思っているなら、その環境を捨てる事を前提に考える。家族がクソなら出来るだけ自宅から距離を置くこと。
感情を殺せとは言わないけど、逆境というのは不愉快な思いのオンパレードなので、日々一喜一憂せずに淡々と成すべき仕事に専念しましょう。
「学問のすゝめ」ってそういう内容だったのね。
俺みたいな成り上がり系キャラは特定の分野を重点強化してきた奴が多いからカバーしてこなかった分野(文化的教養とか)は弱いんだ。
余裕が出来てから苦手分野を補強します。
5月の株主総会で、東大出身の石塚邦雄氏(58)が社長に就任した。
前社長の中村胤夫氏が「人物本位で選んだ」のが、●●閥とは無縁の石塚氏だった。
●●大以外の出身者が社長になるのは、
http://ameblo.jp/baywing/entry-10172322626.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E7%A7%80%E6%A8%B9
なぜ明暗を分けたのか。カネボウに23年、キヤノンに10年。内側から見た企業文化。
http://www.shinchosha.co.jp/book/610153/
http://hiog.seesaa.net/article/22987579.html
p44.「●●閥」が露骨で、私の在職中の5人の社長は全員●●出身でした。
早稲田を作った大隈重信や同志社の新島襄などは一度も出てきません。
人事部が主導して●●出の社員の票集めが行われているほどでした
【衝撃の結末】カネボウ粉飾2000億円・旧経営陣を刑事告発へ 昨年までの監査は中央青山監査法人
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1113335562/
http://anond.hatelabo.jp/20101127140537
雇用の流動化が必要だというと、「人々の不安が増す」とか「モチベーションが下がって生産性が落ちる」いった批判がよくある。たしかに会社という繭にくるんで、すべての人をやさしく守ることができれば理想だろう。戦後の一時期には、それが実現したと錯覚された時代もあった。しかし残念ながら、もはやそういうユートピアは失われたのだ。
今われわれが直面しているのは、福沢諭吉以来の「個の自立」という問題である。『福翁自伝』などを読むと、100年以上前の本なのに不思議に単純明快でわかりやすい。本書は、その「新しさ」をハイエクなどオーストリア学派のリバタリアンに重ねて解釈したものだ(絶版)。
ハイエクは福沢の死んだ年に生まれたので、福沢が影響を受けるはずはないが、両者には共通点がある。それは若いとき、ヒュームやミルなどの古典的自由主義の影響を強く受けたことだ。そしてハイエクにとって社会主義との闘いが個人の自由への信頼を生んだように、福沢の場合も「門閥制度は親の敵」という儒教的秩序との闘いが生涯のテーマだった。
福沢以来、丸山眞男や大塚久雄に至るまで、個の自立は日本の知識人の見果てぬ夢だった。しかし今われわれの見ているのは、福沢が生涯をかけて闘った封建的秩序が自壊し、ゾンビ化した状態である。そこに出てきたのは自立した個人ではなく、帰属する集団を失って自殺する失業者と、家族にも見捨てられた「消えた老人」だ。雇用が流動化すると、こうしたストレスはさらに増えるだろう。
本書も指摘するように、福沢のいう「情愛」を排除して論理のみによって人々が結びつく社会は、彼のような強靱な知性の持ち主でなければ耐えられない。テイラーのような北米の人々が近代に築き上げた人工的コミュニティが崩壊して個人主義が強まることを危惧するのとは逆に、日本では近代以前から継承してきた「強い中間集団」が有効性を失う一方、人々は北米型の「強い個人」にはなれないのだ。
しかし福沢以外の道はあるのだろうか。北一輝は個人主義を超克する国家社会主義を提唱し、日本浪漫派は近代的自我を否定して「近代の超克」の道をさぐったが、それは破滅への道だった。戦後の日本的コーポラティズムの意外な成功は、欧米的な個人主義を経なくても繁栄できる「東アジアモデル」を示したように見えたが、それも幻想だった。
いま日本の陥っている袋小路を脱却する道は、おそらく福沢のいう「独立自尊」しかないだろう。われわれは市場経済によって得た富を捨てることができないからだ。そして組織を守ることによって個人を守るのではなく、古い組織を淘汰して社会によって個人を守るシステムに変えるしかない。福沢は、今なお新しいのである。
下手すると自殺しますよ。
http://d.hatena.ne.jp/unsui456/20100218見て夏目漱石が統合失調症であるという事を知り、
昔からなぜか病気になりたいと思っていた。多分中二病。私は特別なんだとかそういう。
思い返せば、病気(風邪)になれば母親から優しくされるからか、なんかの病気になりたかったのかもしれない。
もしくは小学生の時に隣に養護学校が隣接されており、養護児童との接点があった。
彼らは確かに見た目は奇異ではあるがゆえに、周りから優しくされて少し楽に生きているように子供の目には写ったのかもしれない。
始めから変人を目指す自分がいたのかもしれないが、その辺は定かではない。
そして最近人生がうまく行かない。自殺しようかとかよく考えていた。
病気になろうとしているのだからそうなるのは当たり前なのだっていうのは浅はかだと思う。
心の中では本当になろうとしている訳ではない。サボりたかっただけかもしれない。
ただ「私は病気かもしれないな」が重傷化して、発症してしまう思い込み病に近いものであると思う。
病は気からといいますが。
そしてやる気がいまいちでないのを自己診断で鬱だとかADHDだとかそういうものであると思っていたのだが、
最近世界とうまく行かないと思っていたら、統合失調症に近いものに陥っていることに気がついた。
今までの価値観(人間として大切な所)や大切なはずのものがどうでもよくなってくる。
この世界感の崩壊は体験した人間にしか分からないのかもしれないけど、
serial experiments lainの主人公の行動に共感が持ててしまいます。
ただ以前視聴した大分後にそう思ったわけで、私が影響されやすいだけなのかもしれません。
一番怖かったのは、自分の思っている事が相手に伝わってしまう「気がする」(※本人は100%伝わったと勘違いしている)という症状だ。
脳内で言葉(脳内音声)として文章化して物事を考えている場合にそれが人に丸聞こえになってしまう、と周囲の状況から判断してしまった。
まさにサトラレ状態。
それに気がつき(勘違いし)パニック障害に近いものも発症していた。
病気の状態を調べている最中にも、精神科の世界では便宜上「そういう気がする」に押さえて伝えておかなければ、
自分の意思を周囲にまき散らして迷惑をもたらすからだ、と思ってしまった。
そんなことが伝わるはずがなく、自分の思い違いである、という認知が狂ってしまうことで、
一旦これに陥ってしまうとなかなか抜け出せない。全ての事が思考が伝達した結果であると感じてしまう。
そうすると自分の思っている事がちょっとした考え事が何か大それた物であるとか、人にどう思われているかとか、
そういう事ばかり考えるようになって、その結果、幅広い視線で物事を考えられなくなったり、世間の人間が汚くみえてしまった。
ただ幸いにも人が助けてくれてるのかなという感覚はあった。
次にmatrixではないが、聖人君主の資格をもった救世主を探して周りの人が行動しているようにみえた。
そして人間は実は脳内音声が聞こえている生き物なんだと自分に理解させ、人間になるように諭される。
そして自分に少しでも救世主の資格がないと発覚すると、汚い人間性を持った俗人になるように誘惑され、
志のない一般市民への転落へと陥れようと画策しているかのように人間が見えた。
以下妄想垂れ流し。
統合失調症は根本的な思考方法パターンが異なっているだけの人種だのだと思う。
http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/fe5d47a4094d72a271d6de0c7980bc6aのようなSとN、みたいな。
でも実はこれは誰にでも備わっている能力であると思う。
今ではパニックを少し抱えつつ冷静に落ち着いて行動をしているけど、普通の自然体が言葉で思考する人種にとっては黙っておけというのは難しい。
(※黙っておけ=お前の脳内音声が聞こえるからうるさい、と言われている気がしていた)
音が気になる人は、別にそれは小さな音なのだから騒音として聞き流すか、音楽でもかけていれば気にならなくなるはずだろう?
仏教や禅の精神では心を無にするのが落ち着くと考える人がいる。特にそれが盛んな地域では、他者の生み出す意識の流入が嫌われる。
なのでそういう宗教の人は、統合失調症を発症した人間に対して「何か悩みがあるのだろう」と優しく語ってくれるのだが、
決して悩みがある訳ではなく単にそういう考え方の脳を使うスタイルであることを理解してもらいたい。
心を無にしても無の境地があるだけで、何にも新しいものは生まれてこないと思う。ただ生み出しやすくはなるけど。
誰もいわないけど、「心の声」や一種の「テレパシー」は存在するのではと考えている。
オカルト的なものではなく、脳からマイクロ波が飛び出し周囲に伝搬する「フレイ効果」というもので、
脳内音声は他人に聞こえるのではないかというのが私の見解。これが自我という奴なのか?それを知っているのが普通なの?
この事は大人の対応として誰も言ってくれないんだが、逆にこれを言うとオカルト扱いされるというレトリックもある。
「電磁波ハラスメント」というものも出てきているくらいに、人が密集した地帯では深刻なものになりうる。
脳内での受信部位であるミラーニューロンが発達した人々の間では耳障りな音がするらしい。
これは自閉症スペクトラムの中で自閉気味にある人間には、聞こえないか聞こえても無視できるくらいの音声、もしくは人間的な度量があるのかもしれない。
こういった自閉症のようなマイノリティーが病気として追いやられ自殺に追い込まれるという社会は終わりにしたい。
私の頭がおかしいのだけなら、そんなこと(脳内音声が伝わる事)はないと言ってもらいたい。
逆にそうでなければ自分がおかしい、病気だぞという方向におさえこまれる意味が分からないからだ。
こんな感じで、ちょっと冷静になってみると訳の分からない理論を勝手に唱えていました。
一旦統合失調症の発症に気がつくと、実は人間という存在は全てが脳の思い込み刷り込みの産物でしかない事に気がつく。
人類が作ってきた歴史や文化そのものが、特定の価値観があるんだよという刷り込み。
感受性豊になると世界がカラフルに見え、恋愛をすると世界が輝いてみえるように、世界は白黒で無価値なものに見えた。
よくありそうな自己啓発などではなりたい自分をイメージしなさいと言われる。このイメージする作業は、人によって脳内の言葉であったり映像であったりするだろう。
そして言葉や映像以外でも、同じように実は人間の5感は自分の意志で脳をコントロールする事ができるかもしれないと思っている。
音声はともかく、味覚や触覚や嗅覚や視覚を実際の入力とはかけ離れてコントロールできる。
ただ再現可能性がないということで科学にはなりえません。自分だけのものとしてうまく使いこなせるようになりたいですが。
スパイラルの底に陥って、どうしても幻聴は外部から攻撃されているんだという概念から離れられず、
自分でやっている事に気がつかないで苦しんでいる人もいるのかもしれないと思うが、
一般に普通とされる人間がそれらの幻覚を自ら進んで実行する脳コントロールをしてみる欲求はあると思うのだ。
ビジネスや自己啓発や美容で用いられる思い込みの力は、社会的にプラスに作用する方向に使うからいい。
これを自分の感じる感覚が無意味であるものとする方に作用していくと、精神的に荒廃した人間が出来上がる。
無意味であるとはどういう意味であるかというと、例えば痛覚。これを遮断するように脳に働きかけると、痛みを感じなくする事ができる。人間はヤバいときには、沈痛作用の脳内麻薬を分泌して本能的にそうやっている。
これをやっちゃうともう後には戻れない所にくる。私の予想では、後に戻るには赤ん坊か精子の時からと同じ道順をたどってこなければいけない。
ただ人にはそういう精神的な所に気がつかずに生活してきたベースとなるそれぞれのパーソナリティーはあるにしろ、
反社会性をもったパーソナリティーは排除されるように教育がなされている。
自分は連続殺人犯だとかの反社会的パーソナリティーの気持ちも別に分からない気はしない。
やっても得になる欲(興奮)が欠落しているのではなく、それを理性によって閉じ込めているだけかもしれない。
頭で考える事が出来たからといってすぐに犯罪に結びつく訳ではない。人間には理性がある。
行動しなければ何を考えても自由であるはずだ。少なくとも日本では内心の自由が保証されているのだし。
人間は一人で生きていく存在ではないとよく言われる。
これはまぎれもない事実であるかどうかは分からないが、社会のベースとなる考え方だと思う。
だからその考え方を元とすれば、どうやっていけば(障害者も含めた)社会全体がより良い物になっていくかを考える事が可能であると思う。
【橋下知事に直言】(上)「政治手法は『いじめ型』」 神戸女学院大教授、内田樹さん
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100204/lcl1002040807000-n1.htm
「学力」のとらえ方を間違えている。学力は文字通り「学ぶ力」であり、学びへの欲求が活発に動いているかどうか。テストの点はその一部にすぎない。
確かに良い事を言っているように聞こえるが、これは昔からよくあるインテリのごまかしである。学力がテストの点数だけでは測れないにしても、それと「テストで点数を取れなくても良い」というのでは話が別だ。
日本の現状を見てみよう。「テストの点数では測れない学ぶ力」がどれだけ進学に影響を与えているのか。最近ではAOなども増えてきたとはいえ、依然大多数のテストではその点数により選抜が行われている。そして、こうした競争を勝ち抜いた者たちの多くが、難関国家試験に合格したり一流企業に就職したりして高給を得ている一方で、偏差値の低い大学に進学した者はFランと馬鹿にされ、中学、高校までしか出ていない者は中卒、高卒としてバカにされる。「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と言った福沢諭吉の時代と同様、現代もテストによって評価される学力によってその本人の地位が規定されている。
「学ぶ力」が本来の学力ならば、「自主的に学ぶ姿勢」を重視した総合的な学習の時間がなぜ問題となったのか。それは日本人が「学ぶ力」の重要さを頭では知りながら、本当のところは豊かな生活をしたければ「テストで測られる点数」がなければどうしようもないということを理解しているからである。
すぐに数値で成果を求める姿勢は、ひと昔前に流行った成果主義、能力主義的発想であり、知事自身の成功体験から導かれたものだろうが、成功体験に固執すると他のさまざまな教育実践の方法に対して非寛容になる。いろんなタイプの子供がいて、いろんな能力の発現の仕方があるということを認識する必要がある。
こうしたタテマエが教育現場でまかり通り、社会の現状とはとかけ離れている状態こそが、橋下知事の指摘している問題なのではないか。
西洋における平等の概念は、決して「あらゆる人間は平等だ」という認識に立つのではない。人間は肉体的な条件はもとより、知能的にも情操的にも一人一人が違うのだし、それはごく当然のことである。こうした彼らにとっての平等とは「機会の平等」に他ならない。だからその平等は「優勝劣敗」という厳しい現実を前提としている。
ドイツでは比較的早い段階で進路が決定し、(いわゆる)勉強の得意なものはギムナジウムへ、不得意なものは専門学校へと進学する。そして自らの専門をじっくりと勉強し、自分の得意なことを身につけ、優勝劣敗の社会の中で生き残るためのスキルを身につけている。ドイツでマイスターが称賛される事情の裏には、こうした機会の平等に基づく優勝劣敗の原則と、そうした競争の中で名を上げてきた者に対する尊敬があるのである。
日本人はこうした教育制度を見て「一度落ちこぼれたら二度と戻って来られない制度」だと批難するが、本当にそうだろうか。社会の流動性が高く「一億総中流」と言われた時代は今は昔。所得格差は広がる一方で、政治家も二世三世が当たり前だし、医者の息子が病院を引き継ぐという話も珍しくない。このような状況で公教育が
という考えに走ったらどうなるか。金持ちは自費で子供により一層の勉強をさせ進学の機会を拡大させる一方で、経済的に苦しい家庭の子どもたちは、例え才能を持っていたとしても一生進学することはできなくなる。すると社会の流動性はより一層失われ、より一層の社会的格差を生む事になる。これこそ機会の平等の損失であり、本来的意味での不平等である。
現代の日本では、教育現場でタテマエとして身分も職業も超えた無差別平等が成立している。それにより全ての者が平等という原点からスタートし、努力さえすれば受験という競争を好成績で突破することが出来るようになっているという。すなわち「みんな平等なのだから受験勉強が出来無いヤツは努力が足りないだけなのだ」ということである。
ところが、現実には優勝劣敗という厳しい結果が待ち受けている。環境的にも肉体的にも異なったものを持って生まれてきた我々に、個人差がないはずはないからだ。そこで、タテマエとは逆に自由競争であるはずの受験に敗れたものは劣等者と見られ、その人たちは一段低く見られることになる。
そしてそれがまた、競争の激化を生む。こうして優越者たるインテリは現状を変える事なく偽善的に「競争」を批難し、劣等者は「平等」という正義の仮面を被ってお互いの足を引っ張りあう。ネットでは自分の方が多少でも有能であるということを確信したいばかりに、他人をFランとバカにし、こき下ろす。
色々なタイプの子供がいて、色々な能力の発現の仕方があるのならば、なぜ勉強の出来る子はもっと勉強をさせ、勉強の苦手な子供からは別の才能を伸ばしてあげるという教育が出来無いのだろうか。その為には、子どもたちを「みんな平等」だから「やればできる」と誤魔化し続けた挙句、就職活動で無残に放り出すのではなく、早い内から自分の才能を確認出来る場を与えることが必要なのではないか。その意味では、橋下が教育に対して言っていることは少なくとも評価出来ると思う。
しかし、内田さんがなぜ「いろんなタイプの子供」や「いろんな能力の発現の仕方」を認める一方で「学問に携わる」という能力だけは認ないのか、謎である。なるほど、全ての人間には等しく教育を受ける権利がある。しかし、義務教育を負えてもなお、大学まで行かなければ一国民としてきちんとした教育が受けられないというのであれば、それは教育制度の欠陥でしかない。中学や高校を卒業した後、専門知識をじっくりと習得していれば世界的なレベルになっていてもおかしくない若者たちの未来を、グダクダと学校に拘束し続けることで奪っているのである。「大学全入時代」が持つことの意味を、もう一度考えた方がいいのかもしれない。
「A美(大学生の俺の妹)が初デート早々彼氏に振られちゃったみたいで、ちょっと参っちゃってるのよ。今から気晴らしにどこか連れて行ってやってよ。軍資金出すから。」
「(福沢諭吉を受領しながら)たかが彼氏に振られたくらいで、心配性なこって。」
「はいはい分かった分かった。俺が振られた時はホカ弁だったのに。」
「何か言った?」
「いえ何も。」
「こういう時こそもっとろくでもない男にコロっと引っかかっちゃうものなのよ。ちゃんと監督しときなさい。」
「ふーん。それって実体験?」
「とりあえず吹っ切れるまでカラオケでもつきあってやんなさい。」
「痛い痛い痛い耳ちぎれるちぎれr」
「○○通りのケーキバイキング、あそこA美のお気に入りだから、そこ行きなさい。駐車場もあるし。」
「へいへいへい。A美ーメシ食いに行くぞー。」
「ふう、ごちそうさまあ。」
「ごちそうさまじゃねえよ。ティラミスだけで何個食ってるんだよ。」
「・・・6個?」
「食い過ぎ。太るぞ。」
「太りません。」
「酒もしこたま呑んでるし。両刀遣いにも程がある。」
「兄ちゃんも呑めばいいじゃん。」
「俺が呑んだら誰が車運転するんだよ。」
「うーおなかいっぱい・・・。」
「満足したんなら帰るぞ。」
「カラオケ。」
「は?」
「なんかカラオケ行きたい気分。」
「もう9時だぞ。」
「お母さんから軍資金もらってるんでしょ。」
「知ってんのかよ。」
「お母さんが言ってた。もうね、今日は1万円分気晴らしするから。」
「いらっしゃいませ。お客様二名様ですか?」
「はい。」
「ご利用時間はどうなさいますか?」
「とりあえず2時かn・・・。」
「おいこらちょっと待て。」
「こら~寝るな!」
「マイク持ったまま叫ぶな。つか何回残酷な天使のテーゼ歌えば気が済むんだよ。」
「気が済むまでに決まってんでしょ。はいリピート、と。」
「んー。」
「ざ~ん~こ~く~なてんじゃあ兄ちゃんも何か歌ってよ。」
「最初に歌っただろ。」
「嘉門達夫じゃなくて、もっと真面目な歌。」
「じゃあハリー・ベラフォンテのページ開いて。」
「誰それ。」
「真面目な歌を歌ってる人。」
http://www.youtube.com/watch?v=iMTNT_BzkdA
「ビートルジュースの曲じゃん!」
「よく知ってんな。はい!」
「てぃらいかんまんみわなご~ほ~」
「six hand, seven hand, eight hand, bunch!」
「てぃらいかんまんみわなご~ほ~」
「また呑んでるし。吐くぞ。つか車で吐いたら掃除一人でやれよな。」
「兄ちゃんに酔わされたって言うし。」
「てめえ。」
「あ~のど痛い。」
「酒呑みながらあんだけ叫べば当たり前だ。」
「ちょっと寝る。」
「寝るなら家に、って俺の膝を枕にすんな。」
「おやすみ~」
「顔の上にこれ(分厚いカラオケの曲目)乗せるぞ。」
「・・・吐く。」
「寝ろ。」
「もっとこう、さ、しっとりしたラブソングとか歌わないの?」
http://www.youtube.com/watch?v=_Met9KGlyeQ
「唇にぃ~、火の酒ぇ~(今のお前にそれは危険すぎるだろが)。」
「なんかビートルジュースとかデビルマンとかヤマトとか、そんなんばっかり。兄ちゃんの本気の曲聞きたい。いつもどんな曲で女の子口説いてんの?」
「ありがとぉ~ジェニ口説いてねえし。」
「じゃあリクエスト。うりゃ。」
「勝手に曲を止めんなこら。」
http://www.youtube.com/watch?v=YbW2zVfrIGw
「これ知ってる?」
「歌って~」
「よく知ってたなこれ。お前が幼稚園くらいの時の曲なんだけど。つか起きてるんならいい加減どいて欲しいんだけど。」
「・・・あいつより上手かも。」
「誰。」
「二股男。」
「・・・そいつ相当下手くそなのな。」
「・・・ねえ兄ちゃん。」
「何。」
「もう一回歌って。」
「はあ?」
「午前6時。」
「ん・・・。」
「ガチ寝してるし。PSPのバッテリ切れるし。ネームレス倒せないし。」
「兄ちゃんおんぶ~。」
「はいはい。」
「ほら後部座席で寝てろ。」
「ねえ。」
「何。」
「今夜は帰りたくない・・・。」
「・・・じゃあ俺んち来る?」
「・・・いいけど、何もしn」
「俺を口説いてどうするんだよ。」
「・・・ぷっ、ははっ、あははははっ。」
「笑いすぎ。」
「たっだいま~」
「ただいま。」
「不良息子と不良娘のご帰宅ね。腕まで組んで仲のよろしい事。」
「カラオケ行けと仰ったのはどこのどなたでしたっけ。あと風呂入りたいんだけど。」
「あははは一緒に入る~。」
「レディは旦那さん以外と一緒に入っちゃいけません。」
「じゃあ兄ちゃん旦那様にしちゃうふふふふ~。」
「お義母さん、娘さんを僕にくd痛い痛い痛い痛い笑顔でやめいだだだだ」
この文章は俺の遺書として残したいと思う。あくまでも、私のゲーマーとしてのアイデンティティを自ら葬り去った事を宣言するものである。間違っても生物学的な死を予告するものではない事を念のため宣言しておく。
買ってしまったわけだ。PS3を。もうダメだ。これを買わずしてゲーム好きを自称するのはもう不可能だ。そして先週、箱○を知人に譲り渡した。発売日に購入し、3度故障した歴戦の猛者ではあるが、さすがにそんな物に金を取るわけにもいかず、ソフトのみを1本500円で5本分買い取ってもらった。残る22本はタダでもいいと言ったのだが断られたのでゲオに売ってきた。俺の約4年の歴史は、たった一人の福沢諭吉と数人の野口英世になって帰ってきた。
そしてMGS4、龍が如く(見参と3)、白騎士物語、グランツーリスモ、アンチャーテッド(旧作の方)、ガンダム戦記、デモンズソウル、キルゾーン2、戦場のヴァルキュリア、PS3版のTOVをまとめて買ってきた。アンチャーテッドとデモンズソウルをやりながら涙が出た。何度も何度もつぶやいた。「どうして箱○で出なかったんだ」と。
俺たちは特別な存在のはずだった。隠れたエリートであるはずだった。いずれ日本でも広まるであろう箱○をいち早く入手している、慧眼の持ち主として大衆を導く存在になるはずだった。2007年から昨年末にかけてそんな気運は確実に高まっていた。アイマスも出た。エースコンバット6も出た。塊魂も出た。RPGだって、ロスオデも出た。TOVも出た。インアンも出た。ラスレムも出た。SO4も発表された。WiiPS3何する物ぞ!そんな声はあちこちで聞かれていたんだ。
しかし、しかしだ。今はどうだ?最後に週販1万台を越えたのはいつだった?思い出せない。思い出せない。週販3~4,000台が続き、引退しかかってるPS2に追い抜かれるのを戦々恐々としていた日々すら過去のことになってしまった。もう、面白いソフトが一杯あるんだからそれでいいじゃないか、これからもそんなソフトがきっと供給されるから問題無いさ。自分自身に言い聞かせ続け、卑屈になっている事すら自覚できないまま、時間だけがズルズルと過ぎ去っていった。
そして今年の春、TOVがPS3にも出るという衝撃情報がネットを駆け巡る。一連のRPG連続発売の中で、TOVだけは自信を持って人に勧められる出来だったのに。そして新情報が出てくる度に力が抜けていった。様々な情報から、「PS3版=箱○版+α」ではなく「箱○版=PS3版-α」だという事を思い知った。「ああ箱○版は、それを楽しんだ俺達は、PS3版のための踏み台だったんだな…」。そしてSO4もインターナショナル版が発表。アルトネリコ3まで出るらしい。「面白いソフトはこれからも出続ける」という希望も打ち砕かれた。
MGS4はいつまで経っても箱○で出ないし、龍が如くシリーズも実質PS3独占状態。箱○版FF13も結局日本でだけ発売されずじまい。最近は新作発売予定を見るのも苦痛になってきた。最後の希望だった東京ゲームショーでも新作情報ゼロ。ぶっちゃけ洋ゲー専用機。しかも殆どがPS3とのマルチ。一体どうしろと。俺ら日本のファンにどうやって箱○を応援しろと?こないだ1万円も値下げしたんだぜ?アーケードは19,800円。DSiと900円しか違わないんだぜ?エリートは3万円。PS3と殆ど同じ値段だぜ?畜生買えよお前ら。どうして買わないんだよ。くそが。死ね。誰というわけではないがとにかく死ね。俺も死ね。
まるでインパール作戦だ。俺たちはその最前線に放り込まれた兵士達だ。補給はとっくに途絶え、手持ちのラインナップだけで戦い続けろと命令されたに等しい。対するPS3は補給は十分だ。多くは箱○版も出るマルチプラットホームタイトルだが、日本では実質PS3独占と大して変わらない。そして正真正銘の「PS3独占タイトル」も増え始めた。クリスマスシーズンにFF13。SO4は年明けて2月、GT5も来春らしい。龍が如く4、ゴッドオブウォー3やFF14だってその頃に発売日くらいは決定してるだろう。他にも何か色々と新作やシリーズ物の続編が出ようとしている。それはまるで、一昨年から昨年にかけて箱○が仕掛けた大攻勢さながらだ。しかし俺たちにはなすすべがない。周囲がPS3を買っていくのを、かつての同志達がPS3に寝返っていくのを、我々は指をくわえて見ているしかないんだ。そんな中、逆立ちしたって「箱○の方が面白いよ!」とは言えない。言えるはずがない。もういやだ。知るか。ばーかばーか。
高校の頃、学部について相談した時に「経済学は役に立たない」と散々聞かされた覚えがある。
大学生になってミクロ経済学を勉強するようになった。大学でよく聞かされるのが「実学=役に立つ学問ではない」ということだ
「有形において数理学(理論と実証)と,無形において独立心と」と実学は表現されている。
これを最近よく考えていて、実は封建社会へのアンチテーゼと実学というのは両輪の輪にあるんじゃないか?ということに思い至った。
例えば少なくとも1に1つ加えたものが2であり、それに1つ加えたものが3である限り、1+1=2であり、3+3=6である。
これは誰にも否定できないものだ。これは前提と論理が正しければ結論も正しいというある意味当たり前のことだ。この事実は誰にとっても公平だ。
その点において実学は、人に左右されず修めることができる。それは実学が論理的に人にある情報を強制的に与えるものだからだ。ある前提を認める限り必ず認めなければいけない結論というのは、直感的におかしいと感じてもそれを乗り越える力を持つ。
その点、非実学(福沢諭吉は朱子学を挙げていた)に関してはどうだろう? 例を分かりやすく、「老子」にとってみる。
「道の道とすべきは常の道に非ず(道可道、非常道)」という言葉がある。これはよくありがたがれる言葉だと思うが、これは多様な解釈が許されるものだ。この難解さ、解釈の多様性こそが老子の醍醐味であろうし、年月がいくら経っても評価される理由だと思う。
しかしこの非実学というのは非常に大きな問題を孕んでいる。それは、非実学から得るものが人によって大きく左右されるという側面だ。
例えば坂本竜馬が西郷隆盛を評して「大きく打てば大きく鳴り、小さく打てば小さく鳴る」と言ったらしいが、これこそがまさに非実学の本質ではないか。つまり、非実学というのはそれを受容する人によって内容が大きく変わるということだ。
これはつまり、いくら学問を修めたとしても、自分自身の内面が優れていなければ、「非実学においては意味がない」ということだ。
このような非実学の曖昧さ、内面性というのは非常に封建的であり階級的だ。なぜなら、非実学はその人間を直接変革するような力にはならないからだ。むしろこれは、人の固有の内面を固定化し、変革を妨げるような意味しかない。人は自分が解釈しやすいように解釈をするし、都合のいいよう物事を受け取ることになる。これは商人は商人らしく、農民は農民らしく、武士は武士らしく、という発想を補助するものに他ならない。
そういう点で、非実学というのは格差を固定化し、社会を保守的に動かしていく力なんじゃないだろうか?
このような非実学というのは今の時代において溢れていると思う。極端に言ってしまえば、このような非実学というのは「権威のある諺のようなもの」にである。情報を取捨選択ができ、またしっかりとした資料が要求されないインターネットとはまさに非実学の温床ではないだろうか?このようなインターネットの普及においては、人は自分の身の丈にあった情報だけを受け取り、ほかのものを無視していく。この中で、例えば人は派遣なら派遣らしく、官僚なら官僚らしく、主婦ならば主婦らしくなっていくのではないか。
Mr.マリックが去年「学校へ行こう」というバラエティー番組で記憶術を披露していました。いつもの超魔術と銘打ってはいたものの、要は覚え方のコツというかノウハウでした。
おもしろそうだったので実際に自分で試してみたところ、これが非常に効果的だったのです。これは仕事でも使えると試行錯誤を繰り返し、仕事への応用方法を自分なりに確立できたので紹介します。
といっても万能の方法ではありません。それなりの努力も必要ですし、効果も限定的です。しかし、非常に高い「確実性」を誇るのがポイントです。
下準備として、自分の体の部位にあらかじめ番号をふっておきます。
例えば
1:頭頂部
2:おでこ
3:右目
4:左目
5:右耳
6:左耳
7:鼻
8:口
9:アゴ
10:首
といった具合です。
よかったら試しに1~10までの割り振りを覚えて下さい。割り振りっていうか順番ですね。基本的に上から下へ、右から左へという法則なのですぐに覚えられると思います。
頭頂部から首まで順番に手で触りながら覚えるとあっという間です。
覚えるべき事柄と体の部位とを組み合わせたイメージで覚える。この時、出来るだけ痛かったり悲惨だったりするイメージをつくり出すのがポイント。
試しに日本国憲法の章立てを覚えてみましょう。
1:(天皇)天皇陛下が笑顔であなたの頭頂部にかかと落としして頭頂部がめり込んで血がブシュー!
2:(戦争の放棄)戦争の放棄→太平洋戦争→日本兵な連想。日本兵があなたのおでこに銃剣を突き立てて血がドバー!
3:(国民の権利および義務)国民の権利といえばやっぱり選挙権でしょう。選挙に浮かれるあまり、うっかり投票用紙の角が右目にささったイメージで。紙で指をすっと切ったら痛いですよね。ちゃんと自分の右目をイメージしてリアルに想像してください。あれで切れたのが指じゃなくてあなたの右の眼球だったらと思うとイテテテテテ!
4:(国会)国会議事堂の特徴的なシルエットは誰でもすぐに思い浮かびます。国会議事堂のあのとんがっている部分が左目にぐっさりささって目が潰れてアワワ!左目めがけて凄い勢いで突き刺さってくる国会議事堂!もちろんすさまじい衝撃で頭から後ろに吹っ飛びます。その衝撃を左目に可能な限りリアルに感じて!
5:(内閣)内閣といえば総理大臣。麻生さんがあのひんまがった口から舌をちろちろ出してあなたの右耳をなめ回します。右耳に至近距離というか密着して聞こえてくるびちょびちょという音と生暖かさとくすぐったさをリアルに想像して!
6:(司法)司法といえば裁判官。裁判官が「静粛に!」とかドラマでやっているあのコンコンやる木槌を力一杯握りしめて、何をやるかと思ったらあなたの左耳めがけてフルスイング!すさまじい衝撃!鼓膜ポーン!血がブシュー!
7:(財政)財政といえば一万円札のイメージで。福沢諭吉があなたの鼻の穴に指をかけてあの1万円札の表情をまったく変えずに鼻フック攻撃
8:(地方自治)地方自治といえば今は橋下大阪府知事でしょう。橋下知事がラグビー経験を生かしてあなたの口めがけて頭からタックル!あなたの歯はボロボロに折れたけど、橋下知事の頭にも折れた歯が刺さって血だらけでえらいことに!
9:(改正)改正ってイメージしにくいので、ひっくりかえして「セイカイ」で。ちょっと苦しいけど細かいことは気にしないのがポイント。児玉清が「正解!」って言いながらクールに素早い膝蹴りをあごにぶち込んでくる。アゴがこなごなに砕けてあなたがぐにゃんと反り返りながら吹っ飛ぶ様子まで想像しましょう。
10:(最高法規)日本の最高峰富士山の樹海で首吊り自殺。サイコーホーとサイコーホーキ。いや、オヤジギャグとしてはレベル高い方だと思いますよ。澄み渡った空に浮かびあがる富士山と、その下に広がる薄暗い樹海で今まさに首を吊るあなた!首にロープがぐいぐい食い込んできます。思わず助けを呼ぼうとしますが、声は出ません!く、苦しい!!
この文章を1回読んだだけで10章までの章立てを覚えてしまった人も少なくないと思います。
では、さっそく試してみましょう!
1:頭頂部は何だっけ?ですぐに思い出しません?
2:おでこがどうなったんですっけ?
3:右目がすんごい痛いことになっていましたよね?
4:左目も痛くってほら!何が突き刺さったんですっけ?
5:右耳は気色悪いことになってましたよね?
6:左耳には理不尽な攻撃が加えられていましたよね?
7:鼻の穴にあんなことをするのがあの人ってことは?
8:口がえらいことになってましたよね?
9:あごという人体の急所に強烈な攻撃が!
10:首をどうしたんでしたっけ?
ね!?覚えていたでしょ?
今度は試しに、何も見ないで頭頂部から首まで順番に自分で思い出していってみてください。
どうでした?
もしかしたら1回目は詰まっちゃったかもしれませんが、少なくとも2回目はほとんどの方が全部思い出せたと思います。
漫然と「体の部位と結びつけてイメージして」という記憶法はよく見かけますが、少なくとも私はそれでは覚えられませんでした。ところが、マリックの場合は「悲劇的」という言い方をしていたと思いますが、要は「体の部位の痛み」と結びつけると不思議とくっきりとイメージできて、とにかく忘れにくいのです。
ヒッチコックの怖い映画を見たときの感覚って、その場面のほんの一部をちらっと思い出しただけであのゾクゾクする感覚まで鮮明に蘇って来るじゃないですか。痛い!とか怖い!という感覚はすごく原始的な感覚ゆえなのか、強烈に記憶に刻み込まれるのだと思います。
そして、簡単には忘れないし、どんな状況でも確実に思い出せるのがポイントです。
試しに、先ほど覚えた日本国憲法の章立てを、明日の朝起きてすぐに思い出そうとしてみてください。自分でもびっくりするぐらいすらすらと思い出せますから。
この覚え方のノウハウだけでも十分にびっくりしますが、本当の問題はこれを実際の仕事や生活にどう生かすかです。
マリック式記憶術はMr.マリックがこれまでテレビ番組で何度も紹介してきたので、覚え方のノウハウ自体を知っている人がけっこう多いと思います。しかし、これまでずっと単なる余興扱いされてきたようです。たしかに、応用できる場面が非常に限定されているのでそれも仕方ないとは思いますが、実際の仕事に使えないわけではないですし、場合によっては非常に強力な武器になります。
一定の期間は絶対に思い出せるという「確実性」
に尽きます。「痛み」という根源的な感覚を利用している故か、本当にどんな状況でも思い出せるのです。実際に試してみた人は分かると思いますが、まさに体に刻みつけられる感じです。
もちろん弱点もあります。最大の弱点は、
ということです。
Mr.マリックがテレビでこの記憶術を披露する際は「3分以内に被験者全員が15のキーワードの羅列を覚える」という実験をやることが多いようです。その際に、被験者に対してすべてのキーワードについての「痛い」イメージをマリックが提示するのがいつものパターンです。日本国憲法の章立てを覚えた方なら、確かにそれなら15のキーワードを3分で覚えるのは簡単なことだと思うでしょう。
ここにちょっとしたトリックがあるわけです。良くできた「痛い」イメージを自分で一から考えていたら、けっこうな時間がかかってしまうのです。もちろん慣れてくると3分で15個分イメージを考えて覚えるところまで可能ですが、マリック式記憶術を体験するのが初めてという被験者には無理でしょう。それを、マリックから被験者に対して良くできた「痛い」イメージを提示してしまうことで初心者でも3分以内で15個というスピードを可能にしているのです。
私はマリック式記憶術にスピードを求めるのは見当違いだと思っています。より「痛い」イメージをしっかりとつくるために、ある程度時間がかかるのは仕方がないことです。しかし、よく出来た「痛い」イメージがいかにくっきりと体に刻みつけられるかは、日本国憲法の章立てを覚えた人には分かってもらえると思います。
他にも弱点があります。最大で40程度のキーワードが限界です。そして、あまりにも強烈に刻みつけられるがゆえに、キーワードのセットを短い期間で次々と切り替えるのは難しいといった問題があります。私の場合は少なくとも1週間は経たないと前に刻みつけたキーワードを引きずります。
ということで、マリック式記憶術のポイントはとにかく高い確実性なのです。
では、どうやって仕事に生かすか?
実は、Mr.マリックは自分自身が本当にマジックショーの仕事に使っているノウハウを披露したのだと思うのです。
* お客さんを前にして極度に緊張せざるをえない状況
* 手順をひとつ忘れてしまったり前後してしまうだけで失敗してしまうマジックショー
* 手順を書いたカンニングペーパーを見るわけにはいかない状況
ね!?この状況でマリック式記憶術こそが威力を発揮するのは分かりますよね。
人前で何も見ずにしゃべった経験のある人は分かると思いますが、しっかりと覚えたはずの記憶でも、緊張によって「真っ白」になってしまうものです。私も昔お笑いをやっていたので何度も経験があります。
ポイントになるのが、往々にして忘れるのは「内容そのもの」ではなくて、「手順」だということです。「内容そのもの」については自分で一生懸命考えるのが普通ですから、ある程度は覚えていて当たり前なのです。ただし、「手順」については、例えばAという結論を言う前にBというエピソードをひとつ挟んだ方が効果的みたいなことについては、後から色々と作戦を練って考えたものだったり、色々な都合で仕方なくそうなったものだったりして、もちろん自分で考えた手順なんだけど、必ずしも自分の自然な感覚に沿ったものでは無かったりします。だから、忘れるのです。
だから、Bという内容そのものは覚えているんだけど、「Aという内容の次に話すべき内容はBである」という手順の方だけをいわゆるど忘れしてしまって、ワケの分からない状態になって、冷や汗ばかりが吹き出して、口ごもるばかりで…なんてことになってしまうわけです。
例えばこれが「工場見学の案内」みたいな仕事だったら、歩いていく順路に従って説明するしかないわけで、ド忘れのしようがありません。
対して、ステージの上に自分が主役として立っていて、「すべての手順を自分がコントロール出来てしまう=しなければならない」という状況においては、自分が事前の準備で練り上げた手順というものが、ある意味で足かせとなって「頭真っ白」という状況を生み出すのです。
この頭真っ白になる可能性は、鍛錬によって確率を下げることは出来ても、ゼロにすることは難しいです。いつも決まった会場や状況だったりしたら、あるいは何とかなりそうな気もしますが、普通は会場や状況は毎回変わるわけで、人間の鍛錬=パターンの刷り込みはそうした変化に弱いものです。
ところが、マリック式記憶術なら、あれ?何だっけとなった場合でも、まさに自分の体がカンニングペーパーになったような感覚で「手順」を思い出すことができるのです。「右耳の次は左耳だから…」と落ち着いて思い出せば、そういえばそうだったと思い出すことができるのです。
ということで、マリック式記憶術が威力を発揮する場面を整理すると
* 準備にある程度時間をかけられる状況
* 紙資料などを手元に持てない場面
といったところです。
私の仕事は人前でプレゼンする機会がけっこうあって、ここ一番の時にはマリック式記憶術を使っています。プレゼンの際にパワーポイントや紙資料が手元にあれば、手順はパワーポイントや紙資料を見ればいいわけですが、本当に勝負をかけているプレゼンの時には、私は手元に何の資料も持たずにプレゼンにのぞむようにしているのです。
非常に大変ですが、こちらの誠意はめちゃめちゃ伝わるので、大きな成果を上げてきました。
また、職場の朝礼や飲み会の挨拶などで、ちょっと気の利いた論理展開をしようとする時にも便利です。せいぜい5つくらいの項目で展開するわけですが、普通にやっているとこれがけっこう忘れてしまうんですよね。
結婚式でのスピーチなど、紙を持ってもおかしくはない状況でも、マリック式記憶術を駆使して何も持たずにさらりとこなせると、出来る奴と思われること請け合いです。
ということで、実は普通に働いている分にはマリック式記憶術が活躍する機会ってめちゃめちゃ少ないです(笑)
正直、そりゃそうです。毎回毎回覚え込んでプレゼンなんてやってられません。
でも、ごくたまにしかない機会だからこそ、いざめぐってくると猛烈にプレッシャーを感じて、何かすがるものが欲しくなるものです。そして、何時間も何時間もかけて覚えたところで、頭が真っ白になる恐怖は結局無くなりません。
でも、マリック式記憶術を知っていると、とにかく「痛い」イメージを練り上げて、その「痛み」を何回か繰り返しイメージするという明確な「やるべきこと」が見えるというのが大きいです。自分なりのゴールを設定できるので、私は非常に精神的に楽になりました。結果的に非常にリラックスしてそういう場に臨むことができるようになると思います。
ということで私なりの具体的なやり方です。
1. プレゼンする全体を内容によっていくつかの項目に分ける。
2. 分けたそれぞれの項目にタイトルというかキーワードをつける。
3. そのキーワードと体の部位とを「痛い」イメージで結びつけていく。
4. 何回かリハーサルをして自信をつける。
5. 本番
といった感じです。
マリック式記憶術の副産物として、プレゼンの内容とそれぞれの項目の意味合いについて自分なりにあらためて考えることができるというのがけっこうデカイです。逆に言うと、本当に勝負をかけるプレゼンだったら、資料を見ながらやる場合でも、2のキーワード付けの段階まではやっておいて損は無いと思います。
細かいテクニックとしては、私は体の下の方から優先的に貼り付けていくようにしています。というのも、人間は何かを必死で思い出そうとすると上を向いてしまうもので、そんなとき、体の下の方の部位と結びつけておけば、上目遣いを中和できるからです。ということで、私はたいてい右足の裏で何かを踏んづけてしまうイメージから始まって、肛門に何かが突き刺さるイメージくらいで終わりになることが多いです(笑)
そして、内容自体は自分で地道に一生懸命覚えるしかないです。というか、自分で覚えられない程度のインパクトのない内容だったら伝える価値が無いと思って、その内容自体を練り直した方がいいと思います。
あくまで「手順」を「確実に」覚えられることにマリック式記憶術の意味があるのです。そして、その「手順」を「確実に」覚えられることの価値がいかに大きいかは、人前で何も見ずにプレゼンした経験の多い人ほど分かってもらえると思います。