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はてなキーワード: 旅行とは

2012-02-16

「好きです」と言う事

初めて人を好きになった.あと数年で30にもなると言うのに,初めて.


今までそういう機会に恵まれなかった.

と言うよりは,自分から作ろうとしなかったし,そういう機会を自分から避けてもいた.


たまたま,縁あってその人とはよく遊ぶ事があり,仕事の事,人生の事,恋愛の事などほかの友達に話さないようなことも話した.


その人のおかげでいろんな人と知り合う事も出来たし,私の友達も紹介する事ができた.

なんていうか,本当に友達の輪が広がって行く事を日々感じる事ができ,すごく楽しかった.


何度か一緒に旅行をしたりし(もちろん二人ではないが),その人の人柄を改めて見て、やっぱり好きなんだなぁと再認識した。


先日,やはり旅行に行った時の帰り道,二人になる事があったので,「好きです」と言ってみた.


相手は,私がそういう気持ちを持っている事に驚いていた.

返事は,後日頂くと言う事になった.


今はちょうどそのご返事待ちと言う状態である


さて,タイトルの通り,「好きです」と言ってみたのですが,

この言葉,思ったより攻撃力が高く,思ったより影響範囲が大きい.


上記の通り,お互い共通の友達をたくさん作ってしまっていて,

皆で仲が良かったところが,私の言葉によって,関係が変わりつつある(様に感じている).


普段,気さくに話しかけていたのに,流石にそういう感じにもならず,

何となくお互いで距離を置いている.


返事をもらうのは遅くなってもいいと言っているので,しばらく返事は来ない.


相手に対して,強い気持ちをぶつけるので,結果がYesであれNoであれ,二人の関係が変わる事は認識していたし,変化してしま覚悟も決めていた。

ところが,友達関係まで影響が及ぶとはあまり考えていなかった。(なんでだろう。)


今考えると当たり前なんだけど,そこへの影響はかなり大きい.



色々事情があって,相手から返事をもらえるのはかなり遅くなると思う.

返事がYesなのか、Noなのかもわからない。


ただ,返事をもらっていないこの状況で,これだけ状況が変わる事を考えると,

本当に何もかも失いかねない行為なんだなってすごく思った.


うまく行くか,うまく行かないかからないけど,いずれにせよ元の通り遊んだりできたらいいなって本気で思う.


ただ単に失いたくないんだなぁ….失ってしまうなら言わなければ…とかそういう感情なんだろう.


選んでもらえるならこれほど嬉しい事は無い.

どっちにしても,ちゃんと結果を受け入れる覚悟,周りの環境が変わってしまうかもしれないと言う覚悟もっと固めようと思った.


しっかし、返事もらえるまでもやもやしてるのはつらいなぁ…wwwww

2012-02-09

はてサがっかりした話

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120207

http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20120208

こんなくだらない口げんかで相手に脅し掛けるためだけにいくら使ったんだこの人。

時間と金を掛けてこんなことやりにいって、楽しかったんですか。何か元が取れたんですか。

本人すら何も得ていない、当然周りも何も得られない、本当に完全に金と時間をドブに捨てただけだよね。

どうせ捨てる金なら、震災復興やら恵まれない子供やらのために寄付したりとか、他にもっと有意義な使い方はあったろうに。あるいは、東北の被害の少ない地域旅行に出かけてお金落としてくる方がはるか有意義だろうに。

Midasに「殺せるもんなら殺してみろ」と言いに行くことがそんなに大切だったのか。チャイムがちゃ押しして誰も出てこなくてさあ帰ろうかって時、さぞドヤ顔をしていたのだろうな。

交通機関に何使ったかしらんけど、新幹線かな? こんなくだらないことのために電力を浪費。馬鹿じゃなかろうか。

そしてこんな馬鹿な戦果を喜んでるブクマお馬鹿さんたちも実に馬鹿だなあと思う。

まりにも虚しい気分になったので、どこかに募金にでも行くわ。貧乏なもんで神戸東京間の交通費ほどには出せないけれど。

2012-02-08

[]7-A

小木曽雪菜

<今、目の前にいるこのコを…小木曾雪菜を大事にしたい。一番大切な人を、一番大事にしなくちゃいけないのは当然のことだから



・やっぱりね…みんなでパーティしようよ?

 できればみんなで祝ってもらいたいか




・そういうの、わたしたちにはまだ早いよ。




・…偶然だからね?

 偶然、わたしを置いて旅行に出かけちゃってて…

 たまたま、家に誰もいなかっただけなんだからね?

 ………

 ね、かずさ…

 あなたが来ないと、

 わたしたち、どうなっちゃうかわからないよ?

 だってわたし…

 嫌だなんて、全然思ってないんだよ?




・食べきれるわけないよね、これ…

 ……

 ま、いいか明日も食べればいいんだもんね

 ……二人で。




・「私を」頼ってくれて嬉しかった





・そんなに「ただ好きなだけ」って変かな?





・春希くんは…

 ………

 ううん、いいや。聞くまでもないことだから




・(かずさの留学のこと、知ってたんだね…

 だからあんなに、ボロボロなっちゃってたんだね・・・っ)





<俺は、そんな彼女の綺麗で純粋な気持ちを、もう、受け入れられるわけなんかない>

http://anond.hatelabo.jp/20120207222656

形じゃなく記憶に残るって感じで旅行に行くとかは?

ふたりで10万だとやや足りないかな。

でも自分なら、貯金10しかなかったら、それは緊急用に置いといて他の記念を考えるな。

慶弔やら病気やらケガやら事故やら家電故障やら、不測の事態が発生すると10万ぐらいはすぐ飛んじゃうからさ。

アクセサリーはもうちょっと余裕がある時に貰ったほうが嬉しい気がする。

2012-02-06

相手とは、知り合って16年になる。

学生時代の、お互いの彼氏彼女の付き合いも別れた経緯も互いに全部知っているし

住所も電話番号もパソコンメールアドレス

実家の住所も家族構成も知っていて、

一緒に映画を見たことも食事したことも酒飲んだこともコンサートにいったことも

ケーキ食べたことも浴衣着て会ったりしたことも

クリスマスの日に一日一緒に街をぶらぶらしたこともあって、

互いの部屋に泊まったことも一緒に深夜番組見ながら笑ったことも

互いを代わりばんこに腕枕しながら眠ったことも

もちろんキスセックスをしたこともあって、

服借りたことも風呂借りたことも

病気とき見舞いしたりされたりしたこともあったが

付き合わなかった。何も約束しなかった。

お互いに海外勤務になるときも、互いに励まして見送った。

たぶんずっと好きだった。だから何も言えなかった。ヘタレだった、といえるのかも。

とくにこの8年、つかず離れずの付き合いをしていた。

たぶん向こうにも付き合う寸前の相手、みたいなのが他にもいたと思う。

私もそうだったかお互い様。それでもそちらには行かなかった。お互いに。

今度、ひさしぶりに一緒に旅行に行くことになった。

ただ、仮に旅行をしても、きっと今更何か約束したりしないだろうなと何となく思うし、

でも私が30前半にもなって全然婚活もする気にならないのは

この人の存在があるかだろう、という確信もある。

どうしてこの人は、他の女性と付き合ったり結婚したりしないんだろう。

どうして私はこの人と一回付き合って、そして別れておかなかったんだろうか。

心理的に吸引力が強すぎて、約束を迫れない。

でも、ずっと好きだったから、忘れて次に行くとかできない。やめられない。何度もやめようとしたのになあ。

2012-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20120202210857

クズから自分の命を投げ打っても惜しくない

被災地に行ってみるのもアリかもしれん


他人を自己実現の道具にしちゃいかんと思うんだ

世界一周旅行で見聞を広めようぜ

2012-01-31

老人を活かすには

今日ニューステでゲーセンに入り浸る老人が映されていて

その表情が特別楽しいというわけでもなく、時間つぶしでしかないようで

そこはかとなく悲しい気分になった。

もし男性定年退職した後、職に就けなかったときはどのような日常を送るのだろう。

ボランティア団体というのは体力がなかったり、特別な能力がない人間を入れてくれるだろうか。

年金が減額されていく中で豪奢な旅行はそうそうできない。

そうなると10年後にはニートじぃやが溢れているのでしょうか。

 

1日数時間の簡単な仕事があればいいですが

簡単な雑貨の組み立てなどの仕事中国に奪われてしまい、

日本に残った仕事は体力のいるサービス業頭脳労働ほとんど。

誰か老人たちを活かす妙案を持っていないでしょうか?

2012-01-29

今頃鏡音三大悲劇の一『悪ノ』シリーズ

または希望絶望連鎖について書き捨て。




『悪ノ』シリーズって何ですか

音声合成DTM製品VOCALOID2 CVシリーズ」の第二弾である鏡音リン鏡音レン」を用いて作られた一連の楽曲作品。詳しくは検索

小説とか漫画とか劇化もされてるようだけどそっちはノータッチなので除外。なんか詳細設定とか山のようにあるらしいけどあくまで元動画とその歌詞情報源を絞る。

核となっている曲は『悪ノ娘』と『悪ノ召使』の二曲。

前者はある国で暴政を敷いた愛らしい王女革命によって倒されるまでのことを歌った歌、後者はその王女に仕えた召使い視点から同じ一連の出来事を歌ったもの

YouTubeとかに死ぬほど転がっているのでこの文章を読む人にはできれば聞いといてほしい。ネタバレを含むので。『悪ノ娘から先に。

英語版ならEnnという人? が歌ってるやつの歌詞が好きだな。情報量が多くて。



なぜ『悪ノ』シリーズを取り上げるんですか

身も蓋もない言い方だけど「売れてる」から

ニコ文化中高生とかOTAKU中心に大人気とは知ってましたが劇って。コミカライズくらいまではわからんくもないが劇。

ファンとはいえそこまでのめり込むほどか。何がそんなに優れてるっつーかウケてるのだろう、という話です。

「優れてるからウケてるんじゃねーよ」というお話はあるでしょうがまあそこはおく。ぶっちゃけ「優れてない」点はいっぱい挙げられるし。

たとえば物語終盤の交代劇とかバレねーわけねーから常識的に考えて、とか。

・仮にも国のトップなんだから、立てるならもっとマシな影武者を立てるのが普通というもので、脱がした瞬間バレるようなのに気がつかないとか革命が総崩れしかねない。

  いや史上の狂乱というのは往々にしてそういう熱狂が高じてもはや狂気〜みたいな面があんだろうことは否定しないけど、そんなの後世には物好きな歴史家とかにケツの毛までひんむかれるレベルまで分析されるのが当然なんだからさ。恥ずかしい性癖が伝わっちゃってる為政者が今どんだけいると思ってんの。読んでないけど正直小説版にはクビ落としてから替え玉と判った革命軍の偉いさんとか偽史として押し通してきた『召使』側の話を証明しちゃったアマチュア研究家とかが裏で始末されるドロドロとかがきっとあった! と信じている。三次創作

・本物も見物に戻ってくんなよ。そこでバレたらすべてがガチで水の泡よ。危険すぎるだろ。

…とか、突っ込みどころはとってもたくさんあるわけなんですね。文化ルーツしっちゃかめっちゃかだとかそもそも歌詞ちょっと拙いとかね。

にも関わらず、絶賛者とかいっぱいいる作品でもあるわけで。合唱とか英語版とかあって再生数すごいし。

何がそんなに人を酔わせるのかしら。それがロマンスというものなのか。

いやねーだろ。これロマンスじゃないじゃん。中世騎士物語とかほんのちょっぴり読んだことあるけどコレジャナイ感すごいじゃん。

三大悲劇って言われてるけど悲劇ですらねーだろと言いたい。少なくともwikipedia曰くの古典主義的・新古典主義的「悲劇」では絶対ない。

それでは「これ」は何なのか?



ウケた要因の私的解釈

まあアレじゃん。ジェンダー界隈でいう性役割意識がどうこうとかあと男の娘ブームとかなんかそんな。

あとこれ国家の皮をかぶった家庭悲劇なんですよね。一種のセカイ系というか。

このお話は王家に生まれた男女の双子のうち女が王家に残されて(おそらくは凄い抑圧とか受けて)暴君になって、男はどっか養子とか?出されて召使いとして戻ってきたつーことになっていますが、男をイエに残して女はよそに嫁がせるつーのがどっちかというと鉄板ですよねこういうの。

「なんでそんなことになっちゃったの」というのはきっと小説版とかが政治派閥抗争がどうのとかに絡めて辻褄つけてると思うのでおいといて、「よくこれでウケたな」ってーのをですね。

この作品は基本的にすごいストレスを(受けたくないに決まってるけど)受けなくてはならない人間が見るとツボに来るようにできてるんスね。

よく何かこう、最近の若者は〜的な文脈で、男が女っぽくなっただの女が強いだのと言われますよね。いや印象だけど。自分の観測範囲内の話だけど。観測範囲内でもいい加減下火っていうか言い古されて説得力がアレな言説だけど。

少なくともこの作中ではまさに男がやるようなことを女がやっているわけで、そこんとこのギャップがウケてるっていうのはあると思うの。

鏡音リンってキャラクタ的には妹系ってんですか? 笑顔がかわいくてドジで〜みたいな感じだと思うんだけど、それが女故子ども故の残酷さみたいなのを全力発揮してるあたりのギャップもあると思う。

そう、彼女は良い為政者ではない。聖母聖女は齢14で「お金が足りなくなったなら〜、愚民から搾り取れ〜♪」なんて言わない。普通の女でも言わない。

彼女はむしろ聖女みたいな女に恋人取られたら相手の国ごと潰して復讐する程度にはやりたい放題の女のコ☆です。

しかもそのレベル人格破綻者まで「最初は無垢だった、ホント彼女は悪くない」的な補足が入るわけです。これもウケたツボだろう。

イエのあれこれとか人間関係でむっちゃ我慢とか強いられてるけど正直破裂したい、けど破裂したらあとが面倒だけど破裂したいけどあああああとか思ってる人間にはとてもツボ。

破裂したい人間がなぜ破裂しないかって、破裂すると崩壊するナニカがあるわけで、この王女の話は破裂してナニカを崩壊させてしまったってことなので「ああ、あんな風にならないためにも我慢がんばらなきゃなー」とか、「私がしてきた我慢は正しかった!我慢しなきゃああなってた!ざまあwww」とかいろいろと解釈できて美味しい。

それだけなら単なる破滅劇なんだけれども、これを悲劇にするのが王女と対になる召使い存在ですね。『悪ノ召使い』は『娘』よりもあとに発表された作品ですが、何千回単位だった再生回数を100万くらいまで押し上げたらしいっす。

「顔の良く似た」召使いは(内緒になってんのか知らんが)召使いってことになってるが王女双子です。これをまず物凄く突っ込みたい。王家の血縁が人に使われる側に回ることのあり得なさとか。でもまあそれはいい。

召使いは破裂しそうな王女のそばであれこれ世話を焼くわけです。王女の命令なら惚れた相手も暗殺してくる。それくらい自分を殺している。

ある意味王家という枷つけられてる王女と完全に同類なわけですが、召使いはそれほど人格破綻してないというか暴君的な方向に爆発しそうではない。

彼には「王女のため」という大義があるからです。彼が背負っても良かったモノを彼女に背負わしたら歪んでしまった、王女がこんななってるのは彼にも責任がある。

からその責任を果たすためなら、ほんのちょっぴりの「自分」も捨てられる。盲目的に尽くせる。

完全に「家庭なるもの」の中で板挟みになるガキそのものですね。あとほんのりとした近親愛。これがツボをつく。

オチはもうその最たるものですね。自分を殺して殺して殺して…の召使いは本当に自分を殺してしまう。王女はその代わりに助かる。

要は例えば機能不全気味家庭のお子様らには神話のように美しい物語だということですおわり。



鏡音リン・レンなるソフトは作中やファン間でも双子ってことになってますが公式的には「鏡に映るもうひとりの自分」的な感じではっきり双子ではないらしい。

というのもなんかこう、意味深ですね。

「破裂したい自分」と「尽くしたい自分」の両面のような感じ。



怖ェなーと思うのがこの作品が世界規模ですごい再生回数稼いでるという事実

機能不全家庭の子どもにばかりウケてるわけじゃねーとは思うが、でも例えば上で述べたような「この身代わりはあり得ねーだろ常考」みたいな意見はたぶん野暮としてブーイング浴びるだろうし、きっと小説版あたりで「そうするしかなかったんだよ…」みたいなことが切々と説かれていたりして要するに反論として封殺されることが明らかなわけです。

実際には例えば召使いの行動として「二人で一緒に逃げる、最後まで王女のそばにいて守り通す」みたいなのがあっても良かったはずだし一昔前なんてそれで逃げ切れなくて死んじゃってーみたいなのが悲劇テンプレ化してたような時代があった気がするんですが、そうならない。

何というか、すごい絶望的で、しかもその絶望絶望のまま肯定されて同類間で共有されてる感がする。

そういう方法絶望連鎖して伝播しているような感じがするのです。



何が気に入らないの?

漫画家とり・みき氏の言葉(の引用引用)だけど、こういうのがある。

人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。

 かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか

個人的にこれは結構ガチだと思っているんだけど、一点だけズレてる部分がある。

ここで書かれてる涙腺回路の起動スイッチである「感動」っていうのが、自分個人に限っていえば何か崇高なものに触れて心を動かされたとかではなくて単純に傷つけられたときのことを指すようになってんのね。

まりこの文章に則って言うと、自分はある一定の場面とか言葉だのを見聞きしてしまうと自動的に繰り返し繰り返し傷つくようになってしまっている。

恐ろしいことなんだけれどこの「回路」が結構強固で、俺はこいつを潰しておかないと日常生活が送れないっていうレベルでいろいろと不便。具体的にいうとAED講習で実際の救命現場の録音(子どもが突然心停止して倒れたそばで手当てする人とか救急車呼ぶ人とかその子名前を狂ったみたいな大声で必死で呼び続ける母親の声)聞いたときとか、アレ本当は命が助かる感動的な場面のはず(「とりあえずはもう大丈夫です」まで録音されてたはず)なんだからすごくイイ話だと理屈では思うしわかってるんだけど生々しいやりとりそのものがあまりにもショッキングでしばらく「親子」みたいなキーワードで突然ぼろぼろ泣くようになって本当に困った。もうすぐ一年になる例の津波関連も未だにいろいろな場面でダメージ。直に被災したわけでもないのに。

閑話休題

から例えば映画とか小説なんかで「泣ける」みたいのを売りにしてるのは基本見ない。

そういう作品は大体が回路起動ツボを外していて(かつ、他の例えば大爆笑回路の起動とかには結びつかないので)白けるが故に、そしてごく少数の作品は客観化が十分でツボ自体から適切に距離を取れるが故に、涙腺回路起動までに結びつくことは滅多にないんだが、それでも見ない。

何が楽しくてそんな自傷行為をせねばならんねん。

でも例えばナイフは指を切るだろうとかわかるけど、この作品で泣くようになるだろうとか普通は読んだり聞いたりするまではわかんないわけじゃん。

で、『悪ノ』シリーズも回路の起動スイッチになってしまったので、困ったなー。と思っている。前述の録音ほどの威力はないしもうだいぶ整理して削いだんだけども未だに人前ではこの曲聞けねえ。

あの召使い台詞で泣かねー奴は人じゃねーみたいなコメント動画についていたりして、それを「気持ちはわかる」と思ってしまう。

気持ちはわかるけど、実際問題召使い馬鹿だし王女馬鹿でみんな馬鹿すぎて救いようがないと思う。「崇高なもの犠牲になる」みたいな楽しみ方は視点が狭すぎて阿呆だと思う。

いろんな人が感動してファンになって翻訳とかされてるのはわかるけど、作品としては全然優れてないと思うのです。

他の作品と比較してどうとかではなく、あの物語自体にもっと洗練の余地があるということ。

そして洗練されるとたぶんあれは悲劇オチ(と取ってつけたようなハッピーエンド後日談)じゃなくてちゃんと喜劇にもなれたはずだなー、悲劇にしてももっとレベルの高い悲劇になれたはずだなーと思うということです。



何を望むの

物語の洗練」を。

機能不全家庭の傷なめ的なものでなくて、もっとちゃんと救いとか絶望とかが欲しい。

あわよくば希望を手に入れて、それを連鎖させて伝播させたい。

具体的にいうとこのネタ小説でも書いてそれで旅行のためのおこずかいとか稼いでみたいんだけども、まあおこずかいにならなくてもいいから二度と回路起動スイッチにこのネタで手を触れられる奴がいなくなるように自分でパテを塗っておきたい、そのために小説を練ってみたい、ということでした。

すでにやってる人いるけどねそれ。舞城とかね。でも最近なんか舞城も振るわないっていうか、「その先が欲しいんだけど!」みたいなあたりで止まっちゃってる感するからね。ジョジョノベライズ期待してます

2012-01-28

#観光とは#

現代ではレジャー旅行意味しか使われていないが、江戸時代でいうとそれは物見遊山のことであって本来の意味ではない。

語源は、一国の主が、自分政治のお陰で人々の表情が明るく輝いているかを確認するため領地を見てまわること。

ですから光とは人間そのものであり、民がいきいきと光っている国は他の国をも照らす。すなわち自然外国への手本になる。

観光国とは、自らの国の美徳が、他の国の手本になるような国のことであります



#オランダ日本#

クルチウスは、初代館長ヤックス(家康とも謁見)の時から数えて162代目。

オランダ日本の縁は1600年からで、ヤン・ヨーステン(彼の江戸屋敷八重洲語源)は家康から朱印状を得て積極的に行動し、毎年シャムカンボジアにわたって貿易を促進し、最初1609年に九州平戸オランダ商館が開設された。鎖国政策進行中の中では、生き残りのためひたすら徳川に尽くし、島原の乱では大砲を打ち込むことまでやった。

天草キリスト教オランダから砲撃されたことにより一気に士気が衰え、絶望的な最後を遂げるに至ったとさえ言われる。

そこまでやってもオランダ江戸参府の時を除いて出島の外に出られず200年以上小さな人工島で暮らしてきたのだ・・・

その時代もようやく終わる。これからは国と国の対等の交際が始まるのだ。商取引関係だけに限られた関係は私の代を持って終わりにする。

アメリカはせっかちすぎるもう少し時間をくれれば波風立てず開国をやり遂げられるのに」

オランダもそう思って250年辛抱してきました。しかあなた方は変わらなかった。之まで何もしなかったツケが回ってきたと思っていただきたい。他の列強は我が国のようにおとなしくしてはくれませんよ。あくまで我々が特別なのです。ことここにいたっては自然な開国を求めるには遅すぎます。一刻も早く我がオランダ仲介人に立て、欧米諸国と通商条約を結ぶのが最も安全な道です!」



#シーボルト父娘#

ついに再開。。。まだかー

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (2/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。

そういう文化交流はえてして少しぎこちなくなるものだ。

日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。

アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。

YouTube ではきらびやかトレーラームービーを見ることができ、

一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。

Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。



村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。

これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。

彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、

毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである

1Q84』によって彼は三年間収監されたという。



といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。

村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセント女の子出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。

「基本的には同じなんだ」と彼は言う。

少年少女出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」



実際には『1Q84』は単純な物語ではない。

筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。

物語は行き詰まりから始まる。

青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。

そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。

タクシーラジオからある歌が流れる。

チェコスロバキア作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。

渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。

しかしそれは神秘的な深さで彼女共鳴する。

シンフォニエッタ」は進み、タクシーは動かない。

運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。

高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。

本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。

青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。

「見かけにだまされないように」と彼は言う。

降りていけば、彼女にとっての世界根底から変わってしまうかもしれない、と。



彼女はそうして、世界は変わった。

青豆が降りた世界歴史の軌跡がわずかに違っていた。

そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女遅刻した約束というのは暗殺約束であったことが明らかになる)。

そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。

彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。

1Q84』の狂気はおよそそのような流れだ。

この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、

私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。



この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。

一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。

その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説1Q84であるように思われる。

怒り、暴力惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、

日本のすべてを取り込もうとするかのような本である

偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、

ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。



驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。

そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいものようにそれを受け流し、

自分想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。



「リトル・ピープルは突然やってきた」という。

「彼らが何者なのかはわからない。その意味づけもわからない。

 僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事



村上の作品は夢のようであることが多い。

明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、

覚えていられたことはない、という。

目覚めたときには消えている、と。

ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹小説のような繰り返す悪夢だったという。

その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。

蛇肉の天ぷら芋虫パイ、そしてパンダ入りライス

食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。



2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。

運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。

私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。

カーステレオではブルース・スプリングスティーンカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。

アメリカシュールレアリズム古典である



車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。

次に彼は存在論的に複雑な仕事をした。

実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである

彼女用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。

「だから多分このあたりのはずだ」

と言ってこちらを向いて念を押すように

「それは現実じゃないけれど」

と付け加えた。

それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。

「そう」と指差して「ここが彼女が降りていった場所だ」

キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。

村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、

「それは現実じゃないけれど」と言った。



村上フィクションは変わったやり方で現実漏れ出す。

日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。

村上東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。

私はできるかぎりその世界時間を過ごそうとした。

村上天啓を得たあの場所神宮球場へ行き、

客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓もっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。

また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトン2001年アルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入り東京ジョギングルートゆっくりと走った。

私のホテル新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要役割を果たす、交通機関ハブ的な場所だ。

登場人物たちが好んで使う集合場所中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。

そしてフレンチトーストタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。

そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。



こうして私は、村上巡礼者の列に連なることになった。

実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、

登場人物が聞いた音楽プレイリストオンラインでまとめている読者もいる。

村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社西日本への『海辺のカフカ旅行を企画したこと、

ポーランド翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行ガイドブック編集していることを教えてくれた。



こうした旅自体が、形而上の境界を越えてしまうこともある。

村上は読者から彼が生み出したもの現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。

たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。

ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。

1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字家族から村上は便りを受け取ったという。

彼はサイン本を一冊その家族に送った。

ここでの要点と言えるのは、現実漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、

村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。

彼は私たちを世界から世界へと往還させる。



世界から世界への往還──それは翻訳の作業を思い起こさせる。

翻訳は、様々な意味村上の作品を理解する鍵となる。

彼は一貫して日本作家からの影響を否定してきた。

作家活動の初期には、「日本人という呪いから逃れようとしているとさえ語った。

その代わり、十代の若者として、西洋小説家の作品を貪ることによって、文学感受性を培った。

その中にはヨーロッパ古典ドストエフスキースタンダールディケンズ)もあったが、

彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀アメリカのある種の作家たち、

レイモンド・チャンドラートルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルドリチャード・ブローティガンカート・ヴォネガットなどだ。

処女作に取りかかったとき村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。

本の冒頭を英語で書き、それから日本語翻訳し直すのである

そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。

村上を長く翻訳しているジェイ・ルービンによると、村上の作品の特徴のひとつは、

たか英語原作から翻訳されたかのように読めることだという。

2011年10月21日

1 - 2 - 3

村上春樹の猛々しい想像力 (1/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)

1 - 2 - 3

この夏、私は初めての日本への旅行を企てた。

村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。

ところがその目論見は外れることになる。

私は村上の作品の影響下にあるまま、東京に降り立った。

期待していたのは、バルセロナパリベルリンのような街だった。

そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ劇場文学シットコムフィルム・ノワールオペラロックといった、

西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタン世界都市を私は期待していた。

誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。

実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。



そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。

東京での初めての朝、私は村上の事務所に向かっていた。

アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、

私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。

最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、

どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。

私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。

そして蜂の巣状のガラスピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき

ついにユキという村上アシスタントに見つけてもらうことができた。



このようにして私は東京の地下の洗礼を受けたのである

まりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。

実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。

そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。



村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなた最初記憶はなにかと尋ねる。

やっと村上に会えたとき、私は彼の最初記憶について尋ねた。

それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。

彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。

流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル

そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。

「明確に覚えている」と彼は言う。

「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」

村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。

その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶自分の中にある、と感じた。

ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。

村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分記憶を写し込んでいたのだ。



村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中

週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。

それは非現実的なまでの災害の余波を受けた夏だった。

4ヶ月前に北日本を襲った津波で2万人が命を落とし、

いくつもの街が破壊され、原子力発電所メルトダウンした。

その結果、電力、公衆衛生メディア政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。

日本を代表する小説家である村上に会いに来たのは、

大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。

この本はアジアで数百万部を売り上げ、

まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。

62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学最高峰としての地位を確かなものにしている。

疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界大使となった。



そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。



村上は常に自分日本アウトサイダーだと考えている。

彼は不思議社会環境最中に生まれた。

アメリカによる戦後占領を受けた1949年京都日本の前首都である

「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。

「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。

「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。

彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、

それはそのまま彼の最初人生経験の基本構造でもある。



村上は成長するまでのほとんどを神戸郊外で過ごした。

そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である

彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説ジャズに没頭して十代を過ごした。

そうして反逆のクールさを自分ものにし、

二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブ東京で開いた。

掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、

彼は約10年間をその仕事に費やした。



作家としての村上キャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。

どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生根底から変えてしまう。

29歳の村上地元野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴヒルトンというアメリカ人助っ人バッター二塁打を打つのを見ていた。

平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上天啓に打たれた。

自分小説が書けると気づいたのである

そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。

そして彼は書いた。

試合が終わった後、書店に行きペンと紙を買って、

数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。

それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。

アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。

わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。

名犬ラッシー』、『ミッキーマウスクラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲フランス映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディランマーヴィン・ゲイエルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストックサム・ペキンパーピーターポール&マリー。

以上はごく一部に過ぎない。

そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本芸術引用がまったくない。

村上作品のこうした傾向は日本批評家をしばしば苛立たせている。



村上は『風の歌を聞け』を権威ある新人賞に応募し、受賞した。

そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。



時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。

30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。

すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。

彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。

そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。

彼は自分の事務所を監禁場所だとみなしている。

「ただし自発的な、幸せ監禁だけれど」



「集中は僕の人生もっと幸せものだ」という。

「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」



そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。

30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンルSFファンタジーリアリズムハードボイルド)と様々な文化日本アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。

どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。

時とともに村上小説は長くシリアスになる傾向が強くなった。

シットコム引用もその傾向に調和している。

そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。



低く深い声で村上たくみ英語を操る。

彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。

なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。

はいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。

特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。

安全言葉いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。

英語即興の遊びをしているように感じられたのである

私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。

その事務所は半ば冗談ながら村上製作所と名付けられている。

数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。

村上は青いハーフパンツと半袖のボタン付きシャツで現れた。

彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロンけが好きだという)。

靴は履いていない。

彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップブラックコーヒーを飲んだ。

その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からお気に入り小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。



話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。

村上純粋にびくっとしたようだった。

その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。



「大きいな」と村上は言った。

電話帳みたいだ」

1 - 2 - 3

ハックルベリーとは女性のことだったのだ。

はてなアイドルこと、岩崎夏海氏が今春に結婚するそうだ。



さて、氏のブログ名は「ハックルベリーに会いに行く」。

そう、つまりハックルベリー」=「運命女性」と考えると、氏は無事にハックルベリー出会えたわけである

確かに、「おぃおぃ、金さえあれば年の差とか」みたいな声はあるかもしれない。



だが、氏ははてなというウンコ共が集まる魑魅魍魎のキナ臭い界隈で釣り技術を学び、

ドラッガーだかのビジネス書リアルな奴らを釣り上げ、ネット界およびリアル界においても名を馳せたのだ。

女の一人や二人や三人や四人ぐらい、お手の物である。むしろ、結婚したことに驚いた。

俺なら、ぶいぶい言わせまくって、女をとっかえひっかえして遊びまって捨てまくるというのに。



話は逸れたが、入籍したいぐらいの女性に会えたのだ。



ハックルベリーに会いに行って、ハックルベリーに無事出会い、そして次は何が始まるのか。



ハックルハックル




いきなりデレたような記事が連発されたら、それはそれでウケる。

「奥さんと旅行してきた」「手料理サイコー」みたいな。



ハックルハックル



結婚おめでとうございます



ハックルハックル

2012-01-21

たぶん新しいモデルを提示しているまとめブログを紹介する

まとめブロガー界の注目の人材を紹介

路地音楽戦争というサイト管理人

 

さっきのつぶやき

 

「好きなバンド紹介したら「ステマ」とか「金貰ってる」とか言われてほんとコイツらくだらねー音楽の聞き方してんなと呆れてしまう 書いてて恥ずかしくならないのかな」

 

 

わー大胆な発言だこと。でもこのサイト、金は貰ってないけど音源はタダで貰っているようで。えー。

例によってこのまとめブログは、違法かどうか知らないけど、モラル的に厳しい動画ベタベタ張ってる。

から著作権とか肖像権とかはおそらくアウト。というか、普通にアウトだろう。

そして、ブログバナー宣伝張るくらいのアレで、広告張りすぎてサイトがたまに重いくらいのアレ。

 

ここまでは普通まとめブログなんだけど。


  

んでもって俺が驚いたのが、こいつはツイッタースカイプで会話相手を募集していたり、

自画像旅行画像をちょこちょこアップしていたり、ユーストリーム配信をしていたり、

個人的な感想記事を書いていたりする。自ら「個人」を前面に押し出しているのだ。

これには驚いた。しかもそれで好意を集めているってのがさらなる驚きだ。

えーそれってありなの? 叩かれないの? と思ったけど、案外そうでないらしい。

むしろちょっとしたファンみたいな、仲間みたいな連中がツイッターにぞろぞろ見かけられた。

さらにこいつが紹介するとそのインディーズバンドは嬉しがるらしいのだ。

 

 

 

なんだよそれ! まとめブログってそんなやり方許されるのかよと思った。

実は俺も零細まとめブログをやってるんだけど、まあこれが儲からない。

なんといっても今ではまとめブログめっちゃある。ツールもノウハウめっちゃある。

しか嫌儲の風潮が厳しくなってきた。あいつら零細にも容赦ない。

から、なんとかして独自性を出していこうと考えてるのだが、

そう簡単じゃない。なんか新しいやり方はねーかな、と。

そこで見つけたブログでこういうやり方もあるんだと驚いた。

  

 

俺のまとめブログモラル的にアウトだと分かっているから絶対に個を出さないようにしている。

でも場合によっては、そのデメリットはあんがい大したことがなくて、むしろメリットの方があるようだ。

たぶん新しいモデルとなるまとめブログだろう。個人を強調するまとめブログ

 

  

まあ俺のサイトのほうがPVあるけど、絶対こいつの方がもうかってるよなー。

でも自分を出していく勇気ねえ。せいぜいやらおんみたいに変態キャラを演じるくらい。

それより先を行くってのはまあすごい。そしてその勇気が俺には羨ましい。

以上、嫉妬速報でした。

2012-01-19

フランダースの犬にまつわる救われない話

オチが救われない話」というまとめサイトを読んでいたら、こんな救われない話を知った。



フランダースの犬』は、アニメとして日本人によく知られている。

しかヨーロッパではほとんど知られていなかった。

もとは1872年発表のイギリス童話だが、原作者女性ベルギー風俗イギリス人の目で偏見的に描いている。

なにしろ、帝国同士の争いが激しかった19世紀。

イギリス人の心の奥底には、ヨーロッパに対するかすかな敵意が潜んでいる。

「この地方は荒れ果て、人々は不親切で、しかも愛すべき犬を何代にもわたって、激しい労働に不当にこき使っている」

こんなことをずらずらと書いているのだ。

ベルギーを始めとするヨーロッパで人気が出るわけがない。

その上、本家イギリスでは、運命に抗わず教会で死ぬという内容がアングロ・サクソン的に受け付けられなかったようだ。

結局欧米では、誰も見向きもしなくなったというわけだ。



ところが日本では、1975年に感動的なアニメが作られたために爆発的な人気を獲得する。

80年代から海外旅行ブームでは、ベルギーフランドル地方観光が定番コースの一つとなったほど。



もっとも、ルーベンスの絵を観ることはできても、『フランダースの犬』にまつわるものがそこには何一つない。

地元人間すら誰も知らないのだから当然か。

日本人がガッカリして帰国するのが、当時のツアーのお決まりパターンだったとか。



ところが、1982年、大きな転機がやってくる。

ベルギーアントワープ観光局で働いていたヤン・コルテールという男性が、運命を変えた。

日本人観光客からフランダースの犬』という物語存在を聞いたことが発端である

生真面目な性格で、面白みのない変わり者と思われていた彼には浮いた噂もなく、恋人はおらず、友達も少なかった。

地元を愛し、それが故に地元観光局に勤めた彼。

そんなオタク青年の彼は、地元に関係する噂話を聞き逃さなかった。



だが日本人観光客に詳しいことを尋ねても、

アニメをやってたんだけど、もしかしたら原作があったのかもなぁ」

というだけで『フランダースの犬』について、はっきりとしたことが分からない。

今と違ってインターネットがない時代

日本語情報はそう簡単に手に入らない。

街の誰に尋ねても、何もわからなかった。



しかし彼はあきらめない。

「この地方舞台にしているのなら、図書館にヒントがあるかもしれない」

そう考えた彼は、地元郷土史などを調べ始める。

図書館であらゆる資料をあさり、……そしてとうとう、60年の間、二、三度しか借りられていなかった原作を見つけたのだ。

欣喜雀躍たる、彼の喜びが想像できるだろう。



……だが、読み終えた彼はがっかりした。

感動するほどの物語ではないからだった。

実は原作には、最後ネロ天使に救われて天国へと召される……というシーンはない。

ただただ暗いだけの作品なのだ

原作者は夫に捨てられた後、犬の保護に尽力していたが周囲に相手にされなくなり、晩年は30匹の犬に見守られて亡くなっていた。

そんな原作者厭世観が反映された作品でしかなかった。



(この原作日本人の感動との間の乖離は、いったいなんなのだろう?)

日本人からアニメの素晴らしさを聞いていた。

しかしたら、それがヒントになるのかも?

彼は、日本語を学び、日本人観光客の友だちを作り、帰国した彼らからアニメビデオ童話集を取り寄せてみた。

その結果……感動したのだった。

彼は、今のジャパニメーションギークの先駆けだったのだろう。


情熱は、いよいよ膨らむ。

一年半かけて調査を行ない、原作舞台が近くのホボケン村だと突き止めた。

原作に描かれた運河がスケルト川だったことも分かった。

ついには風車の跡も発見する。



変わり者のコルテールのその姿は、周囲から嘲笑を受けていた。

当時の日本なんて、極東の島国で、ドイツに加担して負けた挙句に少々景気を持ち直しただけの国、というイメージだったから、仕方ないだろう。

だが、彼の熱意は次第に周囲を突き動かしはじめた。



ルーベンス以外にこれといって観光資源のないこの街に、もう一つの観光シンボルが生まれるかも知れない。

そういった周囲の思惑も重なり、ついには1985年ネロパトラッシュの小さな像が、ホボケ情報センターの前に立てられた。

除幕式にはアントワープ州知事市長、在ベルギー日本大使らも参席、盛大なパーティーが開かれたという。



風車観光客向けに作り直された。

ネロパトラッシュが共に埋められた(ことになっている)街の教会は、観光コースとなった。

ルーベンスの作品を観るためにアントワープを訪れていた日本人観光客がホボケン村にも立ち寄るようになった。

その地域観光収入でおおいにうるおい、観光局勤めの彼の名声も次第に上がった。

フランダースの犬ベルギーで放送され、80%近い視聴率をとったという。


ヤン・コルテールは『フランダースの犬研究家として知られるようになる。

その地域では日本通として知られ、日本との橋渡し役としても活躍するようになった。

研究のために日本へ何十回となく訪れるようになり、大の親日家となった彼は、日本人女性石井ヨシエと結婚した。

彼は妻と共に、今でも地元でつつましやかに幸せ暮らしている。









……はずだった。

2008年、彼が妻を殺害した容疑で逮捕されるまでは。



なぜなのか?

コルテールが日本人の妻をもらい、日本ベルギーの架け橋として活躍していることまでは、いろいろなサイトで詳しく取り上げられていた。

ところが、彼が犯した殺人についての続報をいくら調べても、日本語サイトでは何一つその理由が分からないのだ。

英語サイトで調べても、アメリカ人などが『フランダースの犬』に関心がないためか、まったくヒットしない。




仕方ないのでグーグル先生の力を借りて、オランダ語サイト日本語に訳したり英語に訳したりしながら調べた。

その結果、驚くべきことがわかった。

コルテールが妻を殺したのは、妻の浮気のせいだった。



コルテールとヨシエが結婚して数年は、大変幸せそうだったそうだ。

だが、次第にヨシエは旦那の拘束がうとましくなってきたらしい。

彼女帰宅する時には、職場にまで迎えに来る。

もっと自由にさせて欲しい、自由にいろいろな場所に行きたい、というのがヨシエの欲求だったそうだが、コルテールはそれを許さない。



異国の地にやってきて、海外しか味わえない自由を満喫したい日本人女性

彼女を大切にするあまりに、彼女の全てを管理したいと願うベルギー男性

だんだんと、二人の間には溝が生まれるようになった。

二人の間はギクシャクし始める。



その時に彼女の前に現れたのが、口が堅いという噂のピエールだった。

「夫とは長いこと話してないの。夫は頑固でさ」

秘密を守れるピエールへの心安さからか、ヨシエは彼へ愚痴をこぼすようになった。

「彼は変わり者だからね。我慢さ」

愚痴を聞いてもらううちに、ヨシエがピエールに親しみを感じ、やがて二人が愛しあうようになるまでに時間はかからなかった。

ピエールの口は固かったが、ヨシエの下の口はゆるかった。



ところが二人の仲は、コルテールに最悪の形でばれてしまう。

二人がバスルームで愛し合っているところを、コルテールが発見してしまったのだ。

口がゆるい上に、脇も甘かったというわけだ。



だが、そのときヨシエは豹変した。

日本女性のおしとやかさはどこへやら、情事発見したコルテールを怒鳴りつけたという。

「あんたさぁ、男としての魅力がないんだよ!!」

彼女の口は、悪かった。



その時に、コルテールは、彼女のことを深く深く愛していたことに改めて気づく。

何があろうと、彼女の気持ちが戻ってくればそれでいい、というのがコルテールの偽らざる気持ちだった。

彼は、離婚を迫るヨシエに対して、仲を修復したいと取りすがった。

しかし、彼と別れてピエールと一緒になりたい、というヨシエの気持ちは変わらない。



コルテールは、一つの提案をする。

それは、最後のお願いとして、彼女日本を一緒に旅行することだった。

二人が出会った日本で過ごせば、彼女の気持ちも戻ると思ったからだ。

……これ、男にありがち。

男の浮気は「名前をつけて保存」だが、女の浮気は「上書きして保存」

他の男に気持ちが移った以上、振り向くわけなんてないのだ。



日本でヨシエは、両親にコルテールを引きあわせたという(この辺りは女性特有の図太さといえよう)。

それでいながら、彼女の気持ちが変わることはついぞなかった。



ベルギーに帰国後「自分を自由にして欲しい」と迫るヨシエ。

それを拒むコルテールを、ヨシエは罵った。

そして、決して犯してはならないラインを越えてしまった。

彼女は、職場ベルギー人の同僚達と彼とを一人ひとり比較して、いかコルテールが劣ったオタク野郎なのか、痛罵したのだ。



……こと、ここにいたっては、どうしようもない。

この時のコルテールの失望は、いかばかりであったのだろうか。

その時の衝撃は、彼の行動が示している。

コルテールは逆上し、ヨシエをナイフで22ヶ所切りつけて、殺害したのだ。

リアルは、『フランダースの犬』以上に救いようのない話だった。




※プライヴァシー保護のため、一部を仮名にしています

2012-01-16

一眼レフでオ◯◯ー気持ちいいお( ^ω^ )

写真を撮るようになった。


別に撮影趣味になったわけではない。

日常を押さえて歩くほど暇ではないし、そこまで繊細な感性も持ち合わせていない。

旅行スポーツ観戦、帰省、友人・親族結婚式、…etc.

なにかイベントがある度、カメラを持ち歩くようになった。


昔は写真が好きではなかった。

撮影者は今その瞬間の世界にあえて没入していないと思わせ、実のところ望んで没入することができない、なにか傍観者であることを肯定している人のように思えた。

写真を撮る人は、客観視できることの優位性を示すような、冷めていることを美徳とするような、リアルでない世界の人だと思っていた。

後で写真を見返して、当時を振り返るのは、現実現在からの逃避だとさえ思っていた。


今ならよくわかる。

未来は暗い。

撮影の瞬間に失うリアリティ以上に、現在リアルでない。

撮影の瞬間思っていたことを、その瞬間生きていたことを、確認したい。


写真を撮らなくなったとき、僕は生きているか、死んでいる。

一眼レフでオ◯◯ー気持ちいいお( ^ω^ )

写真を撮るようになった。


別に撮影趣味になったわけではない。

日常を押さえて歩くほど暇ではないし、そこまで繊細な感性も持ち合わせていない。

旅行スポーツ観戦、帰省、友人・親族結婚式、…etc.

なにかイベントがある度、カメラを持ち歩くようになった。


昔は写真が好きではなかった。

撮影者は今その瞬間の世界にあえて没入していないと思わせ、実のところ望んで没入することができない、なにか傍観者であることを肯定している人のように思えた。

写真を撮る人は、客観視できることの優位性を示すような、冷めていることを美徳とするような、リアルでない世界の人だと思っていた。

後で写真を見返して、当時を振り返るのは、現実現在からの逃避だとさえ思っていた。


今ならよくわかる。

未来は暗い。

撮影の瞬間に失うリアリティ以上に、現在リアルでない。

撮影の瞬間思っていたことを、その瞬間生きていたことを、確認したい。


写真を撮らなくなったとき、僕は生きているか、死んでいる。

2012-01-15

女性との会話をするには

横山建のメルマガで役に立ちそうな記事があったので貼っておく

女性との会話がうまくいかない人は

ミスチル好き? → 昨日何してた? → 仕事楽しい? → おととい何してた?というパターンに陥りがちだ

でも、それでは相手に訊問しているという印象を与えてしまいよくない

質問する際は

ミスチル好き?

 → いつ頃から好き?

 → その時代って他に誰好きだった?

 → てか、ライブっていったことある

 → 結構そんなん行くと燃える方?(笑)

 → へー、意外に熱い性格なんだね

 → でも見た目はそんな風に見えないよね?

 → つーか、芸能人に似てるとか言われたことある? 

といった具合にやっていくといい

また、会話していると止まってしまうことがあるが、その場合、共通の知人の話やペット旅行映画・おいしいお店・芸能関連・家族について・テレビ番組に関する話題をするといいらしいと書いてあった

2012-01-14

僕達が今後いきる世界は、今あるものを十分に楽しんで生きれば良い。

将来が暗いニュースや、若者が辛い時代になると言う世論も多いけど、良く考えたら悪い時代では無いんじゃないかと考えた。日本バブル時代や、バブル中の国と比較すれば、もちろん見劣るし夢も萎む。



日本はすでに人口オーナス人口も減り、老人が増え働き手が減る)であり、成熟国に入っている。

人口ボーナスがあり、発展が途上の国と幸せのあり方を、一緒に考えてはいけないのでは。

ガンガン物を手に入れて幸せになる時代ではなく、持っている物を楽しむ時代であると感じる。

もちろんバンバン働いて、金や物も手に入れて幸せになることも正しい。

ただそれを、バブル期発展途上国のように、絶対的な物差しとしてはいけないと考えた。



2010年日本人普通(8割ぐらいの人は)に持っている物は、



・豪邸ではないが、安心して寝起きでる暖かくて涼しい

・贅沢はできないが、安心で好きな食べ物やおいしい食べ物を入手できる環境

ガードマンはいないけど、安心して外出でき夜中でも襲われることのない日常

100%保証ではないけど、安心して通院できる医療制度や腕利きの病院

・楽ではないけど、アルバイトでも月15万ぐらいは稼げる環境

費用負担はあるけど、十分使えるパソコンに、自由なインターネット環境

・住んでいる地区にもよるけど、お金をかけなくても楽しめる観光旅行や遊ぶところ

・他にも、漫画アニメ映画SNS2chはてなAmazon を嗜む環境etcetc



は大体の人が持っていて、無駄遣いしなければ月10万あれば、この暮らしができる

幸せ環境ではないかと考えた。

(例:家賃5万、デリカ250円×3=750×30=22500、ネット3000円、その他10000円、貯金10000円。かつかつで)



10万なら、資格能力が何も無くても、特殊な問題を抱えていなければ、ある程度

年齢が越えていても、コンビニ等の働き先は、いくらでもあるんじゃないかと。

さらに8割以上の人は、18万以上稼いでいますよね。



何も無い人が、簡単に月10万稼げる国は、世界でも少ないはずで、

それなら僕らはずいぶん幸せ時代で、幸せな国にいる。



いやいや、今の時代はつらいよ。原発老人介護医療年金etcと、これから大変だよ。

と思い、過去日本を見ると、まず1900年代の場合



1905年 日露戦争

国民増税物価高騰に苦しむ

1914年 第一次世界大戦

国民増税物価高騰に苦しむ

1918年 スペイン風邪流行

患者150万人のうち15万人が死亡。

1923年 関東大震災

190万人が被災10万5千人死亡。

1929年 世界恐慌

不景気国民苦しむ

1934年 東北地方大凶

世界恐慌に加え、冷害・凶作、昭和三陸地震津波が続き、身売り、欠食児童、行き倒れ、自殺などが激増して悲惨な状態

1937年 日中戦争

国民増税物価高騰に苦しむ

1938年 国民総動員法公布

生活はどんどん制限

1939年 第2次世界大戦勃発

生活はどんどん制限

1942年 ミッドウェー海戦大敗北

3500人死亡

1945年 原子爆弾投下

約30万人が死亡

1945年 第二次世界大戦終結

日本は300万人が死亡



見るだけでめっちゃくちゃ、大変な時代だった。

今は戦争日本ではないし、食べ物はあるし、病院もあるし、すごい良い時代だ。



1950年から戦後復興で、他国の戦争需要もあり、

人口ボーナスがあり、発展が途上の国の幸せのあり方だったと思う。

これは悪くない時代だったはず。



で僕らは、獲得する幸せは感じないけど、1950年代の人が、全力で手に入れた物を

普通に持っているので、こりゃ幸せだ。



僕達が今後いきる世界は、今あるものを十分に楽しんで生きれば良い。

つか、ネットがあると、それだけ十分楽しめるよねって話でした。

2012-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20120113053912

手順というのはいきなり「結婚してください」とかって言わないってこと。

恋愛作法があるので、「メール交換しませんか?」とか

ちょっと飲みにいきません?」とか「映画みにいこうか?」とか

「○○に旅行に行かない?」とか段階がある。

どんなに合理的な人間でも親近感というのはだんだんに形成される。

徐々に親しくなっていれば成功

頭いい女って最高に貴重よ?

こっちが言ってることが理解できない女はイライラする。

オレが結婚してほしいくらいだ。言わせるな。

非リアがリア充になることはあるか

私は学部までは非リア充だったような気がする。


サークルバイトもやっていたし、勉強一生懸命やっていたけど、友達があんまりいなかった。


いっとき仲良く一緒に過ごす子はできるんだけど、なぜかいつも最後には関係がぎくしゃくしてしまって、最後には疎遠になってしまう。


土日はバイトサークル試合

それがない日は特に予定も入らない。

内輪の飲み会みたいなのもなかった。

サークルにいても、あんまり周りの子と話すことはなかったし、いつも一人でいた。

バイト先でもうまく馴染めない。

授業も一緒に出る子はいなくて一人で受ける。

過去問なんかはなんとか手に入れてたけど、レポートを一緒にやったりテスト勉強を一緒にやったりする子はいなかった。

昼食も一人でとっていた。


だけど、大学院生になってから友達が増えた。みんな信頼できるいい人たち。

最近は毎週のように誰かと遊んでいる。

一緒にスポーツやろうぜっていって定期的にやっている。

個人的な旅行も行ったりしてる。

友達の家でお泊まりとかもしている。

飲み会に誘われることも、お茶やご飯に誘われることも増えた。

合コンもたくさんしている。

ファッションにも目覚めて、かわいいと言われることが増えた。

から相談をうけることも多くなった。


学部の頃は非リアだったと思うけど、今はリア充だと思う。

あいかわらずあんまりモテはしないけど。


だけど、本質的には非リアなんだろうか。

それとも、人間には実は非リアな時期とリア充な時期があるんだろうか。


後者だと信じたい。

2012-01-12

ひとりということ

会社の人に、旅行趣味だと話したら、

旅行仲間と一緒にどこか行くんですか」と聞かれた。

「いや、一人でしか旅行はしたことが無い」と答えた。



本音としては、仕事以外で人の顔色伺ったり、人の行動で不愉快な思いをしたくないんです。

他の人と旅行に行くと、特に興味のないものを見ようとかやろうとか言われるだろうし、

俺も興味がないとかいえずにつきあうことになると思うんだけど、

顔に興味のなさが出て、お互いいやな思いをするって思う。

断っても、相手に不愉快な思いをさせるだけ。

かといってそういうことを気にしない相手とはそもそも一緒に旅にいかないと思うしね。



まあこれだけ人付き合いがいやだといっても、飲食店ホテルや駅とかでのやりとりは全然平気なんだよね。

なんでかと考えると、やっぱりこちらが絶対有利な立場にいるってことなんだろうな。

もちろん店員にたいして尊大な態度をとってるとか、偉そうにしてるとかはないんだけどさ。



よく考えると、絶対不利な相手にはめっぽう弱いね

上司とか取引先とかね、もうそういう人たちとは普通にも接することができないもの

挙動不審になるし、相手が言ったことは絶対だって思っちゃうね。

明らかにおかしときは開き直るけどね。

いや、絶対有利以外の相手は全部苦手だな。

同僚も友人も。



まったく金儲けに向いてない性格になったもんだ。

こんな性格から就職やら転職するのは嘘つくしかないもんな。

結局お薬に頼る生活になっちゃったけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20120112002847

俺、この人がしたかったことの大半を別にしたくなかったんだよな

服が少なくても平気

飲み会とか行きたくなかったし

旅行大学時代一回も行かなかった

で、家はこの人と正反対、かなり甘い家




まり

「あれがやりたい」という欲求や

「あれがやりたかった」という思い残しって

かなり抑圧次第なんじゃないのか元から

成人式、本当は行きたくなかった。頑張れなくなってしまった。

本当は、自転車に乗ってみたかった。

けど、それを両親は危険だと言って許してはくれなかった。

中高時代、寄り道がしたかった。カラオケに行きたかった。

県外旅行に、友達と行きたかった。

一人旅がしたかった。

友達に会いに、東京に行きたかった。

バイトがしたかった。

メイクがしたかった。

自分で服を選びたかった。

料理がしたかった。

あの習い事がしたかった。テニスがしたかった。

成人式に、行きたくなかった。

中学は遠い町の私立中学だったので、地元に知り合いはほぼいない。

そんな中での、成人式参加は、辛いことが予想された。行きたくなかった。

しかし、両親は「節目だから振袖を着て欲しいから」

振袖を買って貰えることは、有難いことだと分かってる。

高校の振袖同窓会に行けた。楽しかった。

けど、地元成人式に、着付けメイク代の○万円を払ってまで行くべきか?

1度ならずとも、何度も何度も、写真屋さんで写真撮影しなくてもいいんじゃない

振袖に○○万円も出すなら、本当は、日常生活での服に使いたかった。

普段、いつも同じ服を着て大学に行く私は、惨めな思いをしているけど、

それを両親は知らないのでしょうね。見えないのでしょうね。言って伝えてるのに。

結局、成人式では、誰とも喋らずに終わった。すぐに帰って、振袖を脱いで、メイクを落として、ジャージを着た。

大学の授業が終わってからいの一番帰宅するんじゃなくて、

大学や、専門学校自習室勉強がしたかった。

飲み会に行きたかった。

服を自分で買いたかった。

自分のことを、責任もって、自分で行動したかった。

一人暮らしがしたかった。

県外に就職がしたかった。


でも、意見を通すためには、両親を説得しなければならない。

いくら言っても、両親の考えは変わらない。

頑張れなくなってしまった。「そこまでして、叶えたいことじゃないし」と。

「家の雰囲気を悪くしちゃうから避けなきゃ」と。

諦めてる、そういう家なんだから仕方がない、って。

それでも、出来る範囲で楽しもう、って。

友達なんか一人もいなくて、自分に対して自信がなくて、

結婚したって、幸せになれないし、

私自信、自殺願望小学生時代から持ち合わせていた立場としては、子供なんて生みたくない。

生まれてくる子供が可哀相だ。私は、生まれてきてよかったなんて思ったことは一度もない。

けれど、両親は「結婚しろ」という。

お見合い相手を探してくるから」という。

本当は、結婚なんてしたくないし、子供なんていらない。

早く死にたい事故か何かで。30代で死ねたら、なんて思う。

結局、何をしてても、楽しめない。

何だか、もう、頑張れないなぁ。

「もう仕方ない諦めよう」って思いながら、時々泣けてくるのは、

本当は、頑張りたいからなんだろうな。

2012-01-11

各県が抱える4点インフラを有効活用する、「非英語圏各国との各県カウンターパートナー交流」構想

人間選択肢が10個以上あると、かえって逡巡して行動ができなくなる傾向にある。

 で、シニア地方移住不振な理由として、

 「首都圏以外の43道府県選択肢」となって、選択肢多すぎて決断できない、という

 状況に陥っているような気がする。

 であれば、橋下知事関西知事連合)が被災地支援で

 「東北のどの県を支援するか、予め決めておく、カウンターパートナー方式」を取ったように、

 「世田谷区だと岩手県を紹介、杉並区だと山形県を紹介」のように

 「選択肢を狭める」方策も必要なのでは?

★で、定年シニア移住カウンターパートナー方式を考えたが、

 実は国際交流カウンターパートナー方式を採用して、

 「県同士の差別化」を図れないか

 首都圏から見ると、山形青森、いずれも自然が豊かなんだろうが、

 「山形の強み」「青森の強み」、この差別化がなされない。

 「山形青森も、自然が豊かなのはわかったけど、どっちがいいの?

  今度の旅行でどっちに行けばいいの?

  迷っちゃって面倒だから旅行取りやめ」てなことになりかねない。

 要は「オンリーワン」がないのである

 

 ビジネスも同じ。

 「山形県東北他県と比べて、この点が優位」

 「青森県東北他県と比べて、この点が優位」というのを

 もっと大胆に可視化させないと、企業はなかなか進出しない。 

 その点、韓国と相対する福岡県であれば「日本で一番韓国に近い都市」ということで、

 韓国との交流を「他都市との差別化」に用いられる。

 同様に長崎県は「日本で一番中国に近い都市」、

 沖縄県は「日本で一番台湾に近い都市」、

 北海道は「日本で一番ロシアに近い都市」ということで、差別化が可能。

 しかし、それ以外の県は、どうにも中途半端なのである

 青森が「ロシアとの交流」を標榜しても、地理的関係では北海道に負けるし、

 大分が「中国との交流」を標榜しても、地理的関係で長崎に負ける。

 であれば、多少「こじつけた理由」で、他国(非英語圏が望ましい)と

 カウンターパートナーで「縁組」してしまって、

 「A国のことなら、B県に聞いてしまえ」というまでにのぼりつめればいい。

 例えば、大分県の「こじつけ理由」として、大分県地熱発電が盛んである

 であれば、地熱発電が盛んなインドネシアと、カウンターパートナーとなる。

 具体的には、

 ・大分空港からジャカルタ直行便ジャカルタ以外の複数都市にも直行便

 ・大分中学校・高校で初等インドネシア語教育

 ・大分大学第二外国語インドネシア語教育

  その他インドネシア研究学科設置

 ・大分大学インドネシア留学生を優先受け入れ、

  インドネシア学生寮設置

 ・大分県内のホテルで、インドネシア語表示

  ホテルスタッフも、初等インドネシア語は喋れる

 ・大分県内の道路標識、公共機関標識に、インドネシア語併記

 ・鉄道バスインドネシア語案内併記

  車内アナウンスインドネシア語アナウンス

 ・大分県内の銀行インドネシアルピアへの両替可能

 ・大分市内にインドネシア領事館設置

 ・大分銀行が、日本企業(県内企業)のインドネシア進出サポート

  逆にインドネシア企業日本国内進出(大分進出)サポート

 ・大分県内のNHK/民放で、インドネシア語バイリンガル放送

 ・大分合同新聞インドネシア語版を発行

 ・インドネシア人向けコミュニティーFM設置

 ・県内図書館インドネシア語書籍インドネシア関連書籍揃える

 ・インドネシア人が大分に来日する場合ビザ緩和(特区

 ・インドネシア企業商店が集積する「インドネシア村」の設置

  (インドネシア関係ビジネスしたい人は、

   ここでワンストップビジネスできる)

 ・・・ここまですれば、「大分宮崎の違い」というのは

 「インドネシアに強いかどうか」ということで、明白に差別化できる。

 在京企業インドネシアビジネスしたい場合には、大分に行ってビジネスした方が

 何かと便利、となれば、ビジネス活性化される。

 他県も、こじつけでいいから、外国カウンターパートナーの縁を結ぶ。

 鳥取砂漠研究が盛んだから中東の例えばサウジアラビアと縁結びする。

 りんご栽培が盛んな青森は、中国アメリカに次いで世界3位のリンゴ大国のポーランドと縁結びする。

 さくらんぼ栽培が盛んな山形は、世界1位のさくらんぼ大国のトルコと縁結びする。

 多少こじつけでもいいから、その地域の「強み」が生きる相手国と

 縁結びするのである

 こうすれば「青森山形大同小異、どんぐりの背比べ」じゃなく、

 「青森ポーランドビジネスの拠点、山形トルコビジネスの拠点、日本国内でオンリーワン」となる。

 縁結び相手は、非英語圏諸国が望ましい。

 非英語圏諸国は、英語が通じない、通じづらい、というハンディを抱えている。

 そのハンディを、カウンターパートナー先の県が、教育マスコミ総出で

 解消してあげるのである

 この構想は、今47都道府県にばら撒かれている「各県インフラ4点セット」を、

 逆に利用してやれ、という発想である

 各県インフラ4点セットとは、空港国立大学地銀・県紙(テレビである

 明治以来150年の歴史を誇る、47都道府県の4点インフラを有効活用しないのは、

 いかにも惜しい。

 世の中的には「道州制だ、各県毎の空港無駄だ、大学統合しちゃえ」的な意見が多数だが、

 果たして道州制で上手く行くのか?

 それよりは、既存インフラを「有効活用」した方が、地方活性化の早道だと思う。

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