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はてなキーワード: 通俗的とは

2023-11-21

世俗って言葉神聖とかそういう概念対置されるものだと思ってる。聖書解釈とか信仰問題とかそういう宗教的ものに対して、社会問題や日々の労働、娯楽だとかいった実生活問題を包括する言葉。それこそバッハの曲が宗教楽曲世俗曲に大別されるみたいに。

でも世俗って言葉低俗だとか通俗的みたいなニュアンスで使う人が割といる気がする。「低俗」の筆頭たる酒ギャンブルセックス的なものをまとめるような言葉として、「高尚」だったり「生産的」だったり「有意義」なものの反対の概念として。

そんでそこには芸術学問を高尚とするようなスノビズムだったり、労働を善とする拝金思想だったり共同体主義とかがあって、「世俗的」なものとの間に優劣があるかのようなニュアンスを強めに感じる。

世俗って言葉で括るなら、ストゼロがぶ飲みするのもソープ行くのも大学研究するのも美術を嗜むのも刺客勉強するのも全部世俗的じゃねって思う。

もちろん文脈に応じた使い分けみたいなのはあるんだろうけど、その手の使い方をする人って例えば聖俗一致みたいな言葉ニュアンス掴めるんだろうかって思う。

実際おれも、宗教というものいまいち理解してなかった時はピンと来なかった。

宗教が、居やしない神様をダシに金を毟り取られるバカの盲信ではなく、謎や不条理に対して「正解」を用意してしまって納得を得るためのものであること。自然法則については科学がより蓋然性の高い推測を導くようになって神様の出番は無くなったけど、人間存在不条理規範についてそうはいかないみたいな、そういう……

2023-06-20

colonoecolonoe平然と「ジャップ」という言葉を使う人間が「教養が無い」か。本当に教養が無い人物自分教養が無いことを知らないんだろうな

罵倒にひどい言葉を使ったら教養がない判定。通俗的に使われてるけど不思議だな。

教養があるからひどい言葉が使えるわけで。

少なくとも語彙はあるよね。語彙がなければ罵倒は「アホバカマヌケ」とかになっちゃう。

そして言葉相手にもたらす影響もわかってるからジャップという言葉を使っているわけで心や精神といった方面にも造詣が多少なりともあるわけだ。

まあここらの教養品位とかをさすんだろうけど、でもやっぱりそれを図れる価値観のものさしを持ってるから貶めることができるわけで。

インコオウムジャップジャップとわめいてもダメージはない。

底辺の学もなにもない人間ジャップジャップとわめいてもダメージはない。

最低限相手に読ませる文章を書いて恣意的ジャップというワードを選んで多数の反応を呼び起こせる内容を書ける人間からダメージ(反発)を生み出せる。

こういう指摘をする人とどちらが教養がありそうかというと…印象だけど、罵倒できる人間には比較的ありそうで「本当に教養が無い人物自分教養が無いことを知らないんだろうな」なんて書いちゃう人間には比較的なさそうになっちゃうんだよな。不思議なもんだ。

2023-02-11

徳川家康経営者の憧れとかキモいわー

今や経営者の多くがサラリーマン社長ということを踏まえれば、

我慢我慢を重ねて、最後に笑った人」

という家康通俗的イメージに憧れるのはわかるが、キモいものキモい

なんつーか、島耕作団塊ジジイ向けファンタジーなのと同じくらいには。

何が74歳で社外取締役だよ気持ち悪い。

正直、今流行りのなろう系ファンタジーとかもあんまりきじゃない、自分の嗜好を差っ引いてもないわーって思う。

2022-08-15

スポーツのまとめ動画は作っている人間文化教養が低いのでクソみたいなBGMがつけられてしま

プレー場面集とかさテレビの実況音声や観客の声だけ入ってるやつが一番良い

BGMをつけるという行為だけでも蛇足なのに

スポーツ好きな人間は学生時代から文化活動陰キャバカにしてきた人間が多いか

つけるBGMセンスが最低、音楽の中でも最も通俗的下品下痢便みたいなBGMをつけてきやがる

例えて言うなら世界の名画を昭和駅ビル公衆便所100均額縁で飾って展示している状態

余計なことしなくていーから

テレビ映像切り貼りだけしてればいいか

お前ら音楽センスないんだからイキって派手なBGMつけるとか頼むからやらないで

2022-04-28

anond:20220428195934

一行目とそれ以降で話がずれてる

最初に「レイプと年齢は」と書いてるのに

それ以降「殆ど痴漢は」と痴漢の話やんw

あと

通俗的イメージだと痴漢といえば通勤電車

そして通勤電車といえば会社員ホワイトカラー)という印象なので

一見してネクタイ締めたビジネスマンなら一定以上の学歴がありそうだが

夜道でいきなり触るとかの犯行例も含めれば痴漢は低偏差値も多い

というか通勤電車痴漢都市部特有現象痴漢全体では少数とか

そういう話だったり、またそのようなソースがあるのであろうか

でなければ貴兄一個人の見識なのか

2022-04-22

確信犯」と「故意犯

確信犯とは、本来は「自分行為が正しいという信念に基づき遂行される犯罪行為」を指す法学用語である。昨今では、世間的には、「悪いことだと理解していながら敢えて行われる悪事、および、そのように敢えて悪事を働く者」という意味合い言葉解釈されている。

https://www.weblio.jp/content/%E7%A2%BA%E4%BF%A1%E7%8A%AF

故意要件とする犯罪殺人罪窃盗罪など

故意(こい)とは、一般的にはある行為意図的ものであることを指し、法律上他人権利法益侵害する結果を発生させることを認識しながら、それを容認して行為することをいう。

https://www.weblio.jp/content/%E6%95%85%E6%84%8F%E7%8A%AF

ブコメでよく誤用されるから「それ確信犯じゃなくて故意犯ですよね?」っていいたくなる。

でも犯罪を犯した人が良かれと思ってやってるか、他人権利法益侵害するなと認識してるかどうかなんてわかりようがない。

から私は指摘しない。

確信犯」の現代的な用法

通俗的用法における「確信犯」は、「悪行である認識しつつ行われる行為」を指す意味で用いられている。多くの場合違法行為というわけではないが他人迷惑を被るような、倫理的道義的非難されるべき、慎むべき事柄について、それを私利私欲のために行う、といった状況を指す。

この「確信犯」の通俗的用法が、本来は俗用であり誤用である、と理解している者は少なくない。とはいえ確信犯」の俗用はすでに若者を中心に半ば定着しており、「いわゆる確信犯」の表現に使える手頃な代替表現も今ひとつ見出しがたく、さら本来の「確信犯用法は「テロ」等の表現代替されている、といった事情もあり、今後も誤用・俗用はさらに定着が進むかもしれないが、旧来の用法に訂正される見込みは薄いだろうと推測される。

ってことらしいから今後も指摘しません。

2022-03-04

anond:20220304163032

続けて無理やりのび太で例えるなら(「のび太ジャイアン症候群」と言う本もあるけど)、

平成初期以前の、発達障害という概念が無い状態で、のび太は「のろま」だから虐められることもあるけれど、通俗的出来事幸せが「のろま」が原因で妨げられるようなことはなかった

のび太のび太のままで「少しのんびり」しているけども友達も持てたし就職も出来たし奥さんを持てたし子どもも作れた(だから発達障害二世問題も騒がれてるよな)

発達障害と言う隠れた背景は、のび太プラスの影響もマイナスの影響も与えていなかった

現代では多分こうはいかない

発達障害」などという言葉当事者にとっては最初エントリーの様にタグ付けにしかなってないし、

現代発達障害のび太」は、早ければ入学以前に診断がついたとして(つかなくてもグレーゾーン扱いされもっと悲惨)、多分養育では腫れ物扱いみたいな育て方をされて友達ができるかどうか怪しく、

就職では試験二次面接までパスしても奇妙な性格診断キットで「因子扱い」されて弾かれ、

ちゃんには(仮に付き合えても)ネットで「発達障害アスペ彼氏に注意!」みたいな記事検索されて勝手に答え合わせされて別れられる

それで自助サークルみたいなのに入っても社会に合わせられるような変なドリルをやらされたりする

手帳を取っても大した補助はない

そこにいるのは社会の変なタグ付けによって半人前だか四分の一人前にされた男だけ

一応俺も当事者、それで多分発達障害二世三世?四世?)だからこう書いている

2022-02-20

anond:20200621150315

名著だよね。

ただハマータウン〜は今見ると、「階級」という切り口に振り切った作品だと思う(社会学では念仏のように「階級ジェンダーエスニシティ」と、その切り口の多様性を訴えてるでしょ)。

それがいいとか悪いとかではなく、そこにハマータウン〜の特徴と限界があるし、

またむしろ今見えにくくなっているものを炙り出してくれるものでもある。

割と最近でも、(通俗的な言い方をすれば)白人エリート女性社会学者が黒人コミュニティに対して行った参与観察で、むしろ参与観察に入れ込みすぎた結果、キャンセルカルチャーの餌食となった例がある。

→"アカデミズムサラブレッド"で新進気鋭の社会学者だったアリス・ゴッフマンは、なぜ「キャンセル」されたのか?【橘玲の日々刻々】

https://diamond.jp/articles/-/296647

ゴッフマンの事例もまた是非を置くとしても、ともかく現代社会は「階級ジェンダーエスニシティ」のどの切り口も無視することが出来なくなっていることを示す事例ではある。

ここで増田エントリタイトルで誤解されてそうなのが気になるんだが、ポールイリスマルクス主義者だから、その「野郎ども」が二重の意味での自由を手にして「Learnlng to labour」してしまアイロニーを指摘しているだけであって、「底辺右翼」みたいに蔑視している訳じゃないと思うんだよね。

そしてハマータウン〜は「持たざる者」がどのような文化戦略を取るかについて、「階級」の切り口の重要さを伝えてくれるものでもある。

しろ当時のポールイリス暖かい目線は、今ならエスニシティジェンダーで殴られているラストベルトのトランプ支持者なんかを包摂する可能性の方に向けられるものな気がするんだよね。

資本主義社会再生産」という点においては、「ジェンダー」の切り口すなわちフェミニズムも、そこに加担するケースがままある。

所得カップル移民シッター代理母を利用することを肯定的に捉えれば、当然「階級」や「エスニシティ」の面から批判される。

階級ジェンダーエスニシティ」の切り口から全くイノセント存在でいることはかなり困難だ。

ただし、当たり前のことだが人はその立ち位置を選んで生まれてくる訳ではないので、そこから先は個人の「倫理」の問題になるかと思う。

翻って日本場合について私見を述べれば、男女の家事負担のようなジェンダー平等問題にしても、コロナ禍での医療体制問題にしても、

日本における『労働』の過重性という問題が、あまりに軽視されすぎている。

日本では「階級ジェンダーエスニシティ」を問わず、それらを串刺しにする一億総「Learnlng to labour」のような状況があることを、議論の前提としてもらいたい。

2021-10-10

anond:20211009094859

略して俗化するのは、通俗的にそうだという環境があって略されるという逆算から仲間であるかどうかを問う事になってるのだから、通じなかったらあんたは話し相手共通認識がない部類の人間だって気がつくだけの話でしょ

世界のうちにはどこかに同意してくれる人間が点在してるであろうそれを集めたら共通認識を持ってないことの意味を持ってる人間価値よりも下にできるみたいな考えがすけて見えるのゲスいわ

大多数に埋もれて他人利益漁夫の利だけ狙って生きてきた人間のする事はおぞましい

2021-10-07

anond:20211006143408

統治者絶対史観も一つの観点としては全否定すべきではないけど、問題現在日本人通俗的中国イメージ特に「やはり中国はいつまでも遅れている危険な国で、それに比べて俺たち日本はまともな国」という、質の悪い願望が入り混じったイメージを補強するものしかないこと。

現在中国も、もちろんジャーナリストや人文社会系の研究者政治活動家にとっては暗黒体制のものだけど、圧倒的多数一般市民もそう感じているわけでは必ずしもない。住民委員会コミュニティ組織など、「生活に困ったら訴える先がある」という点では、日本よりも民主的と言える面がある。少なくとも、NHK特集ぐらいはそうした面を伝えて欲しいなあ・・・

2021-08-23

anond:20210821213108

何か障害がある可能性もあるので、心配なら医者にかかったほうが良いが、そうではない場合の話を書く。

当たり前っちゃ当たり前だが、自分が読もうとしている本に書かれている知識をあらかじめたくさん持っているほど、基本的には速く正確に読めるし、読んだ後の記憶の定着も良い。

ではその知識をどうやって仕入れるのか。

読書することで仕入れ場合には、

① 読み書き能力をつけるための読書語学教科書数学教科書など

② ある分野の重要アイデアを身につけるための読書教科書、基本書、古典など

③ ①②以外で簡単もの通俗的ハウツー本新聞記事など

③' ①②以外で簡単ではないもの:専門書など

これらのどれに該当するかで、その読書の難度、費やす時間、読み方が変わってくる。

①が一番ハード。書かれているアイデアが腑に落ちて、習慣的に使えるようになるまで、何度も読んで、唱えて、書いて、例題を解くなどして練習する。身につける必要のある部分については、身につくまで何十回でも練習することもざらにある。

②がその次にハード通読だけなら難しくない場合もあるが、深く理解して自分のものにするには線を引いたり、考えたことを書き込んだり、縮訳したり、と何遍か読む必要がある。理解を深めるために類書や解説書を比較読みすることもある。モノにしたい本は3回以上読むと良い。

③' は、その本を読むための前提知識となる①②があれば難度はたいてい②と同等。覚え込むほどの必要が無いなら、割くべき労力は②よりも少なく済む。

③が最も簡単。流し読み、拾い読みでザクザク読み、重要と思ったところだけじっくり読む。

①②が読書の基礎体力。読んで理解不能な本は、自分にとって読書の基礎体力が足りていない本か、そもそも読者に理解可能なように書かれていない本。どちらの場合も、現時点の自分がそれを読むのは時間無駄なので、一旦その読書放棄して良い。

他の増田https://anond.hatelabo.jp/20210823205016も言うように、まずは読書の基礎体力をつけるために、自分が興味の持てる理解可能な本からどんどん読んでいくと良い。

最終的に、興味を持った新書学術系の文庫を数冊通読して、「面白かった」と思える頃に、一応、読書の基礎体力は付いたと思っていい。

読書の仕方が書かれた本もある。読書の基礎体力がついた頃に読むと色々発見がある。

思考の整理学/外山滋比古

本を読む本/M.J.アドラー

読書技法/佐藤優

もう一つ、読書のコツとして文章一般的構造を知っておくことも役立つ。

論説的な文章であれば、パラグラフライティング/リーディング知識が有るのと無いのとで、読みの速さと正確さが変わってくる。

物語にも典型的な展開というものがあり、三幕構成など知っていると物語構造俯瞰して観れるので理解に役立つ。

2020-09-04

ロシア語表記揺れはなぜ起きるのか

ロシア語固有名詞カタカナで書くときに色々表記揺れがあって紛らわしいよね! 表記揺れが起きる原因をまとめといたから、参考にしてね!

ヴ音の表記揺れ

これは純粋日本語内部の問題から一番わかりやすいね! БладимирВладимирを「ウラジーミル」と書くか「ヴラジーミル」と書くか、Иванを「イヴァン」と書くか「イワン」と書くか、という単純な話だから、好みに合う方を選んでね!

強勢の棒引きをめぐる表記揺れ

強勢の置かれた母音は長く強く読まれるんだけど、この母音を棒引き(ー)で表現するか否かが問題だね! これはだいたい慣用によって決まっているけど(「イワーン」じゃなくて「イワン」、「ウラミル」じゃなくて「ウラジーミル」)、別に慣用じゃない表記を使うことは自由だし見慣れない語だとフィーリングで決めたりするから表記揺れが生じる余地があるよ!

ыの表記揺れ

ыは日本語では書き表せない音なんだ! でもどうしてもカタカナにしないといけないときがあるよね! そういうとき表記が揺れちゃうんだね! Кадыровは「カディロフ」でも「カドィロフ」でも間違ってないよ! どのみち正確な日本語表記は無理なんだし! でも「カドイロフ」はさすがにどうかと思うな! めんどくさいのが形容詞の語尾で-ныйみたいな形になってるときだね! 「~ヌィ」だと語末のйを無視してるみたいで居心地が悪いし、「~ヌィイ」だと煩雑だし、「~ヌイ」だとなんかыっぽくないよね! こういうときは多少正確さを犠牲にしても日本人にとって一番簡単表記を選んでおくのがいいよ! だからВерныйは「ヴェールヌイ」でСовременныйは「ソヴレメンヌイ」なんだね! でも別にヴェールヌィイ」でも間違いじゃないよ!

оの表記揺れ

ロシア語では強勢の置かれないоは「ア」みたいに発音されるよ! Москваは実際には「マスクヴァー」みたいに聞こえるけど、日本語では綴り通りの「モスクワ」で定着してるよ! っていうか日本語表記では反映しないのが慣用になってるね! Достоевскийは「ダスタイェーフスキー」じゃなくて「ドストエフスキー」、Чеховは「チェーハフ」じゃなくて「チェーホフ」って書くことになってるね! ただし例外的に、Спасибоは「スパシーボ」じゃなくて「スパシーバ」、Хорошоは「ホロショー」じゃなくて「ハラショー」で定着してるよ! でももちろん発音を優先して「ア」って書いてもいいよ!

еの表記揺れ

ロシア語のеは「エ」というより「イェ」であって、теは「テ」というより「チェ」、деは「デ」というより「ジェ」のように聞こえるよ! 強勢があると特に! 逆に強勢がないとき母音が弱く読まれて「チ」みたいに聞こえたりするよ! だからЕкатеринаを「エカテリーナ」とするか「エカチェリーナ」とするかで揺れるよ! まあ実際に聞いてみると「イカチリーナ」みたいに聞こえるような気がするんだけどそんなふうに書くわけにもいかいからね!

иの表記揺れ

еと同じで、тиは「ティ」じゃなくて「チ」、диは「ディ」じゃなくて「ジ」みたいに発音されるよ! なんなら由来を重視して「ヂ」でもいいよ! だからПутинは「プティン」じゃなくて「プーチン」なんだね! БладимирВладимирが「ウラディミル」じゃなくて「ウラジーミル」なのもそういうことだね! まあ別に「ヴラヂーミル」でもいいんだけど! ただ「ティ」や「ディ」に聞こえなくもないところがややこしいところかな! でもやっぱり基本的には「チ」や「ジ」って書いとくのがいいと思うよ!

шやчの表記揺れ

шは日本語のシャ行の子音で、чはチャ行の子音なんだけど、後ろに母音を伴わないときになんて表記するかが問題だね! 「シュ」と書くか「シ」と書くか、「チュ」と書くか「チ」と書くかってことだね! Эйзенштейнは「エイゼンシュテイン」と「エイゼンシテイン」のどっちでも間違ってないよ! なんなら「エイゼンシチェイン」でも間違いじゃないよ! もう理屈はわかるよね!

語末の濁音の表記揺れ

語末だと濁る子音の濁りが消えたりするよ! でも表記するときには反映されないね! Петербургは「ペテルブルク」じゃなくて「ペテルブルグ」って書くことになってるよ! ドイツ語地名は「アウクスブルクハンブルク」みたいに書くことになってるのに不思議だね! たまに「ペテルブルク」って書いちゃう人がいるけどあんま好ましくないね! なんでかというと上で書いたような発音法則があるから実際の発音に即して書こうとすると「ピチルブールク」みたいな表記なっちゃうんだよね! 「ペテルブルク」だと中途半端なんだね! 発音に忠実に書くのはめんどくさいか綴り通りに日本語にした方がマシだね!

ёの表記揺れと間違い

ёは形の上ではеに似てるけど、読み方は「ヨー」だから全然違うね! でも、大人ロシア人は読み書きするときにいちいちёとеを書き分けたりしないんだ! 日本人が「これははんこです」を正しく発音できるのと一緒だね! Аксеновを「アクセノフ」って書いた新聞社があったけど、もちろん正しい綴りはАксёновだから「アクショーノフ」だね! このへん、慣れれば「これってёじゃね?」という目星をつけられるようになるよ!

そして、この文字表記揺れを引き起こすこともあるんだ! Фёдорは「フョードル」って読むんだけど、たまに「ヒョードル」って書かれたりするよ! もちろん「フョードル」の方が正確なんだけど、「フョ」は日本人には発音が難しいから「ヒョードル」でも構わないと思うよ!

ьの表記揺れと間違い

ロシア語のьは軟音符っていうんだよ! この文字自体発音しないんだ! じゃあ何に使うかというと、前に置かれた硬い子音を軟らかい子音にする(口蓋化する)ために使うよ! 日本の慣用表記だと、軟らかくなった子音はイ段で表記されることが多いんだ! たとえばл「ル」に軟音符がついてльになると「リ」になるんだね! そしてこの文字は、ほとんどすべてのローマ字表記法で’の記号を当てることになってるんだ! でも、論文とかじゃなくて新聞とかの通俗的表記だと、この’が落とされちゃうことがすごい多いんだよね!

たとえば、большевикиっていう単語をきちんとローマ字にしようと思ったらbol’shevikiになるはずなんだけど、実際はbolshevikiって書かれることがすごく多いんだよね! ロシア語を読める人なら「ボリシェヴィキ」って書くのが正しいってわかるんだけど、ロシア語を知らない人は「ボルシェヴィキ」って書きたくなっちゃうかもしれないね

そしてこれが語末や子音の前に来ると表記揺れを引き起こすことがあるんだ! -ньという綴りが語末や子音の前に来ると、「ン」と「ニ」の中間っぽく聞こえるよ! だからКазаньは「カザン」とも「カザニ」とも書かれるんだね! ポーランド語のGdańskが「グダンスク」とも「グダニスク」とも書かれるのと同じ理屈だよ!

хの間違い

хは喉の奥から出す「フ」の音だよ! 日本語のハ行とは発音の仕方が違うけど、どの行に聞こえるかと言われるとハ行が一番適切なんじゃないかな? 袴田茂樹先生の妹さんはИрина Хакамадаだし! でもこれ、日本でよく使われるローマ字表記だとkhになるんだ! それに引きずられてカ行で表記されちゃうことがあるけど、間違いだね! ハ行で表記しようね!

яの間違い

яって文字はよく見るけど、何て読むか知ってるかな? そうだね、「ヤー」って読むんだね! でも、これをローマ字に直そうとしたらどうなるかな? 実は、ロシア語ローマ字表記はいくつかの種類があるんだけど、それらの表記によってяをどう表記するかが違うんだね! イギリスでよく使われるローマ字表記だとyaだけど、アメリカ議会図書館式だとiaになり、そして国際式表記だとjaになるんだ! そうだね、ロシア語を知らない日本人ローマ字表記だけ見ると読み方を間違える余地があるんだね!

たとえば、Настяっていう女の子愛称は「ナースチャ」って読むんだけど、議会図書館式でローマ字に直すとNastiaになるんだよね! ロシア語を知らない人からすると「ナスティア」にしか見えないよね! 綴りの後半部分はti-aじゃなくてt-iaで切れてるんだけど、そんなの普通わかんないよね! Надяは「ナージャ」って読むんだけど、ローマ字でNadiaって書かれると「ナディア」って表記したくなっちゃうよね! 違うアニメなっちゃうね!

さらさらに、ローマ字に直すときにяの表記が誤魔化されちゃうことがあるよ! この文字は女の人の名前の語尾によく使われるんだ! たとえば英語の「メアリ」に当たるロシア語名前はМарияで、日本語だと「マリヤ」って書かれることが多いね! でも、ローマ字にするときMariaって書かれることがすごい多いんだ! たぶんMariiaやMarijaやMariyaだとわかりづらいと思ったんだろうね! けどMariaって書かれるとロシア語を知らない人は「マリア」って書いちゃうんだよね! Лидияも本当は「リージヤ」なんだけど、Lidiaってローマ字表記に引きずられて「リディア」って書かれることが多いね

複数の間違いが組み合わさることが多いのがТатьянаだよ! これは女の子名前で、素直に読み下せば「タチヤナ」になるよ! 議会図書館式に忠実に転写するならTat’ianaになるんだ! 真ん中の部分はt’-iaで切れるんだね! ’がついたことでtが軟音化して「チ」、iaで「ヤー」だね! でも’が省略されていると、iaが「ヤー」だと知らない人は、Tatianaを「タチアナ」って書いちゃうんだ! ひどい場合には「タティアナ」なんて表記されたりするね! そうだね、ti-aで切れると勘違いしてるんだね!

Литвякを「リトヴァク」って書いてある本があるんだけどさすがにちょっと許せないかな! どうやれば「リトヴァク」になるのかな!? もちろん「リトヴャク」が正しいよ! 「ヴャ」は発音しにくいっていうなら「リトビャク」って書いておくといいよ! 「何百」を発音できない日本人はいないよね!

юの間違い

じゃあみんな、юはなんて読むか知ってるかな? そうだね、「ユー」だね! でもこれもяと同じで、yuとかiuとかjuとか色んなやり方でローマ字表記されるよ! だからたまにiuっていうローマ字に引きずられて「イウ」と書いちゃう人がいるんだ! 気をつけようね!

強勢の位置の間違い

ロシア語は強勢の位置がすごい大事なんだけど、間違えて書かれることがあるんだ! БладимирВладимирは「ウラジーミル」なんだけど、「ウラジミール」って書く人がたまにいるね! チェコ語ならVladimírだからウラジミール」でいいんだけどね! 父称のВладимировнаも「ウラジミーロヴナ」じゃなくて「ウラジーミロヴナ」だからね!

たまにロシア風のキャラクタ名前として「イゴール」っていうのを見かけるけど、これは複数の間違いの複合だね! Игорьはロシアの男の人の名前だけど、厳密にローマ字に直すとIgor’になるんだ! そこから’を抜いてIgorにした上で強勢の位置を間違えると「イゴール」になるんだね! もちろん「イーゴリ」が正しいよ!

結局のところ、なんで表記揺れが生まれるの?

いくつかの理由があるよ!

  1. 日本語にない音や日本語だとどう表記すべきか迷う音が多い
  2. 綴り発音が離れすぎているのでどちらを基準にするかで変わる
  3. ローマ字に直されたものを読むときに間違いが発生する余地がある

これ、つまるところ英語名詞カタカナで書こうとするときの苦労と一緒だね! そういえば英語も「発音に忠実な表記を諦めて綴り通りに表記することにしている」場合がすごく多いよね! Bostonは「バッスン」じゃなくて「ボストン」、Donaldは「ダナー」じゃなくて「ドナルド」って書かれるよね! そういう意味では英語ロシア語って似てるね! オラ英語に親近感湧いてきたぞ!

Fateサーヴァントとか、あんまりメジャーじゃない方表記ゆれ名使ったりしてる印象があるが、検索避けみたいなこと一応気にしてんのかなと思ったりする。

奈須きのこそこまで考えてないと思うよ!

訂正

最初から間違いが…ウラジーミル綴りは Бладимир ではなく Владимир。

ま……マジだ! めっちゃ恥ずかしい! ごめん! 気づかなかった! 訂正しといた! 教えてくれてありがとう! Владимировнаの部分は正しく書いてたからそれで許して!

言い訳すると、ローマ字対応キーボードキリル文字打ってるから、ボーッとしてるとつい目の前のBってキーを押しちゃうんだ! でもそれを押すとБが出てきちゃうんだ! 稀によくある!

アウクスブルク煩雑発音とつづりとの中間点・妥協案的表記であるので,その直後に「ペテルブルクは中途半端ダメ」とか言われれると増田お前自己矛盾してんぞって顔になった。

ごめんね! 正直「~ブルク」ってつく地名なら何でも良かっただけなんだ! よく知らない言語について迂闊なこと言うもんじゃいね! 「ハンブルク」に直してみたけど、これならどうかな?

2020-05-13

プライベートコミュニケーションにおいて(知的)自信を与える

公的私信

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tl;dr

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前提

  • その場で個々人が「自信を与えられた」「自信を傷つけられた」と感じること自体相手によって尊重されなければならない。「あなたがそう感じるのが誤っているのだ」という考え方は、そこにどのくらいの誤解や無理解があるかに関わらず、表題文脈において無意味である

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「ある男がパートナーの女の(誤った)発言に対して毎回優しく肯定的に応じたのち、間違いを説明する」というカップルの在り方について、「優しく肯定が入る方が女性側の立場として自信が得られる」という考えについて。

基本的にこの構図がお互いの認識になること自体が mansplaining さがあって嫌なのだけど、それは表題文脈の下では脇に置いておいて、そこでの選択肢として、{肯定的/否定的}に応じ間違いの説明を{しない/する} という4通りにおいて、{肯定的, する} というのは確かに望ましい。まず、批判非難の違いが一般理解されにくいのは、批判否定的な口上は例えばその場が学問であるといった「場」があることで信頼が支えられていて初めて機能するので、それ以外の場で批判(正/偽)と非難(善/悪)が混同されることがあるのは、必ずしも混同する側が悪いわけではない(cf.SPEED今井絵理子議員の「批判なき政治発言)。その意味で、プライベートコミュニケーションにおいて、{肯定的/否定的}というのはニュートラルではなく、肯定的の方が心理的効果として望ましいといえる。また、毎回間違いの説明をすることは、毎回間違っているということに気づかされることになり自信を喪失しうるが、指摘しないままにパターナリスティックに傷つきやすにの配慮して放置することは相手反論したり、追加情報提示したりといったことを通して「相手の方が正しかった」という可能性に賭けないということであり、他者としての尊重に欠けるばかりか、相手の成長の機会をも奪うことになる。ただ、陰謀論的だったりオカルト的だったりといった特定バイアスを含む情報ばかり拾ってくることは、一朝一夕改善するものではない。そうならないためには相応の努力知識必要なのであって、場合によっては、ずっと同じ構図を繰り返しその構図がお互いの認識になるということが生じてしまうかもしれない。そのどうしようもないギャップを、他の側面で補うことで相互尊敬を維持できるならば、これは問題として前景化しないかも。でも、その切り分けをせずに、繰り返し続けている誤りについて、口上のオブラートごまかしたとしても、少なくともそれは知的自信の向上までにはつながらない。自信を支える相応の能力実践、もしくは基礎的な肯定感が必要である

ここで、「もしくは」になるのは、「自信」の性質に拠る。(上のような話をしておいてリテラシー低めの引用をするのは気が引けるが、読みやすさを重視して、参考: https://diamond.jp/articles/-/78423?page=4 )自信を得るのに能力や実績が有効ではあるが、能力や実績がなくても自信が得られないわけではない。生来自己肯定感などによってそれは変わる。逆に言えば、そこが低いと、小手先で何をしたところで、自信は低いままにもなる。病的であれば、薬によって脳内神経伝達物質バランス改善を図るということも視野に入れるべきであるしかし、そこまででないならば、「他の側面で補うことで相互尊敬を維持」という意味で「愛されている」という実感による基本的肯定感の向上などが有効でありうる。逆に言うと、自分を愛さな人間と一緒にいることは、自己肯定感の側面からかなり危ない行為であることに留意したほうがいい。ここで、愛も、条件付きの愛とそうでないものがあるが、条件を、性的ものや、ある1つの能力的なもののように一側面の条件に頼っていると、それは脆弱になる(というかそれは愛ではないと思うが)。条件付きであっても、それは、条件と等価以上に為されるものであることで(cf. 信頼と信用の関係、『信頼の構造』を想定しているけど、アドラーでもなんでも同じようなこと言ってる) 肯定感を支える愛になりうる。

少し話をもどして、プライベートコミュニケーションにおいてそもそも正しいことが必要かどうかというのも一考の余地はある。例えば、「今日は空が赤いねぇ、不吉な感じすらするねぇ」という言葉に対して、「空は予言能力はない」なんて返したら、その返しすらギャグである場合を除いて、「科学的に正しいこと」に重きを置きすぎていると言われてもしょうがないだろう。いつもいつも科学的な正しさを持ち込むべきではない。一方で、「〇〇という薬が効くそうだよ!」という言葉に対して、「それは××という危険性が指摘されていて安易に飲むべきではない」と応じることは、プライベートの場面であるとはいえ、いやむしろ、服薬するという最も実践的な場であるからこそ、科学的正しさが適切に活かされなければならない場面である政治的な発言については、例えば「#検察庁法改正案に抗議します」とだけ呟いた芸能人に対して「なんも分かってないだろ」といったクソリプが相次いだけれども(それ自体は具体的ではない発言に具体的ではない形で具体的発言のなさをなじっていて全くクソリプしかないと思う)、そこで立法の背景の正当性についてどう思うかと問うこと自体は(数の暴力を伴わなければ)議論を深めるために民主主義的には望ましいコミュニケーションである。それがTwitterのようなパブリックな場ではなく、プライベートコミュニケーションにおいても同じく妥当する。ただ、政治的な話をすることというのは、それ自体が嫌がられるし、議論となるともっとそうだ。特段の配慮必要でもある。学問的な話なら、それが宇宙人存在についてであってすら、正しさはむしろ娯楽のために重要である。それが(学問ではなく通俗的意味での)文学的な話ではないと相互了解があった上ではあるが。つまり、「タコ型の宇宙人って歩きにくくない?」から始まる会話は科学的正しさによって楽しもうという意思は見られないので、それはまるで漫才相方のように応じればよいのである。{正/偽}をコードとしない意外と多くの場面でも正しさというのは実用的にも楽しさの面でも重要なのであり、それが、「知的レベルが合っていないと楽しくない」というのがよく言われる原因でもある。もちろん、賢いなら相手に合わせることもできるのだが、それは冒頭の話に戻る。そのパターナリスティック対応は、相手尊重しているのですか、と。

2020-04-11

anond:20200411072416

念のために補足。三位一体は三人で一つの神という意味ではありません。ある時は父なる神、あるときは子なる神、またある時は聖霊と、一つの神が変化するという考えでもありません。「産学官三位一体」「三位一体改革」のような通俗的比喩はこの言葉意味を全く誤解した言い回しです。三位一体人間理解には及ばない概念です。理解していると思うなら、それは間違った解釈をして理解したと誤解しています

2020-03-16

第三京浜エッチ道路

数ヶ月前、ニッポン放送番組アナウンサー草野満代が「ドライブの帰りに第三京浜を使う男の子エッチな思惑がある(と若い頃思っていた)」というような発言をしていた。

港北の「アラン・ド」や「トロピカル」が現役だった頃、そうした感覚通俗的にあったのだろうか。

いま第三京浜をそうした感覚で捉えている人はおそらく全く居ないと思われるが、

草野満代世代(50代)が若い頃、東京近郊で生活していて、第三京浜を「エッチ道路」だとかつて思っていた人が居るなら、教えてほしいです。現在感覚では全くそのような印象がないので・・・

2020-01-21

anond:20200121002141

容姿ケチつけてるとは? 俺は田嶋がブスだからダメだなんて言ってないぞ。

フェミでも戦えてるとは? 俺は田嶋はフェミとしては何もしてない、フェミに対する通俗的イメージ体現する芸人しかやれてないと言ったんだぞ。

単語の拾い読みしかできないというのはつまりこういうことだよ。

君は他人と会話するだけの知能がないの。残念ながら

2019-10-25

anond:20191021185555

公野櫻子教徒から言わせればお前らなどただの通俗的な傍流に過ぎんわ何がμ's原理主義じゃ

アニメライブもただの二次創作、神のテキストけが本物であとは全部偽物

2019-05-09

[] #73-4「娯楽留年生」

≪ 前

そんな状況に心を痛める者が一人いた。

知る由もない俺は、ひょんなことからその人物と邂逅する。

「あら、マスダ。奇遇ですわね」

ジョウ先輩だ。

「あ、どうも……」

バスの中で話しかけられたのでは知らんぷりもできない。

俺は気まずそうに会釈をした。

普段電車通勤じゃなかったでしたっけ」

今日のワタクシは有給ですわ」

とってつけたようなお嬢様言葉に、とってつけたようなお嬢様服。

見た目や言動が強烈なのも相まって、俺はこの人が苦手だ。

「へえ、マスダ。このような御令嬢と知り合いだったのかい。人脈が広いね

隣にいたセンセイが会話に入ってくる。

実際にはセンセイと俺の会話中にジョウ先輩が入ってきた、といった方が正しいが。

「いえ、センセイ。彼女が在学中に先輩後輩の関係だっただけですよ。この喋り方や服装彼女趣味なんです」

「え、じゃあ、それはただのキャラクター作りの一環というわけかい

センセイ、そこはあまり掘り下げなくてもいい。

大したものは出てこないから。

「おや、それは……気をつけていたつもりだったが、見た目や言葉遣いで安易に人を判断してしまったようだ。申し訳ない」

「むしろ安易判断してくれて結構ですわ。そのためにしているのですから

「ほう、そこまで割り切れるとは、達観した考えをお持ちのようだ。あなたにとってそれは、もはや体の一部なのですね」

「そう評価されると、さすがにちょっと照れますわね」

初対面なのに、センセイはよく落ち着いた対応ができるな。

居心地が悪いのは、二人に挟まれている俺だけのようだ。

「ただ……周りがどう思うかを気にしすぎないのも考えものですわね」

何やらジョウ先輩が通俗的なことを言っている。

いや、この人は普段から割と俗っぽいから、驚くには値しないが。

その日はいつになく感傷的だったので印象に残った。

だが、ここで興味本位に追求はしない。

明らかにジョウ先輩は話を聞いて欲しそうな素振りだったが、俺はこれ以上、話に花を咲かせたくなかった。

こっちはその養分を吸われるからな。

「……と、言いますと?」

まあ、俺にそのつもりがなくても、センセイが聞き出してしまうため無意味ではあったが。

「話してもよろしいですが……長くなりましてよ、少々」

「大歓迎さ。目的地に着くのはずっと先なのでね。君もそうだろ、マスダ?」

「……生憎、そうですね」

これだからバスは前時代的な乗り物に成り下がるんだ。

「では……そうですわね、まずはワタクシの父について、お話しましょう」

そうしてジョウ先輩は、初めからそのつもりだったのを証明するかのように淀みなく話し始めた。

次 ≫

2018-09-16

anond:20180915111053

追記

基本的自分は「ポルノとしての性的消費」と「芸術表現としての性描写」には質的差異があるという立場を取っている。

ラノベBLなどのポルノ対象人格リスペクトするだけのものがなく、都合のいい世界の中でお人形遊びしている(そこに暴力性、差別性などがある)。芸術表現として許容される性描写は深い人間理解と同時に理解不十分というせめぎ合いの中で生まれる(個々人の人格のアンビヴァレンツ、曖昧さ、捉えきれない無限性。もちろん古典では雑な性描写もあるが、今回は女性人権が拡大した現代の話)。

ラノベBLによくある都合のいい男性描写女性描写自体他者尊厳に対する暴力であり(テンプレキャラクター化とでもいうか)、それを象徴するかのような下手で誇張された表紙は刺激の強いグロテスク表現だ。ただし、これはポルノ商品に限らず通俗的な「物語全般に常に含まれ問題でもある。今回ラノベBLが取り上げられているのは、ポルノ商品はこういった暴力がより際立ちやすいという性質を持っているため。行き過ぎたポルノ商品芸術表現としては到底擁護不可能であり、全年齢向けで平積みするのは不適切だと考え、適切なゾーニングを求める。

ポルノ商品社会には需要があるので表現出版自体規制することは権力暴走でもあり絶対に許されるものではない。しかし行き過ぎた暴力自由として認めることは同時に他の誰かの自由侵害することにもなり、そこに闘争状態が生じる。だから適切なゾーニングをして被害を受ける人の数を減らすよう努力し、穏やかに棲み分けられるようにしようという話をしている。ゾーニングされてもポルノ商品を求める人は問題なく購入できるし、同時にポルノ商品求めない人たちはポルノ商品によって無差別暴力を受けることをゾーニングによって回避することができる。デメリット購入者にほんの一手間余計な手続きのれんをくぐるなど)を要求するということがある。想像力の豊かな人はゾーニング表現規制の引き金になってしまうと危惧するが、それは権力監視することによって回避するしかないだろう(そういった監視が面倒だという議論はあってもいいが、個人的にはまったく感心しない)。

また、「ポルノとしての性的消費」と「芸術表現としての性描写」を明確に区別することが困難であるという議論はあるだろう。まず間違いなくパラドックスが生じる。完全な境界線を引くことはできない。グレーゾーンは常にある。しかし完全な区別ができないからといって、不完全な区別まで不可能というわけではない。その辺りは政治問題になってくる。全か無かの話ではなく、程度問題になる。だから冷静で建設的な議論必要だ。

オタクが「こいつ話にならないな」と思うのは勝手だが、こういう考えの人間もいるということだし、社会の一員として生きて行くということは、こういう考えの人間とも折りあっていかなければならないということだ。フェミニストの言い分が100%通ることもないだろうし、オタクの言い分が100%通ることもないだろう。完全に論破して終わりではなく、妥協点をどこに見つけるかという議論必要だと思われる。

2018-05-03

オタク文化における「とりあえず読め・見ろ」に通底する心理について

いわゆる、通俗的に、最も一般的な例えである所の「ガルパンはいいぞ」についての話

実は、これについてはもうそんなに語ることがない

「ああ、それは百聞は一見に如かずだよ」と言えば良いだけの話だ

いつも思う

私が解説したこと相手がその作品に触れるのであれば

それは「私の読書感想文が上手だった」という事に過ぎない

本当に素晴らしい作品であれば、語り手の巧緻に関わらずその作品に触れるだろう


私は、私と相手との個人的信頼感をほんの少しのエッセンスとした「布教活動」をしているに過ぎない

相手がその作品を知る、あるいは触れる「機会」を提供するという形でしかそれを薦められない

それはもはや、「祈り」である

ゲシュタルトの祈り

私は私のために生き、あなたあなたのために生きる。

私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。

そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。

もしも縁があって、私たち出会えたのならそれは素晴らしいこと。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。


結論:鳩羽つぐはいいぞ

2018-03-12

感動ポルノエンタメ好きなやつらはオタクであり結局のところネトウヨ

はてな民インテリ設定にもかかわらず幼稚な感動ポルノエンタメまりアニメ漫画ラノベエロゲ好きな人間が多い。こういった幼稚な感動ポルノエンタメを好むことからして根っこの部分がネトウヨ感性だということは明白なのにもかかわらず、わかりもしない専門書などを斜め読みして理解した気になって、俺はリベラルだなどとほざいている。通俗的エンターテインメントと縁を切らない限り、彼らはこれからネトウヨ感性に引きずられ続けるだろう。どんなに理論武装しても彼らの本質は今までもこれからもずっとネトウヨなのだ

2017-10-07

村上春樹ノーベル文学賞を受賞すると思う理由

自分はこれまで村上春樹ノーベル文学賞受賞はないものだろうと考えていた。

なぜなら村上春樹の源流にある英文学作家ほとんどはノーベル文学賞を獲ってないからだ。

J・D・サリンジャーカート・ヴォネガットジョン・アーヴィングリチャード・ブローティガンレイモンド・カーヴァーレイモンド・チャンドラーも獲っていない賞を何故村上春樹が獲れるのか?という話だ。

上記に示したような20世紀後半世代英文学作家ノーベル賞を獲りにくい傾向にある。

おそらくこれはニューレフト以降の人文世界では「脱欧米中心主義」の考えが支配的であり、

文学世界でも例外ではなく、マイノリティポストコロニアル(被植民地)的視点、非欧米的な価値観評価されやすいからだろう。

例えば同じ20世紀文学の新潮流でも、リョサマルケスのようなラテンアメリカ文学作家は獲っているが同世代英米ビートジェネレーション作家(ジャック・ケルアックアレン・ギンズバーグリチャード・ブローティガン等)やポストモダン作家(トマス・ピンチョンドン・デリーロフィリップ・ロス等)は誰一人受賞していない。

まり欧米的な村上は、日本人作家でありながら上記のような英文学系譜として評価されており

それ故に世界中で読まれ、それ故にノーベル賞の受賞は難しいだろうと思っていた。

だが去年のボブ・ディランの受賞で大きく流れが変わった

ボブ・ディランの受賞理由歌手としてではなくビートジェネレーション代表した文学としての評価

まるでこれまで無視してきた英文学作家特定世代をあわてて補填するかのような受賞である

僕はこのボブディランの受賞で数年以内に村上春樹が獲るのではと予想した。

もしボブ・ディランジャック・ケルアックアレン・ギンズバーグリチャード・ブローティガンといった受賞しなかったビートニク作家補填するものだとしたら

サリンジャーヴォネガットといった受賞しなかった英文学作家達を補填するのに一番ちょうどいい作家村上春樹からだ(もしくはジョン・アーヴィング?)

そして今年のカズオ・イシグロの受賞である

これは結構驚いた。イシグロが受賞するにしてもまずは村上春樹が先に受賞するだろうと思っていたからだ。

この受賞で同じ日本(日系)人の受賞で不利になるのではいう声は多い。

自分はむしろこれで村上春樹の受賞が近くなったのではと思う。

カズオ・イシグロ村上春樹共通点は多い。

英文学系譜であり、良く言えば世界的な人気作家だが、悪く言えばマスであり通俗的作家である

これらの共通点はこれまでの村上春樹が受賞しないと思われていた理由であった。

しかし今回のカズオ・イシグロの受賞はそれが全て覆った。

密室での選考であるためあくまで推測にすぎない。

なぜ村上ではなくイシグロなのかもわからない。

個人的な推測だと村上の過剰な性描写がセクシズムを理由に外された?)

はいえ無根拠に騒いでいたこれまでよりかは村上春樹が受賞に近くなったといえるだろう。

カズオ・イシグロが受賞する文学賞選考過程村上春樹名前が上がらないはずがない。

このボブディランからカズオ・イシグロという流れは驚いた人も多いと思う。

ノーベル文学賞を含めた学術的な場での世界文学評価が大きなパラダイムシフトを迎えてるのは間違いない。

そしてこの傾向は村上春樹の受賞に極めて有利な状況だろう。

というか長々と話したが簡単なことだ。

J・D・サリンジャーカート・ヴォネガットジョン・アーヴィングリチャード・ブローティガンレイモンド・カーヴァーレイモンド・チャンドラーも獲っていない賞を村上春樹が獲ることはありえないが

ボブ・ディランカズオ・イシグロが受賞した賞なら村上春樹が受賞する可能性は十分にありえるということだ。

追記

https://anond.hatelabo.jp/20171006224419

上記を受けての記事です。

 
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