はてなキーワード: 市民感覚とは
発達障害は現代社会が生み出した病らしい。産業革命によって知的障害が生まれ、情報化によって発達障害が発見された、という言葉がある。学者じゃないから厳密な意味は知らないけど、「発達障害」なんてものは少し前の社会の共通語としては存在していなくて、人々が自分のことを「発達障害なのでは?」などと考えることができるようになったのも最近のことなのだ。
私は多分何かしらの発達障害か、グレーゾーンなのだと思う。小さい頃から「常識が無い」「変人」「キチガイ」なんて言われてきたが、誰も正解の振る舞いかたを教えてくれない。頑張って周囲を観察して「普通」を言語化、習慣化しようとしてもどこかでボロが出る。椅子に座っていられる時間が人より短い。街に出ると目線が彷徨ってしまい、見ず知らずの人とよく目が合う。他人と比べて会話の聞き取りと理解に困難があるようで、日常会話でも話についていけないことが多い。距離感なんてわからない。
でも、心療内科などに通院して公的な診断を受けるつもりはない。
診断を受けるということは、発達障害として生きるということだ。発達障害というお墨付きをもらったところで、社会が定型発達を中心に回っていることは変わらないし、発達障害の私を受け入れてくれる聖母が現れるわけでもない。今の社会と人間関係は実際のところ(社会正義として多様性が謳われるようにはなったが、市民感覚としては)寛容ではないのだから、「普通の人間」として普通の生活と競争に参加するしかないのである。
工夫の仕方はいくらでもある。どもりを予防するためにゆっくり話すようにしている。背筋を伸ばし、大股で歩き、目を合わせるようにすれば堂々として見えるので多動性を誤魔化せる。マスクをして口元を隠せば表情の不審さは隠せる。孤独に慣れ、趣味を持てば友達がいなくても平気だ。
普通の交友関係は難しいし、恋人はできないし、仕事の要領は悪いし、難しい会話はできないが、それでも私は普通の人間としてあなたたちの仲間になりたい、認められたいので、診断を受けることはないだろう。だからあなたの周りにちょっと変な人がいても、あんまり拒絶しないでいて欲しいな。
宗教で男女の役割や暗に服装について言及がある宗教の影響が強い国や地域ならばともかく、
ジャップランドがいつから異性装に厳しい・役割に厳しい国になってノンバイナリーの人の安全が脅かされたのです?
マジで心の性(笑)とか宗教カルト、これを考えなしに導入出来るとかマジであたおか以外に表現しようがないんだね
つか、2023年にもなって男脳女脳とかの妄想・偏見は見たくないです。トランスレイシャル(transracial)の方がよっぽど根拠があります
白人・黒人のルーツがなくたって明日から白人・黒人になれる世界
あるいはアメリカ人のルーツがなくても明日からアメリカ人になれる世界
例えば、祖先に白人を持たない夫・妻ともに黒人のカップルにアルビノではない、金髪碧眼白い肌の子どもが生まれたりする
3 African couples gave birth to a white child
https://afroculture.net/3-african-couples-gave-birth-to-a-white-child/
そもそも宗教の人(男女の役割があり魂がある。神がたまたま外性器を作り間違えた)、
醜形恐怖症かつ異性装が好きな異性愛者・同性愛者以外はトランス肯定していません
外性器がどちらでもない場合は社会制度や本人の選んだジェンダーロールにお任せ
既存のジェンダーロールに縛られたくない人はノンバイナリーとして生きる
何も難しい話はしていないんだね
『トランスジェンダーの女子競技参加は"インチキ"』 発言したマルチナ・ナブラチロワが叩かれたのマジで可哀想だったわ
多くの人が当たり障りのないことを言っているのは、トランスナチおよび極端に考える力が弱い人の相手をするのが面倒なのと
文明人なら他人のアイディンティーを尊重する"フリ"をしないといけないから
でも、まさかそのせいであたおか上級国民がやりたい放題するとは思わなかったわ
まぁ思うべきだったんでしょうね、国公立の大学内でミスコン開催(当然参加者は整形したりする)を容認しているような
市民感覚からかけ離れたロクでもない連中なんで全体的に腐ってる
https://twitter.com/dokinbi/status/1695632225549865351?t=gDZaNRHPzigAaQa2N0cQow&s=19
「揺さぶる絵ー変貌する日本画のイメージ」展(9/16-11/12)出品作紹介④
フェイスパックの裏側に現れたのは真実の顔か、それとも…。機知と皮肉、古典絵画へのオマージュが複雑に絡み合あう画面の解読は、さながら知的ゲームのようです。
フェミニストの反応
うちの娘が通ってた画塾の先生が、女の子は日本の美大や芸術系大学行かずに海外行った方がいいと言っていた理由が、よくわかる。日本の女性蔑視に搾取されないためだ。
田中武氏が恥漢図で描いた「食欲、色欲、金銭欲などの煩悩や欲望を露わにした現代人」、全員女性。
artid.jp/tanaka_works_c…
あいちトリエンナーレで、アーティストもキュレーターもジェンダー平等を目指したのは、このような女性蔑視を「知的ゲーム」などと礼賛しないようにだと思います。
北海道近代美術館に苦情のメールを送りました。メールを見ないと、美術館の人も、先進的だと思いあがっている自分たちガラパゴス業界の感性が、実は市民感覚より劣っているということがわからないと思う。本来は、彼らが社会の発展をリードするべき存在なのですが、
『現実を直視しなければ「維新の強さ」はわからない 松本創氏が肌で感じた大阪の期待と熱狂』
”かたや、例えば大阪10区で敗れた立憲の辻元清美氏(現・参院議員)は、自公政権批判や国対委員長としての実績に時間を割いていた。国政選挙だから国政を語るのは当然なのですが、普通の市民感覚からは抽象的で遠い印象がある。地方行政を握り、生活に近い具体的な施策を語る維新の演説の方が響くんですね。”
旧民主党からずっと(コア支持者も含めて)この体質は変わらないな。
三年前に書いた増田。https://anond.hatelabo.jp/20201228171117
地方の有権者は国政の問題より、自治体の運営実績を判断基準にしている人がけっこういるのだけれど、この層をほとんど取れていない。例えば2019の統一地方選の結果(リンク先)見れば一目瞭然で、対抗軸が自民VS自民(県連)かVS保守系無所属ばかり。
元々民主党は国政選挙のための政党で、地方は国政選挙の下請くらいの扱いをされていた。例えば2009年の地方選ではその地方の問題ではなく政権交代を中心に訴えたし、国政候補者選定も地方議員からの抜擢より公募が重視された。そのうえ政権喪失後は中央で数合わせの離合集散するたびに、地方組織はダメージを受けて立て直せないまま弱体化していった。
政権を失ったあと民主が取るべき方針は、地方組織を地道に構築して知事の座を取って実績を積むことで、野合して看板掛け替えることではなかったんじゃないか。自民が強くなったわけじゃない。保守系無所属知事の増加が、「自民も野党も支持できない(でも強いて言うなら民主以外)」って声の反映だと思うし。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230626/k10014110071000.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20230626/k10014110071000.html
市場価格の6割に怒って
と揶揄してるわけだが
ちょっとググれば
ボロ家(というか経年劣化)は減額されるのが分かる
2割までもっていける
6割と比べたら、すごいことだよな、2割だぜ、2割
でも、「そういう事を知らない」し、そういう事をちょっと調べてみようともしないから、「ボロ屋の評価額も~」って言っちゃう
それはしょうがない
でもそれに、★が130付くのは流石になぁ
実際問題、こういうのが「市民感覚」とか言われて有難がられちゃうわけだろ?
・リツイートが何件あった
・コメントが何件付いた
・トレンドに入った
ポリコレをお気持ち棒だと叩くようなアカウントも★つけてない?
大丈夫?
はてサもさ
ボロ家に新築同然の評価額がついてたら、もっと問題視されてるでしょうに
流石にヤバくない?
私の住んでいる地域ではここ数年で暴力団の抗争事件があり、暴力団排除を推している人がいたら、その人にしようと思った。
これなら、右派も左派も関係なく、誰でも賛成できる政策だと思った。
が、誰一人いなかったので、最低限、暴力団と関係のある人はやめようと思った。
最初、いいなと思っていた人がいた。
しかしその人には支援政党がついていて、暴力団に金を流した団体が支援する集会に出席していた。これはだめだ。
党議拘束や選挙支援がある以上、個人と政党は切り離せない。政党が反社を容認するなら私は投票しないことにした。
ある党は期待の世襲ホープが地元の反社幹部との付き合いを父子共に続けているとスクープされていた。祖父もヤクザであるという反社のエリートみたいな存在だ。これもだめ。
ある党は犯罪なら殺人までやって何回も幹部が逮捕されている人権団体(なお団体内に暴力団関係者がいる)が支援団体にいる。これもだめ。
ある党はみなし暴力団扱いの人を公認し当選させた。これもだめ。
ある党は暴力団や上記の人権団体には批判的な立場だが、党が天下をとっている街の指定管理先の団体を見てみると、反社と関わりがあると公言している人のいる団体の役員が出てきた。あと、私の見聞きする範囲でも産廃で違法行為を行う業者の代弁者として働いている議員を見たことがあった。これもだめ。
そうやって候補者から反社との関わりがある政党を除いた結果、無所属の人しか残らなかった。無所属と表記されていても本当に支援団体がない場合は少ない。
そういう人も可能な限り調べていった。所属している他の団体などの役員を確認し、事実上の支援政党の有無を調べた。
残ったのは現職1名、新人3名
あれだけいた候補がたったこれだけしか残らなかったのか……という気持ちになる。
新人二人は手書きで意味不明なことを書いている人と、やっていこうぜという気持ちだけ書いてある人。それ以上の情報が一切なかった。
現職は、過去の投票結果から一定数の得票を得ているので〇票持っている特定の支援団体があると思われるが調べても分からなかった。
新人の方も支援団体は見当たらなかった。政策ではどちらかと言えば保守、ネオリベ色を感じた。
最後に感じたのは、私の投票は無駄にならないか、という点だった。
現職議員はたぶん、私が入れようが入れまいが、当選するだろう。
これは非常に厄介な事態だと思う。今日のロケット関連の記事のトップコメントを見てほしい。
[B! 増田] 「JAXAに打ち上げ失敗を認めさせたい人」への説明に悩んでいる
frothmouth 「普通は失敗」「一般論では失敗」みたいな市民感覚と、科学技術の専門家の使う言葉の意味が違うのは当たり前で、2者の科学コミュニケーションを繫げるのがメディアに求められる役割なんだけど、記者がコレでは困る
[B! メディア] 国産ロケットH3の打ち上げは「失敗」である
steel_eel 「別にノーミス打ち上げチャレンジじゃないんで失敗じゃないですね。運ぶものやロケットが爆発四散とかしたら失敗です」って何度説明されてもノーミス打ち上げチャレンジだと思い込んでいる人々。
(太字強調は引用者)
どちらの人気コメントも記者に批判的な立場なのにもかかわらず、その書き方は失敗を認めてしまっているように見えることに注意してほしい。ノーミスのミスは和製英語だが、mistake には失敗の意味が含まれる。これでは開発側に何らかの失敗があったようにも読めてしまう。
ロケット開発に明るい方の分析によると、JAXAのような権威ある機関が「失敗」を認めてしまうと取り返しのつかないことになるらしい。
ロケット業界の中には「絶対に失敗してはならない」という意識下の前提条件がある。だからひと言でも失敗と発言してしまえば、「JAXAだって失敗してる」「失敗してもいいんだ」とはならずに、失敗の共通認識の前線が後退してしまうことになる。「今回の打ち上げは失敗」が未来の業界を、失敗を避けるために一か八かの勝負に出るような打ち上げをするような体制に変化させてしまう。失敗は成功のもと、と発言した文科相が直ちに追及されて謝罪したのも必要なことだった。
ロケット開発に限らず、あらゆる業界で「失敗」が避けられる。皆んなもちょっと思い出して見てほしい。自分からあれは失敗でした、などと言い出した人を、一人でも思い出せますか? … いないでしょ。
失敗だなどという認識を持てば自己肯定感は下がり、部下や仲間の士気も落ち、悪いと鬱傾向になってしまいかねない。集中力を失えばプロジェクトは瓦解する。また、失敗感は未来の自分や後輩の首を絞める側面もある。失敗するかもしれないという恐怖が心理的安全性を著しく損なう。だから近年、「失敗した」という人は少なくなってきた。長い歴史のなかで人類は「失敗の悪さ」を学んだのだと思う。
にも関わらず「失敗」は相変わらず言われている。主に、敵によって。例えばアベノマスクだって明確に失敗だったとは言えないはずだろう。当時のコロナ禍の五里霧中の状況ではチャレンジングな施策だった。確かに注意深さは十分ではなく、後から見れば問題は多々あった。だけど反体制側の人間は躊躇なく「アベノマスクは失敗だった」と言う。これは立場の問題だ。敵側の人にとってはあらゆる隙は「失敗」のレッテルを突きつけるチャンスになる。映画版スラムダンクは失敗だった。はてなブックマークのUI変更は失敗だった。ツイッターのイーロンマスクは失敗だった…。「失敗」は敵の言葉だ。
味方のフリをして足を引っ張る悪者にならないように、注意深く「失敗」のワードを避けるべきだと思う。失礼ながら、冒頭のトップコメントたちの修正案を考えてみた。
簡単に諦めてしまいがちな部外者である市民の感覚と、責任を持って問題に向き合う専門家が使う言葉の意味が違うのは当たり前で、2者の科学コミュニケーションを繫げるのがメディアに求められる役割なんだけど…
「別に一発クリア打ち上げチャレンジじゃないんで失敗じゃないですね。運ぶものやロケットが爆発四散とかしたら失敗です」って何度説明されても一発クリア打ち上げチャレンジだと思い込んでいる人々。
できるだけポジティブな表現に置き換えるのがコツ。見てる人の気分をダウナーにしないように時間をかけるのは時に難しいかもしれないけれど、必ずプラスの意味を持つ。誰の心にも響かなかったとしてもマイナスにはならない。そういう細かいケアが求められる時代になってきたと思う。ずっと勘違いされてきたけど、実は、ヒトの心は簡単に折れてしまうのだから。
パヨク以外のまともな考えを持った人は、学歴と家庭の収入に密接な相関があることを知っている。家庭が裕福なほど高いスコアを獲得する可能性が高くなる。
裕福な親は子供を受験対策の塾に参加させるだけではなく、ダンスや音楽レッスンを受けさせたり、ゴルフなどのエリートスポーツをさせたり、英会話スクールに通わせることで状況を有利になるよう訓練し、本物の善意ではなく下層階級に対する関心を示すために善行を積むように仕向けるのである。
そして授業料である。学生を入学させることのできる家庭は裕福であり、その他の貧乏人はローンを組むなど不利な状況に立たされる。この点から言っても、支払い能力を持つクソエリートの方が入学させる可能性が高くなるのである。
頭のおかしい評論家は、この不平等について「能力主義ではない」と嘘を吐くが、「男性の方が能力が高い」といった理由で医大が女性を差別するのも能力主義の不正が蔓延している一つの証拠である。
意見の相違はあるが、能力主義の連中は「能力を評価することは公正であり、能力に基づいて入学者を判断すべき」などと傲慢な態度を取る傾向にある。
暗黙の了解として、「実力主義で入学した者はそこから得られる利益を享受する資格がある」などと、弱者への差別を加速させるようなことを共有しているのである。
こんな考えが正しいと考えるのが、つまりリベラル派、パヨクである。少なくとも米国の政治論争で証明されている。対立はここ数十年の不平等の広がりに端を発している。誰がどの大学に入るかによって、より多くのことが左右されるという事実がある。
最も裕福な10%の人々の有名大学への進学がより重要視されるようになったのである。
50年前、大学への入学はそれほど困難なものではなかったとされる。4年制大学に進学するアメリカ人は5人に1人以下で、進学する人は自宅近くの大学に入学する傾向があったようだ。大学のランキングは、現在ほど重要視されてなかった。
しかし、経済的な不安だけがすべてではない。トップに立つ者は、自分の成功が道徳的に正当化されると信じたいものである。実力主義社会では、勝者は自分の才能と努力によって成功を勝ち取ったのだと信じなければならない。
連中はますます傲慢になり、自分たちの力で成功したのだという誤解を招いてしまうのである。
東大入学のために浪人する馬鹿について考えよう。彼らはエリート大学への入学がもたらす実力主義的な名声、つまり幻のようなものを求めているのである。
門をくぐった学生も、自分の力だけで入学できたとは言い切れない。親や教師は誰だったのか。自分だけの力ではどうにもならない才能についてはどうだ?たまたま持っていた才能を開花させ、それに報いてくれる社会に住んでいた幸運はどうだ。
競争的な実力主義の中で勝ち残った人々は、競争に対して見えないところで恩義を感じている。実力主義が強まるにつれて、その努力は私たちを吸収し、恩義は見えなくなる。不正行為や賄賂、富裕層への特別な特権がない公正な実力主義であっても、傲慢な連中が自分たちの力で成功したという誤った印象を持つのである。
これは自己欺瞞であるだけでなく、市民感覚を腐敗させるものである。自分たちのことを自分で作ったものだと思えば思うほど、感謝や謙虚さを学ぶのが難しくなるからである。感謝や謙虚という感情がなければ、共通の利益を大切にすることは難しい。
現代の政治においても、誰が何に値するかについての議論が盛んである。表面的には、これらの議論は公正さについてである。望ましい財や社会的地位を得るために競争する機会が本当に皆に平等に与えられているのか。
"大学生"という生物はいないので、大学で1日の講義を受け終わった後に、学業・研究に支障が無いように、
そしてその一環で整形するのも自由なんだ
個人的には整形は推奨しないけど、
現実的には、エンターテイメント・ファッション業界は、人が拒食症で死のうが size 00 信仰は消えてないし、ルッキズムが蔓延ってる
市場にウケる容姿というのもが確実にあり、ハリウッドあたりだと、白人以外のメインキャストを起用する場合のみ、
何故か従来のモデル・女優像から離れた比較的ポピュラーな人物像を先進的に採用してぶっ叩かれまくっている。マンガでもぶっ叩かれるね
(例:スター・ウォーズ/最後のジェダイのローズ、ミズ・マーベルのカマラ・カーン、New Warriors の TRAILBLAZER)
なので、エンターテイメント・ファッション業界での仕事の幅を制限したくないという思いと、整形してものしあがるぞ!!!という思いが本人にあったら、
正直、2022年段階では、消去的にやむ無しとは思う
けどこれ、大学"内"で開催されるイベントでやるべきことですか?
人間にとって自らの所属する共同体の価値観は絶対的な影響を持ち、その価値観から完全に離れた個人などありえないのに、
学術の場・専門家を作る場で、美の多様性や差別を考えるのではなく、市場や変えていくべき価値にただただ迎合?????
大学の存在意義を考えられない人しか日本のアカデミアにはいないのかと
少なくとも国公立の中学高校の保護者は、学校外で芸能プロダクションが開催するミスミスターで整形なら学外のことなのでスルーだけど、
キャンパスライフ・青春を応援しまぁぁぁぁぁすでもいいけど、それ芸能プロダクションに任せて学外でやってもらっちゃダメなやつですか?
研究者としては知りませんけど教師としては問題がある教授の入れ替え(予備校TOP講師レベルを目指そう)、
研究費をかき集めるためのイベントでも打ったらどうですか?っていう
『市民感覚からかけ離れてる』『日本の病巣』を取り下げる気はないよ (まぁこのことで時間もお金もかける気もないけど。別のことに使う)
まぁ、ワイが日本のアカデミアは本当にどうかしている😡と思っているように、
増田も大学の在り方を決めるな😡プンプンって思っとけばいいじゃないの
俺が指摘したのは市民感覚とかって言葉を使ったことだけだったんだが。
そのうえで敢えて言うんであれば、お前が勝手に定義した「国立大かくあるべし」なんて誰も知らねーよ。そういう大学があることも、お前の好きな”多様性”だろ。
これが大学と無関係の芸能プロダクションなどが大学のお外で勝手にやってることなら、
成人年齢も18歳引き下げられてるし、お好きにどうぞって思うけど、
国公立大"内"で開催するイベントで『整形』ってあのさぁ・・・
それとも日本では公的に美の多様性を認める/ルッキズムを許さないではなく、
本人の自信に繋がるなら積極的に整形を応援😡って方針に変わったの?
少なくとも、芸能プロダクションが学外で勝手にやってるコンテストではなく、
国公立の中学高校"内"でミスミスターやって、優勝するために、あるいは自分自身のベストを尽くすために、
『整形する✨』とか言ったら保護者はミスミスター開催辞めろ!って言うと思うよ
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"大学生"という生物はいないので、大学で1日の講義を受け終わった後に、学業・研究に支障が無いように、
そしてその一環で整形するのも自由なんだ
個人的には整形は推奨しないけど、
現実的には、エンターテイメント・ファッション業界は、人が拒食症で死のうが size 00 信仰は消えてないし、ルッキズムが蔓延ってる
市場にウケる容姿というものが確実にあり、ハリウッドあたりだと、白人以外のメインキャストを起用する場合のみ、
何故か従来のモデル・女優像から離れた比較的ポピュラーな人物像を先進的に採用してぶっ叩かれまくっている。マンガでもぶっ叩かれるね
(例:スター・ウォーズ/最後のジェダイのローズ、ミズ・マーベルのカマラ・カーン、New Warriors の TRAILBLAZER)
なので、エンターテイメント・ファッション業界での仕事の幅を制限したくないという思いと、整形してものしあがるぞ!!!という思いが本人にあったら、
正直、2022年段階では、消去的にやむ無しとは思う
けどこれ、大学"内"で開催されるイベントでやるべきことですか?
人間にとって自らの所属する共同体の価値観は絶対的な影響を持ち、その価値観から完全に離れた個人などありえないのに、
学術の場・専門家を作る場で、美の多様性や差別を考えるのではなく、市場や変えていくべき価値にただただ迎合?????
大学の存在意義を考えられない人しか日本のアカデミアにはいないのかと
少なくとも国公立の中学高校の保護者は、学校外で芸能プロダクションが開催するミスミスターで整形なら学外のことなのでスルーだけど、
キャンパスライフ・青春を応援しまぁぁぁぁぁすでもいいけど、それ芸能プロダクションに任せて学外でやってもらっちゃダメなやつですか?
研究者としては知りませんけど教師としては問題がある教授の入れ替え(予備校TOP講師レベルを目指そう)、
研究費をかき集めるためのイベントでも打ったらどうですか?っていう
『市民感覚からかけ離れてる』『日本の病巣』を取り下げる気はないよ (まぁこのことで時間もお金もかける気もないけど。別のことに使う)
こういうのが東京オリンピック開会式や電通ほか広告代理店のノリにつながってるとしか思えないし、
不正研究や国際学会や著名な学術誌で同じこと言えます?な発言をSNSでかましまくってる国公立の教授を生んでる・放置していることにも繋がっているとしか思えない
市民感覚の中心にあるのはカネだ。
原発事故が起こるかもしれないし起こらないかもしれないということこそ真面目な人が考えてしまう将来のことだ。
今、ここにある問題はカネなんだよ。
思い出したら追記する
何事も実行しなければ成功も失敗もありえないわけだし、
良くも悪くも問題を先送りにしたりする
ただ、先送りした結果、円満に解決してしまうということもあって、
逆に焦って短期決戦に持ち込もうとして失敗してしまうこともあった
ヒスブルナオキみたいなのは行動的というか、欲望に対しても行動的すぎるので、
考えるより先に手が動く、走りながら考える、
みたいなタイプはこういう犯罪傾向が強いことも頭の片隅に置いておいた方が良い気もする
ペドリフィアで行動的な人は、行動力のような性格は三歳児神話ではないが、
主な性犯罪者は10代、20歳前後ですでに前科があるものだと思う
歳を取ってから、いきなり行動的な性犯罪者としてはっちゃけるのは難しいように思う
(もちろん、魔が差すということもあり得るのは否定できない
何らかの兆候があったはずだ
元から何らかの兆候はあったが、それが他人に見つからなかった、揉み消しできてしまって生きてきた、
それが埼京線で集団痴漢で逮捕されるまで大きな不祥事にならなかった
そうでなければ、犯人が普通に結婚し、幼い女児二人の父親になることさえなかったはずである
自分としては、どう考えても痴漢の実行犯には明確な性欲が出発点にあるのが否めないように思う
スリルを求めてとかではない
性欲が起点となっているが、その実行への障壁が低すぎるがため、
性欲→痴漢行為や強姦行為という直行の神経回路が形成されているようなものであろう
だから、性欲が強いからといって、犯罪者になるかというとそうではなく、
差別的表現かもしれないが多動傾向さえあった方が向いているかもしれない
精神的に落ち着かなければ、普通の人はタバコを吸うとかガムを噛むとかするが、
そういう感覚で、通行人の女性を襲うか、とか、通行人の男性を殴って財布を奪うか、とか、
標準的な市民感覚では妄想でしかないようなことに行動が直行してしまっている
少なくとも私であるなら、犯行を実行することが面倒くさい、だるい、と思ってしまうわけだが、
彼等はそういう感覚に乏しい
良くいえば行動的で面倒くさいこともさっさと終わらせてスッキリしたいタイプ、
悪くいえば、犯罪行為でさえ、さっさと実行して自分をスッキリさせたいと思っている、
そういえば、植松も散々自分で考えた末に障害者を抹殺するという結論に達したように吹いていたが、
法定で中学ぐらいで既に学校の文集に障害者は社会に不要な存在だという文章を書いていたことが明かされると、
やはり、人間の根本的な思考は幼少期からあまり変化しないように思える
人生で考え方が大きく変わる出来事があり、そこで大きく変わるとしても、
自分のこれまでの人生で出会った人間を思い出しても思うのである
植松にしても白石にしても、親の話をするとキレるというのも共通点としてあるが、
彼等と本質的に性格が同じだったとしても、社会的に成功するとか、安定した生活ができていれば、
例えば、経営者だったとしても、経営者の不祥事で社員が仕事を失っては困るわけで、