はてなキーワード: 自伝とは
国をつくるという仕事 - 西水 美恵子
自由への長い道―ネルソン・マンデラ自伝〈上〉 - ネルソン マンデラ;
生きる技法 - 安冨 歩
ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡 - シルヴィア ナサー
意志力革命 目的達成への行動プログラム (Harvard business school press) - ハイケ・ブルック
高橋和巳作品集〈第4〉邪宗門,私の文学を語る(インタヴュアー:秋山駿) (1970年) - 高橋 和巳;
リーダーシップの旅 見えないものを見る (光文社新書) - 野田 智義
世に棲む日日〈1〉 (文春文庫) - 司馬 遼太郎
ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252)) - 石光 真人
日本を大切にする仕事――身のまわりから社会を変える10人の生きざま、働きざま - 山岡 淳一郎;
世界を動かした21の演説――あなたにとって「正しいこと」とは何か - クリス アボット
こうして僕は世界を変えるために一歩を踏み出した - 鬼丸昌也
所有せざる人々 (ハヤカワ文庫SF) - アーシュラ・K・ル・グィン
人間の測りまちがい〈上〉―差別の科学史 (河出文庫) - スティーヴン・J. グールド
一〇〇年前の女の子 - 船曳 由美;
快感回路---なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか - デイヴィッド・J・リンデン
製造業の現場バイヤーが教える だったら、世界一の購買部をつくってみろ! - 坂口 孝則
経済論戦は甦る - 竹森 俊平
キャプテン・アメリカはなぜ死んだか (文春文庫)
http://archive.mag2.com/0000134134/index.html 12月25日号
学生が書いたエントリーシートを見ると、多くの人に似たような傾向が見られます。
「一点主義に賭けすぎ」ということです。
「一点主義」とは何かというと、一時点のことだけをやたらプッシュしている、ということです。
例えば、「あなたの学生生活はどのような学生生活でしたか」というような記入欄があったとします。
すると、一点主義の人はどんな書き方をするかというと、
「私の学生生活で最もその成果を発揮したのは、2年生の学園祭の時でした。ステージで劇を発表することになり、30名以上の出演者の
スケジュールを調整し、3ヵ月に及ぶ練習を取りまとめ、見事に全員で演じ切ることができ、大好評を得ました」みたいなことを書くわけです。
これは、「2年生の学園祭の想い出」という一点を書いているだけです。
「何々の資格を取りました」「何々という国に留学に行きました」「どこどこに海外旅行に行きました」そういうのは、全て一時点の話です。
その一点だけをいくら膨らましても、その時点の想い出話にしかならず、その人の「人生」や「人柄」は全くつかめてこないのです。
良いこと言ったので、もう一回言います。
「人生は、一線」です。
線で語らない限り、その人の「人生」は見えてこないのです。
それは、出来事を羅列しろというわけではありません。
その人生を「一線」で表す単語や表現で簡潔に表すということです。
例えば、
「私が忘れられないのは、大学3年生の前半に書きあげた自伝的小説です。自分の中学時代の頃から起こった出来事を
小説風に仕上げ、250ページもの文の量で書き上げました。その完成までには膨大な取材の量を重ねました」
みたいなことを書いたとしても、これは「一点主義」の書き方なので、「ふーん、そんなこともあったんだ」と思われて終わりです。
でも、「私は、学生作家です」「ジャーナリズム生活でした」みたいな言葉だと、たった一言なのにその人の人生が線で語れます。
作家というならば、どんなものを書いたかいくつか挙げてくれる?ジャーナリズム生活というのは、どういうものかいくつか例を出してくれる?
という続きの疑問に対するフォローの文章を書き加えればいいだけです。
一線を引いて、点を打っていく。作文でも本の執筆でも、そうやって書いていくのです。
(そして実は、そういう文章の書き方は、小学校や中学校の国語の授業でも習っているはずなのです)
一点主義だと、いくらそこに情報を詰め込んでも、その一点の情報だけが伝わるだけで、(大して伝わらないけど)その人の人生は伝わりません。
エントリーシートがどうしてもうまく書けないという人は、まずはその一点主義から離れることを考えましょう。
それだけでも、構成力はがらりと変わります。
いい記事やなぁ。
私は採用する側だけれど、質問の仕方を気を付けないとイカンな、と思わされた。
実際にこういう答え方をする学生さんはかなり多い。
どういうふうに考えてこういう答えをするに至ったかはわからないけれど、
とにかくアピールしよう、差別化しようみたいな教えを変に受け取って
自分がどういう人間であるか、ということではなく、とにかく私はすごいんだ、ってエピソードを語ろうとする人が多い。
多分、こっち側がそれを要求していると誤解させるような問いかけをしてるんだろう。
なにより、学生から見たときに、私のいる会社や、ここで働くとはどういうことか、線で見えるように伝えられていないんだと思う。
学生さんにはこういうことを語って欲しい、なぜならうちはこういう会社で、こういう人を求めているからってのがシンプルにつながるような線を考えたい。
長くなったので、先に結論だけ書いておきます。
もしドラには2つテーマ性を感じた。(作者的にはもっとあるのだろうけれど力を感じたのはこの2つだけ)
・人間の出会いや出発点を描く、という意味では素晴らしい作品だと思う。
・社会からズレてしまっているor適応する振りをして生きている人の生きづらさとその解放を描く、という意味では中途半端。もったいない。
というわけで、「小説の読み方の教科書」の次に「もしドラ」の感想を書こうかと思ったけど、
この不思議な「小説」については、単体で語りにくいので、「少女不十分」という「小説」を補助線として使わせてもらいたいと思う。
ちなみに、西尾維新の作品を読んでない人にはわけわからん話ですがご了承ください。
◆ものすごく読みたくなる西尾維新「少女不十分」感想文 http://zeark969.blog38.fc2.com/?no=2968
私はこの感想読んで、少女不十分よりもむしろむしろ「もしドラ」を読み返したくなった。
(というか少女不十分の内容としては不適切だと思っている。少女不十分は「難民探偵(白)」のようなものなので、こっちも読んで見るよろし)
はてなベテランが小説家としては新人として「少女不十分」を書いた結果がもしドラなんじゃなかろうか、と。
僕は本作以外に西尾作品を知らないが、西尾維新の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。
つまり、できるのだ。
西尾維新にだって、シンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルのものを仕上げるのは容易なはずなのだ。
ではなぜそうしなかったのか?
それはこの作品が小説家を目指していたかつての西尾維新の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。
もしかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。
西尾維新はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。
間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。
少女不十分が新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。
西尾維新という安心のブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。
そして気づく。
普通に書けば一行で済む文章に、比喩、暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど
数々の言葉遊びを仕掛け、自分の小説を支えてくれたファンに精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。
そこに筋の通ったストーリーなど必要ないことに。
これこそ本作が絶対的に小説でなければならない理由だ。
↓
僕は本作以外に岩崎作品を知らないが、岩崎夏海の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。
つまり、できるのだ。
岩崎夏海にだって、シンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルのものを仕上げるのは容易なはずなのだ。
ではなぜそうしなかったのか?
それはこの作品が小説家を目指していたかつての岩崎夏海の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。
もしかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。
岩崎夏海はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。
間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。
もしドラが新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。
ハックルという安心のブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。そして気づく。
普通に書けば一行で済む文章に、比喩、暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど数々の言葉遊びを仕掛け、
自分の自尊心を支えてくれたはてな村住民に精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。
少女不十分に対する批判と、もしドラに対する批判って、文章力「以外」ではほとんど同じだと思う。
ご都合主義だとか、作者の自慢だとか、作者のこと自体が気に入らないとか、これが本当だったら俺の人生は何なんだ、とか色々。
テーマも似てると思う。
少女不十分の少女はみなみであるし、少女不十分の主人公は岩崎夏海であり、
あるいは、少女不十分の少女は岩崎夏海であり、少女不十分の主人公はドラッカーである。
(この「混在」のせいで、読者からすると「ドラッカー」の価値がわかりにくいを通り越してドラッカーなめてるような小説に見えるのはご愛嬌。)
そういえば、岩崎夏海がめずらしく西尾維新の化物語をほめていたのが結構印象的だった。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111006/1317885951
しかし読めばわかるが、彼はその褒め方について化物語の面白さを全然語れていないと思う。的外れもいいところだと思う。
多分、それはもっと本質的な部分で感動させられたのだろうけれど、猫物語(白)の羽川翼のように、
化物語が自分の本質を付いているということを、それにゆさぶられることによって見えた自分の核の部分を見つめることを避けたのかも知れない。
彼はジョブズについても的はずれな分析とか論評を書いているが、
意外とブログに書いているとぜんぜん違う部分で本当にジョブズに救われたような部分があるのではないか?
彼が的はずれなことを書いている記事ほど、彼がその対象に本当に揺さぶられてるんじゃないかとおもう。
この人は結構こういう「出会い」の体験を何度もしている人なんじゃないだろうか。
ぎりぎりの所でなにかと出会って救われたり、出会いが自分を飛躍的に変化させる、ということを、体験から、理屈を越えたレベルで信じているのだと思う。
(この部分に思いを馳せないと、この作品には、つながりとして「?」を感じてしまうことになると思う。)
ブログを読んでいても、この人は「真の教師」を求め、自分も誰かにとってのそれでありたいんだろうな、という点はよく伝わる。
もしドラの成功後は、デュルケムの言うところのアノミー的自殺に対抗するためだろうかその傾向を加速している印象だ。(あまりにも空回りしている印象があるが)
「もしドラ」も、正直ドラッカーについてすべてを理解できているようには感じなかった。
ただ、その必要はないんだ、と思う。それは学者の仕事で会って読者の仕事ではない。
むしろ化物語のヒロインが阿良々木暦に出会うことで、生まれ変わりを果たすように、
みなみもドラッカーにコミットしていく過程で自分をみつめ、劇的に変化する。その部分が大事なんだと思う。
経営学者としてでもなく、社会生態学者としてでもなく、一人の人物としてドラッカーに出会い、
そこから何でもいいから自分の物語に必要な何かを学び取り、自分を自分で救い、クソッタレた世界の中で生きていく。
そういう「一人の人間の、出発までの話」を書こうとした部分はすごいと思う。
私はそういう意味で、この本は「ドラッカー入門書」という言葉は正しいと思う。まぁドラッカーに限らずの「出会い入門書」と言いたい。
先に感想を書いた「小説の読み方の教科書」は少し茶化したような書き方をしたけれど、もしドラは本当に「小説との出会い方の教科書」と読んでもいいと思う。
(もちろんもしドラは「出会い方」しか教えてくれないので、その後の「斬り結ぶ」方法や「深める」方法などは別の書物を参考にするべきだが)
「成長ではなくて出会いを描く物語」「劇的な結末ではなくて出発点を描く物語」「恋愛や友情以外でも人を変える出会いはある点を語った話」という点に絞ってみれば、この作品はかなり素晴らしい作品だと思う。(逆に前者側の評価指標で見るとすごい低評価になる)
作者がもしドラで成功した後すぐ別のところに興味が移ってしまうあたりを見ると(的はずれなことも多いけれど)
おそらくこの人はそういう「出会い」や「出発」を求めてやまないタイプなのではないかと思う。
正直アニメでもなんでも、ありきたりな結末には飽き飽きしているので、むしろこういう「強烈な出会い」や「強い動機の出発点」を描ける点を大事にしてほしいなと思う。
時代的にも、大人が語る将来や成功といったものにはネガティブなイメージがつきまとう。
今大事なのは、そういうつまらないゴールを目指してごちゃごちゃやる話とか、決断主義もののような、義務感で戦うみたいな話じゃないと思う。
ゴールはよく分からなくても、スタートせずにはいられないような強烈な出会いを描くことなんじゃないかと思う。
大人が読んだら無責任で、危険な話かもしれなくても、まずワクワクさせられるスタートをこそ、読みたいと思う。
ここまでわかってた上で、要するに結末部分はおまけだ、というのはわかっていても、まぁラストはひどい。笑えない。
あれは物語をカスにする要素であったと思う。蛇足どころの話ではない。この結びによって、この話そのものが茶番になっている。あまりにも若者を馬鹿にしている。
出版社がダイヤモンド社でなければこの部分は書かなかったのではないかと今でも信じたい。
もちろん、作家としては新人の彼が、出版社の意向を無視して好きな様に書けるわけではなかっただろう点は承知している。
だから、この作品については特に序盤については高く評価しつつも、次回作以降の期待を込めて全体としては低い評価を付けたいと思う。
そういうわけで、私は序盤と中盤以降で、別の作品とまでは言わないが、作者の本質は序盤にあると思っているため、
作者がその「結末」を持って、「序盤」部分の書店員の行動を正当化したあれは、全く理解できなかった。 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129
作者自身が、序盤と結末をつないでしまうこの感覺が私には今でも理解出来ない。どういうつもりなんだろうか・・・。
結論 うまくここに接続出来なかったのでやや唐突ですがご了承ください
良くも悪くも40歳のこれはオッサンでないと書けない、40歳のオッサンの感性で書かれた話だと思う。
この作品を理解する上でドラッカーの知識は全く必要ないが、ある程度の人生経験というか前提を共有できることは必須だと思われる。
「少女不十分」が、西尾作品を読んだ人でないとほんとうの意味で感動出来ないように
(彼の10年の積み重ねや作品傾向を知らないと、作品の芯の部分に心から共感できず、ただのお話に読めてしまうのと同様に)
次はfateかPersona4の話をしたいと思います。zeroじゃなくてstay/nightの話ね。
本当はもしドラのもう一つのテーマであろう「生き辛さ」について書きたかったのだけれど、
正直もしドラはコレについて十分に描き切れた作品だとは到底言いがたいので、それはPersona4とfate stay/nightにまかせる。
http://anond.hatelabo.jp/20110915125054
基本的にはギャル社長の経営者自伝みたいなもんであり、バイブル化されやすいものなんだろう。
その上で、割と本気で切羽詰まってる人にはもしドラが救いになるんじゃないかと思って書いたんだ。
7つの習慣は…
例えば、人の生活を長い目で見たときには、
自己啓発本は 人生を飛躍的に変えそうなウケのいい小話を適当に列挙してるだけ。
列挙してるだけ。
などという都合のいい方法はないと言っているし、
「新しい物の見方」や「気付く事」がアレやコレやと含まれているから。
そういうのが僕らの視野を広げて思考の幅を広げてくれる
なぜ視野を広げ、思考の幅を広げる必要があるのかという、
自己啓発本は 読むのに頭を使う必要がなく、
この本は読んだだけでは役には立たず、
頭も体も心も使って実践し、「習慣」にしなければ価値はないと言い、
本の各所にエクササイズを付けている。
孔子、老子、仏陀、デカルト、フランクリンなどが実践した生き方と基本は同じ。
徳を身につけるということだ。
そういう自己啓発本をあれもこれもと読まなくても、
俺は中継見なかったし別に感動もしなかったので全く後ろめたくないけど、後ろめたい人は寄付すればいいじゃん。
具体的にどういう風に寄付するのかは俺も知らないので、財団法人日本サッカー協会に問い合わせればいいじゃん。なんかあるかもよ。
http://www.jfa.or.jp/info/inquiry/index.html
寄付を受け付けてくれないかもしれないとか、組織を通すと中間搾取ガーとかいう人は何か自分で上手い方法を考えればいいと思う。
方法を考えるコストも含めて、なでしこジャパンに感動の対価を支払えばいい。
-
ところで他人が「いやー感動したね、良かったね」と言って翌月あたりにはケロリと忘れる(であろう)ことに文句をつける厄介な人達がいるけど、
そんなもん忘れるものは忘れるんだからしょうがないだろう、興味が持続しなけりゃ忘れるよ普通。
講演会でもサイン会でも自伝出版でもCM出演なんでもやって儲ければいいと思う。
女子サッカーっていうのはこの一週間くらいでものすごく宣伝されたようなものなんだから、
そこで高まった自らの商品価値というのを彼女達は金に換えていけば良いんだよね。多少の手間はそりゃ必要でしょう。儲けたきゃ。
そもそも本人達が金が欲しいと言ったわけでもないのに議論してもしょうがないけど。
まあ要は「なでしこジャパンが世界一になったのに儲からないのはおかしい」という話については「儲けたきゃ儲ければいいじゃん、これからチャンスなんだし」ということだよね。
もちろん儲けたい人がみんな儲かるわけじゃないから、あ~なんか頑張って世界一になったのに金ないな~って人もでてくるかもしれないけど、世の中そんなもんなんじゃない? それがおかしいというなら→寄付だ!
雇用の流動化が必要だというと、「人々の不安が増す」とか「モチベーションが下がって生産性が落ちる」いった批判がよくある。たしかに会社という繭にくるんで、すべての人をやさしく守ることができれば理想だろう。戦後の一時期には、それが実現したと錯覚された時代もあった。しかし残念ながら、もはやそういうユートピアは失われたのだ。
今われわれが直面しているのは、福沢諭吉以来の「個の自立」という問題である。『福翁自伝』などを読むと、100年以上前の本なのに不思議に単純明快でわかりやすい。本書は、その「新しさ」をハイエクなどオーストリア学派のリバタリアンに重ねて解釈したものだ(絶版)。
ハイエクは福沢の死んだ年に生まれたので、福沢が影響を受けるはずはないが、両者には共通点がある。それは若いとき、ヒュームやミルなどの古典的自由主義の影響を強く受けたことだ。そしてハイエクにとって社会主義との闘いが個人の自由への信頼を生んだように、福沢の場合も「門閥制度は親の敵」という儒教的秩序との闘いが生涯のテーマだった。
福沢以来、丸山眞男や大塚久雄に至るまで、個の自立は日本の知識人の見果てぬ夢だった。しかし今われわれの見ているのは、福沢が生涯をかけて闘った封建的秩序が自壊し、ゾンビ化した状態である。そこに出てきたのは自立した個人ではなく、帰属する集団を失って自殺する失業者と、家族にも見捨てられた「消えた老人」だ。雇用が流動化すると、こうしたストレスはさらに増えるだろう。
本書も指摘するように、福沢のいう「情愛」を排除して論理のみによって人々が結びつく社会は、彼のような強靱な知性の持ち主でなければ耐えられない。テイラーのような北米の人々が近代に築き上げた人工的コミュニティが崩壊して個人主義が強まることを危惧するのとは逆に、日本では近代以前から継承してきた「強い中間集団」が有効性を失う一方、人々は北米型の「強い個人」にはなれないのだ。
しかし福沢以外の道はあるのだろうか。北一輝は個人主義を超克する国家社会主義を提唱し、日本浪漫派は近代的自我を否定して「近代の超克」の道をさぐったが、それは破滅への道だった。戦後の日本的コーポラティズムの意外な成功は、欧米的な個人主義を経なくても繁栄できる「東アジアモデル」を示したように見えたが、それも幻想だった。
いま日本の陥っている袋小路を脱却する道は、おそらく福沢のいう「独立自尊」しかないだろう。われわれは市場経済によって得た富を捨てることができないからだ。そして組織を守ることによって個人を守るのではなく、古い組織を淘汰して社会によって個人を守るシステムに変えるしかない。福沢は、今なお新しいのである。
「suteacco 単なる偶然かもしれないが「この世代」にある何かをまじめに考えた人いるのだろうか。いるなら話を聞いてみたい。」
ネット右翼的ルサンチマンだと感じるかもしれないけど。たんなる自伝(?)にすぎないかな。
・実質的な「ゆとり教育」最盛期。否定する論者はほぼ皆無(むしろ、「ゆとり教育」という言葉が出たときには、反発する層が活発化し、かなりこの思想は相対化された)
・ニューアカ的左翼思想の全盛期、朝日新聞的意見が社会の主流。
・住専問題だの、ノーパンしゃぶしゃぶだの、とりあえず政府や官僚、役人を叩きまくる風潮が強かった気がする。
特にそういうワイドショーの視聴率が高かった。あと芸能人叩きもひどかった。「○○が付き合った」「別れた」どーのこーの。
・個人的には、すごく窮屈で息苦しい時代だった。子供ながら、建前的な正義(≒朝日新聞的正義)に嫌気が差していた。でも、それが唯一の正義だとも思っていた。
□中学生……1995年=阪神大震災、地下鉄オウム、そして「エヴァ」
・被災者はともかく、個人的には「(ほぼ)中二でエヴァ」が圧倒的影響力を持つ。
当時の中学校では同学年の男子は9割、女子でも5割程度は見た感触。(再放送時に録画したビデオテープの貸し回しが凄かった)
・高校や大学等で色んな人に聞いてみたが、この世代へのエヴァの影響力はものすごい。「エヴァなら全校生徒観ていた」と断言されたこともある。
もちろん、エヴァは時代の風潮を反映してつくられた作品である。
しかし、「この世代」にそれをダイレクトに、強烈に、過剰に伝える媒介を果たしたのが「エヴァ」だった。
それ以前の「建前の世界」を全て取り剥がして、「本音」を初めて自分たちにぶつけてくれた、と感じた。(今でも感じているよ)
・小6か中1で酒鬼薔薇事件が起こった。多分同年齢だけど、当時はその社会的意義をよく理解できなかった。「同じ年なのにすごいなぁ」とか程度の感想しか出ない。
たぶん、あの子は僕らの中でもとりわけ世相の雰囲気に敏感だったのだと思う。単なる精神異常者ではなかった
……と大澤真幸前京大教授(セクハラにより引退、でも個人的にはまだ崇拝してる)の授業を受けて気づいた。
□高校生
(・エロゲーの隆盛 『To Heart』 『ONE』 『加奈』など)
・「ネオ麦茶事件」・・・酒鬼薔薇よりネオ麦茶のほうがよっぽど親近感を持った。「あーあ、やっちゃったよ…」みたいな。
・世相の右傾化。今まで「正義」とされてきたことがことごとく否定される。個人的にも従来の「正義」には違和感を覚えいたので大きく賛同する。
☆分かりやすい図式でいえば、バブル崩壊とネットの進行によって価値相対化が起こり、虚無感が広がる。ニヒリズム化。
これは今までもよく言われていたこと。
なんかの本で、それは末期がんの患者が書いた自伝のようなものだったけど、
もうすぐ死ぬって時に、怖いとか悲しいとかじゃなくて、「さびしい」と思うんだということが書かれてた。
この景色も、あの人にも、もう二度と会えない、もう二度と見えない。それがさびしいと思うんだと。
「虐めっ子が死んだ」を、もし読めたとしたら、
もしかしたら、すごく嬉しいんじゃないかなあと、ふと思った。
ふらっと自殺した人にとっては、
「いいやつだったのに」とか
「なんで自殺なんか」って言われるより、
あのように必死に罵倒される方が、ずっと嬉しいんじゃないかと。
今朝の始業前。
職場で普段フィギュアスケートなんで見たこともないような人が言う。
「あの子は何かに似てると思ったら片岡鶴太郎だ。トリノのときは金太郎みたいだったけど」
私はスケオタの端くれで、その『あの子』を私はトリノ前から長い間応援している。
チケットの取れる試合もショーも見に行った。
そんな彼女を鶴太郎と言われて(似てねえよ!)と青筋を立てながら
「女の子に鶴太郎は可哀想じゃないですか」とか言ってお茶を濁した。
グランプリファイナルも全日本選手権も世界選手権も毎年(テレビでは)散々騒がれているのに、その間に彼女が浮いたり沈んだり、また浮き上がったりしたことも全然関係なく、ただ『オリンピック』というだけで4年ぶりに彼女を認識した人が言う。
「トリノのときはあれで金とってタレントに転向するつもりだったんでしょ。意識が甘すぎで浮かれすぎじゃない」
私は昨日彼女の自伝を読んだばかりで、あなたは彼女の何をわかってそんなことを言うのか、とあの時のマスコミの暴走といい加減さと、日本のエースとしてプレッシャーを受けつつも今日素晴らしい演技をした少女より年下だった当時の彼女の対外的な拙さと心理状態とを説明しようとしたけど、一瞬で無駄なことと悟った。
スノボ関連でオリンピックに出るのを渋る選手に、コーチが「オリンピックに出ればみんながお前を知ってくれる」というようなことを言ったという記事があったけど、その『みんな』の大勢はオリンピックの前も後も頑張ってる『お前』のことはどうでもよかったりする。
どんな競技であれ力のある素晴らしい選手が、4年に1度のその時に力を出せなかっただけでその時しか見ていない人に『たいしたことない選手』として認識され、マスコミを鵜呑みにした好き勝手を世間話として語る。
それが五輪。
だからこそ、ファンとして選手には今の素晴らしい力で自らリベンジしてほしいと思う。
4年の間を見てこなかった大勢に、その4年間で成し遂げたことを見せつけてほしい。
ショートプログラムを終えて、順位はともかく厳しい点差かもしれない。
それでも彼女はそれができると信じている。
私が上手くゆかなかったのは、ひとえに他人と上手く関われなかったからで、もし大学院に行ってもう一度新卒で就活したとしても、また同じ事の繰り返しになるんじゃないだろうか。
もし、内定がとれたとしても、会社に入ってから他人と上手く関わることが出来なければ、上手くやっていけないんじゃないだろうか。
そう考えたら、新卒にこだわるよりも、他人と上手くやっていく方法を探すべきなんじゃないか。
そもそも「新卒」ってなんなんだ?
そう考えた私は、とりあえず増田上部の検索欄に「新卒」と打ち込んでエンターキーを押した。順序が間違っている気はするものの。
まず目につくのは、やたら自分語り、身の上話が多いということ。
それも当然の話で、新卒イコール就職イコール人生のターニングポイントであり、人生の話が出てくるのは必然だ。この日記もほとんど自分語りである。
次に、面接マニュアルみたいな話。こーゆー話をしたがる人って、どーゆー神経してるんだろう。ぼくにはとてもできない。
それから、とにかく新卒で就職できないと大変なことになるらしい。30過ぎてフリーターとかニートとかになるらしい。でもそれって本当に新卒が悪いんだろうか?
また、新卒で入社できない人間は社会不適合者であるらしい。果たして本当だろうか?
漫画家の山田玲司は「非属の才能」という新書の中で「社会不適合者はみんな天才だ!(意訳)」という、なかなか論理的にもぶっ飛んだ自説を開陳していた。
なるほど、確かに成功者には一時的に社会からドロップアウトしたような人も多い。例えばアップルのスティーブ・ジョブズなんかは、大学を数ヶ月で退学している。
しかし。しかしである。
世の中の一般的な人、平凡な人、普通の人、人並みな人、日塔奈美は、みなちゃんと大学を卒業して、新卒で内定を貰って働いているのである。不況の今年でさえ、六、七割の学生は内定を貰っているのだ。
そもそも、有名人に社会不適合者が多いのは、その個人的才能が突出していることによって一時的に社会から疎外され、後にその個人的才能によって有名人になったのではないか。
そういった有名人と、個人的能力が不足していることによって社会不適合となった人間を、同列に語るのは間違っているのではないか。
増田を「新卒」で検索すると、今現在フリーターをやっていて、作家になりたい、という人がいる。
しかし、ただ単に社会不適合であるというだけで、作家になることは出来ない。
何らかの特殊な経験を経ただけで、特殊な表現が出来るようになるわけではない。例えそれが戦争で前線に送られた人の自伝的小説であったとしても、つまらない小説はつまらない。
自分が特別であると思いこんではいけない。
じゃあ果たして、新卒で失敗した私は特別なのであろうか。
大卒で六、七割ということは、同学年で正社員として働いている人はもっと少ないんじゃないか?
六、七割のうち、会社になじめずに退社して第二新卒になる人はどれくらいいるのだろうか?
本当に私は、特別なのだろうか?
私にはまだ、自分がどうすべきかわからない。
追記:トラバしたくなった
いっそ転職したらなおるのだろうか。鬱って。
http://anond.hatelabo.jp/20090712003205
負担ではないのです。
うれしいなど、とんでもない。
ありがとう。
http://anond.hatelabo.jp/20090712172113
天野月子とか久しく聞いてません。博士と孔雀が聞きたくなりました。
しかし、MP3プレーヤーの中身を入れるためのPCは調子が悪く、
身近な人様にはあまり聞かせられない感じのごちゃ混ぜ感です。
そうなのです、人生長いのです。でも、せめて三年は生きようかな、というくらいの意識しかないです。
>甘い物だとどーゆーのがいいですか?
>風俗
なんか、自分の遺伝子が入ると障害を持って生まれてきそうなきがして…。
障害を持っている人が不幸だとはいわないけれど、
やっぱり周りは大変なのだなと小学生のときの特別学級を見て思ってるので。
>ところで、本ってどういう種類?小説?新書?教科書?絵本?自伝?
自分と同じようにSEをしながら作家さんになった人とかは、どういった生活をしていたんだろう。
すごいなあ。
明日もがんばらなきゃ。
がんばろう…。
仕事、おつかれさま。
>>なにかと音が耳について大変だけど(父がテレビで見ていた踊る大走査線の音がとても自分を不安定にさせてました)
みみせんってすばらしい。
ぐ・・・!お、音楽を勧めてもいいものか・・・?
選曲のポイントは「気分にあった曲を聴くこと」です。
「自分の気分に反した」明るい曲を聴いても、たぶん雑音にしか聞こえないと思う。
「自分の気分にあった」暗い曲を聴く方が「気分がいい」はず。大事なのはあなたの気分がいいかどうか。鬼束ちひろ「私とワルツを」とか天野月子「箱庭」とか。
・・・ただまあ、最大の難点は、音楽ってそのときの気分を強化する方向に働くんだよね。
月曜とか、「動きたくない気持ち」が余計ひどくなって、動けなくなるかも。
人間感情あるものだし、「動きたくない気持ち」自体はそれでいいんだけど。
私も働きたくないし。働いたら(ry
ただ残念なことに、日本では一度ニートになると這い上がり辛いので、長期的に考えるならニートはおすすめできない。
困ったことに人生長いからね。
>>甘いものはなんというか、唯一味がわかるというか、ほかの味に対して意識が薄いんです。
前に書いたけど、感情が鈍くなるのがうつの特徴、と思ってる。
生死にも、好悪にも、痛みにも、快楽にも。
でも、私がいくら楽しい気分だったとしても、あなたの心を私の楽しい気分で塗りつぶしてあげることは出来ないのです。
あなたの心はあなたの物ですから。
だから、その中でまだ鈍ってない感情は大事にして欲しい。
もう一回聞きますね。甘い物だとどーゆーのがいいですか?
あ、こないだ書き忘れましたけど、どれも一緒に感じるならそう書いて下さっていいです。
私にとっては、ケーキもチョコも違って、それぞれいいところがある別物なんですが、
あなたにとっては、全部同じ物かもしれない、という可能性は当然ありますよね。
>>女の子は好きだけど、自分の遺伝子は残しちゃいけないと思う。
うん。これ大事。「好き」という感情は大事に。
風俗でもどーでしょうか。これなら子供は出来ない、というか出来ることは全く期待されていない。
・・・ちなみに、本当に「自分の遺伝子は残しちゃいけない」ですか?単純に子供嫌いということはないですか?
子供嫌いとか社会的にはよろしくないですが、社会もあなたの心を塗りつぶして、いい子にしてあげることは出来ないです。
もちろんこの問いも、「答えたくない感情」があるなら、答えないでいいです。あなたの感情を大切にして下さい。
>>やりたかったことはね、いつか自分の本を出すことだった。自分にとっては子供の代わりなのかも。
やりたいことを目標というのです。マジョリティ的には、金酒女が挙げられますが、あなたの場合は違ったようです。
当然だけど、やりたいことは人それぞれ。どうかあなたの感情を大事にして下さい。
ところで、本ってどういう種類?小説?新書?教科書?絵本?自伝?
もちろんこの問いも、(ry
ただ、答えられないとすれば、今までのあなたがどれだけ自分の感情を見てこなかったか、ということだと。
これはすごく悲しいことだと思います。
あなたの心の声を聞けるのはあなただけ。
そのあなたが、自分で自分の感情をニグレクトするのは、やめて下さい。
私では、あなたがどんな本を書きたかったのかわからないです。
私では、あなたに目標を与えることは出来ません。
>>笑顔も作れるけれど、とてもしんどい。
他所へのレスだから、ちょっと領空侵犯?
自分の感情に合わない表情をするのは、疲れます。意識して顔を動かさないといけないからね。
でも、これはあなたに感情がある証拠だと思う。
他人の意図・期待を鏡みたいに写して返すだけで満足できる機械には、なれないよ。
あなたは親のためとか、社会のためとか、何かのために作られた存在ではないから。
私は私のために存在しています。そのようにしか存在できない。
どうか、あなたもあなたのために存在しますように。
もし、泣きたくなったら泣いて下さいね。
本当は「もー、しかたないなあ。」と言ってくれると信じられる人がいる所で泣けたらいいのだけど。
たぶん無理だから、ばれないように泣いてね。親とか彼女に見られたら気まずいと思ってるだろうから。嫌なことをする必要はないよ。
大丈夫。泣いても、あなたがあなたであることは何も変わらない、変われない、から。
ただ、少しすっきりして、よく寝られるかも。
2009/4/7の読売新聞の論点にて元陸将が田母神論文批判を書いていた。
だいたいこんな内容。
●(田母神さんは)自衛官が命を捨てる国防の根拠を「侵略の過去を持たない良い日本の歴史」に求めているが、
交戦国は互いに異なった正義があるのは世界の常識で、日本の主張だけを正義とするのは客観性に欠いている。
●自衛官の決意の前提(文のまま)を「良い日本の歴史」とするならば、歴史の評価が定まるまで
●今の日本を見れば、政治も道徳も決して良い日本とは言えない。それでは「良い日本」が存在しないから、
自衛官は命を捨てる国防の決意を持たないことになるのだろうか。
●自衛官が国防を決意する根源は歴史でなくて、「自分の国は自分の手で守る。主権者には国防の義務がある」と言う
●私も在職中に政治決定への反論を考えたことがある。だがその都度、先輩から「軍人は所詮職人だよ」と諭されて受け入れてきた。
組織のトップがこのルール破れば、部下はそれに倣って勝手放題の行動を取るかもしれない。
己の所信に忠実ならんとして、組織を省みないのはトップではない。
●軍国主義華やかなりしころの軍人は今の自衛官に比べて遥かに自由であったことと思われる。
だが一部の現役将校たちは、専門外の軍事以外の分野に発言を求めだし、クーデターも純粋な青年将校の行為と主張したのではなかったか。
http://kakisyann-kaisou.seesaa.net/upload/detail/image/001-6e6f8-thumbnail2.jpg.html/
でもってそれに関するネタを2ch軍事板で探してたらこんなスレを発見。
694 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 00:52:06 ID:???
読んだ香具師いる?
696 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 11:32:05 ID:???
ああ、読んだよ。
至ってまともなもんだよ。
戦中派とか厖大10期ぐらいまでは、組織人としてごくまともで、非常にラディカルでバランスのいい
方々が多かったなあ。
ところが俺が厖大にいた頃に冷戦構造が終わり、さてこれから日本の防衛をどうするべきかって
学生なりに真剣に考えていたところに、タモさん世代は混乱して、なぜか皇軍に「原点回帰」しちまった。
講話とかで平気で旧軍を「先輩方」と言ってしまう神経には、呆れたものだよ。
自分たちの存在意義や使命感を半世紀前に求めるって、どんだけよ?
ああこういうバカな司令官になっちゃいかんのだなと、その時みんなで思った。
ちなみに厖大一桁は、旧軍の将軍を「諸君の先輩は」と言った旧軍将官に対して
といって、新たな国防の担い手であることを高らかに宣言したという逸話がある。
隊内のいわゆる「むかし防人、いま自衛隊」ちゅうたとえは、そこから来たわけで。
705 名前:696[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 12:54:42 ID:???
「先輩なし」というのは、表面的につながっているとか継承された部分があるとか、
本質はそういう話じゃないと思うんですよ。
彼らが任官したとき、上司も部下もみんな「旧軍関係者」なんです。
にもかかわらず、20代のそこそこの若者が、周りが旧軍出身という環境で、
自称「大先輩」にそれを面と向かって言ったという、その勇気と気概が痛快で
見事なわけで。
もっともこの勇に至ったのも、当時講話なんかを旧軍関係者がすると、平気で
当時の海軍や陸軍の礼装で来きて、ひたすら武勇伝を宣う、今で言う「KY」な
負け戦しといて、軍装して自己弁護とは、なんのこっちゃと。
こりゃあ、指揮官がこんなのだから戦に負けたんだなと思ったんだろう。
井上成美は、こういう連中に「恥知らずが!」と激怒した話があるらしいけど。
706 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 13:51:56 ID:???
なるほどね。そういう背景があったんですなぁ。
了解しました。
昔の自衛官はえらかったんだねぇ。
むしろ我々もみならわなきゃいかんね。
720 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 16:38:45 ID:???
>井上成美は、こういう連中に「恥知らずが!」と激怒した話があるらしいけど。
当時は蟄居して自伝書いて印税を部下の遺族に渡してたんだっけ?
そりゃ恥知らずって怒るのも判る気がする。
そもそも敗軍の将が平気で兵を語ってるんだからな
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239170839/
はるかに年下の若造が、大先輩に対して「我らに先輩なし!」と言い切れてしまうその若さと気概にちょっと震えるくらいの感動を覚えた。