はてなキーワード: YouTUbeとは
ナルコレプシーって気絶するように寝てしまう病気があるけどそういうのとはちがうの?
睡眠に関する世界的な研究拠点は日本にあり、国際統合睡眠医科学研究機構っていうのが筑波にある。
そこの柳沢正史さんて方がベルソムラっていういい薬を作った。医者に行ったら処方してもらえる。
この薬のいいところは副作用がないところなんだそうだ。そして寝入りばなだけでなくずーっと聞くところなんだって。
5時30分妻が旅立ちました
46歳です
苦労ばかりかけてましたのであっちで楽しんでください
早すぎるよ(´;ω;`)
と投稿し、いかにも妻が他界したような表現をしているが実際は娘と海外旅行に行っただけ。
叩かれる
訴訟をするといって実際は訴訟しないと脅迫罪になるためと思われる。
「Xでの不適切だと言われる投稿について」と題しYoutubeに投稿。
内容は見てないけど、インプレッション稼ぎは明白。
痩せたいからとにかく走って飯を減らす!
売上を上げたいからとにかく片っ端から営業かけて熱意を伝える!
小手先のテクニックなんかよりも根性で乗り越えるのが大事!みたいな。
一般的に良しとされない根性論っていうのはそういうのを指してるんだと思う。
目的に早く辿り着きたい気持ちが先行するあまり、実現に向けた具体的な方法論の効率性が軽視されてるっていう。
苦労は必ず報われるっていう誤謬めいた感覚がドグマ化して、他人にまで押し付けるようになる。それはまあ好ましくはないと思う。
痩せたいのならまず身体の仕組みを知って、その法則に則ってより効率的な痩せ方を研究して実践すれば良い。
そういう情報も今は体系化されてるのだから、自分で編み出すよりもYoutubeなりで調べればなお効率的。
でもそれって方法論の話でしかなくて、じゃあそれを実践するやる気が湧かなかった時はどうすんねんっていう。そこは結局根性の問題であって、どうやってそのやる気をロジカルに調達出来ますのんっていう。もっと言えば実践以前に効率的な手法を探るのだってやる気は要るし。
気合いがなければ気合いで捻り出すんだよ!というトートロージーめいた対策では話にならない。
じゃあ根性論ではなくロジカルな対策としては、適度な運動をするなり規則的な生活を送るなりして、健康的な身体を作ることが医学的な理屈からして効果的なのかもしれない。メンタルクリニックに行けば助言も得られるかもしれない。
でもそれをやる気力はどこから湧いてくんねんっていう。
根性だけではどうにもならないかもしれないけど、根性がなければお話にならない。
メンタルヘルスって、気合いがなければ気合いで気合いを引き出すというトンチの克服に直面してる気がする。歪な社会構造がどうのこうのという以前に。
別に心療内科へ行けばどうこうなるってもんでもないし、カウンセリングや薬で根性がモリモリ湧いてくるのなら社会問題になってもいないと思う。
お仕事風景の動画って基本的にコメントで批判されないんだけど、ある動画見たら非難囂囂で笑っちゃった
インドで鉄鉱石をダンプから一気に投入して細かく砕く設備があって、その清掃シリーズが酷かった
巨大な穴に向かってショベルカー使って脇に溜まった鉄鉱石の粉を除去してるんだけど、あまりにも手際が悪い
いろんなアタッチメント使って何回もチャレンジしてるのに、その動画全部で「最悪の仕事だ」「俺なら5分で終わる」「この労働者は時給で働いている」など散々な言われよう
吐き出し。
コロナ時期から、真実はこれだ系のYouTubeにはまったらしく、トランプを支持したりマスクやワクチンは意味がないなどと言い出したりして苦々しく思っていたが、ネット上でも似た事例を見つけて、ただ悲しいなと思っていた。
友人なら距離をおくなどを考えるが、親なのでそうもいかず、また自分が大事にされていることは分かっていたので、衝突するであろう話題を避けることで乗り換えてきた。里帰りなどで一緒に過ごすのは年に数回だったので問題なかった。
真実系に染まったと思われるのは父だけで、それを日常的に聞かされる母や弟は本当に大変だな、と離れた視点で思っていた。
自分の中で何かが変わったと思ったのは長崎の平和祈念式典のなりゆきを見てから。
その前触れというか土台は、少し前に里帰りしたときに久々に父と言い合いをしたことにある。たまたま流れたニュースへに対して発したやりとりから始まったが、父がイスラエルを擁護していることがわかった。そのときは、今後は徹底的に話題を避けるしかないな、と思うことで収まった。
だが、長崎の式典への各国の対応を知って、家族や知人には言えないが、こんな世界に子供をもうけておらず本当によかったと思ってしまった。
※個人の過剰な感想なので、気を悪くする人もいると思います。そのときはすみませんが読み飛ばしてください。
実際には口が裂けても言えない。
なぜこんなにショックを受けているのか少し自分でも謎だったが、今日酔っ払いの頭でふと気づいた。
父はこちらに何か不安な事があるたびに「いつでも帰ってこい。お前たちの帰る場所はここにある」と言ってくれていた。私はその言葉にとても励まされていた。
ガザの人たちは、イスラエルの入植により帰る場所を奪われた人たちだ。追いやられた場所で必死に生活をするしかなく、なんとかやっていたのに、追いやられた場所で、今は一方的に虐殺行為を受けている。イスラエルにより。
きっかけがハマスのテロだとして、民間人を虐殺することがなぜ正当化されるのか。なぜ、そんな国とそんな国を擁護する人の言葉しか聞き入れないのか。
父は帰る場所があることの大事さを知っているはずなのに、なぜ帰る場所を奪い狭い場所に閉じ込め虐殺を行うことを肯定できるのか。
今回の長崎の件で、アメリカだけならともかく、そのほかの欧米諸国もアメリカ同様にイスラエル支持の立場であることが明確になり、それに絶望した。安い言葉だが。
父は欧米諸国寄りの思想なので各国情勢でいくと主流派にはなるのかもしれないが、長崎の件でそれがまざまざと見えてしまって、自分はそのことをまだ消化しきれていない、ということなのか。
全然関係ないが、ここまで父に会いたくという思いを持つことで、少しだけ宗教戦争に思いを馳せた。信仰の違いは戦争につながることがありえたんだな、と思う。信じるものが違いすぎると家族でも遠くなる。
これも全然関係ないが、自民党と統一協会の関係は、欧米諸国とユダヤ資本の関係に似ている部分があると思う。
アメリカでも、若者の間ではイスラエルやばいよね、という意見が多いらしいので、そこは希望が持てる。
思うだけで自分は何も行動はしていなかったことを反省し、ガザ人道支援の募金をした。
この行動のきっかけになった点は父に感謝できるのだろうか。それにしても、あーー里帰りしたくない。帰るんだろうけど。
まとまらないことに変わりはないが、理屈はおいといて、罪のない子供たちが殺されるのは許容できないと思うし、子供を大事にしてくれる父にそんなことをしている国を擁護してほしくないのです。
家にひとり残された増田は一人でいることを利用してダラダラと過ごしていたんだけど、ふとYouTubeでカレーの動画が目に入ったんだ。
それは大食い系のYouTuberが特大大盛りカレーを食べるという企画の動画で、大食いだけど結構旨そうに喰うんだよ。
それで完全にカレーの口になってしまって、カレー喰いてぇ…てなった。
でも妻は出掛けてるし…どうしようか。
と、ここで「そうだ、作ってみるか」と思い立ったわけだ。増田は普段家事力ゼロで料理なんて全然したことがないから、そんなこと思うこと自体稀で、でも暇だったしたまにはいいかなと。
軽い気持ちでネットでレシピを検索。意外と簡単そうじゃん。台所を見てみると玉ねぎがあった。あとにんじんも。続けて冷蔵庫を開けると豚肉もある。小間切れって書いてあるやつで、まだ未開封。それにバーモントカレーを発見!!
材料あるなら楽勝でしょ。そう思って、既に勝った心地でスマホ片手に料理を始めてみた。
まず玉ねぎの皮を向いてカット。流石に料理番組みたいにタンタンタンとスムーズに切れはしないけど、手を切らないように慎重にカットはできた。あと予想外に涙も出なかった。俺は料理に向いているのかもしれない。
そのあとにんじんを洗って、これは粗めに切って、それから再度レシピを確認。玉ねぎを飴色になるまで炒めろとある。
ふむ。
サラダ油を敷いて、弱火でじっくり炒めることにした。時間は…二十分!?
いやいや長過ぎんだろ…と思いながらも妥協はしたくない。仕方がないので弱火でじっくり炒め、その間退屈なのでYouTube観ながら炒めてたら焦げた!!
でもちょっとなのでセーフだよね。続けてにんじん、豚肉を加えて炒めてたら箱にかいてある分量の水を加える。これは500mlのタンブラーがあったので無事にクリア。それから少し煮る。
沸騰してきたら一旦火を止めてカレールウを投入。じっくりことこと煮込んでいけば…カレーの完成だ!
なんだ、カレーって簡単じゃんというのが第一印象。試しに味見してみると、悪くない。
どうせならとご飯も炊こうとお米を研いで…ってうち無洗米だったんだよ袋を見て初めて知ったけど。お米の計量カップあったから、それで何度か掬って、あとは水の量をググって入れて…あとは炊飯器のボタンを押すだけ!
そんな感じでカレー作って米炊いて、あとはそわそわしながらネットやって時間を潰した。
夕方になると妻と子供が帰ってきて、台所見てビックリしてた。俺は内心笑いながらも冷静を装って「ん?どうかした?」って聞いたら「これ、あなたが作ったの!?」だって。あまりに驚いてるからおかしくって、思わず吹き出した。
そのあと三人で晩御飯。息子は「おとーさん、これおいしーよ!」って言って、俺はもう得意顔よ。
そうかそうかお父さんはカレーのプロだからなって言えば妻も吹き出して「なにそれ」って笑い出した。
皆で食べ終わったあと、子供が席を離れてから妻が「美味しかったよ」と言ってくれたのが正直一番嬉しかったかもしれない。
遅まきながらフワちゃんの件を知ってみているのだけれど、非常に混乱している。
フワちゃんのあれはイジりだいや裏アカ誤爆だと両者が両者それなりの規模居るみたい。やすこが悪い説までいくととても謎だ。
自分の主観ではあれをイジり芸とは受け取れず、(本人も言うように)裏でもリアル周囲にでもこっそりやろうとしたやつの誤爆だと思っている。
もう最近はテレビで芸人バラエティをガッツリ見ることは久しくなくて、フワちゃんすらGoogleのCMでしか存在を知らない程度の人間だけど、自分が子供のときと比べてすごくクリーンになっているのは感じる。
ダウンタウンの二人が古くてあたりがキツいなぁと感じるぐらいには感性が変わった。BPOのお叱りでいろんなことが自粛され、漫才で頭を叩くことすらもう消えそうだったと思う。
そんななか、最近?新たらしい新星のフワちゃんはクリーンな今の新時代の、さらに一歩先の変革を体現する存在、だと自分は認識している。実際に動いてるところを見たことが無いので風評になるが、そういうキャラだと思っている。失礼キャラ?に似せた新しいなにかだと。
そういう新世代のキャラがいまどきのテレビに出て、芸人として過ごす中で、「死んで」というワードを『芸人として』チョイスするかはとてもとてもとても疑問だ。
もちろん、やすこさんの「生きてるだけ」という言葉にかけて、という文脈を理解しておかなければならないが、それでもテレビ業界でのし上がってきた芸人のとっさでもない文章入力でこの辺の『危険な匂い』をいじり芸する前に気付けなかったのは不自然だ。
自分はフワちゃんを知らないが、今回の件で炎上するということは日常的に「死んで」というワードをフワちゃんがいじり芸の武器として使ってこなかったことの証左であると考える。イメージでも、今のテレビ番組で「いや死ねよ」なんてドギツイ突っ込みをしているのは、ダウンタウンなど古い世代を除いてイメージにない。
自分が学生のころは「いや死ねよ」と突っ込みする雰囲気はあった。多分してた。今の学生でもリアルではあるんだろう。でもテレビで「いや死ねよ」のイメージは、ない。「死んでください」だってフワちゃんの失礼キャラのイメージでも、ない。
テレビでしない・できない発言をラジオやネットやyoutubeでする、というのは確かにあるものの、フワちゃんがそういう発言をするキャラじゃないことはフワちゃんが一番分かっていると思う。見られ方・受け取られ方に鈍感なタレントは少ないだろうし、フワちゃんはさらに薄氷を踏むような道を駆け抜けるバランス感覚が武器な芸人だったはずだ(見てないので憶測100%)。
超高難易度の綱渡りをしている雑技団の人が、突然バランスをとるために使っていた棒をバランス無視してこちらに突き刺してきたら、「すごい!綱渡りの芸だ!」と思う人はまずいないだろう。
素人でも一目で分かる使っちゃいけないワードを使った時点で一発レッドと容易に断じられるのだが。これが同じくテレビでいじりに使わないだろうワード、「障がい者になってパラリンピックでも優勝してくださーい」でもいじり芸として認識されたのだろうか?
俺はテレビ見ないしYouTubeもプレミア会員だからCM見る機会ないし
女さんに配慮してイケメンしか出さなければいいのにって思うんだよね女さんは最近降板させられたフワちゃんでも何でも好きなの出してりゃ良いと思う
キークロンを買った、打鍵感を試している。キンドルを買った。あんまり読めていない。奥歯を抜いた。違和感がある。
明日、日付が変わって今日、エアコンの取り替えがある。業者が来るからと、R18を含むタペストリーをすべて外した。
白い壁紙がヤニで汚れていた。思えば自分は、この部屋に15年以上住んでいる。親を無視して自室でタバコを吸い始めてからは、多分四年経った。父親も、俺が母親に言われなくなったのを境に、自室でタバコを吸うようになった。
狭い部屋だなと思った。小学の頃には、自分を含むちびっこ4人が集まってゲームをしていたのに、ヤニのせいか、そんなのよくできていたなと思う。
思えば弟が泣かなくなった。声もだいぶ低くなって、俺とは逆な濃いめの、しぶとい顔つきだ。メガネもよく似合っている。
数日ぶりに、シャワーを浴びた。坂本龍一のインタビューを見ながら、6個くらいのオナホを洗った。さんまと話しているものと、当時新製品だったシンセのインタビューだった。
数週間前に、坂本龍一の本を立ち読みした。30代でもバリバリ夜遊びして、2徹とか普通だったと書いてあって、すごいなと思った。
坂本龍一も、そんなにわかりやすい作風ではないのに、誰でも知っているんだよな、と思った。
YMOというより、ひょうきん族とか、ごっつええ感じとか、バラエティ番組にも露出が多かっただろうから、それにヒットした曲は、世俗的であるよりも、高雅な感じもするし、インパクトが強いよな、って
自分が聞いていた頃は、みんな聞いていなかった。今では、みんなが聞いている。嫌なことではなくて、自分がつくった今の環境が、そういう環境なだけ。
逆にいうと、YMOも聞いていない人と仲良くするのをやめた、とも言える。
そんなのいちいち、選んだわけじゃない。連絡を取らなくなった人にも、YMOを聴いているやつだっていたはずだ。
ツイッターって、なんかガジェオタがやるようなインターフェースだったなと思い出した。PCは使いにくくて、アプリでも自分のホームにすぐアクセスできたり。
それでも当時も、使いにくかった。クライアントアプリを使っていた。
インスタもガジェオタっぽかった。
というか、ios7まで、ずっとガジェオタっぽかった。スタイリッシュな鈍臭さがあった。
ここ数年、自分がよく仲良くしている人は、年下がいっぱいいる。
いつの間にか昔話ばかりしている。
へぇ〜と言ってほしい訳でも、教えたいわけでもない。思い出したから話すけれど、振り返ることばかりだなと思う。
流行に追いつけなくなっているのは、いつもそうだ。だって追いつこうとしていないから。
知らないことが多すぎても、困ることはない。
Youtubeで流れてくる動画を見ても、その再生数からどれだけの知名度があるか分からない。UUUMのホームページを見ても、若めの人たちはほとんど知らない。
ニコニコ復活記念のレッツゴー陰陽師も、知らない人が多かった。むしろ、自分の好きな投稿者とコラボしていた人はここに出るくらい、有名だったんだなと思った。
自分は、反発心から何かを無理に好きになったりはしない。継続して好きでいられない。
好きなものの反対が、メジャーである、メインストリームである、ということも、マイナー、アンダーグラウンドである、というくくりもできない。
何かを貶して揚げると悲しくなる。けどそう言いたくもなる。邦ロックが好きなカスどもには分からんだろうなとか。
けれど、振り返ってみると、自分はそもそも邦ロックに出会ってすらいない。あれがダメ、これがダメとかいう前に、好きだと思う人と同程度の知りかたをしていない。
どれだけ他のジャンルに詳しくても、それを比較するような仕方でしか語れない。
父親はパンクが好きだ。日本のハードコアについてだったら、土地ごとに有名バンドを挙げられる。
「ぎゃーんって鳴って、それが気持ちよければ、もう最高なんです」とか、ギターを握って言うのが気持ち悪い。
流行りの曲は全部、歌謡曲と言う。でも久保田早紀とか寺尾聰とか、リビングで流れてくると、いい曲だよなーと言って当時のことを語る。
感無量といった表情で、疲れえ果てて〜♪ いることは〜♪ とマイクを持っているようにして、歌ったりする。
高卒で働きまくって、結婚して子供もいて、何がパンクだ、ハードコアだ、とずっと思っている。
「最近のお前はすごいとは思うけど、俺はお前の音楽の良さが分からない。全く、分からない。俺はそこらへんの音楽に興味がない」
と、言われたとき、あっそう、と思った。
俺も、興味のないものが増えたなあ。
米国を参考に、製造業からソフトやサービスに産業移行を目指してきたけど、駄目だったのではないだろうか。
米国のように軍事力を背景に、米国外への法律が効力を持っていたり、ビジネス面での情報収集能力は日本にない。
ソフトやサービスが力を持ってきたといっても、それを支えているのは膨大なサーバーで、物量で勝負している。
他社企業が出してきたクラウドやライブラリの使い方を覚えることで精一杯でリソースが取られてしまっているという現状もある。
標準に合わせるといっても、グーグルのように次から次へと標準に追加していった場合についていくのがやっとという戦略にも乗ってしまっている。
他の業界だとセールスマンが宣伝だが、エンジニアも宣伝の片棒を担いでいる。
YouTube、Uber、アフィリエイトといった、金をばら撒けばそれなりに人が入ってくるわけだが、胴元が一番儲かるのは変わらない。
なにより家内制手工業に戻っていないだろうか
人手不足で自動化は、スマホやソフトで色々やっても物を移動できないので、機械の進歩が必要になってくる。
多くの人が既存のビジネスに対して、中間マージンがけしからんとネットやソフトで効率化出来るはずだと認識していると思うが、
個人の利便性は高まっているが、少し広い目で見ると売上向上に貢献しておらず、負担だけが増えていっている。
従業員の給料が高くなっていくにしたがって、メンテナーも雇えなくなった。
そして何より作った物の価格を上げられてない。BtoBはあるが、最終的には何処かに価格転嫁しなければならず、それはソフトやサービスではない。
ソフトエンジニアですら、ハードには数万円出しても、ソフトにそれだけのお金は払わない。
ゲームは単価高いが、ソフト部分というよりかは他の部分にお金を払っているだろう。
新しい家に引っ越して1ヶ月が経つ
(まだ離婚はしていないのだけれど)
新しくインテリアを買い揃えたり
初めて植物を育てたりしている
やっぱり一人でも生きていける自分が嬉しい
真面目に生きてきたしそりゃそうだよなと思う
仕事が終わって
いま暮らしている街の駅に着いて
ずっと うっすら死んでもいいかと思っている
親友Aのバンドの新曲が痺れるほどに格好良かったので、また10万円の出資をさせてもらった。
前回はYouTubeで広告を出したけど今回は増田の希望を聞いてもらい、Xで以下の広告ポストを出した。
2024年1月始動、東京で活動するPompadollSというバンドです🐦⬛🐦⬛🐦⬛
新曲『スポットライト・ジャンキー』MV公開中🎬 pic.twitter.com/VMzV3UnnFm— PompadollS (@PompadollS) July 24, 2024
予算のうち3万円ほどを使ってRTが395、いいねが2374。
昨今SNSでの広告に対するヘイトが高い中で、この伸びはなかなか成功の部類ではないだろうか。
増田が彼らを自慢できる日もそう遠くはないかもしれない、楽しみだ。
https://www.youtube.com/PompadollS - 日の東、月の西(MV)
この時の広告視聴単価、つまり1回視聴してもらうための単価は、概算で3円強だった。
視聴した人たちの4%ほどが高評価を押してくれたわけだが、Aからすると悪くない割合だったらしい。
https://www.youtube.com/PompadollS - スポットライト・ジャンキー(MV)
視聴回数に対する高評価の割合は約9%と「日の東、月の西」の2倍を超えている。
こちらもAたちがYouTube広告を出しているらしく、視聴単価は概ね1.0円程度であるらしい。
広告の形態は、インストリーム広告という動画の最初や最後に差し込まれる形態が選ばれている。
増田個人は「日の東、月の西」も非常に気に入っているのだが、これらの結果を踏まえ、「スポットライト・ジャンキー」単体で広告ポストを出すこととした。
広告形態は、ポストに埋め込まれた動画を数秒見ることで課金される形態を選択した。
結果、広告視聴単価はなんと約0.1円だった。
広告視聴単価の結果だけを見るならば、YouTubeで広告を出す10倍の効果をXで出していることとなる。
ここからは考察になるが、恐らくXの広告視聴単価はImpressionでの表示に対する単価だろう。
つまり、Xのタイムラインで1回の表示当たりに対する単価であると考えられる。
広告ポストのImpression数は約30万であり、実質的な広告単価がYouTubeと同じであると仮定すると、実際に動画が再生された回数は1/10の約3万回であると推測される。
このうち2400人がいいねを押した、つまり8%の人がいいねを押したと考えると、これはYouTubeの高評価率9%とよく一致する。
このことから、YouTubeで高評価率が高いMVは、Xでも同様に高い評価を得ることが期待できると考えられる。
いかがだっただろうか。
増田の所感としては、いかに数秒という短い時間で視聴者の興味を引けるかどうか、また興味を引くことができた視聴者の心を掴めるかどうか、これらの指標となり得るのが広告視聴単価と高評価率なのだろうということを素人ながら実感できて大変興味深かった。
このような機会を与えてくれた友人Aに改めて感謝したい。
以下、はてなーの皆へのお礼です。
前回の記事では多くの方に好意的なコメントをいただき、ありがとうございました。
予想以上の反響をいただき本当に夜も眠れないほどに興奮しました、めっちゃめちゃ楽しかった。
増田を褒めてくれるコメントももちろん嬉しかったのですが、MVも見ていいねと言ってくれた方々には特に感謝をお伝えしたいです。
なぜならそれらは、広告を出すことによって増田が最も見たかったものなので。
増田が前回10万円を出資した理由に、将来彼らが売れた時に自慢したいということと、彼らに「自分たちを応援してくれる人がいる」と感じてもらいたかったという二つがありました。
創作活動って本当に大変だと思っていて、彼らがどれだけ良い音楽を作っても誰にも気付いてもらえないことの方がきっと多くて、それでもただひたすらに活動を続けるしかない、もし立ち止まったら誰にも気付かれないままそこで終わるだけ、そんな世界なのかなと思う。
彼らにバンドを続けてもらうために増田ができることは応援しかなくて、でも「メンバーの友達がベタ褒めしている」くらいの事実では応援の本気度を伝えられなくて、それでは多分、彼らがバンドを頑張る理由にはならない。
だから10万円を出すことで、増田の応援に価値を付けて、本気で応援してくれる人がいると思ってほしかった。
とはいえ、変な奴が一人なんか10万円出してくることよりも、100人にいいねと言って貰えることの方が絶対に彼らの原動力になるはず。
だから広告を出すことで彼らへの応援が少しでも増えればいいなと思っていたところ、前回の記事では100人以上の方にコメントを残していただき、あぁこのバンドはきっと大丈夫だなと思えました。
間違いなく前回の記事だけで10万円の元を取ることができました、さらには自分まで褒めていただき感無量です、本当にありがとうございました!
新曲、イントロからめちゃめちゃに格好いいのでよかったら見てください、Aのギターも変わらずキレッキレです。
https://www.youtube.com/PompadollS - スポットライト・ジャンキー(MV)
いつか彼らのドーム公演で関係者席に行って記事を上げることが増田の夢なので、ぜひ応援してもらえたら嬉しいです。