はてなキーワード: 苦痛とは
少し前までは、得意先も若手も、一緒にいいもの作ろう!というムードで仕事をすることがほとんどだった。
その分厳しいやりとりもあったと思うが、終わってみれば満足感が残った。
口ばっかりで何も行動、実行しない人や、
ちょっとした摩擦があると、相手が悪い!といって吹き上がって通報しまくるバカや、
言われたことをしないですごい私のオリジナルを採用して!と調子にのる素人や、
落とし所を見つける努力せず論破(笑)やマウントで気持ちよくなるアホが、
ずいぶん増えた気がする。
そういう人を避けて仕事をするようにしているが、どうしても出会い頭は避けきれない。
その中で、まともに交渉しながら難しい仕事をしようとすると、どうやったって彼らから
仕事をやらないならやめたら?と心から思う。お願いだから、現場に参加するのはやめてほしい。
なんでこんなに増えたんだろうか?
なんとなくは分析はできるが。Z世代だとかリモートワークだとかの言葉が思い浮かぶ。彼らを見ているとこういう状況が改善しまくる感じはあまりしない。
それしてもずいぶん急というか多いというか。
本当に邪魔だ。大体、こういう奴らが会議だとかチームだとかで半分以上になると、真面目な人が完全に割を食う。貧乏くじを引く。めちゃくちゃ苦労して搾取される。
「なんでボクの平和でラクできる世界を邪魔するんだ!」と睨まれたりする。
安全なところから石を投げる多数派が、おどろくべきことに正義ヅラしたりする。その調子にのったツラも許せない。が、我慢する。
「ドラマを見て内容が気に食わなくて」
つまり日テレは脚本家が書いたものを作者に見せて確認とって修正するべき点があれば修正してたってことでしょ
ただ、作者の要求が伝わってないことが多かったので
(理由はいろいろ考えられる。伝言ゲームで微妙なニュアンスが脚本家に伝わってなかったとか)
「ここが違うとか修正かけまくるのは難しいよね」
それは精神的に苦痛だったかもしれないけど、作者の人がいいたかったのはそこではなくて
その通り
>プライドを捨てた「付き従う男」を用意して
ってきくと聞こえ悪いけど
ここ20年の全女性がやってきたことだから、とっても簡単だよ。
難しいと言うなら、それこそ女性にとんでもない苦痛を強いてきたことをいっそう自覚して償えって話になる。そっちのほうができないでしょ?
ここ増田やブクマカは基本的に暇空アンチ・暇空叩きのエントリの方が盛り上がるしブクマカも付きやすく誹謗中傷になりそうなコメントも大量に付きがちだが
暇空本人は20万人ほどのフォローワーを抱えインプレッションもインフルエンサーと名乗ってもおかしくない程度にはある。
手下のなるや比較的親和性が高いアンフェアカウントもフォローが万とか2桁万ある人間もいる。
残念ながら所謂暇空アンチ系アカウントで暇空に届く人間は今の所存在しない。
恐らく一番手の仁藤夢乃さんですら約8万人と暇の半分以下、インプレッションも相応の数字となっている。
動画についてはコンテンツ力が弱いのもあるが支持者ですらロクに観て無さそうな再生数なのでもうちょっと見てやれよと言いたくなる。
それ以外の有象無象はせいぜい数千フォロワー程度でインプレッションは当然低い。
アンチ以外にコンテンツを提供出来ない存在だとしてもはてなの傾向をそのまま当てはめるとするともうちょっと影響力はあっても良いと思うが残念ながら無い。
はてなーの言う様に「暇空は敗北続きで世間からも飽きられ見捨てられている!」「暇アノンは数も減り追い詰められている!」が真ならば
暇のフォロワーはとっくに10万を割ってもおかしくは無いしカンパもとうに止まっているだろう。
逆にはてなの有名暇アンチアカウントである新橋九段や堀口英利がフォロワー数万級のアルファアカウントになっていてもおかしくは無いだろう。
何故「間違っている」「正しくない」側の影響力が減らないのか。何故「正しい」側の影響力が増えないのか。
数が全てでは無いが、数が示す事実に対し合理的な理由を説明出来る人間はどれだけいるのだろうか?
Xがイコール世間では無いのは当然だが、Yahooニュースのコメントでもはてなーの傾向とは異なる事が多い。
限界サヨク村などと揶揄されて久しいはてな村だが、X・FB・LINE等と並び立つソーシャル・ネットワーキング・サービスを気取っている割には
その影響力も範囲もかなり狭く限定されたものに成り果てているのでは無かろうか?故に偏りが発生する。
当増田ははてなの偏りを指摘した、どちらかと言えばはてな批判・ブクマカ揶揄のつもりだが
どうせ暇空アンチが聞いてもない事をペラペラぶっかけにマンスプしてくるであろう事は容易に予想がつき、議論にもならない事は明白。
やはりはてなはかなり偏ってるし偏った人間が話題とコミュニティを形成してより寄り固まるのだから、まさしくエコーチェンバー現象と言えるだろう。
昔のはてなは、もう少し開けていたのにね。
追記:
案の定極まったブクマカ・トラバが議論にもならない汚い言葉でマンスプしてきてる訳だけど
「暇空アンチである我々はこんな集団なんです」というのを見せつける行為が、どっちつかずの中立派にどう見られるのか
極まったはてなー以外はよーく考えた方が良いと思うよ、マジで。話にならないでしょ。
結局よくある左翼の病理と選民思想のエコーチェンバー現象でしか無い、という結論になりそうですね。
野党(立憲・共産など)やられいわの言ってる事が正しく与党が間違っているのが真なのであれば、何故支持者は増えないの?
与党全体の支持は減っているのに野党は更に減っているのは何故?という問いに対し
口汚い言葉で対立相手を罵りながら、数の勝負では無く少数派である我々の方が圧倒的に正しい、という主張を繰り返すのだから。
大衆は愚かであり我々は賢いので、というのは増田にありがちな概念だが、大衆は君たちが考える想像上の愚かな民衆よりは賢いし自分で物事を考えるという証左が数によって証明されているのでは?
数が全てでは無いが、ある程度の傾向は示せるだろう。
多数決を真っ向から否定するのであれば最早民主主義の国に暮らすのが哀れな程に相応しく無いので生きてて苦痛で可哀想ですね、という感想。
多数決で勝ててない結果を大衆は衆愚だと他責化して汚言マンスプしか出来ないのはまさにエコーチェンバーを超えたエコーチェンバーでしょう。
政治でも何でも一緒なんだよね。
議論にもならない無人格批判と誹謗中傷を汚い言葉で繰り返し、人がうんざりして離れていった所で勝利宣言。まさに阿Q正伝。
真に正しい主張だと自分達ですら信じ切れないから、まともな議論を避けて汚言を大声で叫び、人が減った所で多数派勝利宣言をするしか無い。
そうやってネットの至る所で嫌われて鬱陶しがられた人間の拠り所が、はてなーなのかも知れないね。
偏りというより最早カルトか。
人はなぜ自殺するのか
そして自ら「退出」する。
また自殺願望は「負担感の知覚」と「所属感の減弱」が重なることで生じる。
「自分の存在が、家族、友人、社会において重荷となっている」という認知。これが負担感の知覚である。
自分の存在が害になっているのであれば、そして「所属感の減弱」が重なっているのであれば、
===
ていうか原作者が1話から懇切丁寧に手を加え、9・10話に関しては自ら執筆するくらいのことをして「面白かったわ~」という感想を引き出せたのなら原作者の手腕では?
社会人2年目。仕事辞めすぎて既に4社目。正社員1,派遣3。来年度から久しぶりに正社員(市役所だから正職員…?)になる。
はっきりいってどの職場でも「この生活がいつまで続くんだろう」と絶望している。
逆にそれだからこそ「職場が変われば絶望から抜け出せる」という希望もない。もはや働くことそのものが大嫌いだ。しかし資産もなにもないので、労働することでしか生活が成り立たない。
正直労働という苦痛と生きることを天秤にかけると、この苦痛に耐えるほどの魅力を人生に見出せていない。でも死ぬのは一瞬とはいえなかなか面倒と苦痛が多そうで、つぐつぐ人生というのはクソゲーだと思う。安楽死がもっと手軽にできればいいのになあ。
気になるのはそこだ。
自殺は、安楽死法制度が整備されてない我が国では、ある一定の苦痛を伴うものだろう。
最近Twitter(現X/以下、旧称を使用します)で、知的障害を抱えた人たちが出産をした結果、周囲のボランティアにその生活を丸投げしている状態であると言うツイートが流れてきた。
当該ツイートのリプライ欄や引用欄を見ると、「生まれてきた子供が可哀想」だの「巻き込まれる周りの人間が可哀想」と言った声が大半を占めるよう見受けられた。
一方で、リプや引用の中には、「当該ツイートやリプライの論調は典型的な優生思想であり、危険である」という旨のものも散見された。
特に、ある一定以上の知識・教養水準を持っていると思しきアカウントによる主張が多いように見えた。
知的障害を抱える親を持った人が苦労をしたツイートなんかも多く目にすることができる中で、優生思想を知的障害者と縁のない生活をしてきた恵まれた者が"正しい"論理を振りかざして抑圧するのが正しいようには思えない。
現実として、知的障害者を親に持つと言うことは相当な不幸であり、なんの罪もないはずの子供に大きな苦痛を与えることに他ならないというのは自明だろう。
しかし、そんな不幸な子であったとしても、生まれてきてしまった以上は簡単に死ぬことができるような社会でもなく、普通に生まれていれば経験するはずもなかったような苦痛を常に抱えながら生きる他にないのだと思う。
どう考えても不幸な人生しか送れないような人間を生み出す合理性がどこにあるのか。
そんな人に対して、生きることの素晴らしさ、平等な社会の美しさを伝えて何になるのか。
優生思想をタブー視する人間は、それによって苦しんでいる人が現実に居るということを理解しているのだろうか?
現実を捨象して、抽象化された論理で正しさを導こうとしていないか?
①劣っている者には制限を加えて良いというのは、ナチスドイツによる虐殺と同じ論理である(→虐殺に繋がりかねない)
②障害を抱えていたとしても、人間である以上その権利は尊重されるべきである
という2つがあるよう見受けられる。
この点、①に関しては完全に論理の飛躍だと思う。
重度の障害を抱えている者による出産を制限することと、特定の属性を持つ人間を虐殺する行為は明らかに同一ではなく、「優位な立場にある多数派が不利な少数派に制限を加えている」と抽象化した場合に同一の枠組みといえるからと言って、その2つを同一視するのはあまりにも合理性に欠けると言えるだろう。
荒唐無稽な例えだが、この国が法治国家であり、立法権が国会にある以上、「インターネットの使用を禁じ、犯した者を死刑とする」という法律が国会によって制定される"可能性"が存在はしていると言えるだろうが、だからと言って「立法権を国に委ねているのは非常に危険な状態である」という主張ができるだろうか。
現実として、立法権はある程度の良心と合理性に基づいて運用されているため、上記のような"可能性"は顕在化しない。
同様に、知的障害者が子を持つことを制限したとして、例えばそこから一定の属性の人間への不当な権利の制限に繋がるだろうか?
その制限の範囲が不当に拡大するような結果に至る"可能性"を過大に見積もっていないだろうか。
枠組みに共通点があるだけの極端な例を用いて、優生思想を断罪するロジックを妥当とは思えない。
確かにどんな人にだって幸福を手にする"権利"はあるかもしれないが、その結果として周囲の人間や生まれてきた子の幸福を犠牲にしているのだとして、そのような"権利"が本当に実現されるべきだろうか。
仮に人を殺すことで幸福を得られる人がいたとしても、その人の"権利"実現のために殺人は許可されないように。
出産により幸福を得られたとしても、それによってより多くの不幸が生じるのであれば、それは制限されて然るべきではないだろうか。
エンタメの恐怖はニセモノなのか『恐怖の正体』(春日武彦著、中公新書): わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
https://l.pg1x.com/TMy6omy8NbRZkBFY8
多分本の文中に一度も「想像力」って言葉が使われなかったんだろうなぁ、と思った。
何故かって。このブログ文中に一度も「想像力」って言葉が出てこなかったから。
「恐怖」は「想像力」っていう当たり前は排除して「恐怖の正体」ってのを突き詰めようとしているのだろうか。
ラヴクラフトの言葉も、この先生にかかれば否定されそうではある――「人間の感情の中で、何よりも古く、何よりも強烈なのは恐怖である」。
「娯楽における恐怖を味わう人は、安全地帯におり、苦痛を受けない。だからそこで味わうものは、抜け殻の、フェイクの恐怖だ」
こどおじこどおばって家庭円満なんだろうな
実家にいたころ苦痛で仕方なかったし一生実家で暮らすとか無理だわ
子供部屋はあったけど、更に下層の家じゃ子供に部屋も与えられないだろう
「家族と仲良くやっていける程度の社交性、専用の部屋を与えられるほどの裕福さ」
小2の子どもが居るんだけど、2月が近づくのを思い出して「あー、よかった。小学生になって。もう鬼こないもんね」とよくつぶやいてる。
多分今年入って5回は言ってきてる。
子どもが行ってた園は寺系ということもあるのか、しっかりした節分をする。
しっかり怖い鬼の顔をした鬼(園長)が、日常生活に急に現れて襲ってくる。
「鬼が来た! お坊さんも来た! お坊さんと一緒に豆で退治! チャンチャン」
という流れを作ってはくれているものの、やはり子どもたちは大号泣しているようだ。
毎回、部屋の隅に身を寄せながら号泣している子どもたちの写真が報告として壁に貼られる。
で、中には1月頃から鬼が怖くて登校拒否になる子がでてきて、前後のダメージを考えて当日休ませるという判断をしていた親もいる。
うちの子は毎回泣いてはいたが、そこまでではなかった。節分とわかっても園に行っていた。
それでも、こうやって数年後に思い出してはつぶやくくらい心に残ってしまってるんだなと。
(最近の性被害の気持ちを数年後にようやく出せるのと一緒なのかなと思った)
そんな中TLに流れてきた、産婦人科の基本麻酔なし処置の話。(n回目ではある。もういい加減変わっていってほしい)
子宮卵管造影検査も、ミレーナ入れるのも、なんなら出産も痛いのに「耐えろ」と一蹴されてる。
私は「男性医師は女性が泣くのが嬉しくてしてるんだ」みたいな意見はちょっと言い過ぎだと思っているけど、性別関係なく医師が寄り添えてない事実はあると思う。
ほんと、もっと女性の身体へのダメージは自分で決めさせてほしい。
(アフターピルもなんで諸外国みたいに手に入れやすくなってないのか…)
それを思ったら、上の子どもへの全力節分も同じようなものじゃないのかと思った。
よく聞かれる言い訳として「この経験が成長になる」「いままでそうしてきたから」というものがあるけど、最近の流れでいくとそれは理由としておかしいという声が上がってきてる。
不要な怖さや痛みは感じないほうがいいでしょう。
トラウマなんて少ないほうがいいでしょう。
本当に節分・鬼が襲いに来てもらいたいと思うなら、なまはげを体験しに行ったらいいんだとおもうよ。
(USJのハロウィンナイトに無理やり子どもを連れて行って、泣く姿を撮影する親もほんとどうかと思う…😩)
産婦人科系の痛みも、体験したほうがいいと思うなら そうしたらいいと思う。
親からして「泣いてる子どもたちも可愛い」という気持ちもわかるけど(多分ドッキリとかで驚いてる人をみる愉快さなんだろうな)、もう令和だし別の形で節分を体験させてあげてほしい。
外に向かって豆なげるでも、かわいい鬼工作作るとかだけでもいいじゃん。
産婦人科へのしんどさとつなげてみたときに、私は子どもへの必要以上の怖がらせは 節分ハラスメントだなとおもった。
[ハラスメント(Harassment)とは、ある言動や行動によって、相手に不快な思いをさせたり、脅したり、人間としての尊厳を傷つけたりすることです。 広い意味で「いじめ」や「嫌がらせ」と同義の言葉ですが、「相手を傷つける意思」や「悪意」がなくても、受け取る側が不快な感情を抱けばハラスメントとして成立します。/ネット検索から]
正直、考えすぎなのかもしれないけれど、やっぱり少しでも声をあげていきたい。
来週は節分。
本当にしんどい
・動いてない時に脈が爆上げになる(スマートウォッチ曰く軽い運動をしたくらい)
・やること終わってないから布団で寝ちゃダメだと思って毎日床で寝てる
・顔が腫れたり痒くなったりする(酷すぎて皮膚科に行ったら疲労かな?と言われた)
・常に焦っている
・自分の管理不足で学校に行く時間が狂ってイライラして物を投げた後動けなくなる(結局行かない)
・常に息苦しい
・死ねば楽になる思考(自殺企図の経験あり、今は用意する気力もない)
・手が震える時がある
・外で座り込みたくなる
・ふとした拍子に涙が出る
・物忘れが多くなった
・人と会いたくなくなった
・自分の顔が醜すぎて化粧の時に泣く
・気持ち悪くなる
・睡眠は取れるけどいつ寝ていつ起きてるか覚えてない
・ずっと気分が落ち込んだまま
ここまで書いたけど正直自分が弱くて甘えてるせいだと思う、もっと頑張りたいのに頑張れなくて怠けている自分が情けない
今電車だけど泣きそう どうしたらいいんだろ
・消えて欲しい存在
だいたいこの3つに所属してる半生ですが
世間で言われる清潔感を維持しても一番最後の消えて欲しい存在からギリ解消される程度です
嫌われないコツとしての清潔感持続であり
誰に聞いても確たる答えがありません
これがアンサーなのかもしれませんし
そのうちいいひと見つかるよ
万人の必勝法はないですが
だから
このまま死んでいくのだなあとそれなりの悲壮感と絶望を持ち残りどれほどかわからない人生を童貞として生きていくのだとボンヤリ考えています
魔法使いにはなれなかったし
Simple question - if the roles were reversed, would Brittany Alkonis be championing the person who killed her familiy members getting the same favoritism her husband has received?
立場を逆にして考えてみましょう。もし米兵の家族が殺されたとして、犯人が特別扱いされたとしたら、米兵の妻はそれを支持するでしょうか?
Brittany Alkonis would never have conducted a shakedown that would make the Yakuza proud.
That's what this "aggrieved family" did. This was all about the benjamins for them. Don't be fooled by crocodile tears.
仮にそのような状況になったとしても、米兵の妻はあんなヤクザも誇らしく思うようなゆすりはしない。
それが「被害者家族」がしたことだ。結局はカネが目当てなんだよ。偽物の涙に騙されてはいけない。
https://twitter.com/mrjeffu/status/1749643059133092165
えこひいき(不可算)
徹底的捜索
間に合わせの物で作る寝床
〈米話〉〔脅して金品を奪う〕ゆすり
形
苦痛を抱えた、悲嘆に暮れた
虐げられた、不当に扱われた
名
《the ~》苦しめられる人、被害者◆【反】aggriever
〈米話〉100ドル札◆【語源】100ドル札にベンジャミン・フランクリンの肖像が印刷されていることから。
うそ(の)涙、見せかけの涙、空涙、うそ泣き◆【語源】ワニは人間をおびきよせるためにうその涙を流すと言い伝えられている
・He was crying crocodile tears at his wife's funeral. He killed her because he wanted the insurance. : 彼は、妻の葬式で見せかけの涙を流していた。彼は、保険金目当てで彼女を殺したのだ。
輪姦AVが好きだ。
たくさんの男に美少女系AV女優が蹂躙されているのを見るのが好きだ。
だが、自分は竿役の男の側ではなく女優の方に感情移入している。どうせなら可憐な女の子になって、こういう目に遭わされたいと思うことすらある。
見たいとか触りたいとかではない。チンコのない身体というのはどういうものだろうという興味だ。
幼稚園に通っていたくらいの年頃、寝るときにパジャマとパンツの間にタオルを挟んでいた。こうすると股間になにもなくなったように思えたからだ。その上から手で触ると不思議な興奮を覚えた。
やがてそれが親に露見するときが訪れたが、親は「おしめが恋しいのだろう」くらいに捉えていたようである。もっと倒錯的な意図には気づかれずに済んだ。
性自認は間違いなく男性であり、肉体との違和感を覚えたことは一切ない。男性としてのエロティシズムに対する感性を備えたまま、女性の身体で振る舞いたいといったところだろうと思う。
友人が小遣いをつぎ込んでいた「藤子不二雄ランド」に収録されていた「バケルくん」を読ませてもらったとき、こういう技術がほしいと思った。宇宙人から託された大量の人形。その鼻を押す(だったかな)と、その人形に乗り移って意のままに動ける。その中には当然女の子の人形もあるのだ。藤子・F・不二雄の漫画には手塚治虫ほどではないにしろ、ほんのり倒錯要素の感じられる作品があるが、これもそうだと思っていた。当時は言語化できるほど理解もしていなかったが。
そんな嗜好が強くなってきたのはおそらく「女性のセックスは男性のセックスの10倍気持ちいい」という話をどこかで読んだか聞いたかして以来だと思う。
そんなわけであるから、ある時点から増えてきたいわゆる「トランスセックス・フィクション(TSF)」は自分のために描かれた物語ではないか、とさえ思う。女装ではなく、ある事件(謎の薬物や身体の変調など)によって突然女性の身体になってしまう、という筋書きは本当に自分もなってみたいという妄想を満たしてくれる。新堂エル「TSF物語」などは同人誌まで買い求めた。
需要がなければ供給は増えないので、自分のような嗜好あるいは指向の持ち主はそれなりに多いのだろうか。
そして、今日も自分は妄想する。年端も行かぬ少女になった自分を。
見知らぬ男に捕まり嬲られ、早すぎる性の目覚めに導かれる自分を。
華奢な身体を蹂躙される恐怖と苦痛に喘ぎながら、歓喜に打ち震える肉体に困惑する自分を。