はてなキーワード: 自己嫌悪とは
かなり無責任で甘えたことを書く。でもこれで最後にするから許してほしい。
学部ではそつなくこなせていたのだけど、卒論前後、そしてこの2年間は研究室に行ったり行かなかったりの繰り返しだった。昔はこんな記事→ http://anond.hatelabo.jp/20130528193711 も書いていた。寝坊したとか風邪引いたとか、なにかのきっかけで学校に行かなくなった。怖くて電話やLINEの呼び出しに応じられなくなった。なにもやる気がなくなって、食器やゴミや洗濯物が溜まる。1日1回出前をとって、食事はそれきりであとはずっと布団の中に籠もりっきり。来客のあった秋以来、食器も出しっ放しのままだ。風呂も洗濯も、週に1度あるかないかなんてときもあった。とりあえず外に出てみても、コンビニて数時間立ち読みして時間をつぶすこともあった。
「するべき」ことは分かっているのに、それをしない。現実から逃げて、できなかったと思いたくなる。自己嫌悪と自己正当化が交互にやってきて、考えることすら億劫になる。
大学にいるときは、そこまで悲観的なことにはならない。ただデスクではネットサーフィンばかりしていたし、課題も先延ばしの末にやっつけになっていった。とれる単位を、期末試験に行かずに落とした。先生とのミーティングが怖くてアドバイスすら訊くのに一苦労し、気がつけば1ヶ月しゃべってないときもあった。
研究にすべてをかけろ、と先生は仰った。だがそれができなかった。なぜか。結局のところ、なんとなく院進を決意したからなのかもしれない。ただ、他の同期にはできて自分にはできないとすれば、それかただ自分がクズだということなんだろうか。期待されてないんだろうなぁとかはたびたび思うが、自業自得なので逆恨みというべきか。
まだ研究室でやり残した仕事はあるはずだが、これからそれを責任をもってやりきる約束はできないし、なにか理由を付けてできなかったと言い張るだろう。それで同期や後輩への負担が増えることはわかっている。けど、その仕事に対するモチベーションが、それだけしかない。ごめん。本当は、すぐにでも面と向かって話すべきなんだろうけど。
先日人肌が恋しくなって、私のことがすきな先輩と一度やってしまった
こちらからは「好き」とか「ホテル行こう」とか「やろう」とか言わず全部小手先の技術で誘導
向こうはすごく熱くなっていて、途中から私への熱い思いも語ってくれた
一方の私は心身ともに気持ちよくなくて早く終わらないかなとか下手だなとか失礼なことばかり考えていてスーパー自己嫌悪タイム
体を密着させて寝て、「付き合う」という明確なことばも交わさず解散した
それ以降すごく連絡がくるようになって、好きな歌手のライブに行こうとか、写真を撮りに行こうとか、しまいにはホワイトデーに会おうとまで言われてしまった
趣味も合うし、話も盛り上がるし、とてもいい人だけれど付き合うとか恋愛とか性的関係を持つような関係にはしたくなかった
好きな気持ちを知らんぷりして今回己の欲望のために利用したのはまずかったし、会社の人だからますます気まずい
一夜限りにしたかったけど、想像以上に好意を寄せられていたのでバッサリ切り捨てることができない
「ごめんなさい。あなたの気持ちには答えられないし、この間のは気の迷いで…」と言って許してもらえるだろうか
全て私が悪い
自分との約束を守れない。締め切りがあったとする。数日前には終わらせる計画を立てるし、実際に取り組みもするも、終わらせられたためしがない。良くて締め切りギリギリで、しばしば締切を破りもする。心の底からコンプレックスで、自己嫌悪の大本なので、改善したい。
そう思って時間管理術からGDTまで手を出してみたがうまくいかない。そもそも、事務処理的な書類に関しては締切を破ることはないので、単純に計画性や自己管理の問題ではないのかもしれない。書けないのは大学のレポートやエントリーシートのようなまとまった文章だ。受け入れがたいが、私は物事を考えることが苦手なのかもしれない。
文章をだらだら書く事自体は好きだ。常にノートに独り言を書き連ねているタイプの人間だ。しかし、人に見せる文章を書けないようでは全く意味がない。
いわゆる「ぼっち」ほど世に埋もれている存在は無いのではないか。
集団のなかで浮き、誰からも相手にされない私たちぼっちが、世間にさえも忘れ去られている情けなさ。
ぼっちの中にも小中高生ぼっち 会社ぼっち 年寄ぼっち等々いろいろな種類があろうが、ここでは学生ぼっちの生態について、自分の経験をもとに明らかにしたいと思う。
朝。
家の中に誰もいなくなったことを確認してからゆっくりと起床する。
窓から見える青空はこんなに清々しいのに、自分の心身はどっしりと重たい。
味気ない一日がまたやってくると思うと、学校へ行く気も失せて、このまま家で2ちゃんかハテナでもやろうかと考えるけれども、授業をサボっては学費を出してくれる親に申し訳ないし、単位を取れずに留年したらいよいよ先が真っ暗になる。
だから今朝も重い腰を上げるのだ。ただ、いつもと少し違うのは、今日が俺の誕生日であるということ。周りにだれもいない誕生日。
はぁーっとため息をついて、やや遅めの朝ごはんを食べながらテレビをつけると国会中継がやっている。
この人たちは、ぼっちの自分とは天と地ほどの差があり、お金も地位もこれ以上ないほど恵まれている。その境遇ゆえか時には図に乗って、不祥事を起こしたり失言したりして世間の人々から非難をあびるけれど、意地悪な質問に対しても根気よく答える仕事ぶりをみていると、ぶらぶらと安逸な生活をおくる自分などよりは、よほど真面目に努力しているじゃないか、と思ってまた自己嫌悪に陥る。
ほんとうは鈍行で行きたかったのに寝転んでいたら遅くなったので、しかたなく急行に乗ることにして駅へ走る。
おい、なにネガティヴになってるんだ、きょうも気楽な時間をすごせるのだ、自分は恵まれている、寂しくなんかない、寂しくなんかない、さびしくなんかないんだ。全身をなでる爽やかな風が気持ちを前向きにしてくれた。
電車の中はあまり人が多くなかった。サラリーマンはもうとっくに会社で仕事をしているのだろう。
昼。
席に座り、授業がはじまるまで本を読む、ふりをする。
「おれさー、けさ、抜いちゃったんだよねw」
「おまえ、汚いってw」
「そんなこと言うお前だって、まじめな顔して、実はエロそうだよなw」
「たしかにw こいつ、『授業レポート』とか適当な名前のフォルダつくって、その中にエロ画像とか入れてそうww」
「wwwww」
男子学生のくだらない会話を聞いておもわず吹き出しそうになるが、ぐっとこらえる。
「あっ、○○ちゃん、おつかれー」
「てか、きのうバイトでさー」
「じつは、きょうね、この下、あったかパンツなんだよねー あはは」
たわいのないお喋りをひそかに聞いて、若い女のうつくしい声に心酔してから、俺はなにげなくトイレへ行くふりをして席を立ち、楽しそうにする女子学生たちの姿をちらと拝見する。
ほんのりと染めた茶色や正統派の黒色ヘア、ワンピースからスーツまで十人十色の女の子ファッション、胸の大きさもまな板から爆弾まで多様だけれども、一生に一度の若さだけは共通しているので、匂やかな乙女の香りはだれの身体からも漂っている。
授業が始まると、先生が、「たまには出席とっておかないとねー。今日は出席カードを配ります。」と朗らかな声で言う。
今日も頑張って登校してよかった。先生からの出席カードが誕生日プレゼントだと思った。
昼下がり。
学校近くのだれもいない公園で、けさ自分でつくったサンドイッチを口に運ぶ。
いつもはそばにいるスズメも今日は忙しいのかどこにも見当たらない。
水色に澄みわたった空の下、かすかな風に揺れる木々の梢のどこかに、いつものスズメの巣があるのだろうと思いながら枝のあたりを観察していると、サンドイッチの具がぽろりと下に落ちてしまったので、スズメさんがあとで食べられるように、人の踏まないところへそっと置いておく。
ああ、きょう一日、まだ誰とも喋ってないなぁ。
バイトもサークルも何にもやっていない自分は、この生活をみずから選択したのだから、文句を言う資格はない、いや、願ったり叶ったりの生活を享受している分、俺はむしろ幸せ者なのだ。
人とかかわるのが苦手な為にえらんだ孤独道は、やがてやってくる就職という二文字をじわりじわりと重たいものにするけれども、今が安楽なかぎりは変化の意欲が沸くわけもなく、ただただ現状に甘んじ横着している。
しかしこの体たらくのままで社会へ飛び出たら、スキルも協調性も何もない俺は組織の中であぶれるか潰されるかしてしまうだろう。
社会に出るのは軍隊に入るのと同じこと。ああ、こわい、こわい、死にたくないよ。
余計なことを考えて思い余った俺は、次の授業までの時間がまだ残っているので図書館へ向かう。
手にとった数冊の本を机に置き、帰路につく学生を窓の内からじっと眺める。
心なしかその表情は嬉しそうにみえる。あたたかい家庭が待っているのか、バイトに楽しみなことでもあるのか、友達と遊びに行くのか、それとも、デートだろうか。
夜。
この日最後の授業がようやく終わり、いったんは帰ろうとするものの、電車内でトイレへ行きたくなったら困るから一応いまの内に、とおもう。
夜まで授業を受けている学生はあまり多くはないので、トイレの中には誰もいなかった。
しーんとしている。
まぶしすぎるほどの明かりがいっそう静けさを増すようだ。
俺はおもむろに個室の中に入った。
外ではできない性格だけど、今日は誕生日だし、まあいいか、と思ってズボンを下ろす。
スマホでアイドルの画像を探して、ふーっと深呼吸して、それから一気に動かした。
このアイドルは、俺と大して年齢が違わないのに、すでに社会に出て、一生懸命仕事をして、いっぱいお金を稼いで、多くの人から認められて、愛情で包まれて、前向きに生きているけれど、ここで彼女に世話になっている俺は、誰からも認められずひたすら孤独に苛まれ不安で満たされながら何の役にもたたない暮らしをしている。
なんなんだ、この差は、彼女と俺とは何でこんなにも違うんだ、不公平だ、不平等だ、不合理だ、不条理だ、ああもうどうにでもなれ、俺は知らない、俺は知らない、ままよどうにでもなっちまえばいいんだ、このやろう、このやろう、あああああぁぁぁ
常になく疲労がたまった帰り道はひとしお寂しく感じた。涙さえあふれてきた。街灯の光がその滴を反射させそうだったが、俺は人目もはばからずに哀しんだ。寂しい。寂しい。ほんとうは、さびしいんだ。
ここに書いた例は自分の体験に基づくが、むろん潤色しているところはあるし、これらがすべて同日に起きたのではない。種々の出来事を一日分に集約した。
自分の経験など足元にも及ばぬ凄絶なぼっちストーリーも世界のどこかにはあるかも知れない。
そういうぼっちに密着して、『THE BOCCHI』とか適当に名前をつけて映画化すれば反響を呼ばずにはおかないと思う。
ぼっち学生の就活以後の末路にまでスポットを当てればいよいよ涙を誘うことまちがいなしであろう。
まさかこんなに長くなるとは思わなかった。あまり知られていないぼっちの日常をテキトーに書こうかなぁくらいに思っていたら図らずも愚痴っぽくなり、しかも下手な小説みたいな形になってしまった。
休み中のまして孤独な今の時期に、文章にして吐き出したら心が落ちついた気がする。
Web系の制作担当と営業との確執は多くの会社が抱える現象であり、時に問題である。
営業は、
それを咀嚼してまとめて、何を制作するかを明確にする。
そして、それを制作に伝える。
制作は、
まとめられた内容を、形にする。
例えば、
クライアントは木に穴を開けたいとおっしゃっていたとする。
営業は、
クライアントがどんな木に、どれくらいの穴を、どのタイミングで、いくらで・・・
等その要件を詰めて、
制作は、
その穴の開け方を考えて、クライアントの性質を見極めて、素敵な穴をあける。
丸い穴が開けたい・・・と言う要望だけれど入り口の角を丸く滑らかにするだとか、
一般にセンス(往々にして理屈や経験則)と言われるエッセンスを加える。
ドリルを売ればいいじゃんってお話もあるけれどそれはまた別のお話。
要は、
この揶揄は良く使われる。
あいつはなんもせんやつや、の言い換えだ。
これは本当に良く使われる。
一つ目。
ぶん投げても何とか回るからぶん投げてる。
そして、そこに営業が噛む理由は、
・営業が入ってくれているというある種クライアントの納得感
・営業自身の納得感。何もやってないと自己嫌悪に陥っちゃうからね。
など、某かの理由があっての事。
何かあるんだという事を察して、汲んで、尊重すべき。
それが出来ないなら
二つ目。
揶揄するくらいなら、お前がやれ。
よっぽど成長するし、精神衛生上幾分か良い。
人が人を馬鹿にしている様を見るのが本当に嫌なんだ。
嫁は悪阻で一日に7回以上は吐いている。
おそらく吐きすぎで逆流性食道炎になっているが妊娠中なので薬を飲んで治療することができない。
安静にしていても寝起きや食後はつらそうで、トイレに行って吐いている。
今朝も辛そうにしていて「会社を休む」とベッドでは言っていたのだが、私のコーヒーを入れるために起きてきた。
会社を休むくらい辛いのなら家でも何もせずに休んでて欲しい。
思った通りそのまま言えばいいのに「しんどいんやろ?ええから寝とき」
という言い方になってしまい、なかなかベッドに戻ってくれないことに苛立って
別に無理をして会社に行って欲しいわけではないし、安静にしていて欲しいと真剣に思っているのに、
なぜそういった言い方になってしまったのか自分でも不本意であり、しばらく自己嫌悪で頭がいっぱいになった。
嫁はベッドに戻って泣いていたと思う。
その後支度をしてコーヒーを飲み、シンクに残っていた洗い物をする間に気持ちが落ち着いてきた。
家をでる前に「さっきはごめん。キツイ言い方をしてしまった」と詫びて、嫁も笑顔で応えてくれた。
ということが今朝あったのだが、
わりと顔色を伺って生きてきた身としては自分の意見を言うことに慣れていないので、急な場面で
言いたいことを相手に上手く伝えられなくて自分のことをとても残念に思う。
人の親になろうとしている人間がこんなことではいけないと思ったので、これからは思ったことを
文にする練習をして少しでも上手く伝えられるようにしていこうと思う。
雇用機会均等法に就活した世代だし、女性学みたいのが大学で流行りだした時代に学生時代を過ごしたから、
女性差別のことには敏感だったし、当然自分はフェミニストだと思ってた。
だけど、男児の母になって見えてきたことがある。
男の子は基本ばかなので、特に小学校なんかじゃあ、圧倒的に女子の言葉の暴力にさらされる。
「せんせー、○○さんが忘れ物しました~!!」みたいな告げ口魔みたいなのとかさ。
この間は、男の子が鉄棒の練習をしてたら、わざわざ横に来て「わたし、得意~!!」とか大きな声でいって
何回もやって見せたりする。
で、練習して男の子もやっとできるようになっても「・・・・[無視]」
知らん顔して、つまらなさそうに離れていく。
男の子同士だったら「お、すげー、やったね!」みたいに単純に喜びあったりしてて微笑ましいのに、
なんなの、このいじわるな雰囲気。。。
最近の某学会のイラスト論争は、本当はもっと気高い志と、崇高な理想に基づく、頭のいい人たちが言論を戦わせてるんだろうけど、
あれにも、根底にはいじわるな女性特有の言い回しを感じたりして、
結局女の子の意地悪な性根をそのまま持ち続けて大人になったってことなんじゃ、と思ってみてた。
女性がいろんな面で差別的な立場にあるという主張はよくわかるし、性的に搾取される立場におかれている、というのも
わかる。
だけど、男の子が子どものころから女の子に散々ねちねちいじわるされて育って培われた「根っこにある女性への嫌悪感」
対立の根っこにあるのは結構そういうところだったりするかもしれない。
そんなわけで、今のわたしは学生時代のように、また独身時代のように、口が裂けても自分自身をフェミニストだとは口外しなくなったし、
むしろ、もし、今わたしが育ててるのが女の子だったら、きっと自分の中の女の嫌な部分をわが子から散々見せつけられて自己嫌悪になるだろうから
最近では、もし自分の子どもが将来ゲイになったとしても、むしろ、ああ、そう、すてきな人ができてよかったね、っていうかもしれないとも思ったりする。
ま、これは単なる女性としての同性嫌悪なのかもしれないけどさ。
大学時代から5年以上付き合っている彼女がいて、遠距離恋愛中。
今までで2人目の彼女で、可愛かったので告白したら付き合えたのだが、とても好きだと思えたことはあまりない。
5年以上付き合っているので相手の嫌な点も目についてしまう。だが彼女は俺の事をとても好きでいてくれている。
そんなところ最近職場で気になる女性が出来てしまった。同期の女の子。
おしゃれで話していると楽しい。気配りもできる。
今の彼女とは遠距離恋愛中ということもあって温度差もあるし、同期の子に惹かれている。
同期でなければ多分付き合っているんだけど、職場恋愛はしたくない。
恋愛経験が少ないせいで、今の彼女よりももっといい人が居るのではないかと目移りして自己嫌悪に陥ってしまう。
彼女と別れて、他の人と付き合った方が良いのかな。
結婚できるのかと聞かれたら、出来ない気がしている。
なんかイライラしたなあ。で、結局女性は助かるわけかと。宇宙の果てに飛ばされかかって、多数の同僚が悲惨な死に方をしてる一方で、子供と死別した喪失感から立ち上がるワタシの強く美しい姿みたいなのを持ってくるその落差にイライラする。ていうか、そもそもこういう場面に駆り出される人としての適性の問題であって、男女の性差がある問題じゃないと思うけど。ストップと言われても、ワタシやりだしたら止められないの、パニックになって周囲を混乱させる、巻き込む、泣き叫ぶ、私のせいです、私が全部悪いんです、という自己満足の自己嫌悪、で、自暴自棄になる、だけど、あらら助かっちゃう私・・・てな展開をずーっと見続けて途中から感情がピクリとも動かなかった。結論。爆発事故が起こっても奇跡的に炎から逃れる主人公、というアクション映画の王道を見せていただきました(それも定価を払って)
あ、補足。3Dメガネをつけて、時折目に飛び込んでくる機体の破片や視界に被さってじゃまでしかない水草の映像などのおまけつきでした。
確かにね。
汚くなれる人間が多いということを前提に行動しないと、どちらも不幸になる。
汚さと向き合う必要が発生した人は、それはそれで辛い。
仕組みとして汚くなれないような制度の構築と、
汚さと向き合える正当な制度の構築を考えたい。
あるいは、
法律ってそのように作られているので、
暴論です、敢えて。
高校生の頃から5年以上付き合った。絵に描いたような高校生の恋愛からスタートした。
別れてからも年に数回飲みに行ったりしている仲だった。
もともと嫌いになって別れたのではない、学生から社会人になるに伴っての様々な環境変化と条件によるものだった。
お互い新たな人と付き合ったりしていたけど、いつかは元に戻る予定だった。(と私は思っていた。)
そうこうしているうちに、結婚するという報告を聞き、その瞬間から涙が止まらなかった。
まだこんなにも好きだったのかと愕然とし、絶望的な気持ちになった。
彼は間違いなく私の人格形成の大部分を担っていて、
私がこれまで学生の時も社会人になってからも頑張り続けられたのは、
どう考えても彼のおかげだった。
とても大事な人で手を離したことを後悔していたが、
もたもたしているうちに取り返しのつかないことになった。
私のことを好きな気持ちは変わらないが、もう引き返せないとの答えだった。
もう私に気持ちはないと言ってもらった方がよかった。
数ヶ月経ってようやく元カレの幸せを祈れるような気持ちになってきたと共に、
彼の人生にいれてもらえなかった自分の存在がとてもつまらないものに思える。
過去ばかり見ていてはだめだと思う。未来を見て幸せにならなくてはと思う。
繰り返しながらポジの割合がだんだんと大きくなってきて、今ようやく半分くらい。
そんな精神状態だと、こういう記事がすごく目に飛び込んでくる。
自分と似たような切ない想いを抱いた人の話を見つけては、
「そうそう、そうだよね」と共感してうるっときたら、一瞬すっきりして、すぐ自己嫌悪。
友人にも呆れられている。
それでも浸りたいんだ、今は。
単なる罵詈雑言でしかないけれど、煽りたいようなんでのってやるよ
01.流行りに乗るのはシャク、だけど、艦これ描かないと乗り遅れる感じがする、というくだらない悩みを、複雑にしてさも高尚であるかのように偽装。
偽装も何も、そうかいてるだけなんだけれど。偽装って何に偽装してるとおもってんの?
ゲーム性そのものに対する批判や、その人気にのっかってる連中についての批判はそこそこ的を射てると思ってるし、現にツイッター等みる限り「そこの部分」は共感してくれる人は結構いるしな。
02.元増田は相手の意見を取捨できる権利があると勝手に妄想。
いやいやw
誰だって意見を取捨選択する権利くらいあるがな。考えてコメント描いてる?特定の意見を他よりいいものだとして答えたから、上から目線と思ったわけ?
現に君のように、しょーもないことしかかけない人はいるんだから仕方ないと思うんだが。へりくだって全部の意見に頭垂ないと謙虚じゃないってか?
オナニー心理を指摘って、最初から自己嫌悪ありきで描いてるのは明確にしてるんだがな。
何かずれてるなー。
むしろ画力やら附随するものに期待されてるなら、大抵の作家(って言い方したら怒るか?代用表現いいのあったら教えて。ラクガキマンとか?)はみんな大喜びだよ。
一番きついのは付き合いでとりあえず買っとくみたいな人たちであって、作家性だの芸術性だのなんて大して考えてない。
モラル的にいかんよなと思うことと、表現性の問題はぜーんぜん別。俺はそんなに意識は高くないです。
総じてズレてて、あんまりぱっとしない。
http://anond.hatelabo.jp/20131218192932
う~ん、具体的なイメージが思い浮かばないなぁ…なんというか、多分こちらが典型的な「~べき族」として今まで生きてきたからだと思うんだけどもね。
しかし、わかることもチラホラあったりするので個人的に思考をアウトプットしてみたり。
そして「やるべき」なんて考えるからますますマイナス部分にしか興味がなくなる。そのことに気付いても、「やらなきゃをやめなきゃ」とまたべき思考に陥る。
単純な話なんだけど注意点が1つある。「そうは言っても好きだけじゃ生きられない」。そういう型にはまった思考に陥るとすぐ振り出しに戻る。これには「好きなことに興味持たなきゃ」というべき思考ではなくて、次のような自己反論で対処しよう。
この"「やらなきゃをやめなきゃ」とまたべき思考に陥る""「好きなことに興味持たなきゃ」というべき思考"って部分は最近気づいたところ。結論から言うと"べき思考"では中々幸せになれない気がする。特にそれが「好きなことをやる"べき"」って思考になるとね。
これは実体験なんだけど、僕はネットでは賛否両論な人物茂木健一郎っていう脳科学者の言、「人間の脳は自分の興味あることをハードルを超えながらし続けることで快楽物質(ドーパミン)が生じ、更にそれをするようになる。だから好きなことをもっとして更に増やせば脳はどんどん活性化するしアウトプットのレベルが上がる。逆に、何かを強制されてやらされると脳は活性化しないしアウトプットもレベルが上がらない」っていうのを中学くらいで読んでずっと信仰してきたわけね。
好きなことをたくさんやる「べき」なんだと。勉強やスポーツを好きなことに含める「べき」なんだと。
しかし最近になって、「結局"~べき"思考になってるんだから強制されてるのと同じじゃないか」ということに気づいた。好きなことをするべきするべき…って呪文みたいに心のなかで8年くらいつぶやき続けて、たどり着いてしまった自己矛盾。この8年なんだったんや…という絶望感は半端無かったね。
もちろん、この8年脳がフル回転してドーパミンドパドパ出て充実したか、って言うと全くそんなことなく。むしろ「好きなこと」すらも積極的に取り組もうとしない自分に自己嫌悪しながら虚ろに過ごしてきたなぁ。
繰り返しになるけど、だから「好きなことをする"べき"」って思考は、昨今の「好きなことをして生きようよ、気楽に生きようよ」という風潮に沿っていこうとすると、結構陥りがちな幸せになりにくい系な考え方なきがする。
それに気づいた後、じゃあどうすりゃいいんだろッて思ってた所にこのダイアリーがきたので一つの参考になりそう。結局やるべきことを嫌々ながらもやらなきゃいけなくて、それが幸せへの遠回りに見える近道なのかな、って思ってたので。
3行でまとめると
人は無くて七癖何だからなんか好きなことはある
但し「好きを意識"すべき"」と思わないように注意
ってことなのかなぁと。
フェミニストはブスで、美人に嫉妬してるだけという理論(?)の背景には、多分以下のメカニズムがある。
↓
↓
ブスな女が男たたき、男に媚びる美人たたきをするのがフェミニズム
が、そもそもフェミニストの主張は、美人観というものが社会的に捏造、でっち上げられていることを問題にしているわけだ。
これに対して、「ブスのフェミは嫉妬してまたこんな事をいっているのか・・・」と反応することは全く会話が噛み合っていない。
捏造だ!という発言に対して、嫉妬乙、で返すのが以下にちぐはぐかは、以下のようなネット言説に当てはめるとわかりやすい。
K国「かつて高句麗王国の版図は東アジア全域にまたがっていた。日本とか中国とかより強かった。あと色んな文化の発祥地ですよここ。」
J国「捏造乙」
K国「嫉妬してんのかwww」
J国「は?」
まぁ、美人とかいう観念は大体ダイナミックコリアと同じようなもんだよきっと(適当)あ、なんて差別的な発言なんでしょう(自己嫌悪)
大学の4年を一緒に過ごして実家へ遊びに行く程の仲にもなった友人T。卒業したあと自分は個人事業主になりTは会社勤めとなった。
数年後、彼は呑みにいくたびに会社内で遊びに行くような交友関係が作れず辛いということを話していた。
それを聞いて自分は以前から属してる20人ほどのゲームのコミュニティに彼を誘うことにした。
そのコミュニティはネット上で出来た集まりで基本的にskypeを利用しつつマルチプレイを楽しむ形で5年以上続いており、メンバーらはたまにリアルでもイベントをしたり一緒に旅行にも行くほどの仲となっていた。
Tを大学の頃から友人だということで紹介し、コミュニティではスムーズにメンバーとして受けられた。
その時はみんなとゲームを楽しんでいるTを見られて嬉しかったのは覚えている。
しばらくした頃、自分は仕事がうまくゆかず精神的に不安定な状態が続いて徐々にそのコミュニティ以外では人と話さなくなっていった。
そんな中ふとSNSを見るとTがコミュニティのメンバーと楽しそう遊んでる投稿がされている。
いつの間に繋がっていたんだろうか。楽しそうなやりとりをしている。自分は知らないイベントだ。
誘われてなかったことにかなりの寂しさを感じた。
そんなことが幾度かあり、寂しさが徐々に嫉妬と憎しみに変わってくる。自分は蔑ろにされているんじゃないか。
Tが可哀想でコミュニティに紹介したから今の状況があるのに、なぜ自分を差し置いてメンバーと仲良くしてるんだ、と。
本来なら自分がそこにいたはずなのに、こんなことになるならTをコミュニティに誘うんじゃなかった。
そうして、そういう風に考えてしまう自分に自己嫌悪して気分が落ち込む。
普通は友人同士が仲良くしてる状況を見たら喜ぶべきなんだろう。
暫くTとは会ってないがこれから普通に接することが出来るかどうかわからない。
この感情を消し去って以前の友人としてのTを取り戻せるのだろうか。
現地の人を見下してるように思ってしまう。
一人目は、カンボジアに行くと”帰ってきたーって気がする!”と言っている。彼氏もカンボジア人だった。
でも日本人の彼氏(超いいやつ)と同棲しながらカンボジア人に股開いてた・・・。
いつも、うおー!やりきってやる!とか、負けたくないと言っている。何にかはよく分からない。
諦めたくない!全部を手に入れるんだ!と言っている。自称サバサバ系だけどどう見てもネットリ系。
でも本人は、なんでも出来てしまうから可愛げがないんだと言っている。
もう一人は大学卒業後にアート系に目覚めて、よく分からないフリマやイベントで変な小物を売っている。
みんなに来てきて!と言っているが多分誰も行ってない。
正直、貧乏っぽい。過度なナチュラル系。放射脳となり周囲にいつも放射能の危険性をアピールしている。
でも東京に住んでいる。移住はしない。子どもたちには移住して欲しいらしい。
誰もわかってくれない!こんなに危険なのに!子どもたちを守ろう!と言っている。
いかにも左派っぽいけどイデオロギーの話とかはよくわかってない気がする。
30歳前後ってもっと自分を見つめて、自分は何が得意なのか?何なら捨てられるのか?どうやって生きていくのか?
を考えるものじゃないのか?
2人ともあまりにエゴイスティックな気がしてしまう。結局は自分の世界だけで生きているのでは?
たぶん根本的なイライラの原因は、俺が二人とヤッってしまったということだ。
なんであんなのと寝てしまったんだ俺は。
自己嫌悪。
しかしどうも日々に張りが無い。日々の過ぎるのが遅い。
一ヶ月の過ぎるのがこんなに遅いなんて知らなかったよ。
自分も気づかない間にそうだったのだなぁ。
こーゆー時に別れた報告を、するのが面倒ですね。
大丈夫?って聞かれても心配を掛けないように空元気出すしかできないし。
大丈夫?って聞く人にはじゃあ大丈夫じゃないって言ったら何してくれるの?ってたまに思ってしまう。
自分のことを心配してくれる人にそんなことを思ってしまうほどに、余裕がないのかもしらんね。
なんつーか、可愛い。ありがとって素直に思える。
コンパには何回か顔を出したけど、気疲れするばっかりだ。
そこからようやくお付き合いが始まるなんて面倒過ぎる。
その手順を踏むのが面倒だ。業者挟んで簡略化して欲しいす。
そんなことを言いながらも一人の女の子を振ろうとしてるし、
一人の女の子に振られようとしてる現状です。
寂しさを埋めるためにインスタントな安っぽい恋愛してる自分に自己嫌悪。
本当に生きるの死ぬのという深刻な話ではなくて。
たまに己の醜さや愚かさ、無能を直視する出来事があると、自己嫌悪が募って死にたいような気分になるってこと。
深刻な自殺願望ではなくて、一種の逃避であり、「自分がこんなにダメな人間とは認めたくない」という否認なのは分かってるんだけどね。
逃げ出すと死にたい気分は消えるし、留まっても暫くすれば回復する。
まあ結構誰でも(とまでは行かなくてもそれなりに多くの人が)感じる現象だと思うんだけど、問題はそう思うような事態が週1ペースで発生するってことで…。
逃げてばかりもいられんし、気の持ちようと分かっていても暗黒な気分を耐えるのも辛い。
けど、自分を謙虚に見つめようとすればするほど、傲慢だった時期には気付かなかった欠点に余計に気付かされていく。
要は、もっと若くて柔軟な時期に、自分の実像と虚像の差を認識しなかったのがいけないのよね。
はあ。
Twitterとか2chで飲酒炎上を何度も見てきて、「あぁ、普通の人はやっぱり成人するまで酒飲まないんだな」とか高校生の頃は誤解してた。
実際大学入ってみたらほぼみんな当然のようになんの躊躇いもなく飲んでる。一応日本トップクラスの大学だから、レベルの問題?とか疑うことすらできないし、みんなこんなもんなんだろう。完全に偏見だけど、偏差値的に自分より下の大学の人はみんな飲まない、とは考えづらいし…(違ったらごめんなさい)
でも炎上とか見てきて、「未成年飲酒は悪」という固定観念に囚われてしまったので、お酒は今まで断ってきた。本来正しいはずのことに「固定観念」という形容をするのはなんか辛いものがあるけど、事実そうだから仕方ない。
でもみんなこの固定観念を共有していないから、酒を飲まないと「何で飲まないの?」とか聞いてくる。「まさか未成年とか気にしてるわけではないよね?笑」とか言ってくる人までいる始末。
さも当然のように言われるから、こっちもなんだか悪いことをしているような気になってしまい「いや〜、昔一回飲んでみたんだけどすぐ吐いちゃったからさ〜笑」みたいな自分で反吐が出るような言い訳をしてる。
「はっきり言えばいいじゃん」と思うかもしれないけど、どうしてもそれができない。自分が弱いからなのかな…?こんな自己嫌悪しなきゃいけないのもなんか変な話だと思うけど。
で、大学生は何かやたら飲み会が好きらしくて、コミニュケーション取りたかったらまぁ飲み会には行かないとなんない。流石に育ちがいい人達が多いからか、別にジンジャーエールだけ飲んでてもOKだし、人と話せるのはそれなりに楽しい。ちょくちょくさっき言ったような変な質問が飛んでくるけど、お酒飲まないと怒られるようなことはない。
ただ、明らかに酒飲んでる奴のほうが楽しそう。そりゃあ酒って免罪符だから騒げるしね。そういうの見てると自分も飲みたくなってくるんだけど、今まで嘘をついてまで断ってきたせいで、今さら飲むのも憚られるし、何よりまだ未成年!!!
もう大学入ってから八ヶ月我慢してきて、もうすぐ飲めるようになる!とおもいきや、大学入学から20歳までの半分しか終わってないことに絶望してる。こんなことなら、4月の時点で飲酒を強制されてしかたなく飲んだ体をしておきたかった…。
ついに先日、高校時代に絶対未成年飲酒をしないと誓った親友に「酒飲まずに空気冷ますなら来るなよ」と罵られたことを一人思い出しながらジンジャーエール飲んでます。
追記
さらに追記
誤解させたみたいなので訂正しとくと、この友人は飲み会には来てなくて、あとから俺が飲んでないことを聞いての発言です。自分では雰囲気崩してないつもりですよ。
注目引くためにこんなタイトルにしちゃいましたが、本当に言いたいのは一人酒を飲まないことの愚痴です。「こんなに胸が苦しくなるなら、君と出会わなければ良かった」的な。釣り?っぽくてごめんなさい。