でもそれは、お金には本質的には価値がないと言っているようなもの。
お金があることで、信用どうこうでなくお互いを信用できて通商できる。 物の価値は物を見る目が無いとダマされるけど、お金の価値は誤魔化しようが無いので、お金で取引すればよい。 となるから。
社会常識もこれと同じで。 時間を守ったりといったものを守ることで交渉できる。
② 社会性を叫ばれるとうざいのは何故?
社会人としての常識 などと言われると非常にいやな気分になる。 そんなもの本当には価値が無いというのは少し考えれば分かるから。
もちろん、心の問題では本質的には価値が無いけど、お互いが交渉するために必要だから身につけろ、というのは理解できる。
だけど、発言してる人が、『社会性がないヒトは軽蔑します』 のような感情や人間性を叩くような事を言うのが気に入らなくなる。
そんな根拠の無いものでヒトを判断するのはおかしいやん、と感じてしまうから。
逆に、それをやられてしまうと、 『あんた社会常識で俺を判断するけど、それをやってる時点で人間の心についてまともに考えたことが無いの丸出しやン。 なんでそんな人が人間性がどうこうっていうの? おかしいやろ』 となってしまう。
③ 本当の人間性
文学で、まあなんでもいいんだけど、主人公はたいてい社会性が無い。 ドストエフスキーでもチェーホフでもなんでもいいんだけど。
そういうのは社会性を余り問題にしていないというか、むしろ社会性でヒトを判断するのは危ないみたいな感じになっている。
国家に裏切られたヒトとかが、なんでだろう? と考えた末に、そういう考えになるんだろうと思う。
それをそのまま肯定してるのがたいていの文学のように思う。
と思うし、実際そうなってるようなので、だからこそ、『社会人としての常識が守れないのは人間性が無い、他人の事を考えられない自己中心だ 』 と言われると、 『あんたは心を学ぼうとしたのか? なぜ根拠も無いのに否定するの?』 となる。
色んな人がいるし気にせず好きなように生きたらよろしいと思います!!! 自分は人間性だとか心だとかって、それも社会に後付けされた物だと思ってよくわかんねーや。 なんかそう...
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